転生したら殺人鬼ポジだった件   作:クリーニング黒兎

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記念すべき100話目だ〜!
今回は露伴の動かないネタから、いや動かないどころかめっちゃ走ってるやん、な回です。時代背景は漫画参考なのであまり細かく考えないでください。


100話 魔女の一撃

 40代になり、人生ではじめて腰をやった。掃除のため客間にある長テーブルをキラークイーンと移動させようとしたところ、ピキッと音がして、死んだ。

 

 オヤジには「吉影、とうとうお前もか…」と哀れまれ、痛みも相まって並々ならぬ殺意が湧いた。

 

 しばらくの安静期間ののち、わたしは予防策を講じることにした。

 

 

 ぎっくり腰は長時間同じ体勢だとなりやすいようだ。仕事中は適度に休憩を入れて体をほぐしているが、これにも限界がある。

 

 手っ取り早いのは体幹を鍛えることだ。この時脳裏に過ぎったのは、ヨガとジムである。ヨガは女ばかりで浮くイメージしかないので却下だ。

 

「となると、ジムか…」

 

 自分に潔癖のきらいがあるのは理解している。すでに潰れたが、前にぶどうヶ丘高の方にジムができた時も、衛生面を疑い行かなかった。

 

「ジムかぁ………」

 

 わたしの手元にはチラシがある。S市内で我が家から比較的近くにあるのは、杜王町グランドホテルの八階にあるトレーニングジムだ。今は完全個室のジムもあるらしいが、生憎と近場にはない。

 

 グランドホテルのジムは30日で27万のパーソナルトレーニングがある。果たして相場的に高いのか安いのかはイマイチわからん。

 

「我が身の健康と腰を思うならこの際、専門的な知識を持つ人間に指導してもらった方がいいか……」

 

 チラシが謳う『徹底指導!』は、信じていいものなのか。申し込むにしても、一度視察してからだな。

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎◻︎◻︎

 

 

 あれからジムに行ったが、思ったよりは衛生がしっかりしていた。シャワーも完備されており、終わった後に汗を流して帰ることができる。他の奴が使っていると思うとかなり嫌だが、汗だくで帰るよりはマシだろう。

 

 また指導するパーソナルトレーナーが合わないと思うなら、変えられるそうだ。他にも特典が色々あったが、詳細は省く。

 

 少し悩んだ結果、わたしは個別指導を受けることにした。

 

 

 

 服装は速乾性の高い上下黒のアンダーウェアの上に、黒の半袖短パン。邪魔になるメガネは外し、長い前髪は後ろに撫でつけた。

 

 メガネと言えば、最近手元のものが見えにくくなったな……。

 

 

 担当になったのは20代半ばの女性である。肌は色白で、猫のようにしなやかな筋肉だ。

 

「今日から一か月間、吉良さんを指導させていただく水野です。よろしくお願いしますね。もし何か質問があれば、いつでも気軽にどうぞ」

 

「よろしくお願いします」

 

 渡した問診表をトレーナーは読んでいく。紙には名前や年齢などを書いた。

 

「トレーニング目的は体幹を鍛えるためですか。具体的な目標はありますか?」

 

「あぁ…その」

 

「?」

 

「腰を最近、少し……」

 

「え?……あぁ、なるほど。ぎっくり腰ですね」

 

 わたしの場合、首から横にかけて体の表面にある脊柱起立筋に負荷がかかり、ポキッとやらかしてしまった。

 その予防には脊柱起立筋を助ける腹横筋や多裂筋などの、インナーマッスルを鍛えるといいそうだ。

 

「ではインナーマッスルをメインに、全体的な体幹を鍛えていきましょう。これまでの既往歴は────え゛っ」

 

 人の顔をチラチラ見られても困る。精神病や手術歴を書かないわけにはいかないだろ。

 

「……う、運動は毎日30分ほどランニングされてるんですね。日頃の食事内容も見た感じ、健康的で素晴らしいと思います」

 

「気を遣わなくて結構ですよ」

 

「す、すみません…さすがに驚いてしまって……」

 

 注文の多い料理店ならぬ、手術歴の異様に多い客として、裏で話のネタにでもされるのだろうか。憂鬱な気分だ。

 

「では次に体組成計で体重や筋肉量、体脂肪量などを測りましょう」

 

 

 体組成計測定が終わった後はいよいよトレーニングが始まり、まずストレッチから行った。寝る前のストレッチとレベルが違い、筋肉が酷使されて腹の潰れたカエルのような声が出た。

 衛生面だなんだと言ってる場合じゃない。死ぬか否かの瀬戸際だ。

 

「あ゛ぁ………」

 

「座る時間が多いお仕事らしいですが、やはり普段使われていない筋肉が多いですね」

 

「みずっ、のんで、いいですか…」

 

「ご自由に大丈夫ですよ」

 

 そんなこんなで、初回のトレーニングが終わった。

 

 翌日は筋肉痛で、勘違いした父が「吉影、またなのか……!?」と宣ってきたので、本当に爆殺してやろうかと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎◻︎◻︎

 

 

 ジムに通い始めてから数回目のある日。個別指導の後、わたしはトレッドミル(ランニングマシン)で軽く走っていた。

 

 この機械は便利だと思う一方で、推進力を機械側が生み出すため、実際の道を走るのとでは大きく感覚が異なる。機械の方が力を使わずに済むな。

 

 他にも走る人間がいる。下のベルトが巻き取られる音や、他人の息遣い、他のトレーニング機器の音。そういった雑音が耳に入って、上手く消えない。

 

 ランニングは機械より普通の道を走った方がわたしには向いているようだ。景色が動き、自分の体のエネルギーが使われていく中で、意識は「走ること」に集約される。集中せずともその形に自然となるのだ。

 

「フゥー……」

 

 速度を落とし、今度はゆっくりと走る。その間に水分を取っていたら、横から話しかけられた。

 

「中々いい走りだな」

 

「ありがとうございます」

 

「吉良吉影」

 

「…ん?」

 

 なぜわたしの名前が出てくるのだろう。答えは緑のバランにあった。

 

 

「時代錯誤の丸渕メガネもないし、髪を上げていたから一瞬気づかなかったが、そのいけ好かない顔で誰か分かったよ」

 

「………」

 

 隣をいなかったものとして再び走り出そうとしたが、機械が急に止まった。

 漫画家の────岸辺露伴の手には、万が一の時の緊急停止用リモコンがある。

 

「……何か用かい」

 

「せっかくここで会ったんだ。少し勝負しないか?」

 

「遠慮する」

 

「なに、僕はちょっと()()()()()()って言ってるだけじゃあないか。それとも年下に負けるのは、貴様のお高い矜持が許さないのか?」

 

 見え透いた挑発である。すっかり萎えてしまった。もう少し走りたかったが、シャワーを浴びに行くとしよう。

 

「帰るんだな」

 

「あぁ、誰かさんのせいでね」

 

「そうか、じゃあな。

 

 

 ──────ぎっくり腰の男」

 

 

 はたしてその情報をコイツがどこで手に入れたのか。恐らくわたしのトレーナーから知り合いを装って聞いたのだろうが。

 

 隣にいたのも偶然ではない。前にわたしをジムで見かけ、そして情報を集めた。

 奴の粘着質な行動の理由(ワケ)はまず間違いなく、こちらが散々と破産の件をネタにしたからだろう。

 

 足を戻し、口角が上がるのを感じながら奴を見る。

 

 

「いいだろう、岸辺露伴。受けて立つ」

 

 

 

 

 

 まぁ戦いの結論を言うと、わたしが負けた。普段から漫画家のくせに鍛えている奴には敵わなかった。

 

 勝負方法は徐々に早まる速度の中、スピードが『20.0km』に達した瞬間、リモコンを取って自分の機械を止める──というもの。リモコンを取れなかった方は速度に耐えきれず、床に転がることになる。

 

 まぁ勝敗は仕方ないとして、無理に走った結果が過呼吸である。

 

 勝負の途中、呼吸音がやばいなと思った矢先、意識がフッと飛ぶように気を失った。最後の気力で「びょういんはやめ…」と言ったのが功を奏し、白い天井を拝まずには済んだ。

 

 

 バランの男から謝罪されたような気もするがすべて無視し、家に帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

 吉良は露伴との勝負で、「クッッッッッッs……」と久しぶりにブチ切れていた。まぁ、元はと言えば、漫画家の破産をメスガキ並みに煽り嘲笑っていたので、自業自得ではある。

 

 ジムを変えようかと彼は真摯に悩んだが、コースはまだ序盤だ。それに近場にいいジムはないし、ぎっくり腰の痛みを二度と味わいたくない。そのため通い続けた。

 

 仕事の時間を考えると、ジムに充てられる時間は土日に限られる。

 そしてその時間だと、露伴とも被りやすかった。

 

 

 

 二度目の遭遇は土曜の午後、澄み渡る晴天がまぶしい日だった。

 

「………ッチ」

 

 更衣室で運動着に着替えていた吉良は、入ってきた漫画家に気づくなり舌打ちする。

 露伴はわざわざ一つ分ロッカーを空けた隣に立った。

 

「ナァ、まだ怒ってるのか?僕はちゃんと謝罪しただろ。「煽って悪かったよ」と」

 

「………」

 

「お互いイイ大人なんだし、僕も破産(以前)の件は水に流してやるからさ」

 

「………」

 

 直後バァンと、ロッカーが派手な音を立てて閉められた。遮るもののない垂れ気味の目は、甘い雰囲気とは打って変わって苛烈さを宿す。現れたキラークイーンは上体を吉良に預け、じろっ…と露伴を見つめた。

 

「おっと、いたのか岸辺露伴。全然気づかなかったよ。その、センスを疑う中途半端に割れたたまごの殻みたいなヘアバンド、今日も似合ってるね」

 

 ニコニコと笑い、吉良は更衣室を出て行った。

 

 

 

 

 

 それから30分後。パーソナルトレーニングの休憩中、トレーナーの水野がふと吉良に尋ねた。

 

「そう言えば、吉良さんってあの人と知り合いだったんですね?ほら、今日も来てる……」

 

「岸辺露伴」

 

「そうです。漫画家なのにかなりしっかり鍛えてて、すごいですよ」

 

 ここだけの話ですけど──と水野は続け、露伴が女性トレーナーから人気があることを語る。売れっ子漫画家で、顔も肉体もいい。ただ女性トレーナーが話しかけても無愛想だという。

 

「あれでも、子供の頃よりはマシになった方ですよ。水野さんは岸辺露伴のファンで?」

 

「いや……少年漫画は読まないんでさっぱり。でも少女漫画は読みます。これはちょっと古めなんですけど、『ぼくの地球を守って』っていう作品が学生の頃に刺さって、色々読み漁ってました」

 

「あぁ、日渡先生の…」

 

「………おっとぉ?」

 

 青年と会話している漫画家の後ろ姿を見ていた吉良は、そこで「ん?」となった。

 

「すごい意外です」

 

「ハハ……」

 

 娘の漫画を偶然…と、一瞬誤魔化そうともしたが、頬をかこうとした薬指に指輪はない。前に仕事で調べた、夫婦が指輪を付ける割合はいくらだったか。流れるように思考が進む。

 

「偏見とかないので、大丈夫ですよ」

 

「………まぁ、趣味で」

 

 仕事の一環で読んでいる、と言えるはずもない。

 

 吉良はあくまで自然に、トレーナーの視線から自分の手を隠す。

 

 特にストレッチだと筋肉の動きを意識させるために、トレーナーの手が触れることがある。これは事前に「体に触ることが…」と説明を受け、彼もそれに了承した。しかし実際に健康的でたおやか手が触れると、意識してしまう。

 

「じゃあ、そろそろトレーニングに戻りましょう」

 

「はい」

 

「……あ、あと」

 

 水野は吉良に顔を近づけ、コソコソ話をする。

 

 

「おすすめの少女漫画があったら、ぜひ教えてください」

 

 

 思わず吉良は至近距離に迫ったカノジョに、生唾を飲む。

 だから、肉食獣のような女の目は見ていなかった。

 

 ジムの女トレーナーの間では、この男もまた人気だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

 個別指導後、いつものように吉良はランニングを始めようとした。

 ズラリと並ぶトレッドミルに二名の先客がいる。他に走っている者はいなかった。

 

「岸辺露伴と……奴がさっき話していた青年か」

 

 二人の間にはテーブルがあり、その上に緊急停止用のリモコンがある。前回の吉良と露伴のように勝負しているのだろう。しかし時速は『20.0km』より速い。両者はすでに息が荒かった。

 

 負けろ、岸辺露伴──と吉良は名も知らぬ青年を応援する。

 

 

「ぐっ…!」

 

 

 リモコンを先に取ったのは露伴だった。速さに耐えきれず青年は前のめりになり、顔をベルト部分に強かに打ちつけた。

 

「僕の勝ちだな」

 

「………」

 

 青年は納得のいかない顔をしている。二人のリモコンを取るタイミングは同じだった。だがリモコンを取る前に露伴の指先がテーブルに触れ、その振動でリモコンが露伴側に傾いた。

 

「……おっと、そろそろ時間だ」

 

 帰ろうと歩き出した漫画家は、その途中で吉良と出会した。また嫌味の一つでも言われるのかと顔を顰めた彼は、すぐに横を通り過ぎようとする。

 

「セコい真似をするものだな」

 

「負け犬の遠吠えか?いちゃもんをつけるんだったら、実力で僕に勝ってみろよ」

 

「………」

 

 バチバチと火花が散る。最後に吉良が一言発し、「ハ?」という顔をした露伴はそのままトレーニングルームを後にした。

 

 

 

「さて、走るか…」

 

 最初は時速8キロで、そこから徐々にスピードを上げて時速15キロまで行く。

 人の少ない隅を選んだ彼だが、隣で例の青年が走り始めた。時折吉良の顔に視線が刺さる。

 

「……何だい?」

 

「…いえ、さっきあの先生と話していたから、知り合いなのかと思って」

 

「まぁ、知り合いではあるよ」

 

 ポツポツと会話が続く。この青年は「橋本陽馬(ようま)」と言うらしい。職業はモデルや俳優をしているそうだ。

 

「吉良さんは何をされてるんですか?」

 

「わたしは……」

 

 チラ、と横目で陽馬の顔を見る吉良。そのあと「ライター関係だよ」と話した。

 

「パーソナルトレーニングを受けているってことは、それなりの稼ぎがあるんですね」

 

「本名で活動はしていないけれどね」

 

「どんなものを書かれてるんです?」

 

「…あまり公共の場で言えるものじゃないんだ。察してほしい」

 

「へぇー?」

 

「ハハ……それより君は都市部で活動していないんだね?一昔前と違って今は新幹線一本、片道一時間半で東京に行けるんだから、便利な時代になったよ」

 

「本格的に収入を得られるようになったら引っ越すつもりです。トレーニング施備もここより充実してますから」

 

「そう………ハァ」

 

 話しながら走っていたため息の切れた吉良は、速度を緩めた。一方で陽馬は彼よりもっと速いスピードで走っている。

 

「若いのは羨ましいね…。いや、これを言ったら本格的に年寄りくさいな……」

 

「おいくつなんですか?」

 

「人生の折り返しには入ったかな…」

 

「40代?そうは見えないけど……オレの親と歳が近いですね」

 

「中々刺さる言葉はやめてくれないか」

 

 ちなみに陽馬は21歳らしい。ハハッ、と吉良は乾いた笑い声を漏らした。

 

 

 

 それから20分ほど経ち、吉良はトレッドミルから降りた。陽馬から今度“勝負”してみないかと誘われたが、前回の漫画家との件を話し丁重に断る。「やたら手術歴の多い人」だけでなく、「過呼吸の人」の称号まで得てしまったのだ。とにかくこれ以上目立ちたくない。

 

「……露伴先生に再戦(リベンジ)しようとは思わないんですか?いや…そもそも過呼吸で倒れたなら、その勝敗は決まっていないはずだ。それなのに先生が「勝ち」っていうのはおかしいだろ」

 

「それは君とわたしの価値観の相違だよ。わたしは勝ち負けにこだわっていない。あの時は奴に()()キレてしまったが、次また戦おうとは思わないよ」

 

 あくまで、()()()()ではな────と、内心で吉良は呟く。

 

「アンタ、見てたでしょ。オレと先生が勝負していたところ」

 

「あぁ、あの小僧はセコい真似をしていた。君は勝敗が不満のようだね。去る奴を睨むように見ていたからさ」

 

「オレは次に先生に会ったら再戦(リベンジ)するつもりです。今度は「公正」のもとに行う。勝負とは()()()()()()だと、オレは思っている」

 

「それが君の価値観というわけだね」

 

「えぇ」

 

 フゥー、と吉良は息を吐く。橋本陽馬の瞳には揺るぎない意思があった。それも、奪われたものを追いかける熊の執着心のような、そんな凄まじさだ。

 この青年の闘志を岸辺露伴は付けてしまったわけである。

 

「まだトレーニング終了までに期間があるんだがなぁ…」

 

「…?それがどうかしたんですか?」

 

「いや、こちらの話だ。君が勝負の公正さを重要視するならば、わたしは自分の平穏を望むというだけだよ。まぁだが………これは一つ提案なんだがね」

 

 吉良はその再戦の審判を申し出た。陽馬の求める「公正」役として立ち会うと言うのだ。

 

「……アンタは勝ち負けを求めないんだろ?それなのにどうして公正な審判ができると言うんだ?」

 

「それは自分に限った話だ。他人ならばルールに従って白黒はっきりさせるよ。それでも信じがたいならば…君に「わたしが公正な人間である」…と、信じられる根拠を見せよう」

 

「フーン……じゃあ、オレと“勝負”してください。自分の目で見極めます」

 

「…わかった」

 

 ただすでに吉良は疲れ切っているため、日を合わせた次回に勝負を行うことになった。

 

 

 

 そして当日。

 

 勝負の方法は速さではなく持久力。『20.0km』だと吉良がまたぶっ倒れる可能性があるため、『15.0km』を長く走っていられた方が勝者とする。

 

「じゃあいいかい、吉良さん」

 

「いいよ。ただもし過呼吸を起こしたら、勝負は君の勝ちにしてくれ。あと絶対に救急車も呼ばないでくれ」

 

「……あれですか?呼ぶなよ、絶対に呼ぶなよ、的な」

 

「フリじゃない。病院が嫌いなんだ」

 

 こうして二人の持久力対決が始まった。

 年齢を考えれば、平等な戦いではない。そこは陽馬も分かっているだろう。ただ橋本陽馬が求めているのは全力を出し切る、ズルのない正しい勝負だ。

 

 だからこそ吉良は今できる全力をもって相手し、負けた。最後はベルトの巻き取られる速度に負けて後ろに押し出され、そのまま気絶した。後ろの器具に体を打ちつけそうになったが、キラークイーンがキャッチし、床に転がす。

 

 

「あれ?………あ、あの人また倒れてる!!」

 

 

 ──と、こんな感じで軽い騒ぎになった。

 

 陽馬が間に入ったことで救急車は呼ばれず、吉良自身も数分後に目覚めた。

 

「いいですよ。審判役、アンタに任せます」

 

「それは………はは、よかった…」

 

 らしくない事をするもんじゃないと、吉良は心の底から思った。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

 戦いの火蓋が切られる。予定を合わせる羽目になった漫画家は、面倒そうな顔をしている。

 

「何で僕がさァ……」

 

「貴様がまいた種だろ。正々堂々戦え」

 

「ハァー…」

 

 ただ、露伴の表情もパーカーを脱いだ陽馬の肉体を見て固まる。ボディービルダーのようにゴリゴリにその体が鍛えられている、というわけではない。その筋肉は例えるなら彫刻のような、計算された美しさがある。同時に普通人間なら付かないであろう場所に、筋肉が隆起していた。青年の呼吸一つで、その一つ一つが生き物のようにうごめく。

 

 唾を飲み込んだ男のこめかみに、汗が伝う。

 

 岸辺露伴は橋本陽馬から強い意思を感じ取った。色々と奇妙な目に遭ってきた彼の勘が、ここでようやくサイレンを鳴らし出す。露伴はつい、椅子に座って水を飲む吉良を見た。

 

「いいかい、()()()()()()()

 

 ルールは前回、露伴と陽馬が戦ったルールと同じ。『25.0km』の速度に達した後、先にリモコンを取った方が勝ちである。

 

 

「公正に勝負だ、露伴先生」

 

「……あぁ、分かった」

 

 

 そして二人のリベンジ・マッチが始まった。

 

 吉良は完全に高みの見物だ。彼もまた、短期間で異常な肉体の仕上がりを見せた陽馬に引いている。

 二台の速度はどんどん上がっていく。それに連れて呼吸の音も大きく、激しくなる。

 

(よく走れるものだな…)

 

 速度はいよいよ時速20キロオーバー。途中で陽馬に筋肉のことなど聞いていた漫画家も、走りに集中するよう言われてから無言で走っている。

 

「………!」

 

 背後から戦いを見ていた吉良の目が丸くなった。キュッ、と細まった瞳孔は獲物をとらえた時の猫のそれに似ている。

 

 橋本陽馬の背中。肩甲骨部分のそこが、羽のような形に盛り上がった。ふくらはぎにも似た形が生まれる。

 

 なおもゴオンゴオンと、ベルトの巻き取られる音が響く。

 

 23.2km……23.8km………。25.0kmまでもう間もなく。

 

 ラストスパートだ。露伴は唸るような声を上げ、陽馬もまた激しく息をする。

 

 

 そして、25.0km。先にリモコンを取ったのは────。

 

 

 

「オレの勝ちだッ!!」

 

 

 

 25キロの勢いのまま後ろに転がることになった露伴は、トレーニング器具に背中をぶつけて呻いた。

 

()ッてぇ…」

 

 敗者の前に審判が立つ。吉良は漫画家を見下ろし、フッと、嘲笑った。

 

「貴様の負けだ、岸辺露伴」

 

「言われなくとも分かってるさ…」

 

「橋本くんも満足できたかい?」

 

「えぇ」

 

 清々しい表情を青年は浮かべる。かくして、漫画家VS筋肉の神に愛された男の戦いが終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎◻︎◻︎

 

 

 パーソナルトレーニングの最後の日、橋本青年と会った。

 岸辺露伴とはあの日以降会っていない。シャワーを浴びる前に入れ違いで現れた奴は、「ジムを変える」と言っていた。

 

 他にも空いている中で、青年はわたしの隣で走る。

 

「この間は場を繕ってくれてありがとうございました」

 

「構わないよ。それより、何だか今日は機嫌が良さそうだね」

 

「ちょうど前に事務所から連絡が来て、東京での大きな仕事が決まったんです」

 

「それは良かった」

 

「引っ越しもそろそろする気です。今オレ、人生の「最良」の日を歩んでいる気分ですよ」

 

「“気分”じゃないさ。実際に君は最良の日を歩んでいるんだ。大変なことも多いだろうが、東京でも頑張ってね」

 

 愛想のいい笑みを浮かべてやると、向こうもまた笑みで返す。

 

「そう言えば露伴先生を最近見ないんですけど、どうしたんですかね?」

 

「…あぁ、奴はこの間シャワールームでちょいと怖い目にあったらしくてね。ジムを変えたみたいだ。わたしとしては顔を拝まずに済むからラッキーだったよ」

 

「ふぅん…?」

 

「虫でも出たんじゃないか?家庭内害虫とか」

 

「ゴキ「その名を口にするな」……」

 

 いくら衛生に気を遣っていようが、奴らは必ず現れる。何度爆殺しようと、気づけばそこにいる。人類はいつだって奴らに勝利したことがないのだ。

 

「あと、一つ吉良さんに聞きたかったんだ。アンタは先生のことを苦手としているみたいだが、何でわざわざオレの信頼を勝ち取るようなマネまでして、審判役を引き受けたんだ?」

 

「奴の敗北顔を拝んでやりたかったからだよ」

 

「それは本当に、アンタの望む「自分の平穏」を覆してまで見たかったものなのか?」

 

「…フフッ」

 

 隣り合う二台の機械は、すでに止まっていた。わたしはタオルで汗を拭いながら、窓の外に広がる杜王町の景色を眺める。

 

「では、何と言ったら君の機嫌を損ねずに済むんだい?」

 

「正直に言ってくれれば」

 

「そうか……。まぁ、奴のことは嫌いだが、わたしの知り合いの忘れ形見でもあるんだ。下手に顔を突っ込む性格でね。襟首を掴んでやらないと、本気で危ない時がある」

 

「それが、オレとの戦いだったと?」

 

「知っているかい、橋本陽馬くん。()()()()()()()()()()()()()んだ。君が岸辺露伴を見ていた時、わたしはね、「あぁ面倒事が……」と、心底あの小僧を殴りたくなったよ」

 

 この青年は“そういう”目だった。わたしと同じだ。しかもすでにその経験がある。

 

 同種の人間だからこそ分かる。わたしとこの男の違いは、ボーダーラインを超えているか否かだ。

 

「君がわたしの平穏な人生に意図して介入するというなら、こちらも相応の手を考えなければならない。どうするかは君次第だが、お互いこうしてジムで隣り合って走るだけの関係の方が、都合がいいだろう?」

 

「……そうですね」

 

「「NO」と言われずによかったよ」

 

「平穏をどうこうと語ったアンタの目も、口ほどにものを言っていたからさ」

 

「おや、上手いことを言うね」

 

 

 橋本陽馬がその後、わたしの前に現れることはなかった。

 

 


 

 

【トンデモ・ガール】

 

 

「鈴美……」

 

 潮風の中に一人の男が佇んでいる。供えられた花束が揺れて、落ちた花びらが海へと吸い込まれていった。

 

 今し方幽霊の女が消えていった場所を彼は見つめ続ける。相変わらず彼女は彼女のままだった。

 

 

 

『────あっ!吉影くん、一つ言い忘れてたんだけどね!』

 

「え?」

 

『露伴ちゃんのことお願い!すーっごい心配だから!!』

 

「え、ちょ、鈴」

 

『じゃあ今度こそ行くね!!』

 

「待っ………待ってくれ!!鈴美ィ────ッッ!!!」

 

 

 吉良はその時、多分人生で一番叫んだ。

 

 杉本鈴美は本当に最初から最後まで彼氏を振り回していった。

 

 

 まぁそんな彼女を、吉良は愛し続けている。

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