転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
ケーキのフィルムを舐める奴が許せない。
例えばわたしはそういう人間だ。
誰にでも譲れない一線があるだろう。目玉焼きにかけるのは絶対に醤油だとか、まぁそんな些細なことでもいい。
わたしの場合特に行儀作法について目につく場合が多い。
小学生の時など思い返してみれば地獄だった。文字の書き順が違ったり、消しゴムのカスを床に平然と捨てていたり、檻のなくなった動物園の如き有様だ。
そんな中で毎日生活していると必然としてスルーできるようになる。人間は適応できる動物だ。子供の頃のわたしが十分その証明になる。目に入ったものをなかったことにして心の平穏を保つ。でなければストレスで胃に穴が空いていたとも。
一見突拍子のない考えが頭の隅で顔を覗かせたのは、ふとカレンダーが目に入ったから。
大抵が地面から足が離れ浮つくような時期。サンタが消息を絶ってから慌ただしい年始年末がやってくる。独り身だがイベントを楽しむ遊び心は持ち合わせている。年末はこたつの上で丸くなるキラークイーンの横で大晦日の番組を見た。マイクを持つ司会の女の手が綺麗だったのは記憶に新しい。
そうして新年や成人式が過ぎ、人々の正月ボケも鳴りを潜めた頃わたしの誕生日が来る。
オヤジは抜きにしてわたしの誕生日を祝う人間はいない。いや、いないこともないが、知り合いを招いて──あるいは招かれて祝われてもサラリーマンのような営業スマイルを浮かべて終わるだろう。
自分の誕生日ながら、白米に梅干しが一つ乗っただけの弁当のような淡白さだ。関心がない。
────あぁ、それで、ケーキのフィルムの話に戻そう。
「一応ケーキでも買うか」と我が誕生日を見て思った。
一月三十日。一年が積もるたびに、次の一年が加速している気がした。
***
子供にとってお菓子は体の毒だ。虫歯の原因にもなる。
そのような家庭で育った幼い頃の吉良でも、ケーキを食べる機会はあった。それが誕生日である。
当然ケーキのフィルムを舐めることなどしない。
「実はケーキがあるんだけど、吉良くんも食べる?」
「……ケーキ?」
そこは甘ったるい空間でありながら、室内にガスが充満しているような黒ヒゲ危機一髪の場所だった。次の瞬間には爆発しているかもしれない。危険な関係性の男女がベッドの上で横になっている。
女はうつ伏せで両手に顎を乗せて、その重みがかかった分、肘がシーツに沈む。長い亜麻色の髪が大胆不敵に周囲へ散らばっていた。
対して男、と言っても少年の面影を残す人物は仰向けでぼんやりと天井を見ている。
お互い何も着ていない。その代わり薄い毛布が腰あたりまでかかっている。
「そう、ケーキ。私の誕生日なのよねん」
「いよいよ三十代の世界に入ったと」
「まだ私アラサーよ?」
「そうですか。お誕生日おめでとうございます」
「めんどくさい感じで流すとアッキー泣いちゃうぞ?」
行為後の気だるさで眠気を覚えている吉良は、やかましい方向から体ごと逸らして目を瞑った。少しだけ寝て体力を回復したい。
後ろからちょっかいを出してくる女に肘で抗議すると、ツンツンと突かれていた背中の感覚が消える。
「ねぇ、用意したら一緒に食べない?」
「………」
「吉良くん〜〜」
「………」
吉良は毛布を顔にまでかぶって完全黙秘の体勢を取った。どうも折れそうにないと判断した佐藤は、四つん這いで毛布の上を横切りベッドから立ち上がった。肩にテーブルに畳んであった彼シャツを勝手に引っ掛け冷蔵庫に向かう。
中にあるケーキは二つ分。相手が部屋に来るのを見越して用意されたものだ。
それを皿に乗せて、ついでにフォークも乗せたら両手で店員の如く運ぶ。そこで「あっ」と声がした。派手に皿の割れる音がすれば、流石に吉良も丸くなる術を解いて毛布から顔を出した。何事か、と見れば下に転がっていた己の衣服に足を取られ、ずっこけた佐藤が浜に打ち上げられた魚のようにうつ伏せで倒れている。二つの皿は割れあたりに散乱し、ケーキも床に落ちてしまっている。唯一、一つだけ佐藤の手に救出された生き残りをのぞいて。
「ドジっ子はキャラ付けじゃなかったんですか、先生」
「
「あなたですね」
「今までは吉良くんがお母さんみたいに畳んでたのに…」
「人に頼るな。恥を知れ」
佐藤は落ちたケーキを見て、「あぁ…」と本気で残念そうな声を出す。散らばった皿の破片に彼女が動けずにいる中、大きなため息が一つ聞こえ、吉良が毛布を引きずりながらベッドを立った。部屋から出た吉良は間もなくスリッパを履き戻ってきた。手には佐藤の分のスリッパもある。それを彼女の足元に置いた男はそこで、手に握り潰されるようにしてあるケーキに気づいた。先ほどまで眠たげだった目が丸くなる。瞳孔がキュッと細まったことに、足元へ視線を向けている佐藤は気づいていない。
「ありがと吉良くっ、う?」
刺身を目の前でぶらつかされた猫が果たして『待て』をできようものか。
ほんのりと香る刺身の鉄くささ。猫は到底我慢などできまい。腹が減っているなら尚更だ。
普段の吉良なら相手が利害関係で成り立つ佐藤相手でも、“許可”は取った。無理やりというのはいけない。暴力的なほど、その在り方は彼の本性に近づく。だからこそ紳士的に、壊れ物を扱うように接する。多分それは他の女を抱いても同じだろう。
生ぬるい感覚と共に赤い舌が這う。引っ込めようとした佐藤の拒否は通らず、腕を強く掴まれる。
「吉良、くん」
「………」
「……それ、私のケーキなのに」
「一緒に食べてるじゃないか」
「どこが…」
上目遣いに吉良は佐藤を見る。ストローでジュースを吸った時のような、艶かしい音を立てて薄い口元が離れる。
「ぼくは食べていて、あなたは
ついさっきのまぐわいよりよっぽど熱の孕んだ少年の目に、佐藤の背がブルリと震えた。
その後買い直したケーキでこの女がフィルムを舐めとると知った吉良は、心底嫌そうな顔をした。
それを吉良が言えるものなのか、佐藤は甚だ疑問だったが。
***
夏休みのある日。ちょっと遠出しようかと電車を乗り継いでデートを楽しむ。
空からはカンカンと日差しが降り注いで、皮膚から汗が滲み出る。元気な彼女を前にして、そこら辺に転がっていそうな蝉のように死にかけな彼氏は「これが若さか…」などと思った。そういう自分は高校生である。
「ちょっと休憩する、吉影くん?」
「お言葉に甘えるよ…」
鈴美は手早く近くにあったカフェを見つけ、二人でそこに入った。時間帯は三時ごろ。ちょうどアフタヌーンティーと洒落込める時間だった。メニューと睨めっこしていた彼女は「すみませーん」と大学生と思しき店員に声をかけ、ココアとショートケーキを頼んだ。
吉良もメニュー表をざっと見た。腹は空いていないのでコーヒーだけ頼む。ニコニコしている彼女に、皿が来た後に起こるであろうイベントは薄々予感できた。
「はい、あーん」
糖質がたっぷり乗せられたフォーク。吉良吉影は空気の読める男だ。ここで「だが断る」なんて言うはずがない。
口を開けて、ついでに正面に座る彼女へ顔を近づけるように前のめりになる。甘さが口の中で溶けて、そのまま体内に流れて行った。
「どう、美味しい?」
「…ぼくがあまり甘いものが好きじゃないって知っていて、それを聞くんだね」
「もぉ〜そこは「美味しいよ」って微笑んで返してよ!」
「美味しいよ(ニコッ)」
「「ニコッ」って音が聞こえてくる、恋人に向けるお手本のような笑顔を浮かべるんじゃなくてぇ……」
自然に笑え、と鈴美は思った。今の吉良の顔はドラマの俳優が恋人に向けてキザったい言葉でも呟きそうな甘いフェイスをしている。
鈴美の反応に吉良は口元を手で隠して小さく笑った。今度のは天然の笑みだ。吉良はこういった、少しのSっ気を見せることがよくある。イジワルをして相手の反応を見るのだ。鈴美もよくやられる。お返しに叩くとそれでも笑っているので、少しのMっ気もあるんだろうか。彼女は首を傾げた。
「いや、単純に性格が悪いのか、吉影くんの」
「え?」
「吉影くんの性格が悪いって話よ」
「ぼくは今、仮にも恋人に貶されているのかい…?」
「事実を言ってるだけじゃない」
「デートの最中で?」
「こういう時こそ相手の本性が際立って見えちゃうこともあるでしょ」
「ふぅん…」
吉良の視線がケーキを頬張る彼女から窓へ移った。人や車が行き交う道を紫目が所在なさげにとらえる。そこに目を移した意味はあまりなくて、通りすがる者たちは工場の流れ作業のように右や左へ通り過ぎて視界から消えて行く。でも粘土の如き柔らかな疑問だけはふてぶてしく頭の中に居座っている。
杉本鈴美との距離感。“恋人”である彼女とこうしてデートをしながら、行動一つに淫靡さを醸せる女とも関係を築いている。ぬるま湯と冷水に交互に浸かって、その中で愛し方を学ぼうとしている吉良はいったい何なのだろう。美しい手を目の前にぶら下げられたらそれしか見えなくなってしまう男が、その異常性から脱そうとしている。
もがいている。セミファイナルを迎えた奴らのように?
「はぁー、美味しかった!」
皿にスプーンを置いた音が聞こえ、次に鈴美の声が聞こえた。視界に映る景色のさらに遠くへ向かおうとしていた吉良の意識がそこで引き戻される。今度は冷房の音がすぐ耳元で聞こえてくるようだった。
「…大丈夫?顔色がちょっと悪いけど」
「……いや、何でもないよ」
お会計は彼女が何か言う前に彼氏が。店を出た後はじーっと愛らしい視線が吉良に刺さる。鈴美としては自分の分は自分で払いたかったのだろう。どうしたものか。吉良は少し悩んで、背を丸めた。人差し指で自分の頬をトントンと叩くと、その意図を鈴美は察したようだ。
「これでチャラだ」
「…しょうがないなぁ」
ちゅ、と音がした。感触は頬ではなく唇に。目を丸くした吉良に、鈴美は一歩分ジャンプするように離れて、してやったりなあざとい笑みを浮かべた。
ついでにこれは余談だが、カフェのケーキの件でまたもや彼女がケーキのフィルムを(とは言っても子供の頃に)舐めていたと知った吉良は眉を寄せた。その代わり今は
***
人生にはいくつかの避難所がある。酒、ギャンブル、趣味、エトセトラ。
酒に溺れることもなく、煙草も吸わない。賭け事もせず、趣味は読書。健康的でいて平穏たる日常。夜はぐっすり寝て、朝起きたら縁側の扉を開けて新鮮な外の空気を吸い込む。さぁステキな一日の始まりだ。──なんて日々を送れたらよかった。
ある事件ののち、大学を休学していた吉良。一時は重体だった体も後遺症なく回復した。新しく付き合いのできた東方仗助や母の朋子とも、親戚のような距離感で間を取っている。
矢は休学中探していたが、結局見つからなかった。それならばまぁ仕方ない。割り切ることも必要だ。小骨が喉に刺さったような感覚をそのままにしておくのは、吉良としては非常に嫌だったのだが。
進級した、あるいは単位を落として絶叫したかもしれない奴らと同室で講義を受ける。
完全にぼっちで過ごした。「ぼっち・ざ・きら!」である。格好つけて、「友達は作らない。人間強度が下がるから」みたいなことを思っていたわけではない。ただ、意図的に人間と関わっていなかったのは確かだ。
くり抜かれた腹の穴は塞がらず、そこから満たされたはずの熱が逃げて行く。当時の吉良はギリギリだった。平穏のふた文字が砂漠のオアシスのように遠い。文字通り気が狂いそうな日々。人間の皮が剥がれてバケモノの本性が今にも現れそうになる。
殺したくて殺したくて、仕方なかった。爪の伸びる速度は絶好調。だのに精神も肉体も絶不調。眠れない食べられない殺したい植物のように平穏に暮らしたい殺したい殺したい。自死の選択も彼のメニュー画面にはあった。
そんな時にリーゼントにシビアコしている少年のエネルギーを浴びると、わずかに眩しい方へ引っ張られた。ギリギリだった吉良に転機となる言葉をもたらしたのは朋子で、いざ肉欲に浸ってみるとこれがよかった。
足りなかったのは熱だ。女と肌を重ねると喉の渇きが紛れる。まぁ乱れていく中で自分の冷たさを自覚して脳が白けることもあった。
そして気晴らしに書いていた趣味とも言えない小説を
人生設計とは上手く行かないものである。彼は常々思った。
⚪︎⚪︎⚪︎
わたしの編集が箱を持ってきた。亀ユーデパートで買った品を泉くんはテーブルに置く。その品はカレンダーの日付からしてケーキだろう。以前誕生日を聞かれたことがあり話したが、覚えていたようだ。
勝手に皿やスプーンを用意し始めた彼女。家主の許可を取ってからにしてもらいたい。
「そもそもホールケーキを買ってくるな。これで二等分したら半円柱の物体ができあがるぞ」
「まぁまぁまぁ。食べきれなかったらご近所にでも配ってください」
「近所の人間が分けられたケーキを持ってくる絵を想像してみなよ、君」
「美味しそうですね」
「気は確かか?」
「人間が」
「ドラマの方向性が急に変わったんだが?」
包丁を持ちながら言われると余計に発言の血生臭さが増す。
泉くんは剥がしたフィルムを皿の上に置き、包丁を当て少しずつずらしながら綺麗に付着していたクリームを取った。それをホールケーキの側面に塗りつける。
「私の腕前中々でしょう、先生」
「……舐め取ったりはしないんだね」
「セクハラ警察です!担当編集へのいかがわしい発言はやめてください!!」
「警察の出動が遅すぎやしないか?」
合意の上での肉体関係があるんだ。今更すぎる。
泉くんは「おギョーギが悪いですからね」と言った。そこらの躾はしっかりされていたらしい。
「じゃあ食べましょう、先生。お誕生日おめでとうございます」
「待て、切るならもう少し細かく…」
ケーキの全消費は当然できるはずもない。残った部分は知り合いの連中に、一つ抱いた好奇心がてら渡した。
『ケーキにフィルムが付いていたらどうするか』
その回答はそれぞれで、ふと小説のネタになりそうだとわたしは思った。