転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
*今話は熊の話です。
女は流行に敏感な生き物である──と、吉良は感じている。
食べ物然り、趣味然り。
そういった流行の変遷を彼は職業柄、意識するようにしている。なにぶん、仕事で取り扱うのが女性をターゲットにした『恋愛』ものばかりだからだ。
それでいうと、最近は登山ブームが来ているらしい。ブームのきっかけになったのはおそらく、昨年に日本人の男性が世界一高い山に登り、最年長の登頂記録を達成したことだろう。
そこから一気に山へフォーカスが集まったのだ。
「というわけで、新作は山で行きましょう!」
星ノ桜花──否、吉良との次作の打ち合わせの中、溌剌とした口調で彼の担当をつとめる泉飛鳥が語った。
「いかにも、時間を持て余した年寄りの趣味じゃあないか」
吉良は泉の持ってきた登山の雑誌に目を通しながら、そう言う。その眉間に皺が寄っているのは、子どもの頃に親に連れられて山登りをした記憶がよみがえったためだ。
「もしくは、中年になってから健康に気を遣って始めた趣味か」
「先生はされないんですか、山登り?」
「あいにくと、社会人になってから登った記憶はないね」
泉は「意外だな」と思った。この男が健康に人一倍気を遣っているのは知っている。それこそ、担当編集になってからそれなりの月日が経つのだ。会う機会が多ければ、必然として見えてくるものも多い。
「ハイキングなんて、健康にはちょうど良さそうじゃないですか。ここらには登るにはちょうど良さげな山も多いのに」
「運動はジョギングをしているから十分だよ」
確かに、杜王町の近辺には山々がある。観光客は海に目が行きがちだが、紅葉シーズンになると山にもそれなりの人間が訪れる。
吉良が小学生だった時も、学校の行事で山に登らされた記憶がある。周囲の子どもは嬉々としていたが、彼に遠足を楽しむ心はなかった。
「それに、都会っ子の君にはピンと来ないだろうが、近場の山に出る時は出るぞ」
「幽霊が!?」
「……熊が、だよ」
「なんだ、面白いネタかと思ったのに…」
先ほどの食い入る様子が嘘のように、泉は肩を落とす。
「道内の向こうと違って現れるとしたら、ツキノワグマだ」
「北海道はヒグマですよね。日本で起きた熊による有名どころの食害事件も、このヒグマが原因だったはずです」
「ツキノワグマはヒグマと比べて臆病だが、逃走する際に攻撃を仕掛けてくることはある」
ツキノワグマは個体によっては100kgを超える。体長もまた、成獣になれば1mを超える。その巨体で一撃を食らえば、一発で亡くなる可能性もある。過去には実際にツキノワグマに襲われ、死亡した事例もあるのだ。
「……つまり、熊と出くわすかもしれないから、山に登りたくないということですか?」
「私がたかが熊を恐れるわけがないだろ」
「えぇ? でも、話の流れ的に、そうかと思ったんですけどぉ…」
仮に熊が出たとして、キラークイーンで爆破させれば容易く殺せる。お相手がヒグマだろうと、吉良には殺せる自信がある。
「でしたら一緒に登りましょうよ、山!」
「一人で行くよ」
「そうおっしゃらずに! 山を登る女性のリアルな意見を私がお伝えしますよ!!」
泉はすでに乗り気のようだった。吉良は短い息をこぼす。どの道「山登り」のリアルな空気を肌で感じるため、作品の題材に取り上げるなら登る気でいた。そこに余計なお荷物が付いてこようとしている。とりあえず泉のことは無視して、一人で登る算段を立てる。登山用の必需品を買い揃える必要も出てきた。
「まぁ先生がそれでも一人で行くとおっしゃるなら、私も一人で行くからいいですよ」
「君一人で行くのか……。友人や同僚を連れて行った方がいいんじゃないかい?」
「まさか、私が熊に襲われたり、遭難すると思って心配してくれてるんですか…!?」
「いや、君が一人で遠征をすると、碌なことが起きないからだよ」
吉良は幽霊やUMAの類を一切合切信じないタチである。たとえ絶対に幽霊である存在(父)がいても、幽霊なんているわけがないだろ、と鼻で笑う。
しかしそれでも、科学では立証できない
そして、泉飛鳥という女は、この“不可解な何か”を引き当てやすかった。よくこれまで平然と生きていられているな──と吉良は思っている。しかし、本人は明らかにヤバいものを連れてきてしまっていても、「何だか最近、肩凝りがひどくて…」といった具合で気づかない。「見ざる・聞かざる・言わざる」のルールなのか、こういった類は気づかなければ、基本的に害は起きない。
ただ吉良は
「…ちなみに、どこの山に行こうと考えているんだい?」
「そりゃあ当然、先生がおっしゃるこの素晴らしい街を一望できる場所にするつもりです!」
「決まってるか決まっていないかを言えと言っているんだ」
「ええと…」
泉は候補地の場所を吉良に教える。それを聞いた彼は顎に手を当て、「それよりも××の方がいいよ」とアドバイスした。
「君が言った場所は私も過去に登ったことがあるが、大して感動できる場所じゃあなかったよ」
「でも、噂では隠れスポットって聞いたんです」
「ヘェー、隠れスポット」
「自然のパワーを感じることができるって話もありまして…」
「一緒に行こうか、泉くん」
「本当ですか!」
「ただし行くなら、私が指定した場所にだ。いいね?」
「ですが──」
「いいね?」
「………はぁい、分かりました」
泉は渋々うなずいた。かくして二人は山登りに行くことになる。
◇◇◇
時期は紅葉シーズンである。熊が冬眠に向けて脂肪を蓄える時期でもあった。執筆時期を考え、熊が昼夜問わずエサを求めて出歩く今に登山するしかなかった。流行は存外、あっという間に過ぎる。それが女性向けなら尚更だ。
吉良は熊対策として、ホイッスルやベル、熊撃退スプレーなど、さまざまなグッズを装備してきた泉を横目に見た。ベルを一つどころか、複数身につけている彼女は騒々しい。どうやら熊の食害事件を詳しく調べた結果、「熊にだけは絶対に殺されたくない…」というマインドになったらしい。だったら登らなければいいだろ、と吉良は薄情に思った。
「泉くんはそのベルで、きらきら星でも演奏する気かね?」
「(リンゴンリンゴンリンゴン)」
「やかましい!!」
「あぁ! 私の命綱ならぬ、命ベルがッッ!!」
一つのベルを残し、ほかのベルは車に残されることになった。抗議しようとした泉は、吉良のこめかみに青筋が浮かんでいるのを見て閉口した。これ以上怒らすと、山に置き去りにされかねない。そうすれば、彼女の未来は土団子かもしれない。生き埋めのロンリネス。
『────』
そんな大量のベルを持ってきた泉に対し、吉良は持ち運びが可能なラジオを持参していた。ノイズ混じりの中で、視聴者のはがきを読む声が流れてくる。
「ベルよりも、ラジオの方が「人」の気配を知らしめてくれる場合もある」
「確かに、直接人の声が聞こえた方がいいかもしれないですね」
登っていれば疲労でおのずと会話も途切れてくる。その点ラジオであれば、常に人の声が流せる。
ちなみに余談だが、泉ははじめ番犬……ではなく番猫として、猫草を持っていくことも考えていた。この案はもれなく吉良に却下されている。
それから駐車場から登山道に入り、山を登ること一時間。秋の紅葉を眺めながら進んでいく。彼ら以外にも登山客がおり、赤や黄色、おのおのの色で染め上げる景色を見つめていた。やはりというか、吉良や泉よりも年配の者たちがほとんどである。吉良があえて選んだこの場所は、観光客が少ない、いわゆる地元の人間ばかりが来るような場所だ。そのため年齢層に偏りができているのだろう。
「もう頂上ですね!」
「………ハァ…ッ」
山頂に着く頃には、予定どおりお昼になっていた。まだまだ元気そうな泉に対し、吉良はすっかり息が上がっていた。常日頃からランニングをしているから大丈夫だろう、とたかを括っていた結果がコレだ。ハイキングはこれまで使っていなかった彼の筋肉をしっかりと痛めつけてきた。
「先生、向こうのベンチで休みましょう」
吉良は泉に促されるまま移動した。彼は座る前に、ベンチの落ち葉や汚れをはらってからハンカチを敷いた。感激した泉は、そこに座ろうとして肩を掴まれる。
「君を座らせるために敷いたわけじゃない」
「えっ?」
「疲れた……」
「………」
吉良を睨んだ泉は、自分もハンカチを敷いて座ってやろうと考え、ポケットを探る。しかしお目当てのものは見つからなかった。そもそも今時、トイレに自動送風機があるような今、日常的にハンカチを持ち歩く人間がいるのか? しかも吉良は男だ。男でハンカチを常備しているのはかなりの少数ではなかろうか?
「…君、もしかしてハンカチも持っていないのか?」
「………そうですけど、何か?」
「ベルは常軌を逸するほど持ってきていたというのに、ハンカチは忘れたのか…」
「えぇ、そうですよ?」
泉は謎の対抗を諦め、尻をベンチに直に乗せた。元より、登山用に買った汚れても問題のない服だ。
「ハァ………お昼にしようか」
腕時計を見た吉良がそう言う。両者共に、弁当は持参している。と言っても、泉の方は朝早くから新幹線で移動してきた都合上、コンビニで買ったものである。レジ袋から出てきたのはおにぎりや野菜ジュースであった。
一方で吉良は弁当箱である。山登りに続き、弁当箱を用意するのも久しぶりだった。
彼の眼前に映る紅葉に、ぼかしフィルターがかかった。意識が仕事の方へ引っ張られる。自分が体験したふり積もった葉の感触や山の匂い、自然のパレットが構想している作品の世界の細部に肉づけをする。
「先生、その鮭を一切れもらってもいいですか…?」
「あぁ………」
吉良が弁当に視界を戻した時には、弁当に入っていた鮭が消えていた。鮭泥棒は、割り箸で綺麗に骨をとり除き、うまそうに食べていた。作法の上品な熊だった。
◇◇◇
吉良が万年筆を片手にメモ帳とにらめっこをしている間、泉は資料用に山の写真を撮っていた。その間、同じように山を登ってきた年配の者たちに声をかけられ、愛嬌よく会話を交わした。
そうこうしている間に時刻は過ぎて行った。まだ明るい時間帯だが、チラホラといた登山客もすっかりいなくなり、今は二人しかいない。熊の件が脳裏にこびりついている泉は、おずおずと吉良の袖を引っ張った。
「せ、センセェ、そろそろ帰りませんか…?」
「………」
「先生!!」
「……ん?」
一際大きく肩を揺すられた吉良は泉の冷や汗で濡れた顔を見たあと、腕時計を確認した。
「すまない、もうお昼からだいぶ時間が経っていたのか」
「熊ァ…!
「少しは自分の熊対策を信用したらどうなんだ」
吉良はへっぴり腰の泉を連れ、山を降り始めた。駐車場に着く頃には夕方近くになっているだろう。森の中は遮るものが少ない場所と違い、生い茂る木々の影響で日が沈むにつれどんどん暗くなる。今も行きと違い、ほんのりとした暗さが森全体を覆っていた。その雰囲気が、泉の熊の恐怖に拍車をかけているようだ。本当になぜこのモチベーションで登山しようと思ったのか。仕事のためなのだろうが。
『 』
ぴくりと、泉の肩が跳ねた。彼女は思わず吉良の腕に抱きつく。
「な、何か、何か聞こえませんでした?」
「ラジオの音じゃないのかい?」
「あ、そっか…」
森の音。パキッと枝を踏む彼らの足音。鳥の声。
『 ぃ』
泉の顔からサァッと血の気が引く。やはり何か声が聞こえる。ラジオの音ではない。森の多くの方から、声が聞こえている。
彼女の吉良の腕をつかむ手に、さらに力がこもった。
『 ーい』
「やっぱり声が聞こえますよ!!!」
「そうかい? 私には聞こえないけれどね」
『おーい』
「ギャアアアッ!!! やっぱ聞こえてますって!! 「おーい」って呼んでますやん!!!!」
「……泉くん、これは一つの知識だけどね。森の中で「おーい」と自分に助けを求めるような声が聞こえても、近づいてはならないんだよ」
「へ、ぇ? ……あ、言われてみれば、そう言うふうに聞こえるかも………も、もしかして誰かが遭難してるんじゃ!!?」
吉良は目に涙をいっぱいに溜める泉に視線を向ける。
「助けを求めるなら普通、「おーい」じゃあなくて、「助けて」と言うはずだろ」
「あっ……そ、そうですね。じゃああの声はいったい…?」
「君、子熊が母熊を呼ぶ時の声を聞いたことがあるかい? まぁ、ないと思うが、こう呼ぶんだよ」
『おーい』
ギャアアアアア、と森の中に泉の悲鳴がこだました。
◇◇◇
熊の恐怖によりタガが外れた泉は、猫に追いかけられるネズミのような速さで山を駆け降りて行った。吉良は転んで怪我をすると叫んだが、あっという間に消えていった泉には届かなかった。幸い、転倒しても谷底へ真っ逆さまになるような道ではない。悪くて木にぶつかり骨折といったところだろうか。
少し急ぎ足で下山した吉良は、泉の無事を確認した。彼女は車の側でベルを狂ったように鳴らしている。野外ステージと見紛ううるささだ。いや、流石にそれは誇張し過ぎか。
「膝がッ……」
吉良も吉良で思いもよらぬトラップを踏んでいた。登りとは違い、降りる時に膝へ負担が一気にかかった。そのせいでやむなしに、アスファルトへ尻をつけることになった。一応心配した編集が狂気の野外ステージを行っている様を目の当たりにし、自分がなけなしでかけてやった心配の念を返してもらいたくなった。
「ふざけるなよ、本当に…」
「先生ッ!! 生きてたんですね!!!」
「人を勝手に殺すんじゃない」
私が殺すならまだしも、と吉良は思った。
途中で聞こえていた「おーい」という声はすでに聞こえなくなっていた。しばしの休息を挟んで立てるようになった吉良は、車へと向かう。
『おーい、おーい、お──い』
やはり、『見ざる・聞かざる・言わざる』の精神は重要だ。現に、熊のせいで変に敏感になっていた泉は、「このベルの音は『ソ』に使えますよ」などと呑気なことを言っている。もうここまで来れば大丈夫だ、という安心感が彼女の内にあるのだ。
『おーーーい』
吉良は、二度とこの山に
オマケ【猫は人間をデカい猫だと思っている】
パチン、パチン。音が聞こえる。
全身に朝の光を浴びていた猫草は、縁側で爪を切る男を見た。あの餌をくれる男は、毎朝爪を切っている。あの男の爪の形状はヘンだ。オレたちのように鋭くなく、平たい。
「ウニャニャ、ニャニャオッ」
ついでに、あの男は気配りというのを知らない。毎回出す餌が同じなのだ。毎日同じものを食べていたら、誰だって飽きるだろう。餌が変わるのは毎度、猫草がにおいを嗅ぎ、そっぽを向いた時だ。そうなる前に、あの男は餌を変えるべきなのだ。
「ニャー…」
彼の前には澄んだ青空が広がっている。この家に来てからもう随分と経つ。正直言って、飽きてきた。たまにはかつてのように、散歩に出かけたい。しかし猫草の体は植木鉢の中に囚われており、抜け出せない。非常にストレスだった。
「ニ゛ャァァ……」
そしてストレスが溜まれば、自ずとそれは悪い方向に爆発する。
猫草はフラストレーションを発散する時、自分の能力を使う。空気の球を操り、頭上で生意気に飛んでいる鳥に当てるのだ。
『ニャー』
そんな時の友人である。
このデカい猫は、決まってあの男の側からスゥッと現れる。さらにこのビッグキャットは、例えばたまに来る、かなり美味い餌をくれる女には見えていない。
コイツはそっけないあの男とは違い、遊んでもくれるし話も通じる。
「ウニャニャ!」
『ニャッ』
「アニャニャッ! ニャン!!」
そうだ。猫草は同じ景色に飽きているのだ。現場に。そんな彼らの様子を、あの男は胡乱な目で見ている。そうして、「キラークイーン」とこのデカ猫の名前を呼ぶ。しかしビッグキャットはその呼びかけを無視し、植木鉢ごと猫草を抱え上げる。
「ウニャン?」
『ニャー』
どうやらデカ猫は、猫草を外に連れて行ってくれるらしい。まったく表情が変わらないやつだが、やはりイイやつである──と、猫草はそんなふうに思う。持つべきものはやはり友である。
「おいキラークイーン、何をしてっ……うおっ!」
あの男はまるでデカ猫に引きずられるようにして、縁側から庭に出た。すると、肉球に伝わるヒヤリとした感覚が不快だったのか、まるで毛を逆立てるように鳥肌を立たせる。
「ちょっと待て! 本当に待てっ!!」
「ウニャン!」
猫草とデカ猫の大冒険が、こうして始まる。
おまけで付いてくるあの男は、デカ猫よりさらにデカい猫を運転することになる。
さらにその後、デカ猫が猫草を腹に収納する術を身につけるのだが、素足の地面で不快感マックスの吉良はまだこの時、知る由もない。
ちなみに、猫草に対する吉良への好感度が初期と比べて低いと思われるかもしれない。
だがまぁ、猫は忘れる生き物なのである。
だからこそ、猫はネコなのだ。