転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
鈴美ちゃんと主人公メインで露伴ちゃんも少し。
縁側に吊るされた風鈴がチリンと鳴る。
夏の暑さも本格的になってくる時節。来月から大学は長期休暇に入るが、予定どおり就活や卒論の準備に充てる予定だった。
昔ながらの日本家屋である我が家は風通しがよく、扇風機ひとつあれば夏でもエアコンいらずなことが多い。
アルバイトもない休日だったその日は、自室にこもって本を読んでいた。自分の唯一と言っていい趣味が読書だ。
思い返せば幼い頃から本の虫になっている。母が教育に悪いからとテレビやゲームといった娯楽を禁止したため、楽しめるのがこれくらいしかなかった。
読書に没頭していると、不意に襖の奥から「吉影ちゃん」と声がした。母が麦茶を持ってきたらしい。受け取ろうとした時に、コップを持ったぼくの手の上に母の手が重なった。
小さい頃は自分よりも大きかったその手。今は大人と子どもと見紛うばかりの差がある。皺や染みが目立つ手はわたしの理想とはほど遠い手だ。
手の甲に感じる温度は生ぬるく、手のひらに伝わるコップの冷たさと対照的だった。
無性に気持ち悪さを覚える。母へ視線は一切寄越さず、「ありがとう」と笑った。
「ハァ……」
足音が去っていくのを確認してから座椅子にもたれかかる。見慣れた天井の木目が目に入った。
本を読むなら図書館でもできるが、他人の気配がする中で趣味に耽る豪胆さはあいにくとない。それに万が一子どもが側で大声を出して走り回ろうものなら、文字どおり消し炭にしかねない。
さらに言うと、誰が触ったかわからないものを手に取りたくない。カバーが清掃されていたとしても、中の紙までは拭くことができない。考えるだけで鳥肌が立つ。
基本的に自分が図書館で調べるときは薄手の手袋を持参している。
「自室が一番落ち着くな…」
就職先は家から通勤できる範囲で。これは決定事項だ。
実家暮らしというのは人にもよるのだろうが、大学生ならまだともかく、社会人で──というのは少ない方だろう。
「………」
母の存在は大きなストレスだ。だが、それを踏まえて「家を出る」という選択肢をわたしは放棄している。
この
しかし、できない。
20数年生きてきてできあがった自分の
母が死ぬまでは、わたしはこの楔に縛られ続けるのだろう。
本当に、笑いたくなる話だった。
◇◇◇
「問題です。夏といえばなんでしょう?」
久々の鈴美とのデートの日。立ち寄ったカフェの中で彼女は突飛な質問を投げかけてきた。
間近に迫った夏休みに、二人でどこかへ行きたいがために斯様な遠回しな発言をしてきたのだろう。
届いたアイスのコーヒーを飲みながら、はたしてどう答えたものかと一瞬考える。ここは無難にいくとする。
「海、または山かな」
「吉影くんはどっちの方が好き?」
「川かな」
「いきなり第三の選択肢を出さないでよ…!」
「鈴美はどれがいいんだい? もちろん、川でもいいよ」
笑いながらそう言うと、鈴美は頬を膨らませてスプーンに乗ったパフェを口の中に運んだ。
細長いガラスの容器に入ったその中には、見るだけで胃もたれしそうな白や赤、黒といったコントラストが何層にも重なっている。
内心引きながら見ていると乞食だと勘違いされ、仕方がないなぁ、と生クリームとチョコが乗ったスプーンを差し出された。
何度経験しても、この過剰な甘ったるさが好きになれない。
「そうだね…私だったら海がいいかな。山も楽しそうだけど、海で泳ぐ方が『夏!』……って、感じがするから」
「じゃあ、今年の夏は予定を合わせて海に行くかい?」
さすがに近場の海では物足りないだろうから、少し離れたスポットを探さなければならないか。
そう考えていると、鈴美は首を横に振る。
「せっかくだし、川にしよっか」
「………川?」
「自分で言っておいて、何言ってんだ? みたいな顔しないでよ…もう」
「パッと考えて、渓流下りとか釣りしか思いつかなかったんだが……」
「いやいや、川も結構いいかもしれないよ?」
うんうんと、鈴美は大仰に、今度は首を縦に振る。
「よーく考えたら、川って山の中にありながら水の要素もあるよね。海と山のハイブリッドって言ってもいいかもしれない」
「君が川でいいのなら、それで構わないが……」
「ん? 吉影くんが「川に行きたい」って言ったんだよね?」
「…いや、アレは冗談で言っただけであって──」
「海と山がどっちが好きか私が聞いて、それに「川」って答えたのは吉影くんだし、好きっていうことは「川に行きたい」って意味とほぼ同義だよね?」
「………」
「………」
「……川に、行きたいかな」
「そうだよね! 川に行きたいよねっ!」
これは別に、わたしが鈴美の押しに弱いわけじゃない。ただ、ジッと見つめられ続けると、どんどん居た堪れなさが勝って、yes-manになってしまうだけであって──……。
断ろうと思えば断れる。彼女がニンマリと笑いながら、「吉影くんは本当に女の子の押しに弱いよねぇ」と言うが、違う。違うったら違う。
「君だから弱くなってしまうんだよ」
「はいはい。吉影くんは私の…に、弱いもんね」
鈴美はスプーンを置き、テーブルに肘をついた。両手を絡めたその上に顎を乗せ、上目遣いにこちらを見る。
ああ、なぜわたしは正面に座ってしまったのか。テーブルの隔たりがあるせいで、触れようにも立ち上がらなければ彼女の手に届かない。隣だったら、テーブルの下から人目に付かないように触れられた。
「ねぇ、一緒に川、行ってくれる?」
「……あぁ、いいよ。だから、可愛らしい意地悪はよしてくれ」
「やった! …ふふっ」
鈴美は手をほどき、テーブルの上に置いた。こちらも手を差し出せば触れられる距離にある。
手を繋ぐと熱い体温を感じた。触れ慣れた手の感触。肌のなめらかさや弾力さ、どれをとっても素晴らしい。
「んっ」
聞こえた声に彼女へ視線を戻すと、わずかに表情を歪めていた。伸びたわたしの爪が、気づかぬうちに肌へ食い込んでしまったようだ。とっさに離して手の具合を確認する。
幸い傷はなく、爪の痕が白い肌に残されていた。
これはこれでそそるものがあり、思わず生唾を飲み込む。
「……もしかして、結構ストレス溜まってる?」
「今の時期は忙しいんだよ。おもに将来についてね」
「………将来、かぁ」
彼女は今のところ、保育士を目指している。あのバラン小僧を世話している彼女の姿を思えば、お似合いな職業ではある。
彼女自身子どもが好きだしな。わたしとは正反対だ。
「……将来
「…さぁ、どうだろうね」
わざと握る手に力を込めたが、鈴美は肩を跳ねさせることもない。まっすぐにわたしを見つめ、そうして微笑む。
それから机の下にあったもう一つの手がテーブルの上に這い出て、わたしの手にそっと置かれた。
「怖がって、私が逃げてくれると思った?」
「…いや、君から言っておいて、今更逃げるつもりなのかと噛みついてみただけさ」
「……そう」
手を離すと、彼女の手もまたゆっくりと引っ込み、パフェのグラスを握った。握り合ってこもった熱を冷やしているかのようだった。
鈴美は静かにまたパフェを食べ始めた。わたしは声をかける気もおきず、窓の外へ視線を向ける。
「………吉影くんは」
ポツリとそう言った鈴美は、続ける。
「あなたが思っているより、結構やさしいところがあるんだからね」
イジワルするところは嫌いだけど、と言った彼女は綺麗に笑っていた。
自分の心臓が一瞬、強く脈打った気がした。
⚪︎⚪︎⚪︎
朝の午前7時。夏のこの時間は外もすっかり明るい。
鈴美に集合時間と場所を聞かされた吉良は、家を出る前から憂鬱だった。何か理由をつけ断ろうとも思ったが、結局押しに負けて来ることになった。
集合場所には彼以外にも複数の人間がいた。その多くが親子連れである。子どもは親の顔を仰ぎ見て、「楽しみだねー」なんて会話をしていた。
ちなみに今日の彼は汚れでもいい服装で来ている。汚れても、の塩梅がむつかしかったため、服は高校の頃のジャージを着ていた。長袖の下はTシャツである。髪を下ろすと幼さの目立つ顔のため、側から見ると普通の高校生に見える。
「吉影くん、おはよう!」
「……おはよう」
眠さも相まって朝から機嫌の悪い吉良と違い、鈴美は元気はつらつだった。バッチリ化粧を決めていることを見るに、吉良よりももっと早い時間から起きているのは明確だった。
「ほら、露伴ちゃんも挨拶しなきゃ」
「………チッ」
一方でスケッチブックを横に抱えている少年は、吉良を見るなり舌打ちした。
二人が相対するその一角だけ、大寒波が訪れたと思わんばかりの静寂に包まれる。
「もう〜! 吉良お兄ちゃんに挨拶くらいちゃんとしなきゃダメでしょ?」
「…鈴美、別に構わないよ。この少年の育ちが悪いってだけだからね」
「何……?」
露伴の眉間の皺が深くなる。まだ小学校低学年の彼であるが、目の前の男が何を言わんとしているかはわかった。親のしつけが悪いと言いたいのだろう。さすがに自分の両親をコケにされたまま黙っている性分ではなかった。
吉良を睨めつけたまま、露伴は頭をわずかに下げた。
「おはよう……ございます」
「あぁ、おはよう。岸辺露伴くん」
これで吉良がシカトを決めたら盛大に噛みついたが、吉良は笑顔で挨拶を返した。それも他人行儀の完璧なスマイルで。
露伴は鈴美の手を振り払い、今すぐ帰りたい気持ちになった。
集まった人々を乗せたバスは小学校を出て、目的地へと向かった。数台に及ぶバスが蛇のように続く。
吉良は窓際の席に座り、その隣に露伴が座った。鈴美は通路側の席を出してそこに腰かけている。どの位置に座るか最初に話し合い、この座席順に決まった。
バス乗務員がアナウンスをする中、子どもや大人のザワザワ声が聞こえる。
窓のカーテンを閉めて腕を組んでいる吉良は、目を閉じて寝の体勢に入った。まぁ眠れないが、こうしていれば少しは気分がマシになる。
隣からはシャッシャッと鉛筆を走らす音が止まらない。「露伴ちゃんってば、さらに絵が上手になってるねー」と鈴美の楽しげな声も聞こえた。
(なぜ
バスが向かっているのは川に面したキャンプ場だ。ファミリー向けのサマーキャンプと題して、日程が組まれている。
吉良も小3の夏に参加させられた。あの頃とは少し違っている部分もあるが、概ねは同じである。子どもたちで協力してキャンプをし、協調性や主体性を育む。露伴はこの『協調性』のために、両親の判断で参加することになったらしい。
鈴美曰く、学校でも人付き合いが悪いとのこと。
(それでなんで実の親じゃなく、鈴美が参加してるんだ……)
岸辺家の仔細は他人の吉良が知る由はないが、共働きで忙しいと鈴美から聞かされた。
息子の将来を案じる彼らに、用事で岸部宅を訪れていた鈴美が、「なら私が」と引き受けることになったのだ。
「にしても、サマーキャンプって懐かしいなぁ。私も小学生の時に行ったのよ」
「…ふうん」
「川の水が結構冷たくてね。ビックリして尻餅をついたら、服がびしょ濡れになっちゃったんだ」
「………」
「山の空気とか川の冷たさを実際に体験したら、露伴ちゃんもきっと楽しいと思うよ?」
「元からそのつもりだよ」
「……スケッチばっかりして、キャンプをサボっちゃダメだからね? みんなでやるのがキャンプなんだから」
「………」
「露伴ちゃん〜?」
「…だぁ、分かったよ! キャンプにはちゃんと参加する!!」
この生意気な子どもも鈴美の押しには弱いらしい。そんなことを思いながら、吉良の意識は次第に落ちていった。一応酔い止めの薬も飲んでいたこともあり、眠さが拍車をかける。
うつらうつらと船を漕ぐ中、ふふ、と鈴美の笑う声が聞こえた。
⚪︎⚪︎⚪︎
キャンプの準備はつつがなく進んで行った。
吉良は若いんだからと重労働の組に入れられ、終わった頃には息を切らしていた。高校のジャージを着てきてしまった弊害である。
鈴美の方は調理グループに入り、奥様方とともに子どもたちと食事の準備をしている。
このキャンプは大人が子どもたちを指導する形を取っている。もちろん安全面を考慮し、キャンプの総合監督は別でいる。火の取り扱いなどはこの監督が細かにチェックしている。
「疲れた……」
吉良は上着を地面に敷き、木に寄りかかって休憩を取った。もらったペットボトルの水が喉を潤す。ハァと息をついて、天を仰いだ。
木陰の場所は陽が当たっている場所よりも涼しい。サァサァと木々が紡ぐ音が聞こえた。
自然の音に、しかし気持ちはまったく和まず、「二度と来るか」と内心で呪詛を吐く。
ふと視線を巡らすと、薪を集めている子どもたちのグループが見えた。露伴もそのグループのようで、一人離れた場所で座り込んでいる。目を凝らしてみると、何やら手が動いていた。膝の上に何か置いているようだが、位置の関係で見えない。まぁ十中八九スケッチブックだろう。左手は木を集めているようなので、一応キャンプには参加している。そのスピードはひどく緩やかだが。
「わたしも薪集めのグループだったな…」
「え、吉影くんもキャンプに来たことがあるの?」
後ろから唐突にかけられた声に、吉良は「ん?」と首を傾げた。
見れば紙の小皿を手に持った鈴美がいる。小皿にはカットされたとうもろこしが乗っていた。
「……あっ、これはその、味見だから! 別に小腹が空いて盗んできたとかじゃなくて!」
「別に何でもいいよ」
「……食べる?」
「いや、今はいい」
鈴美は歩くと、吉良の隣に腰かけた。鈴美は割り箸で器用にとうもろこしをつかみ食べていく。そう言えば、とうもろこしを食べるのにも作法があったな──と、吉良は思った。
「いつキャンプに行ったの? 多分小学生の頃だと思うけど」
「3年生の頃だよ」
「えー…。知ってたら、私も1年生の時に参加したのに……」
当時のサマーキャンプは保護者の同伴はなく、子どもたちですべて行っていた。
今と昔を比較しながら、鈴美はふと思い出す。
「私がサマーキャンプに参加したのは同じ3年生の頃だったんだけど……確か、そ前々年度までは親は参加しなかったんだよね」
「へぇー、そうなんだ」
「何でも、特定の子の食べ物の中に虫が入ってたって、それで色々と監督騒ぎがあって……」
鈴美はそこまで言って、ハッと吉良へ視線を向ける。
青白い顔の男は何を考えているのか読めない表情で、川の方を見つめていた。
「………吉影くんって、何の担当だった?」
「薪拾いだよ。岸部くんと同じさ」
「…そう。私は炊飯を担当してたんだ」
一瞬肩の荷を下ろそうとした鈴美だが、ふと考え直す。
薪拾いだったら、虫もこっそり集められるのではなかろうか? 虫が混入していたという料理は確かカレーで、おそらく当時も紙の器に分けられたはずだ。
どのタイミングで仕込んだのかはわからないが、隣にいる男だったらきっと、人目につかないように特定の皿に仕込んでしまえるはずだ。
そして何食わぬ顔でカレーを食べ、騒ぎが起こったら周囲と同じような反応をとってみせるだろう。
鈴美はキュッと口を紡ぐ。その様子を、吉良は横目で見つめた。
「……君はわたしを『やさしいところもある』と言っていたが」
「………」
「『
「………」
「理解に苦しむよ」
そう言って吉良は立ち上がった。作業の続きに入ろうと、体を伸ばす。きっと明日には筋肉痛になっているだろうと思いながら。
しかし歩き出す前にシャツの裾が引っ張られた。その隙間から生白い脇腹がチラ見する。
「……鈴美?」
下を向いて何か考え込んでいる鈴美は、その次の瞬間バッと顔を上げた。そして「思い出した!」と大声で言う。
「虫の件もあったけど……そうだよ、川に流されかけた子がいたってうわさもあったんだ。何で忘れてたんだろ……」
「そりゃあ、奇特な少年もいたものだね」
「……私、少年だ、とは言ってないけど」
「……………」
「…吉影くん、小学校のプールで何度も溺れたのは事実なんだから、誤魔化せないって」
吉良はムスッとした表情で顔を背けてしまった。
「……何か、事情があったんでしょ? じゃなきゃそもそも、吉影くんは騒ぎを起こさないだろうし」
「まるでわたしが犯人のような言い草はやめてくれ。証拠もないのだから」
「完全犯罪って? ……本当に何があったの?」
「………」
吉良はチラリと薪を集めている子どもへ視線を向けた。女子は真面目に拾っているが、男子の数名は大きな枝を持ってちゃんばらごっこをしている。
同じようにその光景を見とめた鈴美は「あぁ…」と納得した。
「ぶつかって川に落ちちゃったのか…」
「違う。人が嫌々真面目にやっていたというのに、側でふざけていたから軽く注意したんだ。そしたら目をつけられて、その後の川釣り中に背を押されたんだ」
「!? それって、大問題じゃ……」
「事を聞いた母さんが烈火の如く学校にクレームを入れて、その末に保護者同伴の形に収まったんだろう」
この件は内々で済ませてもらうように吉良は気をつかった。それこそ母に頼み込んで。ただでさえ低学年の頃にプールで溺れて大騒ぎになったのに、またもや溺れて夏休み明けに注目の的になったら堪ったものではなかったからだ。
そのおかげで溺れた件は完全にとはいかずとも、そこまで広まらなかった。吉良が流された一部始終を目撃したのも背を押した子どもの数人だけ。
桃太郎になった彼は運良く川に倒れていた木につかまったことで、それ以上流されずに済んだ。
あとは加害者側の一人が慌てて呼んできた大人に、川から引き上げてもらった次第である。
「その点虫が混入した程度なら、キャンプをやっていればあり得る」
「……ちなみに、何を入れ……いや、入ってたの?」
「バラバラになった何か、かな」
「………」
目を細めて笑う吉良は怪しい笑みを浮かべているというのに、鈴美は場違いに見入ってしまった。暑いからと無意識に前髪をかき上げているせいで、余計に心臓が早鐘を打っている。
不思議と恐怖はなかった。少年たちの自業自得というには、その報復が恐ろしいが。
「しかしまぁ、翌年以降もよく中止にならずに続いているものだと思うよ。そこら辺は学校の都合だから、わたしには関係のないことだが」
「……悪さはしちゃダメだよ」
「しないよ。少なくとも何事もなく終われば、ね」
「………」
鈴美は吉良の隣に立ち、裾をつかんでいた手を彼の手に移した。
握った体温は冷たい。いつもよりは高いが、それでも見えないところの冷たさは同じだった。
覗き込んだ紫目は川の方に向いていて、視線に気づいたのか彼女に向けられる。
「あの調子じゃあ、岸部くんの協調性は上がりそうにないね」
「……露伴ちゃんったら」
木陰を抜けると陽が当たった。川の音にも負けぬセミの声がいっそう強くなった気がする。
暑いね、と言った吉良に、鈴美は小さく頷いた。
山の上には入道雲が広がっている。
その群青色はどこまでも澄み渡っていた。
──────彼の青春はすでに喪失している。
【ロストサマーレコード】