転生したら殺人鬼ポジだった件   作:クリーニング黒兎

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114話 He's a Killer Queen.【中編】

「わたしも休学することにした」

 

「えっ?」

 

 そう言ったわたしに、鈴美は持っていたフォークを床に落とした。

 

 

 

 彼女の精神状態を考えれば、なるべく側にいた方がいい。さすがに何年も休む気はないが、少なくとも鈴美の状態が安定するまでは支えるつもりだ。

 

「…で、でもそれだと現役で卒業できなくなっちゃうよ?」

 

「『急がば回れ』とも言うだろう」

 

「私は大丈夫だから! ………本当に、大丈夫だから」

 

「もう届は出してしまったから諦めてくれ」

 

 鈴美が落としたフォークを拾い、シンクに置いてから新しいものを握らせた。

 これ以上迷惑をかけたくない、と彼女は呟くが、元を辿れば元凶はあの保健医と関係を持ったわたしにある。

 

「君が心配なんだ」

 

「………」

 

「ぼくが側にいたら迷惑かな?」

 

「迷惑なんかじゃ……ないよ」

 

 触れていた手に指を絡ませると、彼女もまた握り返してくれた。

 そのまま視界にある頸に唇を落とすと、彼女の体がずぶ濡れになった犬のようにブルリと震える。

 

「もし君が行きたい場所があるなら、付き合うよ」

 

「…行きたい、場所」

 

「家にいるのもいいけれど、鈴美はわたしと違ってアウトドアだろう? もちろん気が進まないなら、家でゆっくりと過ごそう」

 

「………」

 

 友人付き合いの多い彼女は、休日には必ず何かしら予定が入っているような人間だった。自分の感情に気づく前は、彼女の語るそれらを話半分に聞いていた覚えがある。

 

「…どこでもいいの?」

 

「ああ。ただ、宇宙へ行きたいとかはナシだぞ」

 

「なら……吉影くんと、行ってみたい場所があるわ」

 

 朝食を食べ終わった後、鈴美は断りを入れてからわたしの自室に入っていった。それから皿を洗い終わり手を拭っていると、彼女がキッチンへ戻ってきた。その手には美術に関する雑誌がある。

 可愛らしい指がテーブルに置かれた雑誌をめくり、一枚の写真を指さす。運河の上に浮かぶ水上都市。白やオレンジの建物の色が水上の群青とマッチし、その一枚だけでひとつの美術品のようである。

 

「ヴェネツィア?」

 

「そう! 一目見た時、実際にこの景色を生で見れたらすばらしいんだろうなって思ったの」

 

「ヴェネツィア…イタリアか」

 

「イタリアにはローマもあるのよ? ほら、コーコーセイの時に吉影くんのチャリの後ろに乗せてもらったでしょ?」

 

「…ああ、君がローマの休日を見たとかで……」

 

 あやうく坂道の下にあった電信柱にぶつかりそうになった事件だ。…事件? まあ、かなり事件だった。

 

「本場のイタリア料理はどのくらい美味しいのかしら…とか、考え始めたらキリがないくらい、心わき立つ場所だと思うの」

 

「いいよ。君が望むなら行こうか」

 

 旅行するなら準備が要る。名目としては「イタリア観光」か。

 脳内で準備立てていると、不意に鈴美が顔を近づけてきた。内緒話をするように、耳に口元を持ってくる。

 

 

「モナリザも、観に行こ」

 

「ッ……」

 

 

 それは……言ってなかったはずなんだが、彼女の見透かした表情を見るかぎりバレているらしい。いや、さすがにモナリザの手で人生ではじめて欲情したとは思ってないだろうが。

 

「ふふ…顔が赤いよ?」

 

「……そうだね。是非とも行こうじゃあないか」

 

 こうして、旅の計画は驚くほどスムーズに進んでいった。

 

 

 

 

 

 ◯

 

 

 10月の時分。イタリアは日本の体感温度とほとんど変わらなかった。

 

 旅行は10日ほどを予定している。一週間の前半はローマをめぐり、その後は鉄道を利用してフィレンツェを経由してから一週間の後半をヴェネツィアで過ごす。残りはルーブルを含めたフランス巡りと洒落込む。

 

 ローマはコロッセオやトレビの泉など、有名どころを回った。吉良のリクエストでバチカン美術館にも向かい、二人はかの有名なミケランジェロの描いた『最後の審判』を見た。礼拝堂の祭壇の壁にあるその壁画は縦と横、それぞれ10メートル以上にも及ぶ大作だ。静寂な空気の中で見る者を圧巻する。

 モナリザの手に性的な興奮を抱く男はその手の類にも関心があるようで、美術館を回りながら鈴美が質問をすると知識としての情報を話した。

 

「吉影くんは物知りだねぇ」

 

「鈴美も詳しいだろう?」

 

「何に?」

 

「食の話題に」

 

 鈴美は遠慮なく吉良の横腹を指で突き刺し、相手が「うぐっ」と声を漏らしたのを聞きながらスタコラサッサと早歩きで逃げた。

 彼女は10メートルほど離れたところで後ろを振り返る。べーと舌を出すのも忘れなかった。

 吉良は苦笑いして鈴美の後を追いかける。

 

「イジワルを言って悪かったよ」

 

「私は食以外のことにだって詳しいんだから! コスメとか美容とか!!」

 

 鈴美の怒りはなかなか収まらない。どうどう、と吉良が宥めていたその機嫌は昼食に寄ったレストランでたちまち回復する。

 現金な彼女だと吉良は思った。

 

 

 ローマの滞在の後はフィレンツェを経由し、ヴェネツィアへ。

 

 フィレンツェは少しだけ観光し、時間もそこそこに再び鉄道に乗り込んだ。

 鈴美は語る。フィレンツェといえば、『ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ』という分厚いお肉だと。ただ時間の都合上、うまうま(Tボーン)お肉は見送りとなった。

 

「わたしも時間が許したなら、フィレンツェのウフィツィ美術館に行きたかったな」

 

「えーっと……何があるんだっけ?」

 

「サンドロ・ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』がある」

 

「…あっ、貝殻に乗った女性の絵ね」

 

「あの女性の裸体を隠す手が何ともいじらしくてね。少し骨ばっているようにも感じられるが、きっと触れたら肌に吸い付きそうだと思うんだ」

 

「………」

 

「………」

 

「それで?」

 

「君の手の方が好きです」

 

「よろしい」

 

 イタリアといえば芸術! ということもあるせいか、吉良はだいぶ絵画や彫刻を前にしてフラフラしている。吉良の欲求を知っている鈴美からすれば、彼の爪が伸びているのを見るたびに本当に大丈夫なのかと疑いたくなる。

 この世の『手』の中では一番の至宝だと思っているらしいモナリザを見たら死ぬんじゃなかろうか? 彼女が画集の絵を見せた時も目がだいぶヤバかったし。

 

 死因:モナリザを見たことによる心臓マヒとか? 勘弁願いたい。

 

「!」

 

 鈴美がくだらないことに思考を割いていると、ふと自分の手に冷たい手が絡まった。本当にどこまでも手フェチ道を突っ走っている男は、鈴美のことを窺うように見つめている。

 

「…キスしても?」

 

「どうぞ」

 

 列車は道をひた走り、そしてヴェネツィアへ。

 

 

 

 

 

 ◯

 

 

 後半戦の初日はゴンドラと呼ばれる小舟に乗り、ヴェネツィアの街並みを楽しんだ。吉良は事前に医者から合う酔い止めを処方してもらったおかげで、地獄を見ずに済んだ。

 

 そして特に、夕暮れに沈む景色は青空とは違う幻想的な光景が生まれる。影が落ちた建物のバックには夕日が映り、周囲の波が絶えず動きを変えて見る者を飽きさせない。

 吉良はこの度に持参していたカメラで景色を撮りつつ、鈴美の横顔をシャッターに納めた。ちなみにこのカメラは吉廣からパクってきたもので、なかなかのお値段がする。「わしも行きたいぞい……(チラッ)」していた幽霊は息子の手によってイエスの如く壁に磔にされ、お留守番となった。

 

 それからゴンドラ乗りを終えた二人は、ホテルに戻る前に夕食を取ることになったわけだが…。

 

「さてここで問題です、吉影くん!」

 

「唐突な出題だね」

 

「ヴェネツィアと言えば──な料理であるイカ墨パスタですが、イタリア語の正式名称ではなんと言うでしょう? 発音よくどうぞ」

 

「… The squid ink pasta」

 

「それ英語じゃない!」

 

「知らなかったかい? ぼくは日本生まれ杜王町育ちの杜王町人なんだ。イタリア語が分かってたまるか」

 

「見た目はそれこそ杜王町人ばなれしてるのにねぇ」

 

「ハァ……それで、答えは?」

 

「あっ、答えは『|Spaghetti al nero di seppia《スパゲッティ・アル・ネーロ・ディ・セッピア》』よ」

 

 ヴェネツィアは他にも新鮮なシーフードが人気らしい。

 鈴美は早速発音の良さを活かしたイカ墨パスタを注文し、吉良は『トラメッツィーニ』とワインを頼んだ。

 このトラメッツィーニはヴェネツィアのソウルフードの一つで、三角形にカットされた食パンの中にチーズやハム、野菜などを挟んで食べる。

 

「君はワイン、飲まないのかい?」

 

「え? だって………あ、私ももうハタチだったわね」

 

「酒はわたしも嗜む程度でしか飲まないがね」

 

 吉良は肩をすくめてみせる。小さく笑った鈴美は、ちょっぴりもらっていいかと尋ねた。吉良は頷く。

 

「ありがとう。じゃあ私のSpaghetti al Nero di Seppiaが届いたら、吉影くんにもめぐんであげるね」

 

「結構だ」

 

「……あれ、イカ苦手だったっけ?」

 

「おっと、君の待望のThe squid ink pastaが来たみたいだぞ」

 

「んー…? まぁ、いいか」

 

 鈴美は頭にはてなを浮かべながらイカ墨パスタを口に運んだ。

 その間吉良のトラメッツィーニとワインも届く。吉良はひと口台にちぎったパンを咀嚼し、それからワインを飲んで鈴美を横目で見た。

 

「ぐっ……」

 

「…どうしたの、吉影くん?」

 

「いや………美味しそうだと思って…ね」

 

「ちょっと声が震えてない? お腹でも壊した?」

 

「わたしのことはいいから、食事の続きをするといいよ」

 

「…………いっ」

 

 鈴美はうろんな視線を向けた後、口をあいうえおの「い」の形で止めた。

 可愛らしい顔の白い歯が、お歯黒でも塗ったように黒く染まっている。

 吉良は耐えきれず声を殺してテーブルに撃沈した。

 

「…フンッ」

 

 酒ッ! 飲まずにはいられないッ! の精神で、鈴美は震えるワイングラスをひったくり、一気に飲み干す。そしてプハァーと、居酒屋でキンキンに冷えたジョッキの生ビールをぐびっと飲むおじさんのような声をこぼす。

 

「……うん、私結構お酒いけるかも」

 

「フフッ………飲みすぎて酔いつぶれないようにね」

 

「………いっ!」

 

 吉良はまた撃沈した。

 

 

 

 

 

 2日目に訪れたのはヴェネツィア発祥の地とも呼ばれるトルチェッロ島だ。ヴェネツィア最古の教会や、中世時代の趣を残す史跡が存在する。

 本島と比べて観光客は少なめで、静かでいて穏やかな空間の中にオリーブの木が風にさらされ、葉を揺らす音が聞こえる。

 

 鈴美にとっては少し物足りなさを感じる場所だったが、吉良の中では星5つだった。

 

 その満足オーラがひしひしと鈴美に伝わってくる。

 

「あ、見ろ、『悪魔の橋』だ」

 

「悪魔の橋?」

 

「たしか、ある女性が死んだ恋人を蘇らせようとして悪魔と契約をしたって伝説があるらしい。手すりがないのは危なく感じるが……」

 

 そう言いながら吉良は鈴美に手を差し出す。エスコートのようだ。

 少し悩んだ鈴美は、彼の首元に腕をまわす。周囲にいた年配の方々の目が一直線に向かった。

 

「…鈴美?」

 

「長旅で足が疲れちゃったなあ、私」

 

「……さっきも言ったが、この橋には手すりがないんだ」

 

「足、疲れちゃったなあ」

 

「…………落ちても知らないぞ、本気で」

 

 吉良はもう少しだけ粘ったが、相手の譲らない目を見て諦めた。鈴美の背中と膝に手を回し、いわゆるお姫様抱っこの形で持ち上げる。その際に胸の中心がわずかに痛みうめいたことで、鈴美がハッとした。

 

「ごめん! そうだ傷が……!!」

 

「いや、大丈夫だ。問題ない。それにここまで来たら下ろすわけにはいかない」

 

 鈴美は吉良の傷の件を知っているが、それを知らない周囲からすると、吉良は細身の彼女の重さにうめくような軟弱な男に見えているに違いない。それに吉良にも一応プライドがある。

 

「しっかりつかまっていて」

 

「……う、うん」

 

「ただ、わたしの首は絞めないようにね」

 

「ひと言多い!」

 

 鈴美は向き合う形で吉良の首に腕を回し、肩の上に顎を乗せた。

 吉良の体はここ最近の入院つづきで貧弱さに磨きがかかっているが、恋人を抱える重心に揺らぎはない。まっすぐな足取りで橋を渡り、鈴美を下ろした。ちょいと息は上がっているが。

 

「二人して落ちて、悪魔にならずに済んでよかったね」

 

「……傷は大丈夫?」

 

「問題ないと言っただろう。それより、先に行こう」

 

「…そうね」

 

 二人は手を繋ぎ、トルチェッロ島を観光した。

 

 

 

 そして3日目──イタリア巡りの最後はサン・ジョルジョ・マッジョーレ島である。

 口にする者を高確率で噛ませるこの島には教会がある。ルネサンス建築の傑作と謳われるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会だ。

 この教会は鈴美のリクエストだった。

 

 教会は外観の純白の美しさに目を惹かれるが、特に人気なのは鐘楼から眺める景色である。ここに行くには入場料を払って人数制限のあるエレベーターに乗る必要があり、二人は数十分ほど待つことになった。

 

 そして念願の鐘楼からはヴェネツィアの景色が一望できる。吉良もその光景に呑まれる感覚を覚えながらカメラのシャッターを切った。もちろん彼女を被写体にした写真も撮って、その写真の中の彼女は吉良の方を見て笑いかける。ピンクの混ざった茶髪が風にさらわれて、その髪を耳にかけながら薄い唇が言葉を紡ぐ。それは5文字の言葉。愛おしさが溢れていて、吉良はシャッターを切るのを忘れてフレームから目を離し、自分の眼で彼女の姿を映す。白いワンピースはこの教会の純白な色を透かしているようで、もしかしたらうっかり空から天使が落ちてきてしまったのではないかと思った。

 

「ぼくもだよ」

 

 その言葉に、鈴美は幸せそうに微笑んだ。

 

 吉良は彼女に手を伸ばして、抱きしめて、喉からこぼれ出た思いを口にする。あらかじめ計画していたわけではない言葉がするりと出た。

 

 

「ずっと、君の側にいたい」

 

 

 鈴美は顔を上げて吉良の顔を見た。

 

 結婚したい、と彼は呟いて、鈴美は「いいよ」と返した。

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