転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
ルーブル美術館があるパリへはヴェネツィアの空港から飛行機で移動する。明日の便で向かうため、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島から本島へ戻ったわたしと鈴美には現在、時間があった。
予定を詰め込みすぎて、逆にその予定に振り回されたら元も子もない。そう考えてまわる場所は減らしている。
「…ねっ、どうしよっか」
「ホテルに戻るにしてもまだ昼の2時だからな…」
「適当にぶらついてみる?」
「………」
「案外、こういう適当に足を進めて着いたところが一番の思い出になったりするんだよ」
「この旅で最大瞬間風速を超えるものがあるとしたら、モナリザくらいだ」
「じゃあ、吉影くんだけホテルに戻る?」
「……あまり疲れない場所にしてくれよ」
旅の間に歩きまわったわたしの足は、限界の先を超えてハイになっている。自分でもこんなに体力がなかったのかと、鈴美に腕を引かれる形になる度に思う。
「万が一は私が吉影くんを背負ってあげるよ」
「鈴美、わたしにもプライドがあるんだ」
「…あ、お姫様抱っこの方がよかった?」
「………鈴美」
意図していつもより低い声を出すと、彼女は怯えたふうを装って笑いながら駆けていく。
歩くのを渋った先の今で走らせようとしないで欲しい。
鈴美は数10メートル先で立ち止まり、追いついた彼女の手を握った。彼女は前を向いたままわたしの手を握り返し、それから顔を向ける。
その手はかすかに震えていた。
「大丈夫かい」と声をかけると、「大丈夫だよ」と返ってくる。
「…すまない。さっきの告白は自分でも理性より感情が急きすぎたと反省している」
「今さら取り消すのは無し! ……だからね?」
「──ああ、『覚悟』はあるとも」
好きな人間ができなければおそらく一生わたしという人間は独身だろう。モテる・モテないに関係なく、結婚という自分のリズムが崩される生活などごめん被る。
「………本当に結婚?」
そのまま歩きながら、鈴美は何度も同じ質問を繰り返した。
YESと言っておいて今さら結婚の事実が沸々と実感できてきたようで、その様子が可愛らしかった。
写真に撮ったら怒られたが。
○
ぶらつく二人がたどり着いた場所は、離島でも本島から徒歩で行ける『サン・ピエトロ・ディ・カステッロ聖堂』と呼ばれる教会だった。ここは冬ごろにヴェネツィアで行われるカーニバルの重要な場所でもあり、『マリアたちの行進の日』には選ばれた12人の若い女性たちの姿を一目見ようと多くの人びとが訪れる。
だが、立地的にはあまり良いとは言えず、中心部からも少し離れている。そのため観光客は少なめで、まあそこがかえって落ち着いた空間であることが吉良にとっては幸いだった。
「……あの鐘楼、ちょこっとだけ傾いてない?」
「捻くれてるんだよ」
「鐘楼が…? 吉影くんみたいに?」
「中も見てみようか」
サン・ピエトロ・ディ・カステッロ聖堂は外観など、数時間前にいたサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会と似通う部分が多い。
それを吉良が指摘しつつ入場料を払って中に足を踏み込む。やはりというか、人は少ない。少し周り祭壇部分に着くと、吉良は礼拝用の椅子に腰かけた。鈴美もその隣に座り祭壇を眺める。
「この教会の雰囲気、吉影くんが好みそうね」
「落ち着いたら雰囲気は好感触だが、鐘楼がわずかに傾いているのが気に食わない」
「…なるほど」
吉良的には、今のところ2日目に行ったトルチェッロ島が1位である。
一方で鈴美はサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会と、初日に見た夕暮れの景色とで悩む。どちらもヴェネツィアの『色』を体感できた、すばらしい景色だった。
「思わず住みたくなっちゃうわ。景色も壮観で、料理も美味しいし」
「勘弁してくれよ。ぼくは杜王町から出たくないぞ」
「ふふ、冗談よ。ジョーダン」
イタズラっぽく笑った鈴美は立ち上がり、どこかへ向かおうとする。吉良は制止の声をかけて腰を上げようとした。
「大丈夫よ、もう少し中を見てくるだけだから」
「女子を一人にさせるわけにはいかないだろう。ここは日本じゃないんだ」
「でも、そこの長椅子に座ったのだって、足がすでに限界だからでしょ?」
「……………」
「心配しすぎよ。それにここは教会で、神様がこうやって見てる場所なんだから」
鈴美は丸を作った両手を目にくっつけ、双眼鏡のように周囲を見渡した。
吉良は本日何度目かのため息をつく。
「だから悪いことなんてできやしないわよ……ね?」
「………」
「…おねがい、吉影くん」
「……分かったよ。ただ…そうだね。今はちょうど長い針が『3』のところにあるから…この針が『6』になるまででいいかい?」
「うん……多分」
「1秒でも過ぎたら探しに行くから。いいね?」
「分かったわ」
鈴美は背を向け歩いて行った。吉良はその背が見えなくなるまで見つめてから前を向き直る。彼女がどこへ向かおうとしているのか、見当はついていた。心配の気持ちはあるが、付いていくことは余計なノイズになってしまう。
鈴美は自分自身で己と向き合おうとしている。なら、吉良にできるのは待つことだけだ。
そうして瞳を閉じて腕時計から聞こえる秒針を聞くこと数分。彼に声がかかった。聖職服(カソック)を着た若い青年がモップを片手に口をへの字にしている。
「Ehi, questo non è il posto giusto per fare un pisolino.
(あんた、ここは昼寝をする場所じゃないぞ)」
「……Sorry, I don't understand Italian.
(……申し訳ないが、イタリア語はわからないんだ)」
「
この青年は神学生のようだ。神学生にしては少しキザったい印象を受ける雰囲気だが、根は真面目なようである。
吉良は謝罪しつつ、ちょうど良いと青年からこの教会の歴史について尋ねた。青年はたどたどしい英語ながらも説明し、この教会を語る上では欠かせない『マリアたちの行進』について話す。
「トオメからしか見なかった。でもあのカノジョ、君の恋人だろう? 天使のような人」
「…そうだね。確かに天使かもしれないな」
「カノジョなら必然、12人の『マリア』の1人に選ばれるさ」
行進する女性はヴェネツィアの市民から選ばれるそうなので、杜王町人の鈴美は残念ながら選ばれることはできない。とりあえずイタリア人の彼から見ても、鈴美の可愛らしさが伝わっているようだ。それどころか激刺さっている。
神学生にしては煩悩まみれの青年に、吉良は冷えた視線を送りつつ、改めて彼女の美貌の罪深さを実感した。
自分が隣にいない間、ほかの男が寄って来ているかもしれない。
「そうだよ、君の天使はどこに? チョット前は横にいたね」
「……君はこの教会に訪れる人間は、観光客だけだと思うかね?」
「?」
「それ以外にも訪れる者はいるだろう。たとえば神に救いを求めたり、祈りを捧げにきたり──、中には『魂の浄化』を求めてね」
「…!」
青年は吉良の言葉で何かを察し、目を伏せた。
ここが教会だとしても、時には罪を抱えた人間が訪れることもある。
神学生はモップを椅子に立てかけ、ロザリオを粒を一つ一つ指でずらしながら瞳を閉じて祈った。
その意味するところは彼女の罪が少しでも軽くなるようにという祈りだろう。
吉良はその様子を静かに見つめながら、内心で思った。
(神など、いるわけがないだろ)
○
鈴美は15分と、数十秒遅れて吉良の元に戻ってきた。椅子から腰を上げていた吉良は鈴美を見るなり安堵の表情を浮かべる。
「遅刻だぞ……と言いたいところだが、顔色が良くなっているね」
「そうかしら?」
「……よかったよ」
空気な神学生を尻目に、二人は随分と甘い雰囲気になった。見つめ合う彼らい神学生はエヘンオホンと声をあげて帰宅を促す。ここは祈りを捧げるための場所で、イチャコラする場所じゃないんですにょ〜という心境で。もちろんそれは声に出さないものの。
「あり
女性の方はアジア──日本語訛りだろうか? の英語でお礼を言った。神学生は「
「アンジェル……エンジェル?」
「さあ行こうか、わたしのエンジェ……痛ッ」
男は天使にバシッと背中を叩かれ、笑いながら去って行った。
彼女に何があり翼をもがれてしまったのか、神学生が知る由はない。それでも彼女──そして彼らの道に救いがあらんことを、祈るばかりだった。
改めて掃除に戻った神学生はそこで、あくびをする神父と鉢合わせし、掃除がまだ終わっていないのかと叱られることになった。
●
────君の罪は、生涯向き合い続けなければならないものとなるだろう。
────しかし、安心するといい。
────向き合い続けた先にはいずれ『救い』がある。
────罪を背負うものが己の『幸福』を願うことは、決して許されぬことではないのだよ。
────罪を抱えて『生』きることがすでに、奪った生命に対する償いになっているのだからね。
────いや、礼を言われるほどの事はしていないよ。
────ああ、気をつけて帰るといい、
⬜︎
レストランに寄りホテルに戻った頃には、陽はすっかり沈んでいた。
鈴美はワインを飲んだ影響か、顔がほんのりと朱に染まっている。帰る時の足取りはしっかりとしていたので問題ないだろう。
彼女は先にシャワーを浴びており、その間わたしはイタリアで買った本に目を通している。イタリア語なので内容はさっぱりわからんが、空気感みたいなものは味わえる。
「出たよ〜!」
バスローブ姿で出てきた鈴美は長い前髪から滴を垂らしていた。しっかり拭けとタオルで髪をすずめの巣にすると、文句を言いながらも顔は嬉しそうに笑う。
「プロセッコってお酒はチケッティに合って美味しかったね! 口の中がさっぱりしていい感じ!」
「すっかりワインの虜だな」
「あと…何だっけ? レチェート……ボラボラみたいなお酒」
「レチェート・デッラ・ヴァリポリチェッラじゃないか?」
「そう! そのボラボラがチョコレートに合いそうだな〜って!」
「鈴美、酔ってるね?」
「酔ってないよぉ」
足取りはしっかりしていたが、千鳥足にはならないタイプの酔っ払いか君は。
近くにいるとアルコール臭とは少し違う果物っぽい匂いが漂う。「ちゅーしていーい?」と上目遣いに言われてキスしたが、ワインの後味が残っている。寝落ちする前にしっかりと歯を磨かせないといけない。ドライヤーは最悪諦める。
「さあ、歯を磨こうか」
「おひざ失礼します」
「自分で磨くんだよ、自分で」
「あ〜ん」
「………ハァー…」
母親がまだ幼い子どもの歯を磨くような絵面で、成人済みの男が同じく成人済みの女の歯を磨いている。
君じゃなかったら絶対にしないからな。わたしは疲労困憊の身で、まだシャワーも浴びれてないんだぞ。
悪態をついているうちに磨き終わり、ふにゃふにゃになっている彼女を洗面台にまで運んで口を濯がせた。
髪はもういい、放置する。手にクリームだけ塗って終わりだ。
ベッドに乗せ額に触れるだけのキスをすると、むずがるような声が上がった。酒臭さもあり開けていた窓を閉めようとすると、腕をつかまれる。
「あけといてぇ」
「寒いだろう」
「……?? 熱いよ?」
「それは君がアルコールを摂取して、体が熱ってるからだよ」
仕方ない。寝る前に閉めるか。泊まっている部屋は高さもあるし、ベランダはあるが隣から入って来れる作りではないため問題ないだろう。
日本のホテルと違い、イタリアのホテルはバスタブがほとんどなく基本的にシャワーである。最初はそれにストレスを感じたが割り切るしかない。
トイレも便座が無く、一見したら手洗い場かと間違えるビデがある。カルチャーショックはいい勉強になるが、改めて海外旅行はしたくないと感じた。精神的にも肉体的にも疲れ果てる。
「明日はいよいよパリか……」
眠れるだろうか? そこが問題だ。まるで翌日遠足に行く子どものように内心浮き足立っている。
睡眠薬は携帯している薬入れの中にあるが、翌日に倦怠感が残るのは困る。なるべくなら万全の状態でモナリザを見たい。
シャワーから出た後はホテルで支給されているナイトシャツを着た。丈が長く膝のちょいと下まで来る。下が女のスカートのように開けているのが気になるが、旅で泊まったホテルがほぼこのタイプだったので慣れてきた。
「…待て、鈴美はバスローブのままだったな」
残されたナイトシャツが一着。
まあバスローブのままでも問題ないかと、脱衣所を出た。
風がぶわりと頬に当たる。白いカーテンが生き物のようにうごめいていて、その先にはヴェネツィアの街並みと、その頭上に夜空が浮かんでいた。
「………鈴美?」
ベッドで眠っていたはずの彼女が、そこにいなかった。
○
今日はきっと月見酒…いや、星見酒をしたらその星の美しさだけで酔いしれてしまうだろう。
雲ひとつない。星の光は暗い水面に反射し、鏡写しの世界を作る。
煽るワインは若々しく、健康的で、なかなかに素晴らしい味だった。
「星でも降ってきそうな夜だとは思わないかね?」
手を伸ばせば今にもつかみ取れてしまいそうな。そして、手の中でぐしゃりと壊れて、地面に落ちる。
あたりには血なまぐさい匂いが漂っていた。
昼の喧騒さが嘘のように夜の町並みは静寂さが支配している。
ヴェネツィアの数多ある教会の鐘楼の上、その十字架に腰をかけた男は蠱惑的な笑みを浮かべながら頬杖をつく。
男の眼下にはシャツにスラックス姿の青年がいた。青年の髪は乱れ、シャツのボタンも上から一つ、二つ外れている。その隙間から真新しい傷跡がのぞいていた。
彼の指からは鮮血が垂れ、その後ろに点々と続いている。
「貴様が何者かはどうでもいい。わたしの彼女を返せ」
「君の彼女はまだ息があるさ。ほら…」
男の指は青白い顔をしている女の首元に埋まっており、それが指先をちょいと動かすと、彼女の足がびくりと、新鮮さを取り戻した魚のように跳ねる。
「う、ぁ……」
「……何がッ、目的だ」
「そう、怖い顔をしくてもいいじゃあないか。どうだい、一つ……私と取引をしないかね?」
その一瞬の間だった。教会の上にいたはずの男が消え、青年の背後から耳にまとわりつくような──そしてそのまま鼓膜を破って脳に侵食するような声が聞こえた。
青年のこめかみから汗が流れる。今、彼には「食われる」という明確なヴィジョンがあった。
男の手が、彼の肩に乗せられる。シャツ越しでもわかる。冷たい手だった。
「君の力を貸して欲しいんだ。その──『星を打ち砕く』力をね」
「………星」
「いずれ来るべき時、私の前に必ずや星を持った人間たちが現れる。君にはその星を壊す手伝いをして欲しいんだ」
いいだろう? と、男は続けた。
この状況で青年が首を横に振る権利はない。今なお男の手のうちには青年が愛する女がいる。彼女にはまだ息があった。呼吸の音が聞こえる。
だが────だがそれ以上に、今、この男を殺したいという欲求が暴れ回っていた。頭では何度も殺す算段を練っている。だがそのどれもが今の状況と、男の
「肯定を示すなら首を縦に振れ。否定を示すなら横に…簡単だろう?」
「………」
「さあ、決めてくれ。3秒やる」
青年は────吉良は、カウントを聴きながら狂おしい殺人欲求と、彼女の呼吸の音を聞いて──そして、首を縦に振った。
それは服従を示すサインに他ならなかった。
クク、と背後から笑い声が聞こえる。吉良は耐えなければならない。
「では、頼んだよ。────
頭に鋭い痛みが走った直後、吉良の意識は遠くなっていった。
『
She's a Killer Queen.
いや、
スイッチの音が聞こえたならすでに、爆弾はセットし終わっているだろう。
少し早いけれどダンスの時間だ。曲はグレツキの交響曲第3番、『悲歌のシンフォニー』。
さあ踊ろう、死神の男。
君はどうにも、平穏に暮らせないようだ。