転生したら殺人鬼ポジだった件   作:クリーニング黒兎

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16話 どこまでも遠くて、青い

 じっとりとした、蒸し暑い日だった。ミンミン、と聞こえるセミの声。

 網戸の向こうの景色はカゲロウのように、ゆらゆら揺れている。

 外の暑さと内の熱さが、混じっては溶けていく。

 溶け落ちた水はそのまま、畳の上に落ちた。

 

 ズッ、ズズッと、何かを引きずるような音。

 

 足にかろうじてスカートを引っかけた少女が、芋虫のように這う。

 畳の目に爪を立てて、ガリガリと削った。

 揺らめくカゲロウに少女は手を伸ばす。

 

『私も、混ざりたい』

 

 あるいはアイスのように溶け、そのまま蒸発したい。残るものはきっと何もないのだろう。

 

 しかしどれだけ願っても、少女の身体は溶けない。

 ふるいにかけられたように、穢れた身体は消えない。

 

 その事実を改めて理解した時、少女は唇を噛みしめ小さく、小さく泣いた。

 セミの声や外を通る車の音にかき消され、小さな声は消えていく。

 

 いよいよ陽は落ち、部屋は真っ暗になる。

 アパートの一室で灯りのない中、一人泣く少女。

 そのことに気付く者は、どこにもいなかった。

 

 彼女は独り、だった。

 

 四角く暗い箱の中で、少女は立ち上がる。

 闇の中一糸まとわぬ姿は、さながら聖母像の如し。

 色の薄い髪が不思議な魔力をもって怪しく揺らめいた。

 

 少女は殴られた部分をひとつひとつ、指でなぞる。

 荒れた室内。ベッドの傍に落ちているセーラー服。

 

『ころして、やる』

 

 少女は形のない包丁を、手に取った。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 夕暮れ時は蒸し暑かったというのに、今は少し肌寒ささえ覚える。

 

 時折つまずきそうになりながら、鈴美の手を引いてぼくは歩いた。

 時間が経てば暗闇にも目が慣れ、よろめく回数も減る。

 

「………」

 

 お互い喋らない。ただ手は拒まれることなく、強く握りしめられている。

 自分よりも高いこの手の体温が、多少の不安を和らげてくれた。

 

 咄嗟の判断とはいえ、粗が目立つ作戦だ。片桐が起きれば車を使って追いかけてくるはずだ。保健医はあの様子では流石にもう、何かをしてくることはないだろう。

 

「……っ」

 

 また少しふらついた。ゾクリとした寒気のようなものが少しずつ背中から上へと這い上がっている。

 

「……だい、丈夫?」

 

「…うん、ちょっと蹴られたところが悪かったんだと思う」

 

 鈴美や保健医がいなければ、ぼくの精神衛生上何度か仕返しに殴った。あくまで殺さなければいい。

 にしても、ぼくよりよっぽど酷い目に遭った彼女に心配されるとは。

 

「あの…男の人に、やられたの?」

 

「逆に先生が蹴ると思うかい?まぁあの保健医が怒りに身を任せて人を蹴っていたら、少し面白そうだけど」

 

「………」

 

 冗談を返せるほど元気ではないらしい。

 ぼんやりと前を見ながら喋る様子に、一抹の不安を覚えた。

 

「鈴美?」

 

「……なに?」

 

「やっぱりおぶるよ」

 

「……いい」

 

 否定の言葉を言って彼女は俯いてしまう。危うさを感じ、一先ず離れないよう肩を抱き寄せた。

 その間にもまたよろめいて、そのまま手が離れた。手は虚空をかすめ、ぼくは地面に倒れる。

 

「吉影くん…!?」

 

「……何だ? 力が…」

 

 磁石でくっつかれちまったみたいに身体を起こせない。蹴られた身体の方が本格的に参っちまったのか。

 彼女はぼくの腕を掴んで引き起こしたが、重さに耐えるだけで一歩も歩けない様子だ。

 

「……先、このまま真っ直ぐ行ったら、大きな道路に出る。下り坂の方に歩いていけば、民家が見えてくるはずだ」

 

「で、でもっ…!!」

 

「君じゃぼくを持てないだろ。いいから行って、今の君を一人で行かすのは心許ないけど」

 

「…吉影、くん」

 

「大丈夫だから、ほら」

 

 彼女の背を強く押した。身体は再度地面に落ちる。

 鈴美は戸惑った顔をし、意を決したように走り出す。だんだん遠くなっていく後ろ姿を見つめながら、ぼんやりと来た方の道を振り返った。

 

 辺りには虫の鳴き声や、パキッ、という音と共に小動物の声が聞こえる。

 

 ぼくの身体じゃないみたいに、五感が自分の手から滑り落ちて行く。

 混濁していく意識の中で最後に見たのは、強烈なほど眩しく感じられる二つの丸い光と、エンジンの音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

『Good morning! A.M.5:00をお伝えします』

 

 

 車から聞こえた軽快なラジオの声に、吉良は目を覚ました。

 

「うっ……」

 

 覚ましたはいいものの、身体が鉛のように重い。シートにもたれるようにして上を向いていた頭を起こすだけで、相当な気力を使った。

 

 目前のフロントガラス越しに、薄明るい世界が見える。視界には辺り一面に海が広がっていた。

 数羽のカモメがその白い羽を広げ、揚々と空を旋回している。

 

 

「おはよう」

 

 

 隣から聞こえた柔らかい声に、吉良は視線を向ける。

 朝日に霞むおぼろげな輪郭を捉え、胸元に流れる亜麻色の髪をつたい烏色の瞳にたどり着く。優しげに微笑む女に、眉間に皺を寄せた。

 

「なぜ…あなたが?」

 

「片桐くんだと思った?残念だったかしら、私で」

 

「いえ、あの男よりはあなたの方がまだマシですよ」

 

「ふふ、そう?」

 

 吉良は気怠い身体にむち打って、動かそうと試みる。腕は持ち上げられるが、全身を動かすとなると思うようにいかない。何かの支えなしではまず歩行も困難そうだ。

 いくら怪我を負っているとしても、明らかにおかしい。そこでふと一つの可能性を見出す。

 

「まさか…睡眠薬以外に、何かぼくに盛ったのか?」

 

「遅効性の薬物よ。吉良くんが眠った後に、ちょっち盛ってたの」

 

 カバンから保健医が取り出したのは数本の注射器。流石の吉良もこれには顔を青ざめさせる。

 

「大丈夫だって、依存性はあんまりなかったと思うから」

 

「だからってバカみたいに何本も使うか普通…!!」

 

「だって効くかどうかわからなかったんだもん。まぁ睡眠薬もあまり効いてなかったみたいだから、多めに注射しておいて正解だったかな」

 

 静寂になった室内にラジオの曲が流れる。

 曲はイギリスのロックバンド、クイーンが1970年代に発表した曲『Killer Queen(キラー・クイーン)』。

 

 佐藤はその曲を口ずさみながら、バッグから一本の刃先が布に包まれた包丁を取り出した。

 布を取り払われた包丁が、光を受けて淡く光る。

 

「なんだかこの曲って女に振り回されるけど、それでも彼女のことを愛してる男目線な内容の歌じゃない?」

 

「…ハハ、まさしく今のあなたのように、“She‘s a Killer Queen”ということですか」

 

「確かに男を悩殺できちゃう私はキラー・クイーンなのかも。でも違うわ、君が殺人鬼(キラー)になるのよ」

 

 保健医は彼の腕を掴み、包丁を握らせた。

 

「…ぼくは、人は殺さない」

 

「それは今だけ。人を殺す快楽を知ったら、君は絶対に止まれなくなる」

 

「死にたいのなら、勝手に死ねばいいだろ」

 

「君じゃなきゃダメなの、吉良くんに殺されたいの。ねぇ、おねがい…」

 

 懇願の色を含む瞳がゆっくり近付く。一瞬薄い唇が触れ、離れた。

 不意に吉良は、そういえば口紅はあまり付けない女だったと、思った。

 

「あなたの弟なら逆鱗にでも触れれば、殺してくれるんじゃないのか」

 

「安十郎くんは君と同じでヒトを殺しても罪悪感を抱かない人間だけれど、時たま電話で生存確認をされるぐらいには、情を持たれているわ」

 

「情……ね」

 

 家族の情など兄弟がいない吉良にはわからない。歪な環境下で育ったせいで、家族としての情もわからずにいる。例えば幼い頃、親に叱られる鈴美が羨ましいと思ったことはある。しかし所詮は子どもの頃のこと。

 今は歪に育った中で、生まれた欲求を抑えるだけで手いっぱいだ。

 

「だったら尚更弟は、あなたが死ぬのを望んじゃいないと思うが」

 

「どうかしらね、()()()()()()()()()()()()少しは、悲しんでくれるのかな。あの子の感情は私でも深くまではわからない」

 

「本当の…って、ことは…」

 

「本物は今勾留中。“アレ”は私が用意した従順な偽物の協力者。さっきも言ったでしょ? 私は男を()()()()()()()女だって。本物の場合“今の吉良くん”じゃ、殺されちゃうから。…あ、話してた内容はほとんど本当だからね?」

 

「…ハァ、もうあなたの発言全般が信じられませんね」

 

「アハッ、まあ確かにそうかも。けっこう平気で嘘吐いちゃうから、私」

 

「自分で言うのか…」

 

 嘘を吐いたらすぐに顔に出る鈴美が可愛らしく感じるほどだ。

 向こうは無事保護されたのか。ならば警察が動いているはずだ。

 

「先生にとって「死」が幸福なんですか?」

 

「幸福?……違うよ、うーん…ふふ、罪、かなぁ…」

 

()?」

 

 どこぞの男にでも恨みを買われているのか。裏面の彼女を見ているからこそ、うっかり夜中に包丁で刺されても不思議ではない。

 

「本当の、私が目に固執するようになった理由はね、とある目が忘れられないからなの」

 

「強姦された時に見た男の目ではない、ということですか?」

 

「うん……まぁ、同じ人間ではあるけれど」

 

 それは佐藤の性癖の原点。償わなければいけない十字架。

 

 

「私ね、ある男を殺したの」

 

 

 空中をさまよう保健医の目を、吉良はじっと見つめた。

 前にも見た弱い彼女。普段の取り繕った仮面を付けていない女の姿。

 

「絶対に殺すために入念に計画を立てた。人通りのない時間帯やカメラの位置、全部全部殺すために、復讐のために考えた。そして………殺した」

 

 彼女のシナリオ通り夜中に泥酔した男が、階段から落ちて死亡した。昼間に一瞬放送されるような小さなニュースにもなったが、事故として片付けられた。

 全てが完璧にいった。しかし彼女は間もなく死を考えるまでに伏せってしまった。

 

「忘れられないの、突き落とした時の男の目が。私を襲った時に浮かべていた気色悪い目も忘れられない。でもそれ以上に突き落とした時に一瞬合った目が、今でも頭にこびりついて消えない」

 

 それは紛うことなき罪悪感からなる感情。

 吉良では抱くことがない、人を殺したことによる罪への意識だった。

 

「あの男に抱かれて、少しでも快楽を感じてしまった自分の罪滅ぼし。この身体は、男の性処理道具。そうすることで私の罪が………少しでも……少し、でも…」

 

 保健医の唇が小さく震えた。その震えは身体全体に広がっていき、嗚咽をこぼす。

 泣いている彼女の顔を吉良は初めて見た。

 

 

 本当に、本当にただの普通の人間だった。

 異常に振る舞うことでしか生きられない、哀れな女だった。

 

「ずっと待ってた。私を殺してくれる人を探してた。人を殺しても罪悪感なんて抱かないクズみたいな人間を」

 

「誰がクズだと?」

 

「ふふ、吉良くんのこと。そんな君に殺される私はもっとクズで、生きていてもどうしようもない…生きる意味もない、女なの」

 

 ころして、と呟く佐藤。

 

 吉良は握らされた包丁を持ったまま、吸い込まれるような空を見た。

 朝日が地平線から覗いている。その光が海を輝かせて、とても美しい。

 

「殺してくれないなら、このまま一緒に心中しちゃうんだから」

 

「本物の片桐ならぼくを殺してしまうと、偽物を用意したあなたが?」

 

「それとこれとは別。…本気よ」

 

 保健医の手がシフトレバーに向かう。パーキングからドライブに変わり、車はゆっくりと前に進み出した。

 ここは海が一望できる。言うなれば断崖絶壁の場所。人通りのないこの場所は知る人ぞ知るスポットだ。

 

 一面に広がるのは全てを抱擁する、柔らかな世界。

 

 天国ももしかしたらこんな優しい色でできているのかもしれない。

 無意識に吉良の口は動いていた。

 

 

 

「一緒に、死にましょうか」

 

 

 

 生きるだけで辛いのは彼も同じだった。

 つきまとう母親の行き過ぎた愛情。女の手への異常なまでの欲望。そして、殺人欲求。

 

 特に手の欲望と殺人欲求は、生きていれば絶対に後ろについて回る。

 殺してしまえばいっそ楽なのかもしれない。しかし彼は「普通」に囚われている。

 望んだ平穏を結局は生きてからこの方、送れたことさえないのかもしれない。

 

 今不思議と感じるさざなみのような安らぎに、吉良は目を細めた。

 

 

「いい…の?だって君は、平穏に生きたいって……吉良くんらしくない」

 

「自分らしさなんてわからない、あなたがおっしゃったんでしょう。確かにぼくらしくない。でも一瞬抱いた感情に流されるのもまた、人間らしいでしょう?」

 

「………っ」

 

 

 綺麗な顔を歪めて涙をこぼす彼女。メガネを取り袖で水滴を拭っても、次から次へと落ちてくる。

 何となく吉良は、その頰に手を伸ばした。

 

「ぼくが普通になれないなんて、とうの昔にわかってる」

 

「……ふふ、そうだね」

 

「なら一緒に、付き合いますよ」

 

 

 吉良は重い身体をどうにか動かし、薄い唇に口付けた。

 

 

 

「吉良くんは、ずるいなぁ」

 

 

 

 彼女はしかし、幸せそうに微笑んだ。

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