転生したら殺人鬼ポジだった件   作:クリーニング黒兎

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ぼくらは。

 目を覚ました時吉良の眼前にあったのは、白いベッドと、その上に横たわる一体の人間だった。

 

 身体と顔を隠すように白い布が別々でかけられている。体格からして男だ。

 自分はその人間を見下ろすように立っていた。

 

 一応辺りを見回す。異様に白いがどうやら病室らしい。

 

『これは…夢か』

 

 自分が見ているものが夢だと自覚している。いわゆる明晰夢、というやつだ。

 

『…コイツはいったい誰だ?』

 

 一歩足を踏み出し、ベッドの上に横たわる男に手を伸ばす。

 顔にかかっている布を取ろうとして、一瞬手が止まった。何かが聞こえる。それが布の下から聞こえていることに気付くと、冷や汗を流しながら顔に耳を近付けた。

 

 

 

【普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に普通に】

 

 

 

 例えるならお経のように、男は延々「普通に」と呟いている。

 かすれた呻き声から発せられる声は不気味だ。

 

『………』

 

 吉良は真顔のままゆっくり顔を離した。胸にストンと、妙な確信を持って、()()が自分なのだと、理解した。

「普通」に縛られている彼。その鎖が()()なのだ。

 

『フ…フフ、ぼくは本当に、心の底から()かれてるみたいだ』

 

 いつの間にか彼の手には一本の包丁が握られていた。

 その先が横たわる男の上へと向けられる。白い世界の中、刃が鈍く光った。

 

 ズプッと、肉に突き刺さる包丁の音が響き、続いて引き抜く時に脂肪や血液、肉を引きずって粘着質な音が聞こえた。

 そのまま何度も何度も、吉良は自分を刺し続けた。

 

 

 身体にかけられた白い布がボロボロになり、赤黒い血が部屋中に散乱した頃、ようやく彼は止まった。

 身体から一気に力を失ったように座り込む。跳ね返った血で、全身は水しぶきでも浴びたように真っ赤だ。

 

『何が、何が平穏だ…「普通」に生きたいだ……。どうあがいたところで、ぼくの欲求が消えるわけがない』

 

 本人が一番自分の生き方の矛盾を理解している。

 しかし理解していても、変えることができない。そう、とても滑稽なのだ。彼をテーマにしたら一本の不条理文学でも書けてしまいそうな。

 

『……?』

 

 不意に吉良を覆うように影ができた。

 

 視線を上げれば、先ほど刺した男が立ち上がっていた。身体には何も身にまとっていない。えぐれた上半身の所々から血が吹き出し、皮膚を伝って下に落ちていく。

 顔にかけられていた小さめの布は血で張り付き、男の顔付きをぼんやりと浮かび上がらせている。

 

【    】

 

 言葉にならない声を上げる男に、吉良は目玉だけ動かし睨め付ける。紫目の中で底冷えた狂気が渦巻いた。

 

『…死ね』

 

 湧き出る殺意を抑えることができない。ただひたすら目の前の男を殺したい。

 さすれば己の歪んだ生き方がきっと変わるはずだ。その思いは懇願に近かった。

 

『死ね、死ね死ね死ね_______死ねェ!!』

 

 らしくもなく大声で叫び、男につかみかかる。彼の人生で一番感情的になった。

 今度は顔の原型をなくすほどに刺し続ける。いつの間にか浮かべていた笑みに、吉良本人は気付かない。

 

 

『_____ハァ、ハァ……』

 

 

 酸素を求めて、激しい呼吸を繰り返す。刺し続けるにもそれなりの体力がいる。

 彼は動かなくなった肉塊から立ち上がり離れる。カランと、包丁が地面に落ちた。

 

 そのまま全身の力を失い、後ろの壁にぶつかってへたり込む。もう指一本動かすことすら億劫だった。

 

【     】

 

 また、気味の悪い声だ。

 顔を少し上げると、男の手に彼の落とした包丁が握られているのが目に入る。

 

 赤黒い刃が少しずつ近付き、彼の喉にゆっくりと刺さっていった。

 そして頭が落ちる感触と共に、吉良の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎◻︎◻︎

 

 

 目を覚ました直後、電光灯の光が眼球に刺さった。

 外の光も相まってハレーションを起こす。ようやく落ち着いてきた頃に看護婦が部屋に来て、慌てて主治医を呼びに行った。

 

 看護婦が連れてきた男の医者によると、どうやらぼくは二週間もの間昏睡状態にあったらしい。

 その間父と母がつきっきりで看病していたそうだ。

 

「君は二日も()()()()()()()()()んだよ。発見がもう少し遅れていたら、脱水症状で死んでもおかしくなかった」

 

「……そ、です…か」

 

 口から出たのはひどくかすれた声。強い倦怠感と妙な違和感に眉を寄せた。まるで自分の身体じゃないみたいだ。ベッドの上で寝ているというのに、ふわふわした感覚がある。

 

「なんか…変な感覚が、する」

 

「薬物の影響だよ。今後治療をしていくことになるが、今はまだ眠っておきなさい」

 

「……、…」

 

 そういえば保健医はどうなったのか。鈴美は無事なのか。

 聞きたいことは幾つかある。しかし遅かれ早かれ、警察が事情聴取に来るだろう。

 

 今はもう少し、微睡の中に沈んでいたかった。

 

 

 

 

 

 二日後には補助は必要だが、自力で歩けるようになった。母があらかじめ家族以外の面会を断っていたため、来るのは両親のみ。

 ただでさえ身体の不調が顕著だというのに、母の時は特に追い討ちだ。

 

「ちょっといいかね」

 

 父が面会に来ていた午後、二人の警官が病室を訪れた。

 

 一人は恰幅のいい髭を蓄えた中年で、もう一人は細身の眼鏡をかけた青年だ。

 事件の事情聴取ということで、父に席を外させ一時間ほど話すことになった。

 

 事件は当初片桐安十郎を名乗っていた男と、佐藤が共犯して起こした身代金目的の誘拐として進められていたようだ。

 しかし男の方は「己が片桐安十郎である」という催眠をかけられていたらしく、現在は主犯を佐藤容疑者とみて進めている。

 

 鈴美は無事に保護されたと聞き、少し安心した。

 

「佐藤先生がなぜ誘拐なんか…」

 

「そのことだが、彼女は随分前から高級ホストクラブに通っていたそうでね、金銭面でトラブルがあったらしい」

 

「先輩、喋りすぎです」

 

「おっと…そうだな」

 

 細身の警官に注意され、恰幅のいい警官は一つ咳払いをし、話を戻す。

 

 ホストクラブの件は、金がないと思わせ、誘拐したと見せかける佐藤の策だ。

 ぼくが旧家の出でそれなりに裕福であることや、保健室によく通っていたことを踏まえれば、ねらう理由にはなる。

 

「杉本くんにも色々と聞くことになったが、無理はしないように。しかし正直には答えて欲しい。また、聞いた情報については他者に漏らすことはないから、そこについては安心してくれ」

 

「……はい」

 

 保健医が用意しておいた誘拐の線に乗って、ぼくも自分の都合の悪いことは隠しつつ、話を進めた。

 

 

 発見された状況についてだが、朝現場に釣りに来た男性が不審な車を見つけ、車内の様子を窺った。

 そこに手足を縛られた状態で倒れていたぼくを見つけ、あわてて警察に連絡したそうだ。

 

 話の合間を縫い、ぼくは気になっていた疑問を聞いた。

 

「あの…佐藤先生は今、どうしてるんですか?」

 

 警官はこちらを観察するように見て、口を開く。

 

 

「佐藤容疑者は海に身を投げ、自殺したよ。先週現場から数キロ離れた浜辺で遺体が発見されている」

 

 

 背にじっとりとした汗が流れた。

 口を開けて固まったぼくに、恰幅のいい警官の目が少し鋭くなった。

 

「物的証拠などから、警察側は事件が誘拐で間違いないと見ている。しかし私個人としては、少々引っかかることがあってね」

 

「引っかかる、こと?」

 

「あぁ、佐藤容疑者がなぜ君だけでなく、杉本くんを攫ったのか疑問でね。聞けば君は彼女の恋人だそうじゃないか」

 

「………」

 

「彼女は言葉を濁していたが、君と佐藤容疑者の間には、並々ならぬ関係があったのではないのかね?生徒の一部が、君と佐藤容疑者が付き合っているという噂を、聞いたことがあるという裏も取れている」

 

 額から汗がつたい、ゆっくりと頬を滑って、シーツの上に落ちる。

 身体が小さく震え出し下を向いたぼくに、警官は強い口調で話を続けるよう指示する。何が無理をしないように、だ。口だけの犬っコロが。細身の警官は上司に少し落ち着くよう諭した。

 

 ここはあくまで怯えたふうに表情や声色を繕う。

 

「中二の…時でした」

 

「中二の時が、何だね?」

 

「……先生が、ぼ、ぼくに」

 

「君に?」

 

「…………関係を、迫ったん、です……」

 

 口元を抑え、手が白くなるほど強くシーツを握りしめる。

 そのまま小さく泣き出したぼくに、恰幅のいい警官は表情を変えず続ける。

 

「それから関係は続いたのか?」

 

「……はい」

 

「その関係は君の合意があったんじゃないのかね?中学ならまだしも、成人男性と大差なくなれば、無理にでも拒むことができたはずだ」

 

「……おどされて、たんです。断ったらバラすと」

 

「脅されていたとしても、警察や親に隠れて助けを求めることができたはずだ。それをしなかったのはなぜだね」

 

「それ、は…」

 

 暫し黙り込んだ。しかしこちらに向く鋭い目が外されることはない。一つの可能性として、この男はぼくを疑っている。

 今度はゆっくりと顔を上げ、視線を合わせた。

 

 

「母親に、知られたく…なかった」

 

 

 警官の表情が変わった。

 ぼくの家の事情について調べたのなら、小学校時代の話を通じて、母の息子に対する異常なまでの過保護さを知っているはずだ。その上で聞いたのは、調査の一環として仕方あるまい。

 

 嘘をつく時は、半分真実を添えるとより信憑性が増す。恰幅のいい警官は、すまなかった、と頭を下げ謝罪した。

 

 

「杉本くんもそうだが、君も辛い目にあったと思う。普段の生活に戻れるよう警察側もサポートをする所存だよ」

 

「………」

 

「あと使われた薬物についてだが、車内にあった佐藤容疑者のバッグにスタンガンと、1()0()()()()()()()()()()違法ドラッグが見つかっている。異常と思わざるを得ないが、誘拐する際君に使用されたのが検査でわかっている。また何度か事情を聞きに来るかもしれないが、そこは了承してくれ」

 

「………」

 

「警部、そろそろ時間です」

 

「あぁ、わかった。私たちはこれで失礼するよ」

 

 二人の警官は部屋を後にした。恰幅のいい男のデリカシーのない言葉には遺憾だったが、無事終わった。

 あの調子だと強姦に遭いかけた鈴美の地雷をえぐっていそうで、恐ろしい。

 

 一時間の事情聴取を終えて、ようやく緊張の糸が解けた。

 

 

 

「にしてもやはり、彼女は死んだか」

 

 

 

 保健医が最後に言っていた「ずるい」という言葉。

 本人もぼくが一緒に死ぬ気など、さらさらないことに気付いていた。

 

 しかし、ぼくからはじめて口付けた時、本当に嬉しそうに笑った。妙齢の女が、穢れのない少女のように。

 

 保健医は本当にぼくを愛しているとわかっていたからこそ、絶対に殺さないと確信していた。「愛」がなんたるかをわからないぼくが言うのも、お門違いだが。

 

 彼女の言う通り、ぼくは人間のクズなんだろう。でもぼくは()()()()()()()()()()のだ。まだ人生の半分も生きていないのに死ぬ気など毛頭ない。

 

 

「まぁでも、ただ死ぬだけで終わる女ではなかったな…」

 

 

 最初使われたのは数本だけだった。だが死ぬ前にあの女は、持っていた残りの薬物をすべてぼくに打った。

 

 思い出したのは彼女に口付けた後のこと。

 あの時も意識がかなり混濁していた。幸せそうな彼女に抱きしめられ、意識が落ちた。多分その後、冥土の土産に打たれたのだろう。この場合死んだのは彼女の方だが、一歩間違えればぼくも死んでいた。

 

 殺しはしない。けれど勝手に死んで一緒に来てくれるのなら、いいかもしれない。

 そんな彼女の思いが、透けて見えた気がした。

 

「薬、飲まなきゃあな…」

 

 ベッドサイドにある薬の入った袋に手を伸ばし、何種類かの錠剤を一粒ずつ水で流しこむ。

 

 どれも種類は精神安定剤の類だ。医者は薬物の後遺症として依存性は薄い代わりに、今後精神疾患が引き起こされるリスクがあると言っていた。現に飲み忘れると意識がぼんやりとしていく。

 

 薬は好きじゃない。まるで自分が()()()()()()みたいで、子供の頃から苦手だった。病院もなぜか苦手意識がある。

 

「そう言えば、結局アイツはいったい…」

 

 夢で見た何とも気色悪い存在。いや、自分自身だったか。

 せめて夢の中ぐらい植物のように平穏にいさせて欲しい。

 

 勢力の薄れたセミの声に耳を傾けて、外を見る。以前よりも日の光が眩しく感じられるようになった。

 眼下には街があり、さらに遠くではかすかに海が見える。

 

 佐藤の笑みと共に見たあの朝焼けは、とても美しかった。

 

 ぼくは非科学的なものを信じちゃいない。

 けれど、天国はもしかしたらあるのかもしれない。全てを包み込む柔らかい光が、罪人の魂さえ浄化する。

 

 確かにぼくは死ぬ気などなかった。しかしあの眩い世界を見て、そして彼女の「幸福」そうな顔を見て、死もいいと感じてしまった。全くもって、吉良吉影らしくない。

 

 ただ、死んだ後には穏やかな平穏がある。

 死んだ()()がほんの少し、一粒の()()ぐらいには、うらやましいと感じた。

 

 

「本当に…罪深い女性だよ、あなたは」

 

 

 警官が去り際、ついとこぼしていた「所詮弟も異常者なら、姉も異常者だ」という言葉。

 その内容が脳にじんわりと滲んで、ろ過されていく。

 

 彼女は普通のかわいそうな人間だった。その事実を知るのはぼくだけでいい。

 

 

 窓から覗く空は、どこまでも清々しい蒼い色が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

 吉良は目を覚ましてから1ヶ月後、退院した。

 

 すでに学校は始まっており、誘拐事件にあったという事実から、遠巻きにされることが多くなった。保健医と本当に付き合っていたのでは?という噂も相まって、余計に。

 

 鈴美は友人が多く、彼女を心配してくれる人間が多い。対し吉良は付き合い程度の関係しかない。

 本人はしかし、気にした風もなく過ごした。一応事件に遭った人間として、以前よりも影が増した雰囲気は装った。

 

 

 

 そして時間は過ぎ、大学受験を終わらせた吉良は無事卒業式を迎えた。

 春からはD学院の文学部に通う。

 

 午前中に式を終わらせた彼は、親に友人と祝いに行くと伝え、今はひとりブランコに腰掛けている。家にいたくないがゆえの、軽い逃避行。

 夕暮れも前な時間に高校生が公園のブランコに乗っている図は、なんともシュールだ。

 

 

「やっほー、吉影くん」

 

 

 公園で遊んでいた子どもが異質な高校生にそろって逃げ出した中、声がかけられる。

 吉良は地面を見つめていた顔を気怠げに起こした。

 

「…鈴美か、久しぶりだね」

 

「うん、久しぶり。誰かさんがずっと会うのを避けてたから、こうして話すのは()()()以来かな」

 

「面会は親が断ってたから仕方ないよ。思ったより元気そうでよかった」

 

「まぁ、かつてヤンチャ娘として名を馳せたのは伊達じゃないから」

 

「……そうかい」

 

 鈴美は彼の自転車の隣に自分のも止めると、ブランコまで来て彼の上に座った。

 無言で頭を叩かれ、非難の声をあげる。

 

「女の子に手を出すなんてサイテー!!」

 

「隣に座ればいいだろ、何でぼくの膝の上に乗るんだ」

 

「対面して乗った方が良かった?」

 

「……もういい帰る」

 

 立ち上がろうとした青年の手を彼女は引いた。

 何か意を決した色を浮かべる桃の目に、吉良は思わず眉を寄せる。

 

「どうして、私を避けるの?」

 

「事件のことを思い出すから」

 

「…嘘は嫌いよ、ちゃんと教えて。助けてもらったお礼も…言えてないのに」

 

「君は所詮、ぼくと保健医の痴情のもつれにあったに過ぎない。言うなれば被害者だ、合わす顔もないよ」

 

「本当に、そう思ってる?」

 

「じゃあなんて言って欲しいんだ、ぼくに何を求めてる」

 

 紫目が獰猛な色を宿したことに鈴美は気付きつつ、見て見ぬふりをした。

 彼から言ってもらわなければ意味がないのだ。

 

「吉影くんのこと、教えて」

 

「ぼくの知らないところなんてないだろ、それなりに長い付き合いなんだから」

 

「長いってものじゃないわ、10年以上経ってる。私たちまだ二十歳にもなってないのに」

 

「でもぼくらはもう子供じゃない、ほとんど大人だ」

 

「…そうね」

 

「たとえ付き合いが長くても、大人になれば別れたいくつもの道に沿って離れていく。むしろ時間を長く共にできたことを幸運だと思って、過ごしていくのも一つの賢い選択だ」

 

 暗にそれは、「別れよう」という吉良の遠回しな物言い。

 鈴美はしかし首を縦に振らない。相手が食い下がれば食い下がるほど、苦手になることを知っている。

 

「私は吉影くんとこれからも一緒にいたい」

 

「ぼくは彼女がいながら他の女と寝る最低な男だぞ、やめとけ」

 

「うん、知ってる。でも私は吉影くんが好き」

 

「……ハハ、随分と趣味が悪いんだね、君は」

 

 どちらも譲る姿勢をみせない。

 彼女は仕方なしと、吉良の膝の上に乗っていた手に指を伸ばす。触れた瞬間、相手の肩が跳ねた。

 

「私の手、好きでしょ?」

 

「…いつぞやの保健医と同じことを言わないでくれ。好きではあるが」

 

「どうして一緒にいちゃダメなの?…理由を教えて』

 

「カンニングはダメだ、自分で答えを見つけろ」

 

「教えて」

 

 鈴美の両手が彼の冷たい手を包む。

 ギリッと、歯軋りの音が鳴った。

 

「そんなに、知りたいのかい」

 

 底冷えた声だ。鈴美は思わず彼の顔を見たが、ちょうど前髪に隠されて見えない。

 ただ口元だけは、うっすらと弧を描いていた。

 

「せっかく……逃したのに、どうして自分から捕まりに来るんだ」

 

「逃がし……?」

 

「このぼくが君の「幸福」のためを思ったのに、人の気なんて知らないで…簡単に言ってくれるじゃあないか」

 

「……吉影、くん?」

 

 突然肩をつかまれ、鈴美の瞳に一瞬恐怖が浮かんだ。異常なまでに震え出した華奢な身体に吉良は目を見開いて、小さく「ごめん」と呟き、離れる。

 

 鈴美はそれでももう一度、手を伸ばす。彼はその細く白い手を見つめ、握り返した。

 

「君の手が、好きだ」

 

「…うん」

 

「女の手が好きだ。ぼくを「幸福」にしてくれる。女の美しい手がどうしようもなく好きで」

 

「うん」

 

 吉良の空いた手が彼女に首に近付き、指をほんの少し、食い込ませる。

 

 

 

「殺したい」

 

 

 

 艶さえ含んだ声は、空気に溶けた。

 彼女の目は溢れんばかりに開き、また首を縦に振った。その薄い唇は震えている。

 

「それが、吉影くん…なんだ、ね」

 

「君を殺したいと思ったのは、一度や二度じゃない。保健医も何度も殺したいと思った。その他の女も殺したいと思ったことがある」

 

「……そう、なん…だ」

 

 吉良は「恐怖」に染まった様子の彼女を見て、今更後悔した。

 やはり、言うべきではなかった。しかしこれ以上隠すこともできないと、諦めに似た気持ちがよぎる。

 

「ぼくが、怖いだろ」

 

「………」

 

「だからもう、近付かないでくれ」

 

「……」

 

「君を傷つけたくない。ぼくは誰も殺したくない。だから関わるな」

 

「……ッ」

 

 離れようとした男の手を彼女は握る。

 

「…それでも、一緒にいたい」

 

「……理解できないな。ぼくは君を殺すかもしれないんだぞ」

 

「好きだから、だよ」

 

「……やっぱり、理解できない」

 

 佐藤の言動も、鈴美の言動も、理解はできる。だが感情の部分に共感することが、彼はできない。

 その欠けた部分を補うように、彼女は吉良の心に寄り添おうとする。

 

「…何でもするから、おねがい」

 

「じゃあ別れよう」

 

「それはダメ!」

 

「……大概ワガママだよね、君って」

 

 じゃあと、吉良は彼女の正面を向き手を引き寄せる。

 

 

 

()()()の手になってくれ、杉本鈴美」

 

 

 

 その瞳がまるで獲物をねらう猫のようだと、彼女は思った。

 同時にもう後戻りはできないと、生唾を飲み込む。それでも、「否」とは、言わなかった。

 

「…わかった」

 

「フフ、そうかい」

 

 青年は微笑みブランコから降りて、片膝を立たせ座る。

 そして彼女の肌に吸い付くような陶磁器の如き手に、愛おしげに口付けた。

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