転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
1987年の夏は長引く梅雨の影響を受け、なんともジメジメしたスタートを迎えた。
しのぶはD学院の文学部に通っている女子大学生だ。
就職を控えた身であるが、本人は気が向かず友人と遊んでばかりの日々を過ごしている。
「ハァー…
彼女の言う「アイツ」とは、別の学部に通う川尻浩作を指す。
周囲の女たちの人気が高く数ヶ月前から付き合い始めたが、うっすらと川尻が“つまらない奴”とわかってきた。
第一対して好意を抱いていなかった相手だ。まだ別れていないのも、他の女たちに羨ましがられて優越感に浸りたいからだ。
駅を出ると、サァァと、本降りの一歩手前な雨が降っていた。
通り過ぎるサラリーマンは傘を差し、彼女の横を通り過ぎていく。
時刻は七時を少し過ぎたあたり。遠くで電車の発着を知らせるメロディーが鳴る。
「…早く帰ろう」
数時間前までは友人と楽しく遊んでいた。
だが現実へ戻される瞬間は誰にでも訪れる。さながら魔法が解けたシンデレラのように。
「あら?」
傘を差ししのぶが雨の中を歩いていた矢先、バス乗り場の白いベンチに一人の男が柱に寄りかかるようにして寝ているのを見つけた。
服装は靴とシャツ以外黒のため、暗闇と同化している。前髪に隠され顔はうかがい知れない。
彼以外にバスを待つ人間はいない。乗る前に寝過ごすとは、中々の上級者である。
普段の彼女なら起こさずそのままスルーしただろう。
しかしその時は本当に気まぐれに、起こしてやることにしたのだ。近づいてわかったが、男の髪は少し明るめだ。
「酔っぱらってるの、アンタ?バスもう過ぎてるけど」
「………」
「いくら雨避けがあるからって、風邪引くわよ……って、ちょ…」
男の身体が突如崩れ、彼女にもたれかかるように倒れた。
しのぶは慌てて男を抱きとめる。
「あれ、アンタどっかで見たことが…あ!」
この男の顔を講義でたまに見たことがある。
いつも後ろの隅で一人、あるいはごく稀にご同類の連中と講義を受けていた。見るからに陰気そうで、カースト上位の彼女とは絶対に相容れない存在。
きっとこんな偶然がなければ関わることがなかったであろう陰気男は、よくよく間近で見れば、顔が整っていないこともないような。
────いや、めちゃくちゃイケメンじゃん。
「……っ」
彼女が見入っていると、男が呻き声を上げ目を覚ました。
レンズ越しに見えた瞳は、不思議と闇にかき消されずその色をあらわす。
「ここは……う゛っ」
「駅よ……って、うわっ!!アンタ熱があるじゃない!!」
「……わたしは、バイトから帰ろうと、して…?」
今の時間帯、病院の診察も終わっている。立とうとする男をしのぶは腕をつかんで座らせた。どうやら近くの駐車場に車を止めているらしい。
「そんな状態で運転したら事故るわよ!タクシーで帰りなさい」
「………」
男の顔がゆっくりと彼女に向いた。観察するように視線を巡らせ、あぁ、とつぶやく。
「間違ってなければ、同じ学部のしのぶさん…だったかな?」
「な、何で私の名前知ってるのよ」
「男の間で美人だって、話題に上がることがあったから」
「ふーん、美人…ね。そう言うアンタの名前はなんていうの?」
「…ぼくは吉良吉影だよ、吉良でいい」
「そ、わかったわ。吉良クンね」
苦笑いした吉良は熱もあって、整った顔立ちの割に幼く見える。まとう雰囲気は川尻のように平凡だが、深紫の奥にあった色はとても冷たい。
アンバランスな魅力に、しのぶの心臓は今までないほど強く脈を打っている。
まるで初恋をした少女の時に戻ったようだ。
「タクシーが来たみたいだから、もう、大じょ………?」
「ちょ、フラフラじゃない!!んもう……途中まで一緒に行ってあげるから、しっかりしなさい」
「だが…」
「ハァ…タクシーから降りた直後に倒れて、騒ぎにでもなったら大変でしょ。それにあなた、私が起こしてなかったら救急車を呼ばれたかもしれないのよ」
「………」
「あ、運転手さん!人数は二人で」
吉良はそのまましのぶに押し込まれ、後部座席に並んで座った。
運転手に場所を告げてから鈍っている頭で思考を巡らそうとするが、気づけば意識が己の手から落ちていく。
「ってか、住所リゾート地帯の方じゃない!?もしかしてボンボンなの?」
「ちょっと頭に響くから…声量を落としてくれ」
「…あ、ごめんなさい。それで、どうなの?」
「別に…普通だと思うけど」
「ふーん……吉良くんってまぁそれなりに顔も良いし、陰気っぽいところは好きじゃないけど、悪くはないわね…」
ぶつぶつ喋り出す女の声から意識を外すべく、吉良は窓に視線を移した。
窓ガラスに水滴がぶつかっては隅の方に寄せられ、滝のように流れていく。
今日は午前中に隣街の家庭教師に行き、午後は買い物をした。朝から気怠さは感じていたが咳は出ていなかった。しかし買い物を終えてから一気に体調が悪化し、杜王駅に辿り着いたところでとうとうダウンしたのである。
思えば朝、電車に乗っている時に傘を忘れたことに気づいた時点で本調子ではなかったのだろう。
「まぁ熱だけのせいでも、ないんだが…」
ここ二ヶ月近く、原因不明の体調不良が続いている。
症状は頭痛やめまい、不眠に食欲不振や嘔吐など、かなり精神的に参っている。
周囲の目はごまかしている。しかし鈴美にはバレているようで、医者に行くよう念を押されていた。彼は頑なとして行っていないのだが。
どのみち間もなく薬が切れるため経過観察ついでに主治医にバレる。
それまでに解決策を考えていたが、症状は悪化するばかりだ。
母親が亡くなり、自由があるはずだった。
だが蓋を開けてみればどうだ、彼の身体はすでに「異常」になれきっており、「普通」の生活を受け付けなかった。
────馬鹿馬鹿しい。
結局吉良の中では自分の性癖も、殺人衝動も、壊れぎみの精神も。
滑稽で、どうすることもできないのだ。
家に着いた吉良はタクシー代を渡してしのぶを帰そうと思ったが、少し悩んで家にあげることにした。一応世話になったのだから茶は出した方がいい。
虚しくもここで病人は寝てろ、という常識や、風邪をうつしてしまうという考えは出てこなかった。
「ひ、広ッ…」
しのぶははじめて見た武家屋敷に感動を越して引いた。
吉良は彼女に支えられつつ鍵を開け、暗闇の我が家に入った。
幽霊な父親はさておき家主の彼以外住まうものはおらず、不気味なほど静かだ。
「親はいないの?」
「幽霊の父親だったらいるかもね」
「え?あ………その、ごめんなさい」
「別に気にしてないからいいよ。お茶を淹れてくるけど、勝手に出歩かないでね」
吉良は居間に彼女を残し、キッチンへと向かった。
途中現れた父に、居間の様子を見ておくように頼む。
葬式だなんだともらっていた菓子が、なまじ彼が食べない分大量に残っている。賞味期限が切れていない物を適当に選んだ。
飲み物はスチール缶である。フラつく状態で淹れた茶を運ぶのは危険すぎる。
「うわぁ、流石茶菓子もお高そうね…」
しのぶは運ばれてきた茶菓子を一つ口に運ぶ。途端に顔がほころんだ。
その表情を見ながら、吉良は残っている菓子の処理方法を考える。鈴美に貢ごうと思い至ったところで、不意に気付く。
女性を見ず知らずの男の家に上がりこませたのは、いささか非常識ではなかろうか。
相手は熱のある吉良を心配して、少しためらったが家に上がった。
だからといってこの状況で早く帰れ、と言えるわけがない。
時間を消費するため断ってから、吉良は服を着替えに行った。
流石に風呂に入る気力はなく、シャツと緩めのボトムに着替えた。脱いだ服を畳んだが、いつもより乱れている。
「薬は…あぁ、居間だった」
配置薬は居間の棚の上にある。両親が届かず、よく吉良が代わりに取っていた。
「…ッチ」
できれば思い出したくもない母の記憶。
しかし二十年もの歪んだ束縛は、元凶が亡き今も確実に彼の心を蝕んでいる。
「あ、着替えたの……」
テレビを見ていたしのぶの顔が固まる。
現れた吉良は眼鏡を取っており、長い前髪を乱雑に後ろに撫でつけていた。
「えっと……少しどいてもらっていいかな?薬が取れない」
「………は、はい……」
しのぶは口を少し開けたまま、はうはうで横に移動した。
吉良は「?」を浮かべつつ、棚の上の配置薬に手を伸ばす。しかし身体が大きくフラついた。
「あっ」
手がそのまま薬の入れ物ごと引きずり下ろす。
派手な音とともに入れ物が落ち、入っていた薬が散乱する。
「危ない!!」
しのぶは咄嗟に手を伸ばした。吉良もまた急に横から入ってきた相手に驚き、二人はもつれ合うように畳の上に倒れる。
「いたっ…」
しのぶが呻き声をあげる。瞳を開けると目前には絆創膏の箱が落ちていた。封がきられていたため、中身が出ている。
そのまま仰向けの体勢で倒れていた身体を起こそうとして、顔を上に向けた。
そこで一気に心音が上がる。至近距離に凛々しい顔があった。
図として吉良がしのぶを床ドンしている状況である。
「…ごめん、大丈夫かな?」
「ふぁ、はい」
吉良は身体を起こし、ついでしのぶの腕を引く。
「……ボォーッとしてるけど、本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫……です」
「そう、ならいいんだが…」
時刻は八時半を過ぎようとしている。
吉良はそろそろ頃合いだろうとタクシーを電話で呼び、居間に戻った。
「十分後ぐらいには家の前に着くそうだから」
「う、うん」
「なんというかその、今日はすまなかったね。家まで付き添ってもらって」
「ぜ、全然大丈夫よ!私も今は一人暮らしだし、少し寂しいから。男の人の家に来るの久しぶりだったけど…」
「そこは…すまなかったよ。気が利かずにごめん」
その後少し彼女の話を聞き、十分が経った。
しのぶは帰り際ヒールを履きつつ、吉良の方を向く。
「その…吉良くんってさ、付き合ってる人とかいる?」
「わたしかい?」
ふと吉良は鈴美のことを考えた。
彼女が受け入れたことによってできた二人の関係は、恋人なのだろうか。保健医ほど生々しくはなく、緩やかに流れる関係。
結びつく愛がそれぞれ違っても、お互いを求め合うなら、それは果たして恋人と言えるのか。
「…!」
巡らせていた思考は握られた手の感触によって引き戻される。
少し骨張ってはいるがたわやかな感触を感じさせる手が、吉良の手に触れている。
「私じゃダメ…かな?」
吉良はゆっくりと顔をあげしのぶを見た。頭は重いにも関わらず、不思議と意識は鮮明にある。
脳裏によぎるはかつての記憶。
母の自分を呼ぶ声。強い香水の匂い。触れてくる生温かい手。
自分を見つめるしのぶに、保健医の姿も思い出した。あの手は少しでも力を込めたら折れてしまいそうな、細く繊細な手だった。薄っすらと香る花のような香水はいつの間にか彼にも染みついた。とても美しく、冷たい手で。
逆に鈴美の手は細めだが健康的な手で、触れると肌に吸い付く。温かいその手に触れる度、吉良は自分の冷たさを実感した。
「フフ、そうだなぁ…」
吉良がしのぶの右手を握ると、彼女はあからさまに頬を染めた。
彼の右手はゆっくりと彼女の頰へ伸び、かかった髪を耳へとかけさせる。近づく顔に彼女は瞳を閉じた。
「…?」
しかし待てども、唇への感触は来ない。
疑問に思い彼女が目を開けると、吉良は彼女の手を見ていた。
「…吉良くん?」
「おっと、もう時間だったね」
「え、あ…」
背を押され、しのぶは一歩玄関に向かって歩んだ。押された拍子に前に出た手が扉に当たる。
「じゃあ、気をつけてね」
一瞬吉良の瞳の奥に見えた得体の知れない何かはあらず、普通の彼の姿があった。
しのぶは激しく脈打つ心臓に手を当てながら、少しぎこちなくなった笑顔を浮かべ、別れを告げる。
タクシーに乗った途端、一気に顔が赤くなった。
「何で私、こんなにドキドキしてんのよ…!!」
まともに誰かを好きになったことのない彼女はおそらくはじめて、誰かに恋をした。
鼓動の音は家に着くまで、激しく脈打っていた。
対し吉良は客人がいなくなって間もなく、身体の力が抜けたように座り込んだ。
そのまま膝を抱え、重くなっていく意識に身を預ける。
頭の熱も脳の中でぐちゃぐちゃになり、感情も欲望も何もかもが溶けていく。
しのぶには見えなかった存在。吉良が彼女の手を握った時、その後ろにはキラークイーンがいた。
「……気持ち、わるい」
身体中を巡る殺人欲求と気怠さに、吉良はそのまま気を失った。