転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
色付いた紅葉の葉が風に舞う季節。
道沿いをガタンガタン走るは電車。
通勤時間を過ぎた車内は人が疎らだった。
読書に耽る老人やこれからどこかへ出かけるのか、車窓を眺めながら落ち着かない様子で母の手を握る子供。どれも日常の一ページの出来事だ。
平穏そのものの中で喪服を着た男が一人、ぼんやりと広告を眺めている。
そんな男に視線を向ける者がいた。
「…何だい?」
喪服の男は眉間に皺を寄せつつ答える。
ちょうど一つ分空いた右隣にスーツを着た男がいた。ハイライトが仕事を放棄した真っ黒な目である。
「…いえ、喪服を着てたもんで気になって」
「これから少し墓参りに行くからね。そういう川尻くんはまさかまだ就活中かい?」
「一応決まりましたよ」
川尻曰く、どうやら一身上の都合で内定が取り消しになった者がおり、その空きが回ってきたらしい。
妊娠しているしのぶのこともあり、川尻は家族のためにこれから頑張ろうと考えている。
「しのぶから聞いたんですが、休学されてるんですよね?」
「色々あったんだ。色々…ね」
世間の話題にほとんど出なくなった『S一家殺人事件』であるが、吉良の通う大学で「彼が犯人である」────と噂されることはなかった。そもそも彼女がいることすら知らないだろう。
理由としては警察側の捜査で早期に容疑者が片桐の線で決まったことが大きい。もし証拠が見つからず吉良の近辺が調べられれば大学にも手が回る。さすれば『S一家殺人事件』に関わった生徒として、大学内で普通の生活を送ることは難しくなる。
対し鈴美の通う大学では彼女の死が学生の間で大きな衝撃となった。
今は犯人の名前も公表され、指名手配を受けている。この世にいない人間を指名手配するほど愚かなことはない、吉良の心中だ。
「そういえば、川尻くん」
「何ですか?好みの特撮の話ですか?」
「違う。こけしみたいに不気味な顔をして急に変化球を投げるな。しかもデッドボール狙いだろ」
「傷付きました、慰謝料を請求します」
「一万紙幣が描かれたメモ帳でいいかい?」
「もらいます、早く買ってきてください」
「………」
あぁこれは絶対終わらない流れだ、と諦念の目を浮かべた吉良。普通の人間だったらデッドボールの流れでツッコミを入れるというのに、天然なのかボケなのか知らないが川尻は延々にボールを返してくる。
若干楽しそうな気もしなくはないがアレか、友人がいないがゆえに学生同士のふざけたノリに憧れているパターンか?不気味だぞ、川尻浩作。
「それで何ですか、吉良さん」
「…いや、君と前に話していたことについて、少し聞きたくてね」
川尻という男は感情の読みにくい表情や天然の気はあるが、平凡な男である。
普通でありたい異常な吉良にとって、羨ましささえ感じるのだ。
そんな男は
「君、少年ものが好きだろう?」
「好きですね、仮面ライダーとか。しのぶには引かれてますけど」
「そこなんだ」
「しのぶに引かれてるってとこですか?まさか人の妻を奪う気ですか?」
「…違う。寝取る気もない、絶対。「好き」のところだ」
「………すみません、オレにはしのぶがいるので…」
「殴るぞ貴様」
ふざけるのも大概にして欲しい。向こうに悪気がなさげなのがさらに憎たらしい。
吉良の胃が次第に痛んでくる。彼は出現させたキラークイーンをストレス軽減のために自分と川尻の間に座らせた。
川尻は一瞬首を傾げ、キラークイーンがいる場所を見る。
「君は“正義”に憧れている」
まるで川尻の内心を見透かしたような、断定した物言いだ。
「子供だったら、誰しも一度は抱く感情じゃないんですか?」
「子供だったらね。しかし君は成人を迎えた大人だ」
「…別に、いいじゃないですか。それに吉良さんには関係ない話でしょう」
川尻は幼少期、特撮を見ながら手作りのベルトで正義ごっこをするような子供だった。
その頃からすでに目は死んでいたが。
「しかし、君もまぁ飽きないね。成長すればこの世の汚さが見えてくる。それでも純心な気持ちを無くさないのだから、素晴らしいよ」
「…そうでもないですよ」
「そうかい?わたしは正義のヒーローなど憧れたことがないから、君の気持ちはわからないが」
吉良も川尻が少年ものが好きというのは以前電車で話した時に感じており、時折しのぶから彼氏の趣味について愚痴を言われることもあった。
またしのぶは「私を差し置いて人助けすることもあるのよ?」とも語っていた。
平凡な男でありながら、人の視線を気にすることなく動くことができる川尻の内情。
吉良はそんな男の「正義心」に興味を引かれている。自分が持たない感情だからこそ気になるのだろう。
普通の人間が度を越した行動を起こすとしたら、何か然るべきトリガーがあるはずだ。
後天的に獲得する異常性。
吉良が思い浮かべるその最たる例が佐藤である。片桐もまたIQの高さの割に衝動的な行動が多かったため、ソシオパスの類なのかもしれないが、奴について今の吉良はあまり思考を巡らせたくない。
川尻はしばらく黙っていたが、おもむろに口を開いた。
「オレ、昔気になる子がいたんですよ」
⚪︎⚪︎⚪︎
中学時代の淡い恋。
隣の席になった少女は、川尻と同じくクラスであまり目立たない生徒だった。
大学でこそ偶然女たちの目につき黄色い声を上げられていたが、小中時代の川尻はクラスの真ん中の立ち位置だった。
運動が得意なほどモテる風潮で、勉強も運動も平凡だった少年は
かといって、いじめられていたわけでもない。周囲の空気を読み、ただ空虚な時間を過ごしていた。
隣の席のあの子へ特別な感情を抱いたのは、いつ頃だっただろう。
『……ん』
『え?…あぁ、ありがとう』
川尻が落としそのまま忘れ去られていた消しゴムを少女が拾い、机の上に置いた。
それまで喋ることもなく、隣の席の女子に全く意識を向けていなかった川尻はその時初めて、彼女の顔を間近で見た。
黒く長い髪はボサついていて、目元は長い前髪で隠れていた。
真っ黒な光を宿さぬ瞳は自分とそっくりで、どこか陰鬱さを感じさせる。
少年の心はその時、その底知れぬ闇に吸い込まれたのだ。
それから川尻は時折彼女を目で追うようになった。
向こうは彼に………というより他人に興味がないのか、いつも一人で移動していた。
夏でも長袖で、体育も休みがち。ふとした時に袖から覗く細い手首を見て、その下がどうなっているのか気になった。腕や腰も細いのだろうか。胸はあまり期待できなさそうだった。
その感情は思春期の悩ましい感情。性に惑わされ、己の欲望をかき抱く。
自分の手を汚して初めて川尻は、自分が彼女に恋をしているのだと理解した。
そして月日は一日一日と過ぎていく。
席替えがあり、川尻は次に彼女を盗み見ることができる後ろの席になった。授業を受けながら偶に長い髪の隙間から見える頸に視線を奪われる。
川尻はしかし、彼女の
油性ペンで罵詈雑言を書かれた机にも、教科書やノートが破られ散乱していたことも、休み時間にクラスの上位グループの女たちが彼女がトイレに行っている間に大声で悪口を言っていたことも、
口を出せばきっと川尻がいじめの対象になる。
彼女を好きであっても、それは勘弁願いたかった。
そうしてまた、席替えが来た。
隣の席に選ばれたのは密かに想いを寄せる少女。
正しく運命とも感じられる位置取りに、川尻は人目を避け話しかけてみようかと考えた。
チャンスが来たのはある日の放課後。
顧問の都合で部活がいつもより早く終わった川尻は、忘れ物をしていたことに気づき教室へと向かった。
ちなみに運動部であったため、教室へ行くには昇降口を通る。
『…あ』
川尻の想い人が靴箱の場所で立っていた。
いや、立っていたというより、立ち尽くしていたと言うべきか。
前よりさらに伸びた前髪のせいで、瞳の隠れた横顔は表情が窺い知れない。彼女の靴箱には靴がなかった。
さらに彼女はバッグを持っておらず、ブレザーも着ていない。
シャツは血で汚れていないがまるで
その幾重にも重ねられた白い線の痕は、手首の少し下から肘にまで続いている。
滑らかな肌であるはずがギザギザと、或いはボコボコとした見た目である。
凹凸の無いところがない傷痕に、川尻は言葉を失った。
『……!』
二人の瞳がかち合う。目を丸くした少女は下を向き、上履きのまま川尻の横を通り去った。
『あのっ!』
とっさに伸ばした川尻の手が彼女の異様な腕に触れた。
『その、大丈夫ですか?先生に、言ったりとか……』
『………』
少女は無言のまま川尻の腕を振り払う。傷だらけの左腕を胸に押し当てるように隠し、伏せていた顔を上げた。
相変わらず少年と同じ真っ黒な瞳が前髪の隙間から覗く。
とはいっても彼女の瞳は、その途方もない心の闇から来るのだろう。
『…ははっ』
彼女の右手がゆっくりと上がり、少年を指差す。
「偽善者」と呟いた口は恐ろしいほどに冷え切っていた。
『あんたが私のこと見てたの、知ってるんだから』
『え…』
『あれだけ見られたら、気付くに決まってるでしょ』
彼女も初めて川尻が隣の席になった時は気付かなかったが、前の席になって突き刺さる視線に気付くようになった。
その無機質に感じる視線は気味悪くもあったが、「もしかしたら」という期待もあった。
そして隣の席になり、彼女もまた「運命」を感じた。
────この人なら私を、救ってくれるのではないか。
彼女の人生がどういったものであるか語るまでに至らないが、自分の腕を自分で傷物にする程度には、悲惨なものであった。
一縷の希望もない世界に差した光。
少年の視線が感じ慣れた周囲のものとは違うからこそ、希望を抱いた。
そして帰ろうと思った矢先、トイレで散々にいじめられた彼女の前に川尻が現れた。
いつか、いつかこの少年が光をもたらしてくれる。それが
だが川尻は彼女を助けてくれなかった。
“せんせいにたすけをもとめる”
そんなことはもう何度もした。学校の体裁を気にした担任は「なんとかする」の一点張りで動いてくれた試しなど一度もない。
彼女の地雷は、見事に踏み抜かれた。
嘲笑といった視線を受け続けてきた彼女はついぞ川尻の好意を理解できぬまま、狂ったように笑い走っていった。
階段を駆け上がっていく音を聞きながら、川尻は呆然と立ち尽くす。
永遠とも取れるような数分を残して、次に聞こえたのは校庭に響くような声。音の出どころは屋上である。
部活動に励んでいた者も職員室にいた者も中で楽器を鳴らしていた者も、地の底から響くような大声が不思議と耳に入った。
『みんな、みーーんなッ!!!死んでねッッッ!!!!!』
少しの間をおき聞こえたのは「グシャッ」という音。ちょうど川尻のすぐ後ろからだった。
校庭から男女問わず悲鳴が上がる。
ゆっくりと振り向いた川尻の背後には、頭から落ちた影響で首があらぬ方向に曲がり、割れた頭蓋骨から新鮮なピンクの脳味噌を覗かせた彼女の姿があった。
視線は偶然にも川尻の方を向いており、逆さまになった顔の瞳が一瞬だけ瞬いたのち、目を開いたまま動かなくなった。
その事件を学校側は揉み消そうとしたが消せるはずもなく、“いじめによる女子生徒の自殺”という形で非を問われ、世間の冷ややかな視線を浴びせられることとなった。
川尻はその数ヶ月後、親の転勤で引っ越した。
少年の心に残された少女の言葉は、ふとした時に頭の中で再生された。
オレが選択を間違えたから、彼女は飛び降りてしまった────。
周囲の視線など気にせず助けてあげていれば、彼女は死ななかった────。
蝕まれた川尻の心は好きだった特撮からヒントを得て、「正義のヒーローに自分がなる」という形で、罪悪感を無理やり上書きしていった。
そうでもしなければ心が耐えられなかった。
脳が早期に防衛反応を起こした結果、川尻は早くに立ち直り、高校生活を送ることができた。
────みんな、みーーんなッ!!!死んでねッッッ!!!!!
しかし呪いの言葉はどれだけの時が過ぎようと、川尻の頭から消えることはなかったのである。
⚪︎⚪︎⚪︎
「あんまり、面白くない話でしょう?」
川尻はいつもの何を考えているかわからない顔で、吉良に自分の過去を話した。
吉良は少し口角をあげながら、「へぇ」と呟く。
こうして川尻が話したことさえ、重苦しい過去を
佐藤の件然り、罪悪感とは人間の心を容易く壊す。
恋心とは違い絶対にわかることのない感情。それに行き着いた吉良は、結果を得られて満足そうである。
「そう言えば吉良さん」
「何だい川尻くん」
「オレってやっぱり、「普通」な人間にしかなれないんですかね?」
「随分と面白いことを聞くね」
川尻は普通な男だ。天然の気があり、学生でありながら彼女を孕ませてしまったという「おいおい、息子元気すぎだろ」というところもあるが、普通の、なんの取り柄もない男である。しかし────、
「君は結構、
「異常」に片足を突っ込んでいる川尻は、歪み方次第で「普通」を脱することができる。
その生き方は吉良からしてみれば、愚かとしか思えない。
「君は今のままで十分だよ。どうぞ末長くしのぶくんと幸せになって子供を儲けてリア充爆死しろ」
「すみません、なんか先に幸せになっちゃって」
「……あぁ、そうだね」
黙った吉良に川尻が横で首を傾げる中、駅に止まるアナウンスが鳴る。
「あ、吉良さん」
乗り換えのため立ち上がった吉良に慌てて声をかける川尻。
「その…吉良さんも鈴美さんとお幸せになってくださいね」
まさか鈴美が『S一家殺人事件』の被害者になっているとは知らない川尻は柔らかい表情を浮かべた。
吉良は少し微笑み────しかしゾッとするほど冷たい色を紫目の奥に残して、閉まった扉の先に消えていった。
◻︎◻︎◻︎
訪れたのはM県から少し離れたA県。時刻はお昼時である。
免許があるので車を使えばいいのだが、眠気が伴う薬を飲んでいるため移動に時間がかかる場合は専ら電車を使っている。
警察から伺っていた彼女の父方の祖父母を一度訪ねてから、一家の墓がある場所へと向かった。
目的の家に着き、書かれていたのは「杉本」の標識。自分から来ておいてなんだが、追い返されると思っていた。
何せ生き残ったのはぼくだけで、犯人は未だ行方不明。剰えぼくが犯人かもしれないと噂されていたほどだ。
だが心配は杞憂に終わった。
流石彼女の縁者と言うべきか、おおらかで優しい人たちであった。
元々鈴美の両親が駆け落ち同然で家を出て以来繋がりがなかったそうだが、彼女が生まれたのを機に関係が回復したそうだ。
時折鈴美が恥ずかしげに語っていた両親の若い頃の武勇伝が懐かしく感じられる。
「ふふ…れいちゃんにも、こんなに格好いい彼氏がいたなんてねぇ」
「俺はまだ認めたわけじゃないぞ…」
祖父は彼女の父と似ているのか、孫の彼氏を認めていないらしい。
「お墓は海沿いの方にあるの。口で説明してもいいけど一緒に行きましょうか?」
「いえ、一人で行かせてください…すみません」
「いいのよ、ゆっくり顔を見せに行ってあげてちょうだい。それと、あとね…」
祖母から渡されたのは小さな箱。それが自分が彼女にあげた物であるとわかり、顔を上げる。
「私たちが持っていても仕方ないでしょうから」
鈴美の遺品……ということになる。それと紙袋に入った日記や写真などいくつかいただいた。
彼女と付き合っていたとはいえ、彼らにとってぼくは赤の他人に過ぎない。
向こうの思考がわからず紙袋を持ったまま、段々地面が揺れて身体が浮遊するような感覚を覚えつつ、祖母の言葉に耳を傾ける。後ろに傾いた体を革靴を一歩後ろに出して食い止めた。
心配の色が彼らに浮かぶ。手を前に出し、「心配しなくていい」と告げた。
「…思い出はね、いつも心にあるのよ」
祖母は続ける。
「そしてね、地面と心をしっかりと結びつけてくれるの。…あまり無理をなさらないでね」
「……はい」
あぁ、やはり皺はあれど、笑った時の柔らかさが鈴美に似ている。
祖母は話を終えると、小さく泣き出した。息子とその嫁、そして孫を亡くしているのだから当然の反応か。
むしろわたしが来ていたからこそ平然とした態度を崩さなかった。こちらの気持ちを慮って、感情を抑えていたのだ。
優しくて、甘い人間たちだ。
どうにもわたしには、彼らの感情を理解することができない。
その後公共機関と徒歩を使って、海に近い霊園に辿り着いた。
かなり広めで少々迷ったが、無事に彼女の名前がある「杉本家之墓」と書かれた墓石を見つけた。
入院していた都合上葬式などに関わることが出来なかったため、正直本当に鈴美が死んだのか信じられないこともあった。何せ遺体を見ていないのだ。
だがこうして彼女の眠る墓を前にすると、本当に死んだのだと理解させられる。
買っておいた花を生けようと思ったが、すでに新しい花があったため横に置いた。
そして線香を置き、手を合わせて黙祷する。
そういえば我が家の墓も暫く行けていないせいで草が生えてるだろうな。時間のある時に手入れをしに行かなければ。
「そろそろ戻るか…」
今はまだ昼だが、帰宅する頃にはかなり遅くなっているだろう。
立ち上がった時、不意にキラークイーンが現れる。時折人の意思に反して出てくるのは、気まぐれな猫の特徴とでもいうのか…。時と場は弁えているようだが。
「キラークイーン、どうした」
『………』
墓をじっと見つめても彼女はいない。あるのは骨壷に収められた骨だけだ。
「それは
『………?』
ぼくの言っていることがわからないのか、こちらを見て首を傾げる。
時間のこともあり歩き出せば、引っ張られるようにしてキラークイーンも付いてきた。
美しい手も腐ればそれはただの肉塊で、彼女の遺体が燃やされ残った骨は鈴美ではない。
自分の歪さはわかっている。しかしどうしようもないのだ。
「帰ろう」
ぼくの言葉に相棒は『ニャー』と鳴いた。
帰ってきたのはちょうど帰宅ラッシュな時間帯。
電車でリーマンたちに押され死にかけながら着いた。別に今に始まったことじゃないが、入院のせいでかなり体力がない。元々スタミナが人より少ないんだ。
その後車で自宅に帰り、留守番をしていた父を無視し夕食、風呂、その他日頃の日課を済ませる。
休学期間中の矢の行方の捜索など、今後の予定を軽く考えながら自室に入る。ちなみに休学は春まで取る気でいる。一応捜索はその期間のみだ。
警察で押収されたならすぐに見つけられるが、最悪人伝に渡って捜索の難易度がハネ上がっている可能性もある。あくまで自分の生活に支障をきたさない程度だ。
しかしそうなると就活との両立が難しい…というより、休学した理由が理由だ。事件に巻き込まれ、さらに犯人かもしれないと噂された人間を採用するとは思えない。
まぁ職のアプローチの仕方は多様にある。追々考えていこう。
「……」
ふと視線を机に向けた時、置きっぱなしにしていた紙袋を思い出した。
写真は彼女の姿がはっきり残っており見る気にはなれず、かといって日記もその人物の感情を強く残しているためやはり見れない。
唯一手に取れたのは指輪だ。血で汚れていたが綺麗になっており、紅い色が彼女の瞳の色を思い出させる。
「……?」
不意に指輪を持っていた右の甲に何か落ちた。
頰を拭えば濡れた感触があり、自分が泣いているのだとわかった。
まさか、両親が亡くなった時も涙一つ出なかったというのに。
「……本当に、いないんだね、本当に…」
残されたのは形見ばかり。
君がいない日常が始まり、ぼくはいつか埋めてもらった分を欠けさせて、この感情に折り合いをつけてしまうのだろうか。
「普通」を求めて、自身の欲望に狂おしい感情を抱きながらも。
ただ今は、ひとりでこの感情に溺れていたかった。