転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
『君はいったい誰だい?』
毎日行われる、その行為。
次第に泉が自分の存在をあやふやに感じ始めた中、事件は起きた。
「よ、吉影さんッ……!?」
吉良に家にいることを強要されていた泉は、どうしても外せない仕事の都合で数日家を空けた。
その間逃げる手もあった。しかし帰らなかった場合に後で何をされるかわからない恐怖と、壊れた状態の男を放っておけないという罪悪感や擁護感から、彼女は吉良邸に戻った。
この時点ですでに洗脳が進んでいたのは言うまでもない。
そして戻って来た時に泉が見たのは、執筆部屋で倒れていた吉良の姿だった。
彼女の脳内で、ミステリーもののドラマによく流れる『テレテテッ、テレテテッ、テーテー』な音楽が流れた。
大方原因がわかっていた彼女は、慌てて救急車を呼んだ。
これを耳にした担当医が「またか…」と頭を押さえのは余談である。
◻︎◻︎◻︎
────ピチョ、ピチョン。
「うっ…」
水滴の音で意識が覚醒した。頭痛のする頭を起こそうとしたが、体が異様に重い。
瞳を開ければ、視界に広がったのは白い天井。横には無地のカーテンが開いていて、差し込む日の光が目に刺さる。
「あぁ……」
鈍く動く頭がようやく、病院か、と結論を出した。
それにしても、どうしてぼくはここにいるんだったか。
確か仕事の途中で立ち上がった瞬間、意識が急に暗転したことは覚えている。
病室のサイドテーブルにある日付機能つきの時計は7月を示している。時刻はちょうどお昼過ぎだ。
腕に付けられている点滴の管を手で乱雑に抜き、ふらつく体に鞭打って立とうとする。
だが吐き気が襲って、慌てて床に蹲った。
「わたしは………あぁ、そうだ。倒れたんだ」
鈴美が……じゃない、泉くんが鈴美に見え出してから約一週間。
食事がマトモに取れなくなり、身体に限界が来た。
そして午前中、喉が渇き台所に向かおうとしたところでぶっ倒れた。
彼女が救急車を呼んだか、親父が呼んだのだろう。
ジョースター氏ではないと願いたい。
「ハァ……今度会った時何か言われるだろうな…」
数日前にジョースター氏と会った時は体調不良を見抜かれ、医者に行くよう強く勧められた。
微笑みながら相手に圧をかける様は、流石不動産王の地位を築いた男だと思わせる。
そうこう考えていれば、病室の扉が開いた。
「あっ、吉影さん起きたんですね!!」
その顔を見て収まってきた気持ち悪さが一気にぶり返し、盛大にえづいた。
失態を避けるため、慌てて室内にある個室トイレに駆け込む。
「だっ、大丈夫ですか!?」
よく見ろ、現在進行形で吐いているのに大丈夫もクソもないだろ。
心配してくれるのはありがたいが、背中をさするその手の感触も、熱も、声も、やはり
しかし視界に入るのはやはり鈴美で、自分の中にある矛盾とそれに伴う様々な感情がごちゃ混ぜになる。
「れいみ……?」
縋るようにその手を握った。鈴美のものじゃない、美しい女の手。この手は誰の手だ?
彼女の姿をした誰かの顔が、泣きそうに歪んでいる。何故泣きそうなのだろう。
一週間前から彼女はほぼ毎日家にいさせている。それに伴う用品は粗方購入した。
出版社側はこちらの要求に応えざるを得ない。ご機嫌取りは大切だと理解しているのだ。
だが仕事の都合上、会社に行かなければならない時もある。
鈴美を送り出して、殺されては大変だからと後をつけようとした。
しかしちょうどいいタイミングで散歩しに来たジョースター氏と出くわし、追えなくなった。
鈴美がいる生活は幸福だった。
だが、どこまでも満たされなかった。
殺してしまおうと何度も思ったが、キラークイーンはわたしに無機質な目を向けるばかりで、動いてはくれなかった。
ならばと、眠る彼女を包丁で手だけ切り取って殺そうとした。
けれど眠るその顔は泉くんじゃなくて鈴美で、鈴美、鈴美だったから、その後はずっとトイレで吐いていた。
我ながら、よく栄養失調で死ななかったと思う。
一日で異常に伸びる爪を切るわたしを、彼女は不思議そうに眺めていた。
そりゃあ毎日爪を切る人間など、まずいないだろう。
「吉影、さん…」
「………」
人格を壊す方法はやり方を知っていればさほど難しいことではない。
洗脳の方法については前に読んだ本の知識で知っていた。
もちろん人によって洗脳されやすい・されにくいの差異はある。
それで言うと泉くんはかかりやす過ぎるタイプだった。だからこそ、初心者のわたしでも成功したんだ。
まぁ、完全に洗脳できたわけじゃないだろうが。
何ともまぁ、思考回路が吹っ飛んだものだ。
彼女が数日いなくなってくれたからこそ、いくらか頭が直ってくれた。
その分混乱を起こした脳が最悪の状態で身体に出ているが。
どうすべきだ。このままだと確実に彼女を殺すぞ。
本当に面倒ごとしか持ち込まない女だ。絶対に殺────担当を変えてやる。
綺麗な手が去るのに惜しい気持ちはあるものの、仕方ない。
死にかけの虫みたいな息をしながら、彼女を視界に入れないよう気をつけつつ名を呼ぶ。
「泉飛鳥」
「泉?………あっ、はい!」
「…大声で返すな、うるさい」
「ご、ごめんなさい…」
一瞬自分が呼ばれたことに気づかなかったが、まぁ大丈夫だろう。
「君、ドラえもんに頼んだのかは知らないが、何かやっただろ」
「何か?……私は何もしてませんけど」
「そうだね、
「………あの、吉影さん」
「やめろ、本気で頭がおかしくなってるんだ。「先生」と呼べ」
離そうとした手を、彼女は握り返してくる。
とっさに顔を見ようとして、寸前で止めた。目前には平たい胸がある。
舗装された道のようだ──と思ったところで、容赦なく腕をつねられた。
夢も希望もない貧相なそれに、彼女自身はコンプレックスなようである。どうでもいい話だが。
「犯行動機はなんだい?」
「私……先生にもっと好かれたくて、それで…」
「なるほどね、それでやってしまったと」
「………あの、私が誰か殺したみたいな流れにするのやめてもらっていいですか?」
「第一発見者が犯人ってのはよくある話だろ」
「つまり先生は私に殺されたんですか…?」
「ダイイング・メッセージに書いてあったろ、『いずみあs…』って」
「いや、生き返ってるんですからその時点でミステリーじゃあなく、ファンタジーとかになりますよね?あとダイイング・メッセージが、完全に血文字じゃない変換のされ方してますよね??」
「作中死んだはずのキャラが実は生きてました…なんて展開ほど、興醒めするものはないよね」
いつもの調子を取り戻せてきたところで、泉くんの内面に切り込んでいく。
こちらの雰囲気を変えて問いただせば、彼女は重い口を開いた。
「……なるほど。妹を手放したくないから、わたしを利用しようとしたわけだね」
「…ごめんなさい」
「謝るなよ泉くん。謝ったら許されると思っているなんて、君の脳は小学生か何かか?わたしはこれでも人の気持ちを踏み躙られてとても怒っていてね。殺そうと、殺してやりたいと思っている」
歯を噛み締めながら彼女に殺気を向ければ、それだけで膝から崩れ落ち震える。
かわいそうに鈴美、どうしてそんなに怖がっているんだ。
「まぁ、犯罪になるから殺さないけれどね。誰だって人を殺したいと思うことはある。それは君だって、わたしだって。もっと賢く生きた方がいいよ。地雷原は人間の足元にいくつもある。死ななかったことを「幸福」に思って生きるといい。そしてそんな君は、勿論人の「幸福」を考えて生きろよ。失敗を教訓に出来ないなんて愚かな人間がすることだからね。これにはわたしの普通に生きたいという「幸福」も当てはまるし、君の妹の「幸福」も当てはまる。それが出来ないのなら、道路に転がる畜生の死体のように邪魔な存在であるのなら────、
────死ね」
冷静に考えたら、この女のためにわたしが手を汚す必要なんてないだろ。
あの保険医にだってくれてやらなかった処刑人の役だ。
本当に、本当に嫌になる。他人の思考に振り回されて、わたしの平穏が遠のいたんだ。
「まぁ、君が死んだら泣いてあげるくらいはしてやるさ。だって君はわたしの編集だからね」
「………っ、せんせ」
「何だい?」
「ごめん、なさい……」
謝るなと言ったんだが、どうして謝るんだ?人の話を聞いていなかったのか?人が話している時はきちんと聞くようにって教わらなかったのか?
あぁ、そうだったよね。君の両親は死んでいるんだったよね。
「ごめんね、せんせ」
少し訛った声で話し、わたしの頰に触れてくる女の手。その体温が異様に熱く感じられて、気持ち悪かった。
人の顔を見て、泣きそうになる彼女。意味がわからない。
「せんせのこと、傷つけて」
────それは同情と、憐れみと、悲哀が混ざった瞳だった。
今更人を利用したことを悔いて、挙句に壊したことに罪悪感を抱いているのだろうか?
利用するなら最後まで上手く立ち回ればいいものを。その技量は恐らくあったはずだ。なのに中途半端に絆されているから、ボロを溢した。
愚かな女だ。今までの女たちと何も変わらない。
この渇きは満たされない、満たしてくれる人間もいない。
そして彼女に歩み寄ろうとしたわたしも、愚かだった。
人はそう簡単に変わることはできない。いや、わたしの場合
だがそれでも殺人欲求と美しい手への執着を抱え、「普通」に生きていこうじゃないか。
「せんせ、せんせッ……しっかりしてや…!」
「…ハァ?急に何言ってるんだ、君」
伏せているわたしの顔に、芯を持つ白い手が目尻に触れてくる。
ひどく熱い手に、視界が歪んで何も見えなくなった。
「………あれ、ぼく泣いてるのか?」
直後、強く抱きしめられた。
まるで崖から落とそうとした我が子の愛らしさに気づき、慌てて掴んで引き戻す獅子のような。
まぁ奴らは四足歩行だから人間のように器用に手を使えないので、この例えはいささか不正解である。
でも誰かに掴んでもらわなければ、今にも自分の中の何かが崖へと真っ逆さまに落ちていきそうだった。
落ちないように必死に掴み返すことしかできない。
遠慮のない力で肩を掴まれた泉くんは、小さく呻いていた。
君が救いの「手」になったら、ぼくは救われたのに。
⚪︎⚪︎⚪︎
サマーシーズンに入ってから少し経った頃、辻彩の店に二人の客が来た。
一人は黒髪の眼鏡をかけた痩身の男と、以前来店した顔の変わらなかったイレギュラーな女性客である。
女の方は帽子とサングラスに、マスクという顔全体を隠す格好をしており、彩はリップの「30分」を破ったのかと思った。
しかし装飾を外した彼女の顔は崩れておらず、綺麗なままだ。
一方男の方はそんな彼女から視線を外している先で、何故か彩の手をガン見していた。
「あの、突然で申し訳ないんですけど、顔の方を戻すことってできますか?」
「……できるけど、それは何故?「幸福」を手に入れられなかったわけじゃないでしょう?」
仮にもしルールを破り顔が崩れた場合は、彩は客の自業自得と考え、相当なことがなければ元の顔に戻すことはない。
だが今回の場合、ルールをしっかり守った上での客の願いだ。
何か理由があるのなら、聞いた上で戻すか判断する。
ただメイクの条件が特殊であったため、彩が理解し損ねた不具合が起きていた可能性もある。
「幸福にはなれました、何せ
「フゥー…なるほど、だから要求も少し特殊だったわけね」
「……すみません」
「気分は良くないけれど、まぁいいわ。人は幸せを求める生き物ですからね。一つ聞きたいのだけど、あなたは私のメイクを利用して、その本当の幸せを手に入れることはできたのかしら?」
女はそれに愚直なほど真っ直ぐに「いいえ」と言った。
これには彩もポカンとし、ついに堪えきれなくなるように笑い出す。
「フフ、フフフフッ………!!せっかく私が顔を戻す理由を探しているのに、よくもまぁ簡単に台無しにしてくれるわね。そこは普通嘘でも「はい」というものじゃない?でも気に入ったわ、あなた。バカ正直な女ほど、かわいいものはないのよ」
「それって…オッケーてことですか?」
「あら、「いいえ」って言って欲しい?」
「え、えぇ…?いや、お願いします」
「わかったわ。じゃあ鏡の前に座ってちょうだい。あ、でもお代はちゃんといただくわよ?」
それに頷いた女を見て、彩は瞳を閉じるよう促す。次に店内にいる男の方を向いた。
相変わらず刺さるような視線は、彼女の手に向いている。じっとりとした気味の悪さを感じ、彩は背を震わせた。
「あの…お連れの方で悪いのだけれど、外で待っていてくださる?メイク術は企業秘密なの」
「………」
「聞いてらっしゃる?」
「…ん?あぁ、すまない。貴女がとても綺麗だったから、つい」
地味な雰囲気と陰のある顔とは別に、微笑む男の姿は何とも様になっている。うっかり彼女でも心を掴まれかけたが、先ほどの視線もありすぐに意識を改めた。
男が綺麗、と称したのは彩自身ではない。彼女の「手」に向けて言ったものだ。
例えようのない恐怖感を内心隠す辻彩を見て、男は軽く頭を下げ外に出た。
彼女は恐る恐る瞳を閉じている女に尋ねる。あの彼氏はいったい何なのか────と。
それに女は瞳を開け、少し視線を彷徨わせたのち口を開いた。
「医者に一週間入院させられて、挙げ句に精神病院送りになりかけた人です」
彼女の一言に、彩はまたポカンとした。
【入院中】
もう長年の付き合いになる担当医を前にして、吉良の目は死んでいた。
なに、会話の中で彼の精神異常を見抜かれ、ちょっと入院が長引くことになっただけである。
「今回は本気で精神病院に紹介状を書くからね。わかってるよね、君?」
「……空が青いなぁ」
「そこには白い天井しかないけどね。日本は外国と違って入院日数が長い傾向にあるから、覚悟しといてよ」
「………」
現実逃避を行う吉良は数秒後、SPW財団と関わりのある『ジョセえもん』の存在を思い出し、ホテル経由で彼に繋いで地獄を見ずに済んだそうな。