転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
日本語訳では斯様な歌詞になるメロディーが車内に流れる。これは一人の殺人鬼が、朝日に照らされた一人のネジの外れた女の微笑みを見て、「美しい」と感じた話。
そして、自身が抱いた感情の正体を自覚した世界線の可能性である。
身代金目的で未成年を誘拐した罪で、刑務所に服役していた佐藤
数年後、出所した彼女の元に現れたのは愛する弟──ではなく、ブランドもののスーツを身に纏った、かつて彼女が誘拐した相手だった。
社会人となった男は黒髪から金髪に戻し、スーツと同じ色の瞳が彼女を捉えている。
そのケモノの如き紫目の奥に宿るのは、思ったよりも凪いだ色だった。
まぁ薄々、あの崖の上で少年に「好きです」と伝えられ、生きてほしいと説得されたので、来る可能性があるとは思っていた。
佐藤はどう切り出せばいいか悩み、ひとまずいつものテンションで行くことにした。
『シャン!』『スタッ』『グゥゥン』『バァ────ン』のディオ手順を踏み、ムショから娑婆に降り立った女。
「君は吉良吉影だね?」
だがしかし、その台詞は
男は佐藤の言葉を無視し、その手を引くとさっさと駐車場に連れて行った。そして女を助手席に乗せ、運転を始める。
助手席の位置は右側だ。外車である。
「ねぇほら、久しぶりの再会なんだし〜先生とお話ししようよ、ねっ?」
「懲役に処された時点で、養護教諭の免許は失効してるだろ」
「おぉ、詳しいね!さっすが吉良くん!」
「褒められてるのに、貶されてる気しかしないな」
そうだ。このふざけた感じのやり取りこそ自分と彼の間柄だと、佐藤は大袈裟に頷く。
だがすぐに沈黙が訪れる。
気まずさに彼女が視線を外の景色から運転席に移すと、男の横顔が見えた。
学生時代に
前髪と眼鏡で秘されていた瞳は、今や晒し放題だ。
「ほーんと……キレイな顔」
他の女たちはこの容姿を普通に拝めていたのかと思うと、彼女の中で黒い感情が生まれる。
「何だい。不機嫌そうな顔をして」
「別に、嫉妬なんてしてませんけどぉ?」
「…あぁ、わたしの見た目か。社内ではそれなりにモテているとは思うよ」
「うわぁ、ソレ自分で言うの?アッキー引いちゃう」
「そんなわたしがあなたは好きなんだろ?」
「えぇ、そうね。好きよ」
佐藤の喉元からスルリと出た言葉に嘘はない。
数年経っても変わることはなく、むしろ時が経つほどに恋焦がれた。またあの青年に会いたいと。彼女自身の手で乱して、乱された相手に。
まぁそれ以外で、生きるために縋るものがなかったと言えようか。
他の女受刑者がいる中で、その美しさから嫉妬された佐藤は、中々に壮絶な目に遭った。
トイレに顔を突っ込まされたり、虫を食事に……なんてことはしょっちゅうだった。
同部屋の女たちはその後、暴力沙汰を起こして厳重に罰せられた。
どうやらいじめていた仲間内で揉め事になり、争いになったようである。
唯一無関係だった彼女だけ罰を免れた。
もちろん、意図的に同部屋の女たちの陰口をそれとなく周囲に流させ、暴行沙汰になるよう仕組んだのは佐藤の仕業である。
人心掌握に長けた彼女は、誘拐事件にもその手腕を発揮した。
そのため疑われてべきだったが、彼女が「いじめられた」立場であったことと、精神的に憔悴していた様子。そして何より疑われることなく騙し通すことのできる技量から、周囲の目を欺いた。
もし佐藤が女優になっていたなら、天職でだっただろう。もしくは詐欺師か。
「相変わらずあなたは、死にたがりのようだね」
「死にたがり?私はいつだって前向きに生きてるわ」
「地平線に向かって走るくらいか」
「えぇ。でも今は恋の逃避行中みたい」
このまま向かう先は、男の自宅だろう。
スーツを着ていたので、てっきり仕事の合間に来たのかとも考えたが、今日は休暇を取ったらしい。
スーツは仕事着で、着てきたのは単純に気分から。そういう気まぐれなところが
して、高速道路を乗り継ぎ、車窓を眺めること一時間と少し。
男の家に着いた彼女は、外から開けてもらった扉から降りた。
このムーブを佐藤に求めたのは向こうである。吉良は細い手を見つめ、小さく息をこぼした。
何気に彼女と会ってから変わらなかった表情筋が動いた瞬間だ。
「今、
「あぁ、そうだが?しかし殺す気はないから、安心し給えよ」
「うーん…そっかぁ」
少々残念な気持ちになりながら、佐藤は屋敷へと足を踏み入れた。
「靴が吉良くんの分しかないみたいだけど、ご両親はもう亡くなったのね」
「わたしが大学四年の時に、二人とも亡くなったよ」
「ふーん。君のしがらみは無くなったんだ」
「しがらみ、か」
居間の中を、外から差し込む光がぼんやりと照らしている。
障子に遮られ一部光の当たらぬ場所に、吉良は佐藤を手繰り寄せた。
「美しいね、相変わらず。ここまで耐えたわたしが素晴らしいよ、本当」
「私に言ってないわね?」
「フフフ、フフ…………舐めていいですか?」
「えっ、嫌」
何故再会して早々、舐められなければならないのだ。
いやまぁ、別に構わないのだが。
佐藤の
それはけして、自己犠牲ではない。もっと別の問題だ。
彼女の根幹にある“自己”は極端に薄い。
病的な嘘つきであるのも、彼女の意思そのものがフラフラと彷徨っているからだ。
己という存在が何者なのか、佐藤は三十路を過ぎた今でもよくわかっていない。
佐藤安希恵とはいったい、何なのだろう。
何のために生まれて、今こうして生きているのだろう。
「まぁ、キスぐらいならいいけれ……」
彼女の言葉が終わる前に、可愛らしいリップ音がした。吉良は白くしなやかな手を堪能していく。
見目の良い男が跪き取るその行動は、まるで姫に誓いを捧げる従者のようでもあった。
倒錯的な光景に、思わず佐藤は視線を逸らす。
直視できないほどに相手の興奮が見て取れて、少々気恥ずかしくなってしまった。異性との接触がそもそも久しぶりだ。
こそばゆさに身じろぎすると、逃さんとばかりに腕ごと絡み取られる。両者の息はすでに荒かった。
異常な空気が、部屋を支配している。
ドロついて、ムワッと匂い立つような、そんな狂気でできた蛇の交尾のような情景。
「え」
吉良がかしずいている中、不意に彼のスーツ裏の胸ポケットから何かが落ちた。
ゴロンと、転がった物体。数滴の畳を染めた紅い液体が、彼女の目を引く。額から流れた冷や汗を拭ったのは、男の伸ばした手だった。
吉良は落ちた物体に視線を移し、もう片方の手でそれを撫でながら、艶めいた表情で笑う。
「君もかわいらしいよ。やだな、ぼくに嫉妬したのかい?浮気をして悪かったよ、でも彼女の手の方が君より綺麗で、美しいんだ」
────だから、
直後、青白い女の手らしきものは、跡形もなく消えた。
目を白黒させる佐藤に、吉良は視線を戻す。震えた彼女の唇から、押し殺すような息が漏れた。
「……君は、何を」
「わたしが、なんですか?」
「………ダメ、だったのね。君は……そうか」
しかして佐藤が震える理由は、恐怖ではない。
ならば自分が吉良を堕とした原因になったことを後悔している?──いや、それも違う。
過激なまでに
そして堕ちてしまった男がこの上なく、
「初めて殺したのは、誰だったの?……いえ、予想はできているけど」
「あなたの弟だ。鈴美が奴に殺されてね、抑えが効かなくなった。初めては手の美しい女がよかったが…」
「……そう、やっぱりそうなのね。アンジェロくんが亡くなったのは悲しいけど……あぁ、でも今この時、あなたのその瞳が見られたのなら、いいのかもしれない。彼の犠牲が、今の君を生んだのなら、喜ばしいことなのかも…しれないのかな?」
『S一家殺人事件』は今から数年前、吉良が大学四年の時に起こった。
その一件で杉本鈴美は死に、彼の依存先がなくなった。
佐藤はだからこそ、自分が
もちろん、“代わり”の自分が一番にはなれないだろう、とも。
ちなみに事件については、刑務所にいた頃ニュースのテレビを見て知った。
吉良が自身を「好きだ」と言った時、相手が恋愛感情を理解できたのだと察した。
ならば杉本鈴美を愛することも予想できた。また出所した弟が、自身が捕まったことを知り、何かしら行動に移すことも。
しかし流石に杉本鈴美を含め、一家を全員殺してしまうとは思わなかった。
恐らく吉良も同様に狙われたのだろう。…いや、むしろメインは吉良で、杉本鈴美の方がオマケか。
心理学を学んだ佐藤でも、片桐安十郎という男の内側を完全に理解することはできなかった。
「何か、勘違いしているようだが」
「…うん?」
「わたしがあなたを鈴美の代わりにしようと考えているとでも、思っているのだろう」
「………違うの?」
ならやはり、佐藤は殺されるのだろうか。ついと彼女は、手首だけになった自分を愛でる男の姿を想像した。
「鈴美の代わりにあなたがなることはないし、逆を言えば、あなたの代わりに鈴美がなることもあり得ないんだよ」
そして、吉良は乾いた笑みをこぼす。彼女の手に釘付けだった視線を、佐藤の瞳に向けて言う。
「ぼくは、「普通」に生きたいだけなんだ」
だが、もう
人を殺す快楽を、冷たく美しい
もう誰かを殺さずには生きられない。
誰かを不幸にすることでしか、彼は生きられない。
そしてその中に「罪悪感」など一切なく、ただただあるのは、「普通」に、平穏に生きたい感情のみだ。
既に
「ぼくは、どうすればいいんだろうね、保健医。……あぁ、もう「保健医」じゃあないんだった」
「………」
佐藤の手に頬擦りし、微笑みながら静かに涙を流す男は、壊れていた。
元より壊れていたが、完全に精神の方がボロボロになっていた。
自身の矛盾した生き方。「平穏」と「殺人欲求」の狭間で、その心は長年雨風に晒された錆びた鉄の如く、腐食している。
きっとそこには、依存先にしていた杉本鈴美を失った影響も強くあるのだろう。
「貴様は
「……断ったら、殺してくれそうね」
「なら、死ぬよりももっと悍ましい生き方を、強要させてもいい」
「………そうね」
佐藤は、吉良の頰に手を伸ばした。随分と冷たい体温はそのままで、以前よりもさらに頰が痩けた。まだ二十代だというのに、彼女と同年代に見えるかもしれない。
「これじゃあどちらが悪魔か、わからないわね」
リリスは微笑んだ。さながら、あの時────朝焼けの元で浮かべたものと同じように。
美しいその姿に、吉良はゆっくりと口元に顔を近づけた。
相変わらず口紅を付けない唇は、妙に甘かった。
「She's a Killer Queen.」と出たならば、訂正箇所がある。
「She」を「He」に直すべきだ。