転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
『』の中はそのままイタリア語で、「」の中は英語or日本語と思ってください。あと翻訳頼りなので多分誤字ってます。
また何か書きたくなったら出すと思います。では、ドゾ。
両親が国内外を問わず頻繁に旅行に行っていたのに対し、わたしは基本的に出かけない。
最たる理由は、自分のテリトリーから出たくないためだ。
また自分の物でない枕や、ベッドで寝ることに大きなストレスを抱く。その上、長時間観光名所をめぐる中で歩くことも疲れる。
原稿用紙を相手に仕事をしなければならない以上、現地取材などは逃れられないのだが。
しかし取材は国内にしか行ったことがない。海外は数える程度だ。それも子どもの頃、両親に連れられて、というもの。
作家になってからそれなりの月日が経ち、決まった渡航。
行くことになった理由は複数ある。
一つは、編集者から持ち出された話。
元々能動的に自分が書きたい、と思うことが少ない性分のため、基本的に編集者から編集部の意向で決まったテーマに沿ったものを書いてほしい、と頼まれることが多い。
その時の流行りやターゲット層によって色々と注文は変わるが、どれも恋愛ものが多い。
流石にコテコテの、少女漫画のような内容を求められた場合は断る。が、余程でない限りは話を呑むことが多い。
そして編集者が今回持ち出したのが、純愛ものだった。イメージとしては『休日のローマ』である。
学生時代、鈴美がテレビでその映画を観たとかで、押し切られる形で彼女を自転車の荷台に乗せ、坂道を下った思い出はある。
二人分の重さを乗せた暴走車輪は、それは面白いようにスピードをのせた。しかし映画自体は観たことがなかったため、一度ビデオを貸りて見た。
確かに男と女がスクーターでニケツしていた。なんなら女が男を後ろに乗せているシーンもあった。
二つ目はオヤジだ。
わたしとは違い、アウトドア派だった父。もう長年旅行していないこともあり、映画を共に観ていたオヤジは久々に出かけたがった。
編集部の求めるものが、出会った二人が付き添った末に最後は別れる純愛ものとくるなら、別に設定地が海外でなくともいいだろう。
わたしも英語は父の影響でそれなりにわかるが、そこまで流暢に話せるわけではない。
【ここに適任の通訳がおるだろう、吉影!】
話を逸らそうにも父の付いた旅行魂は中々鎮火せず、最終的に『モナ・リザ』の件を持ち出されたわたしが折れた。
父がわたしの思春期のエピソードを知っているわけではない。
だが息子の部屋に絵が飾ってあったことを思い出し、わたしの
予定としては新作の構想も兼ねて、最初は『ローマの休日』をなぞらえて現地を観光する。
その後は、『モナ・リザ』が展示されているルーブル美術館に向かう。
現物ははじめてだ。公衆の中で精神的に危ない状態になりそうな気しかない。
その直後キレイな女の手を見つけたら本当にまずい。しかしそれ以上に本物のあの、美しい手を、この目で拝みたい。
一度付いた火は旅行魂を燃やすオヤジと同じで、自分でも消せなかった。
世界最大級の美術館の、世界的に有名な作品。来館者は多く、鑑賞できる時間も限られている。
それでも一見の価値がある。
「……やはりダメかもしれない」
画集でも気が狂ったんだ。本物は無理だ。自分の厄介な性癖を存分に体験してきたからこそ、余計に。
正気を失うとわかっていることもあり、かつて何度かよぎった「本物を見たい」という感情を押し殺してきたんだ。
それを、それを…………。
「だが行こう」
ぼくは負けた、己の欲望に。
◻︎◻︎◻︎
イタリア、ローマ。
首都ということもあり、人通りが多い。
空港に着き、移動してホテルにチェックインを済ませて、二週間程度は観光名所をめぐる。
持参したミケランジェロの画集を持ち歩いてしまう辺り、完全に脳が『モナ・リザ』に侵食されている。
親に連れられて付き合った国内旅行も、学生時代に行った遠足や修学旅行も、その前日に気持ちが昂って眠れなくなったことなどない。むしろ面倒だとしか思っていなかった。
今回はしかし、すでに浮き足立っている。
全くもってこの吉良吉影が、一枚の絵画に心がもって行かれているなど、普段の自分からは想像がつかないだろう。仕方あるまい、わたしの原点にして頂点なのだから。
【よ、吉影が今まで見たことがないほど、ワクワクしておる…】
そう呟いたのは、上着のポケットに潜んでいる父。
念のため持ってきたインスタントカメラ(撮影直後に自動的に現像を行って写真を作れる)は、首に提げている。
ちなみに服装は白シャツにジーンズと、ラフな格好でいる。バックパックを背負っての移動はかなり体力を使う。
先人という名の父の助言で、キャッシュ類は分散して所持。カードやパスポート、薬は服の裏に仕込んである。
さらに先達はぼったくるタクシーの見分け方や、近寄るべきでない場所。
これまでの人生経験を活かして語られるそれを、右から左へ聞き流しながら歩いた。
まさか20代後半にもなって、一人旅をするとは思わなかった。
古い宮殿やはるか昔に建てられた建築物に、珍妙な顔をする円状の彫刻など。
脳内の大多数を占める理想の手への慕情の外ガワで、純粋に観光を楽しむ自分がいる。
悪くはない。父と違って楽しいかどうかはともかく、経験としては良いものだ。
杜王町と比べるまでもなく人の数は多く、名所ぞろい。それでもわたしとしては静かな故郷の方がいい。あそこはあそこで、秘された魔窟の一面があるが。
そして、昼も過ぎた頃。
寄った観光スポットの近くにある喫茶店に、遅めの昼食を取ろうと立ち寄った。
座ったのは店の奥の窓側の席。ちょうど通りが見える場所だ。日が差し込み、店内の光もあって少々眩しい。
一応本題の取材も兼ねて、物語の着想を考えながら、頼んだリゾットとコーヒーを食す。
ノートに走り書きで書いていき、時折外の電灯や人間、車を眺めては視線を下に戻す。
すでに食事も食べ終わり飲み物を取るだけの日本人客に、何か言ってくる店員もいない。人が多いならまだしも、混雑が過ぎた時間帯に来店したのが功を奏したのか。
人の話し声もなく、店内の音楽を聴きながら書き物をできるのは、幸運だった。
「ん?」
気づけば来店してから、約2時間。腕時計を見てかなり居座っていたことに気づいた。
男の店主は座って雑誌を読んでおり、声をかけてから支払いを済ます。
イタリアでも英語はそれなりに通じる場合が多い。さすが観光大国。ゆえに意思疎通であまり困ることはなく、オヤジの出番もほとんどなかった。今のところ居てもいなくても変わらない。
それから店を出て、まだ少し早いがホテルに帰ろうと進み出す。
その直後だった。
前方から歩いてきた人間がその前、わたしと同じ進行方向の人間とぶつかり、道路側に体勢を崩す。
何段にも積み重なったコーンアイスを食べていたソイツは転倒し、危うく轢かれかけた。
飛び出てきた人間に、運転手は怒鳴り声を上げながら走り去っていく。
『D…dolore……(い、イテテ……)』
さらに運悪く、少年は水溜まりに落下。服を盛大に汚し、困った表情を浮かべる。
『Ah!!』
少年にとって今日はツいていない日だろう。わたしは朝からテレビのコーナーで占いを見るような人間じゃあないが、不運な人間を見れば、その人間の運気の良し悪しを考えるくらいはする。
あぁ、実に不幸だ。
『Mi scusi…è asiatico? Il mio gelato è……
(すみません…アジア人かな?僕のアイスが……)』
「………」
『Oh, non capisci l'italiano? Ebbene, allora……“I‘m sorry”
(あれ、イタリア語はわからないのかな。えっとじゃあ……「すみません」)』
わたしの服に直撃したアイス。真ん中に積まれていた物体からほのかに香ったミント臭が鼻腔を掠めると、途端に殺意が湧く。
落ち着け、と自分自身に暗示をかけながら、倒れていた少年に手を差し出す。
別に触れたどさくさに紛れて爆弾をしかける、なんてことはしない。思っているだけで、実行に移すことはない。
そう、思っているだけだ。
「…気にしてないですよ。あなたも不運でしたね」
伸ばした手を掴んだ少年を引っ張り上げ、立たせる。身長はわたしより少し低いくらいか。
向こうは英語で返したこちらにホッと、息を吐く。
言葉が伝わったことと、こちらがそこまで怒っているように見えないため、安堵したのだろう。
「え、えっと、お詫びとかした方がいいですよね……」
「お気になさらず。替えの服は持っていますから」
「でも………あっ!!」
さっき男とぶつかり、少年が転んだ拍子に落としたベージュのバッグ。それが無くなったようだ。
彼とぶつかった人間とは別の奴が盗んでいったが、恐らくグルだ。どうでもよいが。
「ど、どど、どうしよ……アレには財布とか、ボスと繋がる電話が…」
「ボス?」
「………あ!!その、「ボス」っていうのは「社長」のことで、僕はえーっと…そう、秘書────秘書なんですよ!!」
「…そうかい」
マフィアの構成員か。オヤジも海外では気を付けろと言っていたし、事前に調べた情報では、イタリアは近年犯罪件数が右肩上がりになっている。特に麻薬の犯罪が横行していると聞いた。
鈍臭さが神がかっているが、「ボス
この少年がまさか幹部には見えないが、ボスの腹心、という可能性もある。
関わるべきではないのは確かだ。元より面倒ごとに突っかかる気もない。
わたしの辞書にあるのは「平穏」。この二文字。
犯罪を犯して、警察にビクビクと怯えて過ごすような肩身の狭い人生などではない。
「まぁ大変だと思いますが、警察に相談なりしてください。ぼくはこれで、失礼しますよ」
「本当にすみませんでした……」
「いえ、では」
項垂れきった少年と別れ、ひとまず着替えようと近くの店でトイレを借りることにした。
「中性色の塊みたいなヤツだったな…」
全身ほぼ紫。髪はキツめのピンク色だった。
ヘソだしセーターのルックに何も言えなかったが、相手はギャング。アレくらいの個性がむしろ普通なんだろう。
まだまだローマ観光は日数がある。
ギャングとの接触に一気に平穏から遠ざかった気がしたものの、帰国するわけにはいかない。
旅行の本題は取材で、メインは『モナ・リザ』。ここまで来て帰るわけにはいかない。
あのふっくらとした手を視界に焼き付けるまでは、故郷の土を踏むわけにはいかないのだ。
「わたしの『モナ・リザ』……」
【お前のものではないだろう、吉影】
一言多い写真はゴミ箱に捨てて、帰路についた。
◻︎◻︎◻︎
この日はコロッセオの見物。
ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場である。古い建物のため、何度か修復も行われているようだ。
事前に買ったチケットを持って並び、セキュリティチェックを受けてから入る。
日本なら歴史ある観光名所でも、そこまでしっかりと観光客を調べることは少ないだろう。
西側の入り口から入って二階に上がると、内部をよく観察できる。身分によって座る席が異なったらしい。
映画では王女が男に、家がコロッセオだと答えていたが、天井のないここでは完全に吹きさらしだ。
観光客らしく写真を取り中を巡って、南側出口から退場した。
その後、気さくそうな男からミサンガを渡されそうになったが断り、また渡されそうになって断り──を繰り返しながら通り過ぎる。
男は諦めたようですぐに別の人間をターゲットにしていた。こういった詐欺まがいが多く、すでに何度も受けている。
やたら回数が多いのは、わたしが日本人ということもあるのだろう。これだったら、地毛のまま来ていた方がまだよかったかもしれない。
「えっ、200ユーロ!?」
前方には、ミサンガを腕に巻かれてしまった哀れな観光客がいる。
押しに弱いのか断りきれず、ソイツは出した財布を取られ、明らかに掲示された金額以上を奪われていた。
「ローマに来てから不運続きだ……」
全身中性色の男がまたいる。数日ぶりだがコイツ、ギャングのクセに普通に観光をしているのか…?
関わる気は変わらずないため、過ぎ去ろうとしたが、奴から逸らそうとした視線が合ってしまう。
向こうは少し驚いた顔をし、近寄って来た。わたしの側に近寄るな。
「先日会ったアジア人の方ですよね!」
「……あぁ」
こんな偶然はいらない。
そのままわたしの隣に並び立つ少年は、「ドッピオ」と名乗った。
曰く、仕事がひと段落したので、今は残った滞在期間で観光をしていると。
「まだ子どもだろうに、大変だね」と返したいところだが、向こうの言葉を借りれば、子どもが社長の秘書をしている事になる。ゆえに不要なツッコミは避けた。
時刻は昼になろうという頃で、時間を確認したと同時に、隣から腹の鳴る音が聞こえた。
視線を向けるとジッとこちらを見つめているんだが、まさかタカる気じゃないだろうな、コイツ。
「………」
「無言でぼくを見つめるんじゃあない」
「………」
「残念ながらお人好しじゃないんですよ、そこまで」
「ニホンジンは優しいと聞きました…」
「アジア人の見分けが付いたようで嬉しいですよ、では」
しかし、少年は付いてきた。
結局、ギャングというトラブルメーカーが己の側に付き纏う現状にストレスが急速に溜まり、仕方なく、ランチを共にすることにした。これが終わったら、離れることを条件にして。
「あ…ありがとうございます!」
嬉しそうに笑う少年が動くたびに揺れる、うねった前髪。こうして見ると頭の生え際がジグザクになっている。
頭部を眺めていると、少年に名を聞かれた。偽る理由もないため「吉良」と答える。
「キラ……名前ですか?」
「苗字ですよ。年下に名前呼びされるのは、あまり好きじゃないんです」
「文化の違いってもんですかね?……あっ、僕のフルネームは「ヴィネガー・ドッピオ」です」
「ヴィネガー・ドッピオか。君は、何というか……」
腕にあるミサンガをわたしが見ていることに気付くと、少年は口をへの字にする。
わたしがコイツの上司だったら、軽作業でも任せるのに躊躇する。
まぁ人は、見かけによらない。かく言うわたしもそのタイプであるのだから。
外見は気弱で小心者。しかし意外に計算高い可能性もある。
「おっ、とっ、と…」
わたしと話しよそ見をしていたドッピオ少年は、危うく街灯に衝突しかける。
いや、ただのマヌケかもしれない。
⚪︎⚪︎⚪︎
彼の名はヴィネガー・ドッピオ。
一見気弱そうで優しい雰囲気を持つ彼はしかし、イタリアを裏で牛耳る組織「パッショーネ」のボスの腹心である。
何か重要な任務を任された時、彼が動く。任務をこなす際にボスと繋がる電話は、彼にとってかかせないものだ。
そんな彼はローマでひと仕事を終えた後、不運にもバッグを盗まれてしまった。
ボスと繋がる携帯電話も無くし、警察に向かったものの、一応調べてみる──という話で終わった。
事情聴取した警官は、恐らくグルの犯行だろう、と語っていた。
その後は困り果てていたところを、
現在ドッピオは、日本人の男と昼食を共にしている。
名を「キラ・ヨシカゲ」という男。イタリア語はサッパリなようだが、英語は遜色なく聞き取れるほどには話せる。
この男は先日、仕事終わりに彼が持っていたアイスを、シャツにぶちまけてしまった人間だった。
黒髪に丸渕メガネと首に下げていたカメラに、黒の大きいバックパック。ただの旅行客にしか見えない男をしかし、ボスは不審に思った。
曰く、ドッピオがアイスをぶちまけた直後、看過できないほどの鋭い殺気を男から感じたという。
腹心の彼にさえ正体を明かさないボス。
己をもしかしたら狙っている可能性があると、ドッピオに接触するよう命じたのだ。
(ボスはすでにこの男が僕がギャングであることも、ボスと関わりの深い人間であることも勘付いている────と言っていた。もしもボスの正体を暴こうとしているんだったら、始末しなきゃならない…)
とは言っても、ドッピオが接する中で、彼に敵対するような雰囲気は今のところ感じられない。
むしろ露骨に距離を取ろうとしている。当然といえば、当然だ。吉良にとって彼はシャツを汚した人間で、あまつさえ太々しく昼食を奢らせている人間なのだから。
「へぇー、キラさんはフランスにも行かれるんですね」
「一人旅自体、あまり経験はないですよ。フランスへは美術館を見に行きます」
「もしかしてルーブルですか?」
「えぇ、人生で一度は行ってみたいと思っていたもので」
フォークでスパゲッティを巻き、口に運ぶ吉良。テーブルマナーがしっかりしている。
話の中で特に嘘を言っているようにも見受けられない。ちなみにローマ観光は取材で行っているようだ。職業はボカされたが、ライター関係だという。
「その、僕のことは聞かないんですね。ギャングだって、気づいてるんでしょ?」
「……人にも色々あると思いますから。それに君が子どもである点を踏まえたら、余計な口出しをするわけにはいかないでしょう」
「まぁ、そうですけど…」
「バッグを奪われた件といい、君がよく生き残っていると思いますよ、裏社会で」
「アハハ…」
ぐぅの音も出ない。そもそも、吉良がドッピオとボスの関係性に気づくような発言をしてしまったのは、ドッピオ自身だ。
その事でボスにキツく叱られたのは、記憶に新しい。
ボスの害になる人間なのか否か、彼は見極める必要がある。その判断材料はまだ、大きく欠けている状態。
会話に変化球が必要と感じたドッピオは、あからさまにならない程度で、相手のことを探る。
「そう言えばさっき「一人旅自体…」って言ってましたけど、家族とか友人とかとは渡航の経験があるんですか?」
「両親となら、幼い頃に少しは。友人はほとんどいません」
「奥さんとかとは…」
「結婚はしてませんよ、生憎ね」
フゥ、と息を吐いて、吉良はコップを手に取り、水を胃に流し込む。
残り3分の1ほどの量であるその向かい側の皿は、すでに空になっていた。
「一人旅なら気楽でいいですね」
「いや、そうでもないですよ。すでにホームシックですから」
「え……ライター関係だったら、取材のために結構出かけなきゃいけないんじゃないんですか?」
「元々やりたい職業ではなかったんだが、その時の流れでね。願わくば定時で出社して退勤できる、サラリーマン生活がよかったですよ」
「サラリーマン……また、平凡な生活ですね」
「ぼくの文字書きも、君のギャングも、側から見たら少数派なんでしょう。一般的な道を外れるのはよくない。ヒトの平均の輪から逸れると、途端にその人間は異物になってしまうのだから」
「つまり、“普通”がいいってことですか?」
「あぁ。なるべく大多数の生き方に沿ってぼくも生活したい。静かに、穏やかにね」
「なるほど…」
口を開け、スパゲッティを食べようと瞳を閉じた吉良を見ていたドッピオの瞳が一瞬、誤作動を起こしたようにブレる。
しかしフォークに巻かれた麺が口の中に収まった時には、戻っていた。
「でも、普通だったら逆なんじゃないですか?」
「…何がですか?」
「それこそ
「……ぼくは普通な生き方を望んでいますが、だからといって普通の人間の、普通な価値観を持ちたいというわけじゃない。例えば子どもの「野球選手になりたい」とか、「アイドルになりたいとか」、そういった夢でも抱くように、ぼくは“普通に生きること”を信条としている」
「じゃあ人の上に立つこととかには、興味がないと」
「ぼくは人の上に立てるような人間じゃないですよ。性分にも合わない」
ドッピオは消費されていくスパゲッティに留めていた視線を上げ、男の顔を見る。
一回目に会った時は気づかなかったが、二回目に会い間近でよく観察した時にわかった、長い前髪とメガネに隠れた瞳。
その色は滅多にお目にかかれない、バイオレットを宿している。
獰猛な目だと思った。吉良の語った“普通の人生”というのは本音である。だがその獰猛さと、いささか食い違う信条のように思えてならない。
透けて見える吉良の歪さを、彼は感じ取った。
この獰猛な部分があるいは、ボスを害する存在たり得るかもしれない。
「キラさん、もし仮にですよ。あなたの平穏な人生を脅かす存在が現れたとしたら、どうしますか?」
「警察に通報します」
「いや……あの、じゃあ警察は無しで。僕の場合はいざという時に頼れませんから」
「う〜ん」
「僕今、真面目に聞いてるんです。だからキラさんにも、真剣に答えて欲しいです」
「麺類はやはり頼まない方がよかったかな。もう腹がいっぱいだ」
「………」
「そうジト目になるな、ドッピオくん。答えは出ているが、あまり言いたくないんですよ」
と言いつつ、どうにか最後の一口を食べ終えた吉良は、ナプキンで口元を拭う。
「例えば“勝ち負け”であったり、対人やそれ以外から生じる“トラブル”であったり……悩みを引きずったまま眠りにつくのは嫌でね。過度な感情の起伏に晒されるのもごめん被りたい。“植物のような心”が望ましい」
「僕じゃ絶対に送れないような人生だ…」
「それは君が、ギャングだからかい?」
「え?」
「人の在り方というのは、しょせんその人間が選んだものに過ぎない。逆に言えばギャングをやっている人間も、サラリーマンをやっている人間も、貧乏な人間も、彼らがそうなったのは、彼ら自身が選択をして進んだ結果だ。つまり君がギャングになったのも、君自身がギャングになろうとしたからだ」
吉良はコップを手に取り、揺れる水面を見つめる。
「ただし「運命」というものは存在する…と、思うよ。これは個人的な意見だがね。その運命に流されて過酷な生き方を強いられたり、運が味方をして金に困らない奴らもいるだろう。だが変えようと思えば、いくらでも人生というのは変えられるはずだ。──いや、
「……ヒトの生き様は、その人間次第ってことですか?」
「あぁ、そんなわたしの意見を踏まえた上での、回答としては」
この吉良吉影の平穏を邪魔するのなら、誰であろうと、始末する──────。
吉良は笑って言った。
「と、言いたいところだけど」と、続けて。
「人を殺したら捕まってしまうからね。当たり前のことだが」
「はは、それで言うと、僕はもう捕まっちゃいますね」
「何も聞かなかったことにするよ」
ははは、と笑い合う両者。
吉良はすぐに真顔に戻り、勘定だけドッピオに託し、荷物を背負いながらさっさと去ろうとする。
「え、行っちゃうんですか!?」
「わたしの生き方の指針は聞いただろう、君。ギャングと知り合いになるなんて真っ平ごめんだ」
「僕たち似てると思ったのに…」
「冗談言わないでくれ。金は渡したからな、もう二度と会わないことを祈るよ」
「えぇー…」
店の扉を開けて、男はドッピオに見向きもせず去っていく。
店から顔だけ覗かせた少年はその後ろ姿を見つめ、顔を引っ込めた。
「……あれ、僕何で、似てるって思ったんだろ」
自分の平穏を脅かす者は、誰であろうと許さない。
その姿が己と似ていると思ったドッピオは、首を傾げる。
「まぁいいか、ボスの害にはならなさそうだし」
直感的に、もうあの男とは会うことはないだろうと感じる。
店主に支払いを済ませた彼は、余分に余ってしまった金をカバンに入れ、歩き出す。
「
ローマは今日も、観光客で賑わっていた。
【誰か!!】
後日、ルーブルを訪れた吉良。
男は現物の『モナ・リザ』を近距離で視界に入れた直後、口を開けたまま魅入り、そのまま気を失った。