転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
パーティーも程々に、黒服の連中に拉致されたわたしは豪邸の一室に足を運んでいた。
椅子に座っているわたしの目の前にあるのは、例えるなら石油王が使っていそうなデカいサイズのベッド。
そこに横になっている老人は顔に深い皺を作り、ニコニコと笑っている。
ジョセフ・ジョースター。以前よりも老け、顔色もあまり良くない。そんな状態だが老人はわたしとの会話を望んだ。わたしもまた
すでにパーティーで起こった件は耳に入っているようで、注意を受けた。
「そう言えば君がくれた漫画、さっそく読んだが面白かったよ」
「それは何よりです」
88歳じゃあ少なからずボケが進んでいそうなものだが、ジョースター氏の受け答えは淀みない。むしろ精神的な面で、若々しささえ感じる。
それも日々、養子にした赤ん坊の成長を間近で見ているからだそうだ。
静・ジョースターの姿もパーティーで見かけた。会話することはなかったが。
「それで………オホン!仗助くんは元気かね?」
「貴方ならSPW財団の人間から、いくらでも情報を得ていそうなものですが」
「…イジ悪いことを言うのう」
「おや、どちらがイジ悪い性格なのやら」
肩を竦めて見せてから、わたしは現状の東方仗助について話した。
杜王町のアイドルで、幼い少女から腰の曲がった老婆まで骨抜きにしている事実を告げれば、ジョースター氏は微妙な顔をする。絶対に今「不倫」のワードが頭で回っているな。
「そう心配する必要はないですよ、奴は純情ですから。あのルックスですが、付き合った人数も片手で数えられる程しかいないと思いますよ」
「うむむ……耳の痛い話じゃ」
仗助がジョースター氏に贈ったものの詳細は知らないが、概ね予想はついた。
老人の手首に付けている腕時計。身につけている服と比べて、値段が明らかに異なる。
そして“グレート”な奴のセンスを踏まえて、プレゼントはこの腕時計なのだろう。
「……君に面倒をかけてしまうが、杜王町に戻ったら仗助くんにわしが「すまなかったと言っていた」…と、伝えてくれんか?」
「仗助への招待状の件は財団の人間の手違いが原因なのですから、貴方が気に病む必要はないでしょう」
「下の者の失敗の責任を負うのは、上の者として当たり前のことじゃよ。それに、仗助くんに不憫な思いをさせているのは事実じゃからの……」
「……わかりました。ですからそんな意気消沈しないでくれませんか」
「すまんのう…」
わたしが断り、また白い悪魔がこの祖父の言伝を伝えるためだけに、杜王町へ足を踏み入れるのは絶対に嫌だからな。
その可能性は限りなく低いことはわかっている。しかしそれでも、ジョースター氏なら言い出しそうなものである。主に、わたしの反応を楽しむために。
「それと贈り物のお返しに、仗助くんにコレを渡してあげて欲しい。成人祝いもさせてもらえんかったからの」
「構いませんが…中身は何ですか?」
「それはヒミツじゃ。君からの「土産」として頼むよ。ワシ名義じゃ受け取って貰えんかもしれん」
「……ハァ、まぁ、いいですよ」
「ホッホ、助かるよ」
綺麗にラッピングされた小さな箱に入った物。帰国したら仗助に渡してやろう。
それからまた、いくらか話をした。
途中、ジョースター氏の武勇伝話で、「若いころ究極生命体と死闘を繰り広げた」と語ったため、やはりボケは進んでいると思わざるを得なかった。「柱の男」なぞ、いかにも漫画っぽい響きである。
ただ、単にわたしをからかっている線が一番濃厚である。
そしてパーティーの後、ホテルで私服に着替えて、忘れず土産を買おうと街へ繰り出した。
今回はすぐに帰らず数日滞在して、仕事の現地取材を兼ねて観光地を回る。
岸辺露伴の追求する「リアリティー」というのは、アーティスト系の人間には切っても切り離せぬもので、それは作家のわたしも例に漏れない。
「1+1」を習っていない者が、突然かけ算を持ち出されてもわからぬように。
アーティストが何か生み出す時は、いずれかのものから影響を貰いインスピレーションを受けている場合がほとんどだ。
「無」から「有」を生み出すのではなく、かいつまんだ「有」を繋ぎ合わせて、真新しく感じる「有」を作り出す。
それが創作というものの真相であろう。
帰りたい気持ちは大いにあるが、これもまた仕事。わたしは逞しく生きねばならない。薬入れを懐に忍ばせて。
「岸辺露伴くんには『アイラブNY』Tシャツを五枚送ってやろう」
漫画家への純然たる嫌がらせを企みつつ、他にも知り合いに渡す土産を適当に選ぶ。
ジョースター氏の時とは打って変わり、何でもいいだろ、というスタンスだ。一応最低限の配慮はしてやる。
そうして過ごし、一日目は終了。わたしのアメリカ滞在は二日目を迎えた。
その日は滞在するホテルから、二時間程度離れた場所に向かい、観光スポットを巡った。
昼食はスキンヘッドにタトゥーを体のほうぼうに入れた、タクシーの運転手から聞いた食事処で済ます。見た目に対し気さくな男だった。
はじめこそコイツがわたしをカモろうものなら軽く痛い目に遭わせてやろうとも思ったが、人は外見で判断してはいけないな。
この田舎町をよく知っていると思ったら、地元らしい。日本人の、それも一人旅というのがもの珍しく感じたようで、色々世話を焼いてくれた。
その分チップも要求されたが、十分なギブアンドテイクである。
「そういやアンチャン、一つ面白い話を聞かせてやるよ」
「…何だい?」
「この街には、俺がガキの時から親に教えられる話があってな」
田舎ではあるものの、観光スポットが付近にありそれなりに栄えているこの街。
ここにはこんな話があるそうだ。
「この街には夜、吸血鬼が出るって噂があんだぜ」
それはきっと、親が子に夜の危険性を一つの教えとして例え話にした結果、出来上がったものなのだろう。
日本は夜に女性が出歩いても安全性が高いが、海外はそうも行かない。スタンドを持つわたしとて、不用意に夜は出歩こうと思わない。
荒唐無稽な作り話として、その時はなぁなぁで話を聞いた。
そしてその夕方。ここから少し離れているがまだ回る場所があるため、街のホテルを借りようと思っていたところ。
坂道。人で賑わうその場所で、一つのリンゴが転がってきた。
ありきたりな映画のワンシーンが脳に過りつつ、それを拾い前を見る。
すると前方から十数メートル離れた坂道の上で、人が立っていた。
ほかにも人間がいるが、周囲はこちらに気づいた様子はなく、活気付いている。赤い瞳と、視線がかち合った。
「ありがと、おじさん!」
「…いや、あぁ、気をつけてね」
結われていない、金髪の長い髪を振り乱して駆けてきたのは少女。手にはリンゴの他に色々と食材が入ったバスケットが提げられており、服装はお世辞にも小綺麗とは言えない身なりだった。
少女は礼を言う傍ら、名を告げた。その次にわたしの名前を尋ねてくる。
どこか浮世離れした気持ちで「吉良吉影」と答えると、少女は「そうなんだ!」と無邪気に返した。
いや、偶然に違いないのだ。しかしどうも怪奇事件で鍛えられてしまった頭が、この奇妙な巡り合わせを偶然で済ますのを良しとしない。
ジョースター氏が話していた「柱の男」とは別の、かつて戦ったジョースター家と因縁のある、全身真っ黄色で、瞳は紅い吸血鬼の男の話。
それと、タクシーの運転手から聞いたこの街の噂。
夜に、吸血鬼が出るという話。
いや、吸血鬼はそもそも日の光には当たれないはずだ。
空を見上げれば、ほら、快晴日和────。
「まったく日の光が漏れていない曇天だ……」
いや、曇り空でも日の光は適用されるだろう。わたしの気にし過ぎだ。
リンゴを拾ったお礼をしようと付いてくる少女に、深いため息を吐く。
運命もそこまで、わたしの胃を苦しめに来ようとはしないだろう。そう、きっと考え過ぎだ。
⚪︎⚪︎⚪︎
名を「マイン」という少女の圧に負け、わたしは少女の家で夕飯をいただくことになった。
一度は断ろうとした。しかし道端で泣きそうな顔をされ、周囲の好奇な視線を受けたせいで断れる空気ではなくなった。
少女について行く途中で姿を眩ます手もあったが、しっかり手を握られていたし、曇り空のせいで辺りが暗くなるのが早かったこともあり、家まで送ってやることにした。
これで事件に巻き込まれました、ってのも後味が悪いしな。
そもそも、少女一人にお使いに行かせた親はどういう神経をしているのか。常識に欠けている。
────と、アレコレ考えていたが、狭い路地に入って道を何度か曲がった末に着いたレンガ造りの家に入ったのち、わかった。少女は老婆と二人暮らしのようである。
腰の曲がった老婆は杖をついて歩き、少女から話を聞くと深々と頭を下げた。
髪は総白髪で、深い皺が刻まれた顔と少女の瑞々しい肌を見比べてみる。顔立ちはあまり似ていない。
「じゃあおじさん、椅子に座って待ってて!ばあばと夕ご飯作ってくるから!」
「わ、わかったよ」
この時すでにわたしが宿を探しているのも二人に伝わってしまっており、泊まる宿が見つかっていないなら泊まっていってもよい、と勧められたが、そこまで厄介になる気はない。
それに十分な設備が整ったホテルならまだしも、他人の匂いが染み付いている家で安眠など望めるはずもない。
ゆえに、そこは丁重に断った。
時間的に食べ終わってから宿を探しても、まだ余裕はある。ダメだった場合はタクシーを捕まえて、手間だが元のホテルに戻るさ。
包丁とまな板がセッションする音をBGM代わりに料理を待つ間、旅先で購入した本を耽読する。
ズラッと並ぶのは日本語ではなく、英字。目で追うスピードは普段よりも遅い。
本に関しては、普段から広く浅く読んでいる。健康など関心の高いものは深く読んでいるがね。
例えば、図書館で常設されている新着やおすすめコーナーは一通り目にする。特に恋愛ものはしっかり目を通して、今時の流行りや風潮を捉えるようにしている。
気づけばデビューしてから十数年。あと数年経てば二十年の節目を迎える。
『星ノ桜花』がすでに恋愛作家として確立している以上、今更バトルものなどに手を出すわけにも行くまいし、書く気もない。ホラーは時折書いているが。
恋愛ものは時代の変遷が色濃く出る側面と、『源氏物語』のように今にも通ずる人間のドロドロとした、不変的な側面を持つ。
どちらも取り入れてこそ、良質な作品が書ける。片方だけでは味気がない。
だからこそ、若い女性が読んで共感するような作品を読んで強烈な胃もたれを覚えながらも、これも仕事の一環だと割り切っている。
「────さん、おじさん!」
「……ん?」
肩を揺すられ、睨めっこしていた字から目を離すと、頬を少し膨らませた少女が立っていた。
「呼んでるのに、ずーっと本を読んでるんだもん!ご飯できたよ!」
「あぁ、悪かったね。皿を運ぶのかな?手伝おう」
客人の厚意を少女は素直に受け取り、共に料理を運んだ。
老婆の方は杖がないと歩行が難しい関係上、いつも料理の運搬をするのは少女の役目なのだそうだ。
夕食はポーク・ビーンズをメインにした食事である。少女が転がしていたリンゴはバラバラ死体にされ、虚しくもその身を皿の上に並べていた。
「………」
「どうしたの、おじさん?」
「…いや、美味しそうだと思ってね」
「当然よ!ばあばと一緒に作ったんだもの!」
トマトの濃厚な香りを漂わせる真っ赤なポーク・ビーンズが、血を想起させて仕方ない。
「そう言えば、ご両親が見えないようだが…」
「両親?んー…両親はいないよ。顔も見たことがないから」
「そうかい……失礼なことを聞いたね」
「いいの。別に気にしてないもの。だってマインにはばあばがいるから」
本当に両親への気持ちなど一切ないというように、少女はあっけらかんと笑ってみせた。
その間に料理も運び終わり、三人席の一つに着いた。
少女と老婆は隣合わせに座り、わたしは二人の正面に腰掛けた。位置的にちょうど二人の間の前である。
「ばあばの料理美味しいでしょ、おじさん!」
「………そのだね、別におじさん呼びでも構わないが、一応わたしの名前は教えてあげただろう?」
「キラおじさん!」
元気よくわたしの名前を呼んだ少女に、老婆が要らぬ知識を授けた。
「マイン、知っているかい。『
「…!
「ハハ………」
楽しそうで、何より。反面、己が子どもと相性が悪いと再認識できた。
この、いかにも生命力溢れた姿はまぁ良いのだが、そのエネルギーが他者にまで影響を及ぼすのが何ともな。
その一挙一動でこちらの感情までかき乱してくるのだとしたら、それは平坦な起伏の人生を望むわたしとは相容れない。
「ふふ、疲れた顔をしていらっしゃいますね」
表情に出さないようにしていたが、老婆にはバレていたらしい。口元の皺をさらに深めながら、笑っている。
「察するに、子どもが苦手なようですね」
「えっ、キラキラおじさんはマインのこと嫌いなの…?」
「いや、別に君のことは嫌いじゃあないよ」
無難な言葉を選び、「笑顔が素敵で可愛らしいよね」と話した。少女はポカンとしたり、赤くなったり、一人百面相に興じている。
あぁ、嫌いじゃないさ。好きでもないが。
「そう言えば吉良さんは旅行中とお聞きしましたが、この近くの観光スポットへ行かれたのですか?」
「いえ、まだです。この街に一晩泊まってから、明日向かう予定です」
「あら、そうなのですね」
少量ずつ真っ赤な料理をスプーンで口に運んでいた折、老婆が尋ねてきた。
ついでに、わたしのチマチマ食べている様子を見て、料理が口に合わなかったのか心配された。
料理はトマトの酸味もあり味が多少濃いものの、普通に美味い。
「いえ…その、実はここに来た時に噂話を聞きましてね」
「噂話ですか?」
「えぇ、曰く、この街には昔から吸血鬼が出るとか。神だの悪魔だのは信じないタチですが、どうも、赤いスープで血を連想してしまいましてね……。あと、純粋に元から食が細いのです。ですので気にされなくて大丈夫ですよ」
「そう、ですか……」
一瞬、老婆の視線が少女がいるだろう場所へ向かった。
件の少女と言えば、食事を終えてから残っている家事のため部屋を出た。今ダイニングにいるのは、わたしと老婆のみ。
「……お嬢さんはわたしに、両親の顔を見たことがないと語っていました」
「…はい」
「不躾ですが、事故で亡くなられたのでしょうか?」
「………あの子は、元はスラムの子なのです」
「スラムの?」
老婆が語るに彼女は元々独り身で、偶然少女と出会い拾ったらしい。
路地裏でひどくやつれ、死にかけていたところを不憫に思い連れ帰った。ただし、法的な手続きは行っていない。
少女を養子にするにしても、老い先短い老婆では少女と離れ離れになるだろう。そして、何よりそれを恐れたのが少女だった。
「私と離れるくらいなら、あの子は「死ぬ」と言ったのですよ」
「……そうですか」
「本当に、困った子です」
しかしその言葉とは裏腹に、老婆の顔には慈愛の色がたっぷりと含まれていた。少しの…切なさを残しながら。
独り身の老婆にとって、同じく天涯孤独の少女は似た者同士のように感ぜられるのだろう。
そこにあるのはきっと、深い──────、
「吉良さん…?」
「………」
ゆっくりとわたしの瞼は、下りて行った。
***
ベッドの上には、一人の男が横たわっている。まだ紅い色を残していた窓の外はすっかり暗くなり、暗闇に染まる部屋に月明かりが伸び、男の顔を照らしていた。
男が普段かけている丸渕のメガネは、用無しと言わんばかりにベッドサイドのテーブルに置かれている。
閑寂とした世界の中に、キシキシと床板を踏む音が近づく。ついで耳障りな音を立て、男が眠る部屋の扉が開いた。
「…眠ってるわね」
部屋に入ってきたのは金髪の少女。差し込んだ月光に浮かび上がる眩いブロンドは、妖しくも感じられる。
小さな懐中電灯を片手に忍び足でベッドに近寄った少女は、男へ手を伸ばす。
「────ッ!!」
だが、少女が男に触れることは叶わなかった。
少女の手は空中で止まり、そこから一歩も動かない。否、足は動くが、何者かに腕を掴まれているように動かせず、移動できない。
「何でっ…起きてるの」
「なぜ、か」
少女の赤い瞳を射抜くように、それまで窺い知れなかった紫の、凍てつく色が覗く。その瞳を見た瞬間、少女の背筋が凍りついた。
獰猛なその色は、捕食者のものである。喰らわれる側ではなく、喰らう側が持つもの。
「料理の中に睡眠薬が混ざっていただろう?味付けを濃くして気づきにくくしてあったが、生憎飲み慣れた味なのでね。すぐに気づいたさ。だから都合のいいところで寝たフリをした」
「………」
「わたしを運ぶのにどうするのかと思ったが、あの老婆は普通に歩けたのだね。協力して引きずられたせいで服がいささか汚れたよ。そして、わたしの行き先はベッドと来た。奇妙な行動だ」
「………」
「稼ぎのない老婆と子供の組み合わせ。老後の資金があるのかもしれないが、もしあるのだったら睡眠薬なぞ入れる必要もない。
────あぁ、あの椅子も違和感を抱く理由の一つだよ。長テーブルに
単純に別の部屋で使っている可能性も考えたが、椅子ははじめからこの部屋にあった。テーブルがある場所にね。
隠れたもう一人がいる可能性も疑ったが、棚の食器など見た限り二人暮らしなのは確実だ。日頃からこの家を住居に使っている痕跡もある。
その上で料理に入れられていた睡眠薬の件を、改めて吟味しようじゃないか」
「うぅ…!」
ギシリと、細い腕が軋む。思わず少女は呻き声を上げた。
「わたしが君と出会ったのも偶然ではなかった。狙いやすい人間を選び、この家に連れ込んでいるのだろう。大方、旅行客を対象に。それで言うと、お人好しな日本人なんかはちょうど良いカモってところか」
そして、連れ込んだ客を眠らせた末に行われるのなら、盗み。
だが盗むなら警察沙汰になるであろうし、それならばこの家がすぐに見つかり捕まる。
だとしたら家に生活の痕跡が残っているのも不自然であるし、効率も悪い。だが少女の人を誘う手口は熟れている。
「なら、人身売買かもしれない。しかしそれこそ旅行客がこの町で次々と行方不明になっているなら、絶対にニュースになっている。
だからこそ、目的がわからない。それも、君が持っているその鞄を見れば分かると思うがね」
男は、少女が床に置いた黒いアタッシュケースに手を伸ばす。
「ふっ、う、うぅ……」
「泣くなよ、面倒くさい」
「開けちゃダメェ…!」
「知らないのかい?人間、ダメと言われるほどしたくなってしまうものなのさ。わたしは単純に中身を確認するだけだが」
男は鞄を開いた。直後、紫目が大きく見開かれる。
「………どういう、ことだ…?」
パンドラの箱が開かれた、と言うほど仰々しいものではない。
だがその“物”は、一つの結論を男に抱かせるに至る代物であったのに、間違いはない。
⚪︎⚪︎⚪︎
今回の件は少女とあの老婆がグルで行っている。主体で動いているのは少女だ。
アタッシュケースを持ち部屋を出てリビングに行くと、暖炉の側で老婆がロッキングチェアに腰掛け編み物をしていた。ゆらゆら揺れながら、黙々と手を動かしている。
「貴女が歩けたとは、詐欺に遭った気分だ」
「あら、私は一言も「歩けない」とは言っていないわよ」
「そうですが…もっと優しく運んで欲しかったものです」
それぞれ足を掴んで引きずられたからな。所々体が壁や扉にぶつかったし、髪も服も汚れた。
「“
「わたしも「寝ているのか?」とは、聞かれていないもので」
「ふふふ……しかし随分と真っ赤ね、吉良さん」
「あぁ…これは寝込みを襲われかけたものでね。少々
「黙って?……………アッハッハ!!」
かすかに目を見開いたのち、老婆は口を大きく開けて笑った。
わたしの服は白いシャツに赤い斑点が染みを作っている。紛うことなき血である。
「わたしは仕事柄色々と本を読むんですがね。吸血鬼ものの作品もそれなりに目を通している。金髪に赤目ってのは、ありがちといえばありがちな吸血鬼の設定だ」
「面白いことを言うのねぇ。あの子が吸血鬼だとでも?」
「それはどうでしょう」
わたしはアタッシュケースを開き、中に入っていたものを取り出す。
それは先の鋭い、わたしも苦手意識があると自覚している代物。
「注射器だ。さて……そろそろ答え合わせをしようじゃないか、老婆。いや、──────
すると、老婆は裂けんばかりに口の端を吊り上げた。