転生したら殺人鬼ポジだった件 作:クリーニング黒兎
「幸せ」かもしれないし、「死合わせ」かもしれない。
琢馬の前に現れた吉良は、一人の男の名前を語った。
「……」
「おっと。手荒なマネはよしたまえよ。周りには一般人がいるんだ」
吉良は琢馬の手の内に出現した「本」を消すように告げる。吉良の背後ではキラークイーンが男の首に腕を絡ませ、無機質な視線を少年に向けていた。
ひとまず吉良の話に乗り、琢馬は場所を移すことにした。
読むつもりだった本を戻し、図書館の外に出る。向かう先は駐車場だった。男の車は他の車から離れるようにして、人気のない場所にポツンと一台停められている。
(大丈夫。最悪「本」の力を使って逃げればいい)
琢馬の「本」には、彼自身の記憶が文章化し残されている。
一見攻撃性とはかけ離れている能力のように思えるが、ページを見せることによって、その記憶をそのまま第三者に植え付けることができる。これを彼は“感情移入”と呼んでいる。
例えば昨日、琢馬の夕食を食べているページを見せれば、相手は彼と同じ物を昨日食べたと認識する。ケガをした記憶を見せれば、同様のケガが肉体に生じる。
この力で彼が過去に体験した自殺の瞬間でも、事故の場面でもいい、一目見せてしまえば逃げることができる。
それで男が死んでしまっても仕方ない。何せ、『双葉照彦』の情報を開示してきたのだ。
その男は琢馬が地獄に落とすと決めた人間である。己の復讐劇の邪魔をするなら、少年は人殺しに手を染める覚悟もできている。
(図書館の中には人目もあったし、移動せざるを得なかったけど……)
ただ、関係のない一般人を進んで巻き込むつもりはない。琢馬の近くには児童書を選ぶ子とその親や、返却された本を戻す司書員がいた。周囲に誰もいなければ能力を使って負傷させ、さっさと逃げた。そうすれば病院に運ばれるだろうから、意識が戻らないうちに病室に忍び込んでトドメをさせばいい。
(フゥ……落ち着け。冷静さを欠いたら足を掬われる。隙を見せちゃあダメだ)
“感情移入”のためには相手が二メートル以内にいて、尚且つ暗闇に遮られていない、視界が良好な必要がある。
車内は一歩入ると少し薄暗かったが、能力を使う分には十分な視覚がある。
しかし肝心の「本」が、相手の警戒心が強いせいで出現させることができない。
ナイフも今は持ち合わせていなかった。最悪怪我を承知で「本」を使うしかない。
「アンタさっき、オレが持っていた本を見た時に顔を顰めたけど、あの作家のこときらいなの?」
「好きではない」
「面白いよ?読んでみたらいいのに」
「結構だ」
存外話してみると、対話の余地はあるように感じられた。
吉良は荷物から透明なクリアファイルを取り出す。書類はクリップや付箋などで几帳面にまとめられており、ダッシュボードの上に並べられる。
「うわっ」
琢馬は目を見開いた。一瞬見えた男のバッグには、木工用ボンドがたくさん入っていた。
思わず声を上げた少年を見るなり、男の口角が上がる。ニィ、という感じだった。
琢馬の中で赤いサイレンが回り出す。コイツは完全にイタズラの犯人が自分だとバレている。しかし何故木工用ボンドなのか。
「コイツを使うのは最後だ」
「えっ……?」
「君が学校帰り、だいたい同じ時間に図書館に来るのは分かっていたからね。会うのは造作なかった。が、君の身辺を調べるために予想以上に時間がかかってしまったよ」
「………」
「先にわたしにケンカを売って来たのは君じゃないか。調査をして君の人物像を推測すると、動機は概ねわかった。周囲をうろつくわたしが目障りだったのだろうね。君の、復讐のために」
いったいどこまで知っているのか。吉良は琢馬の「目的」にさえたどり着いている。
「双葉照彦について、どこで知ったんだ」
「探偵を雇って、君の行動を細かく探らせた。他にも個人的なツテを使って、色々とやったよ。君、双葉照彦の娘をストーカーして家を見ていたことが何度かあっただろう?ついでに君が誰かを殺したくてやまなそう発言をしていたから、その一家を調べさせたところで、双葉照彦の黒い情報が出てきたというわけだ。嫁と娘は驚くほど真っ白だったよ」
双葉家は夫が婿入りで、照彦の旧姓は『
しかしこの男、裏では違法建築によって多額の金を得ていた。暴力団との繋がりもあるようだ。
吉良は違法建築のいくつかの証拠が載せられた資料を手に取る。
「あくまでコイツは一部だ。より詳しく調べればまだまだ出てくるだろう」
「……それ、見てもいい?」
「構わないよ」
「………」
「また男の周辺を調べると、複数の女性との関係が発覚した。この女たちの中で、特に『
大神照彦と織笠花恵が密会している写真も、吉良が用意した資料の中にあった。
「それで、これが君の根幹に関わるであろう内容だ。双葉照彦──いや、大神照彦と関係のあった女性で、十年以上前に行方不明になった女性が一人いる。名を『
「………」
握りしめている琢馬の手が、震えた。
「わたしにはね、君の大神照彦へ抱くその復讐心と、行方不明になった飛来明里という女性が、点と点の上を定規でまっすぐ引いた線が走るような、そんな関連性があるように思えて仕方ないのだよ」
ダッシュボードには複数ある写真の中で、飛来明里と思しき女性のものもあった。「飛来明里の行方不明事件を調べている」という体で、探偵が彼女の祖父母から入手したものだ。
吉良はそれを持ち、少年と交互に見る。
「こうして比べると似通った部分があると思──」
言葉は少年が男の手を叩いたことで止まる。唇を噛みしめ、今にも食ってかかりそうな表情で、琢馬は吉良を睨めつける。
やめろ、と言おうとした声はひどく掠れていた。
「お前にオレの何がわかる」
「さぁ?調べた情報以上のことは知らないさ。君がどうやって母親の情報を知ったのか……とも考えたが、瞬間的記憶力の持ち主だっただろう?だったら、本当に幼い時の記憶があってもおかしくはない。ただその記憶はこれまで
「…何が、目的だ」
「最終的な目標は、イタズラへの仕返しかな」
仕返しというには男が取っている方法は手間と時間、それに金もかかっている。
じっくり調べていこうと琢馬が思っていた違法建築の証拠さえあるのだ。
「言っておくけれど、わたしに手を出したらこの情報はマスコミや警察に漏れるからね。そうなれば、大神は捕まるだろう」
「……それじゃあ、飛来明里の件は裁けないだろ…!」
「司法ではね。だからといって、子供の君がわざわざ手を汚す必要があるのかい?」
「オレが生まれた理由が、復讐だ。アイツを地獄に落とすために、オレは母の体の中から出て、この世に生まれ落ちたんだッ!!」
「君の母親が、それを本当に望んでいるとでも?」
「黙れ!!!」
少年の持っていた紙束が、宙を舞った。硬く握られた拳が男の顔に当たる。鉄製の眼鏡のフレームはひしゃげて、額の上に不恰好な形で持ち上がった。ツツ、と吉良の鼻から血が流れる。
「これも仕返しのうちに入れとくよ」
また、拳が振り上げられた。
何度も何度も、琢馬は男の顔を殴った。いつも俯瞰的に物事をとらえ冷静につとめていた頭が、感情でグチャグチャに混ぜられていく。
視界は歪んで、殴る度に呻き声ともつかない声で叫んだ。
母の死。犬よりも惨めに死んでいった母。大神照彦の悪事を知った末、建物と建物に囲まれた隙間に落とされ、四角い地獄の中で彼女は琢馬を産んだ。泥の中でもたくましく生きる蓮のような、やさしくて、強い母親だった。
だが何かに揺られる感触とともに赤ん坊の琢馬が目を開けた時、視界に空が映って、細い紐のようなものが上へ上へと続いていた。
その先に紐を手繰り寄せる男がいた。その男は赤ん坊が乗る籠ではなく、もっと下を見ていた。
大神照彦の目は飛来明里をとらえていたはずだ。しかしその目はもっと、違うものを見るような目だった。
赤子の視界は閉じられて、あとは揺れる感覚と周りの音が聞こえるばかりになる。
アレでは人間ではなく、「犬」だな──────。
泥の中で気高く生きる蓮が、男には汚らしい、人間ではない畜生に見えていた。
「本」の力に目覚め、自分の過去を知った時、蓮見琢馬は大神照彦を地獄に突き落とすことに決めた。
そうしなければ絶対に、飛来明里は報われないと。
「お前はオレについて調べたようだけど、逆にオレがお前について調べていないと思わなかったの?」
琢馬の手は吉良の流す血ですっかり汚れた。
吉良は浅く呼吸を繰り返すものの、余裕な表情は崩れていない。所詮子供の拳だ。だが『杉本鈴美』の名を聞いた瞬間、瞳孔が細まった。
「『S一家殺人事件』の犯人に殺された杉本鈴美の彼氏っていうのが、お前だ」
「そうだよ。よく調べたね」
「お前が片桐安十郎を殺したんだろ?」
「ぼくが、誰を?」
「だからッ、お前が片桐安十郎を……」
「フハッ!」
断続的な笑い声が車内に響きわたる。吉良は腹を抱え、愉快でしょうがないとばかりに笑う。
血で汚れた顔で浮かべるその表情に、琢馬は飛び降りて助けられた時の男の顔を思い出した。
空気が一気に張りつめる。言葉一つ発することが、静寂の水面に石を投擲するかのような緊迫感と化す。冷や汗が少年のこめかみから落ちた。恐怖で身が竦み、震え出す。
「フフフ……片桐安十郎は警察が来て、わたしの目の前で崖から飛び降りたのだよ。わたしが殺したなんて、酷いことを言うじゃあないか」
「でも、片桐は確実に死んでいる」
「ほう。何故そう思うんだい?」
「生きていたなら、絶対にお前を殺しにやって来るはずだからだ」
片桐の人物像を踏まえれば、約束を破り警察に連絡した吉良に(表ではそう公表されている)、恨みを抱いても何ら不思議ではない。むしろそのくらいの事を平然と行う。
それに
「警察が再び調べたところで、証拠は何も出ないよ」
「世間はどうだろうね。「彼氏が犯人に加担していた」「真犯人は実は彼氏だった」って噂が流れたくらいだ。使いようによっては、面白おかしく騒がれるに違いない。そうなったらアンタは否が応にも注目を集めるだろうぜ」
「それは、困るな」
カヒュ、と少年の口から息が漏れた。
キラークイーンの片手が琢馬の首を掴み、座席に押しつけるように絞め上げている。琢馬はその手から逃れようにも敵わず、空いている手に「本」を出現させる。
しかしページを開く前に、もう片方のキラークイーンの手が掴んでしまう。
「何らかの攻撃も可能だが、それには「本」が必要不可欠って感じだな」
「……っ、………!!」
「そう言えば、以前わたしが君にした話があっただろう?」
それは幼き日の吉良少年が、子猫を拾ってきたという話だ。
「泡を吹きながら、踊るように死んだんだ。わたしは最初、本気で飼おうと思って連れて来たんだよ。だが里親に出すことになってしまった。そうなると急に冷めてしまってね。その時ふと「コレを殺したらどうなるのか」と思った」
何の感情も映さない紫目が、琢馬を捉えている。少年から酸素を奪う男の口元は、うっすら上がっている。
「殺した後に土に埋めたが、奇妙なことに何も思わなかったんだ。「土で手が汚れた」とは思ったけれど。「殺して悪かった」とは思わなかった。思えなかった。そして自分が罪悪感を抱いていないことに気づいたら、無性に面白くなってしまってね。笑っていたところを父に見つかってしまったよ」
「……ぁ」
「おっと、死んでしまうな」
解放された少年は荒い呼吸を繰り返す。一瞬、脳裏に母の顔がよぎった。バックミラーに映る彼の顔は、熟れたリンゴのように真っ赤だ。
「わたしは別に君の復讐を否定しているわけではない。むしろ理解して、同調すらしている。憎い相手を殺してやりたいと考えるのは当然のことだ」
「な゛っ、ら……!!!」
「だが、君が手を汚すことを飛来明里は望んじゃいない」
「そんなのアンタには分からないだろッ!!!」
「そうだ。わからない。しかしそれは君も同じだ。母親が君に「大神照彦を殺せ」と言ったのか?違うだろ」
「うるさいッッ!!!」
ゴッ、と琢馬が持っていた「本」が男の頭にクリティカルヒットした。
吉良は大きく呻いて窓に頭を打ちつける。切れた頭からはかなりの勢いで血が流れた。
「……君は、前に問うたな。誰かを殺したくて狂いそうになったことがあるか、って。それで言えば、わたしはしょっちゅう他人に殺意を覚えている。これはでも、感情で左右されることはあるが、今すれ違っただけの女を殺したいと思うことが大半だ」
「え…?」
「殺すと、きっとすごく満たされる。ぼくがずっと抱えているこの“狂おしさ”が一気に消え去って、平穏に植物のように暮らせる」
琢馬は咄嗟にノブに手をかけた。出ようとして、そう言えば車に乗った後に鍵をかけられたことを思い出す。
幸い自分から開けられる位置にあり、手を伸ばしてロックを解除しようとした。
しかし、横から伸びてきた手に阻まれる。冷たい手だった。
「だが人を殺したことはない。どうしてか分かるかい?今だって、君の首をへし折って、この世にその痕跡を一つ残らず消し去ることだってできるんだ」
「………」
「それは、ぼくを愛してくれた人がいたからだ」
その人物が誰なのか、少年には想像がついた。
杉本、鈴美。
「君には誰よりも君の味方をしてくれる人間がいるじゃないか。母親に愛された記憶だって、あるんじゃないのかい?」
「………」
「だからこそ、手を汚すなと言いたいんだ。………ハァ、本当に、ここまで関わる気じゃなかったのに」
「それ、じゃあ」
「何だい?」
「誰が、大神照彦を裁くんだよ。誰が、飛来明里の恨みを晴らすんだよッ!それができるのは、オレしかいない……!!」
「まぁ、待ちなよ。わたしは「司法では裁けない」と言ったが、それ以外の方法で地獄に落としてやる方法はある」
「どうやって……」
「最初に「暴力団と関係がある」と言ったろ。そこを突けば、連中が逆恨みして殺してくれる。それも想像を絶する方法でさ」
そのための前段階を吉良はすでに進めているらしい。
「双葉家はなんと最近旦那の浮気や過去の女のいざこざが発覚して、離婚するそうじゃないか。親権は離婚が父親が原因ということもあって、母親に渡るそうだよ」
「えっ」
「この話はまだ知らなかったか。本音を言えば、わたしは君が犯罪に手を染めることより、双葉家の一人娘が不幸に巻き込まれることの方が胸糞悪いんだ」
「……少女が、好きなの…?」
「また首を絞められたいようだな」
「………杉本鈴美と、重なるから?」
「そういうこと…だろうね。とにかく離婚したら、大神を釣り上げる。それでも自分の手で復讐をやり遂げたいというのなら、せめて腹違いの娘は巻き込むな。──────貴様の不幸は、貴様だけで噛みしめて、苦しめ」
今日イチ冷たい表情で、吉良は吐き捨てるようにそう語った。
「オレ、は」
「考える猶予はやる。離婚の話がついた頃にまた来るよ。この資料は君にやる、原本のコピーだが」
「………どうして、オレにそこまでするの?」
「君がわたしに似ていたから。同時に片桐にも、知り合いの眼鏡のアバズレ女にも似ている。色んな色が混ざり混ざって、真っ黒な君に似ていると思わせる」
「………」
「まぁ、お節介だと思ばいい。それと、ここからが本題だが」
「……………えっ、今から??」
「おや、忘れてないだろうな。君がわたしにした悪質なイタズラの数々を」
「アッ」
琢馬はすっかり忘れていた。何をされるのか、一気に血の気が引いていく。
吉良は鞄から木工用ボンドを取り出した。
「口以外の全身の穴に詰めてやろうと思ったんだが、少し可哀想だと思ったんだ。だから二択にしよう。目と耳にボンドを詰め込むか、それとも用意した分全てを尻の穴に詰め込むか……どちらがいいかね?」
清々しい笑顔で吉良は笑った。
琢馬は瞬間的にロックを解除し、開けた扉から資料を片手に走っていく。
笑顔+血+木工用ボンド(?)という相乗効果で、恐ろしい姿となっていた男から決死の逃亡を果たした。幸い、向こうに追ってくる様子はなかった。
「………はぁ」
そしてその日、施設の門限を過ぎて帰宅した琢馬は、院長からこってり叱られた。最初は服についた少量の血に驚かれたが、そこは鼻血を流したことにして誤魔化した。
首の痕についても服で隠し、資料もランドセルに入れてやり過ごしている。琢馬は一人部屋であるし、風呂も小さい子は職員や歳上の子供が監督として付き添うが、彼も思春期に入る年頃だ。普通に一人で入る。ゆえに一番目立つこの痕は、余程のヘマをしなければバレる心配はない。
何か一つでも向こうの都合が悪くなることがバレれば、吉良が握っている大神の情報が明かされてしまう。
まだ復讐を捨て切れない琢馬からすれば、この上ない脅しだった。
「どうするか…」
「琢馬?」
その時、部屋をノックする音が聞こえた。『なきむしぼうや』の声だ。考え事と着替えを同時進行で行っていた彼は、二つ返事でOKを出してしまう。
あ、と思ったがすでに遅かった。
「その痕…どうしたの?」
「何でもない。誰にも言うな」
「でも…」
「……お願いだよ」
「ッ、………わかった」
『なきむしぼうや』は琢馬が五歳の時に義理父の虐待で入所した子供だ。
当時はよく泣いていて、琢馬が記憶の中の本を読んでやってから仲良くなった。数少ない、彼の友だちのような存在だ。
「ねぇ、今日さ、いっしょに寝てもいい?」
「みんなと寝ればいいだろ」
「いいでしょ?今日は琢馬と寝たい気分なんだ」
「……勝手にしろ」
「やったぁ!」
少年は職員に話をし、本当に二人で寝ることになった。他人と距離を空けていた琢馬を知る職員からすれば、『なきむしぼうや』の提案は都合が良かった。
「一人でいつも、さみしくない?」
「…別に」
「たまにはみんなといっしょに寝ようよ。みんながいるから夜も怖くないし」
「………」
「考えといてね」
「…ったく、わかったよ」
琢馬が『なきむしぼうや』とこうして他愛なく話すのは、久しぶりだった。「本」の力を得てからは、人をずっと避けていたからだ。
今日は色々とあって疲れたせいもあり、床についてから直ぐに琢馬の瞼は降りて行く。
その時ふと、男の言葉を思い出した。
彼を、愛してくれる人。飛来明里は────母親は、生まれたばかりの赤子に惜しまんばかりの愛を捧げた。短い時間でも、それに縋って少年が生きるには十分過ぎるほどの愛情だった。
「お前は」
「え?」
「お前は、オレのこと好きか?」
彼が逸らしていた体を向けると、二人が向き合う形になる。目を丸くしていた『なきむしぼうや』は、溢れんばかりに笑った。
「うん。琢馬も、ほかの子も、院長先生も、職員さんたちも、みんな大好きだよ」
「……そっか」
「大丈夫。僕らは一人じゃないんだ」
『なきむしぼうや』が布団から手を出して、琢馬の手を握る。一瞬琢馬は驚いたが、その手を握り返した。
今日は不思議と、よく眠れそうな気がした。
⚪︎⚪︎⚪︎
白い。
四角い。
見覚えのある光景に、目覚めて早々に絶望した。
どうやら蓮見琢馬が逃げていった直後、わたしは気を失ったらしい。頭の血が思っていた以上に流れていたのが原因だった。
車で倒れていたところを通りすがりの人間に発見され、救急車を呼ばれたのだそうだ。
わたしの顔に明らかに他者に殴られてついたあざや、助手席側の扉が開いていたことから、最初は第三者の暴行と考えられた。
しかし事件にされるのは嫌だったため、精神に難があるのを引き合いに、「自分で殴った」などと話してどうにか警察沙汰は免れた。
少年にたどり着いて首の痕がバレたら面倒だ。首を絞めたのはキラークイーンだし、わたしと手の大きさが合わないため、万が一の場合は証拠不十分で言い逃れできるが。
あの小僧もこちらが“鍵”を握っている以上は、余計なマネはできない。本当は首を絞めなければよかったんだが、殺すのを我慢できただけマシだと思ってほしい。
また、カバンに大量にあった木工用ボンドも不審に思われていた。
これと扉が開いていたことから、木工用ボンドを使った際の匂いを換気するためだったのでは──?と考えられたらしい。ボンドの使用用途は自殺にされた。
木工用ボンドを多量に摂取して…の時点で、もし本当にわたしがそれで死のうとしていたなら、お間抜けにもほどがある。
しかし否定も肯定もしなかった。事実から遠ざかるならもうそれでいい。
ここまでで、再び入院生活を余儀なくされたわたしの精神が投げやりになっていたのは、言うまでもない。
それから一週間ほど経った中、病室に蓮見琢馬が現れた。定期検診のついでに医者から
そこで答えをもらった。ついでにイタズラの件に関して、きちんと謝罪を受けた。
ボンド以外でわたしの恨みを晴らすことに決まり、奴の頭をほかの患者から借りたバリカンで刈り上げ、丸坊主にした。これで少しは腹の虫がおさまった。
そしてさらに月日が経った頃、大神照彦が行方不明になった話を聞いた。離婚していた妻と娘は、別れてから杜王町を出ていた。
いったい大神はどうなってしまったのだろうな。清く正しく生きないから足を掬われたのだろう。今頃魚の餌になっているかもしれない。
一方、行方不明になった大神の件で「もしかしたらあなたにも危害の手が…」という感じで探った織笠花恵から、飛来明里の真相を聞き出すことができた。
彼女は大神照彦の犯行を知っており、協力者の立場にあった。この件を知っていたがゆえに金をもらっていたのだそうだ。
というか、飛来明里に大神の悪事をバラしたのがこの女だった。事の元凶である。
織笠花恵が話をしていなければ、少なくとも飛来明里は死なずに済んだ。彼女がビルの隙間に突き落とされた時点で蓮見琢馬を身ごもっていたから、本来なら親子二人で暮らすことができていた。
この件は少年に教えなかった。
その代わりに、彼女が大神の関係者だと裏に売った。これは完全にわたしのお節介である。程なくして、織笠花恵も杜王町から消えた。
殺されはしないだろう。その手の界隈はアダルト業界と繋がりがあるから、大神よりも悲惨な目に遭っているかもしれない。手の綺麗な女だったから、その部分だけ切ってもらっても良かったかもな。
まぁ、美味い餌の味を知ったら本格的に自制が利かなくなる。頼まなくて正解だった。
直接わたしに繋がるようなヘマはしていないし、殺しもしていない。死を呼び込んだのはわたしでもなく、蓮見琢馬でもなく、飛来明里でもない。奴らの業が、然るべき報いを与えたのだ。自業自得というやつだね。
わたしは少し、この杜王町の
だが二度と面倒ごとと分かっていながら、首を突っ込むことはしないと決めた。
それと…そうだ。
蓮見琢馬の里親が決まったそうで、彼もまた杜王町から離れた場所に移り住むことになったらしい。
色々とあったが、収まるところに収まったという所だろう。
必要だったとはいえ、蓮見琢馬に自分の殺人鬼のサガを教えてしまったのは少々不安が残るが。
まぁ、そのためにも念のため、今後一切知り得たお互いの情報を他者に漏らさないことも決めた。もし破るとどうなるか、少年は大神の一件で理解しただろう。
保険として、小僧が復讐のために犯していた盗みなどの犯罪の証拠もいくつか得ている。いざという時はコレを使うさ。
多分、大丈夫だとは思うがな。最後病室で会った少年は、どこか晴々とした表情だったから。今更わたしを陥れよう、という気はないだろう。
それから数年後、時代が二十一世紀に入って間もなく。居間でバックトゥーした編集と話していた時のことである。
人の過去作品を話題に出し盛り上がる泉くんは、その作品を書いた当時の裏を聞いてきた。
「あの『シ』って色々な憶測がされてましたけど、どうして全部カタカナだったんですか?すべての文の最初が「シ」縛りだったのも不思議でしたし」
「さぁ」
「書いた本人なんですからわかるでしょ〜〜先生ッ!」
「そう言えば君ってパソコン使えるかい?」
「ちょっとぉ、話を逸らさないでください」
「いい加減慣れておくべきだと思ってね。使い方をレクチャーして欲しい」
「……意外とテクノロジーに疎いですよね、先生は。携帯電話もせっかく持ったのに、固定電話使ってるじゃないですか」
「パソコンでスムーズに執筆できるようになったら、わざわざ君と顔を合わせなくて済むから嬉しいよ」
「ほ、本気で言ってるんですか、それ…!?こんな美人な編集ちゃんと会えなくなるんですよ!!たまにしか!」
「君は美人じゃなくて、可愛い方だろ」
「ふえっ」
「ときめくな。顔がムカつく」
話しながら飲んでいたココアはすっかり無くなった。
今回執筆とは別に、KO談社で行う恋愛をテーマにした賞の審査員をしてほしい、と話が来た。
非常に面倒だが、仕事ならやる。というかすでに募集でいくつか届いていた作品をコイツが持って来ている。人の了承を取ってからにしろ。猫草の件といい。
「この『フタバチホ』って子の作品なんか、わたしも一度読みましたけど、面白かったですよ!甘酸っぱい感じの禁断の愛で……」
「禁断の愛は甘酸っぱくないだろ」
「それは先生だったら、でしょうね。禁断の恋がいつもドロッドロのヤツだと思わないでください」
原稿を見せてもらったが、たしかに甘酸っぱい風味だった。内容も拙い所は多いが、一つの作品として十分読める。
というか、執筆者の名前に見覚えがあったが気のせいだろうか。この図書館で会ったっていう男の性格とか、「すごく記憶力がいい」って設定も、何だか見覚えがあるんだが。
「うん、気のせいだな」
「他にもあるのでジャンジャン見てくださいね」
今あの小僧がどのような人生を送っているのかわからないが、もしこの小説が元になっているなら、悪くない人生を送っているのだろう。
【とある図書館での】
「兄妹愛……ってのはちょっと重かったかな、設定的に?」
「面白いんじゃないか?コレを読まされた時の俺の心境を察して欲しいけど」
「ハァ…大好きな先生に読んでもらえるなんて、ドキドキしちゃうなぁ。結果が待ち遠しいよぉ……」
「千帆ならまぁ、大丈夫さ」
「はぁぁ……」
一人娘を持つ女性と、里子を持つ男性が結婚した。
そうして奇妙な運命の巡り合わせをした兄妹がいるとか、いないとか。
今後書くなら見たい話は?(執筆の参考程度に)
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岸辺露伴は動かない時空の話
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