うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。   作:赤谷ドルフィン

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攻略レベル:竜

 スチール製の扉を、丸めた拳の背で軽く叩く。

 数秒、静寂が流れた後。

 内側から近寄ってくる足音がしたかと思えば、荒っぽくドアが開いた。

 

「だぁから、弟子は取らねえって、…………」

 

 噛みつくようなサイタマの勢い。

 それが、俺と目が合った瞬間、針を突き立てられた風船のように一気に萎む。

 

「……セツナ、」

「おはよう」

 

 少し驚いたが、発言の内容からしてジェノスと勘違いされたのだろうか。サイタマはバツが悪そうになめらかな頭皮を掻いて、

 

「お前か……まあ、入れよ」

「うん。お邪魔します」

 

 ──あれから日を跨いで、日曜日。

 無事に特売日という戦場を切り抜けた俺は、その戦果物をサイタマに分け与えるべく、彼の部屋を訪れていた。……で、上記のやり取りに繋がる。

 ジェノス、進化の家、曜日間違え、と立て続けにサイタマのキャパシティを圧迫する事態が起きたせいか、全裸を見た見られた、については既に頭に残っていないようだ。何でもなさげに応じてくれるのに、ちょっと安心。

 俺も思い出したくないので、良かった。

 靴を脱いで揃えて、その最中に、邪魔になった買い物袋を彼に差し出す。

 

「これ、おすそ分け」

 

 とりあえず、という雰囲気でそれを受け取ったサイタマは、その中を見てあ、と声を上げる。

 

「昨日の……」

「サイタマってば、せっかくの特売日なのにどこにもいなかったから。野菜がすごく安かったよ」

「あー……いや、その……進化の家とかいう悪いヤツらのせいでな?」

 

 言っちゃうんだそれ。

 普通の人間だったら「進化の家って何?」と食いついていたかもしれないが、俺は知っている上に面倒なので、適当に話を流す。

 

「そっか。大変だったんだね」

「まあな……で、これ」

 

 相槌もそこそこに、落ち着きない様子で袋を指差し。

 

「……良いのかよ」

 

 なんでこんなところで遠慮を見せるのか。

 ちょっと可笑しい気持ちになりつつ、改めて頷いてやる。

 

「いつもお世話になってるから、そのお礼だと思って受け取って」

 

 その瞬間、ぱっと、わかりやすく嬉しそうな顔になる。改めて自分のものになった野菜を検分しつつ、

 

「おー、ナス! 目ぇつけてたんだよなぁ。あ、ついでに茶淹れてくるから、待ってろ」

 

 足音軽くキッチンに向かっていくのが微笑ましい。

 サイタマは食に貪欲だが、残念ながら俺は彼の胃袋を掴めそうにない。そのぶん、こういうところでアピールしていかなければ。

 気分良く、ついていないテレビの前に腰を落ち着ける。それから間もなく、

 

「ほい」

「ありがとう」

 

 テーブルに置かれる、ガラスコップに入った水出しの緑茶。積み重なった氷がからん、と涼しげな音を立てて回る。

 冷たい飲み物なら、麦茶より、緑茶のほうが爽やかな感じがして好きだ。それを眺めながら、

 

「……さっき、誰かと間違えた?」

 

 コップを傾けかかったサイタマの手が、止まった。

 

「ああ……なんか、ちょっと前からジェノスとかいうヤツがな……」

 

 飲もうとしていたのをやめ、代わりにからからと氷を揺らしながら、そう答えてくれる。

 そこでふと、何か気づいたように。

 

「男だぞ?」「え、うん」

 

 それは知ってるけど。

 

「その……ジェノス君? がどうしたの」

「なんか、弟子にしてほしいんだと」

「弟子?」

 

 この調子だと、俺の話は出なかったらしい。内心でほっとしながら驚いておく。

 

「すごいね」

「何がだよ」

「サイタマが強いのをちゃんと知ってる人が現れたってことじゃない」

 

 はいはい、茶番茶番。

 我ながら堂に入りすぎてちょっとビビる。これくらいなら特に考えなくても、自然に口から出てくるようになった。タレントの才能があるかも。

 

「良くねーよ、いきなり先生とか呼んでくるし……なんかぞわぞわするっつーの」

「嫌なの?」

「いやまあ……強くなりたいってのは別に……」

「………………」

 

 サイタマの反応を見るに、その意気や良し、でも面倒くさーい、というあたりなのだろうか。

 わざわざ下手に出なくとも、彼の性格的にはなし崩しが有効な手段になってしまうんだよな。サイタマが俺をそこまで好ましいと思わなかったとしても、最悪、既成事実を強引に作って関係を結ぶことだって可能だっただろう。

 少なくとも同性間ならそれが成り立つことを、ジェノスの存在が証明している。最初は完全に一方的な関係ながら、サイタマは普通にジェノスへ情を抱くまでに至っているのだから。

 そんなことを考える。

 まあ、そういうのは俺のほうが御免だ。勢いで押し倒せてもそれ以上はできそうにない。

 

 ──そこで、サイタマがこちらの様子を不思議そうに窺っているのに気づいた。

 いけない、サイコスと会ってからというもの、一人で考え込む悪癖が加速している。

 

「……サイタマ先生?」

 

 適当にじゃれついて茶を濁しておいた。サイタマはくしゃっと顔を歪めて、

 

「やーめーろ」

「ふふ、ごめんね」

 

 無事に誤魔化せたらしい。

 まあ、彼の成人男性らしからぬ淡白さに救われている部分もあるのだろう。

 早急に組み敷いてくるような男だったら、さすがにこちらもついていけなかったところだ。

 はあ。サイタマの嘆息で、また我に返る。

 

「お前は嫌じゃねーのかよ、変な騒がしいヤツが増えて」

「うーん」

 

 別に、静寂を好んで移り住んだ訳ではない。

 それもそうだし、ここで「嫌かも」などと言うメリットは特にない。できるだけ、不自然でない程度にジェノスを擁護しておかなければ。

 

「まあ……賑やかなのはいいことなんじゃないのかな。わたしがその子と仲良くなれるかは、わからないけど」

 

 否定的な訳ではない、ということは、とりあえず伝わったようだ。

 サイタマはゆるい苦笑を浮かべて、

 

「お前、一番弟子ですかとか聞かれたらちゃんと否定しておけよ」

「……とてもそんな感じには見えないと思うよ?」

 

 ジェノスの目もそこまで節穴ではないだろう。

 俺の『程度』自体は既に見抜かれているだろうし。言ったところで相応しくない、と切り捨てられて終わりそうだ。

 

 ──ひとまず和やかな雰囲気が流れたその時、

 

「先生! サイタマ先生!」

「うわっまた来た」

 

 ナイスタイミング、なのだろうか。

 ジェノスがやってきたらしい。扉を貫通する声量に、サイタマが渋い顔をする。

 まずい、とは思わなかった。

 今日の俺は、そこまで織り込み済みでここに来ている。ジェノス来訪が恐ろしかったなら、玄関先で野菜を渡してとっとと逃げ帰っていた。

 昨日のあれこれで多少吹っ切れた、というのはあるだろう。何もかもが後手後手に回るよりは、先手を打って対処したほうがまだマシ。あれは、そんな気持ちにさせられる出来事だった。

 とにかく、サイタマを応対させなければ。そんな気持ちで振り返ったが、

 

「出なくていいの……むぐ」

「居留守だ居留守。静かにしてりゃバレねーよ」

 

 背後から回ってきたサイタマの手のひらが、口を覆ってくる。

 結構勢いが良かったので、体勢が崩れて、その肩口に寄りかかる形になってしまった。小声には聞こえない声量の囁きが、至近距離で耳に吹き込まれる。──が、

 

「先生!」

 

 ジェノスの呼びかけは止まらない。そもそも、口頭での居留守が通じる相手なのだろうか。

 

「家にいること見抜かれてるんじゃない?」

 

 ただ雑に口元へ当てられているだけなので、発声自体は普通にできてしまう。とりあえずサイタマを真似たひそひそ声でそう返すと、

 

「いやそんな……あっあいつサイボーグだったか」

「ん、サイタマ、息がくすぐったいよ」

 

 肩を抱く亜種のような形で引き寄せられているので、顔が近い。耳元で喋られるのはこそばゆいし、頭のそばに顔があるのは何となく嫌だ。

 やんわり押し返すと、サイタマはその勢いで立ち上がり。

 足音荒く扉に近づいていったかと思えば、勢いよく開けた音が聞こえた。そのまま、玄関先で小競り合い始める2人。

 

「だから、もう来んなって!」

「しかし俺は先生の弟子として……」

「弟子じゃねーよ!」

 

 強く抵抗しているように見えて、サイタマは普通に押し負けている。実際、ジェノスはどんどん部屋の中に足を踏み入れてきているのだ。

 押しに弱い男、サイタマ。そんな失礼なキャッチコピーが思わず頭をよぎる。

 で、彼が今さら押し返せる訳もなく、順調にリビングまで入ってきたジェノスは、そこでくつろぐ俺を見て。

 

「………………」

 

 あ然。まさに、そんな表情をした。

 

「なぜこの女がここに?」

「いやこの女言うな……えっ知り合い?」

「え?」

 

 怪訝な顔を突き合わせるジェノスとサイタマ。嫌な沈黙が流れ──やがて彼らは、当然のように揃って俺へ視線を向けた。

 

「……えっと、この間、蚊の大群が出た時に……」

 

 まさか殺されそうになりました、とは言えないので、適当に語尾を濁す。

 しかし、ジェノスのほうはまだまだ殺意の賞味期限が切れていなかったようで。人工の皮膚にリアルな青筋を立て、

 

「……どういうつもりだ? あの時は見逃したが」

「あーあーあー」

「え、もう仲悪いのお前ら?」

 

 案の定の板挟み。ちゃんと説明しろ、の目線が左右からちくちくと迫ってくる。

 埒が明かない。

 さて、どちらから手をつけるべきか。今のところ明らかに重要性が高いのは──

 

「ジェノス君」

 

 ジェノスがこちらを見て。途端、なんで名前知ってんだこのアマ、みたいな顔をした。

 いやきみの尊敬するサイタマさんが教えてくれたんですよ、その辺は察してください。

 

「ちょっと……外で話そうか、ね?」

「おい、俺に触るな」

 

 わかりやすく邪険にされつつ、その背中を押して、玄関へと向かわせる。幸い、そこまで大きな抵抗は返ってこなかった。

 

「ごめんねサイタマ、すぐ戻ってくるから」

「お、おう……?」

 

 無事に帰ってこれればいいけど。

 それはさすがに口に出さなかったが、そんな気持ちがあったことは確かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋から出てすぐ、ジェノスは自然に俺を先に歩かせて。

 そのまま、階段を降りていくまでは何事もなくついてきたが。

 その途中で、様子が変わった。

 エントランスに繋がる最後の階段の2段目、そこへ踏み出そうとして──できなかった。 

 後頭部に押し当てられる、硬い感触。とっさに身動ぎしようとして、

 

「動くな」

 

 冷え切った声とともに、より強くめり込む焼却砲の発射口。そんなに肌に近づけると、下手をしたら凍って使えなくなるのでは。

 

「──何を、考えている?」

 

 あくまで淡々と問うてくるジェノス。

 ……ちょっと異常な疑われ方だと思う。が、それは俺の自己認識が甘いだけなのだろうか。

 その甘さと、ジェノスの妄執が化学反応を起こした結果、こんなことになっている?

 さすがにこれは過剰な反応だとは思うが、こういう目で見られることも普通に有り得る、と考えたほうがいいのかもしれない。

 

「……どうしてそんなこと聞くの?」

 

 ひとまず、聞き返してみる。

 ──我ながら、妙に冷静だ、と思う。

 死ぬのは怖い。でも、今まさに、俺は彼の手で殺されそうだ。主要な登場人物はそこまでのことはしない、と無意識下で踏んでいるのだろうか。そんな保証はどこにもないのに。

 よく、わからない。

 まあこの状況で慌てて良いことはない、か。背後のジェノスへ再び意識を向ける。

 

「なぜ先生につきまとう? わざわざ同じアパートにまで住んで……何が目的だ? 先生から見えない場所に連れ出して、俺を始末する気か?」

 

 いっそ、笑えてくる疑われようだった。

 お前に何がわかるのか。

 そんな、乾いた笑いが込み上げてくる。今になっても怒りは湧かず、空虚な可笑しさだけが転がっていた。

 

「ジェノス君から見て、そんなにわたしは怪しいかな」

「当たり前だ。お前からは生体反応がほとんど感じ取れない。人間である保証がない」

 

 それを、お前が言うのか。

 

「ふうん……」

 

 胸元に垂れた髪の一房をつまんで、目の高さまで持ち上げる。透き通るように白い毛先。

 シロクマの毛は白でなく透明なのだ、と教えてくれたのは、誰だったろうか。

 

「わたしからすれば、ジェノス君だってじゅうぶん怪しい人だけどね」

 

 動くか、と思ったが。

 そういった気配はない。その幸運に便乗して、言葉を続ける。中途半端な姿勢で、いい加減足腰がつらくなってきた。

 

「全部機械で──人間じゃないみたい」

 

 ジェノスは、何も言わなかった。

 痛いところを突かれた、と思っているのか。それとも戯言だ、と切り捨てるつもりなのか。

 人間じゃない。

 サイボーグになれば、怪人にはならなくて済むのかな。今普通に生きている人たちは、怪人になるのが怖くないのかな。

 ──どうでもいい思考だった。

 

「どうしてサイタマの弟子になりたいの? プロのヒーローでもない、有名な武道家でもない人間にわざわざつきまとって、何が目的? きみが人間であることはどう証明できる?」

 

 簡単にひっくり返せてしまう理屈。

 ジェノスがもう少し口が上手くて、思慮深かったならば、俺は普通に殺されていただろう。

 もしくは、彼が論理の矛盾など一切気にしない猪突猛進の男だったとしても、同じこと。

 俺は、ジェノスの中途半端な『若さ』に付け込んでいる。それに今さら、罪悪感は覚えない。

 

「わたしはサイタマが心配。だから、怪しいきみのことを排除したい」

 

 毛先をぽい、と放り投げる。

 彼は、まだ黙っている。

 

「同じことが言えるんだよ。……言おうとすればね」

 

 同じなんかじゃない。

 俺はジェノスより何倍も汚くて、間違いなく排除されるべき存在。そんなのはわかってる。

 わかった上で、俺は死にたくないんだよ。

 

「でも、わたしはそんなことをきみに言いたくない。理由は簡単。同じことが言えてしまうから」

 

 言えない気持ちを、小さな氷の結晶に変えて空気に漂わせる。数秒舞って、すぐに溶けて見えなくなった。

 俺の過去も、本心も、全部こうやってなかったことになればいいのに。

 

「……それだけだよ」

 

 それから。

 永遠にも思える沈黙が、流れて。

 

「…………わかった、」

 

 絞り出すようなつぶやきとともに、後頭部から離れていく腕。──とりあえず、今回は首の皮一枚繋がったらしい。それは死んでる定期。

 後ろ髪を整え、振り返って、踊り場に立つジェノスを見上げる。

 

「しかし、何かしら理由があるはずだろう」

 

 彼はまだ、険しい顔で俺を見下ろしていた。 

 

「俺は、サイタマ先生のような強さを手に入れたい。……手に、入れなければならない。そのため、あの人に師事することを決めた」

 

 狂サイボーグを倒すため、か。

 俺にはそんな立派な理由はないけれど。

 

「わざわざそれを隠すようなら、やはり、俺はお前を疑わなければならない」

 

 一度は引っ込めた焼却砲を、再びわざとらしくスタンバイさせてみせるジェノス。おいおい、結局は武力行使での脅しかよ。

 

「……理由、」

 

 理由。理由、ね。

 男と女がいるだけでそんな邪推を、と憤る人はいるかもしれないが、今回ばかりはそうしていただいたほうが有り難い。

 その力に惹かれた訳ではない。ならば、消去法的にわかりそうなものだが、

 

「わからない?」

 

 とりあえず、意味深に笑いかけてみたが。

 

「………………」

「…………ぇ……」

 

 ジェノスは冷めた無反応。

 ん。何か雰囲気がおかしい。

 いやほら、さっきまでいい感じにアダルティな空気が流れてたじゃん。ねえ。

 

「だ、だからぁ……男の人と女の人が……」

「は?」

 

 あっダメだコイツ、全く察する気配がない。

 残念ながら、ジェノスの洞察力には期待できそうもないようだ。──と、いうことは。

 

「……えっと……だからですね……」

 

 ──俺が、言うしかない?

 いや、ただ口に出すだけだ。3年間、あれだけ頑張ってこれたじゃないか。今さらそれを言うくらいなんだ、ほら、言え、さあ、

 

「サイタマのことが……す、……好き、なの……」

 

 い──言えた。

 それだけで激しく脱力しながら、最後の力でジェノスの顔色を窺う。彼は、

 

「好き?」

 

 大した感慨もなさそうな顔で、淡々とそう繰り返して。その時点で微妙に嫌な予感がした、というのはとりあえず置いとくとしても、

 

「俺も先生には深い敬愛の念を抱いている」

「いやそういうのじゃなくて」

 

 思わずずっこけそうになった。

 小学生かよ。いや、万が一同じ気持ちだったら逆にヤバいんですけどね。危険な三角関係。

 虚無に囚われかける俺の前で、

 

「違う? どういうことだ」

 

 なぜかさらに詰め寄ってくるジェノス。

 どういうことってお前がどういうことだよ。人間性15歳で止まってんのか?

 

「だ……だから……その……」

 

 え、マジで言語化しなきゃダメ?

 未知のストレスが脳に強くかかっているのを感じる。もうこれ拷問としてジュネーブ条約で禁じられてるだろ。

 というか、どう伝えればいいんだ。

 この様子を見るに、詩的な表現を用いた内容では一切通じないと思われる。つまり、もっと直接的な、? 小学生でも一瞬で通じる内容、

 

「っ、……セ、ぁ……ぇと……」

 

 ダメだこれはエグすぎる、もっと、もっとメンタルに優しくてわかりやすい例え、

 

「き……キス、したいとか……そういうのだよ……」

 

 羞恥心が脳内でブレイクダンスしている。

 許されるなら今すぐこの場でのたうち回りたいくらいだ。恥ずかしすぎて吐きそう。

 なんで俺は男に対して男への生々しい恋愛感情を吐露させられてるワケ? 今のところ登場人物が全員男なんだけど。

 しかし、情緒がめちゃくちゃになった甲斐あってか、ジェノスには無事伝わったらしい。

 

「……なるほど」

 

 くっと、鷹揚に顎を上げて。

 

「サイタマ先生に対して性的に欲情しているということだな」

「言い方?」

 

 しかも微妙に汚いものを見る目やめろ。いいだろ別に。健全な成人した人間だぞ。

 

「そしてその思いを果たす機会を間近で虎視眈々と狙っている、と」

「狙ってねーよ」

 

 人を性犯罪者みたいに言うな。

 語弊しかない解釈に思わず清楚の皮も剥がれる。ジェノス、もしかするとワンパンマン世界で一番『強い』男かもしれない。

 

「……ま、まあ……ゆくゆくは……でも、今はまだそういうことじゃないから……」

 

 それ以上の解像度を求めるのは困難と判断した結果、とりあえず肯定しつつ、否定もする。

 19歳に性欲を持て余す女と思われるのはシンプルにつらいものがある。持て余してねえし。

 

「好きな人とは一緒にいたい、し、サイタマにもわたしのことを好きになってもらいたい。だから、できるだけそばにいたい」

 

 何とか、綺麗にまとめておく。

 ジェノスのためではない、俺のメンタルを守るためだ。このままだと死因が羞恥になる。

 

「わ……わかってくれた?」

「……まあ……」

 

 理解不能だが理屈はわかる、の顔。

 今のやり取りだけで寿命が20年くらい縮まった気がした。

 これでようやく、本題に入れる。

 

「──それと、わたしがヒーローをやっていることは、サイタマに言わないでほしい」

 

 来たるべき時までの、口止め。ジェノスが口を滑らせさえしなければ、サイタマの対処については考える必要がなくなるのだから。

 

「何故?」

「……わたしだって、強い意志があってそうしている訳じゃないからね」

 

 理由は、適当にでっち上げる。

 

「そうするしかなかっただけ。きみだって、ヒーロー協会を信用している訳じゃない。そんな場所に大切な人をわざわざ引き込めないよ」

「……ああ、」

 

 ジェノスが要らぬヘイトを撒き散らしてくれたことが、こんな場面で生きてくるとは。

 

「あと、もうひとつ」

 

 これは、言わずに済みそうならそうして置きたかったけれど。全くそうではなさそうなので、仕方なく付け加える。

 

「わたしのことをサイタマ並みに尊敬してくれる必要はまったくないけど、少なくともサイタマの前では邪険に扱わないほうがいい。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ……たとえ嫌でも、信用されるには大事なことだと思うよ、」

 

 いや、何が悲しくて「自分を大事に扱え」などと主張せねばならないのか。

 発言しながら再びの虚無に陥りそうになったが、当のサイタマが「この女」程度で引っかかっているのを見るに、必要な忠告だろう。

 

「……本当に……こんなことはあんまり言いたくないんだけど……」

 

 というか、常識として察してほしい。

 改めて言葉にすると、めちゃくちゃ嫌なお局様みたいなセリフだ。もし自分が言われるような場面があったら、「気持ちわりーな死ね」くらいのことは普通に思ったかもしれない。

 言われたジェノスはふん、と冷たく鼻を鳴らし。

 

「愛を告げる勇気はなくともサイタマ先生から好意を持たれている自覚はあるということか?」

「め、めんどくさ……いや、まあ、うん……一応付き合い自体はだいぶ長いんだよ……?」

 

 お前に人間らしい感情があれば、こんな不気味な会話はせずに済んだんですけどね。

 空気を読む力って大切なんだなって。

 

「と、とにかく。きみやサイタマの邪魔をしたい訳じゃないから、放っておいてほしいの。役に立てることがあれば、できる限り手伝ってあげたいと思ってる。サイタマに限らず、きみもね」

 

 ジェノスはすっ、と。静かに目を細め、

 

「その必要はない」

「いやその意思があるって話なんだけど」

 

 こいつ全く話通じないな。

 サイタマの心労を疑似体験している。

 

「例えば……住み込みで学びたいとか、そういう希望があれば、わたしが仲介してあげるし」

 

 既に薄っすら考えているであろうことを、それとなくくすぐっておく。

 案の定、顎に手を当てて何かを考え始めるジェノス。

 

「……住み込みか……」

 

 ……その危険性ゆえにあまり意識していなかったが、一番扱いやすいかもしれない。

 まあ、サイタマにもある程度乗りこなせてしまうレベルの実直さであるし。あそこまでの単純さはサイタマにしか発揮されなさそうだが。

 まだ悩んでいるらしい彼に、呼びかける。

 

「わたし、セツナ」

 

 名前は知ったが、まだこちらからは名乗っていなかった。

 

「これからよろしく、ジェノス君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──今日は一旦このまま帰る、というジェノスと、エントランスで別れて。一人で、サイタマの部屋まで戻った。

 

「ただいま、」

 

 家主であるサイタマは、すっかりだらけた姿勢で漫画の単行本を捲っている。時計を見ると、たっぷり30分は話し込んでしまっていたようだ。待たせて申し訳ない。

 

「おー」

 

 気だるく左手を上げて応じてくれるのを見ながら、再びリビングへと足を踏み入れる。

 ふと、テーブルの上に目をやって、緑茶が手つかずのままだったことを思い出した。

 氷はすっかり溶けきって、容量は既に限界だ。表面張力で膨れて、揺れている。

 もったいない。

 指先を向け、薄くなってしまった緑茶で氷の塊をいくつか作る。それを直接、口に運んで放り込んだ。ぼりぼりとスナック感覚で噛み砕く。

 そこへ起き上がってきたサイタマが、

 

「どうだった」

「うーん……? まあ……普通にお喋りしただけかな……」

 

 どうもこうも。

 有り体に言えば騙して命拾いし、ついでに口止めした、という凶悪な手口を使っただけだ。

 そしてサイタマは、ジェノスが帰ってきていないことをあまり気に留めていない様子。気づいていないか、追い出す術が省けてラッキー、とでも思っているのか。

 そこで、去り際に言われたことを思い返す。

 住み込みの件について。

 

「ねえ、サイタマ」

「んー?」

 

 垂らした餌に引っかかってくれたぶんは、きっちり還元してやらないと。

 原作の流れからして、ここで言質を取る必要はないが、ワンクッションくらいは与えておいたほうがいいか。

 

「ジェノス君がね、ここに住みたいって思ってるらしいんだけど……どうかな?」

 

 ──軽い、ジャブ程度のつもりだった。

 しかし、サイタマはその瞬間、動きを止め。

 漂白された表情で、俺を静かに見た。何の感情も読み取れない、見たことのない顔だった。

 え、

 

「……なんでお前がそんなこと言うんだ?」

 

 それから。平坦に、尋ねてくる。

 なんで、そんなこと、?

 

「……え?」

 

 一体、どういう意味だ。

 何が聞きたい。何が知りたい。さっぱりわからず、無防備に聞き返したが。

 

「いや、」

 

 すぐにその目は逸らされてしまう。

 住み込み、ね。

 サイタマは淡々とそうつぶやいて、

 

「……ま、考えとく」

 

 頭を掻きながらそんなことを言って。空になった2つのコップを手に、さっさとキッチンへと引っ込んでしまった。取り付く島もなかった。

 

「あ……うん……」

 

 ──何なんだ。

 俺、なんか変なこと言ったか?

 サイタマがあんな反応をしたことがあった?

 問いただしたい気持ちでいっぱいだったが、今聞いてもきっとはぐらかされるだろう。

 

「………………」

 

 何とも言えないもやもやとした感情を抱えつつ。ひとまず、サイタマが置いていった単行本を広げることで、疑問を紛らわせた。

 まあ、いつかわかるだろう。





主人公のやってること、完全に悪役ムーブ。

ジェノスはあの愛想のなさが好きです。

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