うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。   作:赤谷ドルフィン

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働いたら負けかなと思ってる

 アパートの内階段は、夏でも薄暗く涼しく、ぼうっとするには良いスポットだ。

 

 部屋にいてもいいのだが、どうせほとんど廃墟に等しいのだから、普通のアパートではできない使い方をしてみたい。

 そうして無駄なもったいない精神を発揮し、敷地内をうろうろした結果、ここがわりと過ごしやすいということに気づいた。あくまでわりと、だが、このアパートなら住民を気にせずだらだら過ごせる。

 と言っても、暇潰しの道具なんてものは持っていないので、本当にただ時間を過ごすだけだ。

 仕事は早朝に何体か済ませてきたし、これからの暑くなる時間はできれば外に出たくない。

 

「ふう……」

 

 階段に腰掛けて、とっくに切れた天井の蛍光灯をぼんやり仰ぐ。

 やっぱり、何だかんだで一人が一番落ち着く。

 俺は抱えた秘密が多すぎる。

 サイタマから得られる安全は欲しいが、全てを預けられる日は半永久的に来ないだろう。

 サイタマ──か、

 

「……あの時、ジェノスにはああ言ったけど」

 

 キスしたいと思う。

 そういう感情を、サイタマに抱いている、と。俺にとっての『恋愛感情』。関係性の終着点。

 

「………………」

 

 ごつん。側頭部で鈍い音。

 俺が壁に頭を打ちつけた音だった。

 ──いや、今さらこの程度の想像で恥じている場合じゃない。それは本当に、その通り。

 

「弱い、よな」

 

 されどキス、たかがキス、なのだ。

 キスも、セッ……クスも、別にゴール地点ではないんじゃないか。

 目指すのはともかく、それ自体は縛りつける効力を持たないし、好き同士でなくともできる。サイタマはそういう貞操観念の人間ではないだろう、ということを踏まえてもだ。

 何かもっと……強い力が欲しい。

 全世界に胸を張って、サイタマとの繋がりをアピールできるような何か──

 

「……結婚?」

 

 脳内に浮かぶシルバーリング、舞う紙吹雪、純白のドレスに身を包んだ笑顔の女性。

 ──えっ、結婚?

 俺がサイタマと? お揃いの指輪嵌めて? 結婚式場でリンゴンと鐘が鳴る中、誓いのキス?

 そして、守るべき家族に。

 

「い……いやいやいや……?」

 

 飛躍しすぎ──とも、言えないか。

 国家からお墨つきを与えられた仲、つまりはそういうことなのだし。

 でも、全く想像がつかない。

 俺がサイタマのお嫁さん、なんて。自分が怪人になる以上に遠い遠い話のように思える。

 そもそも、俺が知っている範疇でもプロヒーローの婚姻率はなかなか凄まじいし。特にS級なんてほとんどが未婚なんじゃないか。まあ、こちらはさまざまな要因が合わさった結果とも言える。

 根本的に、職場内恋愛だとか、そこから派生した結婚なんかとは遠い職種なのだと思う。

 それゆえ、女性の身になったとしても別に色恋沙汰への圧力は感じていない。自分ごととして意識する要素が今に至るまでない。

 

「あ、でもブラストは子持ちなのか……」

 

 肝心の妻の描写は……記憶にない。

 まさかブラストが産んだ訳ではあるまいが。少年漫画で両親の片方が透明化されがち、というのはわりとよくある話かもしれない。

 シババワも、特に描写はないながらも子持ちならぬ孫持ちだったし。

 

「……いや、……」

 

 落ち着け。話が脇道にずれている。

 まず大前提として、俺とサイタマは付き合ってすらないんですけど。

 結婚するしない以前に、それが選択肢として使える段階にすら来られていない。付き合ってもないのに「結婚しましょう」じゃ、ただのサイコ扱いされて終わりだ。

 なら、さっさと付き合っちゃえばいいじゃん。3年も一緒にいるのに。

 そう思うかもしれない。──が、

 

「……付き合うって……何だ……?」

 

 前世が非モテの弊害がこんなところに。

 男女のお付き合いってつまりどういうこと?

 どっちかが告白することで交際がスタート、というのはわかるが、女性はどういう感じでいくのが好ましいんだ。『良い雰囲気』の読み方なんて非モテに求めないでほしい。

 おそらく、失敗を避けるならば『気がある』とされる状況でアタックするのが望ましいのだろうが。

 

「……そもそもサイタマって俺に気があんの?」

 

 友情と愛情の違いとは。

 ていうか、俺は友達もあんまりいなかったんだよな。高校まで小学校時代の友達とずるずるやって、大学はゼミ仲間との薄い付き合いしかなかった。友達の作り方さえよくわからない。

 さらに言えば、今まで非モテ非モテとさんざん言ってきたが、誰かを強く好きになったことさえもない。

 そりゃ、可愛い娘と同じクラスになれれば嬉しかったし、話せればテンションも上がったが。誰と付き合ってヤったヤらない、みたいな話にはついていけなかった。

 サイタマに対しても、俺は何か明確な勝算があってモーションをかけていた訳ではない。

 今のところ、俺が『清楚』と思っているムーブを勝手に押しつけているだけ。それが結果的に何を生んでいるかは──よくわからない。

 友人までは漕ぎ着けた気もするが、長いことそれ以上進展できていない感じもするし。

 

「恋愛不適合者……」

 

 その誹りは甘んじて受けるから、ゲームみたいにわかりやすく好感度表して。

 サイタマが酔った勢いでもなんでも、さっさと告白してくれればそれで済む話なんだが。俺はいつでも受け入れ体制ばっちりです。

 

「いや、それは人任せすぎ」

 

 手探りでも頑張っていくしかない、か。

 それに、せっかく(一応)ジェノスという第三者を味方につけたのだから、彼の口から上手いこと誘導すれば──いやあのジェノスだから厳しいか、

 

「おい」

「うわっ」

 

 突然背後から呼びかけられて、尻から転げ落ちそうになった。

 何とか手すりにしがみつき、体勢を立て直す。振り返った先には、

 

「な、なんだ、ジェノス君か……びっくりした……」

 

 踊り場に仁王立ちする若きサイボーグ。

 脇に大学ノートらしき冊子を抱えている。今日はなぜか、袖の長い上着を羽織っていた。

 

「……わたしに何か用?」

 

 エントランスから入ってきた気配はなかったのだが、まさか屋根かどこかから移ってきて、そこから降りてきたのだろうか。

 

「お前こそ、こんな場所で何をしている」

「何も。ぼうっとしてただけだよ」

 

 腕を広げて、何も持っていないことを見せつける。ポケットには携帯が入っているが、いじってはいなかった。

 

「プロヒーローは随分と暇な職業なんだな」

「暑いとパフォーマンスが落ちるからね。仕事は涼しい明け方のうちに済ませてきたよ」

 

 嫌味なんだか素で言ってるのか判別しかねるあたりが怖い。どちらにせよ、何かこちらを良い気持ちにさせたくて言っている訳ではないのは間違いない。

 

「まあいい」

 

 言いながら、なぜか隣に座ってくる。そして膝上に広げられる例のノート。今思い出したが、サイタマの教えを書き記すとかいう代物だろうか。

 一応、聞いてみる。

 

「……何のノート?」

「………………」

 

 無視かーい。

 本当、嫌われすぎだろ。ジェノスにとって敵視される要素しかないのが問題なのか。

 しかし、何しに来たんだ、と思ったその時、

 

「お前は」

 

 金属の指で、ペンを器用に回してみせる。

 

「サイタマ先生の強さをどう考えている?」

 

 またその話か。弟子入り志願者と恋する乙女を同列に並べないでほしい。

 俺より強えヤツと愛し合いてえ、みたいな危険思想を持っているとでも思われているのか?

 

「……わたしは別に……」

「先生の庇護を求めているんだろう」

 

 ──ニブいヤツ、と思っていたが。

 サイタマよりも聡いのかもしれない。俺がサイタマに見出しているものを見抜くなんて。

 いや、実際に『恋する乙女』ならこんなことを言われたら屈辱なのだろうか。思いを寄せる相手を、ただ防空壕扱いしているかのように言われたら。

 でも、俺に限っては事実だし、そこに憤慨したり否定する要素はない。

 少し考えて、

 

「わたしより強いジェノス君より強い」

 

 与えられた選択肢の中ではわりと良いアンサーを出せたと思ったのだが、ジェノスの反応は淡泊を通り越して、辛辣だった。

 

「少しはプロヒーローらしい回答をしろ」

 

 そういうことか。

 しかし、S級もしくは幹部ならともかく、B級風情に何を期待しているのやら。共闘ができるような能力でもない。とりあえず、経験ではなく知識をもとに答えを述べる。

 

「タツマキより強い」

「……なぜ2位を例に挙げた?」

「ブラストをそもそもよく知らないから」

 

 それはプロヒーローの立場としても同じことだろう。S級の活躍や顔は視界に入っても、ブラストのそれを見かけることはほとんどない。

 ONE版ではそもそもまともに登場していないし、村田版にしても『なんか神とバトってるっぽい』くらいのことしかわからない。

 

「理由は?」

「勘……かな」

 

 我ながら、非常に曖昧な返答。

 当然、ジェノスは納得いかない様子で、ノートをぱたんと閉じ。ペンを胸ポケットに差す。

 

「やはりお前の言語野は頼りにならないな」

 

 俺との会話で得られるものは何もないと判断した、という意思表明なのだろうか。

 まあ、こういう強い弱いに関しては頼りにせず放っておいてくれるのが一番有り難いのだが。俺にとってヒーロー活動はほとんどパフォーマンス、おまけみたいなものだし。

 ジェノスは、ノートをしまい込まず。手のひらに乗せて見つめたまま、

 

「これは──日記だ。日々、学んだことを書き留めている」

「へえ」

 

 それ自体は知っていたが、具体的にどういった記述がなされているのかは少し気になった。

 

「どういうこと書いてあるのか見てもいい?」

「………………」

「いや……そんなめちゃくちゃ嫌そうな顔するなら見せなくていいけど……」

 

 今にもくっ、殺せ……とか言い出しそうな表情だったので撤回した。あいにく、真面目なイケメンを虐めて愉しむ趣味などない。

 俺にも見られたくないノートはあるので、そういう意味でも譲歩はしてやりたい。

 

「……で、ジェノス君はそんなことをわたしに聞くためにここへ来たのかな?」

「いや」

 

 おっと、即座に否定された。

 まさかまたお命頂戴、

 

「先生を尾行し、その強さの秘密を探る。お前も付き合え」

 

 拒否権を匂わせない口調でびしっと言い放たれる。なるほど、先ほどまでの疑問はただの前座で本題はサイタマを尾行、……尾行?

 

「…………んッ!?」

 

 想定外の要求に、思考が吹っ飛ぶ。

 原作にこんなシーンはなかったはずだが、俺という存在が加わったことで、ジェノスの思考回路に変化が生じたということなのか。一人ならば思いつかなかったことを思いついた、と。

 

「な……なんでわたし?」

「同年代の女を連れていれば、傍目からはつがいだと思われるはずだ。尾行のカモフラージュには好都合だろう」

 

 カップルを『つがい』って呼ぶ人初めて見た。

 やはり“セツナ”という女性の存在によって、予想外の行動パターンを見せているらしい。

 ううむ、何もしなければ放っておいてくれると考えていたこと自体が甘かったのか。俺のアクションに関わらず、存在そのものが思考基盤に影響を与えることもあるということだ。

 まあ、それはそのとおり。

 極端な話、本来選ばれるはずだったキャラの代わりに、特に理由もなく俺が入ってくる、などということは普通に有り得る。

 

「これはお前の監視も兼ねている」

「ご、合理的……」

 

 しかも、そういうことらしい。

 監視対象に監視の旨を伝えてしまっているのがいいか悪いかは置いておいて、ジェノスは未だ俺に目をつけているようだ。

 嫌だと言っても引きずって連れて行かれそうだな、と思った矢先、

 

「うわ、何?」

 

 アパートのすぐ側で、そこそこの地響き。何かを地面に落としたような音だった。

 

「──サイタマ先生だ、出動したらしい」

 

 即座にジェノスの解析が入る。便利ね。

 部屋にいたのにこんな近くで普通に尾行云々言ってたんかい、というのはともかく。

 

「怪人発生か?」

「ちょっと待ってね、」

 

 目線で急かしてくるのを感じつつ、支給品の携帯で災害情報をチェック。

 Z市にはレベル鬼以上の出現なし、それ以外の市でも虎、狼と小粒の案件が並ぶ中。ふと、目を引く文字列があった。

 

「……“桃源団”……F市にテロリストの集団が出現したみたいだよ」

 

 ──覚えのある名前だった。

 関わらずに済む事件だと思っていたのだが、こんなところで接点が生まれるとは。

 ジェノスはふむ、と唸って、

 

「テロリスト……あの先生がわざわざ動く必要のある事件とも思えないが」

「まあ……働かないで楽に暮らしていきたいからテロ起こします、みたいな人たちだしね……」

 

 厄介な存在なのは間違いないが、主張の程度が低いこともまた事実。

 しかし、桃源団はともかく音速のあいつが絡んでくる以上、できれば関わり合いになりたくないのだが。もはや抜けますとは言えそうにないし、上手いこと接触を回避するしかないのか。

 ああ、また悩みのタネが増える。

 

「構成員が全員スキンヘッドらしくて、たぶん風評被害を恐れてるんだと思うけど……」

「しかしテロリストごときとはいえ社会の不穏分子には変わりない……細部に至るまで正義執行の手を緩めない先生の姿、勉強になります」

「話聞いてる?」

 

 サイタマの姿を壁に幻視しないでほしい。

 やっぱりこいつ苦手だわ、と今後を不安視していたところに。ジェノスがきりっと振り返ってくる。

 

「行くぞ。……ダッシュでな」

 

 キメ顔してるところ悪いが。

 ここからF市は、結ッッ構、遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 案の定。自動車のウッディ人形がごとくジェノスに引きずられること、数十分。

 無事(ではない)、F市に到着した。

 ジェノスに言われるがまま、髪を上げてキャップに押し込み、サングラスをかけて急ごしらえの変装。今日に限って彼が袖付きの上着を羽織っていたのは、こちらも変装のつもりだったらしい。

 といっても、こちらはほぼジャージのままなので、とてもデートなどには見えそうもないが。

 せっかく白いワンピースがタンスの肥やしと化しているのに、何だかもったいない。

 

 歩調を合わせる気など欠片もなさそうなジェノスの背中を追いかけながら、ふと、思うこと。

 付き合っている男女を装う。

 俺たちはそれが偽装だと知っているし、あくまでもカモフラージュでしかないのだが。

 もし、これをサイタマが見たら、?

 何となく、ぞわっとした。

 

「……ねえ、」

「何だ」

「そもそも尾行からしてそうなんだけど、これサイタマにバレたら本当にまず、ぃ……!」

 

 そこで。おもむろに、点と点とが繋がった。

 サイタマと俺。俺とジェノス。

 先日の、サイタマの妙な反応。

 ジェノスは若いし、文句なしの美形だ。そんな彼のフォローを女である俺がするということ。

 ──あまりに初歩的なことすぎて、見落としていた。あれだけ訴えかけてきた人間の情というものを、都合よく見て見ぬ振りしてしまったのだ。

 原作は絶対、という思い込みでもって。

 サイタマはもしかして、俺がジェノスを。

 

「…………しくったぁあ……」

「おい、立て。怪しまれる」

 

 ヤバい。完全に、やらかしたかも。

 思わずその場に崩折れたのを、そんな内心など知る由もないジェノスが厳しく叱咤してくる。

 いや、どんだけ自分に自信ないんだ。

 3年間一緒にいた女が、ぽっと出のイケメンにかっさらわれることに対して何の疑問もない?

 ──こんな考えになるからこそ、恋愛不適合者なのだろうか。人心の機微に疎すぎるか。

 

「ちょ、ちょっと待って……」

 

 焦れたらしいジェノスに、むりやり二の腕を掴まれて引き上げられた。力持ちすぎて膝が軽く浮いている。

 タイム、というかもう帰りたい。

 今きみとここにいるこの瞬間が、一番心臓に悪い。今度こそ何もかも手遅れになりそう。

 しかし、ジェノスはしかめっ面をぐっとこちらに寄せてきたかと思えば、

 

「これは等価交換だ。お前がサイタマ先生への思いを果たすのに協力してやる代わりに、お前は俺の修行に手を貸せ」

「えっそういうこと? いや待てサイタマに余計なこと言ってないよなオイ」

「しっ、先生だ」

 

 それでまた、こんなことに付き合わせているのか。

 新たな納得と不安があったが、やはりジェノスに取り合う気はないようで。彼の視線は既に、俺から街中へと移っている。

 ──サイタマを見つけたらしい。見つめる先を追うと、確かに見慣れた赤白黄色があった。

 原作で見た通りだが、スキンヘッドのテロリスト集団が出ているのにいつものヒーロースーツで繰り出すのはいかがなものか。

 

「サイタマ、今あの格好だと目立つんじゃ……」

 

 仲間という疑いが晴れても、下手をしたら愉快犯か模倣犯と思われるかも。

 案の定、騒ぎを巻き起こしているサイタマ。俺はテロリストじゃない、と叫んでいるのが聞こえるが、やむを得ない部分はあるだろう。

 ……とはいえ、そんな社会常識は通じないのがサイタマと、ここにいるジェノス君なのである。

 こわごわ隣を窺った先、

 

「あいつら……」

「ステイステイステイ!」

 

 今にも罪のない一般市民を焼却しに行きそうだったのを、羽交い締めにして慌てて止める。

 

「ジェノス君落ち着いて、わたしたちだって今は一応変装してるよね。だから、普通ならこういう時は空気を読んで……あっなんかそんなつもりはなかったのに結果としてサイタマを罵ってしまった」

 

 常識的に考えて、擁護するポイントがない。ジェノスはなんか「くっ……」とか言っているが、人間らしい感情があればある程度察せそうなものだと思う。

 

「スキンヘッドに気をつけろ、みたいな警報もだいぶアバウトすぎると思うけど……」

「おい、何とか切り抜けたようだぞ」

 

 ジャケットの裾を軽く引っ張られて、再びサイタマに視線を戻す。

 状況を見るに切り抜けたというか、強引に振り切ったというか。

 とにかく、警察やヒーローと揉め事になることもなく、市街地を抜けられたようだ。

 すったかと走り去っていく背中を、ジェノスとともにそれとなく追いかける。やがて、いきなり街外れに現れた巨大な森の中へ、迷いなく消えていった。

 

「……林に入っていくね」

「あの先はゼニール邸……そういうことか」

 

 広大な緑の向こうから飛び出す、一際目立つ高層ビル。

 どっかで見たような黄金のオブジェが、半壊しつつも屋上に乗っかっている。それを見上げるジェノスはしたり顔で、

 

「奴ら、F市最大の資産家である彼を逆恨みして襲撃しようとしているんだろう。生産性のないルサンチマンの塊が考えるようなことだ」

 

 ボロクソ言うじゃん。さすが、ブサモンに目をつけられまくるだけはある男だ。いや苦労してない訳じゃないんですけどねこの子も。

 しかしあの壊れかけたオブジェ、よく見れば前世で見かけた筋斗雲ではなく──

 

「あ、あれ見て」

 

 その正体にようやく合点が行ったところで、思わずジェノスの肩を叩いていた。

 思いのほか素直に顔を向けてくれるのに、何となく気を良くしたのが良くなかったのだろうか。思わず、口が滑った。

 

「金のウンコ! あんなものわざわざ乗っけるなんて、悪趣味だな〜」

「…………」

 

 まさか、ぎゃははマジでウンコだ〜みたいな返しを期待していた訳ではないが。ジェノスの反応は、予想以上に冷淡だった。

 

「………………」

 

 あまりの冷ややかさに、こちらもつられてすん……となる。しかもそのタイミングで、

 

「……性別によってそういう発言をむやみに指摘するのは確かにバイアスと言えなくはないが冷静に考えてそういった女性をパートナーに選びたいかというと」

「ごめんなさいね!! 以後気をつけます!!」

 

 平謝り一択。

 なんでこういう時だけ恋愛相談に『本気(マジ)』になるんですかね。有り難いけども。

 

「そしてあれはゼニール氏のトレードマークである髪型を模したものであり、デフォルメされた排泄物などではない」

「えっ……そうなの……?」

 

 ジェノス君やはり引くほど博識。

 でもみんな絶対ウンコだと思ってるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 林に足を踏み入れてみても、交戦しているらしき音や声などは聞こえない。

 ジェノスも周囲に意識は向けているものの、特に目立った反応は見せていない。

 ──既にソニックによる粛清は終わった、と見ていいのだろうか。

 あとは、さっさとサイタマに敗北してくれていることを願うしかない。容姿からして残党と間違われることはないだろうが、今のジェノスではヤツを振り切れないかもしれない。

 そこで、ふと。

 

「……変な臭いがする」

 

 そよ風に乗って鼻をついた、嫌なニオイ。爽やかな緑のそれとはかけ離れた生臭さだった。

 思わず足を止めた俺を、振り返るジェノス。やや首を傾げて、

 

「……臭い?」

「うん。人間の……わからないかな」

 

 ジェノスは怪訝な顔のままだ。味覚は搭載しているらしいが、嗅覚はどうなのだろう。

 発生源には何となく想像がついてしまったが、だからといって向かわない選択肢はない。おそらくソニックはもう現場を離れているだろう。

 

 ──悪臭を辿りながら、ふらふらと林の中を彷徨うこと数分。

 崖際で、首と胴体が離れた死体が大量に転がっているのを発見した。

 

「……これは、」

 

 ……人間のグロテスクな死骸をこの目で見るのは、初めてかもしれない。しかし、恐ろしいだとか、気分が悪いだとかは思わなかった。

 不思議と落ち着いた気持ちで、トマトのようにスライスされた頭部のそばに膝を折る。

 はっきり血の臭いだとは感じなかった。人間の“内側の臭い”というのは、血液の鉄錆臭さ以外のものももたらすらしい。腐るまでもなく、そもそも中身はいい匂いではないという訳だ。

 桃源団。ジェノスが呻くようにつぶやいた。

 

「……先生、か?」

「そんな訳ないでしょ」

 

 サイタマを残虐非道の男と考えているのか、テロリストなんて死んで当然と思っているのか。

 どちらでもいいが、これは彼の仕業ではない。

 ──音速のソニック。

 やはり、今の時点では出会したくないヴィランの一人なのには間違いないか。

 

「切り口が鋭利すぎる。……サイタマは得物なんて持っていないもの」

 

 とりあえず、それだけをぼやかして伝える。ジェノスとしても、まさか本気でサイタマがやったなどとは思っていなかったようで。

 

「ゼニール氏が雇った刺客という訳か」

「そういうことかな」

 

 サイタマが絡まないと途端にかしこさが上がるなこいつ。

 

「死体は……放っておこう。刺客さんに目をつけられても面倒だからね」

 

 一応、証拠隠滅……と思ったが、どうせこれらはゼニールが内々に処理するのだろう。

 そもそも表沙汰になることはない虐殺。ソニック以外の誰かがここに訪れた、などとは思わないはずだ。

 

「人数を見るにほぼ壊滅……」

 

 ハンマーヘッドがいないけどね。

 思って、そもそもジェノスはニュース自体を真面目に見ていた訳ではないのに気づく。どいつが仕切っていたかなど、まず彼は知らないのだ。

 

「所詮は烏合の衆ということ。やはり、先生が手を下すまでもなかったな」

「まあ……そうだね」

 

 何となく、脱力。結果のわかりきっていた無駄足だった。不要なリスクを添えて。

 

「徒労だったが、やむを得ない」

 

 当然のように徒労に巻き込んだことへの謝罪などない。ジェノサイド──ジェノスの価値観に振り回されること。次の広辞苑に載せよう。

 

「……帰るの?」

「ああ」

 

 やっぱりすたすたと先に行ってしまうジェノス。しょーがねーな、とその後を追おうとして。

 

「──う、」

 

 瞬間。目眩がした。

 頭蓋骨を両手で掴まれて、激しくシェイクされているかのような不快感。立っていられず、思わずその場に膝をつく。

 しばらく目を瞑ってじっとしていたら、何とか立てるまでには回復したが。

 言うまでもなく、その頃には、

 

「……いや置いてくんかーい」

 

 案の定、既にどこにも姿が見えない。

 あのクソガキがよ。

 わざわざ戻ってくるとか、そういうことも期待しないほうがいいだろう。ヤツは愛ゆえではなく、無関心から我が子を崖から突き落としても平気なタイプのライオンだ。

 

「しんど、……」

 

 急激に不調を自覚する。

 原因はわかりきっていた。この炎天下に、屋外でジェノスに引っ張り回されていたからだ。

 本来ならば外出を避ける時間帯。

 緊張感で休憩もとっていなかった。

 とはいえ、こんな場所でじっとしていても、何ら解決には繋がらない。

 

「どっちから来たっけ……」

 

 手頃な樹木にしがみついて、何とか体勢を立て直す。おいおい、こんなところで干からびて死ぬなんて洒落にならんぞ。

 ここまで来たのもジェノスのサーチ機能頼りだったので、俺は自力で帰る術を持たない。万が一この林を抜けられても、どうやってZ市まで帰ればいいのだろう。公共交通機関か。

 

 

 

 

 

 とにかく、うろ覚えで深い茂みを抜けた先。

 

「あ」

 

 ──少し、ひらけた場所に出て。

 そこに佇む、赤白黄色の立ち姿。

 彼は俺を見た瞬間。

 ぎょっと目を瞠って、大きく手を振りながら、

 

「いやっ、だから俺はテロリストじゃな、」

「サイタマ」

 

 思わず、名前を呼んで。サイタマがその奇妙な動きをぴたりと止める。

 

「セツナ?」

 

 すぐには気づかれなかった。もしかして、このお粗末な変装が功を奏していたのだろうか。

 同じ林の中にいたとはいえ、こうして遭遇できるとは思わなかった。

 サイタマが下草を踏みしだきながら近づいてくる。その表情は当然、不可解な困り顔。

 

「お前、何でこんなとこいるんだよ」

「ま……迷っちゃって……」

「もしかして、お前も桃源団探しに来たのか? もう俺が倒したけどな」

「そ、そういう訳じゃ……ないけど……」

 

 我ながら厳しすぎる言い訳だとは思うが、サイタマはあまり気にしていないようだ。

 とりあえず、もう意味を成していないキャップとサングラスを外して、髪ゴムを解く。こんなに疲れているのに、汗が一滴も出ていないのは不思議な感じがした。

 

「お……おい、大丈夫か?」

「つかれた……」

 

 乾く前にサイタマと出会えた幸運を喜ぶ元気もない。ずるずるとその場にへたり込む。

 

「あ……そうだ」

 

 そのままぼうっと膝上のキャップを見下ろしていて、働かない頭に浮かんだこと。

 

「はい。……それで街に出たら、テロリストだって騒がれちゃうよ」

 

 屈み込んだサイタマのスキンヘッドに、ぽすんと軽くかぶせてやる。俺が使っていたものだが、汗はかいていないのでいいだろう。

 しかし、

 

「いやいや、俺の心配してる場合じゃねーだろ」

 

 即座にこちらの頭へ戻してきた。そのまま鍔を引き下げてくる。

 

「暑いからしんどいんだろ。何の用があったのか知らねーけど、こういう日はうちで寝てろよ」

「ごめん……」

 

 岡目八目というか、こちらは伊達に長く付き合っている訳ではないようだ。

 いやジェノス君のせいでね、とは言いにくく、場繋ぎの謝罪で濁す。

 ああ、手足が重い、気分が悪い。

 だらだらお喋りを続ける気力さえない。

 

「………………」

 

 しばし、無言が流れて。

 

「……ほら、」

 

 先に動いたのは、彼のほうだった。

 俺の視界に映るのは、白いマントの背中。サイタマが、こちらに背を向けてしゃがみ込んでいる。

 

「誰も見てねーし……いいだろ」

 

 いきなり何を、と思ったが。

 どうやら、疲れた俺をおぶって連れ帰ってくれる構えらしい。え、おんぶ?

 今朝方あんなことを考えたので、ちょっと妙に意識してしまう。人命救助の範疇であるおんぶは恋のABCのどこに入りますか。

 まさかジェノス、これを予見して……?

 いやでも全然グッジョブじゃねーし足の小指折れろ。これ本来バレちゃいけない尾行だし。

 

「う、うん……」

「あ……いや、お前が嫌じゃねーならな、」

「え?」

 

 頭の中でどうやったらジェノスの指を折れるのかをシミュレートしていたら、サイタマのつぶやきに対する反応が遅れた。

 

「ごめん、嫌だった……?」

「や、だからお前のほう……」

「なんで、」

「…………」

「…………?」

 

 何について尋ねているのか。問いだけが絶妙にバッティングして、全貌が見えてこない。

 

「…………えーと、」

 

 先ほどから、若干会話が噛み合っていない気がする。

 ──もしかして、ジェノスに惚れていると勘違いしているゆえに謎の遠慮を見せている?

 おぞましい仮定にたどり着いて、ぞわっと背筋が粟立った。ジェノスのことは嫌いじゃない、でもあいつに迫るなんてサイタマ以上に拷問だ。

 良いとこハニートラップを仕掛けていると思われ抹殺されて終わり、だろう。

 しかし、どうやってこの誤解を解けばいいのやら。

 考え込んでいると、

 

「わ、」「よいせっ、と」

 

 ずれた会話の修正に飽きたのか。足元を崩されて、倒れ込んだところを背負い上げられる。

 おぶられてしまったものはしょうがないので、収まりのいい場所に上体を落ち着けた。

 サイタマは俺の体を器用に片手で支えたまま、もう片方の手でキャップを再び取り上げ、被り直してみせる。そのまま、安定した足取りで草むらを歩き始めた。

 随分と迷いない進み方だが、帰り道がわかっているのだろうか。そんなことを考えていると、

 

「なあ」

 

 話しかけられた。さっきのあれがあったので、ちょっとどきりとしながら次の言葉を待ったが。

 

「俺の知名度って……そんっな、低いか?」

 

 はあ。知名度。

 

「…………うん?」

「いやだから……俺って、お前も知ってる通り、3年前から趣味でヒーローやってるけど? 俺の活躍、ほとんど知られてねーよな? 色んな怪人だの地底怪獣だのテロリストだの悪の軍団だのを退治してきたのに、他のヒーローが俺並みの解決してるとこ見たことあるか? 無いだろ」

 

 ぶつぶつと、ノンストップで垂れ流される愚痴。

 俺という話し相手がいるせいで、本来ジェノスにぶつけられるはずの不平不満が急遽こちらに向かっているようだ。やべえ。

 

「な、なんでだろーねー?」

 

 ここでプロヒーローが云々、という話をしてもしょうがない。ので、適当にぼかす。

 サイタマが、帰ってジェノスと顔を合わせるその時まで憤りを持続させてくれることを祈ろう。

 下を見ていると揺れて気持ち悪くなりそうなので、視界を流れる緑をぼんやり眺める。鳥のさえずり、木の葉が擦れ合う音。平和なBGMだ。

 

「──ハンマーヘッド」

 

 その中で、ふと。

 サイタマのそんなつぶやきが、やけに鮮明に、鼓膜を揺らした。そんな気がした。

 

「ニュース。見てたか? 桃源団のボスの」

「うん……」

 

 ──いつの間にか、話題が変わっていたらしい。いつもより低く感じるサイタマの声。

 

「働きたくないって」

「ああ」

 

 そこでちょっと笑った、ような気がした。けれど、緩んだ雰囲気はすぐに引き締まる。

 

「お前から見て……あいつと俺、何が違う?」

 

 原作の彼が、自問自答した問いが。

 ごく当然のように、投げかけられる。

 社会への失望。そんなワードが出てきた気がするが、俺には彼の気持ちはよくわからなかった。

 考えて、

 

「……ヒーローしてること?」

 

 つまらないことを言った。

 

「っ、はは、ああ……そうだな」

 

 サイタマは少し笑みをこぼして。それ以上、話題を続けようとはしなかった。

 何となく、思うこと。

 

「………………」

 

 サイタマは。

 俺がいたおかげで、ヒーローを続けられている部分がある、と思っているのだろうか。

 彼が認識している通り、俺は『異物』であり。この世界に“俺”というピースが嵌まる箇所など、どこにもありはしないのだ。

 

「……大丈夫だよ」

 

 誰にともなく、つぶやく。

 今、気づいた。

 世界に割り込むことでしか危険から逃れられないことはわかっているのに、サイタマにはそんな考えを持ってほしくない、とも思っているのだ。

 “ヒーロー”はそうじゃないだろ、と。

 俺はサイタマに“男”を求めているのに。

 剣を握ったままでは何とやら、というやつか。その二者択一を迫られているのは、拳を握る側のサイタマではなくその腕に抱かれる俺な訳だが。

 話はそう単純ではないのかもしれない。ジェノスのことも、サイタマのことも、俺のことも。

 

 ──なんか、色々と上手くいかないなあ。

 

 思ったよりずっと。

 どんどん世界は複雑に、難しくなっている。

 そんな茫洋とした不安を覚えながら、今はただ、広い背中に頬を預けた。




有り難いことにちょくちょく日間ランキングに入っているみたいなんですが、タイトルの長さで浮いている気がしてちょっと恥ずかしいです。長すぎて省略されてるとダサさが3割増な気がします。

音速氏はまだ出てきません。

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