うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。   作:赤谷ドルフィン

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AV(オーディオ・ビジュアル)

 サイタマがヒーロー試験に合格した翌日。

 さっそく活動しようかと思ったが、大きな事件がなかったから──という彼に、スーパーの特売日の頭数として呼び出された。

 今回は卵で、お一人様1パックまで。

 体質的に人混みに揉まれるのは、と思ったが、平日の午前中ということでそこそこ空いていた。

 

 

 スーパーを出て、並んで歩く。

 しばらくは他愛ない話をしていたが──やがて話題が切れた。もともと、共通点の少ない関係なのだ。俺もサイタマもお喋りではないし。

 何となく無言が嫌で、目についたことをとりあえず、口に出した。

 

「サイタマ、よくそのTシャツ着てるよね」

「ん? ああ、これか」

 

 サイタマが自分の胸元を引っ張る。

 白地に黒色で印字された、シンプルなデザインだ。ローマ字で記されたその文字は、

 

「おっぱい」

 

 ちょうど大胸筋のあたりに、ご丁寧にもデフォルメされた乳房が描かれている。着ていたら普通に眉をひそめられそうなデザインだが、サイタマの神経はそんな細部まで張り巡らされていない。

 ──と思いきや、

 

「ちょっ……おま、そういうこと、」

 

 なぜか慌て出すサイタマ。

 

「えっ……サイタマが着てるのに……?」

「とにかく!」

 

 よくわからん。

 もじりで論っているならともかく、サイタマの着ているそのTシャツは紛れもなく『おっぱい』であり、恥ずかしいのは彼のほうじゃないのか。

 こちらが痴女扱いは納得いかない。

 そこまで考えて、先日ジェノス相手にやらかした失態を思い出した。親しい友人と同じノリで下ネタを異性にぶちかますのはアレか。場合によってはセクハラだし、心象も良くない。

 大事なのは清楚。オッケー。

 

「……うん。いきなりごめんね」

「お、おう……」 

 

 数秒、無言の時間が流れて。

 さしものサイタマも、このままでは空気が悪いと思ったのか。新しい話題を振ってきた。

 

「なんか……せっかくヒーローになっても暇だな」

 

 今のサイタマは暇とか言ってる場合ではなく、さっさとC級ノルマをこなしに行くべきなのだが。

 音ソニさんを確実にブタ箱へぶち込んでもらわないと困るので、ここは勝手に黙秘。

 

「平和なのは良いことだよ」

「そりゃそーだけどな……あ、そういや、お前の部屋、なんか面白いもんねーの?」

「面白いもの?」

「前の住人が置いてった漫画とか」

 

 面白いものというわりには素朴なアイテムに着地したな。

 原作を読んでいる限り、サイタマの趣味は漫画にゲーム(とヒーロー活動)であり、何となく平成中期の独身男性という感じだ。もう少し年代が後にズレていたら、動画投稿サイトとソシャゲを反復横跳びさせられていたかもしれない。

 閑話休題。

 置いていった娯楽品、か。

 前の住人……と言っても、それがどういった人物なのかを知る術がないので何とも言えないが。

 

「……というか、今わたしがいる部屋はそもそもどんな人が住んでたの?」

「えぁー……覚えてねーな」

「一応、一人暮らしの男の人って感じのインテリアだったけど」

「うん。まったく思い出せねー」

 

 にべもないサイタマ。

 まあ、他の住人に少しでも関心があれば、あんなところに住み続けたりはしないか。

 

「面白いものかぁ……」

 

 一応、内装を思い浮かべてもみたが──大きな家具が取り残されているというだけの雰囲気で、小物はほとんどない部屋なのだ、あそこは。

 

「あの部屋、テレビももうないし、本棚もほとんど空っぽなんだよね」

「ふーん。ちゃっかりしてんな」

 

 ちゃっかりしてるのはその部屋で勝手に借りぐらししている俺のほうである。普通に犯罪だ。

 テレビもゲーム機もパソコンもDVDプレーヤーもない、独房じみたインテリアの中で、サイタマのお眼鏡に適いそうな面白いもの。

 

「……あ、でも、テレビ台の中とか、まだ覗いたことなかったかも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「DVDの収納ケースがあったよ」

「おー」

 

 一度も開けていなかった場所だったが、幸いと言うべきか、暇潰しになりそうなものがあった。

 嬉しそうな顔で受け取ったサイタマは、ジッパーを開けてケースを開き。一瞬で、不可解そうな表情になった。

 

「……何も書いてなくね?」

 

 つまみ上げたCDのレーベル面には、ただの薄いクリーム色が広がっている。ケースに収められた他のCDも、概ね同じ雰囲気のようだった。

 しかしその隅に小さく、

 

「日付? みたいなものがマジックペンで書き込んであるけど」

 

 持ち主の神経質な性格が読み取れる、きっちりしたフォントだった。ただ、他にタイトルのようなものは書かれていない。

 

「録画した番組をダビングしたものかな?」

「ま、とりあえず見てみるか」

 

 暇を持て余しているらしいサイタマは、こんなことにも妙に乗り気だ。

 中身が何かわからないのに、と今さら水を差すのも気が引けて、プレーヤーにDVDを挿入。サイタマの部屋、何も観るようなものはないわりに、そういうAV機器だけはあるらしい。

 

 当然のように新作情報や制作会社のロゴムービーはなく、スムーズに始まる本編。

 わざわざ録画内容を編集して、不要な部分はカットしているらしい。やはりまめな性格だったのだろうか。

 

「何だこれ」

「映画の地上波放送……かな」

 

 そのまま特に会話もなく、違法すれすれの映画鑑賞がスタートした。

 ストーリーは至ってシンプル。

 職場のいけ好かない上司が実はヒーローで、助けてもらったところを正体がわからないままに惚れてしまい──で、何やかんやで思いが通じ合うけどそのせいで悪い奴らにさらわれてピンチ。

 ヒーロー怒って助けに行く。

 たぶん、最終的には主人公が救出されて普通にハッピーエンドなのだろう。

 悪く言えばチープ、よく言えば王道なボーイ・レスキュー・ガールの系譜だ。

 

「あ、アマイマスクだ」

 

 ──ヒーロー役の男、どこかで見たと思っていたらイケメン仮面アマイマスクだった。

 髪型も顔もころころ変わるので、ぱっと見ただけでは個人が特定しにくい。

 しかし、リアルプロのヒーローがヒーロー役というのは何というか……世の女性の需要に応えた結果なのか。自己投影用というか。

 

「……こいつのこと、知ってんのか?」

 

 サイタマが口を挟んでくる。

 

「うん。というか……この人はプロのヒーローもやってて、A級の1位だからね」

「……へー」

 

 微妙な反応。軟禁されている訳でもないのに、A級の1位にさえ覚えのないサイタマのほうが、この世界では異常な存在だろう。

 彼は興味なさげに相槌をうった後、ぼうっと天井を仰ぎながら。

 

「A級……S級の下ってことは、ビミョーなのか」

 

 アマイマスク本人が聞いたら卒倒しそうな解釈だ。彼自身は、自分はS級4位のアトミック侍よりも強い、と豪語していたけれど。

 

「どうなんだろう。もしかしたら下位のS級よりは強いのかもね。次のクラスでトップを取るのは難しそうだから、残留して1位を保持するっていうのは結構、珍しくもないみたいだし」

 

 考えれば、名誉S級1位のブラストを除けば、大体がそんな感じ。

 まあブラストを超えない限りいくらでも上がいるので、『S級未満の1位に留まっている』という事象自体が示唆に富んでいる気もする。

 

「鶏口となるも牛後となるなかれ、ってことなのかな。イメージ戦略的には正しいのかも」

「ほー……」

「ま、そういうわたしはB級の中途半端な位置なんだけどさ」

 

 目立ちたくないので問題はないが、大きな顔で口を出せる立場ではないのは事実だ。

 感慨無さげに聞いていたサイタマは、そこで頬杖をついて。薄い唇を尖らせ、

 

「……なんか……俺のなりたかったヒーローとは違う気がすんだよな。新人狩りもそうだけど」

 

 ──まただ。

 サイタマの内心だけで消費されるはずだった感情が、言語となって俺にぶつけられている。

 良いことなのだろうか。

 その是非はともかくとしても、それらは概ね、答えの出ていない問いだ。サイタマ本人も、話を聞いてほしいだけで素晴らしい回答を求めている訳ではない、と言えるかもしれないが。

 だからといって、適当にあしらっていいというような気持ちにはなれない。

 

「あいつ……ソニックだっけ?」

「いやそれは別の人」

「何でもいいけど、A級なんだろ。そのくせにC級の俺を潰そうとするとか、よくわかんねーよな」

 

 漠然とした失望の匂いを感じる。

 とはいえ、少し大きい組織に入るのならば、清濁併せ呑む覚悟は避けて通れないだろう。

 良いか悪いかは別として、サイタマは『地位』という清い水と引き換えに、協会内部に渦巻く濁り水をも含むこととなっただけなのだ。本人にそんな意識は欠片もなさそうだが。

 ただ、そんな事実を突きつけることが最善とも思わない。最悪、協会に染まったと思われて失望されかねない。

 

「まあ……ライバルとはいえ、他のヒーローなら傷つけていいなんて、おかしいよね……」

 

 適当に薄味の正論を並べておく。

 いや、なんでメロドラマ見ながらヒーロー談義してるんだ俺ら。雰囲気どこ行った。

 

「なあ」

「うん?」

 

 まだこんな話を続ける気かと思いきや。

 画面を見つめたままのサイタマは一言、

 

「こういうヤツが好きなのか?」

 

 こういうヤツが。好き。

 

「………う〜〜〜〜ん?」

 

 かきもしない冷や汗がどっと噴き出した錯覚に襲われた。

 攻略対象とする恋バナと異性の好み談義ほど脳に負荷がかかる会話はない。良い雰囲気になりたかっただけで、こんな高度な心理戦はしとうない。デスノートじゃないんだから。

 

「か……顔、とかってこと……?」

「……まあ」

 

 何が「まあ」やねん。

 頭と胃が急速に痛くなってくる。

 ちょっと待って、いきなりピンチ。こんな時、どんな返事をすればいいのか分からないの。

 

「あ……あんまりそういうのは……ない、かな……」

 

 とりあえず、誤魔化せばいいと思うよ。

 いや良くないか、どうすればいい。

 アマイマスクが適当な男性俳優だったら「そうだねーかっこいいしねー」くらいで流す選択肢があったかもしれないが、彼の立ち位置を考えると適当な発言は慎むべきだろう。かと言って「全然好きじゃない」と断言するのは逆張りすぎる。

 百戦錬磨の女性なら、上手い受け流し方を知っていたりするのだろうか。ジェノスの件があった分、こういう話題はかなり心臓に悪い。

 

「ないっていうか……うん、……」

 

 そもそも男の顔に好みなんぞないが。

 ジェノスやアマイマスクを『美形』と認識はできても、そこに俺の趣味嗜好は関係ない。みんなが美形と言っていて、それに対して異論も興味もないだけだ。根本的に解像度が低いのだ。

 

「まあ……人気、だよね」

「ふーん。俳優でもヒーローでも大人気か。すげえな」

「わたしはそういうの、よくわからないけど……」

 

 ぐだぐだと関係のない話をしている間に、画面の中の物語は佳境に入っていた。

 崩壊する敵の基地をバックに、濃厚なキスをかますヒーローとヒロイン。うーん、こういう演出、古き良き洋画のかほり。

 ヒーローがヒロインをお姫様抱っこして、飛び立つ光景をバックにエンディングが流れ始める。

 めでたしめでたし。

 もしかすると俺が目指すべき景色なのかもしれないが、何の感慨も湧かなかった。

 

「終わったな」

「うん……」

「なんか、よくわかんねー話だったけど……お前はこういうの面白いっつーか、憧れんのか」 

 

 また変な探りかと思ったが、今回は真面目に取り合う気力もなかった。

 

「……どうだろう」

 

 強いて言うなら不快感があるのだが、俺の置かれた環境と近すぎたせいかもしれない。

 フィクションをフィクションとして楽しめるのはそれが自分と遠い位置にある時だけで、嫌な没入感を得てしまう状況では不愉快なものだ。受験が近い時期に、リアルな受験シーンがある作品は息抜きとして楽しめないようなものだろう。

 

「まあ、ほかのも見てみようよ」

 

 持ち主がラブコメマニアだったら本当に最悪だな、と思いつつ、隣のディスクを取り出す。

 元のディスクと取り替え、うぃーん、と気の抜けた音で飲み込まれていくのを眺める。さて、今度はどんな映画だろう。

 

 ──まさか、そう暢気に構えていたこと自体が間違いだったとでもいうのだろうか。

 ぱっと画面に映し出されたのは、オレンジ色の光に照らされたベッドルーム。

 そして純白のシーツの上で重なり合う、

 

「えっ」「あ、」

 

 全裸の男女、ピストン運動、母音のみのセリフ。

 これらから導き出されるものとは。

 アで始まってオで終わる、付き合ってもない異性とは到底見るべきではない映像。

 エローい、なんて思う余裕はどこにもなかった。ヤバい。何もかもが。

 予想外であった視覚の暴力に、つい硬直してしまったが。

 

「──失礼しますサイタマ先生!!」

「おわーッ!!」

「あーっ!?」

 

 そして唐突に現れるジェノス。

 動揺してプレーヤーを引っこ抜くサイタマ。

 一歩遅れて暗転した画面に覆いかぶさる俺。

 運悪く三者三様の地獄絵図が形成されてしまったが、ひとまず最悪の事態は免れたようだ。プレーヤー君が無事かはさておくこととする。

 いやまさか、えっちな動画が流れるなんて誰も思わないじゃないか。よくある映画の隣に入れてあったディスクだぞ。単なる濡れ場の雰囲気ではなかったので、明らかに“そういう”DVDだ。

 この世界にAVとかあったんだな。

 

「な、何だねジェノス君!?」

「すみません、お取り込み中でしたか」

 

 しかし彼も異様な気配だけは察知したらしく、そんな心臓に悪いことを聞いてくる。

 

「いや全然ヒマ! マジでヒマすぎて困っちゃうな〜、なっ、セツナ!」

「う、うん!」

 

 サイタマは明らかに慌てているが、この場合、ヤバいのは彼ではなく俺。

 一般的な解釈としては、ものすごく強いて言うならサイタマのせい、という見方になりそうだがジェノスは違う。

 なにせ、師に対し性欲を持て余す女と思われているのだ。色仕掛けのためにAV見せやがったなんて勘違いされた日には、アパートから武力をもって追い出されかねない。

 

「せ、セツナ」

「な……何かな、サイタマ」

「このDVD、何も映らなかったよな?」

「そ、ソウダネ……」

「うん、壊れてたんだなきっと!」

 

 言いながら、抱きしめていたプレーヤーを脇にぶん投げるサイタマ。いや機器自体が壊れる。

 ああ、恥ずかしくて顔から氷が出そう。

 ジェノスが乱入しようがこの気まずさと気恥ずかしさは変わらなかっただろう。まさか、2人っきりだったらそういう雰囲気……いや、無いよな?

 単なる事故だし。『おっぱい』で悪ノリしてくるようなこともない男だぞ。

 

「え、えっと……で、なんか用……カナ?」

「はい……今日は先生に、折り入って頼みたいことがあります」

 

 きっちり正座をして、サイタマと向き合うジェノス。何を言い出すのかと思えば、

 

「俺と、手合わせをしていただきたく」

 

 そういえば、そんなイベントもあった。

 本来ならば全く乗り気でないだろう誘いだったが、とにかく話を逸らしたいらしいサイタマは、

 

「あ、手合わせね、おう、行く行く!」

「先生もやる気を出されておられる……! 俺、精一杯頑張ります!」

 

 ……まあ、これはこれで、ジェノスの機嫌が向上したので怪我の功名……なのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サイタマは当然、俺をアパートに置いていくつもりだったようだが。

 ジェノスの「お前もヒーローならついて来い」の謎根性論で、無事連れ出されることとなった。

 

 手合わせの舞台は、特撮ヒーローのロケ地に使われてない? と聞きたくなるような、切り立った崖に囲まれただだっ広い砂地。

 特撮モノといえば、というまでに見慣れたこういう場所、採石場らしいね。知らんけど。

 まあ、間近で2人の戦いが見られるならば……と思ったのもつかの間。

 サイタマからは「巻き込まれたら嫌だろ」、ジェノスからは「邪魔」、要するに両方とも同じ「近づくな」という理由で、遠くに追いやられてしまった。連れてきておいて。

 で、メートルどころかキロ以上離れた場所で、ゴマ粒にしか見えない2人をぼーっと観察。いくら平野が広がっているとはいえ、会話なんて聞こえる訳もない距離だ。

 

 そして、肝心の手合わせだが。

 ──端的に言って、『何となく瞬きしたら全てが終わっていた』というレベル。

 原作でも読んだシーンだが、実際のスピード感をナメていた。

 改めて、漫画やアニメのコマ割りは偉大だ。

 読者や視聴者に『魅せる』ことが目的なのだから当然だが、わかりやすく場面がカットされ、アングルが調節されている。リアル恋愛も難しいが、リアルの戦闘はもっと難しい。

 

「何が何だか……」

 

 単純なパワーが上がっても、目の分解能が低いままでは使いものにならないのだ。

 ジェノスのように生体反応をサーチするような機能がある訳でもないし、今の俺は本当に『不思議な力を持っているだけ』の存在なのだ。B級判定はある意味妥当と言えよう。

 

「こういうのって修行でどうにかなるもんなのかな」

 

 バングへの弟子入りを真面目に考えようか。

 そんなことを考えているうち、

 

「おー、セツナ」

 

 無傷のサイタマが、暢気に手を振りながらこちらへと歩いてくる。

 動揺が戦闘に影響するかと思いきや、そんなことはなかったらしい。こちらにも、つい先ほどあんな事故があったとは思えない平熱の対応をしてくる。

 俺はまだ、前触れなく思い出して能力が暴走しそうになるくらいなのに。まあ……長々と引きずられても困るな。

 

「終わったから、メシ食い行くぞ」

 

 かったるい会議が終わった、かのごとき軽薄な晴れ晴れ感。ジェノスが報われない。

 で、サイタマの背後を、やや影を背負いつつ歩いていた彼はといえば。

 

「……待ってください、先生」

「ん?」

 

 サイタマを謎に呼び止めてくる。おいおいこんなシーンあったかな、と首を捻るより早く、ジェノスの手が俺を指差して。

 

「おい」

 

 案の定で俺絡みか。

 と、まあまあ暢気に考えられていたのはそこまでだった。

 

「ついでだ。俺と手合わせしろ」

 ──えっ嫌だ……

 

 瞬間的に「嫌」の気持ちが溢れてしまったが、口に出すことはぎりぎり避けられた。

 ジェノスと手合わせ。

 実質的な公開処刑をなぜ甘受しなければならないのか。ヒーロー業に意欲なんぞないと再三言っておろうが。なぜわからぬのじゃ。

 もしかしてそれが目的でわざわざ連れてきたんだろうか。ついてこなきゃよかったな。

 

「な、なんでかな……?」

「なぜも何も……お前もヒーローの端くれならば、誤魔化しなく力を示してみせろ。まだ俺はお前の戦い方を把握していない」

 

 武人の価値観。普通についていけない。

 

「え、えっとぉ……?」

 

 助けてくれ、の意を込めてサイタマを見つめてもみたが、彼は暢気に頭の後ろで手を組んで。

 

「……ま、いんじゃね?」

「えっ」

「やるだけやってみろよ。見ててやるから」

 

 こっちにも武人が。何目線のアドバイスだ。

 本気で行きます、ってサイタマはそれで無事だったかもしれないけど、俺は死んじゃうんだよ。軽いノリで死刑台に送らないでください。

 

「……良いんですか?」

「良いも何も……俺がやめろとか口出すようなことじゃねーだろ。こいつは自分でヒーローやってる訳だし」

 

 ジェノスにもその過保護っぷりの一端は伝わっていたのか、若干驚いていたようだが。援護射撃にはならなかったようだ。

 巻き込まれたら危ないみたいなこと言ってたのは何だったんだよ。

 

「セツナの能力に興味あるんだろ? 俺もちゃんと見たことないしな」

 

 駄目だこいつ、手合わせを『スマブラのトレーニングモード』くらいにしか考えていない。

 こっちがやってるのは生死の懸かった『刹那の見斬り じぇのす:難』なんだよな。

 

「あ、」

 

 再び頭と胃がキリキリ痛み始めたところに、サイタマが声を上げる。今からでも遅くないから有耶無耶にしてくれという祈りも虚しく、

 

「でも腹減ったからなる早でな」

 

 おいこのハゲ。

 

 

 

 

 ──先ほどまで眺めていた戦場に、立つ。

 ジェノスと、向かい合う。

 やってきた時とは違い、崖は崩れ、地面は抉れる荒廃っぷりだが、俺は今からその下手人と一対一で戦わねばならないのだ。

 

「お……お手柔らかに」

 

 頼むから今日を命日にしないでくれ。

 サイタマはまさかジェノスが俺をブチ殺すなどとは思っていないだろうが、ジェノスはそこに悪意があろうがなかろうが、『事故でした』で全てを済ませかねない人間性をお持ちなのだ。

 やはり真の敵は内にあり、か。

 俺が警戒すべきはヒーロー協会や怪人協会などではなく、こいつなのかもしれない。

 ジェノスは何か構えを取っているようだが、俺も真似するべきだろうか。サイタマと同じ棒立ちだが、彼のような素晴らしい肉体は無い、

 

「──行くぞ、」

 

 ジェノスの呼びかけが、風に乗って耳に届いた──と思った、次の瞬間。

 

「──────、」

 

 目を、開けて。

 何が起こったか、わからなかった。

 ただ、砂煙が晴れる頃、視界に映ったのは。

 地面から生えた氷柱に飲み込まれるジェノスの姿。そして、目と鼻の先にある鉄の拳。

 動く気配はない。確かに、拘束されていた。

 ジェノスは俺に殴りかかる寸前──“俺”の能力で氷漬けにされた、とでもいうのか。

 そんなことをした覚えは全くない。大体、あの一瞬では何か考える時間さえありはしなかった。

 でも、これは。

 

「っぐ……」

 

 オートガード。

 ゲーム脳なワードが頭をよぎる。

 怪人の本能だろうか。俺が視認するより早く攻撃を察知し、ぎりぎりで防御した、と。

 普段は抑えられている能力が、命の危機で一瞬だけ解放された?

 殺してしまったかと焦ったが、鉄人ゴー君の件といい、生身以外には効きが悪いらしく。ジェノスは不愉快そうな顔で俺を睨んでいるだけだ。

 便利かと思いきや、おそらくソニックやサイタマ、遠距離攻撃してくるタイプのヒーローには通用しないだろう。奥の手のひとつくらいに思っておいたほうがいいかもしれない。

 

 そこで、静観していたらしいサイタマがとことこと気負いなく近寄ってくる。

 

「おいジェノス、大丈夫か? セツナも……もう良いだろ、出してやれよ」

「あ、うん……」

 

 出してやれと言われても、自分の意思で生み出したものではないので少し難しい。

 内部には入り込んでいないだろうが、表面に少しずつひびを入れていく。最終的に、焦れたらしいジェノスが内側から粉砕して終わった。

 すたっ、と華麗に着地してみせるのに、ひとまず安堵したが。

 ──何というか、その口や腕から、もくもくと黒い煙が上がっているように見える。ダイオキシンとか出てそう。

 

「……ジェノス君? 大丈夫?」

「オーバークール……過冷却状態だ」

 

 生命活動に支障はないようで、冷静に返された。

 

「動力温度が適正以下になり……内蔵燃焼機能が著しく低下。この黒煙は不完全燃焼の結果です」

 

 しばらくすれば止まります。

 そう言うジェノスに対してサイタマは、実に興味なさげな調子で。

 

「ふーん……負けたのか?」

「いえ」

「すごい食い気味に否定するね」

 

 強い意志を感じる。

 サイタマに負けるのは良くても俺に負けるのは嫌なのか。それって要するに、ジェノスの中で俺と音速のソニックは同じ枠ってこと?

 まあ、拍子抜けする終わり方だったが。とりあえずこれで危機を脱したのは間違いな、

 

「ただ……ヤツの出力を見くびっていました。今回はともかく、次はもっと上手くやります」

「ひえ……」

 

 取り留めたばかりの一命に再び負荷がかかる。

 二度とその機会がないことを祈るほかない。次こそ殺されそうだ。

 実際、ジェノスが接近戦に持ち込まなければ、普通に負けていた可能性のほうが高い。

 それなりに学びのあった(かもしれない)手合わせだったが、それは彼も同じだったようで。

 

「サイタマ先生と初めて出会った時も俺は油断により自爆寸前まで追い込まれていました、今の俺に必要なのは学習、そして相手の能力を」

「いやもう何でもいいけど、うどん食いに行こーぜ。お前もこれで気が済んだろ」

 

 20文字以内に纏めろ、という学習が速攻で生かされていないやり取りでしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「セツナはもうヒーローネーム決まってんの?」

 

 ──近隣のうどん屋にて。

 注文後、箸袋を折るなどして暇を潰していたようだったサイタマが、そんなことを言い出した。

 実に手合わせ以来のまともな会話のタネだ。

 俺、ジェノス、サイタマの三竦みだと、どういう訳だか異常に会話が進まないんだよな。関係性が悪すぎるのが一番の問題かもしれない。

 

「まだかな。何も言われていないし」

「ふーん……じゃあ、」

 

 作りかけのバッタを放棄し。こちらに向け、びしっと指を差して。

 

「………………」

 

 眉を上げた得意気な表情のまま、なぜか無言で硬直してしまうサイタマ。半開きの口がいかにもフリーズ感を醸し出している。

 沈黙に耐えかねて、どうしたの、と聞く直前でいつものふにゃっとした顔に戻り、

 

「お前特徴なくて難しいな」

 

 そういうことらしい。

 ハゲ×マントとイケメン×サイボーグの組み合わせと比べればまあ、見劣りはするだろう。

 

「雪……冬……うーん」

「“歩く製氷機”はどうでしょう」

「ワードの組み立て方が嫌なあだ名をつける時のそれなんだけど……」

 

 芸術性を求めている訳ではないが、サイタマとジェノスに案を出させるよりは、協会のコンプラ意識ゼロ幹部に委ねたほうがマシそう。

 適当に話題の修正を図る。

 

「何になるんだろうね。まあきっとしょうもないもじりだよ。協会の幹部はセンスが無いから」

「……お前がそこまで言うんだからよっぽどなんだろうな……」

 

 サイタマがまだ他人事顔をしているのが切ない。

 これがあと数か月もしないうちにヒーロー協会の名付けのせいで闇堕ちするのかと思うと、いたたまれなかった。協会は宇宙最強の男をクソダサネームに狂わされたモンスターにしてしまったことをもっと重く見ろ。人類の損失だぞ。

 

「お前はどうなんだよ」

「え?」

 

 再びバッタを折りながら、サイタマが話しかけてくる。直後に完成させて、当然のように隣のジェノスの箸袋まで折り始めた。

 退屈に強いと思いきや、細かいところで落ち着きがないタイプか。

 

「例えば……ハゲマントじゃない俺のヒーローネームとか。思いつかねーの?」

「ハゲマント……」

 

 実際に人の口から聞くと、なおさらパンチを感じるネーミングだ。

 

「いや見たまんまならそうなっちゃうだろ!?」

「語感だけは良いね」

 

 5文字なので川柳にもぴったり。

 ──ハゲマント ああハゲマント ハゲマント

 いや、そんなことはどうでもいいのだが。

 

「……うーん……」

 

 ヒーローネーム、か。

 ハゲマントの語呂が良すぎて、まともな代替案が捻り出せない。さっそく脳内語彙がミーム汚染されつつある。

 つるぴかマントマンとか……いや駄目だ、なんか混ざってる気がする。翔んでサイタマ……これ別作品だし。

 少し真面目に考えて、最終的に残ったのは。

 

「──ワンパンマン、とか」

 

 未だに回収されていないタイトル。

 色々な意味でドキドキしながら発言したが、それを聞いたサイタマの反応は。

 

「なんじゃそりゃ」

 

 何だかしっくり来ていないような顔。

 

「なんか……皮肉っぽくてアレだな」

「そ……そう?」

「まあハゲマントよりは全然いいけど」

 

 いやどんだけハゲマント嫌なんだ。

 “ワンパンマン”についての好悪以前に「ハゲマントじゃなければもう何でもいい」という強い要望しか読み取れない。スリザリンかよ。

 

「わかめうどんのお客様ぁ」

「お、来た来た」

 

 煮詰まりそうな話題を転換するまでもなく、サイタマの意識は運ばれてきたわかめうどんに移ったようだった。湯気くゆるどんぶりをぼうっと眺める。

 全く今日は忙しい一日だった。大きなイベントに突入しなくても、心労のタネはあちこちに埋まっているものなんだな、と実感させられた。

 しかし、ヒーローネームか。

 サイタマとジェノスはともかく、俺の名前がどうなるのかは全くの未知。

 そろそろ決まってもおかしくない時期なんじゃないかと思うが……一体、どうなることやら。





ヒーローネーム、そろそろ決まってもおかしくない時期なんじゃないかと思うが…(作者)

どうも、赤谷ドルフィンです。

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