うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。   作:赤谷ドルフィン

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幕間 木枯らし一号

 一人でランニングをしていると、様々なことが頭をよぎっては、消えていく。

 ヒーローのこと、袂を分かった仲間のこと、これまでのこと、これからのこと。

 

 

「……ふう、」

 

 走り続けてどれだけ経ったのか。息が上がり、黒縁眼鏡のレンズが吐息で曇る。

 トレードマークが台無しになったまま走り続けるのも何となく気が引けて、緩やかにペースを落とし、やがて路側帯で足を止めた。

 ジャージのポケットから出したクロスで、丁寧にレンズを磨いていく。

 ──1日10キロ、と目標を決めて走り始めて1週間。ランニング自体はヒーローになる以前から行っていたが、それよりも量を増やした。

 まだ体が追いついている感じがしないが、続けていけば、ということだろう。

 そこに期待するしかない。

 

「伸びしろ、か……」

 

 スキンヘッドが眩しかった、彼のことを思う。

 不安がない、と言えば嘘になる。

 自分にはできないかもしれない。

 明日の自分は、今日の自分を超えられないかもしれない。

 

「いや、」

 

 考えるのはやめよう。

 今できるのはただ、努力を重ねることだけだ。

 そう決意を新たにしたその時、

 

「……えっ」

 

 一瞬、目を疑うような光景が飛び込んできた。

 道を挟んだ向かい側にある児童公園。輪郭に沿って植わった桜の樹──その、特に枝ぶりのいい一本の上に、人影があった。

 ただ木登りを楽しんでいるという風ではない。枝に跨って、必死に手を伸ばしている。

 どうやら、枝先に犬だか猫だかがいるのを捕まえようとしているらしい。根本で不安げにそれを見上げている少年は、飼い主だろうか。

 慌ててそちらへ足を向ける。

 

「も、もうちょっと……」

 

 近づいてみてわかったが、上にいるのは細身の女性のようだ。

 しかし太い枝という訳でもないので、ちょっと身動ぎするたびに、みしみしと不安な音を立てて揺れている。あともう少し、と前進したのがよくなかったのか。

 とうとう、樹皮の裂ける鈍い音がし始めたのが、こちらの耳にも届いてきた。

 

「枝、枝が折れそうだ!」

 

 とにかく手を大きく振って、それだけを叫ぶ。女性もこちらに気づいたようだったが、 

 

「え? ──おわッ」

 

 勢いよく振り向いたのが致命傷になったか。

 瞬間。ばきっ、と耳を塞ぎたくなる音を立てて、その枝が幹からへし折れた。

 女性は驚きながらも、ぎりぎりで目当ての動物を両手で捕まえ──それを、こちらに向かって放り投げてきた。しかし不安定な姿勢での投擲だったので、距離が足りない。

 

「うがぁ!」

 

 最後の意地で、決死のスライディング。

 小さな毛の塊は、地面に激突する前に差し出した両手の中に収まった。

 ボタンのような目をした、白い子犬。

 それを認識するより早く、

 

「わっ」

 

 目の前に、巨大な『氷の華』が咲いた。

 そうとしか形容のできない情景だった。

 子犬とは違い、誰にも受け止められることなく墜落した彼女を中心に広がる、透明な花びら。けれどその先端は鋭利に尖っており、触れるもの全てを傷つけかねない美しさだった。

 それで、彼女はどうなった。

 背筋が冷たくなりかけたところに。

 

「いてて……ナイスキャッチ、です」

 

 そんな暢気な声が聞こえた。

 ぱりぱりと氷柱を踏み壊しながら起き上がってくる人影。氷の中から平然と、彼女が姿を現す。

 頭を振るってスポーツキャップを被り直し、マウンテンジャケットの裾を叩いて、ふう、と一息。見るからに無傷であった。

 

「だ、大丈夫ですか」

「ええ、わたしは全然……あ、」

 

 わん。腕の中にいた子犬が一声鳴くなり飛び出して、すったか少年のほうへ駆けていく。少年は目を潤ませてそれを抱きとめた。

 わん太、大丈夫だったか。わんわん。

 そんな平和な会話が繰り広げられるのをぼうっと眺めていたところに、

 

「すみません、メガネが……」

 

 女性が、控えめに声をかけてくる。

 振り返った先、彼女は手のひらに乗せた黒縁眼鏡の霜を払っており。どうやら、スライディングの衝撃で外れて、しかもあの氷塊に飲み込まれてしまっていたらしい。

 

「はい」

 

 きちんと折り畳まれたそれを、手渡してくる。

 受け取って、かけ直す。確かに、うっかり冷凍庫へ入れてしまったかのように冷たかった。

 

「B級のメガネさん……ですよね?」

 

 かけ心地を確かめていたところに。

 そんな、予想外の呼びかけが降ってきた。

 

「あ……はい」

 

 とっさに気の抜けた対応をしてしまったが、彼女はその話題には、特に興味がないようだった。

 静かに、背後へ視線を向け。へし折れ、先端が地面にめり込んだ桜の枝を無感動に見つめたまま、

 

「木が折れちゃった」

 

 ぽつりと、そう呟いた。

 

「あ、あの!」

 

 その微妙な雰囲気の中に割り込んでくる、子犬を抱いた少年。今の彼にとっては、おそらく飼い犬が無事に戻ってきたことが全てなのだろう。

 

「ありがとうございました!」

 

 ぺこっと勢いよく頭を下げる少年に、彼女は若干面食らったようだったが。

 

「……無事で良かったです。気をつけて」

 

 そう優しく告げて、場を収めた。

 少年はもう一度、こちらにも深く頭を下げて、それから小走りで公園を出ていった。

 ぽつんと取り残される、男と女。

 少年の後ろ姿を黙って見送る彼女の横顔に、声をかける。

 

「セツナさん、ですか」

 

 白い肌、白い髪に、アイスブルーの瞳。

 得物や服飾を除いても、それなりに目を引くその容姿には、こちらも見覚えがあった。

 B級ヒーロー、セツナ。自分以上に新人で、まだヒーローネームもついていなかったはずだ。

 

「ええ、まあ……ご存知でしたか」

 

 品良くはにかんでみせるセツナ。こめかみから垂れ下がる髪の一房を、耳にかけ直す。

 

「ご迷惑かけたお詫びにコーヒーでも……奢らせてください」

 

 缶コーヒーになっちゃいますけど。

 おどけて言うセツナに、ぎこちなく微笑み返すことしかできなかった。

 

 ──下心や、疚しい気持ちがあって、彼女について覚えていた訳ではない。

 生まれ持った超能力で怪人を倒す、珍しいタイプのヒーロー。

 戦慄のタツマキ、地獄のフブキ、そして。

 その出自を、才能を、羨んでやまなかった。それだけで、彼女の名前を記憶していたのだ。

 そのほろ苦さを今、コーヒーの味以上に鮮明に、思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 B級ヒーローともなると、飛び抜けて我の強いタイプが多くなってくる。

 能力のない人間は生き残れないし、能力があっても踏ん張れない人間もまた、生き残れない。弱い人間は当然に軽んじられるし、年齢や性別だけで陰口を叩くような輩だって平気でいる。

 ヒーロー協会の体質には問題がある。

 下手をすれば、一般の企業以上に。

 それが今までの見解であったし──それを踏まえて、『目立った活躍もない、若くおとなしい女性』であるセツナが後ろ盾なくB級で生き残っているのは、少し不思議ではあった。

 今も彼女はマイペースに、購入したゼリー入り炭酸飲料に苦戦している。アルミ缶を振っては傾け、振っては傾けしているが、なかなかゼリーがクラッシュしないらしい。

 ベンチに腰掛け、浮いた爪先がそのもどかしさを表すようにゆらゆら揺れている。

 

 ──のんきだ、と思う。

 これならば、形式上『上司』として仕えていた14歳の少女のほうが、よほどしっかりしていたと言えるかもしれない。

 超能力者として恵まれているからか、それとも本人の気質によるものか。

 

「──フブキ組を抜けられたとか、」

 

 ジュースを飲もうと頑張るのに飽きたのか、セツナが唐突に話題を振ってきた。

 

「……え、」

 

 驚きのあまり、とうに中身を飲み干したコーヒーの空き缶を取り落としそうになった。

 まさか、知っていたとは。

 何と言っても、ほんの1週間しか経っていないのだ。見かけによらず顔が広いというか、お喋り好きなのか。

 

「……よく、ご存知で」

「広いようで狭い世界ですからね。意識せずとも耳に入ってくることはあります」

 

 淡々と、ぼやかした言い方だった。

 物腰柔らかなだけで、別にこちらに心を開いている訳ではないのだ。そう思った。

 ……セツナは、フブキについてどう思っているのだろう。

 

「……セツナさんは、フブキ組には入らないんですか」

 

 気づいたら、そんなことを尋ねていた。

 フブキとセツナ。変な意味ではなく、お似合いの2人だと思った。自信に満ち溢れたフブキと、控えめで穏やかなセツナ。黒と、白。

 

「わたしですか?」

 

 しかし、当のセツナはきょとんと、思いもよらないことを聞かれたような顔をして。

 

「うーん……わたしの能力だと、ご迷惑がかかるかもと思って」

 

 そんな、のんびりとした解答。

 別に、特別なこととも思っていない風な。

 フブキ組の末端に縋りついていた自分では、最後まで至れなかったであろう境地だった。

 

 ──特別な生まれ。

 それに対する憧れを断ち切れたかといえば、これもまた嘘になった。

 努力では超えられない明確な“壁”。フブキはその能力を生まれ持った特別なものと言って憚らなかったし、事実、客観的にそうであった。

 セツナはどう思っているのだろう。

 自身を、恵まれた存在だと思うのか。

 ヒーローの中でも選ばれし者だと。

 

「……いいですね、超能力……」

 

 つい、そう口に出して。

 

「そうですか」

 

 ──セツナの返しは、思っていた以上に冷淡だった。

 今までとは違い、突き放すような、尖った雰囲気の漂う一言。え、と思わず顔を上げ、彼女の表情を窺おうとしたその瞬間。

 背後で激しい爆発音。

 ややくぐもって聞こえる距離感だった。

 とっさに顔を向けたその方角から、もくもくと黒煙が上がっているのが見える。

 

「今の、」

「……近いですね。怪人でしょうか」

 

 言いながら、立ち上がるセツナ。数秒黙って立ち昇る煙を眺め、それから歩き出す。明らかにそちらへと向かう雰囲気だった。

 

「い、行くんですか?」

「まあ……そうしようかと」

 

 この期に及んでのんきな言い草。

 慌ててポケットから端末を取り出し、災害情報をチェックする。この近辺ではまだ、それらしき情報は出ていない。

 

「まだ警報も出てないのに、」

「警報?」

「だから、虎とか、狼とか……」

 

 ああ。セツナが興味なさげに喉を鳴らす。

 

「現場で見ればわかることですよ」

 

 やんわりと、窘めるような口調だった。

 相変わらずマイペースで──けれど、つけ入る隙のない反駁だった。

 

「他のヒーローの応援は、」

「市街地みたいですし、勝手に集まってくるんじゃないでしょうか」

 

 どうしてここまで突っかかるのか。

 放っておけばいいじゃないか。

 自分でも不思議なくらいだった。

 余計な心配か、それとも自己防衛の言い訳か。そのどちらとも判別がつかぬまま、けれど、口をつぐんで見送る気にはなれなかったのだ。

 ──しかし、

 

「でも、」

 

 そこで、妙な雰囲気に気づいて。

 おそるおそる顔を上げて、息が止まる。

 ──セツナが、全くの無表情でこちらを見下ろしていた。

 まるで、踏みにじられた蟻の死骸を眺めるかのような、温かみのない眼差し。

 ぞっと怖気が走ったのもつかの間、

 

「──大丈夫ですよ、」

 

 にこっ、と。

 先ほどの冷ややかさが嘘のように、可憐な微笑みを浮かべてみせる。

 

「メガネさんなら、お一人でもきっと素敵なヒーローとしてやっていけます」

 

 穏やかに弾む声音。凍てつく邪気など欠片も読み取れない、無垢なエールだった。

 

「わたし、応援していますから」

 

 何でも相談してくださいね。

 最後にそう自然な社交辞令を残して、セツナは躊躇なくこちらに背を向けた。そのまま振り返ることなく、公園を出ていく。

 小走りで去っていくその背中を、最後まで見送ることができなかった。

 

 ──全く、関係のない話題で茶を濁された。そして、逃げられた。

 けれど、そこに憤慨したり呆れたりする余裕はもはやなかった。

 

「──っ、はぁあ、……」

 

 どっと嫌な汗が噴き出すのを感じながら、ベンチの背もたれに体を預ける。

 死ぬかと思った。

 ……いや、殺されると思った?

 そんなまさか。いやでも。

 

「……なんか……怖い感じの人だったな……」

 

 冷ややかなアイスブルーと目が合ったあの瞬間の重圧、言葉では説明ができない。

 形容しがたい凄みとでもいうべきか。

 タツマキのそれと似ているようでいて、それよりも漠然と恐ろしいもののような気がした。

 たまたま恵まれただけの、ごく普通の女性。性格は穏やかで、すこぶるのんき。

 そんな勝手な脳内イメージが、がらがらと音を立てて崩れ去っていく。

 ヒーロー然、というよりは、何かもっと違うもののように見えたが──

 

「……俺も、頑張らないとな」

 

 ヒーローという憧れに現を抜かして死ぬなんて、無様な真似はするな。

 限界は何をもって誰が決める。

 大丈夫ですよ。

 他人と自分を比べてどうする。誰が楽で誰が楽じゃないなんて、どうやって決めるんだ。

 戦うべきは明日の、自分だ。

 

「はあ……」

 

 うなだれた手の中で、コーヒーの空き缶が中途半端に凹んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暴動でも起きたのか、と聞きたくなるほど荒れ果てた交差点の一角にて。

 

「あ」

 

 彼女は、彼を見つけた。

 

「なんだ、サイタマだったの……」

 

 確かに現場は、既に後処理の段階に入っていたが。鎮めたのはこの広義の隣人だった訳だ。

 見慣れたヒーロースーツを身に纏った男──サイタマは、その呼びかけに顔を上げる。彼女を認めて、退屈そうな表情に僅かながら色が乗った。

 

「セツナじゃん。どうした?」

「いや……爆発音が聞こえたからね。様子を見に来たんだけど……」

 

 ちょうどその脇を、ドップラー効果で音を引きずりながら走り抜けていく救急車。セツナはそれを見るともなしに目で追ってから、

 

「終わったみたいだね」

 

 それだけを口に出した。

 この程度の荒れ具合はもはや日常茶飯事と化しており、被害者ですら淡々と事後処理に取り掛かっている。彼と彼女の感性も例に漏れず、この程度ではもはや微動だにしなかった。

 

「大丈夫?」

「おう」

 

 とりあえず、という調子で振られた安否確認を、同じ程度の熱量で打ち返したサイタマは、ぽつぽつと事の流れを説明し始める。

 

「前も言ったナントカのパニック……だっけ? そいつがいきなり暴れ出してさ」

 

 手刀でコンクリートに沈んだ彼は、特に何事もなく不審者として連行されていったが。高ランクの賞金首として騒ぎになるのはこれからの話だ。

 しかしどちらにせよ、2人にはもはや関係のない話であった。

 

「ま、バッチリ倒したし、問題ねーよ。これでC級ノルマも達成だな」

 

 ぶい、とエナメルグローブに包まれた手でピースサインを作ってみせる。

 

「ノルマ?」

「ああ……C級はなんか数が多いとかで、週1でヒーロー活動しねーとクビなんだってよ」

「え、そうだったの」

 

 彼の弟子たる若きサイボーグはS級、そしてセツナはB級のため、そんなルールは知る由もなく。サイタマがこうして首の皮一枚繋がったことは、ほとんど奇跡に近い事象であった。

 セツナは献身的な弟子と同じく、表立ってサイタマの怠慢を揶揄することはなく。神妙に眉を下げてみせる。

 

「大変だね……」

「面倒くせーけど、ランク上げれば済む話っぽいし。なんとかなるだろ、まあ」

 

 語尾が大あくびに飲み込まれ。その勢いに任せて、力いっぱい伸びをするサイタマ。

 

「とりあえず……帰ろーぜ」

「……そうだね」

 

 一仕事終えた、とばかりのサイタマに、苦笑交じりに同意を示して、セツナが隣に並ぶ。

 2つの影が、顔の形に凹んでひび割れたアスファルトに長く伸びていく。いつの間にか、もうすぐ日が暮れそうだった。

 セツナはその傾いた陽をぼんやり眺めて、小さくため息。

 

「……なんか、色々と大変な1日だったなー」

「おー、お前もか」

 

 今日もまた、何も知らない彼と彼女の1日が、穏やかに終わっていく。




何となく書きたかっただけの話です。
サイタマ周りの重要な話だけピックアップして書いていくと、超スピードでストーリーが終わってしまうので、本編に関係ない話も(書きたいので)書いていこうと思ってます。そんなに長い寄り道はしないつもりですが。
番外編抜きで書くと本当に速攻で完結しそうな予感がします。

それと、主人公の支援絵を頂きました(HIyOgIさんより)。ありがとうございます。
絵が描けない人間として本当にすげー!となったので、挿絵や主人公のイメージにこだわりのない方はぜひ見ていただきたいです。

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