うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。   作:赤谷ドルフィン

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ヒーローですから

 何日か経って。トラブルの原因となったあのDVDケースを回収しに、ようやくサイタマ宅を訪れた時のことだった。

 

「あ」

 

 冷たい緑茶を出されたのでありがたく頂いて、テレビ番組を肴に、だらだらと飲み交わしていたものの。

 やがてピッチャーの中身が切れたので足しに行こうとしたら、茶のパックそのものがないことに気づいた。勝手知ったるサイタマの部屋、他の場所に予備があるとは考えにくい。

 空の外装パッケージを捨てながら、リビングにいるであろうサイタマに呼びかける。

 

「サイタマ、お茶パックが切れてるよ」

 

 しかし、返事がない。

 

「サイタマ?」

 

 聞こえなかったんだろうか、とカウンターから身を乗り出して。

 当のサイタマが、既に床へ横たわってしまっていることに気づいた。声をかけて無反応ということは、うつらうつらというレベルではないようだ。先ほどまで起きて普通に話していたのに、いつの間に。

 

「……寝てるのか」

 

 この状況で眠くなって、そして寝ようと思うことがすごい。

 とりあえず空のピッチャーは洗って、水切りかごに立てかけておく。手を拭いて、何となく忍び足でリビングに戻った。

 

「おーい……」

 

 当然、反応はなし。

 近くにあった漫画本を枕に、仰向けに寝そべっている。白いTシャツの胸元が規則正しく上下しており、すっかり寝入っているようだ。

 雑な動作でその枕元に座り込んでも、ぴくりともしない。

 

「暢気なこって」

 

 信用されているのか、サイタマが単に無防備すぎるのか。

 どちらにしても気分のいい話ではないな、と思った。

 

「……帰ろうかな……」

 

 幸い、目的のブツは既にあるのだし。

 テーブルの上へ無造作に放置されていたケースを手に取る。ジッパーを開けて、その中身が揃っていることを確認する。

 

「……う、」

 

 ……つい、思い出してしまった。

 新鮮な恥ずかしさが蘇ってくる。

 しかし、サイタマがああいう反応を見せたのは意外だった。

 いや、ぽけっとしているだけで普通の成人男性なのだし、そこまで無知な訳はないか。何となく、サイタマの解像度が上がった気がした。

 と、いうことは。

 

 ──俺が迫ったら、流されてくれるのか。

 

 たびたび浮かんでいた選択肢が、急に現実性を帯びてくる。既成事実。そんな犯罪じみたワードが頭をよぎった。

 何でもかんでもまあいっか、で済ませる押しと勢いに激弱な男なのだ。

 ちらっと、未だ平和な寝息を立てるサイタマの顔を見やって。

 

「……いや寝込みを襲うのは普通に犯罪だろ……」

 

 それこそ性犯罪者じゃないか。

 あの潔癖ジェノスにバレたら、師匠の御身を穢した大罪人として焼却されかねない。

 

「大体、」

 

 男とセックスなんてできるのか?

 体感としては、路上で全裸になれと命じられている感覚に近い。めちゃめちゃ恥ずかしいしめちゃめちゃ気分が悪いが、不可能ではない。

 命が懸かったら、やれる踏ん切りがつくかもしれない。そういうレベルの話だ。

 いや。

 ……重く考えすぎなのだろうか。

 この体は女で、男とヤるなんて普通のことで、サイタマとそうして何かが失われる訳でもない。強いて考えるなら、膜くらいなものだ。

 手順を踏めば誰に責められるようなことでもないのだ。全裸を強要されるのとは、そこが違う。

 まあ、好きでもない男、というのが肝心か。大多数の女性は女性だからといってハニートラップや枕営業に耐性があるか、といえばそんなこたあないだろう。ようやらんわ。

 

「考え方の問題、か……」

 

 怪しいオンラインサロンに出てきそうな響きだが、それなりに納得はした。

 サイタマは未だ、すやすやと寝入っている。と思ったら、右手が動いて少し驚いたが、乱れた裾から出た腹を掻いただけだった。

 

「………………」

 

 膝を使って、距離を詰める。

 改めて思うことだが、彼からはおよそ体臭というものが感じ取れない。ジェノスは当然そう(たまにオイルや煙の臭いはする)だが、サイタマも同じなので、部屋から生活感が奪われている。

 毛がないせいか、と彼が聞いたら怒り出しそうなことを思いつつ、上体を屈めた。

 起きる気配はない。

 眉もまつ毛も細いが、無い訳じゃないんだな。この距離まで近づいてもムダ毛一本ない綺麗な肌なのは、女子ならば羨ましいのではないか。

 薄い唇が半開きになって、浅い呼吸を繰り返している。

 それを数秒、見つめて、

 

「……だから、犯罪なんだって」

 

 冷静になれ、俺。

 恋愛漫画のワンシーンなら画になるだけだが、リアルでやったら『恐怖!睡姦女』だ。

 

「拒否られたら詰むし」

 

 セックスが目的と思われたら困るのだ。

 それに対してサイタマが嫌悪感を抱こうが、罪悪感を抱こうが、良い方向には行かないだろう。

 とにかく、今考えることじゃない。

 姿勢を正して、距離を取って、

 

「──先生、ただいま戻りました!」

「うばぁ」

 

 背後から飛び込んでくる狂犬サイボーグの吠え声。相変わらずタイミング良いのか悪いのか。

 驚きのあまり、バンジョーとカズーイの大冒険に出てくる雑魚敵のような声を上げて仰け反ってしまったが。ジェノスはすたすたと室内に入ってきて、サイタマと、その傍らの俺を見て。

 

「………………」

「……え、えっと、ジェノス君……?」

 

 何だよその目は。やめろ。未遂だぞ。

 

「サイタマなら、寝てるけど……?」

 

 ジェノスは、それには特に反応しなかった。背負っていた荷物を床に置き、持っていた新聞紙をテーブルの上に投げ。

 

「ここに住むことになった」

「あ、そうだったの……」

 

 予想はしていたが、結局は俺を介すことなく間借りに漕ぎ着けたらしい。まあ、これはこれである意味朗報だ、と思った矢先、

 

「余計なことはするなよ」

 

 余計なこと──って、何すか。

 意味深な忠告だった。

 思わずジェノスのほうを見たが、彼はこちらを見ることもなく荷解きを始めている。

 何なんだ。イケメンサイボーグと半同棲生活、ならともかく(俺は別にしたくないが)、イケメンサイボーグと嫁姑関係、は誰に需要があるのか。

 

「──んが、」

 

 背後で、鼻にかかった呻き声。

 

「あー……寝てた」

 

 どうやら、サイタマが目を覚ましたらしい。さすがに会話が耳についたのか。

 振り返った先、頭を抱えて起き上がるサイタマ。豪快なあくびとともに、寝ぼけ眼を擦りながらこちらに向けて。

 

「ジェノスか……」

 

 それから俺に流し目をくれて、盛大に伸びをしてみせる。

 

「……おはよう」

「ん……お前が起こすと思ったんだけどな」

「いや、まあね……」

 

 疚しい気持ちが皆無だったとは言い切れず、きちんと目を見て答えられなかった。

 遊びに来ておいて、寝ていたのを起こさないなんておかしいだろうか。ジェノスはともかく、サイタマがその疑問に気づいたらまずい。

 今は長居しても良いことはないか。

 

「じゃあ、わたし……帰るね」

 

 ケースを抱えて、逃げるようにサイタマの部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自室に帰り、ケースを棚に戻しても、そのままそこにいる気にはなれず。

 何となく、街へ出た。こうしてぶらついているだけでも『見回り』として仕事の一貫になるのだから、自由な職業ではある。

 

「はあ、」

 

 街角で足を止めて、眉間を揉む。

 ──ジェノスの扱いが、想像以上に悩ましい。

 再婚相手がデカい継子を連れてきた時のストレスって、こんな感じだろうか。

 どう接してやればいいのか──いや、別に無理して仲良くなる必要はないんだが。

 しかし、ジェノスが住み着くならいよいよサイタマの家に行きづらくなるな。

 これからどうするか。石塀にもたれて、ぼうっと通りを眺めているうち。

 

「ん……」

 

 “違和感”に気づいた。

 この景色、何かがおかしい。

 

「……何だ?」

 

 同じ車──スモークガラスで目隠しされた黒塗りのセダンが、延々と道に連なっている。

 ひとつの方角から来ているようだ。赤信号で足止めされた先頭の車両から、ずっと視線を這わせていって。──その先には、見慣れた巨大な建築物があるのに気づいた。

 ヒーロー協会、Z市支部。

 この広々とした大通りは、その支部の出入り口から真っ直ぐ伸びていることを思い出した。

 同じ車。内側が見えない。

 支部から同じ場所に向かっている。 いや、逃げている? 何のために。

 そこまで考えて浮かんだのは、

 

「隕石……」

 

 プロヒーロー試験合格。C級ノルマ達成の後に来るイベントといえば。

 巨大隕石が近づいてきて、ここZ市に墜ちる、と判明する。それが今日なのだ。

 さて。どうしよう。

 どうするべきか。

 はっきり言って、これは放っておいても何ら問題のない災害だ。

 隕石はサイタマが破壊する。俺はそれを、遠くから黙って見ていればいいだけ、

 

 ──少しはプロヒーローらしい解答をしろ。

 

 どうしてだか。いつかのジェノスの呟きが、ふっと脳裏を掠めていった。

 ヒーローらしさ。

 正義とは。

 

「そんなもの、俺にはないんだよ……」

 

 プロヒーローたちも、正義という概念も、俺を救ってくれる訳ではない。

 俺が語る資格さえない。

 ジェノスは俺に何を求めているんだろう。何も求めてはいないのか。

 けれど、お前はヒーロー失格だ、と言われたことはなかった。

 眉間を押さえる。

 

「………………」

 

 ヒーロー。ヒーローか。

 サイタマは“強い”というただ一点でヒーローだ。

 俺は彼のようになることはできないが。

 せめて“それらしくあること”がお前の望み、俺に唯一求めることならば。

 手を離して、顔を上げた。

 

「……行くか、」

 

 ダッシュでな。

 

 

 

 

 ──あんなに近く見えていた支部は、あの交差点からは思ったよりも距離があった。

 だいぶ走って、ようやく広大な玄関アプローチの下まで辿り着いたところで。

 ぽつんと一人で、そこを下りてくる人影に気づいた。やや曲がった腰と、後ろへ流した白髪。

 

「……シルバーファングさん!」

 

 階段下から声を張り上げる。

 ジェノスには間に合わなかったか。まあ、サイタマ然りビルで八艘飛びができる人種とスピード比べなんか、最初からできようがない。

 シルバーファングことバングもそのタイプであるようで、先ほどまでののんびりした歩みから、目にも留まらぬ速さで下までやってきた。ヒーローネームで特定されたあたりで急用だと思われたのだろうか。

 俺の前へ音もなく着地したバングは、年季と場数の刻まれた顔を俺に向け、

 

「儂に何か御用かな?」

「あ、あの……」

 

 彼と出会えたのはラッキーだったが、特に明確な算段があった訳でもない。

 どう切り出すか迷って、

 

「男の子、見ませんでしたか? 金髪の、サイボーグなんですけど……」

 

 駄目だ、呼吸が整わない。

 全力で走りすぎた。髪もボサボサだし。

 手癖で何とか整えている間に、

 

「金髪の……ははあ、」

 

 バングは口髭をいじりながら、なぜかしたり顔。それから、

 

「お嬢さん……きみは彼の『コレ』かね?」

 

 にやっと不敵に笑って、小指を立ててみせる。何の話だと普通に首を捻りかけて、小指──

 

「──げっほ、」

 

 理解した瞬間、何もないのに勢いよく噎せた。

 『コレ』ってつまり。おぞましい勘違いとその衝撃に、視界が暗くなったり明るくなったり。

 いやてかジェスチャー古っ、今の20代にはもう通じないだろ!

 この状況でそんなことを口にする時点から、嫌な意味で時代を感じているが。

 

「なるほど、彼はきみを守るためになあ」

「ち、違います……違いますから、」

「照れんでも大丈夫だぜ」

 

 話が通じていない。

 大切な人と〜 → 無視して現場に直行、の事前の流れが勘違いに一役買っているのだろうか。ジェノス君が今回のことで守りたいのは俺じゃなく、家で漫画読んでる同性のハゲです。

 しかしそんなことを馬鹿真面目に伝えたところで、ふざけていると思われて終わりか。

 どうしよう。どう説明したらいい。

 

「わ、わたし……」

 

 ぐるぐると、様々なワードが頭を巡って。

 

「わたし、……好きな人がいるので!」

 

 ──最終的に、その手札を切った。

 別に100%嘘ではないし、バング相手にはそれなりに効果的だったようで。目を瞠ったかと思えば、

 

「……おお。そりゃ、気分の悪い勘違いを。すまんかった」

「い、いえ……」

 

 驚くほど簡単に話が収まった。とりあえず、妙な誤解は解けたようだ。

 気まずそうな顔のバングは、ごほんとわざとらしい咳払いをひとつ。

 

「それで……どうしたいんだね?」

 

 ジェノスに用があるのは確かなのだろう。

 未だ輝きを失わない鋼の瞳が、真っ直ぐこちらを見つめてくる。武道家であり、ヒーローの目だった。

 何が、したいのか。

 

「──彼のもとに行くなら、一緒に連れていってください」

 

 バングは、今度こそ驚かなかった。落ち着いた仕草で、腰に回した腕を組み直す。

 

「危険じゃぞ」

「問題ありません」

 

 お前はそうすべき存在なのだ、と。

 彼なら言うかもしれないから。

 

「ヒーローですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、同業者だったとは」

 

 俺を背負いながら超スピードでビルを八艘飛びしている最中、バングがそんなことを口にした。

 運んでもらっておいて何だが、一般ピープルは暢気にお喋りできるような環境ではない。

 

「重ね重ね申し訳ない」

「いえ……わたしなんか、シルバーファングさんの足元にも及ばないようなランクでひゅ、」

 

 危ね、舌噛みそうになった。

 このスピードだと口内炎ができるに留まらず、舌ごと持っていかれそうで怖い。

 

「……すみません、冷たいですよね」

「気にせんでいい。無礼の詫びとでも思ってくれ」

 

 干支が1周/十二支が5周くらい違うおじいちゃんに超速でおぶられている、という意味不明な状況だが、謎の安心感があった。

 身長はしっかり背筋を正しても俺とほぼ変わらないのに。畳の匂いがするからか。

 

「む、」

「ぐべ」

 

 そこで、なぜかおもむろに急停止するバング。

 トランスフォームジェノスちょっと見たかったな、とか完全に油断していたところだったので、慣性で舌以前に頭が持っていかれそうになった。

 痛む首を叱咤して、バングと同じく空を仰ぐ。その瞬間、上空で炸裂する、

 

「わっ」

 

 おそらく、ミサイル。

 五感を破壊しかねない轟音、そして閃光。青空を覆い隠す膨大な黒煙。

 

「あれは……メタルナイトか!」

 

 バングが叫んだその瞬間、その煙の膜を破って現れる──隕石。原作通りの内容ではあるが、改めて目の当たりにすると、純粋に驚きがあった。

 

「あの威力でも破壊できないなんて」

「さすがは災害レベル竜、と言ったところじゃな……おっと、ジェノス君も近くにいるらしい」

 

 どんな視力だ、俺には何も見えないが。

 

「……しかし、あの坊やとは知り合いなんじゃろ?」

「えっと……直接の関係ではないといいますか」

 

 知り合いの弟子、という関係なので、のちのサイタマとチャランコの間柄に近いものがある。

 要するに他人なのだが、サイタマのこともあるし、俺たちは物理的に距離が近いから。

 

「……仲間として、友人として……わたしなりに、大切に思っているつもりではあります」

「そうか」

 

 それからは、特に会話もなく。ジェノスのもとへ急ぐバングの背で揺られるだけだった。

 

 

 

 

 そして、ジェノスが佇むビルの屋上にて。

 隕石は既に、目視で落下してきているのが確認できる程度に近づいていた。ここが落下地点のようだし、最も近く見えて当たり前なのだが。

 微妙な姿勢で立ち竦むジェノスは、何か必死に考え込んでいるようだった。

 それこそ、俺たちがここに降り立って、近づいていっても気づかないほどに。

 

「まあ落ち着け、」

 

 バングの一声で、いつもよりメカニックなその肩が小さく跳ねる。

 

「心に乱れが見える。……お主は失敗を考えるのにはまだ、若すぎるのう……」

 

 土壇場こそ、適当がベスト。

 そう語るバングに視線をやったジェノスは、ついで、その隣の俺を見て。少し、驚いたような顔をした。

 

「お前……」

「だ、大丈夫だよ、ジェノス君ならできる」

 

 ここまで来て何ができる訳でもないので、とりあえず応援しておく。

 今の俺のパワーでは、あの隕石をぶち壊すのは確実に無理。それなら、その後に来るであろう破片の処理に力を回したい。

 

「いや……何をしようとしているのかはよくわからないけど……」

「………………」

 

 やべ、余計な一言だったかな。

 ジェノスの無言にそう思ったが、彼はただ、ふっと短く息を吐き出して。

 

「……お前らしいな」

 

 そう言ったかと思えば、着ていたノースリーブパーカーを勢いよくむしり出した。

 豪快な脱衣ショーのち、御開帳した胸部から取り出したコアを腕のソケットにねじ込む。男のコってこういうのが好きなんでしょ、だ。

 

「──2人とも、伏せていろ!」

「ほ」「ぅわっ」

 

 天空に向けて、一閃。

 幾筋もの光と熱の矢が、隕石を穿たんと屋上から伸びていく。その規模は、メタルナイトのミサイルの比ではない。うるさいなんて言葉じゃ済まない轟音が辺りに鳴り響く。

 しかし、“決着”は残酷にも、その数秒で決まってしまったらしい。

 

「駄目だ、破壊できるようなものじゃない!」

 

 暖簾に腕押し、を自覚してしまったジェノスが悲痛に声を張り上げる。

 

「いや、だが気のせいか、隕石が勢いを落としているように見える!!」

「本当か!?」

「あいや、気のせいじゃった!!」

「クソジジィめ!!」

「言ってる場合かな!?」

 

 いつもとは別ベクトルで頭が痛い。

 隕石破壊RTAというか、もはや鼓膜破壊RTAだ。バングはよくこの状況で耳から血を出さずにいられるな、鼓膜が強化硝子か何かでできてるのか?

 

 ──やがて、ジェノスの全身全霊を注いだであろう特大の焼却砲は音もなく収束し。

 彼が、膝をつく。

 残り8秒。

 

「……逃げるんだ、バングさん…………セツナ、」

 

 その瞬間。よく磨かれたブーツでコンクリートに降り立つ、軽やかな足音がした。

 振り返った先、白いマントが爆風の名残をはらんではためいている。その持ち主は、

 

「セツナ。ジェノス、任せたぞ」

「……サイタマ」

 

 思わずその名を呟いた俺とは対照的に、

 

「だ──誰じゃね、きみは!?」

 

 彼──サイタマは、それに対してただ、にっ、と不敵な微笑みを浮かべて。

 

「俺は、ヒーローをやっている者だ」

 

 避難してな。

 そう言った次の瞬間、大きく上体を屈めたように見えた。──見えた、だけだった。

 既にその姿は屋上にはなく、ただ、彼が巻き起こした砂埃が舞うのみ。

 

「先生ッ!?」

 

 ジェノスにつられて空を仰いだが、やはり何も見えない、聞こえない。

 と、思ったその時。

 もはや暴力としか思えない爆音が、天から降り注いできた。メタルナイトのミサイルより、ジェノスの焼却砲より、もっともっと大きい衝撃。

 隕石が、割れたのだ。本能でそう感じた。

 

「砕きおった、信じられん!」

「でも、落ちてきます!」

 

 ようやく立ちん坊以外の仕事が回ってきた。

 想定外の喧しさに邪魔されたが、まあ問題はないだろう。

 額に指先を当てる。何度もイメージトレーニングしたように、能力の“網”を薄く、広く、上空へ広げていく。

 いちいち視認して破壊するのでは遅すぎる。俺の動体視力より、反射のほうが優秀なのだ。

 少し前から考えていた、防衛本能の転用みたいなもの。発生自体はそれに任せて、俺はその範囲を調節すればいい。

 これに掛かった破片はみな凍って、砕ける。はず。練習ではわりと成功していたが、実戦ではどうか。

 

「超能力か!」

「このビルの周辺が限界ですが、っ……」

 

 無事、それなりの形になっているようだが。

 案の定、消耗が馬鹿にならない。

 能力自体はおそらくいくらでも使えるのだが、それを発動させる俺の体が追いつかないのだ。

 弾が無尽蔵に湧き出る銃があったとしても、永遠に撃ち続けることはできない。銃身自体が駄目になってしまうから。それと似た話である。

 これでも、最初期に比べたらキャパシティが増えてきているような気はするのだけど。

 

「はあ、」

 

 第一波は何とか凌いだが、頭の奥がきりきり痛み始めた。

 

「とにかく……退散するか。ジェノス君はまだ動けんじゃろう。儂が運んでいこう」

「くっ……」

「セツナ君は大丈夫か?」

「え、ええ……」

 

 ……原作とは異なりビルは崩壊しなかったが、やはりそういう話になるのか。

 ジェノスを小脇に抱えて飛び立つバングの背中を慌てて追いかけた。ちょ、これ俺はどうやって着地すれば?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──で、何とか3人で地上に避難して。

 オーバーヒートで動けない、というジェノスの体を、とりあえず能力で冷ましてみる。

 アツアツの隕石を壊すのと比べれば、朝飯前なんて慣用句さえ大袈裟に感じる作業だ。

 

「便利な力じゃの」

「使い勝手はそれなりに良いんですが、いかんせんわたし自身のキャパが少ないので……」

 

 これで制限なく自由に使えていたら、S級末席くらいには食い込んでいたかもしれない。……同じ超能力者としてタツマキが許さないか。アマイマスクのことも怖いし。

 

「……大丈夫?」

「うむ、だいぶ冷えたな」

 

 座り込んだままのジェノスの肩口をぺたぺた触るバングは、そんな感想。

 とりあえず、人間が触って火傷しない程度には下がったのだろうか。相手がバングなのであまり参考にはならないかも。

 当のジェノス曰く、

 

「体内温度は活動可能域まで下がったが……どちらにせよエネルギーが尽きている……復旧までには時間がかかるかもしれない」

「そっか、」

 

 まあ、勝手にパシって申し訳ないがここには彼もいるし。サイタマなり、クセーノ博士なりが来るまでここに放置しても大丈夫だろう。

 

「シルバーファングさん。すみませんが少しの間、ジェノス君をよろしくお願いします」

「おお、」

 

 気さくに片手を挙げて応じてくれる。間違いなく良い人である。

 

「わたしはちょっと、見回りを。消火活動が必要になってくるかもしれないので」

「そうか……気をつけてな」

 

 そろそろまずそうなので、どれだけ役に立てるかはわからないけれど。とりあえず、無理はしないようにやれるだけのことはやってみよう。

 住人の避難を誘導するだけでも意味はあるのだし──と、背を向けたその時。

 

「おい」

 

 なぜか、ジェノスに呼び止められた。

 今度は何の嫌味だ、と呆れ半分で肩越しに振り返る。……異色の瞳が、思いがけず真摯にこちらを見据えていた。

 

「……火は、大丈夫なのか」

 

 火。はっとした。──サイタマが言ったことを覚えていたのか。

 まさか、ジェノスが。

 確かに、既にあちこちで火事が起きていて。そういう意味でも気分の良くない光景だが。

 今さら何を、とは思わなかった。

 そう言ってもらえただけで、今はじゅうぶんな気もした。

 

「……心配してくれてありがとう。でも、それがわたしの仕事だもの」

 

 プロのヒーローとして。

 それくらいしかできない。

 

 何となく、ジェノスの顔が見られなくて。

 向き直って、振り返らずに燃え盛る街へと足を踏み出した。

 

 ──俺、ヒーローらしくできてるんだろうか。

 

 答えてくれる人は、誰もいない。




ジェノスは俺が“守護”る……!!
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