うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。   作:赤谷ドルフィン

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ゆうべはおたのしみでしたね

 いつの間にか、眠っていた。

 夢は見なかった。

 

 

 小鳥のさえずりで、重い瞼を開ける。

 眩しい。半端に開いたカーテンから、日光が燦燦と射し込んでいるのを肌で感じる。

 

「……ん……」

 

 開ききらない目を擦りながら、あくび。

 前世からそうだったのだが、朝はいつもぼうっとしてしまう。体が変わっても改善の傾向が見られないのは、“セツナ”も同じ体質だったのか、それとも精神的な問題なのか。

 ともかく、まだ眠いとか怠いとか、そういう寝足りなさがある訳ではなかった。

 わりとすっきりした目覚め。布団に包まった状態に名残惜しさを覚えるでもなく、自然に体を起こす。

 一晩眠って、だいぶ気持ちは落ち着いていた。

 訳のわからない焦燥感も、悲しみも、気分の悪さも既にどこにもない。そこでふとこめかみに手をやったが、薄く土台のようなものが残っているだけで、頭痛もしなかった。

 ほっと、胸を撫で下ろす。

 首の皮一枚繋がっただけだとしても、少なくとも今だけはこの安堵感は揺るぎないものだ。

 大丈夫。言い聞かせる訳ではなく、淡々と、事実としてそれを認識した。

 ……何だか色々恥ずかしいことがあった気がしたけれど、それも済んだこととして水に流そう。

 

 ──部屋の中は、見慣れない景色。

 寝起きの頭では一瞬、理解が追いつかなかったが。そういえば、サイタマの部屋で布団を借りたのだっけ、と思い返す。ここ数日、イレギュラーばかりでいつもどおりに落ち着いて目覚められていない気がする。

 サイタマといえば、その当の家主はどこにいるのだろうか。狭い部屋だというのに、目の届く範囲にあの目立つスキンヘッドの姿はない。

 ……ついでにジェノスもいない。

 まあ、半壊したのが昨日の今日なので、まだ研究所で修理しているだけだろうが。

 外出中かと首を捻りかけたところで、

 

「──お。起きたか?」

 

 廊下の奥、玄関付近から声がした。

 やっぱり出かけていたのかと思ったが、短い廊下をぺたぺた素足を鳴らしてやって来た彼は。

 半裸で、湯気をくゆらせていた。

 

「全然目ぇ覚まさないから心配──」

 

 タオルで汗を拭いつつ部屋に入ってくる無防備なその姿に、妙な焦りや慌てのようなものを覚えるよりも早く。

 

「ばッ……だからお前……!」

 

 なぜか。

 サイタマのほうが目を剥いて、素早くキッチンに隠れてしまった。尻切れトンボの雑談が虚しく部屋の空気に溶ける。

 しかし、何事と思考を巡らす余地はなかった。

 言うまでもなく、今の俺は全裸で。しかも他人の家、ということをまるっきり忘れて、普通に布団から起き上がっていたのだから。

 ──つまり、乳が丸出し。

 

「あ゛っ」

 

 それを今さら認識して、慌てて布団の裾で胸元を隠す。これもサイタマの私物なのだが、そんなところで躊躇っていられない。

 昨日のどたばたとこの格好で眠ったことで、すっかり裸体に慣れてしまっていた。

 男の時だったらサイタマの如く気にしなかっただろうけれど、さすがに女性の胸となれば話は別だ。自分の認識も違ってくるし、何より社会の目が180度変わってしまう。

 “俺”の体じゃないから、と割り切ることなんてもうできなかった。見られた。公道で出してたら捕まるような部分を。テレビに映せない箇所を。

 いや、昨日はもっとすごいところまで見られてしまったのだっけ? でも暗かったから。

 ていうか、俺は過去、既にサイタマの裸を見てしまっている?

 じゃあこれでようやくおあいこだね、ってんな訳あるか。

 ああ、混乱してきた。とにかく恥ずかしい。時間を巻き戻したい。何が水に流そうだ、朝っぱらから新鮮な恥を上塗りしてしまった。

 

「……ご、ごめん……?」

「い、いや……俺も悪かった……」

 

 とりあえず謝っておくと、サイタマからも漠然とした謝罪が返ってきた。

 駄目だ、こんな状況で「わたしもサイタマの裸見たし」とか言えない。そもそも今が羞恥心の限界なのに、忘れようと努力していたセンシティブなシーンなんて思い出したくない。

 「見た?」なんてもっと聞ける訳ねー。

 絶対見たし。ほぼ正面で目合ったし。

 

「まあ……よく眠れたみてーだな」

 

 カウンターの裏に隠れたまま、サイタマがくぐもった声で雰囲気の軌道修正を図ってくる。

 

「うん……ありがとう」

 

 こちらもそれに有り難く便乗して、ひとまず建設的な話題に移る。壊れたドア──もそうなのだが、それ以上に火急の事態。

 

「服……どうしよう、」

 

 扉は放っておいてもいいかもしれないが、どう考えても服はこのままではいられない。裸族にも少し慣れてきたが、文明社会においては歓迎されない生活体系だ。

 サイタマは、顎を擦りながらふうむと唸って、

 

「うーん……お前の部屋は冷凍庫だし、俺がなんかテキトーに買ってくるしかねーか」

 

 そうなのだ。衣服も下着ももちろん予備が何着かあるが、あの状況ではもう使い物にならないだろう。

 

「別に、俺の貸してもいいけど……下着もないんじゃなぁ」

「そうだよね……」

 

 こちらとしても嫌悪感がある訳ではないが、下着含めた一式を借りるのは躊躇いがあった。部屋の洗濯機は当然壊れているから、洗って返すにもサイタマの部屋のものを使わなくてはいけないし。

 

「とりあえず、買ってくるか」

 

 ……まあ、こうやって使いっ走りにするのとどちらの程度がマシかという話ではあるが。

 せめて金は出そう、財布の中のキャッシュカードはまだ生きているだろうか、そもそも財布どこだよと思ったところで、

 

「センスには期待すんなよ。……お前のシュミとは合わねーらしいし」

「あ、はは……」

 

 何とも言えない表情を浮かべるサイタマ。

 服の話題ではそれなりに話を合わせていたつもりが、微妙に本心を見抜かれていたらしい。

 いや、サイタマ以外の誰があんなクッソブサイクなネズミのマスコットだの“毛”とひたすらに印字されたアロハシャツだのを好むんだよ。

 ……とはさすがに言えず黙っていたが、彼自身はあまり気にしていないようで。そうだ、といきなり声のトーンを上げて、

 

「お前もうちの風呂で良ければシャワー浴び、」

「──サイタマ先生!! 不肖ジェノス、ただいま戻りました!!」

「…………れば……」

 

 サイタマの気遣い溢れる提案に颯爽と割り込んでくる、150デシベル級の帰還宣言──ジェノス。

 喜ぶべきところ、なのだろう。

 あんなズタボロだったのがぴかぴかに直って、しかも俺を庇ってなのだから、平謝りして歓喜を露わにすべき場面であるのは確かだった。

 しかしタイミングがまずかった。

 あまりにも、まずすぎた。

 ついでにポジションも悪かった。布団が敷いてあった位置は、ほぼ廊下の突き当たりだった。

 突然かつ最悪の闖入者にサイタマは当然会話をやめて黙り込み、俺も言葉が出ない。

 

「………………」

 

 で、当の、無事に完全復活を遂げたらしい金髪イケメンサイボーグことジェノスは。

 まず異様な雰囲気を察知して、玄関で静止し。次にキッチンに立つ風呂上がりの師匠と、布団の中で明らかに全裸の俺を無の表情で見比べ。

 何か“理解った”顔で、

 

「…………お取り込み中でしたね」

 

 そう言い残してビデオの巻き戻しかの如くシームレスに部屋を出て行き、

 

「ジェノス!!」

 

 とんでもない勘違いの発生に秒で理解に至ったサイタマが、韋駄天でそれを引き留めに行く。

 まさか俺が全裸でその役目を果たす訳にもいかないので、部屋の中でおとなしくその顛末に聞き耳を立てることにしたはいいが、

 

「誤解だ、戻ってこい!!」

 

 その言い方だと俺がジェノスとサイタマの仲を引き裂いた泥棒猫みたいなんですがそれは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──で、数分後。

 説得の甲斐なく強硬手段で捕縛されたらしいジェノスが改めて帰宅。

 明らかに仏頂面の彼を中央に据えて、世界一参加したくない家族会議(偽)が始まった。ちなみにその際こいつまだ裸かよみたいな顔をされたが、そもそも着るものがないのでしょうがない。

 お通夜のような雰囲気の中、口火を切ったのはやはりサイタマだった。毛のない頭をがしがしと力任せに掻いて、

 

「だから……違うんだよ、お前が思ってるようなことは何もなかったっつーの!」

 

 で、そのクソの役にも立たなさそうな釈明を聞くジェノスのほうはといえば。

 

「そうですか……」

 

 一応は丁寧に受け答えしつつ、あーはいはいセックスセックス、みたいな表情が隠しきれていない。

 こいつがサイタマに対してこんなやさぐれた顔することあるんだな。俺がサイタマとヤりたがっている(誤解)ことに対しても良い気はしていなかったらしいし、潔癖気味なのかもしれない。

 そこまで深く考えるまでもなく、男子中学生マインドで色恋沙汰が嫌いなだけか。

 

「俺は別に、サイタマ先生の私的な関係に対しては何の権限も持っていませんし」

 

 これ以上言い訳を聞いても無駄と判断したのか、澄まし顔でそんなことを言い出す。

 

「先生のお好きなようにしていただければ」

「お前な……」

 

 オブラートに包んだ放任の宣言。

 まあ、状況証拠が揃いすぎていて深読みするなというほうが無理があるか。しかし、これに便乗して既成事実ムーヴをするガッツもなかった。

 ……さっきからサイタマがちらちらと「援護射撃しろ」みたいな目で見てくるが、この空気で一体俺は何を言えばいいんだよ。

 

「う、うーん……?」

 

 とりあえず苦笑してみる。

 全裸で家主の布団に入ってヤってません、じゃあ何したんだよという話である。逆に不気味。

 とはいえ、ジェノス相手に真実を話すのはまた別の意味で身の危険を感じる。わざとかどうかは知らんがサイタマもその辺りの話はぼかしているようだし、この勘違いへ曖昧に便乗しておくのが得策か、

 

「……それで、いつまでお前は全身を露出させているつもりなんだ。サイタマ先生の寝所で」

「えっ」

 

 いきなり話題を振られた。さっそくヤったヤらないの暖簾問答には飽きたらしい。

 シンプルに直視したくないのか配慮の結果なのか、視線を前に向けたまま話しかけられたので反応が遅れてしまった。というか、その意味深な倒置法は何だ。

 

「え、……えーと、ね……」

 

 どう答えるべきか。しかし、真実そのものが嘘臭いとはいえ、この場を上手く切り抜けられるようなでっちあげなんかもっと捻り出せない。

 諦めて、そのまま言うことにした。

 

「ふ、服がない、の……着れる服が……」

 

 ジェノス君、何言ってんだ馬鹿か、の顔。

 何だか今日はいつも以上に表情豊かだね、と現実逃避してみる。研究所でついでに表情筋のアップデートでもしてもらったのかな?

 

「本当なんだっつの。……これでわかったろ、何も起きてねーんだよ」

「はあ……」

 

 サイタマが付け足して、それでようやく納得してやろうという気になったらしい。

 

「で……帰ってきて早々でわりーけど、買ってきてやってくんね?」

「わかりました」

 

 で、即答。この狂・イエスマンがよ。

 サイタマ絡みでは特に即決即断即行動が基本のジェノスは、即座にそのアバウトな命令を完遂すべく立ち上がろうとして。

 

「あの」

 

 ──止まった。

 

「何、」

「……下着も、ですか?」

「………………」

 

 “本質”を突く質問に、沈黙が落ちる。

 男2人が「微妙に尿意がある」みたいな中途半端な表情で顔を見合わせ。最初に静寂を破ったのは、発端であるサイタマのほうだった。 

 

「ん……まあ……そう、だな」

「ええ……はい」

 

 男として買いづらいからノーブラノーパンで過ごせ、とまではさすがに言えない。

 そんな2人の内心がありありとわかるやり取りだった。俺もわかる。だって男だもん。

 

「そのへんもなんかテキトーに見繕って、」

「先生」

 

 ぼんやりした会話が続きそうになった中、ジェノスがいきなり確固たる意思を滲ませた口調で割り込んできた。

 

「ご存知かもしれませんが、女性の胸部には個人差が大きく、それを支えるアンダーウェアにも細かいサイズ規定が存在します」

「お、おう?」

 ──ええ……?

 

 そしてなぜかおもむろに始まるバストサイズ講座。いやそんなところまでテクニカルに詳しくならなくていいから。さっきまでの中学生キッズムーヴはどこ行ったんだよ。

 

「異性同性関係なく、目測で決めてどうにかなるものではありません」

 

 目測、という部分で、サイタマが一瞬俺の胸元に横目をやってすぐに戻した。何。

 

「合わないサイズだと揺れて痛みを生じたり、もしくは圧迫感で日常生活に支障を来す恐れも……」

「ふーん……」

 

 バストサイズというワードをキャラ紹介についているスリーサイズくらいでしか見たことのないキモオタだったので、俺としても「へえ〜」な内容だった。

 

「……女って大変なんだな……」

 

 サイタマの他人事感マシマシな感嘆。

 いや本当にな。一応今は女体の俺より、未経験のジェノスのが詳しいのどういうこと。まあ揺れるモノがないからね。やかましいわ。

 

「じゃあ……そのサイズどおりのを買ってこなきゃいけねーのか?」

「はい」

 

 いやもう上から乳首透けなきゃなんでもいいんすけど、とは今さら口を出せず、とりあえず神妙な顔で同調の姿勢を取っておく。

 

「──と、いう訳で」

 

 そこで。意味深な繋ぎとともに、ジェノスが控えめな仕草でこちらに向き直ってくる。

 

「………………」

「……………え?」

 

 そして沈黙。何を求めているんだよ、と一瞬困惑したが、この話の流れからして、まさか。

 

「…………えっ……?」

 

 乳の。サイズを。聞かれている。

 ワッツユアバストサイズ?

 色んな意味で固まってしまったところで、

 

「……いや……さすがにそんなこと家族でもない男に言いたくねーだろ……」

 

 相変わらず『ひそひそ』というオノマトペをつけるのが躊躇われる声量のサイタマの耳打ち。

 

「確かにプライベートな部分ですが……」

 

 しかし規定されたものに対するこだわりが謎にあるらしいジェノス、譲る姿勢がない。

 嫌、嫌か、確かに普通の女子なら恥ずかしくて伝えたくないのかもしれない、でも俺はそれ以前の問題だった。

 

「い、嫌っていうかぁ……?」

 

 そもそも俺は俺のバストサイズなぞ知らん。

 女として普通に知っているていで話が進んでいるが、俺は思春期をこの体で過ごした訳ではないし。AカップはぺたんこでGカップはでけえ、くらいの半端なエロ知識しかないのだが。

 

「……ちゃ、……ちゃんと測ったことがない……かな……?」

「は?」

 

 なんでそこでキレんの? 女としてカスだと思われている? ヤバい、どうすりゃいいんだ。

 

「え、えっとぉ……」

 

 そろそろ視線が痛い。もうここは適当にAとかBとか答えるか、いやでも童貞オタクの目分量なんか信用できねーだろ、しかしもう会話の引き延ばしにも限界が──

 

「…………か、」

「か?」

 

 結局、追い詰められたその口から出てきたのは。

 

「カップ付きのキャミソールでいいから、早く買ってきてください!!」

 

 これが俺の答えや。

 え、普段着てるヤツ? スポブラかキャミソールに決まってんだろ言わせんな恥ずかしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、何とかジェノスを送り出し。

 ようやくサイタマの厚意に甘えてシャワーを浴びている最中に、もう帰ってきた。すりガラス越しに人影が動いているのが見えて、最初ちょっとぎょっとしてしまったが。

 

「……脱衣かごに入れておくぞ」

「あ、ありがとう……」

 

 やべえ出ようかなと思ってたところだった。

 これ以上傷を広げなくてよかった、と胸を撫で下ろし、いなくなったのを確認してバスルームから出る。

 まずタオルを取って体を拭きつつ、その隣にきちんと畳まれた新品の服を何となくつまみ上げて。

 

「……スカート?」

 

 膝丈の、袖の短い白ワンピース。

 それに、可愛らしいレースの白いキャミソールと、似たようなデザインの白いショーツ。黒のレギンス以外は真っ白々である。

 普通に普段着ているジャージとかを想像していたのだが、どうしてこうなった。

 似たようなの持ってはいるけど、お前に会う時にワンピースなんか着てた試しがないだろ。明らかにイメージだけで選んだ服装なんだが。

 

「まあ……着るけど」

 

 それ以外に選択肢無いし。

 これだけ無駄な足労を強いておいてなんだが、よくわからないチョイスであった。

 とりあえず袖を通して、髪をタオルで乾かしながら部屋に戻る。言うまでもなくドライヤーなどない。

 ああ、久々にスカートを穿いたが、やっぱり股ぐらががら空きな感じがして気持ち悪い。ズボン最高。

 

「着替えたかー? ……お、おお、」

 

 何だサイタマその反応は。

 隣でPCのキーボードを叩くジェノスは自分で選んだだけあってガン無視。

 

「へ……変かな?」

 

 少し悩んで試着室から出てきた女子っぽいことを言ってみたが、やべ、今度はジェノスからの“圧”を感じる。選んで金出してやった服に文句つけんのかテメェ、という反感を買った顔だ。

 

「別に……いんじゃねーの?」

「そっか、……良かった」

 

 サイタマの反応云々よりジェノスが普通に怖いので、そこそこに切り上げておく。まあもう変に衆目を集めたりわいせつ物扱いされたりしない格好じゃなけりゃ何でもいいです。

 

「ま、あとはドアだな!」

 

 で、サイタマはそれを元気良く話題に出したものの、

 

「……うーん……」

 

 この数分では特に解決策など思い浮かばなかったようで、すぐにへたれた表情になる。

 

「直すにしてもこんなヘンピなとこじゃ修理業者も呼べねーし……どうすっかな」

 

 現状確認しつつ腕を組んで、数秒唸って。その顔にぴん、と色が灯った。何か思い浮かぶことがあったらしい。

 

「なあジェノス」

「はい」

「お前んとこの……ルセーゾ博士だっけ?」

「クセーノ博士です先生」

 

 ジェノスのデフォルトで圧強めな訂正にも一切揺らぐことなく、言葉を続けていく。

 

「前にさ……進化の家? の奴らが襲ってきて天井ブッ壊された時、そいつのおかげで直ったんだよな?」

「確かに知恵はお借りしましたが……」

「アパートのドアも直せんじゃねーの?」

 

 そういえば、そんなこともあったな。

 いつの間にか壊されていて、いつの間にか直っていた。あまり意識していなかったけれど。

 問われたジェノスはやや首を傾げるようにして、

 

「……採寸がわかれば、恐らくは」

「よし。んじゃ、それで」

「わかりました。連絡しておきます」

 

 上司としてあるまじき仕事の振り方なのだが、固有スキルが『献身(しかしサイタマ限定)』の彼は全く気分を害した様子もなく、即行で端末を取り出して博士にメール。街中にあるローン契約の看板並みに即断即決が売りの男である。

 

「良いよな?」

「う、うん……色々……ありがとうね」

 

 一応、主体である俺が完全に蚊帳の外のまま、部屋の工事の手筈が整ってしまった。有り難いのは間違いないので、後は新しいドアが届くまでに冷凍庫が解消されているのを祈るばかりだ。

 

「じゃ、色々解決したとこで……メシにすっか!」

 

 晴れやかな表情。服を買ってドアを直す算段がついただけなのだが、悩み事と長話が世界一嫌いですみたいな顔をしているだけあって、その程度の案件でもだいぶすっきりできるらしい。

 

「お前、なんか食いてーもんとかある?」

「え……うーん……?」

 

 さらに、なぜかナチュラルに選択権を譲渡されて、普通に考え込んでしまった。

 何か食べて美味しいと思う感覚は備わっていても、肝心の腹が減らないので特定の何が食べたい、というのがすぐに出てこない。寿司、ハンバーガー、どれも何となくぴんと来ない。

 少し、考えて。

 

「……サイタマの作ったカレーが食べたいな」

 

 頭に浮かんだ、一番ほっとできるもの。

 つらかった時、作りすぎたから、と言って食べさせてくれたあの味。カレーそのものが食べたい訳じゃなく、彼が作ってくれたものが良くて。あの温かさを思い出したかった。

 しかしサイタマは、

 

「……え、」

 

 ──反応が鈍い。

 あれ、と首を捻って、すぐに自分が勘違いをしていた可能性に思い至る。それで、軽く血の気が引いた。

 

「あ……ごめん、そういう気分じゃなかった……?」

 

 景気よく回らない寿司食いに行こうとか、そういうノリだったのだろうか。

 人にはわざわざ料理をしたくない日がある、それくらいの情緒は実家住まいで親に頼っていても何となくわかる。ナチュラルに寄生思考で申し訳ない。

 一瞬で水を差してごめん、というすまなさでいっぱいになってしまったが、

 

「いや、」

 

 彼は別に気分を悪くした訳ではないらしく。あまり見ない、柔らかい微笑みを浮かべて。

 

「カレーな。気合い入れて美味いの作ってやるよ」

 

 それからくしゃくしゃと、まだ乾ききっていない髪をかき混ぜられる。……何だか子ども扱いされている気がしたが、悪い気分ではなかった。

 

「とりあえず──買い物行くか」

 

 

 

 

 

 ──よく行くスーパーは隕石被害で店舗が壊れてまだ直っていないらしく。少し電車に乗って、3人で遠くの大きな業務用スーパーに行った。

 安く買えたけれどこれじゃ電車代でトントンだ、と愚痴るサイタマと野菜を切ったり、煮込んだりして、カレーライスを作って食べた。

 味は良かったけれど、俺が切った具材とサイタマの切った具材のサイズが違いすぎて、埋められない家事スキルの差を感じてしまった。

 

 ……こうやって書き出すと、小学生の日記みたいで恥ずかしい。

 でも実際、こういうちょっとした日常があることが、一番幸せなのだと思う。

 ギャンブル紛いのゲームや、酒に溺れるうちに見えなくなっていた原風景。いつの間にか失ってしまっていたもの。家族がいて、それなりに恵まれた生活をしていたはずの俺でもそう思う。

 

 

 で、捨てようと思っていた古い布団がたまたまあったから、という理由で、今晩もこの部屋を借りることになった。

 ただでさえ狭い部屋なので、成人が3人並んで寝ると窮屈どころの話ではない。

 結局、机を廊下にむりやり追いやって、それでようやく布団が敷けた。

 俺が窓際で、自然にサイタマを挟む形になった。いわゆる川の字の並びだ。

 それ以降、特に会話もなく。ジェノスが部屋の電気を消して、おのおの布団に入って。

 ──静かだったのが、より冴えた静寂に包まれた。

 

「………………」

 

 かちかちと、時計の秒針。

 冷蔵庫の音なのか、それともジェノスから鳴っているのかわからないモーター音。

 布団をぴったりくっつけて並べていても、サイタマの寝息は聞こえてこない。

 無人街の夜は静かだ。

 

「……ふう……」

 

 上手く、寝つけない。

 薄暗い天井を見上げて、細く息を吐く。

 たくさん寝たから眠れない、なんてことだったら本当に小学生みたいだが、そもそも俺は何もなければ眠気を覚えない体質なのだ。

 それでも、普段は目を閉じていればいつの間にか眠っているのだが。

 今日はそれもできそうになかった。

 何もない空間を見ているのが暇で、何となく、隣のサイタマに視線を移す。

 仰向けで瞼を下ろして口を閉じた、安らかというよりは死んでいるようにも見える寝顔。掛け布団の胸元が、微かに上下している。

 寝つきは良いほうだろうなと勝手に思っていたけれど、やはりそうらしい。

 

 ──この3日間、色々とあった。

 

 それをしみじみと考える。

 

 ──今までの人生で一番大変な3日間だった。

 

 良いこともまあ、あったかな。

 

 ──怪人になるとか、ヒーローになるとか。

 

 まだ、決められそうにないけど。

 でも、俺の周りには良い人がたくさんいる。何もかもが怖いのが本心ならば、これもまた、紛れもない本心。俺はたくさんの人たちに支えられてここまでやって来れた。

 

 ──サイタマ。

 

 その中でも──サイタマがいたからだ。

 もともと彼を頼るつもりではあったけれど、それ以上に助けられている。それを強く感じる。

 作中で最強のキャラクター、という枠組みを超えて、俺に影響を与えている存在だった。

 会えて良かった。決められた出会いだったとしても、偶然だったとしても。

 改めて、サイタマの横顔を盗み見る。

 さっきも見たはずの変わらない寝顔なのに、何となく、心拍数が上がったような気がした。

 そういえば、一緒に寝るのは初めてだ。

 まあ、同じひとつ屋根の下に暮らしている訳でもないのだから、当然なのだが。

 サイタマ、

 

 ──触れても平気な人。

 

 冷たくない。大丈夫。

 サイタマの呼びかけが脳裏に蘇ってくる。それだけで、温かいような気持ちになる。

 ──触れたい、とふと思った。

 誰かの体温を感じたい。

 すぐに、こんなこと考えるなんておかしい、と思い直したけれど、それでは収まらなかった。

 サイタマは今、寝ているし。

 社会的にもキスはまずいけど、ちょっと触るくらいなら。変な部分じゃない、手だけだ。

 だから、いい。問題ない。

 そう、誰に言うでもなく言い訳をして。胸元で組んでいた左手を、そろそろと布団から出す。

 天井を見つめたまま、シーツを撫でるようにサイタマの手を探して。──あった。

 まあ、指をちょっと握るくらいなら、とおそるおそるさらに探ろうとして、

 

「……っ、」

 

 急に。手のひら全体で、握り返された。

 突然、何の前触れもなかった。

 そのままスムーズに、しっかり指と指を組み合わせる形に繋ぎ直される。

 起きてる。……起こした?

 驚いてサイタマのほうを見たが、彼の表情には全く変化がない。穏やかな寝顔のままだ。

 

 ──何なんだ。

 

 起きていてやっているのか、それとも夢うつつの反射行動みたいなものか。

 後者はほとんど希望的観測みたいなものだったが、確かめようがない。

 どちらにせよ、予想外に反応が返ってきて、冷静ではいられなかった。が、振りほどくこともできなかった。そうしたいと思えなかった。

 重なった手が、温かい。

 

「ん……」

 

 できる限り自然を装って、握り返す。

 まだ少し、ドキドキしていた。

 もともと無いに等しかった眠気が、跡形もなく吹き飛んでしまったのを感じる。

 でも、この胸の高鳴りはいきなりで驚いたからだ。別に、それ以外に理由なんてない。

 誓って、本当に。

 だってこんな、おかしいだろ。

 有り得ない。

 

「………………」

 

 一体、何なんだよ。

 心の中だけでがむしゃらに叫びつつ、ひたすらに暗い天井を睨みつけて過ごす。

 

 ──結局、その日は朝までほとんど眠れなかった。




クソ日常回だ!気をつけろ!

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