うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。   作:赤谷ドルフィン

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残渣

「──ぅわ、」

 

 昼。上空から響く爆音で目が覚めた。

 

 ──あの一件以来、少し疲れやすくなった気がする。部屋のドアは無事修理したし、冷凍庫と化していた室内の片付けもあらかた済んだ。

 でも、それ以上何かする気も起きなくて、ずっと引きこもってうつらうつらしていた。

 やっぱりあのツノを折ったせいだろうか。別に後悔はしていないけれど、関連性を見出さずにはいられなかった。

 まあ、それについては今はどうでもいい。

 

「え、なに空襲?」

 

 で、おもむろに響いたこの音の話だ。

 形容が難しく、強いて言うなら耳元でいきなりマシンガンをぶっ放されたかのような響き。

 とりあえず、直りたてほやほやの扉を開けて、アパートの廊下に出る。手すりから身を乗り出して、晴れ渡った空を仰いだ。すると、

 

「あ、」

 

 ちょうどアパートの真上辺りを飛行していた黒い物体──小型のヘリ?──が、何かを地面に向けて投下したところだった。思わず身構えたが、箱状のそれはすぐにパラシュートを展開し、ふわふわとした動きでアスファルトに着陸する。

 それを見届けて、次に役目は果たしたとばかりに遠ざかっていくヘリに目を凝らす。

 

「ひ、……ヒーロー、アソシエーション……?」

 

 機体下部に、英字でペイントしてあった。

 文字を読むのがやっとで、その訳は頭に浮かばなかったが。何となく、意味はわかった。

 ヒーロー協会。

 どうして、と考えかけて、深海王襲来の後にはファンレターが送られてくるということを思い出した。深海王のほうで色々とありすぎて、すっかり頭から抜け落ちていた。

 

「サイタマは……いないのか」

 

 部屋から出てくる気配はない。あれだけの音がしてまだ寝こけている、とも思えなかった。

 とりあえず先に確認しようか、と階段を降りようと足を踏み出した時。

 

「何だこりゃ」

 

 そんな暢気な声が階下から聞こえた。

 どうやらタイミング良く、出かけていたサイタマ(withジェノス)が帰還したらしい。ひとまず、そのままエントランスに降りて、外に出る。

 

「おー、ただいま」

「……おかえり、」

 

 ちょうど玄関口の目の前で、買い物袋を提げた2人と出会した。ジェノスは相変わらずいないかのように俺を無視してくるが、それよりは人の心があるサイタマは片手を挙げてのんびりご挨拶。

 パンパンのレジ袋を物ともせず、その手をそのまま街路樹に引っかかった箱に向け、

 

「お前、今日もさっきまで家にいたんだろ。これ何だかわかるか?」

 

 さらっと引きこもりを黙認されているあたりは置いておくとして、件の投下物の話だ。

 間近で見るとそれなりに大きく、ひと抱えはあるような雰囲気。中身に見当はついているが、もはやルーチンワークでしらばっくれる。

 

「わからない……さっき、ヘリが落として行ったみたいだけど」

「ヘリ?」

「ヒーロー協会の、かな……たぶん」

 

 何となく空を見上げる。当然ながらもう、あの黒い機体の姿はどこにもなかった。

 

「郵便ですね」

 

 そこで、引きこもりどころか俺の存在自体を黙殺していたジェノスがようやく口を挟んでくる。

 もちろん俺ではなくサイタマを見ながら、

 

「協会からの転送──ここには配達員が来られないので、パラシュートで投下してくれます」

「あぁそう……」

 

 それを聞くサイタマは実に気のない返事。さっそく届け物には興味を失ったようで、ぽりぽりと後頭部を掻きながらこちらに向き直る。

 

「てか、お前また寝てたのか。大丈夫か?」

「うーん……」

 

 確かに、よく寝ている。暇さえあれば家でだらだら、が常のサイタマにさえ心配されるほど。

 体調が悪い訳ではないのだが、起きていると何となく怠くて、つい。そこでふと、自身の首から下に目が行った。サテン風の、紺色の上下。

 

「あ、……寝間着のままだったね」

 

 今さら気づいて、恥ずかしくなった。

 サイタマも何か言えよ。

 ジェノスはとっくに会話から離脱して、地面に降ろしたダンボール箱の開封を始めている。その中身であるファンレター(概ね)も気になったが、わかりきったイベントより目先の場違い。

 着替えてくるね、とだけ伝えて、一足先に部屋に戻ることとした。

 

 

 

 

 

 この間ジェノスが買ってきてくれた一式がたまたま洗濯してしまわれていたので、それを速攻で身に着け。

 再び廊下に出たところで、

 

「セツナ」

 

 当のジェノスが俺を待ち構えていた。

 相変わらずいつもの仁王立ちだ。その手に、薄っぺらい何かを持っている。

 

「……ジェノス?」

「お前の分だ」

 

 言いながら、それを差し出してくる。

 煌めくシールで彩られた、長方形の封筒。似たようなものが数枚。

 お前の分、という言葉の意味が一瞬理解できなくて、フリーズしかけたが。先ほどの話の流れからして──ファンレター。俺宛の。

 納得はしたが、思考が追いつかなかった。

 逆に混乱しそうになる。原作ではジェノスとサイタマ宛のものしかなかったはずだ。いや、この世界では俺も一応活躍したのだっけ?

 嫌な汗が滲む感覚。

 

「ど、……どういうこと?」

 

 焦って、つい変なことを聞いた。ジェノスは当然、ちょっと困ったような顔をして、

 

「……質問の意図がわからないが……とにかく、これはお前宛だ」

 

 それだけを繰り返しながら、封筒をこちらに押しつけてくる。まあ、「は?」とか言わないだけ穏当な対応だろうと思う。

 俺が求める答えをジェノスが持ち合わせていないのも確かなので、ひとまず受け取った。

 俺は俺を“異物”として認識しているけれど、周囲の人間は違う。原作に従うために都合よく存在を省いてくれたりはしない。

 それを改めて意識して、少し、身が竦んだ。恐ろしいことだ、と思った。

 とはいえ突っ返すこともできず、胸に抱いたまま立ち尽くしていると。

 

「え、お前にも来てたの? さっきの荷物、ファンレターだったらしいぞ!」

 

 サイタマが顔を出してくる。ジェノスは何も言わずに部屋を出ていったらしい。

 しかし、妙に元気の良い呼びかけ方だったな、と思ったら、

 

「早く見てみようぜ!」

 

 おお。わくわくしてらっしゃる。

 サイタマの欲望は意外と俗物的というか、ヒーロー活動も承認欲求を基礎にしている節がある。とはいえ、個人的な趣味の比重が一番大きいのだろうけど。……こう書くと、オタクが創作活動する上での理想的なメンタリティという感じだ。

 変に聖人ぶらず、かと言ってガツガツしている訳でもない。まあ、その塩梅が一番難しいのだと言ってしまえばそれで終わりだ。

 ……話を戻そう。

 サイタマのファンレター(仮)。ほとんどが誹謗中傷なんだよな、とぼんやり思う。

 本人は気にしていなかったけど。どうせ暇なら俺が書いてこっそり紛れさせておけば良かったかな。無免ライダーみたいに。

 別に、そんなことしても喜ばないか。ほぼ身内みたいなもんだし。

 

 ──考えつつ、ジェノスの後を追って部屋に入った。

 ジェノスのほうはあくまでいつもどおりの雰囲気だったが、サイタマの動きが普段よりやけにきびきびしている。まるでクリスマスプレゼントを貰った子どもみたいだ、と何となく思った。

 食べ物の袋を開封する時にハサミ使ったことありません、みたいな男なのに、手紙の封をこの上なく慎重に切っている。間違いなく微笑ましい光景ではあったが、

 

「………………」

 

 取り出した瞬間、纏っていた期待混じりの緊張感がすうっと解けて霧散する。

 

 ──ヒキョウ者のインチキ野郎 お前なんか誰も応援しない

 ──ヒーロー失格!! 恥!!

 ──やめちまえ!! ボ金の無駄

 

 どれも、白のA4紙にでかでかと書き殴られていた。ペンを変えただけで同一人物が出したのではと思わせる筆跡の粗さと、漢字の弱さ。

 直球の誹謗中傷に、見つめるジェノスの瞳孔がきりきりと引き絞られていく。

 

「こいつら……ちょっと差出人調べて俺が、」

「暇な奴がいるもんだな」

 

 しかし、その低く抑えた呟きは、サイタマの平熱な感想に遮られた。ぽい、と手紙を投げ捨て、それでおしまい。強がっているふうでもなく、全く平坦な声音だった。

 師との温度差に毒気を抜かれたらしいジェノスはそれで黙り込んでしまったが。俺は、そうしなかった。床に落ちたそれを拾い上げる。

 

「一度協会を通しているはずなのに、こうやって手紙で個人に届くのは良くない状況だよね」

 

 “俺”がこの世界の住人だったならば、当然の処遇だとサイタマを蔑んだのだろうか。

 セツナは? “彼女”ならば。

 ジェノスの反応は、今この場でも過剰だと感じる。俺は、サイタマが誹謗中傷されていることに憤りを覚えていないのだろうか。

 そんなことを頭のどこかで考えながら、机に乗ったままの封筒を見る。送り主の名は載っていなかった。

 卑怯者。無味乾燥に罵倒を打ち返す。

 

「別に俺は、」

「こういう人間はサイタマがせっかく庇ったヒーローにも同じことをするよ」

 

 自分さえ我慢すれば。

 良くある美談だが、実際問題、その精神で解決することなんてほとんど無いのだろう。過ちは繰り返され続ける。世界はそんなに狭くはない。

 まあ、サイタマにそんな『忍耐の美徳』が備わっているなどとはまさか思わないが。

 で、今度は当の彼が呆気にとられたような顔をして。やや首を傾げながら、

 

「しっかりしてんな、お前」

「そうかな……」

 

 迷惑がっているふうではなかったが、どうしたらいいかわからない、という困惑は読み取れた。

 ──ジェノスは。師を思う故に、サイタマが望まなければこういったことにも口を出さない。態度が完全に一貫している。

 全てはサイタマの思うようにあればいい、とだけ思っているのだ。

 でも、俺はそこまで忠義を尽くせない。

 だからといって、原作通りだから、と全て見て見ぬ振りもできない。

 けれど、義憤もお説教も俺の仕事じゃない。

 卑怯者。お前なんか誰も応援しない。

 サイタマ宛の手紙が、俺の深いところにじりじりと突き刺さっていく。でも、そういう矛盾をなかったことにはできないんだよな。完璧な人間にはなれない。なりたくても、なれない。

 ここ数日で、気づいてしまった。

 駄目でも、卑怯でも、受け入れて生きていかなければ。死にたくないと思う以上は。最後に誰が許さなくても、せめて俺くらいは。

 

 ジェノスが、俺を見ていた。

 じっと、瞬きもせず真っ直ぐに。

 余計なことをするな。繰り返し釘を刺された記憶が、頭をよぎる。これは、余計なことだな。

 

「……ごめんね」

 

 前を向いたまま、小さな声で謝って。

 

「……いや、」

 

 でも、彼は何も言ってこなかった。珍しく言葉を濁して、それとなくサイタマに向き直る。

 

「お、まだあるじゃん」

 

 サイタマは、先ほどのやり取りなどすっかり忘れたふうで、残った封筒に手を付け始めたところだった。今度はさらっと封を開けて、取り出したその内容はといえば。

 ──ヒーロー サイタマ君へという宛名から始まり、丁寧な書き出しが上からマジックペンで黒く塗りつぶされていた。代わりに、横書きの罫線を無視した「ありがとう!!」が、縦書きで残りの白紙を大きく飾っている。

 誹謗中傷の類ではないが個性的な内容に、ジェノスが控えめに探りを入れてくる。

 

「……知り合いでしょうか」 

「さあ……知らんけど、感謝されてる」

 

 ありがとう、の文字を見つめながら、見たままの淡白な感想を述べるサイタマ。それでもジェノスは嬉しそうに目を細めて、

 

「どこかで助けられた誰かですよ、きっと」

「うーん?」

 

 合点がいかない様子で首を捻りながら、すぐさまその内容には飽きてしまったようで。やや離れた位置にいた俺目掛けて、肩を入れてくる。

 

「で、そういうお前はどうなんだ、よっ」

「わ」

 

 完全に油断していたところへの体当たりだったので、普通に転びそうになったが。

 そういえば、自分宛のものはまだ一通も確認していなかった。何となく気乗りしないながら、とりあえず上にあった一枚を開封してみる。

 

 ──ヒーロー ミス・フロストへ

 

 そんな書き出しから始まった手紙は、最後の行までびっしり文字で埋め尽くされていた。

 どこかで見たような字体。今度はマジックペンで消されることなく、時候の挨拶から始まり、丁寧な感謝の文で締めくくられている。

 サイタマもさすがに類似点に気づいたようで、先ほどの一枚と見比べて、

 

「……同じヤツか?」

 

 ──無免ライダー。今は、その名前は口に出さないでおいた。封筒にも書いていなかったし。

 

「うん……なんか感謝されてる」

「良かったじゃねーか」

 

 ぽんぽんと、軽く肩を叩かれる。良かった。良かった、か。複雑な気分だった。

 湧き出た感情を誤魔化すために、次の封筒に手を付ける。装丁もよく見ずに開けて、

 

「……あ、」

 

 ピンク色の便箋に、クーピーペンシルで描かれたイラストが同封されていた。

 拙い──というと語弊があるが、児童らしいみずみずしく自由なタッチのイラスト。長い白髪の人間と、金髪の人間の隣で、二足歩行のうさぎと手を繋いだ子どもが微笑んでいる。

 便箋を、見る。うさぎのイラストが散りばめられた枠の中に、予想以上に読みやすく、綺麗な文字で感謝の念が綴られていた。

 あの少女だ。

 とっさに、そう思った。

 次に、俺が貰っていいものじゃない、とも思った。その祈りは、俺ではなくジェノスに捧げられるべきものだった。ヒーローを奪われた彼に。

 胸が痛くて、思わず隣の彼に呼びかける。

 

「ほら、ジェノス」

「……? 何だ」

 

 便箋と、イラストを差し出した。

 当然、ジェノスは怪訝な顔。俺と2枚の紙を見比べて、普段よりは柔らかく眉根を寄せる。

 

「何がしたい?」

「いや……」

 

 これは本来きみが受け取るべきものだったんだよ、なんて言えないよなあ。

 原作でも届いていたであろう手紙だが、描写はなかったし、ジェノスは他のファンレターと同じ熱量でこれを取り扱ったのだろう。下手をすると、気づいていなかったかもしれない。

 

「そういや、俺のあと一通は?」

 

 肩越しに俺の手元を覗き込んでいたサイタマが、ふと思い出したように暢気な声を上げた。

 

「……これは協会からですね」

「クビ通知か? 別にいいけど」

 

 さらっと恐ろしいことを言いつつ、手を伸ばして催促する。受け取って、今日イチ雑な手つきで開封。そういや隕石の時もクビがどうとか言ってたな。

 

「ん……何だこれ」

 

 中身を検めて──すぐに変な顔をした。ぐねぐねとソーラースイングのように首を左右に動かしながら、読み上げたのは『C級1位』。

 

「それが何か?」

「よくわからんけど、呼び出されてるっぽいな。クビの宣告じゃね。ははは」

 

 いやどんだけヒーロー辞めたいんだよ。

 重要なことはそれ以上何も言わず、気負いなく立ち上がる。サイタマが手放した後の書類を横目で盗み見たが、彼の認識以上に重要そうな内容が記されていることだけは何となくわかった。

 

「ま、とにかく、ちょっと行ってくるわ」

「はい」

 

 それで、サイタマのほうは。着のみ着のまま、本当にその足で部屋を出て行ってしまった。

 

 ──今に始まったことじゃないが。

 ジェノスと2人きりは、正直気まずい。できれば避けたい状況だ。ボロを出したくないというのもあるし、サイタマに勘違いされたくないというのももちろんある。

 サイタマがいなくなったからと言ってジェノスが突然話題を振ってくるようなこともなく、彼も大量の手紙の検分に戻るだけ。

 と、いう訳で。

 

「わたしもちょっと……出かけてこようかな」

 

 やりたいことが、ひとつあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サイタマの後を追うようにアパートを出て、向かった先は、とある病院だった。

 ──深海王の件で、治療を受けろと案内された場所。ならばおそらく他のヒーローも搬送されているだろう、と見当をつけてのことだった。

 

 

 受付で告げられた個室に、スーパーで適当に購入したフルーツ盛り合わせを携えて向かう。一応見舞いとして必要かと思ったからだ。

 そう。これは見舞いだ。

 タンクトップマスターがそうであったように、ランクが高かろうが、個室が問答無用であてがわれたりはしないようで。看護師に言われて辿り着いたのは、よくある大部屋だった。

 開け放たれた引き戸から、中に入る。

 リノリウムの床に、窓から射し込む昼の日差しが眩しかった。

 見える景色をぼんやり眺めながら、通路をゆっくり歩いて。

 

「……ミス・フロスト、」

 

 ──呼び止められた。

 振り返ると、斜め後ろのベッドから、包帯にまみれた男が体を起こしてこちらを窺っているのが見えた。蛇のような鋭い眼光──スネック。

 

「ご無沙汰してます、」

 

 とりあえず、その場で頭を下げておく。

 

「きみが見舞いに来てくれるとはな」

 

 スネックは少し、気恥ずかしそうであった。それはそうと、サイボーグのジェットナイスガイはともかく、残りの2人の姿が見えないが、大丈夫なのだろうか。とりあえず、決り文句で場を繋ぐ。

 

「お加減、いかがですか?」

「いや……何とか、大丈夫そうだ」

 

 とにかく、この1週間で起き上がれるくらいには回復したようだった。

 ……前々から思っていたことだが、この世界の人間の肉体は、明らかに前世のそれと異なっているような気がする。怪人化の因子を秘めているのもそうだが、丈夫すぎるだろう。普通に。

 まあ、それはいい。

 

「すみません。……すぐ、加勢に入れなくて」

 

 なぜわざわざ見舞いに来たか。

 これはさすがに物見遊山などではなく、純粋に様子が気になったからだ。少なくともスネックとジェットナイスガイは、今後の本編に五体満足で登場するが、だからといって完全に放っておこうという気にはなれなかっただけ。

 ……元気そうな顔が見られて、少し安心した。

 それに、途中ではぐれてしまった申し訳なさもある。もしかしたら探してくれたかもしれないのに。

 しかしスネックは苦笑して、

 

「良いんだ。俺も、……」

 

 俺も、逃げたから。逃げようとしたから。

 言わんとすることはわかったけれど、彼は口には出さなかった。俺も、言わなかった。

 ヒーロー失格。殴り書きが脳裏に浮かぶ。

 彼は、短く息を吸って、吐いて。

 

「──きみは、実際にあの深海王と対峙して戦ったんだろう。ヒーローとして、素晴らしい姿勢だと思う」

 

 それだけを、きっぱりと言い放った。

 ヒーローとして。ヒーローらしく。俺がこのまま在り続ける限り、呪いのように付き纏ってくる言葉なのだろうと思った。

 憂鬱ではなかったけれど、ほんの少しだけ、恐ろしかった。

 でも、そんな俺の心中など知る由もない彼は、憂い気な顔で目を伏せてみせる。

 

「情けないところを見せてしまったな」

 

 スネックが謝るようなことじゃない。

 彼は、間違いなく“ヒーロー”なのだから。何より尊く、得がたいものだった。そんな本音を押し隠して、窓越しに景色を仰ぐ。

 

「皆、同じですよ」

 

 

 

 

 ──それから、二言三言会話をして。

 俺が身を案じていた2人は、とうに退院していたことが判明した。この世界の人間、軒並み丈夫すぎるだろ。

 それでとりあえず用は済んだので、お大事に、とだけ言い残して病室を出た。ロビーまで降りて自動ドアを抜けたところで、

 

「きみは……」

 

 また、見知った顔と出会した。

 とはいえ、見慣れた姿ではなかったので、そうだと気づくのに若干の時間を要したけれど。

 

「無免ライダーさん、」

 

 ようやく思い当たってその名を呼ぶと、ギプス姿の彼は、小さく会釈してみせた。

 見るからにボロボロで痛々しくはあったが、それでも活力に満ち溢れたその顔。眼鏡の奥で、サイタマと同じ光を湛えた瞳が輝いている。

 まさか、会えるとは思わなかったが。

 偶然の僥倖だった。

 

「その節は、どうも」

 

 無免ライダーは、空いた右手で不自由そうに自転車を押していた。その前カゴには壊れかけのヘルメットと、ゴーグルが入っている。

 

「元気そうで……何より」

 

 言ってから、ああ、と声を上げて。

 

「“彼”も、元気にしているかな」

 

 ──サイタマのことだろう。

 彼が本当に恩義を感じているのは、俺ではなくサイタマ。その事実を肌で感じて、どうしようもなく安堵した。俺は、彼からはヒーローを奪わずに済んだのだ。

 

「……ええ、いつも通りに。無免ライダーさんも、よくご無事で」

 

 お互い、定型文の会話が済んで。先に話題を切り出したのは、無免ライダーだった。

 

「聞いておいてなんだけど、やっぱり知り合いだったんだね」

「え?」

「ほら……彼がきみと、S級のジェノス君を連れて帰ったから」

「ああ、」

 

 意識があったせいか、その辺りもばっちり見られていたらしい。ジェノスと仲を勘違いされても困るが、あの状況でサイタマと深い関係と思われてもあまりメリットがなさそうだ。残念ながら。

 

「今日は通院の帰りかな」

「いえ……ただ、今回の件で負傷した方々のお見舞いに、と」

「そうか」

 

 息を吐き出すようにして、相槌を打って。虚空を仰いでみせる。今日は。まず、そう口に出して。

 

「会えて良かった」

 

 絞り出すような呟きだった。感情の乗り切らない淡々とした口ぶりが、むしろ心に染み入ってくる。

 

「元気そうで……安心したよ」

 

 飾らない言葉が、有り難かった。

 俺はヒーローという言葉に、生き方に縛られながら、たくさんの人に支えられて生きている。それはきっと、どちらかといえば救いだった。

 

「そういえば、彼──サイタマ君は?」

 

 来るだろうな、と思っていたことをとうとう尋ねられた。

 本当ならば、触れずに誤魔化しておきたいあたりではあったが。それは無理だろうな、というのもわかっていた。ここで茶を濁すのも不自然だ。素直に、状況からわかる程度のことを述べる。

 

「今、たぶん協会に行っていて」

「ヒーロー協会に? ……昇格か」

 

 疑問の途中でぴんと来たようで、声のトーンがいきなり跳ね上がる。元1位として、やはり彼の耳にも入っていたらしかった。

 半年以上守ってきた座をおもむろに奪われて、通過点として踏み台にされて。けれど、彼はフブキのように憤りを露わにすることはなかった。

 ただ、うつむいて眦を押さえて。

 

「そうか……そうか、」

 

 深く、噛み締める響きだった。言語化しきれない巨大な感情の揺らぎが伝わってくるような、そんな呟きだった。

 

「きっと、会えると思います」

 

 それだけ、告げておいた。

 きっとじゃなく、これは絶対。そうなることを俺は知っている。

 でも、言わない。必要のないことだから。

 無免ライダーはちょっとだけ笑って。

 

「ありがとう」

 

 それじゃあ、また。

 言って、ゆっくりと自転車を押しながら、遠ざかっていく。

 その背中を見つめながら、深く、息を吐く。

 何となく。胸のつかえが下りたような。

 ようやく、全ての後始末が済んだような感覚。

 久しぶりに、少しだけ清々しいような気分になれた。そんな気がしただけかもしれない。

 

「……帰るか、」

 

 去り際、何となく、空を見た。

 今日もまた雲ひとつない、憎たらしいくらいの清々しい晴天だった。





長い。
深海王編ようやく終わりました。
これに限った話ではないですが、書いてると「全然書きたくないけどストーリー的には必要(と個人的には強く思う)」みたいな話の部分でめちゃくちゃ筆が止まります。難しいですね。
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