うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。 作:赤谷ドルフィン
常人ならば「どうして自分に構うんだ」などと面と向かって聞かれたら、あれこれ考え込んで足が遠のいてしまいそうなものだが。
さすがはサイタマというべきか、彼はその次の日も、平然と俺の前に姿を表した。
彼が何を考えているのかは相変わらずよくわからない。しかし、その理由の一端は掴めたのだ。
こちらも開き直って、利用していくことにした。
「よ、セツナ」
季節が何度か変わっても、サイタマと俺の関係は進みも、戻りもする気配はなかった。
今日もまた、サイタマは当たり前のように俺の前に現れたが。少し様子が違った。
「サイタマさん……それ、なんです?」
いっぱいに駄菓子が詰まった巨大なビニール袋を、肩に引っ掛けている。
思わず尋ねると、
「ああ、これ……なんか、助けた駄菓子屋のババアからもらった」
「また怪人を倒したんですか?」
彼は自分の手柄について、わざわざアピールしてくるようなことはなかった。けれど、雑談の合間に出てきた分だけでも、結構な戦果だと思う。
「すごいです。……政府よりハイペースかも」
「そうか?」
カニランテ討伐から月日が経ち。
実はヒーロー協会は既に設立されている──のだが、ここで彼にその名を知られては困るのだ。
下手をしたら、ジェノス弟子入りのイベントが潰れてしまうかもしれない。なので、極力伏せて会話する。
「しっかし、邪魔だわこのでけえ袋」
「……サンタさんみたいですね」
「町内会の子ども向けクリスマスイベントで出てくるヤツじゃん」
「ふふ」
雑なコスプレして駄菓子配り歩くヤツな。
妙に解像度の高い例えが出てきて、思わず笑ってしまった。その眼前に突き出される袋。
「ほい。クリスマスじゃねーけど」
どうやら、分けてくれる構えらしい。
「良いんですか……サイタマさんの貴重な……」
「貴重言うな。お前だってネカフェ暮らしだろ」
「ええ、まあ……」
……と言っても、今はシャワーを浴びて休憩するくらいにしか使っていないのだが。
食費その他がかからないとはいえ、手持ちの金はとうに尽きて、夜はもっぱらアルバイトで時間を潰している最中である。
常にどこかしらが被災地なので、その片付けのバイトが結構豊富なのだ。怪人災害が起きるたびに溢れかえる失業者支援も含めてなのか。履歴書不要、面接不要のわりに、良い金額をもらえるので良い。
ウィッグで髪は隠していても性別はバレているだろうが、怪人化した影響か、明らかに成人男性を上回るパワーがあったため問題はなかった。
閑話休題。
「駄菓子一年分なんて食いきれねーし」
袋を改めて受け取って、
「……ありがとうございます」
中身を検分する。若干名前は違っていたが、見たことのある駄菓子類がたくさんあった。
マキャベツ太郎、めまい棒……なんじゃこりゃ。ネーミングセンスがアダルトすぎないか。
そんな中で、
「わ。懐かしい」
「ん?」
すっぱいライムにご用心。
そう記された細長いパッケージを、覗き込んできたサイタマに見せてやる。こんなイカした果物ではなかった気もするが、まあそれは良い。
「ほら。ひとつだけすごく酸っぱいのが混ざってるガムですよ。よく友達とやったなぁ」
バラエティ等でたまに見る、わさび入りシュークリームの子ども版みたいなものである。
大人はつい敗北経験を気にしてしまうが、子どもは勝敗や当たり外れの概念が好きなのだ。
「じゃ、俺とやるか」
「え?」
思い出に浸っていたのが、サイタマの呼びかけで現実に引き戻される。やるかって、
「二人だけどな。ちょっとした運試しだよ」
まあ、反対する理由もなかった。
寄越せ、と自然にアピールしてくる手のひらに、袋を乗せる。サイタマは豪快にそのパッケージを破いて、プラケースに並んだボールガムを差し出してきた。
薄緑色の同じ球体が、3つ。
「……せーの、」
サイタマの掛け声に合わせて、慌てて残った右端のガムを口に放り込んで。
糖衣を噛み砕いた瞬間、
「あっ、酸っぱぁ……」
「ははは!」
きゅっ、と顔をすぼめたくなる衝撃が襲う。無事に1/3を引いてしまったらしい。こんなに酸っぱかったっけ、と首を捻りたくなる強烈な酸味だ。
サイタマはそんな俺をあっけらかんと笑い飛ばし、既に新しい菓子に手をつけている。
「ハズレだな。……お、当たった」
フィルムを捲ると当たり外れがわかる、一口サイズのカップラーメンだった。
あくまで運試しがしたかっただけで、ガム自体を味わうつもりはないらしい。が、乾麺とガムの食い合わせって悪そうだな、なんて暢気に思う余裕は、今の俺にはなかった。酸っぱい。
「サイタマしゃん、運が良いんれすね……」
「すげー顔してんな、大丈夫か?」
「大丈夫れす……」
とにかく酸味を誤魔化したくて、残っていた普通のガムも頬張る。
それからは、特に会話なく、めいめい好きな菓子をつまむだけの時間が流れた。
──こんな開けた公園で、年甲斐もなく異性と戯れてしまったが、視線は気にならなかった。
というか、気にするまでもなく誰もいない。周囲の道にも誰も通らない。
心配する以前にわかっていることだった。それはそれで問題では、と思わなくもないが。
「今日も……静かですね」
「おう」
思わず口に出した言葉に、隣からマイペースな肯定が返ってくる。サイタマは、スルメを噛みつつぐでっとベンチに体を預けながら、
「なんか、どんどん人がいなくなってんだよなー」
淡々としたつぶやきだった。
不安がったり、喜んでいるふうではない。現状を現状として受け止める響きだった。
その前の道路を、大型トラックがガタゴト音を立てながら走っていく。ここ数か月で見慣れてしまったラッピングだった。
「毎日、引っ越し業者のトラック走ってるだろ」
「というか、それしか走ってない……?」
普通の自家用車さえあまり見かけないのだ。なかなかとんでもない状況だった。
「最近は怪人出まくってるせいかね。静かなのはいいけど、ちょっと不気味だよな」
サイタマの横顔を見つめながら、思うこと。
この街の、数年後の姿。
俺はそれを、既に知っている。人に見捨てられた街。思い浮かべながら、思わず。
「……そのうち、ゴーストタウンになっちゃったりして」
げえ。サイタマが低く呻いた。
「縁起でもないこと……いやでも、有り得るか……」
そう言いつつも、深く気にしている様子ではなかった。まあ、何があろうがあそこに住み続けた肝っ玉の持ち主だ。想定内の反応、
「あんたは怖くねーの?」
──これもまあ、想定内ではあった。
サイタマの目に俺を気遣う色はない。まさかどうなっても良いとは思っていないだろうが、本腰入れて心配する気はないらしい。
「……怖い?」
「いや……家族とかを怪人にやられたわりには、妙に落ち着いてんなって」
落ち着いている。
それはそうだ。死んだのは“俺”の家族ではない。だから、将来を悲観している訳でもない。
この世界で生き延びたい。死にたくない。何だってする。それだけだ。
そのために、サイタマが必要なのだから。
「Z市から離れて──もっと安全な場所に行きたくないのか、っていうことですか」
爪先を見つめながら、言葉を紡いでいく。
「……どこへ行っても……同じですよ。単なる引っ越し程度で買える安心なんて、馬鹿げてる」
その感情は嘘じゃない。
けれど、今ここでそう告げるのは、ただ不安を吐露したいからではない。
「セツナ、」
「サイタマさんを頼っちゃいけませんか」
食い気味に、問いかけて。彼の顔をやや仰ぐ形で、見つめ返す。
「引っ越した程度で安心なんかできない。でも、あなたがいるなら、わたし……」
サイタマが、微かに息を詰めたのがわかった。彼はしばらく俺を見つめていたようだったが、やがてゆっくり前に向き直る。
「……ああ、大丈夫だ」
それは俺に語りかけているようでもあり、自らに言い聞かせているようでもあった。
「俺はヒーローだからな」
それから、夕方の見回りに行く、というサイタマを、にこやかに見送って。
その背中が、完全に見えなくなったあたりで。ベンチから腰を上げ、座面にうつ伏せて。
「……あ゛ァーッ!」
耐え難い羞恥に足をバタバタ。
来た。今さら羞恥心が。
まだ、あんなセリフを言って平気でいられるほどには肝が据わっていなかったようだ。産まれたての肝だから仕方ない。無理をさせすぎた。
「何が『あなたがいるならわたし……』だ! ギャルゲーかよ! こんな女現実にいねえよ!」
王様の耳はロバの耳、かのごとく、座面の隙間に吠え散らかす。そうでもしないと内側から溶けてしまいそうだった。
「恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい、」
こんな調子で恋のABCなんか進めていけるのか俺。いや、恥ずかしいもんは恥ずかしい。
昔からラブコメもメロドラマも好きじゃなかったし、耐性がついていないのだ。
というか、
「ちょっと飛ばしすぎた……? 引かれた? こんなヤツ今どき重すぎ? 自立しろみたいな」
サイタマのあの反応、どう見るのが正しいのだろうか。ヒーローを名乗るからには頼られたほうが嬉しいんじゃ、と思うが、都合が良すぎか。
「はああ……」
……ようやくちょっと落ち着いてきた。
ごろんと、仰向けになって木漏れ日を眺める。
怖い。怖い、か。
ぼんやり考えを巡らせる。
“セツナ”だったら、家族も、職場の仲間も、顔見知りさえ残らず死んだ今の現状をどう見たのだろう。
それこそヤケになって、あのまま怪人として暴れ回っていただろうか。みんな死ねばいい、と。
──俺は、他人の不幸を糧にのし上がろうとしている。
そんな自覚が一瞬、心をざらつかせた。
「……考えるのはよそう、」
つぶやいて、振り払う。
そう思うことさえも己に対する慰撫でしかない。もはや誰も救われることはないのだ。
俺は、俺のことだけを考えていよう。
どうせ最低の人間なのは変わらない。
「あれから一年……と半分?」
ぼうっと日々を過ごしているうちに、とんでもない時間が経っていた。改めて思う。
「……二年近くもネカフェ利用してんのか」
完全にネットカフェ難民だ。
まあ、圧倒的に民家だの賃貸物件だのが破壊されやすい世界観なので、珍しくはないのかも。
何たって、働いたら負けかなと思ってるテロリスト集団が『うっかり間違えて』、高層マンション一棟を沈めてくる世紀末社会だ。
金で買えない安全がある。
サイタマに言った通り。
ヒーロー協会本部が位置するはずのA市さえ、ボロス襲来の際には塵芥になったのだから、
「いややってられんわ」
不動産業界には申し訳ないが、金を払って手続きをして物件を買うメリットが見当たらない。
気楽な独り身ならばなおのこと。
「ま、いつまでもこのまま、って訳には行かないんだろうけどね……」
身の振り方を考える時期が、来ているのかもしれない。
「……バイト行こ」
起き上がって、リュックを背負い直す。サイタマが去り際に詰め込んでくれた駄菓子が、背後でがさがさ鳴った。
明日は、どんな話をしよう。
そんなことを考えながら、寂れていく一方の街へと、足を踏み出す。
──が、しかし。
それ以降。なぜかサイタマはぱったりと、俺の前に姿を現さなくなったのだった。
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