うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。   作:赤谷ドルフィン

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雹降って地固まる

 サイタマが唐突に顔を見せなくなって、1か月以上が経過した。

 

 

 最初の1週間は、何も考えずにあの公園でぼうっと待っていた。サイタマとて、雨の日も風の日も毎日欠かさず来ていた訳ではなかったからだ。それはこちらも同じこと。

 何かがおかしい、と気づいたのは、2週間が経過した頃。こんなこと、今までなかったのに。

 あまり心配はしていなかった。

 彼のことを言えた立場じゃないと思われるかもしれないが、相手はあのサイタマだ。自分のような怪人もどきなんかとは格が違う。

 

「何でだ?」

 

 それはいいのだが、だからこそ不安にもなるというか。

 原因がわからない。

 原因が、

 

「…………嫌われた?」

 

 思わず漏れたぼやきが、トラックのエンジン音すら聞こえなくなった辺り一帯に虚しく溶けた。

 

「いや、」

 

 そんなこと。

 そんなことは……ない、のだろうか。

 

「本当に?」

 

 痛みを伴う自問自答。

 しかし、今さら目を逸らしてはいられない。サイタマはこの世界で最も最強に近い男だ。言っては悪いが定職についている訳でもない。

 他人の都合に一切振り回されない生活をしているはずなのだ。

 そんな彼が、いきなり姿を見せなくなった時。

 それは他ならぬ『彼の意志である』と考えるのが、一番自然なのではなかろうか。

 

「……いやいやいや……」

 

 自分で結論を出しておいて何だが、気分が悪くなってきた。

 

「大体俺が嫌われる要い、……あったわ」

 

 頭を抱える。

 最後に会った時の会話。自分でも引っかかっていたところではあった。

 急に距離を詰めすぎたか。いや、一年以上定期的に顔合わせといて距離を詰めすぎって何。気が合う男女なら、とっくに付き合って結婚まで意識し始めるような時期なんじゃないか。

 詰め方が好みじゃなかった?

 でも、もうこのスタンスがしっくり来てしまっているし、モテる女性のバリエーションなんてものを終身名誉非モテ男性に求めないでくれ。

 

「選択肢をミスったか」

 

 リアル恋愛の難しさをひしひし感じる。

 ムカついて、それを口にも出さず、目の前から消える程度の嫌われっぷり。

 

「関係修復無理では……」

 

 どうしてと迫ることが逆効果まである。

 頭が痛くなってきた。こんなところで計画が頓挫してしまうなんて。

 自分のコミュ力が、あの強運をプラマイゼロにできるレベルのものだったとは思いたくない。

 

「はあ……」

 

 とはいえ、これで諦めるのも。

 揺らしていた足を揃えて、立ち上がる。このままでは終われない。その気持ちは理屈で抑えられそうになかった。

 鎖が外れかけたブランコを横目に、公園を抜ける。もともと手が入っていなさそうな場所ではあったが、1年も放置されていると寂れるものだ。

 それは街並みも同じ。

 

「……終末世界感出てきたな」

 

 塀が崩れていたり、アスファルトのへこみから雑草が生えていたり、電柱が折れていたり。

 ただ見捨てられた訳ではなく、怪人被害が同時並行なので、廃れ具合が半端ではない。

 平日の朝なのに、死んだように静かだ。

 愛着があってもここに住み続けることは難しいだろう。怪人についてももちろんそうだが、行政の管理を期待できないのだから。

 

「……結局全部めちゃくちゃになるんですけど……」

 

 ガロウ編が終わる頃には、Z市そのものがオシャカになる運命だ。──これはONE版での話だが、きっと似たようなことになるだろう。

 どこへ逃げても同じ。

 自分で口に出した言葉が、今さら自分に突き刺さってくる。立ち止まって、身震いする。

 

「──怖い、」

 

 安全な場所などない。

 

「怖いよ」

 

 あの、マグマ怪人のことを思い返すと、今でも血の気が引く感じがする。恐ろしい。死が俺のすぐ後ろまで迫っていたあの瞬間。

 

「死にたくない、」

 

 “安全”をこの手に収めたと思えるまでは、何だってする。

 女の体とはいえ、男を口説くなんて本当はやりたくないのだ。当たり前の話である。

 加えて“俺”は、サイタマに本物の恋愛感情を抱くことは難しいだろう。もしこの過程で彼を本気で愛してしまえたなら、簡単にそう思えたなら、それはそれで良かったのだけれど。

 サイタマを好ましいと思うのはあくまで友人として、ヒーローとして、利用価値として。

 そんな自分もまた嫌になる。

 

「………………」

 

 俺に生き延びる価値なんかない。そんなこと、俺が一番良くわかってる。

 でも、自分の人生だからこそ諦められない。それもまた当たり前の話だろう。

 すぐ側で何かがひび割れるような音がして、そちらを見る。塀に当てていた手のひら──その周辺の苔に、びっしりと霜が張っていた。

 

「……サイタマを見つけないと、」

 

 手を離して、顔を上げる。

 ──その瞬間。どぉん、と。

 地面が大きく揺れた。

 

「わ、」

 

 バランスを崩しそうになったのを、電柱に掴まることでぎりぎり堪える。

 すわ地震かと思ったが、揺れはすぐ収まった。震源はかなり近い感じがしたが、怪人被害か。

 Z市郊外は怪人の出没が多い。

 わかってはいるつもりだったが、肌感覚で理解できている訳ではない。主な行動範囲であるあの児童公園周辺では、なぜかほとんど怪人を見かけることがないからだ。

 

 すぐに脱兎のごとく逃げ出すほうが危険だろうか。耳を澄ませてみたが、何も聞こえない。

 おそるおそる、建物の角から覗き込む。

 塀にめり込んだ、眼球がたくさんあるわらび餅のような何か──と、その前に立つ、

 

「……サイタマさん……?」

 

 マントをなびかせる、スキンヘッドの男。

 今までの彼とは結びつかない見た目ではあったが、俺にはむしろ、より『サイタマ』として認識できるシルエットだった。

 ──覚醒、したのか。

 そんな俺の驚愕をよそに。こちらに背を向け、濡れたグローブの拳を見つめていた男は、ゆっくり振り返って。

 ぎょっと、その三白眼を見開いた。

 

「だっ、ぁ、セツナ!?」

 

 ……なぜとっさに頭を隠す。

 いや、ハゲだから? ハゲたからか。

 そこまで考えて、ふと。

 

「な、なんでこんなとこに……危ねーぞ……」

 

 きょろきょろと、早送りのように忙しなく視線を彷徨わせるサイタマ。しかしその直後、激しく頭を左右に振ったかと思えば、背を向けて、

 

「……い、いや違う、人違いだ、誰かと間違え、」

「サイタマさん」

 

 遮るように、呼びかける。

 

「……なんで、」

「すみません……つい、心配で」

 

 ──わかった。わかってしまった。

 どうしてサイタマが姿を消したのか。

 同時に、頭を抱えたくなった。

 まずい。これはだいぶ、まずいんじゃ。

 

 覚醒前サイタマなら人間性死んでないからチョロいんじゃね、とか一瞬でも思った自分を殴って土に埋めたい。

 確かに、都合は良かった。しかし必ずこうなることはわかっていて。そこで生まれる巨大なギャップを既知の人間が乗り越えるのは、想像するまでもなく難しい。

 知っているからこそ、もう顔を合わせられないのだ。とんでもない罠だった。

 

「ひ、引いただろ……」

 

 サイタマがぼそぼそと呼びかけてくる。

 第三者からすれば「ハゲ程度で……」、しかも相手はあの『サイタマ』なのだ。

 総合的に見て軽蔑するポイントはひとつもないのだが、どう現実というオブラートに包んで懐柔するか。とっさには言葉が出なかった。

 

「……てか……よくわかったな、」

「ぃ……いえ、」

 

 そっちのほうが見慣れてるからです、とはさすがに言えなかった。

 

「この頭……あんたは女で……いや、女だからこそか、」

 

 サイタマは自身の輝く頭を押さえながら、まだ何かぶつぶつ言っている。

 

 異性にその苦しみが伝わりにくいわりに、容易にジャッジのポイントになる要素というのはつらい。身体的特徴はそう簡単な話でもない。

 気持ち自体はわかる、冗談抜きで。祖父の代から男は若ハゲの家系に産まれたもんでな。

 でもそういう話がしたい訳じゃない。

 大学時代は実家暮らしだったのだが、ちょっと徹夜するたびに父親から「俺みたいになりたくなかったらさっさと寝ろ」とぐちぐち言われたりしていたもんだが、ってだから、そうじゃなくて。

 

 どうでもいい自分語りを追い出して、サイタマに向き直る。今は“セツナ”の話だ。

 幸い、ネタはあるのだから。

 

「あ、あの、」

 

 覚悟を決めて、口を開く。

 サイタマがこちらを見た。

 

「サイタマさんの気持ちは、よくわかります。わたしにも、同じことがあったから」

 

 “セツナ”と“赤井佑太”は別。

 それは、中身だけの話ではない。彼女が知るセツナは黒髪に茶色い目の女性だが、俺が知るセツナは白髪に碧眼の怪物だ。

 

「あなたと出会うのがもっと前だったら、わたしはそのタイミングで会うのをやめていたかもしれません」

 

 “セツナ”だったらそうしただろう。

 突然、怪人になって、今までの知り合いに合わせる顔などないはずだ。

 

「そんな、」

 

 サイタマが微かに眉をひそめる。

 ああ、そういう反応をするだろう。俺だってあんたに対して同じ気持ちだ。ただ、相手の感情だけでは乗り越えられないものがあるだけ。

 

「でも……サイタマさんは、わたしの見た目にこだわっている訳ではないと言ってくれた。それは、わたしも同じつもりです」

 

 そこまで言っても、彼の顔色は変わらなかった。これは一旦退くべきか。

 

「……ごめんなさい。詭弁ですよね、こんな」

 

 とりあえずそれで間を保たす。

 で、それで──どうする?

 これは、切り札を出すしかない、か、

 

「わたしも……変なんです。おかしいんです。普通じゃないんです」

 

 右手を、差し出して。

 その上に、小さな氷塊を浮かべる。それくらいは構えなくても一瞬で出来る。

 超能力。サイタマが、微かに目を瞠ったのがわかった。これはできれば隠し通しておきたかったが、もうこの際、やむを得ないだろう。

 

「それでも、サイタマさんは冷たいわたしの手を取ってくれたから……」

 

 受け入れるから、受け入れてほしい。

 そんな意志を込めて、見つめ返す。

 サイタマは、相変わらず困ったような顔で俺を見ている。何かを、言いかけて。

 最終的に。

 ──その目が、逸れた。

 あ。これ、ヤバい。

 

「…………すまん、」

 

 それだけを、絞り出すように言って。

 次の瞬間には、サイタマは俺の視界から消えていた。とんでもない早業だった。

 無論、止める間もなかった。

 それが彼のアピールなのだ、と思えた。

 

「あ……」

 

 手のひらから、氷塊が転がり落ちて。

 目の前が、一瞬で真っ暗になる。

 まずい、まずいまずい、

 

「……っ、」

 

 ふらついて──今度は踏ん張る元気も出ず。傾きに任せて、壁に頭を打ちつける。

 ごつん。鈍い音がしたが、気にならなかった。

 それよりももっと思考を埋めるもの。

 

「……っ、あ゛ー……やらかしたー……」

 

 どこでミスった?

 嘘はついていないから、不自然ではなかったと思う。でも、サイタマの心は動かせなかった。

 会わないほうがよかったか。彼の気持ちに整理がついて、あちらから接触してくるまで放っておくべきだった?

 原因は色々と思いつく。けれど。

 ……全ては後の祭りだ。

 認めなければ。

 失敗した。俺は失敗した。

 リセットしてやり直すことはできない。俺が生きているのは、かけがえのない現実なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……う、……」

 

 あれから、何もする気になれず。ネットカフェに帰る最中、何度も吐きそうになった。

 これからどうすればいいのか。

 何も頭に浮かばない。

 死にそうな顔をキャップで隠しながら、壁伝いにふらふらと足を進めていく。

 この角。ここを曲がれば、

 

「──────、」

 

 ──目を、疑った。

 夢でも見ているのかと思った。

 

「……ウッ、ソだろ、」

 

 完全に崩落した、ネットカフェの建物。

 それどころか、通りの一角が完全にぐちゃぐちゃになってしまっている。

 既にテープが張られ、一帯に侵入できないようになってはいたが、見間違える訳もない。

 どうして。今朝までは平気だったのに。

 混乱で考えがまとまらない。

 

「怪人災害の後処理中でーす、危険なので近寄らないでくださーい!」

 

 中ではヒーローらしき男女が数名、メガホンでそんなことを呼びかけていた。

 怪人災害。また。

 また、かよ。

 膝から崩れ落ちそうになったが、もはや、どうしようもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──結局。Uターンして、あの公園に戻ってきてしまった。

 バイトも、漫画もどうでもいい。

 とにかく一人で休みたかった。

 ふらふらとベンチに歩み寄って、硬い座面に倒れ込む。相変わらず寝心地は最悪だったが、今だけは気にならなかった。

 

「……はあ……」

 

 リュックを枕代わりに、体を丸める。

 戻してしまいそうな気分の悪さがようやく落ち着いた──ような、気がした。

 

「………………」

 

 乾いた目元を擦る。

 涙さえ出てこなかった。

 

「死にたくない」

 

 わかってる。そんなことはわかっている。

 サイタマに頼るだけが全てではないことも。

 彼の存在は最高の十分条件ではあったが、たったひとつの必要条件などではなかった。

 だから、気持ちを切り替えればいい。他にも頼れる存在はたくさんいるし、最悪、俺自身の力を使うという手もある。

 だから、大丈夫。

 

「大丈夫」

 

 ……本当に?

 

「……もう、どうでも、いい」

 

 良くないだろ。

 こんなことで諦めてどうするんだ。ちょっと人間関係失敗したくらいで。死んでもいいのかよ。たった一人の大切な自分が。

 

「うるせー……」

 

 ちょっと黙ってろ。

 今日だけ。今日だけは、これからのことは何も考えず落ち込ませてほしい。

 

「明日から……また頑張る、」

 

 そうだ。

 ここまで何とかやってこれたんだから。

 今日だけ、少しだけ休めば、また頑張れるさ。

 

 そう自分に言い聞かせて、瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──頬に当たる夜風で、意識が覚醒する。

 あれ。俺、何をしていたんだっけ。

 一瞬混乱しかかって、

 

「ん、」

 

 今までのことを思い出す。

 ヤバい。うっかり眠ってしまったか。

 ふて寝の3文字が似合う寝落ちだったと思う。もう、小学生じゃないんだから。

 しかも、既に辺りが暗い。どれだけ長く寝てしまったのだろう。

 やっちまった、の感情を胸に、体を起こそうとして。ふと、間近に気配を感じた。

 頭上に腰掛ける人影。

 

「サ、……」

 

 そのシルエットを認識して、心臓が口から飛び出しそうになった。──サイタマだった。

 昼間見たヒーロースーツではなく、ごく普通のパーカーというラフな格好。

 そこで、サイタマのほうも俺が目覚めたことに気づいたのだろう。呆気に取られたような顔が、瞬時にむすっとむくれる。

 

「なんで、こんなところで寝てるんだよ」

「ぁた」

 

 ぱち、と拙い音を立てて、額で弾ける指先。

 デコピンだった。本気を出せば怪人の1匹や2匹は首なし死体にできるであろう一撃だったが、額に来たのはごく軽い衝撃だった。

 どうしてここに。

 嫌われたんじゃなかったのか。

 もう会いたくないんじゃ。

 聞く勇気は、出なかった。

 

「ここいらにもう人間はいないけどな。それよりもっと危ないのがうろちょろしてるんだぞ」

 

 ……まあ、返す言葉もない。

 死にたくないなどと言っておきながら、世界有数のホットスポットで暢気に野良寝などしていたのだ。俺自身すらドン引きである。

 申し訳なさに顔を上げられないでいたが、

 

「……マジで、超能力なんだな」

 

 その言葉で、思わず彼を見た。

 サイタマはうつむいて座面に触れており──その指先は、氷の膜が張った木目を撫でていた。

 また能力が暴走したのか。

 ちょっと背筋が冷たくなった。ここにいたのがサイタマで良かった。

 わかっていたことだが、負の感情が高まると、制御のリミッターが外れてしまうようで。普段はできる限り意識しているのだが。

 

「ベンチが凍ってる」

 

 どういう反応をすれば。凍ったベンチに長いこと座らせて申し訳ありませんとかだろうか。

 能力が暴走しがちなんですー、などとはさすがに言えない。無駄な危険人物アピールだ。

 とりあえず、順当に疑問を投げかける。

 

「サイタマさん……なんで、」

「知……り合いが、夜に公園のベンチで寝てたら、フツーは声かけるだろ、」

 

 声をかけるというか起きるまで側にいてくれただけな気もするが、ツッコまないでおく。

 サイタマの足元にはネギの飛び出したレジ袋が置かれており、もしかして買い物帰りに見かけてから、ずっとここにいてくれたのか。下手をしたら夕方くらいから。

 

「あ、あの……」

 

 どうしてこんなところにいたか。

 説明はできる。でも、したくなかった。

 これ以上みじめな思いをしたくはなかった。けれど、黙っている訳にもいかない。

 

「ね……ネットカフェが……怪人災害で、」

 

 気分が、沈んでいく。

 1つの音を吐き出すごとに、鉛を喉の奥に詰められていくような感覚。飲み込めない。

 

「何だか全部、どうでもよくなってしまって……」

 

 サイタマの顔なんて、見られる訳がなかった。

 

「どうでもいいなんて言うなよな」

「……どうでも、いいんです」

 

 死にたくない。怖い。

 でも、今はそれと同じくらい何もかもがどうでもいい。そんな気分だった。

 

「人生も……ゲームや漫画と同じです。続きに期待できなければ……期待を裏切られ続ければ、進んでいくのが嫌になってしまう」

 

 サイタマに言うようなことじゃない。

 これ以上好感度を下げてどうする。

 わかっていても、止められなかった。少しでも楽になりたかった。

 

「こんな人はきっとたくさんいるのでしょうね。つらいのはわたしだけじゃない。……でも、」

 

 でも、わたしは。俺は。

 

「セツナ」

 

 ──穏やかに、呼びかけられた。

 重たい頭を持ち上げる。

 

「ん」

 

 差し出された手のひら。

 何、と思うより早く、その指先が催促するように小さく動く。手を出せ、ということか。

 おそるおそる伸ばすと、止まっていた手が動いて、握りしめられた。そのまま引っ張られる。

 

「行くぞ」

 

 どこに。

 疑問はあったが、わざわざ口に出す気にはならなかった。もう片方でレジ袋を持ち上げ、ベンチから立ち上がるサイタマに引きずられるようにして、自分も腰を上げる。

 しかし、手を引かれて公園から出る直前で、サイタマと出会った日のことを思い出した。

 手が冷たい、と言われたこと。

 

「あの……手……」

「冷たくない」

 

 柔らかい、しかしきっぱりした口調だった。彼も思い出していたのか。少し驚いた。

 その言葉を示すように、握り返される。

 

「そこは強くなった甲斐あったな」

 

 肩越しに振り返って、にっと笑いかけてくる。

 その笑顔を見ていたら、何も言えなくなってしまって。うつむいて、のろのろ足を動かす。

 

 ──そのまま、どれほど歩いただろうか。

 サイタマが、唐突に足を止めた。

 見上げる先には、普通の7階建てアパート。1階にテナントが入っているタイプのようだが、今はシャッターが閉まっていた。

 何だここ。ぼんやり尋ねる。

 

「……どこですか」

「俺の住んでるアパート」

 

 えっ。

 予想外の返答に、ひっくり返りそうになった。

 サイタマのアパート。

 何度も作中で見かけたはずの建物だが、特徴がなさすぎてとっさにぴんと来なかった。

 

「え、」

「寝る場所ないんだろ。ここなら部屋、余りまくってるからな。鍵開いてるとこもあるし、適当に借りちまえ」

 

 さらっと言っているが違法行為だ。

 なんつー言い草、と思わなくもなかったが、それが彼の優しさであることはわかった。

 

「ここがぶっ壊れたら俺も同じだ。そんで……まあ……大丈夫」

 

 違法行為を勧める時より、なぜかしどろもどろになるサイタマ。思わずその顔を見たが、彼は明後日の方向を見上げていた。

 

「だから……どうでもいいとか、言うなよ」

 

 何か言うより先に。

 ぱっと、手が放される。

 

「……おやすみ!」

 

 すたすたと、早歩き程度の歩調のはずがとんでもないスピードで建物に消えていく背中。

 呆然と見送るしかできなかったが。

 ぽつんと、一人残された後。

 

「…………いや、開いてる部屋は教えろよ……」

 

 ──でも、ありがとう。

 そんな気持ちで、温もりの残る右手を、そっと撫でた。





コメント欄の皆様、御名答でした(さすがにわかるか…)

読み返しているはずが誤字脱字が非常にひどい 報告ありがとうございます…
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