うっかり怪人♀になってしまったっぽいが、ワンパンされたくないので全力で媚びに行きます。 作:赤谷ドルフィン
奇妙な頭痛の原因がわかったのは、その翌日のことだった。
きちんと磨いたユニットバスルームの鏡を、何十回目か覗き込む。映る景色は変わらない。
そうではないと思いたかった。
しかし、現実から目を逸らすのはもはや不可能。その事実を改めて突きつけられる。
「……大きくなってる、よな」
口に出すと、なおさら気分が沈んだ。
大きくなっている。
──もはや存在を忘れかけていた、側頭部にある透明なツノもどきのこと。
痛いのは、頭そのものではなかった。このツノの部分に痛みが走っていたのだ。
「………………」
もう一度、頭髪をかき分け、鏡を見返しても同じ。明らかに一回り近く巨大化している。
サイズそのものは、相変わらずぎりぎり隠れる程度だ。しかし、2年以上こいつと付き合ってきた俺には、違いがはっきりわかる。
「なんで今さら、」
言ってはみたが、なんで、も何もない。
原因は先ほど言った通り。あの頭痛であり、ひいては能力をたくさん使ったこと。
そうとしか考えられなかった。
暑い日も寒い日もあったし、落ち込んだ日も嬉しかった日もあったが、そのどれでもこのツノの大きさは変わらなかったのに。断言できる。
しばらく狭いバスルームを右往左往した後、結局、部屋に戻ってベッドにダイブした。
まだ少し埃っぽい布団をきつく抱きしめて、霧散しそうになる思考を何とか繋ぎとめる。
「落ち着け俺……」
いや、これが落ち着いていられるかって。
動悸が収まらない。
あの能力の代償……なのだろうか。いや。というよりは、今の姿は何らかのストッパーがかかった結果、維持されていると考えるほうか正しい?
俺は無意識のうちに、この人間体が本来の姿だと考えていたが、そうではなかったとしたら?
既に取り返しのつかない状態であり、ふとした拍子にあの化物に戻りかねない、あちらが本来の姿になってしまっている、と?
「つまり、」
能力を意図的に使い続けると、人間の姿からあの怪獣に近づく可能性がある、ということ。
こめかみに触れる。
この、ツノ。どんどん大きく立派になって、その次は鉤爪か、鱗か、翼か。そうなったらどうする。また人間体になれる保証はない。
「……落ち着け、」
知らぬ間にそうなる訳ではない。
変化の前兆には、頭痛、というわかりやすい壁が存在している。それを無視するとまずい。
そこさえ意識していれば、急激な変化が進むことはない、だろう。
そう思いたい、だけかもしれない。
あれから数日。
ベッドの上で、何もせず過ごした。
その間、良いことと、悪いことがあった。
まず良いこと。
大きくなったツノは、いつの間にかもとのサイズに戻っていた。メジャーできっちり測ったのでこれは確か。少なくとも小さくはなっている。
つまり、ちょっとした使いすぎなら、時間を置けばある程度もとに戻るようだ。
そして、悪いこと。
「ヒーロー試験、…………」
プロヒーローに対する意気込みが、すっかり削がれてしまった。
当たり前といえば当たり前。
想定外のリスクが目の前に降ってきて、それで意志もぐんにゃり曲がってしまった。
今すぐヒーローにならなきゃ怪人扱いされて殺される、という状況ではないが、ヒーローになって能力を使い続ければ、それこそ怪人に変化して殺されるかもしれない。
今回の一件で、手段と目的の行く末がめちゃくちゃになってしまった感覚がある。
──俺は、この世界で一体、どうなりたかったんだっけ?
「あー」
そもそも、前提に無茶があったのを認めるべき時期なのかもしれない。
サイタマに取り入る、プロヒーローになる、能力を制御する。どれもまったく簡単ではないのに、それら全ての成功を礎とした未来を単純に夢見てしまった。できると思ってしまった。
無責任にも。
……何故?
「女だからイケると思ったんだよ……」
俺が地味で冴えない“赤井佑太”のままだったら、おとなしく自死を選んでいたかもしれない。
若く、それなりに美しい“セツナ”の体を得て、その上で怪人になって、上手く行くんじゃないかと思い込んでしまった。全く別の存在になって、できないことができると思ってしまった。
そう、結論づけるしかなかった。
意識していなかったし、認めたくなかったことでもあるけれど。
“セツナ”が同じ計画を立てても、きっと今の俺以上にたくさん思い悩んだだろう。女だから何とかなるなどと適当には考えなかっただろう。
でも、俺は何かすごいアイテムを得たような気になって、それで。
「……あー……」
今さらこんなこと考えたって仕方ないのに。
ごめん。ごめんなさい。
捨てたはずの懺悔が、何の価値もない謝罪が、脳内で折り重なってぐちゃぐちゃになる。
──じゃあ、今すぐ死ぬ?
──全てを諦めて、怪人になる?
……少し、考えて。絞り出した答えは、どちらも「NO」だった。
ほらな。俺はやっぱり、誰のことも可哀想なんて思っちゃいないんだ。
ただ、我が身が可愛いだけ。
「外の空気、吸おう……」
ほとんど這いつくばるようにして、玄関へと向かう。
ドアノブを支えに、何とか立ち上がって。部屋の外に足を踏み出したところで、
「あ……セツナ、」
サイタマが、廊下にいた。
日光浴でもしていたのか、手すりに頬杖をついてそこからの景色を眺めていたようだった。
俺を見て、驚いたような、安堵したような、何とも言えない表情を浮かべてみせる。
「相変わらず暗い顔してんな」
適当に相槌を返そうと思ったが、いや『相変わらず』って何だ。ずっとそう思われてたんかい。
まあ、最初から今に至るまで、俺には思い悩むことが多すぎる、というのはあるけれど。
「なあ」
そのまま会話が終わると思いきや、なぜかさらに呼びかけてくるサイタマ。
「昼、もう食ったか?」
まず頭をよぎったのは、今は一体何時なのだっけということだった。
心配されているのか。昼どころか、ここ最近まともな食事を摂った覚えもないが。
しかし、そんなことを言ったらまた気遣われてしまうだろうか。返答を逡巡した結果、微妙な沈黙が流れてしまったが。サイタマは、それについてはあまり気にしていないような顔で、
「カレー作りすぎちまったんだけど……食う?」
……おい。俺が誘われてどーする。
「料理作りすぎちゃって……」を、まさか攻略対象の男から仕掛けられるという予想外の事態。
女子の矜持と好感度を天秤にかけ、もちろん後者を選んだのでお呼ばれすることとなった。
漫画で何度も見たリビング(思ったより綺麗だった)で、ついていないテレビを前に配膳を待つ。
というか、
「……料理が女子力みたいなのも今日び古い?」
「ん? なんか言ったか?」
「ぃ、いや……?」
やべ、独り言。
一人で過ごし、一人で考え込む時間が長すぎたせいで、すっかり癖になってしまったらしい。
キッチンから出てきたサイタマにはぎりぎり聞き咎められなかったようだ。セーフ。
「ほい。飲み物は水でいいよな」
カレー皿で湯気を立たせる白米と、ルー。それと、スプーンとコップが置かれる。
ごく普通に美味しそうなカレーライスだった。
「い、いただきます……」
「おー。……男の自炊だから期待すんなよ」
ニヒルに微笑むサイタマ。
包丁すらロクに握らない男子大学生よりは優れたスキルをお持ちだと断言できる。
そんな彼は既に食べ終えてしまったようで、向かい側で頬杖をついて俺を観察する構え。見られてると食べづらいんですけどー。
とりあえず、スプーンでひと口掬って、
「……美味しい」
思ったよりも辛くなかった。かと言って甘くもなく、ちょうどいい風味。優しい味だった。
「そりゃどーも、だ」
「サイタマ、料理上手……だね」
「そうか? フツーだろ」
まあ、俺よりはということで。
それ以降は特に会話もなく、黙々とスプーンを進めていたが、
「……俺が口出すようなことじゃねーけど、お前ちゃんとメシ食ってんのか?」
「え? あ……うん、」
やはりそれが本題か。
必要ないので食べてません、顔色悪く見えるのは人間じゃないからです、とは言えなかった。
「腹減ると元気も出ねーぞ」
水を飲みながら、そんなアドバイス。……うん、そう言われると、そもそものネタ元であろうアンパンのヒーローが頭をちらつくのだが。
まあ、真理なのは違いない。
戦争帰りの人間が辿り着いた正義の形だ。確かな重みが存在している。サイタマのほうがそのあたりを意識しているかは置いといて。
「……そうだね」
「だろ?」
なぜか得意気なサイタマ。
思わず噴き出したら、笑うなよ、と拗ねたように咎められた。
「はー、ごちそうさま」
最後の米粒まで綺麗に片付けて、満たされた気持ちで両手を合わせる。
食事の喜びなんてとうに忘れたと思い込んでいたが、美味しいものを完食した時に湧き上がってくるこの感覚は、馴染み深いものだった。
食の幸福、馬鹿にならない。
いらないから、といって安易に邪険にするようなものではないことは改めてわかった。QOLが下がる。
それを見るサイタマは苦笑して、
「……満足そうにしてるとこ悪いが、ついてんぞ」
「あ、ごめん……むぐ」
古典的なドジをやらかしていたらしい。
どこだろうと手をのばすより早く、わざわざティッシュを取って、頬を拭ってくれる。
ありがとう、を返す前に、
「ちょっとは良い顔になったな」
そんなことを言われて、一瞬、言葉に詰まってしまった。
言語化できない感情の群れが、弾丸のようにシナプスを駆け巡る。それら全てをとりあえず飲み込んでから、ありきたりなことを言った。
「あー……うん。色々あって考え込んでたんだけど……サイタマのおかげで、元気出たかな」
こんなことを口に出したい訳じゃないんだが。
俺が今言いたいのは、もっと単純で、もっと“俺”らしい言葉。そう、
「ありがとう、」
サイタマが眠たげな瞳を微かに瞬いた。
それから、緩慢に目が逸らされる。
「……おー」
つるりとした頭を掻いたかと思えば、俺が食べ終えた食器をさっと纏めて、なぜかキッチンへ向かってしまった。ちょ、タダ飯食わせてもらって片付けまでさせるのはシンプルに人として。
さすがに慌てたが、
「洗い物、」
「いーから。俺がやっとく。出かけるとこだったんじゃねーの?」
「え、っと……まあ、」
スムーズに遠慮されてしまった。
外の空気を吸いに出ただけだったのだが、ここで食い下がっても、特に意味がないか。……最後の良心が痛むのは間違いないけれど。
お言葉に甘えて、席を立つ。
そんな俺を、
「またな」
サイタマが、自然な微笑みで見送ってくれる。
「……うん。また」
その笑顔に手を振って、部屋を出た。
扉を閉め、自分の部屋へ向かって。
──ドアノブに手を掛ける前に、扉を背に、ずるずるとへたり込んだ。
廊下に行儀悪く足を伸ばす。
「…………はー……」
深く息を吐き出して。
拍子抜けするというか、何というか。なんとなく、不思議な気分だった。
軽くなった胸に手を当てる。
次に、満たされた腹に。
サイタマが何か俺に言った訳ではない。素晴らしいアドバイスをくれた訳ではない。でも、あれでじゅうぶんだった。
我ながら単純なヤツ、と思うがそれはしょうがない。
ぼうっと空を仰ぐ。
「……懐柔しようとしてたヤツに助けられるとはね」
人生ってのはわからないもんだ。
サイタマが生身の存在であることを、改めて意識する。俺がただ干渉するだけではなく、サイタマも俺に影響を与えているのだ。
そんな単純なことを、ここに来てようやく噛み締めた。
いつだって彼はそうしてくれていたのに。
「でも、それは最初に俺が関わったから」
俺があの日、あの時、手を差し伸べたから。
そしてサイタマは、“セツナ”の見た目に惹かれた訳ではないと言った。喜ばしい意味ではないのかもしれないし、それがどこまで真実なのか、確かめる術はないけれど。
出会った頃のことが、ようやく鮮明に蘇ってきた。ずっと、忘れかけていたこと。
俺自身が選んで、歩んできた道だ。
「……“赤井佑太”にも、まだできることはあるよな」
そう思いたい、と思った。
たった一人の大切な、自分自身のために。
──眼前には、ドーム型の建物。
少し視線を手前に戻すと、『ヒーロー認定試験』の縦書きゴシックが目に入る。
天気は快晴、風もなし。
あれからまた、月日が経って。
今までの経緯は……説明するまでもない。
指定された簡単な履歴書とエントリーシートを提出して、それがあっさり通って。それ以降何事もなく、試験当日を迎えてしまった。
いや。迎えられたのだ。
喜ばしいことに。
「……ああ、落ち着け」
読み込んだ参考書をぎゅっと胸に抱いて、暴れたがる心臓を必死に抑え込む。
練習は死ぬほどした。
勉強もした。下調べだってもちろん。
それに、
「……このままじっとしていても、状況が悪くなるだけ」
ジェノス、ソニック、バング、フブキ。
放っておけば、順当に集ってしまうだろう。
サイタマの強さに惹かれる彼らが、すぐ近くにいる俺の存在を都合よく無視してくれるとも思えなかった。残念ながら、サイタマの擁護にも説得力を期待できない。
2年以上が経ってしまった。
もう、猶予はあまり残されていない。
やれる時にやれることをやる。
それだけだ。
「そうだろ、“俺”」
ああ、そうだよな。
「行きますか」
いざ、プロヒーロー試験へ。
サイタマ氏の出番、ちょっと増えました。
主人公常に病んでますね。趣味です。
あとヒーローネーム、候補はいくつかあるんですがまだ決まってないです…