狩人テペスの冒険 作:ヤングフンター
劇場から出た二人はオラリオを囲む外壁の上に乗るような夕陽に照らされていた。街の防衛のためにあるが、これのせいでオラリオは日の出が遅く、日の入りが早い。とはいうものの、ほとんど誤差の範囲なので気にするものは外壁の側に住む者くらいだ。
ランチ、買い物、劇場。そうなるとデートの最後を締め括るのはディナーだが、ピーシャの足は飲食店が立ち並ぶ方向には向いていなかった。テペスは疑問に思いながらも黙ってついていき、やがて二人は小高い場所へやってきた。ヤーナムほど迷宮めいてはいないが、このオラリオも立体建築があり、家の上に道がある場所もあった。
そんな道の脇、長く伸びる石の手すりの真ん中でピーシャは立ち止まる。
「? 何だってこんなところに……」
テペスは夜が近づいているために若干ソワソワと落ち着きのない様子を見せている。すると振り返ったピーシャはいたずらっぽくはにかんだ。
「良いもの見せてあげる」
沈みゆく太陽に向いてピーシャが指差した先。外壁に沈んでいく太陽と、それに伴い影になる街。その影になった部分に光が宿った。小さな光だが、それは一つ、二つ、三つ、十、百と、次第に数えきれないほどにまで増えていき、やがて夜に包まれたオラリオを浮き彫りにした。
「……こりゃ、いい」
夜がこんなにも美しいものだとは。その光一つ一つが人の営みであり、恐るべき闇を消し去っている。テペスはロキのところで厄介になって以来、夜に出歩いたことがなかったために、この灯りを知らなかったのだ。
「綺麗でしょ? このくらいの時間、この辺に来たらここには絶対来ようって決めているのよ」
ピーシャは手すりに肘をかけて夜の灯を見つめる。魔石灯のオレンジと黄色の光が伸びる先は飲食店が立ち並ぶ店。ロキが愛顧にしている「豊穣の女主人」という店がある通りだ。今日の仕事を終えた冒険者たちの喜びの声がここまで聞こえて来る。成果を挙げたか、ランクアップしたか、危険な状況から脱出できたのか。彼らはこれから酒と料理に舌を踊らせるのだろう。
通りの先に見えるのは白い摩天楼バベル。中程まで光に照らされているが、その先は夜空に食い込むように暗い。しかし頂上には誰かがいるのだろうか、北極星のような孤独な光がポツンと灯っていた。
「……」
テペスは徐にピーシャのすぐ横に立ち、重たい口を開いて呟き出す。
「俺とさ、初めてダンジョンに行った時に言ったこと、覚えているか?」
「えっ。あ、いや、あの時は悪かったわよ……」
突然責められたのかと勘違いしたピーシャは顔を上げて謝罪を述べるが、テペスはずっと街の灯を見ている。
「言っただろ? ちょっとしたトラブルに巻き込まれた事があるって。
俺さ、覚えていないんだけど、多分だけど、何かの病気だったんだ。それの治療のためにあの街に行ったんだと思う」
今度はテペスが手すりに肘をかける。
「でもその街は、何というか、何もかも狂っていたんだよ。獣どもが石造の道を我が物顔で歩き回っていて、住民もイカれていて、血と悪臭と誰かの視線がずっと付き纏っていたんだ」
テペスの手が震え始める。ピーシャは神妙な面持ちで黙って見ているのみ。
「不思議な力と、喋る人形と、車椅子の爺さんに助けられてさ、なんとか戦えていたんだ。で、あの狂った街の中でようやくまともな人間に出会えたんだ」
テペスは懐からある物を取り出した。純白のリボンと、それに包まれた金の装飾に縁取られた血のように赤い宝石のブローチ。
「誰一人として救えなかった」
リボンとブローチを握りしめる。
「あの女の子の父親は、殺すしかなかった。もう正気じゃなくて俺が人間だってことすらわからなくなっていたんだ。多分、自分の奥さんも思い出せなかったんだと思う。
でもあの子には、正直に言えなくて、誤魔化して安全な場所を教えるしかなかった。だがその子は豚に食われた」
テペスの口が速くなる。
「偏屈なババアも救えなかった。イカれちまって蔑んでいた俺のことを息子と勘違いしていたんだ。気の毒になって、息子のフリをして安心させていたつもりだった。だがあいつは息子のためにと危険な街をうろついて、死んだ」
テペスの声が震え始める。
「同じような偏屈ジジイ、こいつはババアより酷かった。俺が教えた避難所と真逆の方へ行きやがって、次に見つけた時は人間じゃなくなっていた」
手が震えだす。
「娼婦と聖女サマ、あの二人もダメだった。何とか避難場所まで案内できたんだが、何があったのか、殺し合いやがった。挙句聖女サマは俺まで殺そうとしてきやがった。だから殺すしかなかった」
「テペス」
「俺はあの夜を終わらせるために、いや、ある物を探すためにか? とにかく何とかしなくちゃってあのクソみたいな街を走り回ったんだ。原因的なものはぶちのめしたけど解決したような気がしねーんだ。
何かたりなかったんじゃないか? もっと良いやり方があったんじゃないか? 俺が上手くやっていれば死ぬやつは少なくて済んだんじゃないか?
忘れようとしても毎日毎日後悔しない日がない」
「テペス!」
ピーシャが肩を揺らし、テペスはハッとなる。彼の全身はマグニチュード8の地震震源地のように揺れていたのだった。黄色い脂汗も服の下を濡らしている。唇も青い。
「悪りぃ……」
平静を取り戻したテペスは、ロキから渡された包みを開いて中の飴を口の中へ放り込み、五回ほどの咀嚼で粉々にして飲み込んだ。
「でもさ、その苦しみも、日を追うごとに小さくなっていくんだ。
飲んだくれに居場所をくれたロキ様、
学のない俺に真剣に文字を教えてくれたアールヴさん、
何かと気をかけてくれる団長やランドロックさん、
口うるさいがマナーや常識を教えてくれるウィリディスさん、
親しく接してくれたラウルセンパイ、ロイドさん、ニックさん、エリングリムさん。
それにお前、ピーシャ」
テペスはピーシャの目を見る。
「ちゃんと顔合わせしてまだ三日くらいしか経ってないお前に色々言うのもアレかもしれんが、俺は少しだけど、お前たちに救われたんだ。人並に接してくれたファミリアのみんなに、暗い迷宮で独りぼっちでいなくていいって思わせてくれたみんなに、夜の怖さを忘れさせてくれたお前に。
だから、ありがとうって言いたいんだ」
テペスはそう言ってピーシャから一歩離れ、一礼をする。見様見真似の礼儀作法に則った、胸に片手を当てながら頭を下げる。ぎこちない、ともすればぶっきらぼうにも見えるが、確かに心のこもった感謝がそこにはあった。
「……」
ピーシャはしばし下がった頭、その上の山高帽の頂点をじっと見ていたが、ある時ツカツカとテペスに近寄って彼の両肩に手を開き、頭を上げさせる。
「あんたが感謝したいって言うなら、あたしは謝らなくちゃいけない」
「何?」
「獣人レイシストだって、色々罵倒しちゃって、でもそれは誤解だった。
あんたが抱えている物の重みを知らずに、そんなフウに言ったあたしは、最低だったわ。ごめんなさい」
今度はピーシャが頭を下げたために、テペスは蝋梅する。彼としてピーシャに謝ってほしかったわけではなかったのだ。
「い、いや、アレは俺の態度が悪くて……」
「それとね、ありがとう。あの時、命懸けで私を守ってくれて」
顔を上げたピーシャの顔には静かな笑顔があった。そしてテペスが山羊頭のムカデ鉈に斬られたであろう箇所、肩から胸にかけてをそっと撫でる。
「……あ、うん」
何と返したらいいかと悩んだテペスは生返事しか言えなかった。その為か、ピーシャは年相応にからからと笑い始める。
「わ、笑うなよ……」
「あはは、ごめんなさいね。
そろそろご飯食べに行きましょ。もうお腹ペコペコ」
ピーシャはテペスの腕を掴んで引っ張る。転びそうになりながらもテペスはそれについて行く。
獣もナメクジもいない光の夜に、テペスの心は救われたのだった。