狩人テペスの冒険 作:ヤングフンター
半魚神の命の終わりに反応するように、壁から流れていた大量の水が途絶え、地面に張っている水面も徐々に水位を下げていく。それと同時に冒涜的オベリスクは地面に沈んでいく。まるで沈没船のように、水の下へと消えていくのだ。テペスとしては、後の憂いを残さぬ為に破壊しておきたかったが、この際は仕方がない。
「まさか、勝つとは……」
すっかり水が引いた頃にアサシンは戻ってきた。驚きはしているもののテペスとの交戦を止める気配はない。
「そういやいたな。お魚さんが怖くてブルブル震えながら隠れた、ちいちゃい子猫ちゃんが!」
テペスがアサシンを挑発する。
「テメェ……!」
アサシンの持つ槍が震える。今まで以上に殺意が昂り、噴火寸前のヴェスピアス火山めいた怒気を纏った。
「で? どうすんだ? 俺はテメーをクズ肉に変えてやる準備はできているぞ」
「調子に乗るんじゃあねえぞカス。イレギュラーを仕留めたのは驚いたが、テメェが死ぬことに変わりはねぇ」
アサシンが殺人的な構えを取る。テペスも同じく構える。先の戦闘では常にイニシアチブを取られていた上、輸血液の数が限られている。実際のところかなり不利だ。
「おい」
「「!」」
アサシンの後ろから第三の男が現れた。猪の耳を有したボアズの大男で、肌に張り付くようなノースリーブの服のために、ギリシア彫刻めいた美しい筋肉があらわとなっている。腰の後ろにはクレイモアのような大剣が二本、バツ型の鞘に納められていた。
(どっかで見た事があるような……いや、こんな奴見たなら忘れるはずがない)
テペスはその男を一目見ただけで勝てないと確信してしまった。少なくとも激しい消耗と、愛用の斧のない現状ではかすり傷を負わせるのが精々で、その次の瞬間に自分はミートパイより酷い有様になるだろうというヴィジョンを見てしまった。
「テメェ、何の用だ」
アサシンはテペスとは対照的にボアズに食ってかかる。顔見知りなのだろうか、しかしアサシンの槍の持ち方はテペスとボアズ、どちらを攻撃するにも最適化されたものだ。テペスにはこの二人の関係性が読めない。
「……目覚められた」
「な、に……?」
アサシンはボアズの言葉を聞いた瞬間に警戒心が霧散した。震えた手から槍を取りこぼす始末。完全に隙だらけ。だがテペスは攻撃しない。あのボアズが気がかりだ。
「目を、覚まされたのか……」
「ああ……誰も殺さず、戻ってこいとの御達しだ」
「何だと? あのクズ野郎を見逃せと? あのお方は本当にそう言ったのか?」
アサシンの声が明らかに動揺したものとなる。
「そうだ。何も殺さず、何も見ず、真っ直ぐに戻ってこい」
「……ちっ」
アサシンは盛大に舌打ちをしてテペスの方に向き直る。暗黒のバイザーの為にその表情を窺い知ることはできないが、恐らくメキシコ産の凶暴なライオンめいた怒りの形相を浮かべているに違いなかった。
「何も見ず、と、言ったはずだが?」
「わーったよ!」
アサシンは乱暴に言い捨てると、地上を目指して走り去って行った。恐ろしく速く、追いつけないだろうということは明らかだった。
「……」
残ったボアズはテペスを見る。頭の先から爪先まで、じっくりと観察される。剣を抜く様子はないが、恐らく素手でも勝てないだろう。次にボアズは視線をヒラキと化した半魚神へ移す。
「……見事だ」
そう言った。混じり気のない、確かな称賛。テペスは面くらい、目をパチクリとさせる。
「……そいつはドーモ」
取り敢えず出てきた返事はそれだけであった。
「……」
ボアズは半魚神を暫し観察した後、ポーチから一本の瓶を取り出して、テペスに向けて放り投げる。テペスは受け取らずに避けたが、濡れてなお硬い地面にぶつかったにも関わらず、瓶は割れなかった。
「詫びだ」
怒った様子もなく、それだけで言い残してボアズも去って行った。明らかな巨体にも関わらず、その足取りは非常に静かなもので、アサシンほどの速度が出ていないにも関わらず、テペスはその気配を見失った。
「……」
テペスはボアズか投げかけてきた瓶を拾う。美しいダイヤモンドめいたカッティングが施されているだけではなく、金の装飾が施されており明らかな高級品とわかる。更に巻かれたチェーンには『ディアンケヒト』という文字と派閥マークが刻まれている。
「……」
訳のわからぬ人物がよこした訳のわからない物を使う気にはなれず、取り敢えず証拠品としてポーチの中にしまっておくことにした。その直後、18階層の方から光が入り込み、続いて人の影が続々と押し寄せてきた。リヴィラの街の冒険者たちだ。
本来、彼等は街の通行への邪魔となるゴライアスを討伐する為に集まっていたのだが、17階層までの道が落石で塞がれていたので、今までは落石の撤去作業に苦労していた。そして今、全ての石が退けられ、17階層に入って来たと言うわけだ。
「ぐわっ!? く、臭せえ!」「なんでこんなに水浸しなんだよ!?」「何だこのモンスター!?」
先陣を切って来た冒険者たちは半魚神とテペスの戦いの痕跡に慄き、テペスを見た。テペスは彼等を無視して解体作業に入ろうとしたが、顔に傷のある中年冒険者が立ち塞がった。
「お、おいあんた! これはあんたがやったことなのか!?」
詰め寄る中年冒険者。邪魔だとは思いつつも敵ではないので乱暴にどかすわけにもいかず、取り敢えず人差し指を口に当てて静かにするように促した。
◆
「まったく、あのバカ」
バベル一階、ダンジョンの入り口のあるフロアで苛立った様子で腕を組み、人差し指を忙しなく叩いている犬人の少女がいた。ピーシャだ。その格好はダンジョンに入るためのものだ。
テペスと飲んだ翌日は二日酔いのために丸一日動けなかった。さらに翌日、テペスがいないことに気づき、同僚やロキに聞いて回ったが誰も行先を知らない。オラリオ中を探し回ったがそれでも見つからなかった。(もしやと思い、羞恥心を押し殺して踏み入れた歓楽街で娼婦と間違えられ、連れ込もうとした相手の股間を蹴り上げて逃げたりもした)
ここまで探して見つからないとなると後はダンジョンしかないが、仮にテペスが中層まで行ったとなるとレベル2のピーシャが単独で探すのは大きな危険が伴う。だからパーティを組む必要があったのだが、あいにく今日まで誰も都合がつかなかった。
「まったく、あのバカ」
もう何度目になるかもわからない言葉を呟くピーシャ。今他のメンバーがトイレに行っているため、ピーシャはここで待っているのだ。その時間すらももどかしく感じている。
(何で私がこんな思いしなくちゃいけないんだか。見つけたらぶってやる)
二日酔いで動けなかった日のことを思い出すと、ピーシャのこめかみに青筋が浮かぶ。朧げに覚えているが、部屋まで連れて行ってもらい、掛け布団もかけてくれた。だが目が覚めた時にいないのはどういうことか。女の子が苦しんでいたのだから一日中介抱してくれるのが道理ではないのか!
と、誰かがピーシャの頭の中を読めるならば、「それは理不尽だ」と言うのは間違いない事を考えていた。
(……でも、手は出さなかったから、紳士よね。紳士)
誇張無しにあの時のピーシャは無防備で、隙だらけであった。並の男ならばケダモノと化して襲いかかってきてもおかしくはないが、そうならなかったテペスは紳士と言えるのではないか?
(それとも、そんなに魅力ないかしら?)
別の疑念が浮かび上がってくる。それは自分は女性的魅力に乏しいのではないか? というものだった。下を見る。長い裾のソーサラーローブのために寸胴に見えるが、彼女は殺人ビショップ拳法の鍛錬により贅肉はほとんどない。胸は豊満ではないが、平坦でもない。少なくとも、ロキよりはある。
仮にテペスが襲いかかってきたのなら、どうなってしまうのだろう。まず間違いなく抵抗はできない。そのままあの太い腕に組み伏せられ、あの鍛え上げられた肉体を重ねられ、それはもう凄まじい勢いで蹂躙されーーーーーー
(って……、何考えてんのよ私は!?)
ピーシャは赤くなった顔を隠すように頭を抱え、頭をブンブン振り回す。長く垂れた耳が回転の軌跡を描く様はまるで犬だ。
(最低だ……私)
仲間を乱暴者にして卑猥な妄想をしてしまったことにより、ピーシャは自己嫌悪に陥った。
(ぶつのはやめよう……でもちょっとくらい文句は言わせてよね)
「おーい! ピーシャ! 待たせたな!」
丁度その時、パーティメンバーが戻って来た。
「ん。じゃあ行きましょ」
「テペスを探すんだったよな? ダンジョンにいればいいな」
「ここで見つからなかったなら、いよいよどこにいるかわからないわね」
そして一行が出発しようとした時、ダンジョンの入り口から上がってくる黒ずくめの帽子の男を見つけた。
「て、テペス!」
思わず駆け出すピーシャ。パーティメンバーは「あれ? 目的達成?」と呆けた。ピーシャの頭から文句を言ってやろうと言う思いは消え、彼が見つかった事に純粋な笑みを浮かべて出迎えようとした。しかし、テペスの服がボロボロで、尚且つ何やら大きな荷物を背負っている事に笑顔が消えた。
「ん? あ、よう。ピーシャ」
「よう。じゃ、ないわよ! 一体どこに行っていたのよ?」
問いただすピーシャだったが、テペスの表情はどこか上の空に見え、その身を案じた。
「ん。……ちょっと、17階層に、な」
「何で……そんなところに?」
不安げに尋ねるピーシャ。少し黙って、口を開いたテペスの言葉は、だが殆ど理解できなかった。
「階層主を殺そうと思ったら、変な黒ずくめに襲われて、そしたら階層主じゃない巨大な魚が出てきて、そいつを殺して帰ってきた」