はぁ、昨日は酷い目にあった。カヤの奴最近どんどん独占欲強くなってるんだよな……このまま順調に事が進んで結婚したら完全に尻に敷かれるな、こりゃ。
って……あれ?
ヤックルに乗って狩りに行くか村の畑でも耕そうと思ったんだが……今日の山はやけに静かだな。
いや、静か過ぎる?ちょっと婆さんの所に行くか。
「婆さんッ!」
「アシタカヒコや、お前も気が付いたかい?」
という訳で村を影で支配していると言っても過言ではない老巫女の婆さん━━ヒイ(様)婆の元にやって来たのだが。
ヒイ婆も山の異変に気が付いたらしい。
「あぁ、山がおかしい」
崖の中腹から張り出した岩の下に作られた神社から険しい顔で周辺の山々を見つめるヒイ婆の隣に並び立つ。
ここに来るまでに耳をすませたりしていたが鳥や虫の鳴き声1つしない。いや、それどころか木々のざわめきすらない。耳の痛くなるような静寂。こんな事、前世はもちろん今までの今世でも無かった。
「何か良からぬ物の気配がするね。アシタカヒコや、1つ頼まれてくれるかい?村の外に出ている皆を急ぎ呼び戻しておくれ」
「分かった。じゃあ念のため村の男達にはボウガン━━じゃなかった弩(ど)や連弩を持たせて各陣地につくように言っといてくれ」
何かを見極めるように森を睨みながら、頼み事を口にするヒイ婆にそう返せばヒイ婆はこちらに視線を向けて露骨に嫌な顔をした。
「あれは……あまり使うべきじゃないんだがねぇ」
「自然との調和が壊れる。だろ?だから狩りには使わずに有事の時しか使ってないんだ。勘弁してくれ」
「分かったよ。しかし、お前は荒事になるとやっぱり頼りになるねぇ。私らが思いも付かないような事ばかり思い付くし。流石は鬼の子」
誇るような、からかうような顔をしてそうのたまうヒイ婆に今度は俺が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる事となった。
「……」
村を発展させようと前世の知識を使って色々とはっちゃけていた時の渾名を出すな。
若干煙たがられていた時期もあるから気が滅入るんだよ。
というか、外敵対策として前世で蓄えていたミリオタの知識でブービートラップのキルゾーンや対戦車陣地モドキを構築したり、林業の仕事で培ったもの作りの技能を利用して弩や色々な武器、便利な農具や工具を作って何が悪い。
……あ、駄目だ。
前世の知識が無い奴らから見たら異端だわ。軽く絶望しながらも神社の入り口に立て掛けてある木板に視線を走らせる。
この木板には村や畑、山などといった場所が書かれた枠と村人達の名前が刻まれた札が掛けられており、それらを組み合わせる事で誰が今どこにいるのかを簡単に知ることが出来るようになっていた。
「えっと……出札によると見張り役以外で村の外に出ているのは15人か」
おいおい、カヤ達3人も外に出ているじゃないか。
これは急がないと。いつものように山菜採りに出ているならすぐ近くには居ない可能性があるからな。
「その出札も外に出ている者が一目で分かるようにと、お前さんが作った物だが……こういう時には便利だねぇ」
しみじみしてないで村の男に指示だしてこいよ、ヒイ婆。少し焦りながら外に出ている人員の確認をしている俺とは打って変わって落ち着いているヒイ婆の姿に毒気を抜かれてしまう。
「村の方は任せたぞ、婆さん!!」
「あぁ、任せておき」
とりあえず何があるか分からないしフル装備で出るか。人数の確認を終えた俺は気を取り直し、後をヒイ婆に任せると神社を後にした。
「ヤックル、今日も頼むぞ」
さて、急がないと。
ヒイ婆と別れてから一度家に戻り武器と装備を整えた俺は厩舎にいた相棒━━大カモシカのヤックルの背に股がり、村の外に出ている皆に異変を伝えるべく村を飛び出した。
さっき畑に居た村の奴に聞いたらこっちの方で見掛けたって言っていたが、カヤ達はどこに……。
畑に出ていた村人達に声を掛け終わり、残すはカヤ達3人だけとなった時点で手に入れた目撃情報を頼りに村外れにヤックルを走らせる。
見つけた!!
3人とも一緒か。
石垣に挟まれた通路をヤックルと共に駆けていると前方から小走りで走ってくるカヤ達を視界に捕らえる事が出来た。
「カヤ!!」
「兄様!!」
走らせていたヤックルの手綱を締めて減速させるとカヤ達が側まで駆け寄って来る。
「山の様子がおかしい。すぐに村へ戻るんだ」
「ジイジもそう言うの、山がおかしいって」
「鳥達がいないの」
「獣達も」
3人の無事な姿にホッと胸を撫で下ろした俺が村へ戻るように言えば、カヤ、アヤ、サヤの3人がそれぞれにそう言い募る。
こちらが異変を伝えるよりも先にカヤ達は村外れにある見張り櫓に居た村のジジイに村へ帰るように促されていたようだ。
「ジジイもそう言っているのか?なら尚更急いで村へ。俺はジジイの所へ行ってくる」
胸の前で両手を握り締め不安げな表情のカヤにそう告げる。
「はい、兄様」
「よし、いい子だ」
こういう時は素直でいい子なんだがな。ご褒美になでなでしてやろう。跨がるヤックルの上から手を伸ばすと、こちらの意図に気が付いて被っていた帽子を脱ぎ頭を差し出してきたカヤの頭を撫でてやる。
「兄様……」
こうやって頭を撫でてやると、嬉しそうな顔を見せてくれるし。
少しでも安心させようと意識して笑みをこぼしながらカヤを構い、そしてカヤを撫で終えると最後にアヤとサヤにも気を配る。
「アヤとサヤも気を付けるんだぞ」
「「はい!!」」
元気な返事をしたアヤとサヤも帽子を脱いでいたのでカヤと同じように軽く頭を撫でてやる。
「……兄様、後でお仕置きです」
何故に!?
「行こう、2人とも」
思わず息を飲むようなカヤの表情にヒッと息を飲んでいると、最後にこちらを一睨みしていったカヤがクスクスと笑うアヤとサヤの手を引いて村の方へ走って行った。
カヤが、カヤが……昏い笑みを浮かべていた。
これは2時間コースだな。
っと、今はそれよりもジジイがいる見張り櫓に行かないと。
夜に行われるであろうお仕置きの事を考えると震えの止まらない足に活を入れ、お仕置きの時にお前も一緒に居てくれるか?と問い掛けたヤックルに無視を決め込まれつつも俺は見張り櫓へと急いだ。
「爺さん!!無事か!?」
「アシタカか」
村と外の境界線近くにある崖上の見張り櫓に到着しヤックルから飛び降り、猿のように櫓をよじ登って行くと頂上の見張り台では見張り役である村のジジイが険しい顔で山の方を見つめていた。
「山の様子は――」
「ッ、何か来る!!」
山の様子を聞こうとした瞬間、ジジイが鋭い声をあげ落ち着かせていた腰を浮かせた。
もうかよ!?見張り櫓に登ったばっかりだぞ!!
弓で殺せる相手ならいいんだが。
息つく暇もなく櫓の上で弓に矢をつがえ、迫る気配の方角に狙いを定めながらそれが出てくるのを待つ。
「出た!!タタリ神じゃ!!」
まさに嵐の前の静寂の後、侵入者を阻む石垣を突き破りながら森の中から怒涛の勢いで形容し難い異形が飛び出してくる。
「タタリ神?」
黒紫のような毒々しい色の触手染みた器官を身体中にまとわりつかせ、また2つの大きなギョロ目で辺りを睥睨しつつ、地面を抉り取るように腐食させながら歩を進める化物は増えたり減ったりする足を器用に動かしながらこちらへ向かって来ていた。
何か森や土が腐ってるぞ!?
あの触手の塊が腐らせ━━うぇ……日光に当たったら触手が弾けた。
しかも、中からドス◯ァンゴみたいなイノシシが出てきた。
あ、またくっついた。気持ち悪い……。
日陰から日向に出た途端に胎動していた黒い触手状のモノが弾けたように空に打ち上がったかと思えば、触手の中から立派な図体の大イノシシが姿を現した。
って、こっちに来るな!!
だがそれも束の間の事。再び触手が大イノシシの体にまとわりついたかと思うと、こちらに向かって遮二無二に突っ込んで来る。
あ、ヤベェ!!櫓の下にヤックルを待たせたままだった!!
ヤックルを見張り櫓の下に待たせていた事を思い出し、俺は慌てて下を覗き込むのであった。