ようやくここまで辿り着くことができた──。
真っ白な大理石で組み上げられた、城にも見える蒼穹を貫く塔。
公理教会セントラル・カセドラル内部へと侵入したキリトは、そんなことを考えながらひたすらに地を蹴っていた。
二年と少し前までは、現実世界で生活していたし、それが続くのだと思っていた。
多少の波乱はあったが、学生として過ごし、ゲームを手放すことは無く、されども彼女や友人たちと少しずつ時間を重ねていくのだろう、と。
しかし、ある日突然キリトの世界は一変した。
気付けば異世界……いいや、精巧に作り上げられていた仮想世界へと放り出され、そして唯一無二の親友と出会った。
亜麻色の髪に、エメラルド色の瞳を持った少年──ユージオに導かれるようにして、央都を目指す旅/現実世界へと戻る旅が始まった。
ルーリッドの村から共に旅立ち、ザッカリアという街で開かれた剣術大会で勝ち残り、そして《帝立修剣学院》へと入学を果たし──そして、罪人という形ではあるが、こうしてセントラル・カセドラルへと足を踏み入れることに成功した。
──そう、大罪人として、だ。
キリトはライオス・アンティノスという少年を殺した。しかしそれが間違いであったかと言われれば、やはりキリトは首を横に振るだろう。
たとえあの瞬間を何度もやり直すことができたとしても、それでも。
自分は、他ならぬ自分の意思で剣を振るったのだろう、と。
──本当に、どれほど遠いところまで来てしまったのだろうか。
積み上げ続けてきた実力、ユージオとのコンビネーション、それから大きな幸運により、槍使いの整合騎士……ネルギウス・シンセシス・シックスティーンを打ち破った。
やっとのことで取り戻した愛剣を撫でながら、僅かに思う。
このまま順調にいけば良いが、しかしそうはいかないだろう。
仮に万事が上手くいって、最高司祭とやらに会えたとしても──それが、現実世界へと帰るきっかけになるのかどうかも分からないのだから。
そうなれば、自分はどうすれば良いのだろうか。
ユージオはきっと、アリスを取り戻した後に……、そうだな、闇の国にでも逃げるとか言い出すかもしれない。
もしそうなったらさ、俺も一緒に行っても良いだろうか……?
声にすることは無く、横で走る相棒の答えを想像しかけて、やめる。
……いずれは、道を別つ。それは分かっている。ユージオはこの世界の人間で、俺はこの世界の人間ではないのだから。
しかし、そうだとしても。
今そのことを考えるのは、何故だか無性に恐ろしかった。
セントラル・カセドラルは百の階層で成り立っている。
百階層という字面はどうしてもあの世界──鋼鉄の城のことを想起させるが、何とか振り払う。
規模的に言えば、こっちの方がずっと小さいし、各階層に毎回ボスがいる訳でもない。
だが、障害が無いという訳ではないのだ……それこそ、先ほどの整合騎士のように、警備にあたっている騎士がいてもおかしくはない。
長方形の広間から、前後左右に伸びる廊下と、等間隔に並ぶ扉。
どの階層もほとんど違いが見受けられないそこを、ひたすらに踏破する。
どれだけ上っても景色がさして変わらないことから、もしや魔法──神聖術でもかけられているのかと不安になるが、今は気にしても仕方が無いことだ。
百回上ってダメだった時に考えよう。
キリトはそう断じて──恐らくではあるが──二十九個目の大階段を上り切ったのと。
どかかかっ! という凄絶な音と共に真後ろの壁へと鋼矢が突き立ったのは、同時のことだった。
パラパラと、矢に破壊された壁の欠片が零れ落ちる。
「──キリトッ!」
「ああ、絶対に止まるな、走れ!」
キリトの視界の先にいるのは、真っ赤に彩られた鎧を纏った弓兵。
身の丈ほどもある長弓をギリリと張らせながら、こちらを見据えている。
彼我の距離、およそ四十メル。
キリトとユージオは剣士である。飛び道具は持っていないし、まともに使えたことも無い。
障害物の無いここでは身を隠すことも出来ない──即ち、足を止めればすぐさま射抜かれることだろう。
ただでさえ、かの騎士からすれば必中の距離だ。
──ああ、くそっ。さっきの武器庫から盾の一つでも持って来れば良かった!
思っても仕方ないことを考え、歯噛みをしながら素早くキリトは踏み込んだ。
「──シッ!」
刹那、四本の鋼矢が放たれる。
整合騎士の超絶技巧とでも言うべきか、恐ろしい速度で放たれたそれは過たずキリトとユージオの
アレだけの破壊力の弓だ、身体のどこかしらに当たればそれだけで戦闘不能に持って行くことも不可能ではないだろう。
だというにも拘わらず、脚を狙ってきているということは、狙いは捕獲か?
思考は止めず、されどもその目では相手を捉え続け、キリトは一本を躱し、もう一本を受け流す。
見たところ、あの騎士は剣どころか、短剣の一本すらも帯びていない。
装備はあのデカい弓だけという訳だ。背中の筒にはまだ、三十近い本数の矢が残っている。
なればこそ、脚は止められない。追加で飛んできた一本を、ギリギリまで伏せることで躱したキリトは更に加速した。
少しだけ遅れたユージオを置いて、キリトはモーションを起こした。
ギガスシダーから生成された一本の黒の直剣を、鮮やかなレッドに染め上げ《ソードスキル》──この世界で言う《秘奥義》を起動した。
「ァアアアア!」
「ッ!」
右上から左下への斜め切り。そこから左上へと跳ねあがるような軌道を残すアインクラッド流二連撃技《バーチカル・アーク》。
この人界の騎士や戦士は、連続技というものに疎い。
誰しもが単発技しか持たず、それで良いのだと思っているからこそ、連撃というのは意表を突くという意味でも多大な効果を発揮する。
それが整合騎士に通じることは、先ほどの槍使いでも確認済みである。
一撃目を弓で受け流した騎士へと振りかかる二連撃目。
「連続技か、なるほど、ネルギウスがやられる訳だ」
「な──」
ギャリィン! という硬質な音と共に、二連撃目が受け流される。
一対一の戦いであれば、ここで決着がついたであろう。
しかしキリトは一人ではない──相棒がいる。
「バースト・エレメント!」
ユージオの声が響くと同時、カッ! と光の爆発が長大な広間を覆いつくした。
生成した
特段ダメージを与えるようなものでは無い、しかし、これ以上ないほどの目くらましになる。
思わず瞼を閉じたキリトの耳が、地を蹴る軽い音を拾った。
「ぜぁ!」
「ぐっ……」
鈍い金属音が響く。
光の収まったそこでは、ユージオの大上段からの一撃を辛うじて防ぐ騎士の姿があった。
──好機。
思うより早く動き出したキリトの全身は剣をライトグリーンの光跡を描いた。
ユージオを弾き飛ばしたことで出来上がった隙を縫うような一撃は、赤の籠手とぶつかり合った。
一瞬の拮抗は、直ぐに破られた。
ズッ、という音共に籠手は裂かれ腕へと達し──直後、衝撃を殺すことなく騎士は大きく中空へと舞った。
「おいおい……」
それを見上げ、キリトは思わず声を漏らす。
何かしらの仕掛けがあるのだろうが──そうだとしても、異常な時間滞空した騎士は、直上で三十近い鋼矢のすべてを纏めてつがえていた。
弓の悲鳴が、ここまで届く。
「か、わ、せぇええええ!」
一瞬の思考から弾き出した答えを、キリトが叫ぶ。叫びながら、駆け始める。
それを吟味する間もなくユージオは大理石を全力で蹴り飛ばし──銀色の雨が降り注いだ。
剣を盾にして、矢から逃げる、逃げる、逃げる!
雨が止むころには、広間は半壊していた。
「ぶ、無事か? ユージオ」
「そっちこそ、大丈夫?」
「なんとか、な……。冷や冷やしたぜ」
思わず互いに尻餅をついた二人が言葉を交わす。
同時、弓兵が静かに地へと降り立った。
弓兵にとっても、あの攻撃は相当無理があったのだろう。弦が千切れ、無様に垂れ下がっている。
「──キリトと、ユージオと言ったか。咎人とは言え、見事な技と連携だ。なればこそ、一つだけ問おう。其方らは人を殺したという。これは事実か?」
「────」
一瞬、二人は息を詰まらせた。
幾度か深呼吸をして、キリトは顔を上げた。
「そうだ、俺が殺した」
「そうか……何故だ? 何故そのようなことをした。私怨か? あるいは、ただそれを悦楽としたか?」
「違う! あれは──」
──あれは、なんなのだろうか。
本当に私怨では無かったか? ライオスには散々嫌がらせを受けてきた。
その仕返しという面が、ほんの少しでも無かったと言えるのだろうか?
僅かに目を伏せたキリトは、しかしもう一度目を合わせた。
「殺してやろうと、思っていたわけじゃない。けれど、あの時はああするしかなかった。
他の人ならもっと上手くやれたかもしれないけれど──それでも、俺はあの瞬間、俺に出来る最善を選び取った。それだけだ」
「正義は其方らにあると?」
「そういう訳じゃ無い──けど、正義かどうかって言い始めたら、あんたらだって疑わしいもんだろ」
「──フッ、そうだな。そう思われても、仕方のないことなのだろうな」
その様子に、キリトとユージオは面を食らったように驚いた。
今のはドストレートな挑発だったというのに、まさかそう来るとは。
「だが、今は公理教会が人界の法だ。従ってもらうのが道理というもの……剣を下ろし、抵抗を止めよ。そうして判決の時を待て」
「生憎、そういう訳にはいかないんでな──押し通らせてもらう!」
同時、二人は剣を握り直しながら走り出し──その動きをピタリと止めた。
弓兵の、巨大な弓から炎が零れ落ちていた。
零れ落ちる炎は意志を持っているかのように、弓兵の周りを踊るように舞い。
ギュルリと逆巻いた後に弓兵の鎧となるように纏わりついた。
「我が名は、デュソルバート・シンセシス・セブン。我が《熾焔弓》が生み出す断罪の炎を以て、其方らを焼き尽くさん」
刹那を以て、炎の矢は放たれる。
完全な炎とかしたあの弓矢は、弾数無限、弦が切れる心配もないチート武器だ。
かといって、恐ろしいほどの炎を纏うデュソルバートに安易に近づくのは無謀に過ぎるだろう。
三十メルは離れているというのに、これほどまでに熱い。
至近距離にいられるのは、精々十秒もてば良い方だろう。
「──ユージオ」
「何だい、キリト」
「俺が突っ込んで盾になるから、お前が斬り込むんだ」
「いや、突っ込むって……」
何を言っているんだ、と言わんばかりの呆れ顔をしたユージオであるが、キリトは至って真剣であった。
「アレだけの威力だ、連射は出来ない……と思うし。出来たとしても、数秒の隙ができる。そこを狙うんだ」
「無茶言うよ、まったく……でも、うん、言いたいことは解った──だから、僕が盾になるよ」
「なっ……何言ってるんだ、ユージオ!?」
「君が言ったことをそのまま返しただけだろ。それに、アレを食い止めるには、
凍素の扱いなら、僕の方が上手い。そうだろう?」
「それは、そうなんだが……いや、そうだな。解った、信じるぜ、相棒」
その言葉にユージオは静かに笑い──スルリと、滑らかに走り出した。
音は無く、声も無く。
まるで氷上を滑るような突進。
「その意気や良し! 其方らの強さ、見せてみよ!」
デュソルバートの声と共に、爆炎は撃ち放たれた。
空間を焼き焦がしながら宙を裂くその炎矢をさながら火の鳥の如く。
ユージオへと一直線に飛びゆく。
「フォームエレメント・シールドシェイプ・ディスチャージ!」
ユージオの掛け声とともに、両手に握られていた十の凍素はたちまち丸盾へと形を変えた。
それが重なるように並び、火の鳥とぶつかり合う。
その光景を横目で見ながら通り過ぎたキリトは、ひたすらに地を蹴った。
その手には未だ銘のついていない、黒の直剣。
力強く握りしめ、およそ十メルまで近づいたところでキリトはモーションを起こした。
アインクラッド流奥義──《ヴォーパルストライク》。
彼我の距離を一瞬で消し飛ばす、単発重攻撃。
その一撃は、重厚な鎧にさえ風穴を空けるだろう。
「かつての我であれば、あるいはここで終わっていたかもしれぬな。そう考えればやはり、アルフォンスの影響は大きい、か。
まさかこのような場面で使わされるとはな──我もまだまだらしい」
「────ッ!」
ゆらりと、弓が向けられた。
矢が、既に番えられている。
──くそっ、連射あるのかよ! 内心で叫びながらも、しかし《秘奥義》を発動したキリトはもう動きを変えることはできない。
であれば仕方ない。このまま、矢ごと貫く!
真っ直ぐ撃ち放たれた炎の矢と、剣の切っ先がぶつかり合った。
決着は、一瞬でついた。
ユージオに向かって放たれたものと比べれば、威力は控えめだったのだろう。
炎は霧散し、その場でキリトの動きが止まる。
埋められた距離は、約五メル。
再び矢をつがえようとするデュソルバートを視界に収め──キリトはしかし、止まったままではいなかった。
硬直しかけた身体を、炎に撫でられた全身を。
強引に動かしてモーションを起動した。
《スキルコネクト》というものがある
本来、《
しかし、《秘奥義》というのは一定のモーションにさえ入ればそういったデメリットを無視して発動することが可能であった。
要するに、《秘奥義》と《秘奥義》は、モーションさえ上手く繋げることが出来れば、連続で発動することができるという訳だ。
ヴォーパルストライクを放ち、炎の矢とぶつかり合った彼の剣は、左下へと弾かれていた。
その位置から始める《秘奥義》が、アインクラッド流に存在している。
黒の直剣が、ライトグリーンに染まった。
「ぉぉおおおおお!」
発動したのはアインクラッド流奥義《ソニックリープ》。
裂帛と共に、キリトは彼我の距離を消し飛ばした。
超至近距離。矢をつがえるところだったデュソルバートの懐へと潜り込んで撃ち放たれた、左下からの一撃は誰にも止められることは無かった。
鎧を刻み、デュソルバートの身体を一閃する──だがそこではまだ止まらない!
手首を少しだけ捻り、キリトは剣を青く光らせた。
アインクラッド流奥義《バーチカル》。単発の垂直斬りであるそれは、やすやすとデュソルバートの左肩から足元までを叩き斬った。
「ぐ、ぬ……」
くぐもった声が、デュソルバートの口から漏れる。
──が、まだ倒れない。
この程度では倒れない、倒れる訳がない!
デュソルバート・シンセシス・セブン。七番目の騎士たる、炎の騎士はこの程度で倒れられるほど、弱くはない。
それに、ここで倒れればあの少年の思惑通りなようで、腹が立つ。
長弓を杖のようにして、気合で立ったデュソルバートは番えた矢を引き絞った。
《スキルコネクト》を使用したキリトは、通常《秘奥義》を使用した時よりもはるかに長い拘束時間が与えられる。
つまり、躱すことも、防ぐことも不可能。
ヤバイ、死ぬ──
「キリトぉぉおお!」
声が、響いた。
巨大な火炎の矢を防ぎ切ったのだろう。あちこち焦げてはいるが、五体満足でいるユージオが何かを飛ばした。
キラと光る、五つの青の輝点──凍素が、キリトとデュソルバートの間に落ちてくる。
「焼き尽くせいッ!」
「バースト・エレメント!」
刹那、炎と氷はせめぎ合った。
矢というよりは、放射するように放たれた炎が、爆発した氷に喰われ、やや威力を落とし──それでも。
黒の剣士を一気呵成に呑み込み、爆発を起こした。
「キリ、ト……?」
広がった爆風を消えるのと同時に、ユージオは走り寄る。
そこには変わらず、二人の姿があった。
アレが正しく最後の一撃だったのだろう、今度こそその場にくずおれたデュソルバートと。
全身を余すことなく焼き焦がされた、親友の姿。
慌ててユージオはキリトへと駆け寄った。僅かではあるが脈はある、天命はまだ残っている。彼はまだ、生きている!
だが、それも時間の問題だろう。このままでは直ぐに天命は消えて無くなってしまう。
「ど、どうすれば──」
ユージオとて、回復の神聖術が使えない訳ではない。しかし、それは使えない訳ではない、というだけであって練度は高くない。
自分じゃどうにもできない。それが分かっていて、それでも焼け石に水のような回復を行使することしかできない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう!
こんな時、キリトならどうするだろうか。あぁ、くそっ、どうしてこんなことに。
「死ぬな、死ぬな、死ぬなよ、キリト。起きろ、起きてくれ……」
焦燥感に急き立てられる。
誰でも良いから、助けてくれ。彼は僕の親友なんだ、相棒なんだ。
彼は──こんなところで、死んで良い人じゃ無いんだ。
「だから、頼むよ……誰か、助けてくれ……」
少年の声が、小さく漏れる。
されども、彼らに救いをもたらすものは、誰一人として──
「あ~あ、随分と派手にやったのね? デュソルバートったら、相変わらず顔に似合わず豪快なんだから──っとと、そんな場合じゃなかったんだった。どきなさい、あたしが看てあげるから」
──ひとりの騎士が、優しく声をかける。
「あ、貴方は……?」
「あたし? あたしはイーディス。イーディス・シンセシス・テン。そこの彼と同じ、整合騎士よ──と言っても、警戒はしなくても良いわ。だってあたし、貴方たちの助けになるために、ここに来たんだから」
そう言って、イーディスは神聖術を唱え始め。
ユージオは思わず唖然としたのであった。
デュソルバート:アルフォンスの名誉練習台。お陰で連続技も初見で対応余裕でした(なお負けた)。この後しれっと双子に回収された。
キリト:やっと出てきた原作主人公。黒焦げにされた。
ユージオ:相棒が丸焼きにされて冷や汗ダラダラ。
イーディス:なんか出てきた。