それはまるで、夢のような光景であった。
否、あるいはこれは、本当に夢ではないかと、ユージオは真剣に考えたほどだ。
それほどまでに、眼前の光景は幻想的であった。
まるで楽園みたいな場所の真ん中で、ソルスの陽光を一身に浴びた少女が、こちらを見据えている。
金の髪は艶やかに、陶器のような肌は白く美しく。
黄金に彩られた鎧に身を包み、純白のスカートを翻し。
鮮やかなスカイブルーの瞳は、あの頃と変わらない、優しさに溢れていた。
「あ、アリス……」
ふらつく足取りで、ユージオは踏み出した。
互いの距離間はもう二十メルもない。
走れば一瞬の距離を、噛みしめるようにユージオは歩み寄る。
説得をするだとか、話し合おうだとか、あるいは、戦うだとか。そんなことはもうユージオの頭にはない。
ただ、会いたかった少女に出逢うことができた歓喜に、打ち震えることで精一杯だった。
「待ちなさい。そこで、止まって」
──瞬間、声が通る。
懐かしい声だ。聞きたかった声だ。恋しかった声だ。
ぼやけていた意識を何とか元に戻し、ユージオは立ち止まる。
すかさず、キリトが横に控えるように立った。
「まずは、此処まで無事来られたことを称賛いたします。イーディス殿とは……恐らく、戦わなかったのでしょうけれど。
それでもデュソルバート殿と、ネルギウス殿を打倒したのは、見事と言うほかありません」
アリスの澄み渡るような声が、二人の鼓膜を安らかに揺らす。
「私は、また貴方たちと会えて、とても喜ばしい。今も胸が、これ以上ないほどに昂っている──しかし、だからこそ同時に許し難くもあるのです。
同じく罪を犯した私に言えたことではありませんが──罪人としてではなく、騎士と修剣士として再会したかった」
「それ、は……でも──」
「いいえ、言わなくてもよろしい。どうしようもない事情があったのでしょう──あったのだと、思いたい。
ですが、私は《騎士》なのです。法を守り、人々を守る、人界の守護者。
情に流され、貴方たちを歓迎するわけにはいきません──故に。
ここから先には、一歩も通しません。貴方たちはここで、私が拘束します」
「──違う、話を聞いてくれ。アリス!」
「言葉は不要です──私は《騎士》で、貴方たちは罪人であるものの《剣士》です。であれば、すべては
アリスが右手を、樹の幹へと添える──刹那、一瞬の閃光が《雲上庭園》を覆った。
光が晴れれば、そこにはもう小さな樹は無く。
代わりに、アリスの右手には黄金に彩られた剣が携えられていた。
反射的に、ユージオとキリトは数歩分の距離を空けて愛剣へと手をかける。
「あれ、もう完全支配状態なのか……。敵意は無いけど、戦意はあるって感じだな……っておい、ユージオ? 聞いてるのか?」
「あ、ああ──ねえ、キリト。やるしか、ないのかな」
「だろうな……話し合いは無理だと思う。けど、アリスも言ってたろ。剣に訊くってさ」
トントン、と人差し指でキリトが黒の剣を叩く。
そのジェスチャーを見て、ユージオが思い出したのは、《帝立修剣学院》で世話になっていた、アズリカという女性のことだ。
自分たちの住む寮監でもあった彼女は大層腕の立つ剣士であり、ユージオとキリトは、一度だけ教えを貰ったことがある。
──良いですか、剣というものは時に言葉より遥かに雄弁に、物事を語ることがあるのです。
担い手がどのような人間なのか。どれほどの苦難を乗り越えて来たのか。如何ほどの信念を持っているのか。
嘘偽りなく、相手に伝えてしまう。伝え合ってしまう。
だからこそ、剣には常に真摯であるように。
助言というよりは、それは正しく教えであった。
「──そっか。そういうことなら、うん。僕は、僕の本気をアリスにぶつけることにするよ」
「ああ、その意気だ。頼むぜ、相棒?」
「そっちこそ、変なところでとちるなよな」
コツン、と互いの拳をぶつけ合う。
一瞬だけ笑みを交わした二人は、鋭く抜剣した。
「修剣士キリト! 参る!」
「同じく修剣士ユージオ! 参る!」
張りのある声が、《雲上庭園》へと響き渡る。
同時にキリトは鋭く芝を蹴った。
そこに躊躇は無ければ、容赦もない──最初からトップスピードで、黒の剣士は駆け抜けた。
彼我の距離、約十メル。
黒の剣は、薄緑色の閃光に染まった。
アインクラッド流奥義《ソニックリープ》。
上段から放たれるその奥義は、一瞬にして十メルを喰らい尽くした。
振り落とされた黒の稲妻は黄金とぶつかり合い、鋭く弾けた。
真っ白な火花が飛び散って、刹那の拮抗が──生じない。
「っ、あ……!」
緩やかな動作で振るわれたアリスの剣に、キリトは剣どころか、
ただの振り落としではない──威力重視ではないとは言え、《秘奥義》を用いたにも拘わらずこれか!?
相当の実力者であることは聞いていたが、これほどとは。
キリトは思わず歯噛みしたが、しかし同時に安堵していた。
──ああ、良かった。ギリギリ
キリトの視界の端で、青色の閃光が走り抜ける。
「ぁぁああああ!」
「ハァッ!」
キリトの作り上げた僅かな隙を逃すことなく、ユージオは懐へと潜り込む。
薔薇の装飾が為された、美しい氷の剣は、真っ赤な閃光へと身を染める。
アインクラッド流二連撃奥義《バーチカル・アーク》。
右上から左下へ打ち下ろされる初撃目を、アリスは華麗な足捌きで躱し──二撃目を、極自然に打ち返した。
ガァァァン! という、重厚な金属音が響かせる。
「なっ、え──」
《秘奥義》を強制終了させるほどの、強烈な打ちこみ。
ここに来てようやくユージオは、アリス・ツーベルクという少女──否、騎士の実力。その一端を理解した。
一撃が、重すぎる──!
単純な剣の
明らかに練度そのものが、桁違いだ!
「この程度ではないでしょう──遠慮はいりませんよ。キリト、ユージオ」
「くっ……」
遠慮どころか、最初から本気だよ!
内心叫びながら、振り下ろされた黄金を紙一重で躱す。
ユージオの亜麻色の髪が、僅かに斬りおとされた。
「ユージオ! 下がれ!」
「!」
キリトの声に反応したのは、ほとんど反射だった。
耳に届くや否や、ユージオは力強くバックステップを行い──神速で放たれた
「おや、流石ですね」
アリスが喜色を滲ませて、そう言った。
再び肩を並べる形となったキリトとユージオは、それどころではなかったが。
「おいおい、整合騎士殿は例外ばっかりだな」
「まさか、連続技を出してくるなんてね……」
冷や汗が、頬を伝う。
デュソルバート・シンセシス・セブンが対処してきたように、多少の馴染みはあったが、まさか使用して来るとは予想外だった。
──いや、それは流石に、慢心が過ぎたのかもしれない。
イーディス曰く、アリスは整合騎士内でも三番目の実力であるという。
多くの剣技に馴染みがあり、使用していてもおかしくはなかった。
「力押しじゃ無理だ、こうなったら──」
「連携だね、できる? キリト」
「そりゃこっちの台詞だ」
静かに、されど猛然と進んできたアリスの一撃を、弾き合うように躱す。
ユージオはバックステップ、キリトは少しの足捌き。
ギュルリと回転しながら放たれた黒の一撃は、金の剣に阻まれる。
火花が飛び散り、キリトの身体は──しかし飛ばされない。
「キリト、貴方──」
「無駄口叩いている場合か? アリス殿」
キリトの選んだ戦術は、馬鹿正直に打ち合うことでは無かった。
刹那の脱力を混ぜることで、拮抗しながらもアリスの一撃を受け流す。
言うのは簡単だが──行うには非常にリスキーだ。
一度でも失敗すれば、その身は一撃で斬り伏せられる。
「──ッ!」
その中で、声もなくキリトは剣を振るう。
細かいステップ、立ち回り。
少しの手首の捻り、体重移動。
大げさなものから小さい視線誘導、大振りの一撃、ワンモーションのフェイク。
相手を惑わすように、柔軟にキリトは剣を振るう。
対して、アリスはそれを質実剛健な、けれども華麗な足捌きでそれを追う。
踏み込みは流麗に、一撃は確実に。
惑わされることは無く、焦ることは無く。
ただ先を見据え、金木犀の剣は艶やかに光を弾く。
黒と黄金が弾き合う。
黒と黄金はぶつかり合う。
黒と黄金の火花が、幾度も戦場を美しく彩る。
さながらそれは、
こんな時でも無ければ、思わず見惚れていただろう──。
ユージオはそう思い、《青薔薇の剣》を傾けた。
重心を前に、膝を曲げ、身体を落とす。
「ぐ、うおっ」
「エエエィ!」
一際、甲高い金属音が響いた。
キリトの体勢が崩れ──差し込むように、ユージオは現れた。
アインクラッド流奥義《レイジスパイク》。
水色の閃光を纏った一撃が、金の剣へと激しく衝突した。
真横からのそれに、アリスは一瞬だけ反応が遅れる。
それを見逃すほど、ユージオも甘くはない。
地を踏みしめる。剣を握る力はそのままに、動きを流す。
「はぁぁああ!」
「なっ──?」
ここに来て、アリスの口からは困惑が零れ落ちた。
金属音は鳴らず、火花が飛び散らない。
《金木犀の剣》と《青薔薇の剣》は、その接触面が
「これは、一体」
「《青薔薇の剣》は、氷で出来た剣だ。僕の想いに応えるように、冷気を放つ」
「──なるほど。《剣の記憶》を見たのですね」
フッと、アリスが笑う──笑うと同時に、黄金の刀身はバラリと解け落ちた。
それらの一片一片が、十字型の花びら──。
「エンハンス・アーマメント!」
叫んだのは、ユージオだった。
ユージオは、なぜ自分がそう叫んだのか、半ば分からずにいる。
けれども、今はそうするのが正解であると──そう、《青薔薇の剣》に教えられたような気がした。
「咲け──青薔薇よ!」
切っ先が、足元の芝生へと触れた瞬間、そこは銀世界と化した。
陽光を閉じ込めたような花弁が、青薔薇に巻き取られ凍土へと封じ込められる。
当然ながらそれは、剣だけには収まらない。
ユージオの身体ごと──アリスもまた、青薔薇に彩られる。
音を立てながら凍りついていく自身を省みることも無く、ユージオは笑った。
「これで、僕たちの勝ちだ。そうだろう? アリス──」
「
零された吐息が、白く染まる。
瞬間──銀世界は打ち砕かれた。
黄金の輝きが、爆発するように世界を染め上げた。
「は、ぁ……?」
「っ、ユージオ!」
グン、と引っ張られるがままにユージオは数歩ほど下がった。
砕かれ尽くした氷の破片がパラパラと空に舞い、キラキラと光を弾く。
その中でアリスはただ一人、微かな笑みを浮かべていた。
滑らかな金の長髪に付着した氷を、片手で払う。
「甘い──この程度では私の足を止めることすら叶いません。これで全力だと言うのであれば、諦めて投降──」
「エンハンス・アーマメント!」
キリトの声が、アリスの言葉を打ち消した。
突き出された黒の剣が、ドクンと脈打つように震え──闇が、溢れ出す。
陽光を喰らい尽くしてもなお足りず、その身を際限なく巨大化させてまで陽光を求め続けた《悪魔の樹》、ギガスシダー。
何よりも硬く。
何よりも重く。
何よりも大きく。
何よりも鋭かった、巨樹。
ただそこにあるだけで、何物をも破壊し、喰らい尽くす究極の武器。
黒の剣は今まさに、その姿に戻ろうとしていた。
「────!」
それを見て、瞬時に下したアリスの判断は的確であった。
幾千を超える黄金の花弁が、巨槍の如く研ぎ澄まされて、撃ち放たれる。
絶対的な質量による攻撃には、同じく絶対的な質量での攻撃で打ち破る。
純黒と黄金が、凄絶にぶつかり合った。
二人の間はそこまであるわけではない──距離にして、約十五メルといったところか。
互いのど真ん中で、それは拮抗した。
その衝撃だけで《雲上庭園》が震動する。
吹き荒れる風に、衝撃に、聖花は、芝生は無抵抗に消し飛ばされる。
ユージオもまた、それを見つめながら思考を回転させていた。
恐らくは、これが互いの全力全開──であれば、完璧な相殺などは起こりえないはずだ。
必ず、どちらかが勝利する。必ず、どちらかがどちらかを破壊し尽くす。
それが、どちらになるのかは分からないが──ユージオは、今すべきことだけは明確に理解できていた。
キリトの苦悶の声を聞きながら、ユージオは走り出す。
風圧に押されながら、衝撃に阻まれながら、それでも。
光と闇の隣を駆け抜けて──彼は、アリスの元へと駆け抜けた。
元よりこの戦いは二対一だ。
──悪く思わないでくれよ。ユージオは小さく呟いた。
アリスが、目を見開く。
「ぜぁぁああああああ!」
「しまっ──」
キィィィィン、と鋭い金属音が鳴り響き、黄金の柄が宙を舞った。
直後、花弁は統率を失った。
《不朽》の性質を与えられているアリスの剣ではあるが、その手から離れてしまえばそれはもう、武器にはなりえない。
組み上げられていた黄金の槍は砕け散り、極黒はその牙を剥く──。
「ァアアアアアア!」
アリスを抱え、ユージオは剣を明るく染め上げた。
アインクラッド流奥義《レイジスパイク》。
アインクラッド流奥義《ソニックリープ》。
どちらも十メル以上の距離を一瞬にして踏み消す、突進系の《秘奥義》。
それをユージオは
不壊を誇るセントラル・カセドラルの壁に、極黒が衝突し罅を入れる。
それを背に、ユージオはアリスを押し倒した。焦ったせいか、《青薔薇の剣》は手から滑り落ちていってしまったが。
「今度こそ、決着は着いた。僕の──僕たちの勝ちだ、アリス」
「……そうでしょうか? 私は何事も、最後まで諦めてはならないと教わりましたよ?」
瞬間、グルリとユージオの視界は反転した。
ドッ、という背中に走る衝撃で、ポジションが入れ替わったことに気付き──。
「いいや、終わりだよ。俺達の勝ちだ、アリス」
トン、とアリスの肩へと黒の剣が置かれた。
それから、キリトが息を切らしながらも笑う。
「流石に、ここまで来て負けを認めないってことは無いだろ?」
「……そうですね。私の完敗です。貴方たちは私が思った以上に強く──そして、私の信じていた通りに、真っ直ぐだったようです」
アリスが、柔らかく笑みを浮かべて手を上げた。
ゆっくりとユージオの上から退く。
「ですが、最後にこれだけは聞かせてください。貴方たちは何のために、ここまで上ってきたのですか」
「──君を、連れ戻すためだ。僕が村を出て、ここまで来た理由はそれだけだよ、アリス」
ユージオの言葉に、アリスは少々驚いたように目を見開いた。
どこまでも真摯なユージオのエメラルド色の瞳に見つめられて、アリスは優しげに笑う。
「そう、だったのですね……ありがとう、ユージオ。ですが私は、望んで此処にいるのですよ」
「──え? それは、どういう」
「言葉の通りです。私はあの日、兄さんと出会ってから──」
「ちょっと待って???」
兄さんってなに!?
聞いたこと無い、聞いたこと無い!
アリスには妹しかいないだろう!?
「兄さんは兄さんですよ? セントラル・カセドラルのトップのお方。かつて、最高司祭様を打ち倒し、その座に就いたお方──それが、私の兄さんです」
そう言って、アリスは華やかに笑った──というか、『兄さん』とやらの存在を口にした瞬間から、油断すれば心奪われてしまいそうな笑みを浮かべっぱなしだった。
いやマジで兄さんって何?
ユージオはガチで怪訝な顔を浮かべ、アリスの言葉を一言一句聞き逃すまいと、耳を傾け。
キリトはこれが真剣な話なのか、アリスの兄自慢話なのかが分からず、曖昧な笑みを浮かべたのだった。
アリス:兄さんの話がやっとできますね!!!
ユージオ:兄???????
キリト:混乱してきた。