──予想より僅かに早い到達であったな……小細工は不要だったか?
アドミニストレータの膝から脱出することに成功し、わざわざ座り直したアルフォンスは、かなり微妙になった空気の中で、そんなことを内心呟いた。
やたらと回る口でアリスを宥めすかしたアルフォンスの前には今、二人の剣士が佇んでいる。
片方は黒の剣士、キリト。
片方は青薔薇の剣士、ユージオ。
どちらも、実力だけで言えば既に整合騎士並みだろう。
通常、即決即断で物を喋り、行動するアルフォンスであったが、この時ばかりは流石に押し黙り、まじまじと二人を観察していた。
ユージオはともかく、キリトという少年はアルフォンスにとっても例外の少年だ。
何せ彼は──彼だけは、この世界の住人ではない。
現実世界の人間だ。云わば宇宙人のようなものである。
存在自体は認知していたし、知識にも多少はあったがこうして目にするのは初めてだ。
観察もしたくなるというものである──とは言え、この世界の人間と何か違いがありそうかと言えば、特にそのような点は見つけられなかったのであるが。
ユージオも含め、目の前の少年は至って普通の人界人だ。おかしなところは一つもない──犯罪を犯したという部分にさえ目を瞑れば。
ま、そんなものか、とアルフォンスは独り言ちた。
これ以上は考えても仕方のないことであろう、とも。
「ん、もう良い。楽にしろ──そこに座ることも許す」
顎でソファを示し、そう言ったアルフォンスもまた、姿勢を軽く崩した。
むっ、と言ったようにアリスが視線を向けてくるが無視である。
いつまでも気を張っていられるか──こいつらがここまで辿り着いた以上、これから人界は相当揺れるのだ。
先のことを考え、アルフォンスは軽くため息を吐いた。
やるべきこと、多すぎ。
遠慮しがちに並んで座った二人の少年と、その後ろに立つアリスを視界に収め、再度アルフォンスは息を吸った。
ちなみに言えばアドミニストレータは「お前がいては集中できん」と部屋を追い出されていた。哀れ。
トントン、とアルフォンスが指先で机を叩いて注目を集める。
「審問についてだが──まあ不要であろう。貴様らのことはもう良く分かった。故にもう結論を下す」
「なっ、兄さん!? 何を──」
「一々声を張り上げなくても良い、アリス。そもそも、これが面倒だからお前をあそこに配置したのだ、オレは」
やれやれ、とアルフォンスは肩を竦め、アリスは如何にも不満げな顔をする──が、それだけだ。
公理教会の言う《審問》とは、アドミニストレータの代までは《シンセサイズの秘儀》のことを指していたが、アルフォンスになってからは最早別物だ。
しでかした事件と、その悪質さ、それから本人の悪性さを計り、判決を下す。
そういったものでしかないし──それを計るのに、アルフォンスはアリスを使ったのであった。
元より、事の経緯を粗方知っていたがゆえの雑な処置である。
「四等爵家、ウンベール・ジーゼックの天命の損傷。三等爵家、ライオス・アンティノスの天命の完全損壊……だったか。
ふん、情状酌量の余地ありとし、数年の公理教会への従属を命ずる。
向こう数年の間、整合騎士見習いとして働け、貴様ら」
「なぁっ!?」
「えぇっ!?」
アルフォンスの判決は実に端的で、だからこそキリトとユージオは驚愕の声を上げた。
確かに整合騎士のうち半数は犯罪者とは聞いていたが……。
まさか自分達までそうなるとは夢に思うまい──ただでさえ、その整合騎士とバチバチにやりあって上まで上ってきたのである。
《シンセサイズの秘儀》とやらはもう行っていないと聞いたから、恐れるようなことではないが。
これはどう受け止めれば良いのだろうか、とキリトはかなり曖昧な顔をした。
隣のユージオはと言えば、嬉しさと困惑が完全に入り混じったことで一周回ったらしい。完全に真顔だった。
しかしそれも無理はないだろう。人界人の剣士にとって、整合騎士になるということはこれ以上ない名誉である。
加えて、アリスもまた、整合騎士なのだ。
それはつまり、これから先も一緒にいられるということを意味する。
「何だ、不満であればもっと刑を重くしても良いが──」
「い、いやいやいや、不満なんてことはない! 無いけど……その、良いのか?」
「何がだ?」
「いや、だから──」
仮にも俺達は、人を殺してるんだ。それに、ここまで来るのに二人の整合騎士を打ち倒した。
だというのにこれでは、あまりにも刑が軽いように思える──と、そこまで言おうとしたキリトは口をつぐんだ。
というのも、目の前の少年──アルフォンスが呆れたようにため息を漏らしたからだ。
「言ったであろう、情状酌量の余地あり、と──事情はもう把握している。こればっかりは、オレも頭を悩ませていた点でもあるのだ。
貴様の世界と違い、この世界の性質と、現在の人界のシステム上、今回のような件は避けられないことゆえな……。
それに、別に軽い刑ではない──というのは、まあすぐに分かる」
「──え?」
キリトの思考が、一瞬だけ停止する。
無意識に零した一音が気にかかったユージオが、怪訝そうに見たが、キリトの思考は中々再回転することは無かった。
たっぷり十秒、呆けた後にキリトは自身の口を片手で覆い視線を下げた。
今、彼は『貴様の世界』と、そう言ったのか? であれば、それはつまり、眼前の少年は現実世界の存在を認知しているということになる──!
心臓の音が、うるさくなっていく。
「どうしたんだい、キリト?」
「い、いや、何でも無いよ。ただちょっと、驚いただけだ」
「ふうん……?」
どうにも歯切れが悪い回答だな、とユージオは思ったが、まあ良いかと納得する。
この黒髪の相棒とは二年もの付き合いなのだ。時折が彼がこうして、誤魔化すような返答をすることがあるのを、ユージオは良く理解していた。
だから、ユージオは敢えて踏み込まない。
いつか自ら言ってくれる日をただ待つのみだ。
「この判決はこれ以上、良くも悪くも覆らん。黙って従え──と言う訳でだ、アリス。そっちの……ユージオだったか。そいつを連れていけ」
「……キリトの方は、良いのですか?」
「そっちにはまだ聞きたいことがある……というよりは、そいつがオレに、聞きたいことがあるらしいからな。話くらいは聞いてやる、というやつだ。
それに、お前もお前で、積もる話があるだろう」
「! 分かりました。ありがとう、兄さん」
「お前は公私をもう少し使い分けろ……」
アルフォンスの小言に少しだけ顔を赤らめたアリスは、それを隠すようにユージオの手を取った。
おっとっと、とユージオがキリトを心配しながらも立ち上がる。
「わっ、ちょっと、アリス……」
「安心してください、別に、尋問の類をするような人じゃないですから、兄さんは」
そう言い残し、アリスはユージオを連れて颯爽と部屋を出た。
バタン、と扉の閉まる音が再度部屋に響く。
何から聞いたものか、と思わず考え込んでいるキリトを見ながら、アルフォンスは静かに立ち上がった。
「ついてこい、貴様の欲しいものを使わせてやる」
「欲しいもの──? って、ちょっ、待った待った!」
てくてくと歩いて行ってしまった背中を、キリトは慌てて追いかける。
マイペースな人だなあ、と思いながらも、案内されるがままにキリトは奥の部屋へと踏み込む。
そこは、それほど広くはない部屋だった。
窓は存在していないが、光素を溜め込むことの出来る鉱石が四隅に設置されていて、光に困ることは無い。
調度品の類は一切置かれてはおらず、真ん中に鎮座した白い大理石と──その上に乗る、ノート型のパソコンがあるだけだった。
あまりの驚愕で、キリトは一瞬、それが何であるか分からなかったほどだ。
「こ、これって……」
「《三神の神器》──この世界ではそう呼称されている。貴様にも分かりやすく言うのであれば《システム・コンソール》か? もっと分かりやすく、《外部との連絡装置》と言ってやっても良いがな」
「──やっぱり、アンタは現実世界の人間、なのか?」
キリトは、恐る恐るでありながらも確信をもってそう尋ねた。
アルフォンスの表情が一瞬だけ固まり──フッ、と吐息が漏らされた。
「ハ、ハハ、ハハハハハハハッ! 面白いことを言うな、貴様。オレが、現実世界の人間だと? もしそうなのであれば、もっと早くに貴様を保護していたであろうよ」
「え、じゃ、じゃあ違うのか!?」
「当たり前であろう──全く違うというのも、それはそれで語弊がありそうではあるがな」
何を見聞きしたらそんな勘違いをするのか、と笑いながらもアルフォンスは思う。
確かに、アルフォンスが純アンダーワールド人かと言われれば、返答に悩むところだ。
間違いなく肉体はこの世界のものであるが、その内側はかなり複雑だ。
キリトが純現実世界人というのであれば、アルフォンスはアンダーワールドと現実世界の
「少なくとも、オレはこの世界で生まれた人間だ。現実世界のことは知識で知っているにすぎん」
「そ、そうなのか……悪い、てっきりそうだとばかり」
「良い、許す。実に愉快であったからな」
「そっか……ごめん、もう一つ聞いても良いか?」
「ああ、良いぞ」
ゴクリとキリトが喉を鳴らす。
正直に言って、キリトは少し前──二人きりになった瞬間から、かなりの緊張に襲われていた。
否、緊張というよりは、緊迫感に襲われていた、と言った方が正しい。
それほどまでに、アルフォンスという少年が放つ威圧感というのは巨大かつ、強大だった。
ただでさえアリスとの戦闘で消耗しているのだ。
油断をすれば、意識を持っていかれかねない。
──というのが、キリトの認識であるのだが、しかし、アルフォンスは決してキリトを
キリトが察知しているのは、飽くまでアルフォンスが自然と放つ存在感そのものである。
戦闘直後であるがゆえに、鋭く研ぎ澄まされたキリトの危機察知能力が、それを敏感に感じ取り、かつ正確にその危険性を理解してしまっているのだ。
今、何かしらの理由で戦うことになればその瞬間、自身は死ぬ。
そのことを、理性ではなく本能で、キリトは理解していた。
「その、使わなかったのか?」
「──一度だけ。一度だけ、使用したことがある」
「たった一回?」
「そうだ、オレの代になってからは、一度しか使用していない──と言うよりは、一度しか使用できなかった、だな」
苦虫を嚙み潰したような顔で、アルフォンスはそう呟いた。
アレは正しくアルフォンス史上、最大のミスであり、事故であったからである。
今より数年前、入念な準備を行った後にアルフォンスは現実世界へと連絡を取ろうとしたのだが、それを受けた男が最悪だったのだ。
その男の名前は《柳井》。
細かい経緯はすっ飛ばすが──事実だけを羅列すると、柳井はアドミニストレータに心底惚れ込んでいたのである。
そんな男が首ったけになっている女を落とした男から連絡を受けてみろ。
柳井はブチギレして連絡を切った上に、アンダーワールド側から連絡が出来ないようにしてしまった。
アルフォンスはこの時、生まれて初めて心底困り果てた。
うわー、まさか一言も喋らせてもらえんとはなー、と放心し、ガチな落ち込みが発生したまである。
公理教会の人間が総勢で甘やかすことで何とか立ち直り、今では誰もが知っている笑い話にまで昇華出来たのが不幸中の幸いだろう。
アレはアレで最高に可愛かった、とはアドミニストレータの談だ。
ちなみに連絡が可能になるように戻せたのはつい半年ほど前である。
であればこの半年、何故使わなかったかと言えば、その理由こそがキリトだ。
この《システム・コンソール》は稼働すると、FLA──フラクトライト加速倍率が1.0倍速になる……つまり、現実世界と同じ速度で、アンダーワールド内の時間が経過してしまうようになる代物だ。
現実世界準拠で見て、なるべく早く現実世界に帰してやりたい、というアルフォンスの優しさである。
本人は『恩を売るためだ』と言ってはいるが。
「ま、貴様が気にするところではない、存分に使え」
「良いのか……?」
「使わせてやると、最初に言っただろう……。オレは下らん嘘を吐かんし、余計な時間を過ごすのも好かんぞ」
「わ、悪かった悪かった! それじゃ、ありがたく使わせてもらうよ」
言って、キリトが端末へと触れれば、日本語のダイアログがブワリと宙に浮かんだ。
【この操作を実行すると、フラクトライト加速倍率が1.0倍に固定されます。よろしいですか?】
アルフォンスの顔を一度見て、頷かれるのと同時にキリトが【OK】を選択すれば、新しく黒いウィンドウが浮かび上がる。
そのど真ん中に表示された文字列は【SOUND ONLY】というものだ。
つまり音声のみ。
妙だな、とアルフォンスが眉を潜めた。前回はそんなことはなかったはずだが。
きっちりとあの柳井とかいう男の顔を見たし、その逆も然りだ。
──が、そんな思考を吹き飛ばすような、危機感に満ちた声が響いた。
『き、キリト君か!? そこにいるのかい!?』
──菊岡誠二郎の声だ、とキリトはすぐさま理解した。
この世界を管理している組織の一人。
「そうだ、俺だ、菊岡。あんたには色々聞きたいことが──」
『すまない! 誹りは後で幾らでも受けるし、説明もする! けど、ここはもう陥ちてしまうんだ!
だから今は僕の言葉を聞いてくれ!
僕はこれから、すぐにFLAを一千倍に戻すから、その間にアリスという名の少女を探すんだ!
そして見つけ次第、彼女を《ワールド・エンド・オルター》に……ってああ、伝わらないか!
いいか、オールターは東の大門から出て、ずっと南へ──』
と、そこまで捲し立てられたところで、一際激しい炸裂音が響いた。
これは──銃声、か?
ガンゲイル・オンラインというゲームで飽きるほど聞いた音と酷似している、とキリトは思う。
『──ダメだ、電源切れます!』
直後に聞こえた声は、キリトもアルフォンスも知らない誰かの声だった。
それを最後に、ブツリと音を立ててウィンドウが閉じる。
これは、一体──?
「なんだってんだ……? 訳の分からないまま、切れちゃったぞ」
「向こう側で、何かがあったと考えて然るべきだろうな。明らかに尋常では無かった」
「うん……何か、色々言われたし──は?」
その瞬間、キリトは不思議なものを見た。
遥か上空──硬質な天井を貫いて、真っ白な光の柱が幾つも舞い降りてくる。
何だ、これは?
回避をしようにも、身体を上手く動かせず、それは無慈悲にも──
「うぉぁ!?」
──瞬間、キリトはアルフォンスに頭を掴まれた。
それなりの力を込められていて、抵抗が出来ない──が、そこに敵意が無いことはすぐに分かった。
「良いか、疑問を持たず、オレの言うことに従え。何があろうとも、己を否定するな、卑下するな。
逆に尊大にもなるな、うぬぼれるな。ひたすらに自身をフラットに見ろ。
貴様は誰であり、何をしてきた人間なのかを、冷静に定義しろ──そうするだけで、それは貴様にとっては脅威にはなりえない」
「────」
言葉もなく、キリトは頷いた。
恐らくそれは正しいのだと、そう思うのと。
光の柱が全身を貫くのは同時のことであった。
己という、肉体ではなく魂をそのものを直接貫くような、存在そのものをバラバラにされるような感覚に襲われ──グッ、とそれを堪える。
痛みはないが、酷い不快感だった。
掴まれている頭から響く明確な痛みが無ければ、意識を落としてしまいそうだとすら思う。
「──、────」
目の前の少年が、何かしら言葉をかけてくれている。
よく聞き取れないが、キリトはそれだけでありがたいと思えた。
手から離れて行きそうな五感が、辛うじてそれで繋ぎ留められている。
意識を保とうと思える、保たせてくれている。
息遣いが荒くなっていく、魂が引き裂かれそうな衝撃が続く。
──そんな状態が、どれだけ続いたのだろうか。
突き立っていた光がフッと、音もなく消えて、キリトの身体は力なく崩れ落ちた。
コンコン、と頭を蹴られている感覚がキリトを襲う。
「おい、生きているか」
「お、お陰様で……。でも、悪い、少し、眠い……」
「そうか、であれば良い。存分に休め」
アルフォンスの言葉が終わると同時に、キリトは意識を手放した。
そんなキリトを片手で持ち上げ、アルフォンスは深く息を吐く。
「ここからはもう、オレも知らない物語になる──役に立ってもらうぞ、主人公」
キリト:心神喪失回避に成功した。この後適当な部屋で寝かされたため「知らない天井だ……」ムーブをする。
アルフォンス:この先がちょっとだけ不安。
薄々気付いてはいたんですけど明らかにこれは《大戦編》ではなく《公理教会攻略編》だろ……と気付いてしまった為、章の名前を変えます。
大戦編は次話以降からになります。ごめんね。