今話私「幕間書いていきまァす!」
という訳でしばらく(五話くらい?)幕間やっていきます。
あと今日はキリトの誕生日らしい。ハピバ!
あの遠く懐かしい記憶は、今どこに。(前編)
夏風が、柔らかく頬を撫でる。
ゆるりと温かみを纏ったそれは、少しばかりの不快感を与えながら過ぎ去っていく。
空を仰げば、太陽──ソルスが燦燦と輝いており、人界へと陽光をふんだんに降り注いでいる。
人界歴三八〇年八月。
セントラル・カセドラル南方庭園──通称《飛竜の庭》。
平和を体現したかのような、麗らかな大庭園のど真ん中で、鋭い剣戟が響いていた。
黒の剣が宙を裂き、青原の剣がそれを迎え撃つ。
その度に激しい火花が飛び散って、甲高い金属音が空に響いていた。
鍔迫り合った二人の少年の視線が、バチリとぶつかり合う。
「腕を上げたな、ユージオ」
「どこから目線のつもりなのさ……今日は僕が勝たせてもらうからな、キリト」
「俺だって負ける気はない……ぜっ!」
ギィィィン! と弾き合うと共に、キリトは一歩踏み込んだ。
それを予期していたように、ユージオは二歩ほど下がり、余裕をもった迎撃を行った。
黒と青の火花が、夏空のもとに何輪も咲き誇る。
一際大きく高い音と同時に、再び二人は距離をとった。
じり、とキリトが半歩だけ下がる。
──本当に、強くなったな。
わずかに肩で息をしつつ、そう内心で呟いたキリトは、まっすぐとユージオのことを見つめた。
ユージオは剣の天才である、ということにキリトが気づいたのは、彼をルーリッド村から連れ出した時のことだ。
その際にひと悶着あり、村の衛士と戦うことになったのであるが、見事ユージオは勝利した。
二人が使用する《アインクラッド流》という剣術は、かつてキリトが経験した《ソードアート・オンライン》というゲームのスキルが基になっている。
その内の一つを教えただけで、彼は別のソードスキル……《秘奥義》を見つけ、使用してみせたのだ。
ただの木こりでしかなく、剣を振るうようになったのもここ数日の少年が、である。
お見事、と思うと同時にキリトは、そこに巨大な才能の片鱗を見た。
そして事実、ユージオは約三年ほどの修練だけで、キリトと並ぶほどの実力──ひいては、上位を除いた整合騎士であれば、問題なく打ち倒せるほどの実力を身に着けた。
目を見張るような成長である。
いずれは、こうやって対等に打ち合うのも難しくなるのかもしれない──。
ふとよぎった思いを、キリトはふるふると追い出した。
弱気になっていては、勝てるものも勝てない。
「どうしたんだい? 息が上がってるよ」
「そっちこそ、すごい汗だぜ」
軽口と視線が交差する。
少しだけの空白。僅かながらの間隙。
動き出したのは、両者同時だった。
二人の剣は真っ赤なライトエフェクトに染め上げられ──ヒュルリと、山吹色の風が吹いた。
十字の花で出来上がったそれは二人の剣を一撃で吹き飛ばし、主人の元へと舞い戻る。
それから、もう耳に馴染むほど聞いた高い声が、ゆっくりと投げかけられた。
「二人とも……また、サボっていましたね?」
明らかに怒気の籠った声に、キリトとユージオはビタッ! と静止した。
「やべっ」
「あー……」
弾かれていった愛剣をチラッと見た後に、こわごわと二人は振り向いた。
艶やかな金の髪を靡かせながら、一定の歩調で歩み寄ってくる一人の女性。
いつもの黄金の鎧ではなく、青色の制服に身を包んだ彼女の手には、籐かごがぶら下がっていた。
焦ったようにキリトが口を開く。
「は、早かったな、アリス」
「全然早くありません。いつも通りの時間です──はあ、どうして貴方たちはこう……」
ピシャリと言いのけたアリスは、ため息交じりにこめかみを抑える。
実に頭が痛そうだ──なんてことを暢気に考えたキリトが、絶対零度の視線で射抜かれる。
「二人には、飛竜の装備の点検・整備を命じたはずですが?」
「よ、予定より早く終わったんだよ」
慌ててユージオが弁解をして、キリトが「うんうん」と首を縦に振る。
アリスはじろりと二人を睨み直した後に、「そうですか」と口角を上げた。
「それで、時間が空いたから剣技の修練をしていたと?」
「そ、そうそう! だから、決してサボっていたわけじゃなくって──」
「では、明日からは教会内部の清掃も任せても良さそうですね。何せそれだけ体力が有り余っているのですから。問題なんてないでしょう?」
「なぁっ──!?」
そりゃないよ! と表情だけでユージオは訴え、キリトは「おいおい……」と空を仰いだ。
今の二人の顔はまるで捨てられた子犬だ。
尻尾が垂れ下がっているようにすら見える、とアリスは思い、頬を和ませた。
「──冗談です。ですが、あまり此処では剣を振るわぬように。飛竜たちの気が立ってしまいますから」
「そ、そうなのか。それは悪かった」
「悪かった、ではないでしょう。騎士見習い、キリト?」
「──ハッ、申し訳ありません! 整合騎士アリス殿!」
慌ててバッ! とキリトが胸に手を当てそう言い放つ。
ゆら、と流し目を向けられたユージオもまた、スッと背筋を正した。
「以後気を付けます、整合騎士アリス殿!」
「はい、よろしい。私はともかく、他の整合騎士たちにはこういった礼儀に敏感な人もいますからね、癖はつけておくように──では、お昼にしましょうか」
ふわりと笑んだアリスが、籐かごから真っ白な布を取り出し、慣れた手つきで地面へと広げる。
それに一番乗りでキリトが飛び乗り、遅れてユージオが腰を下ろした。
呆れたような、微笑ましいような笑みを浮かべ、アリスは昼食を籐かごから取り出し並べた。
本日の献立は、キノコと肉のパイ包み焼きに、料理長直伝の白パン、今朝採れたばかりの果物、それからミルクである。
──どれもアリスが調達したものだ。
毎日とは言わないが、余裕がある時はこうして、三人で昼食を摂るのが恒例になっていた。
「天命を気にするほど時間は経っていないわ。ゆっくり食べて」
アリスの口調が砕け、ついでに緊張感が解け落ちる。
キリトとユージオは、それを聞き取ると同時に我先にと手を出しかぶりついた。
年盛りの腹ペコ少年×2だ。焦らなくても良いと言われても、そうしてしまうのは仕方のないことだった。
やれやれ、と言わんばかりの様子のアリスもまた、二人に触発されたように料理を手に取った。
──うん、我ながらいい出来ね。
口元をほころばせ、次々と食べていく。
会話もなく、モグモグと三人は口を動かし続ければ、みるみるうちに料理は消えていった。
コクコクと、最後にミルクを飲み干して、一息をつく。
「──ふう、今日も美味しかったよ。ありがとう、アリス」
「気にしないで。いつも言ってるように、ついでに作ってるだけなんだから」
毎回している会話をして、アリスとユージオは顔を見合わせ、破顔した。
ああ、何て幸せなのだろう──。
ユージオが、そんなことを思いながら少しだけ目を閉じる。
こんな日は、もう来ないと思っていた。
八年前。アリスが連れ去らわれ、それをただ見ることしかできなかった自分。
あの日、あの瞬間。このような平和な日々は完全に失われたのだと、冗談抜きでユージオはそう思ったのだ。
無論、それを取り戻すべく、数か月前の自分はここまでひた走ってきた訳であるのだが──ここまで上手くいくだなんて、誰が思うだろうか。
一時は、暗黒界にまで逃げおおせて、ひっそりと暮らすしかないとすら考えていたのである。
本当に、本当に夢のようだ──。
またこうやって、三人で平和な時間を過ごせるだなんて……ん?
あれ、変だな。と、ユージオは思った。
キリトという若者は、つい数年前に出会ったばかりのはずだというのに──何故、今自分は「三人で」、と思ったのだろう?
浮かび上がった疑問は、場合によってはすぐに霧散するようなものであったが、しかしユージオはどうしてもそれが気になった。
そも、キリトが如何に人たらしと言えど、アリスとここまで距離感が近いのも、考えてもみれば少し違和感だ。
仲が良いことに違和感があるのではなく、仲が良いことが極自然なことであると、そう思っている自身に違和感を感じていた。
──いや、まあ、気にしたところでなんだ、という話ではあるんだけど。
ユージオがそう独り言ちれば、パタリと真横にいたキリトが仰向けに倒れ込んだ。
「──それにしても、平和だよなあ。本当に戦争が起こるなんて、考えられないぜ」
そのままポツリと、キリトは呟いた。
流れゆく雲を目で追いながら、緩やかに力を抜いていく。
それを見て、アリスが少しだけ表情を硬くした。
「でも、兄さんが言うのだから、間違いはないわ。……それを証明するように、最近は暗黒界からの斥候が多いし」
「へぇ……でも、問題なく対処出来てるんだよね?」
「当然じゃない、常に
しみじみと、アリスは言う。
四神獣──彼女が担当したのは、三体であったが──を説得するのは本当に骨が折れた。
一度は本気で死ぬかと思ったものである。何とかなって、本当に良かった……。
「現状だけを言うのならば、守りは万全だわ。でも、東の大門の天命が、恐ろしい速度で減っている──このままだと、年を超える前には崩れ落ちるだろうって話よ」
「それって……その、神聖術でどうにか出来たりしないのか? アルフォンスとか、アドミニストレータって、相当凄い術師なんだろう?」
「そうね、私もそう思って聞いたことがあるけれど、不可能だって言われたわ。試してはみたけれど、《最終負荷実験》は、どうあっても防ぐことは出来ないようだって」
「……《最終負荷実験》、か」
眉を潜め、キリトが繰り返し呟く。
最終負荷実験……それはつまり、暗黒界の人間たちとの大規模な戦争を意味する。
そしてそれは、アンダーワールド内のいざこざという訳ではなく──無論、全く関係が無いのかと言われればそんなことはないが──現実世界の人間たちが仕組んだことだ。
──正直なところ、キリトはなぜ、菊岡たちがこのようなことを企んでいるのか、さっぱり見当がつかなかった。
しかし、如何な理由があれども、このようなことは許されないだろう──。
そう思い、拳を少しだけ握りしめる。
キリトはもう、この世界で随分と暮らし過ぎた。
この世界が、自分のいた現実世界と大差ないことを、もう嫌というほどに味わってしまった。
ここで過ごす人々は、誰もが自身と変わらない人間であることを、理解してしまってた。
それがゆえの、怒りだった。
「──酷い殺し合いになると、兄さんは言っていた。アドミニストレータ様も、カーディナル様も同様に。だからきっと、暗黒界との戦争はかつてないほど、過酷なものになるでしょうね」
「……怖いのかい? アリス」
呟くように、ユージオが問うた。
アリスは少しだけ目を見開いて、それから細める。
「何年経っても、ユージオに隠しごとは出来ないわね──ええ、そう。私、少しだけ怖いの。明確に何かが怖いという訳ではなく、ただ、漠然とした恐怖がそこにある」
そう言った声音は、少しだけ弱々しいものであった。
整合騎士だというのに、なんと情けないことか──しかし、この二人を前にすると、どうしても弱音が出てきやすくなってしまう。
ただでさえ最近は、あらゆるものを背負い込んでいるアルフォンスに世話をかけないように、自らを律していたのだ。
反動のようにやってくる巨大な弱さを、アリスは深呼吸ひとつで追い払った。
「でも、心配するほどじゃないわ。だって私、強いもの」
「それは──確かに、そうだけどさ。それでも、何かあったら頼ってよ。僕たち、幼馴染だし……それに、今はきみ直属の見習いなんだからさ」
な、キリト。と言いつつユージオは、未だに暢気に寝転がっている親友の腹を叩いた。
ぐぇっ、という情けない声が吐き出され、アリスとユージオは吹き出すようにして笑った。
「ちょっ、お前らなあ……」
パッと起き上がったキリトの視界に収まったのは、口を抑えて笑う少女と、ニヤニヤと笑む相棒だ。
はぁ、と深々とキリトはため息を吐いた。
これでは何を言っても効果はないだろう。今は甘んじて笑われてやろう──。
そう思いながら、視線だけは逸らす。
セントラル・カセドラル南方庭園は、キリトにとってもこれまで見たこと無い豊かさと美しさを兼ね備えた庭園だ。
目の保養にはなる──と、遠くを眺めた、その時だ。
「きゃっ」
「わっ」
ブワリと、頭上を飛竜が翔け抜けて行った。
此処は《飛竜の庭》と名付けられるほどだ──こうして、飛竜たちが飛び回っているのはそう珍しいことではない。
流石に、ここまで至近距離を通過していくことは滅多にないが……。
それでも、有り得ないことではない。
レアな現象だと思えば、ラッキーだとすら思えてくるだろう──と、実にゲーマーらしい思考をしたキリトの目に、不意に不思議な光景が見えた。
さざめく川面。広がる草原。離れにある深い森。
その中を、寄り添い合って歩いていく、三人の子供──二人の少年に、一人の少女。
ほら、早く、と前を進む少女が振り返り、慌てて追いかける亜麻色の髪の少年。
それを暢気に眺めながら、置いて行かれない程度の早さで歩く、黒髪の少年。
夏色の夕日にあてられた彼らの姿は──どこか、酷く懐かしい。
──それはきっと、いつかの日の記憶。
もう失われてしまった、遠い日の思い出。
こんな日がずっと続くんだと、無邪気にも思い込んでいた輝かしい光景。
ざわりと、魂の表面が撫でられる。
魂の奥底が、思い出せと叫んでいる。
何故かは分からないが、キリトはそう思い──しかし、瞬きをすると同時にそれは消え失せてしまった。
現れた時と同じように、忽然と。
パチパチと、キリトは数回微動だにせず、瞬きだけを繰り返した。
──今のは、一体……?
もう一度見れないものかと待ってはみたが、しかしその時はもう来なかった。
視界にはただ美しい庭園が広がっていて、遠くの方で先ほどの飛竜が、もう一頭の飛竜とじゃれ合っている。
「おーい、キリト。どうかしたのかい?」
「……」
ひょいひょい、とユージオがキリトの眼前で手を振ってみせる。
そちらに意識を戻したキリトは「あー……」だとか、「ん-……」だとか、歯切れの悪い声を漏らした後に、意を決したように言った。
「なあ、変なこと聞いて良いか?」
「お前はだいたい、いつも変なことを言っているよ」
「なんだとう? それに幾度も救われていることをお忘れかね、ユージオくん?」
「その回数分、厄介事にも巻き込まれてるんだよ」
ジト目でユージオが言う。
キリトは思わず「そうだったか?」と目を逸らして口笛を吹いた。
「それで、結局聞きたかったことって何なの?」
アリスが口を挟み、キリトが「うむ」と頷いた。
「いや、まあ、本当に変なことなんだけどさ。俺達って、昔に会ったことがある……いや、違うな。一緒に育った、幼馴染だったりする?」
言っておいて、キリトはすぐさま頭を振った。
本当に、あり得ない話なのである──なにせキリトは、現実世界の人間である。
こちらでは「キリト」という名で通しているものの、本名は桐ケ谷和人。十七歳の高校生だ。
だから、すぐに否定しようとした。
やっぱいい、気にしないでくれ──と、言おうとして。
アリスが、柔らかく微笑んだ。
奇妙なまでに懐かしさを感じさせる笑顔のまま──
「ええ、正解。幼馴染なのは私とユージオだけじゃなく、貴方も含めた、三人よ」
──と。
アリスはそう言った。
アリス:アルフォンスに食わせまくることでメキメキ料理の腕を上げている。
キリト:騎士見習い。アリスの下っ端をやっている。何か……思い出しそう! って思ってる。
ユージオ:騎士見習い。アリスの下っ端をやっている。何か……懐かしい! って思ってる。