ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんない。
どうか、どうかお赦しください。
もう二度と、こんな真似はしませんから。
反省します、反省し続けます。
心に刻み、忘れぬようにこれから生きるようにします。
だから、どうか赦してください、助けてください。
お目こぼしを、どうか……。
アリス・ツーベルクは一人、牢屋の隅で懺悔を重ねていた。
北の果て、ルーリッドという小さな村で生まれ育った彼女は、つい今朝方、整合騎士:デュソルバート・シンセシス・セブンの手によってここに連行されてきた。
かといって、それが誘拐等の犯罪的行為という訳ではなく、むしろ罪を犯したのはほかならぬアリスの方であった。
人界には、決して破ってはならない法律というものがある。
名を、《禁忌目録》。
数百ページに及ぶ分厚いそれの、第一章三節十一項。
『何人たりとも、人界を囲む果ての山脈を超えてはならない』──即ち、暗黒領域への侵入を禁ずる項目。
これにアリスは抵触した。
無論、彼女とて破ろうと思って破ったわけではない。
偶然起こってしまった、いうなれば事故。
村の近くの洞窟がそのまま暗黒領域へと繋がる洞窟だったのだ。
そこにアリスを含めた三人の子供が入り、そしてアリスだけが、暗黒領域へと侵入した──いいや。
侵入した、というのはあまり正しくないだろう。
これは事故だったのである。
人界と暗黒領域を区切るラインの手前でアリスは転んでしまったのだ。
前に伸ばされた手の片方。
指先が、少しだけそこを超えてしまった。
言ってしまえば、それだけだ。
だが、それだけで十分すぎた。
たったそれだけのことですら問題視されるから、《
事情を話したからと言って、赦されることは無いだろう。
アリスは十一歳の子供に過ぎないが、聡明な少女でもあった。
だからこそ、それが分かる──分かってしまう。
これまで、《禁忌目録》に触れて赦された人がいないということも、知っている。
無知は罪だ、しかし知っているからと言って罰せられないなんてことはあり得ない。
アリス・ツーベルクは己が大罪人であるという自覚がある。
それでも、そうだとしても。
許しを、助けを求めてしまうのは、やはり彼女が子供だからなのだろうか。
少女は一人、助けを求めるように手を伸ばしながらも、しかし絶望へと緩やかに落ちていく。
その手を取るものは、誰一人として──
「新入りというのはお前か? ふぅん、随分と死人のような顔をしているのだな」
──少年が、それを掴む。
「あ、貴方は……? 誰、ですか?」
震えた声で聞く囚われの少女──アリスを、アルフォンスは値踏みするように眺めていた。
長く伸ばされた金の髪に白のリボン。
青のドレスに純白のエプロンはどこか童話の主人公を思わせる。
涙で潤んだ青の瞳はなるほど、確かに美しい。
歳相応の活発さと、幼さが良くわかる。
アリス……ツーベルクと言ったか。
いずれ、三十番目の整合騎士になるのだったか、と、アルフォンスは自分の記憶を振り返った。
アリス・シンセシス・サーティ。
遠い──というほどでもない、もう少し先の未来にて活躍する女剣士。
剣術、神聖術、共に相当な実力者であり、彼の知っている通りであれば、それはベルクーリにすら迫るほどだったはずだ。
──こんな風に震えて泣いているような少女が、な。
それも、おかしな話ではないのだが、とアルフォンスは思う。
整合騎士は元より、《禁忌目録》に触れた者、あるいは『人界最強』の称号が手に入る四帝国統一大会の優勝者のみで構成されている。
アドミニストレータに記憶を抜き取られることにより、彼らは人間性を著しく失う。
正しく人界を守るための《盾》となり、敵を打ち破る《剣》となるわけだ。
そう考えれば、歳も性別も、出身も関係はない。
あとは才能次第、あるいは努力次第なのだから。
──とはいえ、アルフォンスとてもちろん、偶然こんなところに来たという訳ではない。
ここはセントラル・カセドラル地下一階、滅多に出ない《禁忌目録》違反者のみが収容される牢獄である。
たった一人の獄吏のみが配置され、囚人自体、数十年に一度出るか出ないかだ。
《霊光の大回廊》とは別の意味で、近寄りたがる者はいないだろう。
それはもちろん、アルフォンスにも当てはまる。
だから、彼が此処に来たのは意図的なものであった。
この場所に今日、アリスがいることを半ば確信していたからこそ、足を運んだのである。
無論、アルフォンスの脳内にある穴だらけの知識では正確な日付等は分からなかったが、デュソルバートが《禁忌目録》抵触者を連行してきた、という話を耳に挟み、あたりをつけたという訳だった。
現在、整合騎士は二十九人までいる。
次が三十番であることからも、予測は容易だ。
そういう訳で、一回くらいは顔を拝んでおくかという、単なる興味本位で見に来たのだが──。
(流石に、情が湧いてくるか……)
物語として、知識としては知っていたし、わかっていた──分かっていたつもりだった。
アリス・ツーベルクという少女がほとんど理不尽な理由で連れこられ、記憶を抜き去られ、騎士として仕立て上げられる。
文面としての知識はあったからこそ、どこか他人事以上の、それこそ物語の中のものとしてしか捉えることが出来ていなかったのだと、アルフォンスは遅まきながら気づいた。
知識から得たふわりとした感覚に、地に足のついた輪郭が浮かび上がる。
記憶の中の少女、物語の中の騎士ではなく、彼女はアルフォンスと同じ、人間なのだ。
追い詰められ、隅で震え、恐れながらもジッと自分を見つめてくる少女に、彼は内心、ため息を吐いた。
よもや、こんなところで、しかもこんな小さな少女に気付かされるとは。
未熟にもほどがある。
「オレの名前はアルフォンス、ここに住んでいる修道士だ」
「私を、迎えに来られたという、ことでしょうか……」
「いいや、断言するがオレはお前が考えているような人間ではない」
一旦伏せた目を、アリスは再度開いた。
彼女からすれば、目の前の少年は得体の知れない存在だ。
歳は同じくらいに見えるが、どことなく気品を感じさせるし、それでいてその瞳には無邪気さが見える。
その上、教会の使いではないと言うのだ。
困惑するしかないアリスを見ながら、アルフォンスは薄く笑った。
「かといってオレは別にお前を助けに来たとか、そういう訳でもない。いわば野次馬根性というやつだ」
「や、野次馬?」
「ああ、だがそれはそれとしてお前には一つ恩ができた、ゆえに選択肢をくれてやろう」
「はぁ……?」
正体不明の少年が意味不明なことを言い出した、とアリスは思った。
いや、自己紹介はしている以上、正確には正体不明ではないのだが。
何となく鵜呑みにするのは良くない、と彼女の本能が言っていたのである。
それは花丸満点を上げたいところだが、残念ながら半分正解で半分間違いといったところだ。
名目上、未だにアルフォンスは修道士だ、その実体は完全に修道士のそれを逸脱しているが。
何ならその無法っぷりは整合騎士を上回る。
立派なアドミニストレータの頭痛の種だ。
「今ここに二本の鍵がある。片方がこの牢を開き、もう片方がその手錠を外す鍵だ」
ジャラリ、と出した鍵束のうち、二本を外してアルフォンスは言った。
どちらもハッタリではなく本物だ。
ここの獄吏はもう、百年以上の単位で勤めを果たしている優秀な人材ではあるが、しかし一度眠りに就いたら中々起きないという特徴を持っていた。
そこにアルフォンス特有の忍び足に手癖の悪さが付随することにより、音もなく鍵束を盗ってこれたという訳だ。
それをゆらゆら見せつけるように、手の中でもてあそぶ。
「お前を此処から出してやってもいい、今ならば誰にも気付かれずに敷地を出ることくらいは可能だろう」
「えっ」
「ただ、そこから先は知らん。少なくとも、それ以上のことはオレにはできないし──そも、今ここで逃げ出したところで、指名手配されるだけだろうがな」
「そ、れは……そうだと、私も思うけれど……」
一瞬だけ、胸の内から湧き出てきた興奮と期待が、冷や水をかけられたように落ち込んでいく。
人の気分を上げたり下げたりして、何がしたいんだこいつは。
それとも、なんの意図もなくただ揶揄われているだけなのだろうか。
可能性としては、その方が高いとアリスは思う。
しかし、それと同時に、やはり期待したいという気持ちがあるのもまた事実だった。
「だから、選択肢だ、アリス・ツーベルク。そこで大人しく刑を待つか、あるいは今すぐ逃げ出すか」
アリスは考える。
幼い子供であろうとも、それでも彼女は村でも指折りの優等生だった。
リスクとリターンを秤にかけて、素早く、落ち着いて頭を回す。
本来であれば、刑が執行されるのを待つべきなのだろう、自分はそれだけの罪を犯した──それが、事故によるものだったとしても──のだから。
だが、それとは別に逃げ出したい自分がいるのも事実だ。
文句だって言いたい、抵抗だってしたい、自由になりたい、妹に会いたい、幼馴染に会いたい、親に会いたい。
昨日まではずっと続くものだと思っていた、日常に戻りたい。
……だから、私は。
私は、私は、私は──!
「こ、ここから──」
「──そして三つ目、オレと共に来るか、だ。今ならアド……最高司祭に直談判を、ほかならぬこのオレがしてやろう」
「へ?」
三つ目???
この十一年生きてきた中で最も素早く、最も考えに考えて出した結論を一蹴するような三つ目が出てきてアリスは思考が停止した。
前提をひっくり返すな。
三択なら最初からそう言え。
普段であればそう言ったであろうアリスも、流石にそれを飲み込むのには数秒の時間が必要だった。
何せ、この人界の頂点。人でありながら女神灯される
嘘ではないように見える──いいや、そう信じたい。
というより、信じるほかがない。
「そんなことが、可能なの……?」
「ああ、何せオレだからな──と言っても、無罪放免良かったな、ということにはならないだろう、とは先に言っておこう。
オレは無謀かつ過度な期待を持たせるのは好きじゃない、精々が刑を軽くするくらいと……後は、まぁ色々だ」
「…………」
色々ってなに?
アリスはそう思ったが口にすることは無かった。
黙っていればよかったものを、言葉を敢えて濁して伝えた──それはつまり、『それについては聞くな』と言われたのに等しい。
聞いたところで、教えることもできない。
そういう意味だと捉え、アリスは再度思考を回す──。
「ちなみにオレは待つのが好きじゃない、あと二秒で決めろ」
「!?」
「ほら、いーち」
「!!?」
ちょっと待って!?
叫びそうになるのを必死でこらえ、アリスは考え……られない!
無理決まってんだろ、ばーか。
アリスは思考もできずにショートした。
「にーぃ、ハイ終わり。答えは?」
「うぅ、うぅぅぅぅ……あなたに、ついていきます……」
もうほとんど直感に従った答えを、アリスは口にした。
それが正しいのか、あるいはよかったのか、彼女には分からない。
ただ一番間違っていなさそう、と思ったのが三番目の選択肢だった。
それを相変わらず保ったままの笑みで、アルフォンスはうなずいた。
それで良い、と言わんばかりだ。
ガチャり、と重々しい扉をゆっくりとアルフォンスは開く。
それから随分と手慣れた手つきで手錠を外した。
少々傷のついた手首に
「そうと決まれば手早く行くぞ、はぐれるなよ」
「きゃぁ!」
アリスを背負い、ほとんど音を立てずに走り出したアルフォンスはヌルヌルとセントラル・カセドラルを昇り、あっさりと最上階へたどり着いた。
もちろん、道中で誰かに見つかるどころか、影すら掴ませないという徹底ぶりだ。
しかも、ここまで来るのに一時間もかかっていない。
こいつ、あまりにも手馴れている……。
明日の朝、警備にあたっていた整合騎士が叱られることが決定した瞬間である。
ベルクーリは朝から胃が痛くなることだろう。
「さて、アドはここだ。準備は良いな?」
「え、えっと……」
「よし行くぞ」
ちょっと待って!? と今日でもう何度目だろうか、とふと思ってしまうほど繰り返し、無視された制止の言葉をやはり無視されて、アルフォンスは扉を開けた。
飛び込んできたのは、彼女が想像していたよりずっと小さな寝室で──
「女神様……?」
──女神様が寝ている、とアリスは思った。
それくらい、奥のベッドで眠りに就く最高司祭:アドミニストレータは美しかった。
この世のものではない、と一目でそう思ってしまうくらいに。
アリスは、目を奪われ──ガンガンガンガンガン!
「わひゃぁあああ!?」
「きゃぁあぁああ!?」
突然の爆音にアリスは叫び、アドミニストレータは跳ね起きた。
ガチ絶叫だった。ただ、それだというのにノイズの少ない、美しい、と表現しても良いほどの声だったのは称賛に値するだろう。
因みに音を鳴らしたのは当然アルフォンスだ。
彼の手には今、
「おはようだ、アド」
「おはようだ、じゃないわよ! 一日に二度も来るなって約束してたでしょう!? ゆっくり寝させて!」
「いやぁすまない、しかし事情が事情でな──ほら」
「ひゃっ」
手を引かれ、アルフォンスの後ろにいたアリスは前に出る。
アドミニストレータの、神秘的な銀の瞳に射抜かれ、アリスは思わず見入ってしまった。
「その子──今朝の子かしら」
「ああ、そうだ。アリス・ツーベルク、《禁忌目録》違反者。こいつについて、お願いをしに来た」
「ふぅん……良いわよ、聞くだけ聞いてあげる」
面白そうに、アドミニストレータは目を細めた。
もちろん、こんな時間に、しかも罪人を連れて来たということに若干以上のストレスはあったが、それ以上に愉快さが勝った。
「許してやってくれ、と言うつもりはない。だから一つだけ、こいつはオレの傍付きにしろ」
「あら、珍しいわね。そういう子がタイプなのかしら?」
「は? オレのタイプはアドだが……まぁ良い。オレとて思い付きだけで話してるわけじゃない、これは必要なことで──」
「待って待って待ってちょうだい? ねぇ待って今なんて言ったのかしら?」
超早口だった。
もうビックリするくらい早口でアドミニストレータは聞き直した。
え? 今なんて? もっかいもっかい。
「だから、これは必要なことなのだ。人界の未来に関わる、大きなことだ」
「いやそこじゃなくてその前……はぁ、もう良いわ」
全然言い直さなかったアルフォンスに、アドミニストレータはため息と共に諦めた。
この少年と相対するときは諦めやスルー力を身につけなければならない、というのはこのセントラル・カセドラルでは常識である。
ただ、アドミニストレータが早々に諦めたのは、それだけではない。
──彼女は、アルフォンスの言わんとしていることを、理解していたからである。
アドミニストレータは、この人界で唯一、アルフォンスに別人の記憶があるということを、彼自身の口から聞かされた人間だ。
だからこそ、好き勝手やっても許している、というのが背景にある。
なお記憶は読み取ろうとしたが、エラーが発生しまくって見えなかった。
これも含めて、アルフォンスはアドミニストレータにとって最も大きな悩みの種なのだ。
「……良いわよ、どちらにせよ似たような扱いにはするつもりだったから。ただ──」
「分かっている、後で何でも一つだけ、質問に答えよう」
「それなら良いわ、ほら、そこの──アリスちゃんも、さっさと戻りなさい」
「ああ! ありがとうアド!」
「声でっかいのよ、頭に響く……」
もう眠らせてちょうだい、と半ば追い出される形で二人は部屋の外へと出た。
バタン、ガチャガチャ! と鍵までかけられる音がしてから、アルフォンスはアリスを見た。
「何がどうなったのか、分からなかっただろうから、取りあえず一言で教えてやろう」
「あっ、は、はい」
すっかりポカンとしてしまっていたアリスは、その言葉で現実へと引き戻される。
それから、ドッと疲労が全身を襲ってきたのを自覚した。
ポツポツと汗が流れ、知らない内に未知ともいえる緊張を味わっていたといことを理解する。
何度か深呼吸をして、息を整えてから見れば、アルフォンスは光素による回復を行いながら、口を開いた。
「お前はオレの妹分になった、これ以上ないほどの栄誉だ、喜べ」
「は、はい! ……はい?」
「そういう訳だ、明日、審問が終わったころに迎えに行く。期待に胸を膨らませておけ」
「はい???」
疑問たっぷりに言ったがアルフォンスは無視してアリスを担ぐ。
未だに「?」でいっぱいのアリスは、行きよりも急速で駆け降りていく少年に問いかけ直す体力も残っておらず、途中で眠りに落ちてしまったのだった。
──オレのタイプはアドだが……。
少年の、なんでもない風に放った言葉が、頭の中でぐるぐると回っている。
「なんっなのよ、あの子は……」
アドミニストレータは一人、窓から零れ落ちてくる月光に身を浸しながら純白の枕を抱きしめる。
言葉とは裏腹に、その頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
アリス:翌朝起きた時に「変な夢みたなぁ」とか思ってる。
アドミニストレータ:多分三百年間恋したこと無い。恋愛クソ雑魚女。可愛い。