「お前が本当に欲しいものをくれてやる、だからカーディナル、お前はオレに尽くせ」
開口一番、そう言い放ったアルフォンスに「なんじゃこいつ……もしかして馬鹿?」と思ったことを、カーディナルは忘れない。
ある日の昼下がりのことだ。
誰もが寄り付かない、寄り付けないセントラル・カセドラル唯一の大図書室。カーディナルにしか侵入を許さない小さな城に、アルフォンスが招待された日のことである。
端的に言って、アドミニストレータと敵対しているカーディナルからすれば、アルフォンスは絶好の条件を備えた人間だ。
数日の観察の身でそう断じたカーディナルは、協力するならなるべく早い方が良い、と判断し有無を言わさずアルフォンスを大図書室へと連れ込んだ。
どうせ説明は一から十までしなければならないのだ、最初は多少強引でも構わない、という実に合理的かつ模範的な思考回路である。
アドミニストレータが見ていたら「はしたない……」と顔を赤らめていたかもしれない。
傍から見ればただの誘拐である。童女が小僧を自室に無理やり引っ張り込む、うーん、字面だけ見れば犯罪感が薄れる。
とまあ、何はともあれアルフォンスを廊下を歩いていたら急に引きずり込まれ、気付けば見知らぬ部屋だった、という訳の分からない状況に陥った訳だが、特に意に介することは無かった。
むしろ「ようやく来たか」等と宣い、言われるより先に近くにあった椅子に腰を掛けるまであった。
カーディナルからすればそれこそ異常事態である。
流れに乗じて謎の強者感を出しつつも、己の目的からアドミニストレータの正体その他諸々を重々しく語るという彼女の計画は出だし一発目からこけたのだった。
どころか、「まあ座りなよ」といった目線を飛ばされ実質、この場の話の主導権はすっかりこの目の前の小僧のものになった、とカーディナルは思い知らされるまであった。
とはいえ、席に着かないという選択肢もない。
普通に想定外な事態に若干頭痛を覚えながら、カーディナルが座ると同時に放たれたのが上記の一言だ。
何度か脳内で反芻してみたが最終的には「ちょっと怖いんじゃが……」という随分と失礼な結論に至っていた。
確かにアルフォンスは少々ねじの外れた野郎だが、しかしこの場において一番無礼なのはこの女の方だった──が、何もカーディナルは馬鹿ではない。
むしろその真逆に位置していると言っても過言ではないだろう。
カーディナルはこのアンダーワールドで唯一、アドミニストレータと同レベルの権限、知性を誇っている……人間だ。
字面だけを捉えるのではなく、それ以上にまで踏み込んでカーディナルは頭を回したが故の感想だった。
まあ普通に考えて接点が何一つない男に自身の名前を知られているのは恐怖以外の何ものでもないだろう。
しかも何だかこちらの事情すらも見透かしていそうな余裕っぷりなのだ。
カーディナル自身が覚悟していたよりもずっと、目の前の少年は得体が知れなかった。
はぁ、と小さくため息を吐き、本来であれば自分が投げかけられるはずであった問いを口にした。
「おぬし、何者じゃ。まさか、アドミニストレータの手先という訳では無かろうが──なぜ、わしの名を……いや、なぜわしを知っている?」
「ふむ、それは答えるのが非常に難解な問いだ。一言で答えることもできるが、百の言葉を以てしても明確な答えを提示できない」
スッ、とカーディナルは目を細めた。
口を開けば謎を生み出すことしかできんのか、この小僧は。
「おちょくっているつもりか、あるいは謎かけのつもりか?
わしは下らん遊びに付き合う気は毛頭ないと宣言しておいた方が良かったかのう」
「むぅ、オレだって別に好きでこんな曖昧な言い方をしているのではない。
だが、そうとしか言えないから難解な問いだ、と言っているのだ」
少年らしく、アルフォンスは表情を崩してうなる。
色々と常軌を逸しており、そのほとんどが自前のアルフォンスではあるが、唯一、この埒外な知識に関してはギフトのようなものなのだ。
どこかの誰かが己に残した、未来の知識。
それを実際脳内に持っているアルフォンスはともかく、「オレは未来の知識がある」と言って信じてくれるような人はそうはいない。
かと言って、話もせずに信頼関係を築くことは不可能だということが分からないわけではない。
少しだけ熟考したアルフォンスは「面倒だな」と一言そう思った。
「うん、よし、分かった。カーディナル、オレの頭を見ろ」
「なんじゃ急に、馬鹿は治せんぞ?」
「安心しろ、オレは天才だ……お前は確か自身の記憶を直接編集したことがあったはずだろう。
その要領でオレの記憶を見ることもできるはずだ」
「────」
端的に言って、カーディナルは絶句した。
確かにそうだ、この目の前の少年が言った通り、カーディナルは自身の記憶を一度、自らの手で整理している。
だがそれを、他人はおろか使い魔にすら話したことは無い、いわばカーディナルだけが知る秘密だ。
よしんば自身の名前だけであれば(ほとんど可能性は無いに等しいが)アドミニストレータから聞いた、で筋は通るが、こればっかりはそうはいかない。
久方ぶりに触れる『未知』に、カーディナルは何か冷たいものが背筋を這いあがってくるような感触を覚えていた──が、断る理由はどこにもない。
仮に今、不意を突かれて攻撃されたとしても無傷で封殺できる自信があることを再度確認し、カーディナルは深呼吸をした。
「おぬしは、それで良いのか? わしがおぬしの記憶を好きなように改竄する可能性もあるのじゃぞ?」
「問題ない──というか、そんなする必要のないことをするようなやつじゃあないだろう、お前は」
「まったく、さっきから知ったような口を聞きおるわ……まあ良い、こっちへ寄れ」
少し引きずりながら引いた隣の席へと、アルフォンスが座ると同時に、カーディナルはその頭へと手を置いた。
それから一言、二言を声を発すると同時に、カーディナルの前には一枚の画面が浮かび上がる。
何だか地味ではあるが、これが人の記憶の閲覧方法だ。
無論、アルフォンスはそれで気絶だったりしているわけでもない。
何一つ隠すことのできない、自身の記憶を見られているというにも拘わらず、のんびりとしている。
「思っていたよりもあっさりなのだな……」
「見るくらいであればの、これを編集するとなればまた別じゃが」
あまりの緊張感のなさに多少の空気の弛緩を覚えながら、カーディナルは目の前の画面をサクサクとスクロールしていく。
記憶とは、少なくともこの世界では記録とほとんど変わりのないものだ。
本人が思い出せる、思い出せない関わらず、必ず情報としてフラクトライトには書き込まれている。
十一年しか生きていないとはいえ、その情報は膨大と言っても良いだろう。
とはいえ、アルフォンス本人が十歳からの記憶しかない、かつ今の人格を形成していることから、見るのはここ最近の部分だけで良いはずだ。
そうあたりをつけてカーディナルは流し読みしていき──
「ブフォァ!?」
「づあっ!? 急に何をする!?」
口に含んだばかりの紅茶を勢いよくふきだした。
おかげでアルフォンスは顔面紅茶塗れである。
「あ、す、すまなんだ──いやしかし、これは……」
謝りながらも、カーディナルは目を離せない。
それほどまでにアルフォンスのログは異様だった。
何せ──十歳になるのと同時にこの少年は、どこかからか強制的に記憶を書き込まれているのである。
否、それは記憶だけではない。
フラクトライト──いわば魂、人格を形成するものを丸ごと上書かれようとされ、なおかつ失敗した跡があるのだ。
異常──等という一言で片づけたくはない。
それは、言ってしまえばアドミニストレータとほとんど同じだ。
行動原理への焼き付け、記憶、人格の強制上書き。
記憶の残り方から見て、ほとんど成功しているも同然だ、だというのにこの少年は未だに正常な人格を保っている。
本来であれば、それはありえない。
人間二人分の人格、魂の情報だなんて、フラクトライトが耐え切れずに自己崩壊してもおかしくない。
ましてや、自己崩壊を免れたとしても、他人の一生の記憶なんてものを客観的に眺めるというのは非常に難しい──いや、普通は無理だ。
ただでさえ、この少年は生まれたころから今に至るまでの成長の記憶がないのだ。
また、その記憶の中身でさえ奇妙極まりないものだ。
それこそ──そう、こうして見なければ信じられないほど荒唐無稽な内容。
言わば、現実世界も含めたこの世界の未来の知識。
酷く頭痛がしてきたカーディナルは「マジで何なんじゃこいつ……」と思った。
アルフォンスは「せめてタオルとか……」と思っていた。
「……おぬしの事情は大体理解した」
そっと、アルフォンスの頭から手を離しながらカーディナルは言う。
今得た情報を咀嚼し、飲み込みながら彼女は言葉を続けた。
「確かに奇妙なことになっているようじゃの、おぬしは。正直言って、なぜおぬしが今も問題なく生活を送れているのか、不思議すぎて最早気持ち悪いまであるわい」
「まあ凡俗にはそう見えても仕方ないだろうな」
ふふん、とどこか誇らしげにアルフォンスは笑む。カーディナルは無視した。
「じゃが、中身は興味深かった。おぬしの余裕さの理由も分かったしのう」
「うむ、伝わったのであれば重畳だ」
「その上で改めて聞こう、おぬしはこれを以て、何を為すつもりじゃ?」
カーディナルが読み取ったのは飽くまで記憶であり、アルフォンスの思考ではない。
だからこそ、一番最初にアルフォンスが放った言葉だけが気がかりだった。
というか、これから何をするつもりなのかが、どうにも読めなかった。
睨むように目を細めるカーディナルを見て、アルフォンス薄く笑った。
「──アドミニストレータを打倒する。ひとまず、目先の目標はこれだ」
「……その先は?」
「その先は──今話しても、結論は出ないだろうよ」
アルフォンスは笑みを抑えてそう言い、カーディナルを見た。
それに対してカーディナルは「ふむ」と思考する。
カーディナルの目的は、端的に言えばアンダーワールドの破壊だ。
アドミニストレータを打倒し、カーディナル・システムとしての全権限を取り戻し、この世界を零へと戻す。
それが彼女の立てる目標であり、譲れない部分だ。
何せ、このアンダーワールドは十年後、早まることがあれば数年後には人界の人間と、暗黒領域の人間たちの凄惨な殺し合いが始まることが決定されているのだ。
そんな大規模な殺し合いが行われるくらいであれば、いっそ消してしまった方が良い、とカーディナルはそう考えていた。
──そして、彼女がそう思っていることも、目の前の少年は知っているのである。
その上で言葉を濁した……すなわち、その部分で意見が食い違っているということだった。
「だが、答える気が無いという訳ではない──一年だ。今から一年でアドミニストレータを打倒し、カーディナルを納得させるだけの答えを用意する。
だから、それまでは協力しろ。それではダメか?」
「ほほう? 一年と言ったか。随分と夢見がちなやつじゃのう。吐いた唾は吞めんぞ?」
「もちろんだ、オレは有言実行がモットーなんでな。何なら賭けても良いぞ?
今から一年かけてアドミニストレータを倒せなかった場合、オレはお前に絶対服従してやろう。
代わりにその逆も然り、だ」
「ふんっ……」
大きく鼻息を鳴らし、カーディナルは呆れたように顔をゆがめた。
カーディナルは基本的に賭け事が好きではない。「この阿呆めが」と頭でも叩いてやろうとして──しかし、いや待てよ? と踏みとどまった。
遊び半分なことくらいは分かっているが、しかしこれはこれで保険になる。
そも、今から一年でアドミニストレータを倒せるなどとはカーディナルはこれっぽっちも思っていない。
こんな少年が一年でどうにかできるなら、とっくの昔にカーディナルはアドミニストレータを殺せている。
つまり、これは些か卑怯なくらい勝率が高い賭けだ。
記憶を見ただけでも分かる、この少年は酷く律義な性質を持つ人間だ。
いずれ──これらから先、二人でアドミニストレータを倒した際に自分の好きなように話を持っていきたいときに持ち出せばかなり効果覿面だろう。
うん、うん、悪くない、悪くないぞ。
ギャンブル未経験、超初心者のカーディナルはそう思った。
「よかろう、乗ってやる」
「ふん、後悔するなよ」
「それはこっちの台詞じゃろうが……」
────と、ここまでが回想である。
この後はなんだかんだ入り浸られたり、暇つぶしにボードゲームをやったりと関わっては来たが、取りあえずはこれがカーディナルが覚えている限りの、アルフォンスとのファーストコンタクトだ。
賭けにおもくそ負けたカーディナルはギリッと奥歯を噛み締めた。
ついでに言えば、アルフォンスの出した答えに、心が揺らぐ自分がいることにも酷く動揺を覚える。
(自らが統治し、自らが導く──)
それは、この男であればできるのではないか、とカーディナルはそう思いかけていた。
なにせ絶対に無理だと確信すらしていたアドミニストレータの陥落だけにならず、このセントラル・カセドラル内の人間ほぼ全てをこの少年は口説き落としているのだ。
365日と言ってしまえば何だか長いようにも見えるが一年というのはイメージ程長いものではない。
両手では数えきれないほどの人数と十分な信頼関係を築くにあたっては全く足りないと言っても良いだろう。
──だがやり遂げたのだ、こいつは。
騎士長ベルクーリから始まり整合騎士のほぼ全員だけでなく、各天職を与えられた不老の人間たち。
アルフォンスは知る由もないが、修道士たちの間では人気者だ。
……認めたくはないが、カーディナル自身も絆されている。
「アンダーワールドを存続させる以上、少なくない血が流れることになるのは事実だ。
それは隠し通せないことで、だけれども、その行く末はまだ分からない──いいや、オレが良いものにする。
この世界の終末は血に塗れたものではなく、光に満ちたものにすることを約束しよう」
「…………」
カーディナルは言葉を返せない──返す言葉が見つからない。
否、肯定も否定も、しようと思えばできるのだ。
どちらの言葉も既に心中にある、ただそれを、口にする決断が彼女にはできなかった。
「オレが信じられないか?」
瞬間、そっと背中を押されてカーディナルは目を伏せた。
それから深々と、長くため息を零す。
「おぬし、それは……それは、卑怯じゃろ……」
できるできないではない。
やると言ったら絶対にやるのが、アルフォンスという少年なのだ。
少なくとも、カーディナルはそう信じている──信じるようになった。
であればもう、答えは一つしかないも同然だ。
「そう言われたら、わしは信じるとしか言えぬではないか……」
ポン、とカーディナルはアルフォンスの胸へと拳を落とす。
それからもう一度息を吐きなおしてから、グッとアルフォンスを見上げた。
「信じるし、託すぞ。良いのじゃな」
「愚問だな、世界の命運を背負うくらいが、オレにはちょうどいい」
「ふん……ならば良い、始めるぞ」
杖を持ち直してカーディナルはアドミニストレータの頭へと触れる。
そこに殺意は間違いなくあったし、恨みもつらみもあったがグッと飲み込んだ。
それを、アルフォンスは少しだけ見届けてから
「ありがとう、カーディナル」
と一歩踏み出した。
カーディナル:爆速絆され陥落女。