真・女神転生▷《プレイ》世界が終わるまでは…   作:五十貝ボタン

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1-02_HELLO

 サーバー室での騒動から1時間後。

 マッシュとDJはマルウェアへの対処を追えた。サーバー群は問題なく再稼働した。まるで、何事もなかったかのように。

 

「この私まで危険にさらされるところだった」

 長官は合皮のソファに片脚を上げながら、琥珀色の酒をぐっと飲み干した。その一杯だけで、マッシュの月給は吹き飛んでしまうだろう。

 

「DJの罰則を強化しなければ。二度とこんなことが起きないように」

「お言葉ですが、あれはDJのせいではありません。むしろ、週に一度だけでなく、もっとDJに時間を与えたほうが……」

 敬礼の姿勢を保ったまま、マッシュが進言するが……

 

「いま起きたことを私はオザワ様に伝えなければならないんだぞ!」

 帰って来たのは怒号だった。

 

「誰の責任で起きたことか、彼に言わなければならない。もちろん、DJの責任だ! テクラが保守管理していた25年でこんなことは一度もなかった。奴がテクラを撃ったせいだ!」

「それには理由が……」

「理由など関係ない。すべての責任はあの男にある。そうだ、刑期を伸ばそう。今回の件であと5年足せばいい」

 

「そんな、無茶苦茶な……」

「私は長官だ。三等警官に意見する権利があると思っているのか!」

 血走った目がマッシュを睨みつける。長官はただでさえ権威主義の横暴者だが、先ほどのショックで判断力を失っている。今は、何も言わずやり過ごすべきだろう。

 

「いえ……失礼しました」

「ふん……さっさと警邏任務に戻れ」

 

(お前の命を救ってやったのに、ひと言の礼もなしか)

 唇を噛みながら、マッシュは詰め所の扉をくぐった。

 

(ターミナルの管理権限はDJと俺にしかない。でも、俺は半人前だ。テクラから技術を全て教わったのはDJだけ。もしDJが栄養失調で動けなくなったら、新宿は終わりだ)

 新宿のために果たしている役割の大きさを考えれば、DJは長官と同じレベルの待遇を受けてもおかしくないはずだ。だというのに、一方は手下を働かせて酒をあおり、一方は鎖に繋がれている。

 

「俺がなんとかしないと。長官に取り入っても無駄だ。やっぱり……」

 

 オザワ。

 その名前が再び頭に浮かぶ。

 

 新宿の王に認められるしかない。長官がオザワの右腕なら、DJとマッシュの師であるテクラは左腕だった。そのテクラがいなくなったとき、長官は私設警察の権力を活用してオザワの周りを囲い込んだ。今や、オザワと直接対面できるのはわずかな側近と長官だけだ。

 

「どうすればいい? 今日のことで長官には目をつけられた。コツコツ出世するなんて、無理そうだ。直接、オザワの目に留まるようなことをしないと……」

 警邏の間も、マッシュの頭は同じことを考え続けた。

 警邏といっても、警官の制服を見せびらかしながら歩き回るだけだ。私設警察を見かけた新宿の住民たちは、気まずそうに下を向くか舌打ちして目をそらす。尊敬などされるわけがない。

 

 我知らず、左手に着けっぱなしのアームターミナルに手を触れていた。そこに装着したMDプレイヤーへ。

 

 落ち込んだ時や気持ちがふさがったときには、いつも音楽を聴いていた。この地下世界で、音楽だけがマッシュの気持ちを慰めてくれる。

 イヤホンを片耳に伸ばして、▷(PLAY)のボタンを押した。すぐに、軽快な弦の音がイヤホンから流れ出してきた。

 

(ギターって、どんな楽器だろう?)

 

 夢想する。大崩壊の前を知る老人は、たくさんの楽器を知っていた。12歳のマッシュは彼らの話とMDプレイヤーの音を何度も聞いて、在りし日の世界を思い浮かべていた。

 

 飢えのない世界。

 青空の下の世界。

 音楽の鳴り響く世界。

 名も知らぬ男が、イヤホンの中で歌っている。

 

ガラスの夜空 君を映すとき

叶わぬ夢数えて 眠れない夜

恋が走り出したら 君が止まらない

 

(恋……恋ってなんだろう?)

 

まだ誰も知らない ときめき抱きしめて

君と笑顔 つかまえるのさ きっと

 

(恋をしたら、俺もこんなふうに楽しい気持ちになれるんだろうか?)

 それとも、もうこの世界に恋なんてものはないのだろうか。大破壊をもたらした核ミサイルで、「ガラスの夜空」とやらは粉々に砕かれてしまったのだろうか。

 

 上を見上げた。シミだらけの天井にパイプが走っている。

 マッシュは空を見たことがない。

 

(俺が、この歌を歌ってる男だったらよかったのに)

 この曲をどんな人が歌っているのかも、よく知らない。MDプレイヤーが表示する情報は、タイトル、そして歌手の名前だけだ。

(フクヤマ マサハル……俺もフクヤマ マサハルになりたいよ。そんなこと、昔の人間は思いもしなかっただろうな)

 途端に自分が惨めに思えてきた。一度でもいいから、「ときめき」を感じてみたい。コンクリートだらけの地下道を歩きながら、少年は何度目かのため息を漏らした。

 

 

▷▷

 

 

 新宿地下街で最も大きな権威を誇っているのは私設警察だ。マッシュもその一員である。

 だが、それだけが全てではない。新宿の東側にはメシア教が、西側にはガイア教が、それぞれの拠点を設置している。

 

 メシア教は、いつか到来する救世主(メシア)が世界を救済することを信じる教えだ。神が人に与えたという法と秩序を守ることを説いている。

 ガイア教は、自然との調和を至上とする教えだ。混沌のあるがままを受け入れることを旨とし、自らを鍛え上げるよう奨めている。

 

 どちらも、東京において大きな勢力を持っている。二つの宗派を受け入れているからこそ、新宿の治安は保たれているとも言える。もしもオザワが両教会の設置を認めなかったら、とっくに新宿は滅ぼされていただろう。どちらかだけを受け入れていたら、もう一方との血みどろの戦いが繰り広げられていたに違いない。

 

 どちらの教徒に対しても、オザワは新宿で教えを広めることを許している。だが、どちらも新宿での勢力は少数派にとどまっている。彼らの言う『試練』や『修行』のために新宿から悪魔の居る外界へ出て行こうとするものは滅多にいないからだ。新宿の人々はほとんどが都合がいいときに両方を頼るのだった。

 

 かくして、外界では血を血を洗う戦いを繰り広げているメシア教とガイア教は、新宿においては奇妙なバランスで共存していた。

 

 そして、今……地下街の中央部。商店が軒を連ねる広間で、その二つの勢力が向かい合っていた。

 

「おや、ジンカイ和尚。困りますな、私の巡回説教の道を塞がれては」

 にこやかに告げる男は、白いローブに身を包み、青い旗を掲げている。メシア教のメイガス、アクター神父である。

 

「拙僧は托鉢の途中。少し脇へ逸れてもらえれば、黙って通り過ぎるのみ」

 低い声で答える男は、剃りあげた頭に法衣を着込み、首に大きな数珠をかけている。ガイア教の闇法師、ジンカイ和尚だ。

 

 アクター神父は新宿におけるメシア教会の指導者であり、ジンカイ和尚は同じく新宿におけるガイア教を主導する立場である。要するに、両勢力のリーダーだ。

 その二人が、同じ道を両側から歩いてきた。間の悪いことに、二人とも通路の真ん中にいる。だが、対立する相手に道を譲ったとなれば、それぞれにとって恥である。

 

「いやいや、手間は取らせません。ひとり分、横にずれてもらえればいいのです」

 コツコツと、アクター神父は道の中央を歩き続ける。

 

「神父殿こそ一歩だけかわせばよろしい。衝突を避けたければそれが賢明であろう」

 ズカズカと、ジンカイ和尚も歩を止めない。

 

 いずれも上背がある。アクターは微笑み、ジンカイは無表情のままだが、2人の距離が縮まっていくにしたがって、周囲にプレッシャーが広がっていく。路面販売の店主が、いつでも逃げ出せるように身構えていた。

 

 五歩の距離で、二人は立ち止まった。その視線の間に、電光がひらめく。

 

「ジンカイ和尚ともあろう方が、理路をご存じないようですね。救世主に仕える者に道を譲れば、救世主を助けたのと同じ。いずれ訪れる千年王国に、その魂が迎えられるかもしれませんよ」

 分厚い胸板を誇るように張りながら、アクター神父が一歩踏み出した。

 

「我らガイア教は『自由』こそを尊ぶのだ。アクター殿、貴殿にはこのまま拙僧とぶつかる自由も、かわす自由もある。衝突はメシア教の教える『平和』の理念に反するのではないかな?」

 負けじとジンカイ和尚が一歩踏み出す。禿頭に浮かぶ血管が、力強く脈打っている。

 

「では和尚、交渉してはいかがでしょう? 道を譲る自由を、私からマッカで買い取ればよろしい。メシア教会に百マッカを寄付し、寛大な心を示したことを法話になされば、信徒たちも感銘を受けることでしょう」

「マッカを払わせた上に道まで譲ってもらおうとは、それが神父殿の考える秩序というものか。いやはや、ガイア教徒でよかった。理不尽に対しては力で抗えというのが、混沌に与する者の考え方なのだ」

 

 互いに決して譲るつもりはない。二人が一歩ずつ踏み出すと、距離はたった一歩のみ。アクターとジンカイのどちらかでも身じろぎすれば、体がぶつかってしまう。

 

 すでに路面販売の店主は逃げ出していた。必要とあれば五秒で売り物をくるんで立ち去るのも、才覚というものだ。

 

「以前から秩序の有りようを教えて差し上げようと考えていました」

「拙僧こそ、自由がいかなるものかを語って進ぜようと思っていたのだ」

 二人の間からは熱気のようなものが立ちのぼっている。緊張が最高潮に達したとき……

 

「ストーップ!」

 二人の間に腕が差し込まれる。私設警察の制服。マッシュだ。

「何をやってんですか二人して! 道を譲るかどうかでいきなり抗争はじめないでくださいよ」

 

「マッシュくん……体からキノコを生やしていた君が、こんなに立派になって」

「いつの話をしてるんですか。十年は前ですよ」

 アクターの胸をぐいぐいと押しながら、過去の話を振り払っておく。神父はマッシュが知る限り、ずっと新宿メシア教会を統率している。

 

「拙僧はただこの道をまっすぐ歩きたいだけだ。神父殿が右か左に退けばよい」

 ジンカイ和尚の目はアクターのほうを向いたままだ。

 

「どっちが避けたって、誰も何も言いませんよ」

「マッシュくん、それは違う。私たちは新宿の人々に安らぎを与えているんだ」

 アクターの言う『私たち』というのは、もちろんメシア教会のことだ。

 

「安らぎ……?」

「悪魔のはびこる世界で生きていくには安らぎが必要だ。いずれメシアが現れ、世界を救うこと。そのために仕え、教えを守ること……そういった心の救いがなければ、この東京で生きるのはつらすぎる」

 

「必要なのは活力だ」

 と、ジンカイ和尚が口を挟んだ。

「悪魔がいかに凶暴であっても、力さえあれば対抗できる。己を鼓舞し、悪魔に立ち向かうための活力を持たなければならん。ガイアの教えは、すなわち活力を求め続けることだ」

 

「お互いに面目があるのは分かりましたけど、そのために道の真ん中でメイガスと闇法師が戦いだしたら安らぎも活力もないでしょう」

 マッシュが両手で二人を引き剥がす。ようやく、神父と和尚は一歩ずつ下がって違いを見やった。

 

(なんでこの人たちはいつもこんなことばかり……)

 マッシュの心中でため息が漏れた。メシア教とガイア教は新宿地下街の東西に拠点を構え、ことある毎に意見を対立させている。さすがのオザワも両者の意見を無視することはできず、どちらかの意見を尊重したら次はもう一方に利益を計り、パワーバランスを拮抗させ続けている。

 理想的なメイガスと言われるアクターと、闇法師の鏡とたたえられるジンカイ。ともに勢力を代表する二人は、オザワの目が届かないところでも、たびたび対立しているのだった。

 

(どうやっていさめたものか……)

 たまたまその場に遭遇したというだけで挟まれるマッシュにとっては、溜まったものではない。

 

「力でも寛容でもなんでもいいですけど、地下街は狭いんです。本気で暴れられたら、大騒ぎになりますよ」

 なんとか、メンツをつぶさないようにして場を収めなければならない。マッシュが全力で思考を回転させている時、ふとジンカイ和尚がつぶやいた。

 

「『強くなければ生きていけない』」

 すぐさま、アクター神父が応じた。

「『優しくなければ生きている資格がない』」

 そして、二人は声を合わせて笑った。

 

 笑い声は新宿の中央部に鳴り響いた。みんな逃げ出して、静かになっていたのだ。

 

「何ですかいきなり……」

 対立している教えの信奉者たちがとつぜん笑い出して、マッシュはあっけにとられていた。しばらく呆然としてから、ようやく警察官としての職分を思い出した。

 

「とにかく、ここは互いに半歩ずつ譲ってください。それなら、すれ違えるでしょう」

「マッシュ殿とオザワ殿の顔を立てるとしよう」

「異論はありません」

 そう言って、ジンカイ和尚は右へ、アクター神父は左へ体をズラした。

 

 つまり、向かい合っているから同じ方向ということだ。二人は再びまっすぐに向かい合った。

 

「和尚様、私はもう半歩譲りましたので、逆方向に一歩動いてもらえますか?」

「神父殿こそ、一歩分譲ればよろしい」

「いいかげんにしてくれ……」

 神父と和尚をなだめて歩き出させるために、マッシュは昼まで時間を費やした。

 

 

 ▷▷

 

 

「緊急召集ーッ!」

 新宿じゅうに、長官の叫びがこだました。

 

「二等警官および三等警官は警察本部へ集合せよ!」

 時刻は午後五時。マッシュの警邏はちょうど終わるところだった。部屋に戻って休めると思った矢先のことだ。

 

 疲れていたが、もしも召集に遅れたらどんな扱いをされるか分かったものじゃない。長官は人前で手下をなぶるのが趣味と言ってもいいほどだ。退屈なわりに疲弊感の大きい仕事を割り当てられている三等警官たちは、みな同じような顔で集まっていた。

 

「よぉーし、揃ったな?」

 長官はねぎらいの言葉もなく、警官たちを威圧するように睨めつけてから話し始めた。

 

「お前らの中で、パシリに行きたいやつはいるか?」

 ざわめきが広がった。パシリとは、地下街の警邏ではなく、新宿の外での任務のことだ。

 

(悪魔がうろついてる外に自分から行きたいやつなんて、いるわけがない)

 マッシュはいぶかしんだ。危険なことをさせるつもりだろう。だから、一等警官がいないのだ。一等警官は長官のお気に入りだ。

 

「いいか、お前たちに重大な任務を与えてやる。お前たちには過ぎた使命だが、私の温情により……」

 

「もういい。私が話す」

 長官の口上をさえぎって、低い男の声がした。

 ざわめきが、いっそう大きくなった。濃紺のスーツを着た男が、警察本部の奥から現れた。見たこともない上等な生地はつやが浮かんでいる。貴重な化学繊維はまぶしく感じられるほどだった。

 現れた男は、老人といっていい年齢だ。だが眼光は鋭く、背筋はまっすぐ。矍鑠(かくしゃく)たる姿だ。

 

(オザワ……!)

 新宿の住民なら、誰でもこの男を知っている。悪魔と契約を交わし、新宿を悪魔のいない街にした男。新宿の王だ。

 

(なぜ、こんなところに……いや、それより)

 この召集は、オザワが長官に命じたものに違いない。となれば、「パシリ」も、オザワのための指令に違いない。

 

(チャンスだ。オザワに取り入ることができれば……!)

 はやる気持ちをおさえて、オザワの一挙手一投足に注目する。意図をただしく理解しなければ。新宿の王に気に入られることはできない。

 

「メシア教の聖女を知ってるか?」

 オザワは静かに、だが断固とした調子が話し始めた。問いかけてはいるが、疑問を挟ませるつもりなどまるでない。怜悧な眼光が、暴力沙汰には慣れているはずの警官達をおびえさせていた。

 

救世主(メシア)に次ぐ存在として、連中が担ぎ出した女だ。傷や病気をたちどころに癒やす力を持っているらしい。まァ、メシア教が『特別な力』を持ったやつを集めてるってのは公然の秘密だ。おおかた、いつまで経っても現れない救世主の代わりに、信者に言うことを聞かせるお飾りとしてそういう名前を与えたというところか」

 

 聖女の噂は、マッシュも聞いたことがある。アクター神父の説法につきあわされた時に、その名が出たのだ。

 

「たしか、(サン)プリンシパリティって……」

「おい、オザワ様の話に口をはさむな!」

 思わずつぶやいた言葉を、長官がとがめる。だが、オザワが長官をにらみつけて制した。

 

「そのプリンシパリティ様とやらは、いま渋谷にいる。そして、この新宿を訪問することになっている」

 

「勘弁してくれ……」

 誰かが声を漏らした。反射的にそう思うのも無理はない。メシア教の重要人物が新宿を訪れれば、ガイア教との緊張が高まる。治安を守らなければならない私設警察官にとっては、騒動の種だ。

 

「その聖女の訪問を、私設警察が迎える」

 オザワが顎をしゃくると、長官が地図を広げた。舎弟根性がしみついた長官ではなく、その地図に注目する……まだ文明が残っていたころの、市街道路地図だ。

 密集した建物群と、その間をうねる道路群。その中の、「新宿」と「渋谷」がマルで囲まれ、その中間にバツが打たれている。

 

「神宮前、か……もう誰も、そんな呼び方はしないな」

 不意に、オザワがぽつりと漏らした。今までの厳粛な声とは違って、どこか寂しげにも思える声音だった。

 だが、新宿の王はすぐに首を振った。地図から顔を上げた時、眼光には元の鋭さが戻っている。

 

「お前達のうち何人かがこの地点へ向かい、聖女を無事にこの警察本部まで連れてこい。アシは用意してある。今から1時間後に出発だ」

 断固とした口調で、オザワが告げた。

 

「あの……メシア教の聖女なら、メシア教徒が護衛するのが自然では?」

 警官の誰かが言った。その声には「やりたくない」という本音がにじんでいるが、マッシュも同じことを疑問に思っていた。

 

「そうだ。メシア教徒が彼女を連れてくる予定になっている」

「え?」

「だが、外界には悪魔がうろついている。聖女を護送するテンプルナイトたちが、悪魔に襲われて全滅する()()()()()()

 オザワの声は、その言葉の内容とは裏腹に、確固とした響きをともなっている。

 

「そこに、周辺の警らをしていた新宿警察が()()()()()()、聖女を守り抜いたとなれば、むしろメシア教に恩を売ることができる」

「それは、つまり……誰も見ていないところで、メシア教の護衛を始末しろということですか?」

 警官がごくりと喉を鳴らした。

 

「滅多なことを言うな。メシア教より先に聖女たちと合流すればいい。教会の代わりに護衛することになったとでも言ってここに連れてこい。とにかくプリンシパリティを確保すれば、後のことは私がどうとでもする。教会より先にポイントに着くんだ」

 

(それで、1時間後、か……)

 早急すぎると思ったが、おそらく、オザワも聖女の来訪を知らされていなかったのだろう。メシア教会の考えは分からないが、新宿の王は教会のVIPがナワバリを訪れるこの機会を利用することにしたのだ。

 

()()()()警官隊が聖女を保護し、新宿へ無事に連れてきた……と言い張って、優位に立つ気か。そうやって自分のほうが有利な状況を無理やり作りつづけて、今の地位にいるんだ、この男は)

 だったら、自分も利用してやる。

 周囲の警官たちのざわつきが収まる前に、マッシュは手を挙げた。

 

「やります。やらせてください」

「ほぉ」

 オザワの怜悧な眼光が、マッシュに向けられた。その視線が、腕のハンドヘルドコンピュータに留まる。

 

「テクラの弟子だな。たしか、名前は――」

「マッシュです」

「親がつけた名前とは思えないな。みなしごか」

 小さくうなずく。オザワやテクラのような「名字」を持たないことはマッシュにとっては劣等感(コンプレックス)だが、そんな子どもは珍しくない。今や、誰が自分の親かを知っている人間は恵まれている。

 

「いいだろう。1時間で準備しろ。長官、他に何人か見繕っておけ」

 そう言い残して、オザワは扉の奥へと去って行った。

 

「チッ……」

 長官はマッシュに敵意の舌打ちを向ける。だが、オザワが決めたことに逆らうような根性はない。

 

「1時間後に東口に集合しろ。準備を怠るな!」

 

 

▷▷

 

 

 マッシュは自分の部屋へと取って返した。

「地下街の外に出る……」

 悪魔が跳梁跋扈する世界。恐れはあった。だが、同時にどこか喜びを覚えている自分を感じていた。

 

 オザワに取り入って権力を得られるから……だけではない。今まで一歩も出たことがない地下の世界から、『ここではない場所』へ踏み出すことに対して、希望のようなものを感じていた。

 

(警邏用の装備じゃ足りない。たしか、ここにあったはず……)

 荷物置き場になっている片隅をひっくり返して、使えそうなものを引っ張り出して、重装備を整えていく。

 

 サバイバーベストから、ケブラーベストへ。

 ヘッドギアから、フリッツヘルムへ。

 レザーグラブから、リベットナックルへ。

 コンバットブーツから、ライダーブーツへ。

 

 いずれも新宿地下街では高値で取引されている。いつか、こんな時のために用意しておいたのだ。長官に目をつけられないように、少しずつ。その努力も、あまり意味はなかったが。

 

(あとは、武器だけど……)

 狭い部屋を探してみても、使えそうなものは出てこなかった。警察官に与えられる警棒を使うしかない。

 

「これだけじゃ、ダメだ。こうなったら……」

 つぶやいて、振り返った。

 南京錠のかけられた木箱。厳重に鍵をかけられたその箱に手を伸ばそうとしたとき――

 

「それ、何が入ってるの?」

 背後から声をかけられて、どきりとした。

 もういちど、振り返る――つぎはぎだらけのパーカーを着た少女と目が合った。

 

「……ミクミク、また勝手に……」

「カギはかかってなかったよ。それより……教えてよ。何が入ってるの?」

 視線は木箱に向けられている。

 

「ミクミクに教えたくない。出ていってくれ」

「どうして? なんで私には教えたくないの?」

「なんでもいいだろ」

「マッシュ、なんかヘンだよ。うわついてるみたい」

 

「任務で、新宿の外に出る」

 途端に、少女の顔が青くなった。

 

「うそ。なんで、そんなこと」

「オザワに近づいて、DJを釈放するために必要なんだ。あと30分で東口に行かなきゃいけない」

「どうして、そんな急に」

 ミクミクがショックを受けたのは明らかだ。お団子頭を左右に振って、マッシュにすがりついてくる。

 

「やめようよ。DJのことは心配だけど、マッシュが命をかけることない。地道にやってれば、誰かが見てくれるって和尚様も言ってた。だから……」

「チャンスを棒に振るわけにはいかない」

 ミクミクの肩に手をやって、引き剥がす。いつからか意識しなくなっていたが、自分に比べてずっと細い肩だと思った。

 

 5年前には、大した違いなんてなかったのに。

 

「ダメ、そんなの。マッシュがいなくなったら、あたし一人になっちゃうんだよ」

 非難するような目で見られると、ずきりと心が痛んだ。時間がない。彼女にかんしゃくを起こされて、手間取るわけにはいかなかった。

 

(ミクミクに会えるのも、最後になるかもしれない)

 これから『外』へ出るのだ。悪魔たちの世界へ。そう思うと、途端に気弱になった。隠し立てをしていることが、彼女のためにもならない、という思いがわき上がってきたのだ。

 

「銃だ」

「えっ?」

 急な言葉に不意を打たれて、ミクミクがまばたきをする。

 

「この箱の中にはテクラを撃った銃が入ってる。あのときの銃だ」

「それって……」

 ミクミクの顔は、青を通り越して白くなっていた。

 

(フラッシュバックだ……思い出させないようにしてたのに)

 箱の中の、ずっしりと重いもの……その引き金が引かれたとき、ミクミクがどんな目に遭っていたか、マッシュは知っている。

 背中を撃たれたテクラは、彼女に覆いかぶさって死んだ。テクラが死んだとき、ミクミクは最も近い場所にいたのだ。最悪の形で。

 

「ご、ごめん、あたし……」

「ち、ちがう。今のは……」

「わかってる、隠してくれてたのに。あたしが余計なこと、聞いたから……」

 ミクミクの片目が引き攣っている。その目から(ボウ)とこぼれた涙が頬を伝い落ちていった。

 

「ごめん、ごめんね、マッシュ。あたし、もう……行くから」

 ふらついた足取りで、ミクミクが立ち止まる。

 

「待て、ミクミク……」

 追いかけて止めようか、迷った。

 追いかけないことに決めたのではない。迷っているうちに、ミクミクはもういなくなってきた。迷うことしかできなかった。

 

 銃を封印したのは、ミクミクのためだった。彼女が『その時のこと』を思い出さないように。

 

(なのに、思い出させるようなことを言うなんて……)

 後悔で胸が押しつぶされそうだ。少しの時間を惜しんで、彼女の気持ちを無視するなんて。

 

「くそ……時間がない」

 マッシュは、任務にすがった。後悔の念で足が動かなくなる前に、自分に課せられた使命を果たさなければと思い込むことにした。

 

「戻ってきたら、お詫びをするから……」

 そのためにも、任務を果たさなければならない。

 誰よりも自分自身に言い聞かせて、マッシュは木箱を元の位置に戻した。

 

(これに頼るわけにはいかない。……平気だ、他の警官もいる)

 行って、戻ってくるだけ。簡単な仕事だ。

 

「聖女を連れて帰ってくるだけだ。きっと、そうすればうまくいくんだ。何もかも」

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