真・女神転生▷《プレイ》世界が終わるまでは…   作:五十貝ボタン

4 / 17
1-03_東京は夜の七時

 新宿地下街から地上へ通じる出入口は、東西に一つずつ。

 オザワが新宿をナワバリとして選んだ理由のひとつは、この閉鎖性ゆえだろう。

 たった二つの入り口を見張れば、外から悪魔が入ってくることはない。もちろん、住民が外に逃げ出すことも防げる。数少ない来訪者が新宿に入るためには警察官たちに頭を下げねばならず、外に出るためにはオザワの機嫌をうかがう必要がある。東京を支配する二大勢力、メシア教やガイア教であってもだ。

 

 地下街と外界を隔てる出入り口への階段をのぼっていく。それが許されたことさえ、マッシュにとっては初めてだった。

 階段の頂上には、2人の警官が並んでいた。マッシュと同じ三等警官だ。思い思いに武装していた。三等警官が手に入れることができる装備などたかが知れている。マッシュ自身も同様だ。

 彼らはエントランスのスペースに並んでいた。防火扉は開かれていたが、その奥には進みにくいらしい。気まずそうにただ立っている。

 

「何かあったのか?」

 マッシュが問いかけると、警官達は気まずそうにエントランスを示した。普段は設置されているバリケードがどけられて、見なれないものが鎮座していた。

 見なれない、といっても、マッシュはそれが何かを知っていた。白く塗られていたであろうボディは剥げてサビが浮かんでいる。車輪の溝は長年の使用で削られて浅くなっていた。

 

「セダンだ」

「カローラだ」

「どっちだよ」

 どちらも正しい。白い自家用車がそこに収まっていた。

 

「もう時間だろ。早く出発しないと……」

「シーッ。見ろよ、あれ」

 警官のひとりが運転席を指さした。そこにも、ひとり男がいた。片手をハンドルにかけたまま、シートに体を預けて寝息を立てている。腕章からすると、一等警官だ。

 

「一等だぞ。声をかけられるわけないだろ」

「でも、あの人がオザワ……様の命令を受けてるんだろ」

 三等警官だけで任務を遂行できるわけがない。現場で指揮を執る役目が一等警官に与えられているはずだ。

 

(指揮官が集合時間に寝こけてるんじゃ、どうしようもないな)

 一等警官といっても、しょせんはオザワの言いなりになっている飼い犬だ。萎縮している同僚達のなかから進み出て、運転席の窓ガラスをノックした。

 

「んが……」

 運転席の男がイビキを途切れさせて目を開けた。初老にさしかかる程度の年かさだ。年齢でいえば、マッシュらよりもオザワや長官に近いだろう。

 

「いつの間にか寝てたか。お前たちが遅いからだぞ。はやく乗れ」

「乗れって……これで行くのか?」

 一等警官はダッシュボードに置いてあった帽子を取って、自分の頭に被せた。テンガロンハットというやつだ。

 

「今頃、メシア教徒の門弟(ネオファイト)たちが西門から出発してる。俺たちはこいつで先回りして聖女様のいるポイントに行く。で、メシア教徒が着く前に聖女様を連れてここに戻ってくる。わかったか?」

 マッシュは頷いて、ドアグリップに手をかけた。

 

「全員乗ったらすぐに出発するぜ。俺は新宿イチのドライバーだ。ま、今どき車の運転なんかできるやつは他にいないんだが。本当はこんなファミリーカーじゃなくて、もっとパワーがあるやつがいいよな。フォードとか、シボレーとか……」

「全員乗り終わった」

 マッシュは、運転席のすぐ後ろにりこんだ。残りの二人も、助手席と後部座席に乗り込む。プロテクターをつけた男がふたり乗っているとはいえ、後部座席の中央にはまだひとりぶんのスペースがある。

 

「チッ……若い奴にアメ車なんて分かるわけないか。まあいい。行くぞ」

 一等警官がハンドルの下に手を伸ばし、何かを操作するのがわかった。車体がぶるんと震えだす。

「うおお……?」

 地下街で生まれ育った若い警官達にとっては、エンジンの駆動音は衝撃だ。体の下で何かが震えている妙な感覚に、マッシュは唇を引き結んだ。

 

「エンジンが動いてるだけだ。おとなしく座っていろ、行くぞ」

 カローラは滑り出すように走り出した。傷だらけの道路は、かろうじてかつてのなごりを残していた。

 

 

 ▷▷

 

 

 東口の出入り口にともされていたライトを遙か後方に残して、車は走り出した。

 マッシュは見るとはなしに窓の外を見ていた。はじめての地上だ。

 

「天井がない」

 頭上。車の薄いルーフの上には、何もなかった。マッシュが知る限り、頭の上には常に天井があった。だというのに、地上ではそれがない。青いような、赤いような、なんとも言えない色彩が、ただ広がっている。

 

「空だ。見るのは初めてか?」

 一等警官の操作で、ヘッドランプがついた。道はところどころに穴が空き、石や瓦礫が転がっている。器用にそれらを避けて、アスファルトの上を走って行く。

 

「俺は車もはじめてだ。すげえ、こんなに速く……」

 三等警官たちはあっけにとられていた。建物だったらしい残骸が、前方に現れては後方に消えていく。駆動音が腹の下で絶え間なしに響いている。

 

「酔うやつもいるから、窓を開けてろ。絶対に外に顔を出すなよ。破片がぶつかる」

 年かさの男は、上機嫌だった。若い連中が驚いているのを見て、まるでその光景が自分のものであるかのように自慢げに言う。

 

「30分はかかる。昔なら半分の時間で行けたんだが、今じゃ道がボロボロだからな……空を見てるといいぞ。だんだん色が変わってくる」

「色? どうして?」

 マッシュが問いかけると、男は運転席に寄りかからせている肩をすくめた。

 

「今は日没してすぐ。黄昏時だ。これから夜になる。昔は黄昏時に悪魔が出るなんて言ったものだが、今じゃ時間は関係ない」

 ハッとして、マッシュは身を固くした。

(そうだ、地上には悪魔がいるんだった)

 だが、走る車からそれらしき姿は見えない。

 

「わざわざ走ってる車に襲いかかってくる悪魔はいないよ。あいつらもバカじゃない、襲ってくるのは、自分より弱いと判断したときだけだ)

「悪魔より弱いと思われたら、襲われるってことか」

 助手席の警官が嫌悪感もあらわに漏らした。

 

「そういうこった。暗くなると悪魔が増える。さっさと終わらせるぞ」

 一等警官が告げたころ、車が右に曲がった。マッシュからすると、まるで地上の広大な風景が、自分たちを中心にぐるっと回ったように見えた。くらくらしそうになって、シートに深く座り直す。

 

「昔、ここは外縁西通りって呼ばれてた。道にも名前があったんだ。右に新宿御苑。もうすぐ首都高の下をくぐる。そしたら国立競技場だ。懐かしいなあ、俺、ヴェルディのサポーターだったんだ」

「悪いけど、何を言ってるのかわからない」

「そうだよな。お前達にわかるわけない……」

 男が寂しげにつぶやいた。

 

 残骸の合間を縫うように走る車が、やがて陸橋の下をくぐり抜けた。

 

「今のが首都高だ」

 一等警官がつぶやくように言った。マッシュには、どこに『国立競技場』があったのかは分からなかった。

 

 車内に重い沈黙が立ちこめる。

「俺はツイてるよ。こんな世界で、まだ車に乗れるなんて。オザワには感謝してる。昔からアイツの運転手させられて、大変だったけどな」

 乾いた笑い声。誰も返事をしなかった。

 

 男の言葉に嘘はないらしい。車内が静かになると、その口から歌が漏れ出した。

 

Nobody gonna take my car

I'm gonna race it to the ground

Nobody gonna beat my car

It's gonna break the speed of sound

 

 調子外れで音程は無茶苦茶だったが、一等警官は楽しそうだった。

 

「俺も歌が好きだ」

 思わず、言葉がマッシュの口をついて出た。

「でも、知らない曲だ」

「洋楽だよ。知ってるわけがない」

「音楽があった時代を知ってるあんたがうらやましい」

「そうだろうな。ギターが最高なんだよ、ブラックモアの速弾きは伝説だった」

 

 彼が何を言ってるのかは分からなかったが、なぜかマッシュは嬉しくなった。はじめて話が通じた気がした。

 

「俺、マッシュって呼ばれてる。アンタは?」

「クロダ」

 クロダは車体をもう一度右折させた。建ち並ぶ廃墟の中を進む。時おり、どこかで何かが闇の中を這うような音がした。空はクロダの言葉の通り、深い藍色に変わっている。

 

「もうすぐ到着だ。武器を用意しておけ」

 

 

 ▷▷

 

 

「ここは昔、学校だった。小学校って言ってな。お前らよりもっとガキが集められてたんだ」

 クロダが車を止めた。サイドブレーキを引く。エンジンを止めると、腹の下に感じていた震動が収まった。

 

「あんた、昔話ばっかりだな」

 警官のひとりが軽口を叩く。

「お前もジジイになれば昔話ばかりするようになる」

 クロダがドアを開けて車を降りる。身振りで、全員に降りるように示した。

 

「聖女様はどこにいるんだ?」

「このあたりに隠れてるはずだ。任せろ、合言葉を聞き出してる」

 メシア教の暗号だろうに、どうやってオザワがその情報を手に入れたのか……興味はあったが、聞いている余裕はなかった。

 

「マッシュ、トランクに聖女様への贈り物がある。そいつが必要になる。取り出してくれ。残りは俺についてこい」

 クロダはそう言って、懐中電灯を懐から取り出した。ボロボロの塀の隙間を通って、『小学校』の敷地……もはや誰のものでもない場所に入っていく。その空間を校庭と呼ぶことも、マッシュは知らない。

 

 車を降りると、余計に周囲の広さを感じた。地下では視界がきくのはせいぜい数十メートルくらいだ。なのに、ここからは遙か彼方の廃墟が見えた。

 

(逆さまに落ちていきそうだ……)

 上を見ると、何もない空間が無限に広がっている。黒いのとは違う。真っ暗だ。その中に、ぽつぽつと見なれない色の光があった。

 夜が来て、星が見える。知識としては知っていたが、自分の目で見ると、それはとても異様な光景に感じられた。上下のどちらにも床と天井があるのが当たり前だったのに、今や片方にしかそれがない。左右さえ見失いそうだった。

 

「早くしろ、マッシュ!」

 クロダたちはすでに校庭の中ほどまで進んでいる。ようやく命令を思い出して、マッシュは車の後ろに回った。細い懐中電灯を口にくわえて、手探りでカチリとスイッチを押し込んで、トランクを開けると……

 

「あっ」

 車の中から覗く、大きな目が見えた。紫がかった、夜の色と同じ色の瞳。

「……!?」

 ぎょっとして、思わずのけぞる。トランクの中に人が入っていたのだ。

 

「しーっ、マッシュ、静かに……!」

 しかも、見覚えがあった。黒いお団子頭につぎはぎだらけのパーカー。懐中電灯をあてると、「ぎゃっ」と声をあげて縮こまる。

 

「ミクミク! 何してるんだ、お前……!」

「だって、マッシュのことが心配で! 東口に行くっていうからせめて見送ろうと思ったんだけど、この車があったから……ついて行ってあげようと……」

「お前がいても何の役にも立たないだろ。どうするつもりだったんだよ」

「それはー……何かできるかもしれないし……」

 

 クロダがいたはずの車の中にどうやって乗り込んだのか、問いただそうとしたが……

 

「マッシュ、まだか?」

 校庭から声がかかる。ここで騒いでミクミクが見つかったら、自分の立場が危ない。

「いま行きます! ……ミクミク、先に何か入ってなかったか?」

 声を潜めて、トランクの中をのぞき込む。ミクミクは細い体をねじるようにして、ナカを探った。

 

「これでしょ? ちゃんとつぶさないようにしてたんだから」

 そう言って取り出したのは、紙袋だ。タータンチェックの柄。小さく、「ISETAN」と書かれている。紙袋なんて、今では目にすることは少ない。

 

「これが贈り物か? 宝石かマッカだと思ったのに」

「何が入ってるの?」

「わかんないけど、軽いな」

 

 紙袋の底には、白い紙箱が入っている。さすがに、その中まで見るのはまずいだろう。

 

「ミクミク、帰ったらなんとかして見つからないように出してやるから、おとなしくしてろよ」

「待って、このなか息苦しいし油のにおいがすごくて。もうちょっとだけ……」

「頭を下げてろ」

 

 バタン。

 ミクミクを押さえ込むようにして、再びトランクを閉める。

 

「まったく、気苦労を増やすなよな……」

 ふと上を見ると、ひときわ大きな星が空に浮かんでいることに気づいた。それが「月」と呼ばれていることを思い出すには時間がかかった。

 半月(HALF MOON)に見下ろされながら、マッシュは校庭で待つクロダたちのもとへと駆けていった。

 

 

 ▷▷

 

 

「よし。メシア教徒が追いつく前に(サン)プリンシパリティを回収する」

 マッシュが紙袋を持ってきたのを確かめて、クロダは言った。

「あっちはメシア教会が迎えに来ると思ってるだろうから、警戒されるかもしれない。ダダを捏ねられないように、そいつを使う」

 確認するように言ってから、クロダは顔を上げた。

 

「もう向こうは俺たちに気づいているはずだ。まずは合言葉だな……」

 クロダは校舎の方へ懐中電灯を振りながら声をあげた。

「『沖へこぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』」

 しんとした夜に、しゃがれた声が吸い込まれていく。

 

「どういう意味だ?」

「さあ……メシア教の暗号だろ」

 警官達がつぶやいているうちに、校舎の窓から人の姿が見えた。白装束のところどころに、メシア教の聖なるマークが描かれている。全員が女性だ。

 

「あなた方は? メシア教会のネオファイトではないのですか?」

 旗を掲げた女が言った。アクター神父と同じメイガスだろう。白い頭巾(ウィンプル)をかぶっている。

 

(この人が聖女か?)

 彼女だけが、顔が見えるタイプの頭巾だ。他の信者たちは顔まで頭巾で覆っている。薄布で、内側からは外が見えるのだろうが、外から顔を見ることはできなかった。

 

 落ち着いた声には存在感がある。他者を癒やす力がある、という噂も嘘では無さそうな説得力があった。

 

「新宿の私設警察です。我々には車があるので、メシア教会よりも速く、安全にプリンシパリティ様をお連れすることができるので、代わりに来ました」

 メシア教徒たちがざわつくのが分かった。話が本当かどうか、ひそひそ声で話し合っている。

 

「オザワから聖女様へ贈り物があります。……マッシュ」

「はい」

 その前に進み出ていく。紙袋を胸の高さに差し出すと、メイガスがそれを受けとった。

「これは……」

 そして、信者たちの前で袋から紙箱を取り出す。さらにそのフタを開けると……

 

「わぁっ!」

 と、教徒のひとりが高い声をあげた。

()()()! 嘘でしょ、食べてみたかったの!」

 そして、あっと思う間もなく自分の頭巾を脱ぎ去った。

 長い髪が月明かりに輝いた。その色は、不思議なことに金と黒が入りまじった二色(ツートンカラー)になっている。金髪と黒髪が、同じ人間の頭から伸びているのだ。

 

 二色髪の女は紙箱の中から白いものを取り出して、ぱっと口の中に放り込んだ。細面の頬がぷくっと膨らむほどにほおばっている。そうしていると、彼女はマッシュとさほど変わらない少女だと分かった。夢中で口を動かしている様子は、もっと幼く見えるほどだ。

 

「むぐ……あむ。甘い……美味しい……!」

 じーんと涙を目にうかべながら、彼女はさらに紙箱の中のお菓子を取り上げる。まだ口の中に残っているだろうに、さらに詰め込んでいく。

 

「それは聖女に……」

「お静かに」

 ぴしゃりと、メイガスが言い放った。

 

(サン)プリンシパリティがお食事中です」

 

「えっ……」

 マッシュは思わず絶句した。ということは、ほっぺたを膨らませて大福をほおばっているこの少女こそが、メシア教が崇める聖女……ということらしい。

 

「何よ、そんな顔しなくてもいいでしょ」

 口の周りに白い粉をつけながら、少女――プリンシパリティ。

「私だって分かってますよ、お菓子なんて贅沢品だって。みんな我慢してるのに、ひとりで食べて意地汚いと思ってるんでしょ」

 

「いや……」

 まさか年端もいかない少女がメシア教の重大人物だと思っていなかっただけなのだが、彼女の口ぶりからするとかなり負い目を感じているらしい。

「でも、好きなものは仕方ないでしょ。我慢できないの。ただでさえいつも教会で我慢してるのに――」

 

「プリンシパリティ様」

 メイガスが言葉をさえぎった。はたと口を押さえて、少女がコクコクと頷く。豊かなツートン髪がさらさらと揺れた。

 

「話は分かりました。教会から信任を受けているのですね?」

「あ……ああ。アクター神父から」

 プリンシパリティは口調と声音を変えて聖女らしく振る舞おうとしているようだが、口元には大福の粉がついたままだ。これで威厳を感じろというほうが難しい。

 

「シスターバーバラ、この人たちを信じることにします」

「……わかりました」

 メイガスはもの言いたげだったが、聖女の言葉に従うことにしたようだ。静かに頷いてプリンシパリティの後ろへと下がる。

 

「私がプリンシパリティです。新宿までの案内をお願いします」

(ちょろいな)

 オザワやクロダの警戒ぶりからして、もっと話がこじれると思っていた。だが、聖女は豆大福を食べただけであっさり承服したようだ。

 

 もちろん、彼女の言うとおり大福は高級品だ……マッシュのような三等警官では甘い物を口にする機会すらない。だが、何日も食いつなげるほどの量ならともかく、一食分にも満たない食物で言うことを聞いてくれるのなら、安いように思えた。

 

「それじゃあ、善は急げだ。マッシュ、聖女様を車に案内しろ」

「はい」

 短く返事をして、マッシュは歩き出した。そのすぐ後ろに、プリンシパリティが続く。

 

「ねえ、その腕につけてるのって……」

 校庭を横切る間に、少女がマッシュに声をかける。

「アームターミナルか? こいつで悪魔召喚はできないよ、安心してくれ」

「そうじゃなくて、その……ええと」

 プリンシパリティが言葉に詰まる。何かを思い出そうとしているのか、表現が思いつかないのか……曖昧な様子だ。

 

「言いたいことがあるなら、はっきり……」

 振り返った時。ふと、違和感に気づいた。

 

 そびえ立つ校舎は、夜空の星々を遮って四角いシルエットを残している。その屋根の上に月が昇り……月の前に、()()がいた。

 巨体。月の前に立つ()()は、獣にまたがっていた。その獣が馬、と呼ばれるものであることを、マッシュは知らなかった。

 馬の背に乗った()()は鎧を着ていた。そして、長い槍を構えている。月明かりを反射して、その槍の穂先がぎらりと赤く輝いた。

 

「ここまでどうも。あとは任せてくれ」

「握手などしませんよ」

 校庭にいる警官と信者たちは、その姿に気づいていないようだった。クロダがにこやかにさしだした手を意に介さず、シスターバーバラと呼ばれていたメイガスが首を振っている。

 

「思い出した! それって、ウォークマ……」

「みんな、上を見ろ!」

 何かを言いかけたプリンシパリティをさえぎって、マッシュは叫んだ。

 指さした方向に、一同の視線が集まる。だが、その時には屋根の上にあったはずの姿はなくなっていた。

 

「おいマッシュ、大きな声を出すなよ。このあたりにも悪魔がいるんだ」

「いや、でも、たしかに……」

 見間違いだったのか? 思わずマッシュが目を擦ったとき……

 

 ドッ、と重いものが落ちる音がした。同時に、赤い槍がクロダの胸を貫いて地面に縫い止めた。

 

「えっ……」

 ごぼ、とクロダの口から赤いものが亜振り出した。びちゃびちゃと地面へ飛び散る飛沫。槍を伝って、さらに大量の血がクロダの胸から飛び散っていく。

 

「うわあああっ!」

 とつぜんの出来事に、警官が悲鳴を上げた。その眼前に、悪魔が飛び降りてきた。

 

「……」

 甲冑の中で、悪魔の瞳が燃えるように赤く浮かび上がる。真っ赤な馬の背にまたがった悪魔がクロダの体に突き刺さった槍を無造作に引き抜いた。馬の蹄が振り下ろされて、クロダの頭を押さえ込む。熟した果実を床に落としたかのように、男の頭が砕け散った。

 

「嘘だろ……」

 クロダが死んだ。

 マッシュが呆然としている間にも、悪魔は馬上で槍を振るう。マッシュと共にやってきた警官の首が鋭い刃で切り飛ばされ、てんてんと跳ねた。かつてこの校庭に転がっていたサッカーボールと同じように。

 

「おのれ、悪魔め……!」

 メイガスがもっとも速く反応した。旗を振り上げると、その先端から電撃が放たれた。

「……!」

 悪魔は体を仰け反らせたが、それもわずかな時間だった。メイガスに向けて手を差し出すと、その掌から赤い炎がほとばしる。逆巻く炎が白い衣を巻き込んで爆ぜる。

 

「シスターバーバラ!」

 身をすくませていたプリンシパリティが叫ぶ。炎に体を包まれたメイガスの体が、ゆっくりと崩れ落ちていく。

 

《我はベリス……》

「……えっ?」

 ごく小さな声が聞こえた。その声が、赤い馬に跨がった悪魔のものだと、なぜかわかった……だが、悪魔から聞こえてきたのではない。

 声の出所を確かめるよりも速く、悪魔が跨がる馬が棹立ちになって、高くいなないた。槍が次々にふるわれる。そのたび、信者たちの死体がひとつ増えていった。

 

「みんな……!」

 プリンシパリティが駆け出そうとする。だが、その腕を摑んでマッシュが引き留めた。

「やめろ、あの悪魔は俺たちより強いから襲ってきたんだ。勝てっこない!」

「でも、みんなが。離して!」

「ダメだ! 逃げないと!」

 

(プリンシパリティを新宿へ連れ戻さないと。オザワに取り入る唯一の手段だ。いや、それより――死にたくない!)

 混乱した頭の中で、マッシュは叫んでいた。地下街にいたころに感じたことのない恐怖で、足がすくむ。だが、プリンシパリティをつかんだ手を離すわけにはいかない。ひとりで逃げ戻っても、また元の生活に戻るだけだ。彼女を連れて帰らないと。

 

「こっちへ来るんだ!」

 強引に、少女の腕を引っ張る。自動車のほうへ。抵抗するプリンシパリティだが、力は強くない。悪魔が信者たちを槍で次々に屠っている間に、少しずつ近づいていく。

 

「こんなのイヤ、みんなを助けないと……!」

 プリンシパリティが叫ぶ。マッシュは引き剥がそうとする彼女を抱えるように、強引に引っ張っていく。

「声をあげるな、悪魔の気を引くつもりか!」

「自分だけ助かるつもりなの? あなたの仲間も殺されてるのよ!」

「全滅するよりマシだ!」

 

 ようやく、車に辿りついた。聖女を強引に車内に押し込めて、運転席に飛び込む。

「待ってくれ! 俺も……俺も助けて……」

 もうひとり、共にやってきた警官の残りが車へ向かって駆け寄ってくる。

「速くしろ!」

 マッシュも叫び返す。他人に構っている余裕などなかったが、見殺しにするほど冷酷にもなれなかった。

 

 三等警官は足がもつれて転びかけ、四つん這いになりながら車へと駆け寄ってくる。だが、赤い影がその背中に追いついたかと思うと、

 ――ドスッ。

 悪魔の膂力で背中から槍が突き立てられた。

 

「げ……」

 声にならない声をあげながら、警官は崩れ落ちた。

 

「いやぁっ!」

 プリンシパリティが叫ぶ。マッシュは必死になってハンドルに手をかけ――

 

(――どうやって動かすんだ?)

 その時になってはじめて、クロダがエンジンをかけるところを自分が見ていないことを思いだした。

(たしか、このあたりで何かをいじっていた。くそ、何をどうしたんだ?)

 ハンドルの下を探る。凹凸のひとつひとつを確かめる。だが、スイッチらしきものに触っても、エンジンがかかるどころか何の反応も返ってこない。

 

 生まれてからこの日まで、地下で暮らしてきた少年には知る由もなかった。自動車を動かすために鍵が必要になることなど。思い当たるはずもない。実物の自動車を見るのさえ、はじめてだったのだ。

 

(ムリだ。俺じゃ動かせない……どうする? こうなったら、俺ひとりで逃げるか……いや、ダメだ。いま逃げ出しても、新宿に帰りつくまでに他の悪魔に襲われる。こうなったら……)

 

「頭を下げろ。声を出すな。……悪魔が俺たちに興味を失うかもしれない……」

 後部座席の少女にそう声をかけて……頭を押さえて、助手席の上に上半身を丸め込んだ。自分でも情けないと思ったが、それしか思いつかなかった。

 

『車に襲いかかってくる悪魔はいないよ』

 クロダが言ったことだけが頼りだった。自動車には悪魔が嫌がる何かがあって、襲いかかってこないのかもしれない。無知な少年はおぼろげな記憶にすがりついていた。

 

「そんなこと……っ!」

 後部座席の少女は非難しようとしたらしい。だが、何を思ったのか、すぐに口を閉じた。

 

 突如、沈黙が訪れた。コツ、コツ……悪魔が立てる蹄の音が、少しずつ近づいてくる。

 叫びたかった。恐怖のままに声をあげたかった。心臓の音が悪魔に聞こえてしまうんじゃないかと思った。声をあげなかったのは、少女がまだ叫んでないから。それ以外に理由はなかった。

 

 コツ……。

 悪魔の足音が止まった。車のすぐ近くだった。空気がよどむような嫌な気配が、ドアを挟んですぐそばに感じられた。

 

 そのとき……

 

「悪魔がいるぞ!」

「プリンシパリティ様に何かあったのか!」

 別の方向から声があがった。複数人の声だ。

 

(メシア教のネオファイトか……!)

 本当なら、追いつかれたくなかったはずの相手だ。だが、このときばかりは、本当に神が助けを送ってくれたと思った。

 

《もっと……血を捧げろ!》

 今度は、もっと近くから聞こえた。同時に、悪魔が声がした方に駆けだしていくのが分かった。

 

「ぎゃああああっ!」

「ひるむな! 戦え!」

「メシアの名の下に!」

 勇ましい掛け声が上がる。だが、その声もすぐに聞こえなくなった。

 

 沈黙。音のない時間が流れる。

 何も聞こえない。真っ暗な夜の下で、マッシュは何もできずに震えていた。

 

 ドンッ。

「ッ……!」

 物音がして、心臓が跳ね上がった。硬直して伏せていたせいで、腰に痛みを感じた。

 

「マッシュ? いるの? ねえ、何かあったの? さっき、すごい声がしてたけど……」

 トランクから、ミクミクの聞き慣れた声がした。

(いなくなった……のか……?)

 恐る恐る、顔を上げる。窓の外には黒々とした闇が広がって……そして、悪魔の気配はすでに消え去っていた。

 

「助かった……」

 思わず、喉から声が漏れた。

 

 

▷▷

 

 

 脱力する体をなんとか起こして、車から這い出る。

 力が入らないが、精神力だけで車の背部(リア)にまわり、トランクを開けた。

 

「あっ、マッシュ! よかった、ねえ、何かあったの? 暗くて怖かったんだから。ねえ、誰か叫んでたでしょ?」

 ずっとトランクの中にいたミクミクは状況を把握していないようだ。緊迫した状況と落差のある脳天気な声。その場に崩れ落ちてしまいそうだった。

 

「自動車で戻るのは無理だ。歩いて帰るぞ」

「誰か……いるの?」

 後部座席から、プリンシパリティのツートンの髪が見えた。その声もまた、憔悴したように聞こえる。

 

「ええと……」

 なんと言えばいいか。説明に詰まってしまう。

(まずは、ミクミクに状況を説明して……いや、それより紹介したほうがいいのか? 今さら挨拶させても……)

 

 その時。

 

《ヒーホー! こんなところで人間を見つけるなんて、オイラってばツイてるぜー!》

 いつの間にか、暗闇の中に悪魔の姿があった。

 大きなカボチャにボロ布を引っかけたような姿をしている。手にはちらちらと炎が揺れるランタンを持っている。

 

(嘘だろ……! どうやって悪魔と戦えばいい……!?)

 マッシュの手には武器さえなかった。どこかで落としてしまったのだ。

 ハンドルの横のコンソールにデジタル液晶が取り付けられている。かろうじて、まだ表示されている時刻がわかった。

 

『19:01』

 

 夜ははじまったばかりだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。