真・女神転生▷《プレイ》世界が終わるまでは…   作:五十貝ボタン

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1-05_今宵の月のように

 路地に腐臭が漂っている。

 

 建物と建物の間を縫って進むことを選んだのは、そのほうが悪魔に見つかりにくいと思ったからだ。

 だが、それがかえって危機を招く結果になった。

 

 路地の物陰から、いくつもの人影が這い出してくる。人影、といったが、人の形をしているものもあれば、そうでもないものもあった。

 乾燥して色あせた体は骨の形を浮き上がれている。腕が一本しかないのもいれば、足がねじれて左右で別の方向を向いているものもいた。目玉が眼下から外れて垂れ下がっているものもいるし、腹に大きく穴が空いているのもいた。

 

『幽鬼グール』

 アームターミナルの解析(ANALYZE)システムが、その悪魔の名前を表示している。

 

《オォォォォォォォオオオォォ……》

(意味のある言葉を話してない)

 マッシュが耳につけたイヤホンからは、無数の呻き声が聞こえるばかりだ。

(すべての悪魔の言葉を翻訳できるわけじゃないのか、それとも、この悪魔たちが意味のある思考をしていないのか)

 少なくとも……ジャックランタンのように、コミュニケーションを取ることは不可能ということらしい。

 

「マッシュ、どうするの……!」

 背中に隠れるようにして、ミクミクが叫んだ。紫色の瞳が、不安げに揺れている。

「気をつけて、後ろにも……」

 メシア教の聖女……(サン)プリンシパリティが、背後に目を向けている。どこに身を潜めていたのか、彼らがやってきた路地を遮るように、別のグールの群れが這い出してきた。

 

「戦うしかない」

 腰に着けた警棒を抜き放つ。手には馴染んでいるが、人間ならぬ幽鬼相手にどれほど通じるのかは分からない。

(それに、数が多い。二人を守りながら戦わないと……!)

 

《こいつら生き物の肉を食うことにしか興味ないホ。オイラのほうが上品にいただけるホ》

 マッシュが唇を引き結んで構えた時、その隣で明かりを掲げていた悪魔、妖精ジャックランタンがつぶやいた。

《今からでもオイラにアンタたちの肉を囓らせてみない?》

「そんなことできるか。……いや、そうか。ジャックランタン、俺の命令を聞くんだったな?」

《契約した以上は、召喚者に従うホ》

 

 マッシュは再び、悪魔解析(デビルアナライズ)の結果に目を向けた。

 名前だけではない。そこには幽鬼グールに関する情報が表示されている。そして、その中にはっきりと、こう書かれている。

『火炎に弱い』

「炎だ。ジャックランタン、炎の魔法を!」

 

《召喚者の頼みなら仕方ないホ。やってやるホ!》

 カボチャ頭の奥の瞳を光らせて、ジャックランタンが気合いをみなぎらせる。掲げた角灯(ランタン)の炎が、大きく閃いた。

《マハラギ!》

 (カッ)と炎が閃いた。角灯から噴き上がった炎が、ひび割れたアスファルトの上を踊り狂い、マッシュたちの周囲に炎の壁となって噴き上がる。

 

《オオオオォォォォ……》

 炎が幽鬼(グール)たちを飲み込んで行く。乾燥した体は丸めた紙のように激しく燃えさかる。人間の形をしたものが、あっという間に黒い焦げカスの塊になって崩れ落ちていく。

 

「す、すごい……」

 赤い炎にミクミクの驚愕の表情が浮かび上がる。月の明かりだけで照らされていた路地に激しい炎が踊って、まぶしさに目を細める。

《いやー、ざっとこんなもんだホ!》

 ジャックランタンが胸を張っている。胸があるのかどうか、わからないが。

 

「データは正しかった」

 幽鬼たちに燃え広がる火の手は、尋常ではなかった。普通の生き物なら――東京に悪魔ではない普通の生き物は、もはやほとんど残っていないが――あれほど勢いよく燃えることはないだろう。

「マッシュ、どうしてあの悪魔に炎が聞くって分かったの?」

 ミクミクの問いかけに、アームターミナルの表示を指さして答える。

 

「この中に悪魔のデータが入ってる。たぶん、悪魔召喚師たちが集めたデータがサーバーに蓄積されていて……俺はそれに接続することができた」

 悪魔解析(デビルアナライズ)のデータベースが、悪魔召喚プログラムと共にダウンロードされていたに違いない。

 東京じゅうにいる悪魔召喚師たちが集めたデータが、マッシュのアームターミナルに収められている。

 コンソールを操作して確かめると、ほかにも百種以上の悪魔の能力や弱点を、閲覧することができた。

 

「悪魔と戦うためのプログラムか……ほんとうに、これを作ったやつは恐ろしいほどの頭脳を持ってたに違いない」

 情報さえあれば、人間でも悪魔と対等に渡り合うことができる。悪魔の力を借りることができるとなれば、なおさらだ。

 

「悪魔の力は……あらためて、恐ろしい……」

 プリンはむしろ、脅威を覚えているようだった。あれほど恐ろしく見えた悪魔たちが、たったひとつの呪文であっという間に壊滅したのだ。

「俺との契約でこいつは言うことを聞いてくれる。心配はいらないよ」

《そうだホ。油断しなきゃ大丈夫だホ》

「本人に言われても、安心できません」

 ツートンカラーの髪を直しながら、プリンは肩をすくめた。

 

「とにかく、先を急ぎましょう」

「ああ。夜は危険だ。朝まで安全に過ごせる場所を探そう」

 

 

▷▷

 

 

 方針を変えることにした。狭い路地では、また悪魔に囲まれるかもしれない。しばらく歩くと、大きな通りに出た。

「ヒ……ツキ……シ……ダイ」

 色あせた看板に書かれた文字を見て、ミクミクが首を傾げるが……

「メイジ通り、と書かれています」

 プリンがそっと訂正した。

 

「すごい、漢字が読めるの?」

「教会で教育を受けていますから……」

「メイジって、魔法使いのことか?」

 悪魔召喚と同様に、魔法の力を扱うものをそう呼んだ……と、聞いたことがある。

 

「うーん、それとは違うような気がします」

「昔は、道の一本ずつにも名前があった……らしい」

 受け売りの知識。そっと首を振って、脳裏によぎるクロダの最期の姿を振り払う。

「きっと、何か意味があって着けられた名前に違いない」

「『メイジ』って、どういう意味?」

「意味……難しい質問ですね。たぶん、世の中が正しい状態にあるという意味……でしょう」

 プリンがつぶやいて、ランタンに照らされた道の先を見た。

 

 瓦礫がうずたかく積まれている。半ばから折れたビルディングが道をところどころ塞いで、大きな地割れが通りを切り刻んでいる。

「今の状態が正しいとは、とても言えないな」

 ため息が漏れる。かつては人々が行き交っていたに違いない。悪魔が溢れ、ミサイルで東京が破壊し尽くされる前にこの道がどんな姿をしていたのか、マッシュにはもはや知る術もないのだ。

 

《ニンゲンなのにニンゲンの言葉がわかんねえホ?》

「たくさんのことが失われたんだ」

 かつての東京に思いをはせていたところで……ふと、マッシュの耳に声が聞こえた。

 

《お前のせいでいい迷惑だ! なんだって同じ姿をしてるんだ!》

《仕方ねえだろうが! もともと同じようなものなんだよ!》

 言い争っている。悪魔召喚プログラムが翻訳したということは、悪魔の声だ。

 道の先を見ると……二匹の悪魔が、互いに剣のようなものを振り上げながら威嚇しあっているのが見えた。

 

「悪魔のケンカか。好きにさせておけばいい。明かりを小さくして、通り過ぎよう」

 悪魔どうしの争いなど、東京のそこかしこで起きているに違いない。今は、安全な場所へ辿り着くことが優先だ。

 さいわい、通りは広い。言い争いに夢中になっているようだし、さっさと通り過ぎてしまえば気づかれないだろう。

 ……というのは、甘い見積もりだった。

 

《待てェい! ニンゲン、こっちを見ろ!》

 悪魔の怒鳴り声が響く。契約している悪魔ではないから、その言葉の意味が分かるのはマッシュだけだ。しかし、悪魔が騒いでいることは、同行している二人にもわかる。

「逃げますか?」

「いや……もっと大声を出されて、他の悪魔の注目を集めたら面倒だ。話が通じるようだし、会話で解決しよう」

 悪魔どうしでいがみあっているから、一緒に襲ってくる様子はなさそうだ。マッシュはランタンの明かりを向けさせて、二匹の悪魔の元へ進み出た。

 

《俺は地霊ブッカブー》

《俺は妖鬼ボーグル》

 二匹の悪魔が、それぞれに名乗りをあげる。

「わっ。……同じ悪魔だ」

 ミクミクが二匹の悪魔の姿を見て、小さく声を漏らした。

 

 彼女の言葉通り、いがみ合っている悪魔はそっくりな姿をしている。男性的な体つきに、鋭い目つきとまばらな牙の生えた口元。簡素な鎧らしきものを身にまとって、剣を持っている。

 夜の暗がりの中では、ほとんど見分けられないほどだ。ごくわずかに、肌の色合いが違う程度の差だ。

 

「俺はマッシュ、悪魔召喚師だ。いったい何を言い争ってたんだ?」

 できるだけ声を低くして、名乗り返す。体が大きく見えるように肩をいからせ、胸を張る。

(少しずつ分かってきた。悪魔と対峙する時は、堂々と振る舞うべきだ。弱いと思われたら、つけ込まれる)

 案の定、悪魔たちはマッシュを舐めてかかってはいけないと思ったらしい。二匹の悪魔が、同じような仕草で掌を見せた。彼らなりの挨拶だろう。

 

《見てくれ、この混沌に与する見下げた妖鬼が、俺とそっくりな姿をしているんだ》

《不愉快なのはこっちの方だ。秩序に従う地霊と見間違えられる俺の気持ちがわかるか?》

 ブッカブーとボーグルが交互に主張する。

 

《他の悪魔と話していて、何か話がすれ違うなと思ったら、そいつは俺のことを地霊だと思ってやがったことがしょっちゅうあるんだ》

《迷惑なのはこっちだ。道ばたで『よぉ! 今日も血に飢えてるな!』だと。俺がそんな風に見えるか?》

 話し方もそっくりだ。悪魔召喚プログラムを通じて合成された機械音声だから、なおさら同じに聞こえる。

 

「なんの話をしているのでしょうか……」

「わかんないけど、マッシュに任せるしかないよ」

 少女達は暗がりの周囲に視線をむけている。この騒ぎにまぎれて他の悪魔に襲われないかを心配しているのだ。

 

《こいつら、もともとおんなじような妖精だったんだホ》

 ジャックランタンの表情は読み取りにくいが、それでも呆れているのは分かった。

《ボガートとかボギーとかブギーマンとか、いろんな名前があるホ。たぶん呼び分けられているうちに、別の悪魔に分かれちゃったんだホ》

 同じ妖精のことなら任せろと、事情通ぶって語る仲魔の説明に、マッシュは小さく頷いた。

 

「なるほど。だから、似ている姿をしてるわけか。でもどうして妖精じゃなくなってるんだ?」

《あんまり醜いと妖精の王様が追放しちゃうホ》

「……ああ」

 いがみあっている悪魔たちの姿は、お世辞にも美しいとは言えない。ならカボチャ頭なら美しいのかということは疑問だったが、悪魔の審美眼に人間が口を挟むのも野暮というものだろう。

 

《もうこれ以上似たもの扱いされるのはたまらねえ!》

《いっそ、どっちかが消えてしまったほうが間違われなくて済む!》

《もともと同じ存在だったなら、一緒になって元の姿になればいいんだけどよ……》

《俺たち自身も、もともとどんな姿だったかよく分からないんだ……》

 そこまで語ると、悪魔たちは一斉に肩を落とした。

 

《ルーツを失ってただ生きるだけの日々に意味なんてあるのかと自問自答する日々だよ……》

《破壊と殺戮を繰り返しても、心が満たされねえのさ……》

「悪魔も自分のことがわからなくなって悩むんだな」

《こいつがいなけりゃ悩むことはねえのに!》

《あぁー!? こっちのセリフだこの野郎!》

 再び剣を振り上げて威嚇しあう。

 

《でも、こいつを殺しても安心できるのはわずかな時間だ》

《そう、すぐにまた別のこいつが現れる。俺たち悪魔は複雑なんだよ》

 目の前の悪魔がいなくなっても、またどこかから姿を現す……そういうものらしい。

 

(要するに、こいつらは決着がつかないから、いがみ合っているわけか……)

 マッシュは二匹の悪魔を眺めて、考えた。

(仲魔が増えれば、生きのびられる確率は高まる。どっちかでも、連れて行けないだろうか)

 放っておけば、また口論に戻るだけだろう。やってみても損はなさそうだ。

 

(まずは悪魔にいい印象を与える。それから、うまく話を誘導するんだ)

 ジャックランタンとの会話で、悪魔が人間とは少し違った思考をすることは分かっている。だが、基本は同じだ。好ましいと思わせれば、こっちのもの。

「でも、俺はそんなに似てるとは思わないけどな」

 堂々とした態度はそのまま、マッシュははっきりと言い張った。

 

《なに?》

《どっちがどっちかわかるのか?》

「ああ、もう覚えたよ。あんたがボーグル、あんたがブッカブー、だろ?」

《なん……だと……》

 二匹の悪魔が声を揃えて戦慄した。

 

《ヒホ!? 一瞬で見抜いたホ!?》

 同じ悪魔であるジャックランタンからしても、見分けがつかないらしい。マッシュは自信ありげに頷いた。

「あのコンピュータが解析してくれるからでは……」

「しーっ」

 プリンとミクミクは話の流れを断片的にしか把握できていないが、マッシュのしゃべっている内容は分かる。いささか正直すぎるプリンに、ミクミクが制止をかけた。

 

《一瞬で俺たちを見分けるとは、この人間……ただ者じゃない!》

「そんなことないさ。他の悪魔の目が節穴なんじゃないか?」

《いや、お前の悪魔召喚師としての実力に違いねえぜ……!》

 悪魔たちはマッシュの選別眼に感服したらしい。警戒するような仕草はまったくなくなっている。

 

「たしかに、俺は悪魔には詳しい。……そういえば、あんたたち、自分たちの元々の姿が分からない、とか言ってたな」

《おうよ。それがもう一つの悩みの種だ》

「悪魔召喚士として、その悩みを解決できるかも」

《なんだと? おい、どうするのか言ってみろ》

「いや、でも、あんたたちが承服するかどうか……」

 あまり前のめりになりすぎのも逆効果だ。あえて引いてみせるのも、会話のテクニックという奴だ……新宿地下街での値引き考証で、マッシュは学んでいる。

 

《細かいことはいい! とにかく話せ!》

 ボーグルだかブッカブーだかが怒鳴った。本人としては脅しているつもりなのだろうが、実際にはマッシュに懇願しているようなものだ。人違いされることは、悪魔にとってそれだけショックなのだろう。いや、悪魔違いか。

「わかったよ、あんたたちが聞いたんだからな」

《ゴタクはいいから早く言えよ!》

 焦らされた悪魔は、すっかりマッシュにペースを握られている。方便を使いこなす商人たちの駆け引きに比べれば、悪魔達は素直すぎるといってもいいぐらいだった。

 

「悪魔合体」

 と、マッシュは言った。

「秘術を使って、悪魔どうしを融合させる。そうすれば、あんたたちをひとつにくっつけることができる。そしたら……元の姿に近づけるんじゃないか?」

 マッシュ自身に、悪魔合体の経験はない。当たり前だ。悪魔召喚プログラムを手に入れたことに気づいたのさえ、ほんの一時間前だ。ただ、新宿に訪れる悪魔召喚師たちの話を盗み聞きして、知識を得ているだけである。

 

《聞いたことがある。人間は悪魔のデータを合わせて、より強い悪魔を作ると……》

《じゃあ、もともとは同じ悪魔だった俺たちを融合させれば……》

「いまのあんたたちより強い悪魔になるはずだ」

 悪魔合体の仕組みは複雑だ。どんな悪魔が生まれるかは、やってみなければ分からない。だから、『元の姿がわかるはず』とは答えられない。

 はぐらかして答えたかのように見せかけるのも一種の技術だ。

 

《なるほどな。俺も興味があるぜ》

《俺もだ。こいつの真似をするわけじゃないが》

「でも、悪魔合体のためには、まず俺と契約してもらわないと。じゃないと、あんたたちの希望を叶えられない」

 自分が仲魔を欲しがっている、なんてことはおくびにも出さない。まるで悪魔のほうから頼まれているかのように、話を運んでいた。

 

《いいぜ。お前の仲魔になれば見間違えられることもなさそうだしな》

《こいつと同じメモリに入るってのは気に食わないが……》

「両方入ってくれないと合体できない」

《わかっってんだよそんなことはよぉ! はやく契約しろ!》

「よし。交渉成立だ!」

 悪魔の気が変わらないうちに、マッシュはプログラムを走らせる。悪魔達との間に情報がやりとりされ、自動化された儀式が完了した。

 

《俺は地霊ブッカブーだ》

《俺は妖鬼ボーグルだ》

「マッシュだ。改めて、よろしく頼む」

 契約書へのサインの代わりにリターンキーを押して、プログラムが正常に完了したことを確かめる。二匹の悪魔はデータへと変換されて、アームターミナルの中へ吸い込まれていった。

 

「いちどに二匹を仲魔にしてしまったのですか?」

 会話の行方を見守っていたプリンが、驚くような表情で言った。

「ああ。ハッタリが通じてくれてよかった。もし怒らせて、二人がかりで襲われてたら危なかった」

《はっきり言って二匹ともオイラよりだんぜん強いホ》

 マッシュも、力の差は理解している。解析されたデータを見るに、ブッカブーもボーグルも、ジャックランタンよりずっと強い悪魔だ。

 

「あれ、でも悪魔は自分より強い相手にしか従わないんじゃなかった?」

 ふと、ミクミクが首を傾げる。ジャックランタンより強い悪魔がマッシュと契約したということは……

「さっき、グールを何匹も倒したおかげかな……新宿を出る前よりも、強くなってる気がする」

 修羅場をくぐり抜けた経験によるものか。悪魔を見ておびえることもなく、気が大きくなっているだけかもしれない。だが実感として、マッシュは自分が以前よりも成長しているのを感じていた。地下で暮らしていたときには、なかった感触だ。

 

(悪魔は人間を食って強くなれると信じてるらしいが……悪魔召喚師が悪魔を倒すのも、似たようなものかもしれない)

 強い悪魔を従え、さらに強い悪魔を倒す……それが、悪魔が人間を生贄にして強くなることとどれだけ違いがあるだろうか。

 

「……まだ、歩き続けないと」

 聖女はマッシュを一瞥してから、先を示した。

(警戒されてるな)

 当然だ。彼女とは会ったばかりだ。十年来の付き合いがあるミクミクとは違う。そして、彼女が仲間を大勢失う原因になったのは悪魔である。その悪魔を使役しているマッシュに対して信用しきれないのも当然のことだ。

 

(でも、悪魔の力がないとここでは生きていけない……彼女も、俺も)

 ジャックランタンが掲げる明かりがなければ、道を見通すこともできないのだ。

 妖精を先行させて、再び歩き始める。その後ろを、少女たちがついていく。

 

「あっ……ねえ、建物が残ってる」

 ふと、ミクミクが言った。紫の瞳は暗がりがもっともよく見通せるようだ。

 彼女が指さした先を見ると……真四角な印象の建物がうっすらと闇の中に浮かび上がって来た。

 窓ガラスは割れているが、建物の外観はしっかりと残っている。腕章のように、看板が掲げられていた。

 

『原宿警察署』

 

 

▷▷

 

 

「ビルの中なら、悪魔に見つかる心配は減らせそうだ……先に悪魔に占領されていなければ、だけど」

 建物の入り口のガラス戸は吹き飛んで扉としての機能を果たしていない。おそるおそる覗き込んでみると……

「うわっ……!」

 ずんぐりした、大きな機械が立ちはだかっていた。四本の足が半球型のボディを支えている。

 

「なになに、悪魔!?」

 ミクミクに大声をあげるのをやめろと言ってやりたいが、もっと大声で反論されそうなのでやめておいた。

「……違う、マシンだ。警察が使っていた機械だよ。でも、電源が切れてるみたいだ」

 ランタンの明かりをかざしても、ぴくりとも反応しない。動かなくなってから、もう何年も経っているのだろう。

 

「こいつが睨みをきかせてくれているおかげで、悪魔がよりつかないみたいだ」

「それじゃあ、ここなら朝まで休めるかな?」

「できるだけ頑丈で外から見つかりにくい部屋を探そう」

「やった!」

 ミクミクは両手をあげて喜びを表現した。声は大きいが、建物の外までは響かないだろう。

 

「よかった。……ありがとうございます」

 プリンの声は、心底ほっとしているようだった。

「礼を言うのは新宿についてからにしてくれ」

 ここで休んだからといって、安全になるわけではない。マッシュの受けている任務は、彼女を新宿へ……オザワの元へ連れて行くことだ。

 

「あなたがいなかったら、私はここまで来られなかった。新宿に辿り着けるかどうかは分からないから、ここまでの分のお礼を言わせて」

 聖女と呼ばれる少女は、はっきりとした唇とまっすぐな目で告げる。警戒されているはずなのに、感謝はてらいもなく口にする……

(うらやましい。人を疑わないで生きてきたんだな、この人は)

 新宿地下街には、そんなやつはいない。いたのかもしれないが、いなくなった。

 

「わかった。ここまでのぶんだけ受けとっておく。休める部屋を探そう」

 悪魔を引っかけて仲魔にした自分が恥ずかしくなりそうだ。だが、悪魔に対してそうだったように、マッシュは自分を強く見せることを覚えていた。

 

 窓からは月が覗いている。さっき見上げたときよりも、高い位置にいる。月が動くことは知っていたが、自分で目にするとその現象はずいぶん奇妙に思えた。

「もう少しだ。朝になったら、二人と一緒に新宿へ帰る。そうすれば、オザワが俺のことを覚えるだろう。たった一人の生存者だ。クロダの変わりに、一等警官になれるかもしれない」

 そうすれば、任務は成功に近づいている。悪魔の力があれば、もっと強くなれる。

 

 地下から権力者にこびへつらって生きていかなくてもいい。自分自身で望む場所にいることができるのだ。

 ちょうど、今宵の月のように。

 

 

▷▷

 

 

 いくつもある部屋の中から、目的にかなう部屋は簡単に見つかった。

 窓はなく、しっかりとした壁に覆われている。

「これは、なんて書いてある?」

「取調室」

「いいなぁ、あたしも難しい漢字が読めるようになりたいよ」

 ミクミクとプリンが話しているのが聞こえる。

 

「別の部屋に、寝るのに使えそうな毛布があった。古いけど……何もないよりはマシだと思う」

「じゃあ、この『トリシラベシツ』に運び込んで使おう」

 休む準備は、すぐに整えることができそうだった。拍子抜けするほど、簡単に。

 

「ジャックランタン、二人についてやってくれ。何かあったら俺に知らせてくれ」

「マッシュさんは?」

「さっきのマシンから、何か情報を引き出せないかアクセスしてみる」

 アームターミナルを示してみせる。なにせ、新宿への道のりもおぼろげなのだ。周辺地図のデータが手に入れば、生きのびる確率も高まる。他にも、何かわかるかもしれない。

「うん、分かった……気をつけて」

 ミクミクは手を振り、プリンは指を組み合わせてその背中を見送った。

 

「それじゃ、さっさとやっちゃおう!」

 別の部屋……『仮眠室』から、毛布を運んで『取調室』の床に敷き詰める。冷たい床に寝るよりは、ずっと居心地がいい。

 マッシュがいなくなると、ジャックランタンが何を言っているのか二人には分からなかったが、襲ってこないのなら大した問題ではなかった。

 

「これぐらいでよさそうですね」

「ここは天井があるから、少し落ち着く」

 ミクミクが毛布の上に腰を下ろした。歩き回って突っ張った足をもみほぐす。

 それにならうように、プリンも毛布の上に座った。悪魔がどこから襲ってくるかわからない状況から解放されると、一気に全身から力が抜けるような気がした。

 

「お二人は、新宿地下街から?」

 沈黙が訪れる前に、プリンが聞く。

「そう。マッシュは警察官。あたしはウェイトレス。外って広いんだね。夜だから、遠くまでは見えないけど。頭の上に何にもないから、クラクラしちゃう」

「警察官……ということは、彼はオザワの部下なんですね」

 ミクミクは世間話のつもりだったが、プリンはそうではないらしい。しまった、と思い直して、ミクミクは自分の口に触れた。

 

「もしかしてあたしから情報を聞き出そうとしてる?」

「悪魔と話してるんじゃないんですから、緊張しなくてもいいですよ」

 その反応は、聖女にとって不本意だったらしい。

「ごめん。不安だよね、自分だけ仲間はずれなのって」

「そういう意味では……」

 プリンにしてみれば、メシア教のテンプルナイトが護送してくれるはずだったのだ。それが、実際には初対面の男女が二人で連れていくとなれば、不安にもなる。

 

「あなたたちのことを知っておこうと思ったんです。そうすれば、力を合わせられるかも」

「プリンこそ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

 ミクミクは気楽な様子で足を投げ出している。

「マッシュがなんとかしてくれる」

「……ミクミクさんは、彼のことを信頼してるんですね」

「マッシュは特別。あたしを助けてくれたから。特別な男はもう一人いるけど、もうだいぶ会ってない。その人は牢屋に入ってるんだ」

 ふう……と、ミクミクの顔に影が差した。

 

「でも、ほら……大昔の歌でも言うでしょう?」

 少女の気分が沈みそうになったことを察して、プリンは明るい調子で一節を口にした。

「♪男は狼なのよ 気をつけなさい」

「知ってる、その歌! ディスコで流れてた!」

 フレーズを聞いた途端、ミクミクの表情はぱっと明るくなった。ランタンの明かりに、紫の瞳がきらきらと輝く。

「♪年頃になったなら 慎みなさい」

 歌の続きを、ミクミクが口ずさむ。プリンは微笑んで、さらに続けた。

 

「♪羊の顔していても 心の中は」

「♪狼が牙をむく そういうものよ」

 

 いつしか二人の声は重なって、狭い部屋の中で響き合っていた。

 

このひとだけは 大丈夫だなんて

うっかり信じたら

駄目 駄目 あー駄目駄目よ

 

「……ふふふ」

 どちらからともなく、笑い合っていた。少女たちはその年頃らしく、ごく自然に笑っていた。

「マッシュが何かしようとしたら、あたしが守ってあげる」

「二人がかりなら、きっと大丈夫ね」

 こうして、マッシュのあずかり知らぬところで、同盟が結ばれているのだった。




今回登場している原宿警察署は移転前のものです。2008年までは千駄ヶ谷にありました。
本作は1999年に大破壊が起きた設定なので、現在の東京とは建物が違うので当時のことを調べながら書いています。

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