ここは一体どこなのだろうか。
周りを見渡すと、どこかの森の中のようなところに俺は立っていた。周りは鬱蒼と生い茂る木々や植物ばかりで月明かりすら届かないほどに世界は夜の帳が降りている。すべてが静寂に包まれたこの世界。しかし俺は一人ぼっちだ。
そんなの時遠くに何か光が見えた。ゆらゆらとまるでこちらを誘うように妖しく光るそれは俺を呼んでいるように思えた。それがなんなのかはわからない。だが俺はきづけば歩き出していた。細い獣道を進みながら一歩づつその光を求めて。しかしそれは届きそうで届かないまま永遠に追い続けるいたちごっこなのだ。そしてそれに気づいた時、世界は突然終わりを迎える。
いつものように。
「…提督?朝ですよ」
ゆさゆさと誰かに起こされているのをぼんやり感じ目を開けると、そこには秘書艦である榛名が顔を至近距離まで近づけていた。榛名のパッチリとした目や透き通るような肌が嫌でも目に入ってしまう。
「おはよう榛名。いつも起こしてもらってありがとう」
「そんなことないです!榛名は当然のことをしているだけですし提督にそう言ってもらえて榛名感激です!」
屈託のない満面の笑みを浮かべる榛名にこちらもついつられてしまう。
「そう言ってもらえてうれしいよ。だがひとつ訊いてもいいか?」
「なんでしょう?」
「俺があと5センチでも動いたら榛名どうなるかわかるか?」
俺の質問が一瞬わからなかったのか、ぽけっとした顔をした榛名だが理解した途端、沸騰したように顔を赤くしベットから距離を取った。
「ち、違うんですよ?!榛名は決してそんな疚しい気持ちを持って近づいたわけじゃなくて不可抗力というかなんというか!!」
「そうか、榛名は俺のことなんかなんにも思わないで仕方なくしてたのかー。ざんねんだなあ」
「えー!?それも違います!!!榛名はえーっと、えーっと…」
表情をコロコロ変えながらあたふたする榛名を俺は楽しみつつ、食堂への準備を始めた。
「まあまあ落ち着けって。よし、朝ごはん食べに行くぞ」
「は、はい!榛名でよければお相手しましょう!!」
「いちいち榛名は堅いんだよなあ」
苦笑いしつつ、食堂へと俺たちは向かった。
このラバウル基地に着任してから一年ほどになるだろうか。最初は個性的な面子に圧倒されて着任を後悔していたが、今となってはいい思い出になりつつある。それにいっときは深海棲艦によって奪われた制海権も、みんなのおかげで少しづつ盛り返しているため、今のところは出来すぎているぐらいだ。膠着状態が続く今では哨戒活動や遠征による資源の確保が主な任務で、比較的のんびりしている。
「提督、来週は本土に帰朝ですね。今回は何日ほど滞在するんですか?」
100名ほどが収容できる大きな食堂で、榛名はお手本と言える動作で漬物を咀嚼つつ訊いてきた。
「うーん、一週間ぐらいかな。まあ南方海域についての作戦会議がすぐにまとまれば早く帰られるとおもうよ」
「そうですか…。榛名は少し寂しいです…」
目を伏せつつ、味噌汁に浮かんでいるわかめをつついているの見ると、こちらもなんだが良心が痛むがこればかりは軍務のため仕方ない。自分も軍の上層部と会うのは気が引けるが、日本に帰るにはもう一つ理由がある。そちらのためならそれぐらい我慢しなければ。
「いつもすまんな。俺もあんまり気が進まんし、できることならこっちに居たいんだけどね」
「い、いえ!榛名のわがままだけですし、提督が認められているわけですから榛名も嬉しいです!是非頑張ってきてください!留守中もしっかり守ってみせます!!」
「ありがとう。じゃあ榛名にだけ特別にお土産買ってくるから楽しみにしててね」
「そんな!榛名ごときにもったいないです!」
「ほら、またそう言って遠慮してるともったいないよ?いつも秘書艦として俺以上に仕事こなしてくれているんだから、これぐらいしないとこっちが申し訳なくなるからさ。俺のために受け取って」
「ほ、本当ですか…?無理してませんか?」
嬉しいのと迷惑をかけてないかの板挟みになりながらこちらを伺う榛名は、本当にいい子だとつねづね思う。苦手な事務仕事はほとんど代わりにやってくれているし、敵の情報分析や攻略のアドバイスだって的確だ。榛名がいてくれて本当に良かったと思う。
「無理してるわけないじゃないか。だから頼むよ」
「やったあ!!ありがとうございます!!榛名感激です!!」
ぱぁっと花が咲いたように笑みを浮かべる榛名。それはすごく綺麗で可愛いと思う。いつも一緒に隣にいてくれて、こんなに尽くしてくれているのが不思議なくらいだ。自慢じゃないが俺は顔も普通、中肉中背で頭も良くない。そんな自分にまるで好意があるように振舞われていると、何度もほんとは自分のことを…なんて考えてしまう。だが実際はそんな夢みたいな話があるわけない。幾度となく繰り返した都合のいい妄想はもうやめにしよう。
そんなことを考えていると入口の方から、寝癖をつけたまま半目状態の鈴谷がやってきた。
「ふぁー。あれ?提督じゃん。ちーす」
「鈴谷か。おはよう」
「おはようございます、鈴谷ちゃん!」
「榛名さんもちーす。今日も仲良くふたりで朝ごはん?朝から見せつけてくれるじゃん」
「誰も鈴谷になんか見せつけてるつもりはないがな。大体こんな時間にお前が起きること自体珍しいな。なんかあったのか?」
腕時計を見るとまだ午前八時を回ったばかり。無論褒められたものではないが鈴谷にしては珍しく早起きだ。大体ひどいとお昼をすぎるまで部屋から出てこないこともしばしばあるのだから困ったものだ。人のことを言えた立場じゃないが。
「いやー、ちょっち熊野から借りた漫画が面白くてさ、最新刊まで読破したら朝になっちゃったってわけ。だから軽く何か食べて一日寝ることにするー」
「随分自堕落な生活だな。いつ出撃かわからないんだからしっかりしろよ」
「はいはい、榛名さんとイチャついてる提督に言われなくてもわかってますよーだ」
全く反省の色のないふざけた返事に若干腹がたった。毎度毎度何なんだこいつは。
「いい加減学習してくれよ。大体、化粧品の新作が出たから金を貸して欲しいだの、肌のゴールデンタイムがあるから作戦会議には出たくないだのわがままなんだよお前は」
「お前じゃなくて鈴谷だしー。てか女の子なんだからそれぐらい気にするのは当たり前じゃん。提督何言ってんのー?」
訂正。若干ではなくガチでムカついた。毎度始まる喧嘩に苦笑いしている榛名がちらっと見えたが、そんなことはどうでもいい。
「そうかそうか。じゃあ今日もいつものように昼夜逆転生活を送って生活バランスを崩し、挙句の果てブクブク太ることを神様に祈っておくよ。頑張ってくれたまえ」
「はぁ?マジ意味わかんないんですけどー」
向こうも喧嘩を売られていることがわかったのか、目を引きつらせながら応戦してくる。人の話を流すのはこいつの得意技だ。
「言葉の意味そのままだ。太って無様になったお前が見てみたいって言ってるんだよ」
「女の子にそんなこと言うとかサイテー。ってか鈴谷ちょー腹立つんですけど」
お互いのボルテージがどんどん上昇していくのが誰から見ても明らかだ。周りの駆逐艦たちが恐る恐る様子を確認しているのも見える。
「うるせーな。とっとと黙ってでぶってろ。こっちはお前に構うほど暇じゃないんだ、悪いな」
「あっそー。じゃあいちいち意味不明なこと鈴谷に言わないでもらえるー?マジ提督うざい」
「意味がわからんのはお前の行動だ。いちいちダル絡みしてくる暇があるんだったら、さっさと今日まで貸した35000円持ってこい。それか永遠に寝てろ」
「はぁー!?なんなのその二択!!言われなくても寝るし!!提督のばーか!!」
捨て台詞を吐いたかと思うと、踵を返しうるさく足音を鳴らしながら券売機へと向かっていった。鈴谷とすれ違った雪風の顔が強ばるほどだから相当怒気をあらわにしているようだ。あいつにも困ったものである。
「まったく、あいつが来るとどっと疲れがたまるな。毎回勘に障ること言いやがって」
「ははは…。鈴谷ちゃんも悪気はないんですけどね」
「あれで悪気がないなら相当なアホじゃないか?ある意味天才だよ」
「またそんなこと言って。ダメですよ?後で提督から謝らないと」
まるで子供を教え諭すように、榛名に言われるとなんだか情けないが、不思議と嫌な気分にはならない。多分榛名だからこその部分が大きいのだと思う。
「わかったよ。考えとく」
「ありがとうございます!でも…」
一つ笑ったあと、何か複雑そうな顔を一瞬見せた榛名が目の前にいた。まるで何かを見たくないのか視線を伏せ悩んでいる、そんな表情に見える。こんな辛そうな顔を榛名はごくたまに見せる。それも俺のいる前に限ってだ。何が明るい榛名をそうさせているのか、以前から気になって仕方がなかった。
「でも?なんだ?どうかしたか?具合でも悪いのか?」
「いえ!!なんでもないですよ!!提督と鈴谷ちゃんが仲良くなっていただければ榛名は嬉しいです!!!」
そう、気づけばいつものような笑顔の榛名に戻っていた。以前も同じような時しつこく訳を聞いたが、とうとう榛名自身から話すことはなかった。もちろんプライベートなことなら口を出す理由はないのだが、どうも引っかかる。あの顔は自分に向けられた、いうなればメッセージのような気がする。まあただの勘違いに過ぎないかもしれないのだが。
「そうか。じゃあ榛名のためにも仲直りしなきゃな。今回はこっちが大人になってやろう」
「その意気です!!いい報告期待してますね!!」
そう言ってその後他愛のない話を一通りした俺たちは、食事を終え執務室へ戻り、溜まっている報告書の作成に取り掛かることにしたのだった。
一日の執務を終えたあと俺は、熊野に鈴谷を執務室に連れてきてもらうよう頼んだ。無論理由は謝る以外にほかならない。内心未だに謝るのにはかなりの抵抗があるが、榛名が一緒に見守るというので後に引けなくなってしまった。バレないようにごまかす作戦はあっさり榛名に見破られたようである。
そうこうしていると熊野と鈴谷が執務室へと入ってきた。鈴谷は何か紙袋を手下げているが、その表情は苦虫を噛み潰しているようで、何をしたら整った顔がそうなるのかというぐらい、眉間にしわを寄せてこちらを見ていた。
しかしいざ謝るとなると切り出しづらい。最後の望みでとなりにいる榛名の顔を伺ったが、無言の笑顔で返されてしまった。くそ、腹をくくるしかないのか。
「ああ…鈴谷。今朝はそのー、すまんかった!あれは言い過ぎだった!悪かったと思ってる!!」
きっちり頭を下げたあと鈴谷の顔を見ると、一瞬目を見張っていたが徐々に勝ち誇ったかのようにこちらを見下ろしてきた。抑えてた怒りがまたこみ上げてきそうだ。
「ま、まあ提督が謝るんなら、鈴谷もちょっち悪かったかなーって気がしなくもないし?水に流してもいいっかなーって思わなくもないし」
くっ、なんでこいつにこんな上から言われなきゃいけないんだ…!
「あら?鈴谷ったら話が違うんじゃありませんこと?大体何のためにソレを持ってきたのかしら?」
「い、いや、そんなこともうどうでもいいじゃん!!」
「ん?どういうことだ?」
「て、提督には関係ないって!」
さっきまでの勢いはどこへやら、急に慌てふためく鈴谷は明らかに何かを隠している。状況を見る限りこれは一矢報いる絶好の機会だ。何が入ってるのかは知らないが、さっきのお返しはさせてもらおう!
「おいおい何だ?隠さないで見せてみろって!!」
「うわ、提督ウザ!!だから関係ないって言ってんじゃん!!しつこい!」
「俺がしつこいことに今更気づいたのか!!い!い!か!ら!見せろ!!」
「きゃー!?提督今絶対お尻触ったでしょ!!サイテー!!」
「はぁ!?誰がお前の尻なんか触るかよ!!嘘も大概にしろ!!」
もみくちゃになりながらも紙袋を離さない鈴谷に、こちらとしてもさらにヒートアップする。負けてたまるか!!!
「てーとく?」
「え?」
まるで執務室に、氷河期が来たかと錯覚するぐらい冷たい声が響き渡った。水を打ったように静寂に包まれたが、同時に命の危険を感じる。声の発生源は俺の後ろ。いや、振り返るまでもなく誰の声かはわかりきっているのだが、見たらすべてが終わりそうな気がする。
「鈴谷ちゃんから離れてください。そしてゆっくり戻ってきてください。そして正座してください」
「はい」
感情が押し殺された抑揚のないトーンから、自分の命が風前の灯火なのが改めてわかった。次逆らったら確実に41cm連装砲で吹き飛ばされることだろう。
「鈴谷ちゃん?もし提督に何かあるのでしたらどうぞ」
「は、はい。これ提督に渡そうと思って持ってきました…」
榛名の圧倒的すぎる威圧感に鈴谷がびびって敬語になっているあたり、どれだけ今の状態が大変な事態になっているかわかっていただきたい。俺はさっきから冷や汗が止まらない。
「これは、漫画ですか?」
「はい!提督に徹夜するぐらい面白いから読んで欲しいと思って持ってきました次第であります!!」
鈴谷、ビビりすぎてキャラ崩壊しているぞ。
「分かりました。鈴谷ちゃんも今朝の件許していただけますか?榛名からも提督にしっかり言っておきますので」
「りょーかいしました!!!し、失礼します!!!」
恐怖のあまり、速攻で執務室から出ていく二人の背中が見えなくなるにつれて横にいる方の殺気が高まっている気がする。判決はすでにわかっているが、一縷の望みをかけて榛名の顔を見た。満面の笑み。そして一言。
「ちょっとお時間よろしいですか?」
あのあと榛名から二時間執務室に監禁されて説教される羽目になった。ただの説教ならまだ怖くともなんともないが、主砲を突きつけられながら少しずつ追い詰められるのは精神衛生上絶対良くない。一言でも反論しようものなら、怖くて想像したくない。俺だってまだ生きていたいのだ。
そしてやっと解放されたあと、俺はひとり、提督室で鈴谷が貸してくれた少女漫画を、暇つぶしがてらベットの上で読んでいた。まだ時間は10時過ぎ、寝るにはまだ早すぎる。ページをめくってはセリフを目で追う、その作業の繰り返し。部屋はページをめくる音だけが響いていた。
「これはまたベタベタなストーリーだな…」
読んでみてまず思った感想である。大筋のとしてはある日交通事故で記憶を全て失った彼氏が、彼女を思い出すために奮闘する物語といったところだろうか。彼女、そして元カノとの三角関係具合がこの手の漫画には欠かせないらしく、強引な展開に思わず苦笑してしまうこともあった。
「大体、こんなに都合よく記憶が戻るはずがないんだよ」
物語も終盤、初デートの場所で彼女と彼氏が涙ながらにキスをして、すべてを思い出す。まさにハッピーエンドのご都合主義だ。こんな簡単に記憶がもどるなら、なぜこんなに彼氏は記憶について思い悩んでいたのだろうか?どうも腑に落ちない。
「まあそれが漫画だから、当たり前だよな」
自然と独り言が多くなっていたのは、未だどこかで過去の自分に対する未練があるからだろうか。もう取り戻せない、そんなこと何度言われたかわからないし自分でもだいぶ前に諦めた。それに今はこうしてまた誰かに必要とされて、確かに生きている。だから俺は俺なんだ、そんな当たり前の事実を幾度となく反駁し続けているが、結局それを完璧に受け入れていないからそう思うのだろう。ただ、確実に言えることはもう遅いということだ。
やめだやめだ。こういう時は早く寝るに限る。そう結論づけると、俺は強引に目をつぶってベッドに潜り込んで丸くうずくまった。頭の中ではさっきの漫画のセリフが残っている。
「記憶ってのはさ、やっぱりなきゃダメだ!俺が俺であるために、好きな人を好きでいるために!!記憶のない俺は”偽物”だ」
何が偽物だ。じゃあ思い出せなくなるやつはどうなる。記憶を取り戻していないのが偽物なら、その瞬間を生きている奴は誰なんだ。過去の自分も現在の自分も俺なら、本当の俺はどっちだ。わかるわけがない。わかってはいけない。
そして俺はまた同じ夢を見る。いつもと同じように。
なんとなく書き進めてみます。
こんな展開がいいとか、なんでも感想待ってます。