ゆっくりと瞼を開ける。
「あ……れ?」
腕がダルい?
というか、体がなんだか重い。
体を起こす動きも緩慢になっている。
体が熱い。
まるで全力で走り続けた後みたいな……。
「もしかして、風邪でも引いたか、俺……?」
ちょっと驚く。
風邪なんて引いたのは初めてだ。
こっちにきてから生傷は絶えなかったものの、風邪だけは引かなかったのに。
「あっ」
夢の中の記憶が蘇る。
確か、どこからか遠坂を追いかけて、学校の教室で遠坂に押し倒されて。
首元から血を吸われた。
それで、どこからか幼い声が聞こえて。
『可愛い顔ね。シロウ』
………って。
………おい。
ちょっ、ちょっちょっちょっ!
何をくつろいでるんだ俺!
焦って、布団の中を確認する。
「ふぅ……。セーフだ。そーゆーコトはないようです」
……良かった。
これであんなことになっていれば急いで証拠隠滅しないと、今後の発言権及び衛宮士郎株が
随分と寝汗をかいた上に今冷や汗までかいたからか、喉が渇く。
なんだって、あんな夢見たんだ。
遠坂の、というか最後の女の子の声って……。
「変態か、俺」
自分で自分が嫌になる。
いや、これでも俺は健全な男子高生な訳でああいうコトも考えなかった訳じゃなかったけれど。
それでも、あんな小さな子の声がするのはダメだろう。
色々な意味で。
「シロウ……?どうしました、いま音がしたようですが」
襖ごしにセイバーの声がする。
そう言えば、隣の部屋にセイバーが居るんだった。
「シロウ?」
「よう。おはようセイバー」
「どうしたのですシロウ。横になったまま挨拶をするなど、貴方らしくもない」
「いや、ちょっと不測の事態が起きてな」
さて、ここからどうしたものか。
体は立てないほどではないが、しかしダルい。
朝食も作れはするだろうが……。
***
「三十七度六分。士郎が風邪を引くなんて珍しいわね」
体温計を片手に、実にあっさりと診断を下す。
……ま、判ってはいたことだから驚きはないが、しかし、風邪って随分と体が重くなるんだな。
「それで痛いとこ、他にある?喉が痛いとか、あたま痛いとか」
「いや、体が重くて熱っぽいだけだけど」
「んーー、痛いところがないならその方が良いけど、士郎は我慢しちゃう子だから気付かないだけかもしれないか。……うん、一応他の薬の準備もしとく」
救急箱から風邪薬だの喉飴だのを取り出す藤ねぇ。
外傷の手当てには慣れてもいても、こういう病気の手当てには慣れていないようだった。
「ありがとう藤ねぇ。それとゴメン。朝メシ、作れそうにない」
「バカなこと言ってないの。士郎と朝ご飯、どっちが大切だと思ってんのよ。これでいつも通りにご飯作ってたらほんとにカミナリ落としたんだから」
むっ、と本気で怒ってる。
……そうだな。
そんなの言うまでもないことだった。
「幸い、桜ちゃんが朝ご飯とおかゆを作ってくれたから。お腹が減ったら食べなさい」
「そっか。桜に礼を言わないとな。……あれ?桜の調子は大丈夫なのか?」
「大丈夫そうだったわよ。ま、桜ちゃんも我慢しちゃうタイプだから絶対とは言えないけど」
「そっか」
桜の調子が戻ったならそれでいいんだけど。
ちょっと、不安だな。
「桜、大丈夫かな」
「士郎。桜ちゃんが心配なのも判るけど、今は自分の体の心配しなさい。欠席届は出しとくから、今日はゆっくり休むこと。セイバーちゃんには縛り付けてでも休ませるように言っとくから」
凄い危機感が走った気がするが、気のせいか?
「今日は精のつくもの買ってきてあげるから、それまでに体を治しておくこと」
「……分かったよ」
ヒラヒラと手を振って、藤ねぇは部屋を出ていった。
***
桜が作ったお粥を食べて、鍋の片付けはセイバーに水につけてもらった。
朝方の体のダルさもなくなっている。
その気になれば今からでも学校に行けるだろう。
なんというか、風邪っていうよりも極端に栄養が足らなくなってただけなんじゃなかろーか、と訝しんだ。
しかし、体を起こそうものならセイバーに本当に縛り付けられそうになったのでお手洗い以外では今は横になっている。
因みにそのセイバーは部屋の前のこちらの視界に入らない所で正座をして体を休めている。
さっきまでは部屋の片隅でこちらを眺めながら正座していたが、こっちが落ち着かないのでそこに移動して貰った。
「………」
何をするでもなく、静かに時間が流れる。
ここの所、そんな時間を過ごすこともなかったからか、どこか落ち着かなくなる。
「マスター。体の調子はどうですか?」
と、さっきまで沈黙を保っていたセイバーが話しかけてくる。
「ん。体はもう普通に動ける位に回復してると思うけど」
「しかし、顔色が悪い。今のシロウは魔術師にとって生命線とも言える魔力が不足している。もしかしたら、昨夜の柳洞寺に魔力を吸い上げる仕掛けがあったかもしれません。それに、ここ二日は空振りばかりですので少々気合が空回りしていることもあるでしょう」
「……むむ」
確かに柳洞寺の様子はおかしかった。
中に居た人たちの衰弱もあったし、柳洞寺に居たサーヴァントは入った人間から生命力を奪う結界でも張っていたのか。
「ま、でも俺の魔力量なんてたかが知れてるし、昼食もちゃんと食べて寝てれば治るだろ」
「呑気ですね。こんな時にでも狙われたらどうするんですか?」
そんな叱咤するような声でセイバーは言った。
***
interlude
お昼休み。
私は昼食を食べる為に食堂に向かいながら、考え事をしていた。
「先輩。大丈夫かな…」
ちらりと先輩の姿は見たけど、辛そうだった。
普段から怪我をすることもあるけど、病気になる姿を見たのは初めてだし、それに。
聖杯戦争のこともある。
先輩は聖杯戦争に参加している。
昨日からずっと家にいるセイバーさんは文字通りセイバーだろう。
……先輩には危ないことをして欲しくない。
でも、先輩はああいう人だからきっと今回のことを止める為に戦うと言うだろう。
今、令呪は私の所に戻ってきている。
兄さんが本を燃やしたからだろう。
このままだと、お爺さまに戦うことを求められるだろう。
いや、セイバーさんが私の正体に気がつけば否が応でも戦うことになる。
兄さんはまだ、私にまた令呪を譲渡するように求めてはいない。
けれど、今日中にも求めてくるだろう。
兄さんは諦めてなんていないだろうから。
「………」
下を向く。
どうすればいいのかなんて判らない。
あるいはどうしようもないことなのだろう。
先輩が参加した時点でどうしようもない……。
先輩には、何も知らないで過ごして欲しいのに。
どうして、世界はこうも都合よく回らないのだろう。
「桜」
背後から声をかけられる。
思わず、肩が震える。
振り向くとそこには遠坂先輩の姿があった。
「ど、どうしたんですか?遠坂先輩」
「ちょっと、屋上まで一緒に来なさい」
「で、でも」
「来なさい」
明確な命令の声。
目を見ると、それは日頃の社交的な遠坂先輩……、姉さんの顔じゃなくて。
敵と対峙した魔術師の目だった。
「……分かりました」
ああ、そうか。
気付かれたのか。
本当に、何一つうまくいかない。
interlude out
***
昼になり、昼食をどうするのか少し話をした。
俺としては、昼食を作っても構わないと思うのだが、
『いけません。本調子ではないのに労働などするべきではありません!』
『でも、それじゃあ昼食は誰が作るんだよ。セイバーは作れるのか?』
『うぅぅ。それは……』
などといったやり取りがあり、俺自身は作ることはせずに昼食を食べれる方法ということで外食をすることになった。
外食にはそれなりに出費にはなったが、腹が減っては戦はできぬということで目を瞑ることにした。
セイバーも美味しそうに食べていたし。
そうして、食べ終えた帰りにイリヤとの約束を思い起こす。
「セイバー、俺、ちょっと寄っておきたい所があるから先に帰って貰っていいかな?」
「何を言うんですか、シロウ。私がこうして付いてきているのは貴方の身を守る為です。貴方の身が万全ではない以上、それは認められない」
「寄る場所って言ってもあくまでこの商店街の中だぞ。こんな身近に人が居る場所で仕掛けてくる奴なんていないだろ。平気だよ」
「ですが、注意しておくに越したことはありません。それとも、私に隠したいことでもあるんですか?」
セイバーは睨みつけるように、こちらを見る。
……確かにイリヤとああして会っていることはセイバーには隠しておきたい。
もしも、セイバーにそのことを知られたら絶対に止められるだろう。
セイバーの性格上、そうして油断したところを攻めるとは言わないだろうけど。
少なくとも、昼間のイリヤは無邪気な女の子なんだ。
その間で、イリヤと争うような事態になるのは避けたい。
「そういう訳じゃない。ただ、俺にも日常の付き合いがあるんだ。そこにセイバーが居ると色々と厄介なことになるから帰って欲しいんだよ」
「……本当ですね」
「ああ、本当だ」
セイバーは一つため息をつくと。
「良いでしょう。ですが、一時間で帰ってきてください。それ以上を過ぎて帰ってきた時は何を隠しているのか教えてもらいますよ」
「ああ。分かった」
セイバーは嫌々という体で歩いていった。
相当不機嫌になっている。
これは帰りに何かしらの土産でも持って帰らないといけないかもしれない。
「さて、公園に行く前に何か」
グイッ
後ろから服を摘まれる感触。
それは既視感のある感覚だ。
「イリヤか?」
「うん。こんにちわ、シロウ」
***
公園に移動する。
自販機でコーヒーを買って、隣に座る。
「それにしても、シロウの中はからっぽだし、セイバーを帰しちゃうし、どういうつもりなの?休むなら家で休んだ方が安全よ?」
「え?いや、でも、セイバーが居たらイリヤとも会えないだろ。昨日、また会ってもいいって言ったじゃないか」
「え?」
あ、驚いた。
「ねぇ、私たちはマスター同士で、そして私の目的はシロウを殺すことなんだよ。それなのに、シロウは私に会いに来たの……?」
「それはイリヤの事情だろ。こっちは違う。俺はマスターじゃないイリヤと話したいだけだし」
それに本当に殺す気なら、後ろから引っ張った時にでもやれただろう。
イリヤがそうしなかったんだから、俺はイリヤとは戦いたくない。
「それに昼間戦わないのがマスターなんだろ。なら今はそういうのは抜きにしよう。俺はイリヤに会いに来ただけだ。イリヤは俺と話すよりも殺し合いの方が好きなのか?」
「え……。そ、そんなの言われても困るっ。わたし、どっちもいっぱいだもの。シロウと話せるのは楽しいけど、やっぱり許してなんてあげないんだから、どっちかを取るなんてできない」
イリヤは俯いたまま言葉を濁す。
その顔は真剣で、悩んでいるというより苦しんでいるように見えた。
「……そっか。ならどっちでもいいよ。どっちかを選べなんて言わない」
「で、でもわたし」
「ああ。でも今はせっかく会ったんだから話をしよう。戦うのはまた今度な」
そこからはどんな話をしたのかは曖昧だった。
好きな食べ物、嫌いな食べ物。
鳥が好きで猫が嫌いで、雪が好きで寒いのが嫌いで、遊びたいのに遊べなくて、口うるさいお目付け役のメイドは嫌いだけど好きになってあげてもいい、なんて他愛もない話をした。
イリヤはただ楽しそうに話していた。
「へぇーー。イリヤは一人でこの町に来たんじゃなかったのか」
「ええ、セラとリーゼリットと一緒。わたしにはお目付け役なんていらないけど、身の回りの世話をする人は必要でしょ?」
……イリヤはメイドを二人連れて日本まで来た訳だ。
ということは、メイドさんを連れたままホテルかどこかに泊まっているんだろうか?
「ん?気になる?わたしが何処に住んでいるか」
「え……ああ、そりゃ気になる。イリヤは神出鬼没だからな。居場所ぐらい知っておかないと、もしもの時困る」
もしイリヤが怪我をして助けに呼ばれても、場所が判らないのでは駆けつけられない。
せめて住所ぐらい教えて貰えたら、こっちも少しは安心できるんだけど。
「いいわ。シロウは特別。そんなに知りたいなら教えてあげる」
と。
ふわりとベンチから立ち上がって、イリヤは俺の額に手を置いた。
「ちょっ、イリヤ」
「いいから黙って。あんまり抵抗すると違うものに入っちゃうんだから」
「は、はい」
ちょっと強めの言葉に思わず頷いてしまった。
「いい子ね。じゃあ目を閉じて。あと、あんまりキョロキョロしないでよ。いくら移すと言っても他人の視点なんだから、乗り物酔いをしかねないわ」
こつん、とイリヤの額がこっちの額に当てられる。
驚きで目蓋を閉じる。
途端。
もの凄い勢いで視界が加速し、拡大した。
いや、それは意識の拡大だったのか。
ともかく、俺は見たことのない景色を、さも当然のように、高いところから俯瞰している。
イリヤの声が響く。
どうやら俺の視覚をイリヤの森に繋げたらしい。
返事もできず、頷くことも出来ない。
まるで自分が木になったようなだった。
映像が切り替わる。
自分の
木から壁へと視覚が移り、最後にイリヤのメイドらしき姿を見た所で体が元に戻った。
「ごくろうさま。どう?ちょっとした変身魔術だったでしょ、今の」
「あ……う」
口元を抑えて、なんとか吐き気に耐える。
唐突に自分に戻った映像が、今は妙にリアルに感じられて気持ち悪い。
「イリ、ヤ……今の、なんだ?」
「意識の転移よ。シロウの視覚だけを他のモノに移したの。さっきの間だけ、シロウの視界は眼球から得られる情報じゃなくて、わたしの森の木々から見た情報を観てたの」
「……む。つまり、俺が木になったんじゃなくて、木の視界を俺が受信して、自分自身が木なんだって、勘違いしたってコトか?」
「あら、物分り悪そうで鋭いのね。ええ、今のはそういうこと。人間ていう機材はそのままにして、入力先だけを移し変える魔術。人間を木に変える、なんて事は大事だけど、人間の意識だけを木に繋げるだけなら魔術の域でしょ?遠見とか憑依はこの魔術の応用ね」
「……なるほど。これって相手を無力化する攻撃としても使えるんじゃないか?」
「ええ、わたしたちの特性は力の流動、転移だもの。例えば、遠坂の魔術は魔力を宝石に移し変えて、かつ、いつまでも純度を保っていられる。その応用で、他人の意識を力技で転移することもできるわ。
封じ込めたいって思った敵がいた場合、そいつの意識の入力先を宝石や身動きできない人形の中に替えてしまえばそいつは無力化する。でも、”他人の意識にかける転移”は成功率が低すぎて、誰も攻撃に用いようとはしないかな。シロウが抵抗しなかったのと、あの森がわたしのだから上手くいったけど、ホントはもっと繋げにくいんだよ。それに意識を転移しても、転移元の本体に刺激を与えたら、意識は強制的に戻ってしまう。これじゃあ、戦闘には活かせないわ」
「……む。それって、要するに夢みたいなもんか?」
「んー、ちょっと違うかな。夢はちゃんと理性で目覚められるし。『転移』は本来、使い魔や身動きの取れる人形に意識を移して、安全に魔道の探求を行う為のものだから」
「つまり、敵にリモコンロボットである使い魔を倒されたところで、自分の意識が本体に戻るだけって事か?」
「ええ。この手の魔術を使う魔術師は
イリヤがそう区切った所で、顔を上に向ける。
「そろそろ一時間経つね」
「ん?ああ、そうだな」
イリヤは少し寂しそうに公園の真ん中まで歩いていく。
「……ホントは、こんなコト言っちゃダメなんだろうけど」
そうして、断られるコトを判っているような素振りで、
「シロウは、明日も会いに来てくれる?」
白い少女じゃそう問い掛けた。
……ばか。
そんなの、答えるまでもないじゃないか。
「明日も来るよ。明後日も明々後日も俺に出来るだけ」
「うん!それじゃ約束、明日も絶対に会うからね!」
そう言って走り去っていくイリヤ。
それはまるで妖精のようだった。
と、イリヤはふと振り返ると、
「でも、使い魔の手綱はちゃんと握っていないと駄目だよ!」
と、かなり気になることを口にしていった。
***
「ただいまー」
家に帰ると、セイバーは冷ややかな目つきでこちらを見ていた。
「シロウ。一時間経っていますが、何か言い訳はありますか?」
「いや、その、用事を済ませた後にセイバーにお土産をと思って」
イリヤと別れた段階で結構な時間だったが、流石に手ぶらで帰る訳にもいかない。
だから、ご機嫌取りの為のたい焼きを買ってきたのだけど。
「それだけですか?」
「ああ、それだけだけど」
「……シロウ。あなたがイリヤスフィールに会っていたのは知っています」
「!!」
驚きのあまり、目を見開き、後ずさる。
セイバーの目は明らかに俺を責めていた。
「ど、どうして知って……」
「あの時のシロウの様子が明らかにおかしかったですから、気になって見ていたんですよ。まさか、イリヤスフィールと密談しているとは思いませんでしたが。シロウ、貴方とイリヤスフィールとの間でどんな会話をしていたのかは判りません。ですが、彼女は貴方の命を明確に狙っているマスターです。いずれ戦う時になった時、余計な感情が邪魔をして、敵を討てないのでは意味がありません。私が言いたいことは判りますね」
判っている。
自分がどれだけ危険なことをしているのか。
どのように進んでも、イリヤと戦わなければならないコトも。
でも、それでも俺は、俺は……。
「判ってる。もしも、その時になったら、俺は戦う。でも、なるべくならイリヤとは戦いたくない。これはいつも俺の方針と変わらない」
「そのことで自分が被るリスクはちゃんと判っているんですね?」
「ああ」
「なら、私からはこれ以上は言いません。その代わり、道場の方へ行きましょう」
「え?」
セイバーは道場のある方へスタスタと歩いていく。
「おい、セイバー」
「もしも、貴方がそのリスクについて理解しているなら貴方自身が強くならなければいけません。あいにくと、私ではあなたの魔術の腕を上げることは出来ない。ならばせめて、あなたの剣の腕だけでも上げましょう」
セイバーは俺の気持ちを汲もうとしてくれている。
それはセイバーにとっては不本意なことでもあるだろう。
それでも、俺のためにと、尽くしてくれてる。
なら、俺もそれに答えなければ、マスターとは言えないだろう。
「ああ、頼む。セイバー」
「ええ」
***
セイバーとの稽古を続けることを数時間。
外はすっかりと夕暮れだった。
セイバーとの打ち合いは、剣道と呼べるものではなかった。
セイバーは別に剣道家じゃないし、剣を手にして戦う技法を教える気もなかったようだ。
セイバーが俺に叩き込もうとしているのは、戦うという実感だけだ。
命の奪い合いになった時、きちんと平常心と運動能力を発揮できるよう、戦いに慣れさせる。
それがセイバーの考えであり、俺にとって有り難い教えだった。
一日二日で有効な剣術が得られる筈がない。
衛宮士郎が頼りにするのは、今まで鍛えてきた肉体だけ。
なら、あとは窮地に反応できる経験を得る事が、なにより確かな剣になる。
「そこ!」
「いつ…!」
雑念を抱いた瞬間、容赦なくセイバーの竹刀が胸を突いた。
「シロウ。射程外に退避した事で気が緩むようでは話になりません。今の貴方の実力では間合いの外も内もありません」
「すまん。確かに油断した」
ごほ、と咳き込む胸を押さえて立ち上がる。
「ふむ。シロウは驚くほど鋭い時もあれば、呆れるほどに隙だらけの時もある。その揺らぎをうまく制御できればよいのですが」
「そっか。ところでそろそろ夕飯の準備をしていいか。そろそろ桜も家に来るだろうし」
「そうですね。その方が良いでしょう。かれこれ4時間は鍛錬をしていますし」
「もうそんなに経つのか」
時間なんてまともに意識出来ないほど、セイバーとの鍛錬は激しかったのだろう。
体が痛い。
だが、これもセイバーが俺を思ってしてくれていることだ。
文句ばかりも言えまい。
そうして、居間に辿り着く。
「アレ?桜はまだ来てないのか?」
珍しい。
部活の時間はとっくに過ぎている。
いつもなら、来ている時間なのだけど。
寄り道でもしているのか、あるいは……。
「体調崩してたりとかしないよな」
不安だ。
やっぱり桜、体調が悪いままなんじゃ……。
と、ここで呼び鈴が鳴った。
流石にセイバーに応対させる訳にもいかないので俺が玄関に向かう。
呼び鈴はヒステリックなものを思わせるように鳴らし続ける。
「なんなんだホント」
カチャリ、と玄関の鍵を開けると。
「よう、衛宮」
不機嫌な顔をして、慎二は俺を睨みつけてきた。
「桜はどこだ?」
「桜?まだ、こっちに来てないけど。って、何かあったのか?」
「うるさいなぁ、お前には関係のないことだよ!」
慎二はヒステリックに怒鳴ってくる。
まるで、何かに追い立てられるような様子で。
「落ち着け慎二」
「黙れ衛宮!本当に桜はこの家に居ないんだな」
「あ、ああ」
「なら、ここに用はない。桜がここに来たらさっさと家に帰るように言え」
「おい、待て、慎二」
慎二は俺の言葉も訊かずに扉を大きな音を立てながら締めていった。
「なんだってんだ」
確かに桜の言う通り、慎二は明らかに様子がおかしかった。
何か狂ったようなものが感じられた。
「桜、大丈夫だろうか」
あの状態の慎二と居て大丈夫だろうか。
いや、恐らくは大丈夫で済む訳がない。
慎二は桜を探していたようだし、桜に何かを強要するかもしれない。
だとしたら、
「今日、桜が来たら藤ねぇの家辺りに桜を泊めてもらおう」
あの慎二の所に桜を置いていたら、確実に桜が酷い目に合う。
それは避けないといけない。
***
夜の10時。
夕食を終え、巡回の支度を始める時間になった。
藤ねぇは家に来たが、桜は家に来なかった。
藤ねぇが言うには、桜は今日部活を休んで更に、
『しばらく先輩の家に行けないかもしれません』
と、伝えて家に帰ったらしい。
嫌な流れだが、まさか人様の家の中に突入する訳にもいかない。
もし、慎二が桜に何かをしていたら。
そう考えるだけで歯が痛いほどに噛みしめる。
だが、俺には今どうこうは出来ない。
出来ることがあるとするなら、桜が来た時にきちんと桜から誤魔化さずに聞き出すこと位だ。
「シロウ。そろそろ時間ですが大丈夫ですか?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
「なら、良いのですが」
セイバーに返事をする。
「今日は新都の方を見て回ろうと思う。2日前にこの近辺は探ったし、それに柳洞寺から吸収していたっていうサーヴァントのことも気になる」
「そうですね。ですが、今日はなるべく戦闘になるのは避けたいところです。シロウの魔力は回復しきった訳ではない。安静も必要な状態です。無理に深追いはせずに、なるべく早めに帰る方がいいでしょう」
「あ、ああそうだな」
***
新都に辿り着く。
ビルの目立つ新都もこの時間はあまり人の気配を感じられない。
警戒をしながらも、新都を回る。
「どこかおかしそうな所はないよな」
「そうですね。魔力の方も不自然に流れている様子はない。この分だと…!」
セイバーは口を閉ざし、静かに武装を身につける。
「セイバー…!」
「はい、そこに居ます」
セイバーはそう言って、ビルの上を睨む。
「流石にバレるか。そりゃあ、そうだろうな」
と、ビルの上に居た男は下に降りてきた。
青い髪に禍々しさを感じる槍。
その姿を、忘れられる訳がない。
「ランサー……!」
「おうよ。三日ぶりだな坊主」
ランサーは飄々とした口調で、しかし武器を構えた状態で話かけてくる。
「今日のマスターの指示としてはお前らに用はないんだがな。お互いにここでは戦闘しないってのは出来ねぇか」
「無理だ。こうして出会った以上はランサー、貴様は倒す」
「だよな。俺としてもこうもつまらん指示ばかりで退屈していた所だ。『指示を守る為に妨害する敵を排除』させて貰おうか」
セイバーとランサーは互いに睨み合った次の瞬間。
突風のように接近していった。
セイバーの切り裂きに対して、ランサーはそれを弾き、刺してくる。
セイバーはそれを躱し、また切り裂きにかかる。
以前の戦闘では、宝具を使われるまではセイバーの優勢だった。
だが、
「くぅっっ…!」
セイバーは苦しげに後退した。
ランサーの動きは以前の戦いよりも明らかによくなっていた。
いや、よくなっていたというよりも以前の戦闘では何かに抑制をされていたような感じだった。
「ランサー、貴様!」
「何、前回は相手を倒さずに戦闘しろなんて馬鹿げた令呪を使われてたからな。今日はその縛りもない全開戦闘って訳よ」
「っ!!」
セイバーが一歩踏み込み、斬りにかかるもランサーは動きを読んでいたように簡単に弾く。
そうして襲いかかるランサーの攻撃をセイバーはギリギリで避けた。
今の所、ランサーの攻撃は食らってはいない。
だが、このままではいずれ崩されることは目に見えていた。
それにランサーにはあの宝具がある。
躱すことの出来ない宝具が。
セイバーの宝具をたやすく使えない以上、このまま戦うことは危険だ。
「くそっ!」
だが、仮にここで俺が飛び出したところで何が出来る。
今は近すぎない距離で戦闘を見ているが、あの中に入ろうとしたところであの槍に刺されるだろうし、下手をすればセイバーの剣に斬られかねない。
俺ではどうにも出来ない。
無力感に唇を噛み締めた時。
ふと、周りが暗すぎることに気がついた。
夜更けとはいえ、街頭の一つも点いていない。
嫌な気配を感じて、そちらを向くと黒いナニカがそこにいた。
「あれは……、なんだ?」
俺の震え声に気がついたのか、セイバーとランサーも距離を取り、その黒いナニカを見る。
「ありゃあ、不味いっっっ!」
「っ!ランサー!」
「悪いが、あんなものが出てきたのなら、お前と戦っている場合じゃねぇ!てめぇらもさっさと逃げな!」
ランサーはそうして逃げようとする。
先程までのどこか余裕を残してる態度とは違う、明確な危機感の元に接触を避けようとしていた。
それを異常だとは思うが、ランサーの考えにすぐさま納得した。
あれは、今まで見てきた英霊とは明らかに違う危険のあるものだ。
「セイバー!ここは逃げるぞ!」
「……判りました、マスター!」
セイバーは無防備なランサーの背中に僅かに逡巡したようだったが、俺の指示に従ってくれた。
黒いナニカは薄いリボンのようなものを伸ばして、ランサーに襲いかかった。
ランサーは小さな小石のようなものを投げて、結界のようなものを展開した。
しかし、黒いナニカはその防御をたやすく破り、ランサーの足を貫いた。
「ぐぁっっ!」
セイバーと共にアレから距離を取りつつも、ランサーの様子を見ていた。
英霊である以上、足を貫かれた程度で止まる訳がない。
だが、ランサーは明らかに苦しみ、そこに黒いナニカは黒いうねうねでランサーの体を巻きつけた。
先程まで、セイバーを徐々に追い詰めていた槍兵は為す術もなくその存在を溶かされた。
「……っっ!!」
話にさえならない。
英霊を簡単に飲み込むアレはセイバーでも太刀打ちなどしようがない。
黒いナニカは今度はこちらに目をつけたのかセイバーの方にリボンを差し向けてきた。
「セイバーっっっっ!!」
駄目だ。
間に合わない。
このままでは、セイバーが……!
セイバーに届く一瞬前、俺とセイバーの体が浮き次の瞬間空中に放り出された。
「うわっっ!」
俺は咄嗟のことに反応出来ずに落下する。
だが、セイバーはそんな中でも俺を掴み、ギリギリの着地を行ってみせた。
「大丈夫ですか、マスター」
「あ、ああ。セイバーの方こそ大丈夫か?」
「はい、私は大丈夫です」
そこはビルの上だった。
橋がすぐ近くにある。
元の場所から大分離れたところに飛んだらしい。
「まずはお礼が欲しいところね」
横から女性の声がした。
そちらを向くとローブを着た顔の見えない女性がいた。
いや、あれはただの女性ではない。
サーヴァント。
その内の一体であることが判った。
「これ程の距離の移動。貴様はキャスターのサーヴァントだな」
「ええ、そうよセイバー。それよりお礼はないのかしら?」
「助けてくれたことには礼を言う。ありがとう。でも、お前の目的はなんだ?」
「目的というなら、あの影にあなたを吸収させないことよ、セイバー」
セイバーは怪訝そうにキャスターを眺める。
明らかに怪しい。
そもそもキャスターは何故、セイバーを助ける理由がある。
「貴方たち、あの影がなんだか判る?」
「いや、判らない。だが、明らかに危険なものだろう」
「そうね。あれは汚染されたものが穴から漏れ出たものよ。私たちサーヴァントではどうやっても倒せない」
「私たちでは倒せないものだと」
「そうよ、私たちを形作る大元なんですもの。その特性も含めて、私たちはただの餌にしかなり得ないわ」
そのキャスターの口ぶりに酷く寒気を覚える。
サーヴァントをただの餌にする。
そんなものがこの町にあるという事実。
それが酷く寒気を呼び起こす。
「アレをどうにかしなくては聖杯戦争にはなり得ないわ。だから、手を組みましょう。あの影を消し去るまでの間ね」
キャスターはそう提案してきた。
セイバーは、
「断る。キャスター、貴様の言うことが真実であると頷けるものがない。仮にあったとしても、お前を信用出来るだけのものがない」
「そう、判断としては妥当だとは思うけど……。あれの前ではそうも言ってられない筈なんだけどね」
キャスターは一つため息をつくと、空中へと飛び上がる。
「まぁ、いいわ。今すぐに協力は出来ないとは思ってはいたもの。でも、生き延びはしなさい、セイバー。貴方が消えれば、あの影をどうにか出来るものが居なくなるもの」
そうして、キャスターは姿を消した。
珍しく、時間を開けてしまった。