泊まりといったら何か。そう尋ねられれば私の頭に浮かぶことは多々あります。
パジャマパーティー。夜の会話。枕投げ。お風呂……いつも体験しているような何気ないこと。
しかし日常にいつもいない人物が加わることで、それらは新鮮なものに感じることができます。
それこそが、お泊り会。
と、知らない世界で暮らすことになって数日。毎日がお泊り会状態な私は語ります。
『いただきます』
さて。あれから少しばかり時間は流れ。
夕方が終わりかける時刻になり、我らがギルドに住むメンバーは食事をはじめました。
いつもの面々、プラス、イルさんという面子で綺麗に声を揃え、私はフォークとナイフを手にします。
今日のメニューは鶏肉のステーキ。塩胡椒をまぶして焼いただけのシンプルな一品です。おかずはそれだけ。あとはパン以外、スープもなにもないというのに、寂しい感じは少しもしませんでした。今すぐ食いつきたい気持ちを押さえ、私は改めて自分の前に用意された料理を見ます。
まず、大きい。期限ギリギリのお肉を一人一枚贅沢に使ったそれは、お皿にはみ出すくらいのサイズ。全体的に綺麗なきつね色をしており、皮はパリパリ。よく火が通っていることが窺え、その表面をまるで宝石でも散りばめたように粗めの塩と、胡椒が美しく彩っておりました。
鼻から息を吸えば、お肉そのものの強烈な香りが私の腹を刺激します。
お肉。その単語を最も強く感じられる調理法は、やはりステーキだと思うのです。
ただ焼くだけ。しかしそれ以上にわかりやすいことはありません。
私はお肉を切るため、皮にナイフを食い込ませ、肉へと押し込みます。サクッといい音が鳴り、続いて肉の部分に。皮の手応えに比べ、肉はなにもなかったかのようにあっさり切れ、白い断面が見えます。鶏肉らしい程よい脂が流れ、感じられる匂いがさらに強まりました。
フォークに刺し、皮とともに口にすれば――鶏肉の香ばしさと旨味、油の甘みが口に広がります。それを塩と胡椒がいい具合に広げ、かつ引き締めており……絶妙な味を作り出していました。
淡白でさっぱりとした味わい。けれども粗めの味付けがお肉のパワフルさを増幅させており、飽きることなく食べることができそうでした。
「嗚呼、美味しい……」
私は自然と噛みしめるように呟きます。
「本当に美味しいな……これは高い肉なのか?」
驚いたように目を丸くさせたイルさんが、キッチンのアクンさんへと尋ねました。彼は洗い物をしながら頬笑んで答えます。
「いや、うちは安くて沢山食えるのがモットーだからな。そういうのは使ってねえな」
「調理人の腕ということか。なるほど」
そう真面目なトーンで言い、鶏肉を頬張り子供のような笑顔を見せるイルさん。アクンさんは照れ臭そうに笑って、洗い物をする手を止めました。
料理人としてここまで嬉しい言葉、表情はないでしょう。本当に美味しそうに食べてますからね、彼女。
「ほんと、アクンさんの料理は最高よね」
「女の子としてこの腕前は羨ましいよねぇ……」
と、リーアさん、ミュラーさん。彼女らもイルさんほどではないものの、頬がゆるんでいました。彼女らは私より更に長く彼のお世話になっているみたいですし――最早信仰と言ってもいいくらい彼の料理に心酔していることでしょう。たった数日まかないを食べた私がそうですから。
彼の料理は私の好みそのままなんですよね。バッチリなんです。
「そうだろうそうだろう。私に感謝したまえ、女性諸君」
ここぞとばかりにデニーさんが威張りました。既に半分ほどなくなった肉の皿へフォークとナイフを置き、彼は胸を張ります。
「うっさいわよ。ぽんこつオーナー」
「ぽんこつでも人を見る目はあるだろう」
リーアさんの眼力にまったく怯まず得意げな顔をするデニーさん。人を見る目はともかく、その無謀にも近い勇気にはちょっと感心してしまいます。間違ったことをしない限り手は出してこないのだけれど、リーアさんの威圧はまだ怖いです。
「そうだよ。ファロさんも優秀だし、その力はあるよ、デニーさん」
「……すごく傷つくんだが、ミュラーくん」
「なにがですか?」
『は』という言葉に思い切りダメージを受けたデニーさん。彼はテーブルに突っ伏してしまうのですが、張本人は知らん顔で首を捻ります。
リーアさん以上の破壊力……天然とはおそろしいものです。
「ふむ。確かに人を見る目は重要だ。その力、誇っていい」
食事の手を止め、イルさんが優しげな口調で言います。倒れていたデニーさんは顔を上げました。目には涙を浮かべてうるうるしており、なにやら感動のシーン的な雰囲気です。
「君は……優しいのだな。誤解していたよ。もっと子供っぽい人かと――」
「ただ考えなしなのが駄目だな。人の迷惑を考えろ」
デニーさん、再び轟沈。
多分ファロさんの話していたことを言っているのですが、彼からしたら突然『人の迷惑』を考えろと言われたようなもの。すごいショックでしょうね。
「いつもこの面々で食事をしているのか?」
突っ伏してしまったデニーさんをちらりと見やり、イルさんが会話を継続させます。ちょうど口の中のものがなくなった私は答えました。
「ですね。記憶をなくしてからはずっと」
「そうか。こう言ってはなんだが、勇者なのに随分寂しいパーティーだな」
仲間は二人。あとはギルドの職員のみ。確かに寂しい。それは私も思います。けれど、それはルーフルが仲間と別れて単独行動を始めたのが原因で……。
『……』
あ、まずい。勇者に見捨てられた二人がいけない反応を起こしかけています。
「あはは、色々事情があるのですよ。そういえば、勇者の仲間にはどんな人たちがいたんですか?」
彼女らにとって勇者と別れたことは地雷中の地雷。話を逸らすべく私はなるべく違和感のない話題を選択し振ります。
「前の仲間のこと? そうね……」
不穏な空気を醸し出していた二人が考える素振りを見せます。とりあえず爆発の危機は去ったようです。安心。
昔の仲間。ずっと気になっていたことです。勇者の仲間だというからにはやはり強者揃いということなのでしょう。もしまた仲間にできれば今後の旅が楽になるかもしれませんし、是非とも聞いておきたいところ。
「色々いたけど、ルーフルみたいな魔法剣士が一人、いたわね」
魔法剣士、ということは魔法も剣も使える人なんですよね。ゲームでは中途半端になりがちな職業ですが、その辺りどうなんでしょうか。
「どれくらい強い人なんですか?」
「多分なんでもありの戦闘なら、お姉さまに次いで強いんじゃないかな」
ミュラーさんが答えます。歴代最強の次、ですか。ルーフルの強さが分からないから想像がつきません。
「我もその人物は知っている。確か名前はティエ。美しく強い女性だと聞いた」
ふむ。世間知らずな彼女が知っているとなると、割と有名な人みたいです。
しかし……やはり女性なんですね。私は前々から気になっていた点を問います。
「あの。すみません。私って……女性が好きだったりしたんですかね?」
「それは分からないけど、仲間は女性だけだったわね。旅になるから知らない男性が来るのは嫌だったんじゃない?」
どうでもよさそうに答えるリーアさん。魔法が使えることでそれなりに男女の差は感じられないとはいえ、やはり単純な力では男性に勝てないと思うのです。パーティーが女性だけならば、それなりな理由があるはずなのですが……そんな修学旅行の班決めのように簡単に決められるようなものなのでしょうか。
「私にもよく分からなかったなぁ……お姉さま自分のこととかあんまり話さないし」
ミュラーさんがしみじみと言います。いまいち分かってなさそうな仲間二人。彼女らを見て、イルさんは首を傾げながら言います。
「世間では勇者は女好きの認識だったぞ?」
大人数侍らせていたみたいですし……そう思われても仕方ないでしょうね。現実はそんな甘いことなさそうですが。リーアさん、ミュラーさんの返事で大体察しがつきます。
「まぁ、女好きでもどっちでもいいわよ。私達は世界を救う旅をしているだけ。勇者に従うしかないんだから」
「私はその、少し……気になるかなぁ、なんて」
淡白なリーアさんと、こちらをチラチラ見るミュラーさん。私は曖昧に苦笑し、このままこの話を終わりにしようとします。けれど――
「正直なところどうなのだ? ルーフルの恋愛対象は」
ここでイルさんが予想外にも踏み込んできました。口にしていたパンを飲み込むと、彼女は私を見ます。ミュラーさんがグッジョブを言わんばかりに目を輝かせました。
「私ですか……」
彼女には今日一日言うことを聞くよう言われています。逃げることはできません。なんとなく恥ずかしいので避けようと思っていたのですが、訊かれては仕方ありません。鶏肉を口にし、私はじっくりと考えます。
ふむ……。そうですね。地球では恋愛感情など抱いたことはなく、ただなんとなく生活していただけ。誰が好きなのかなど問われても分かりません。
しかし、ミュラーさんやリーアさん、イルさんのように可愛らしい人ならば、くっついたりしてもそれほど嫌ではないような。むしろ色々と触りたいような。
結論を半分ほど出し、私はふと周囲を見回します。
そこにあるのは可愛らしい彼女らの顔。デニーさんは排除するとして……最後に目に止まったのは、料理。
そうだ。私は想像します。
もしアクンさんと結婚でもしたら……なんだか最高な気がします。私は家事をして、彼は仕事と食事の用意――お金と料理が手に入る、こんな美味しい話があったりしていいのでしょうか。我ながら最低な発想です。
すごく魅力的、なのですが……。正直、異性と近くにいるというのは苦手かもしれません。今まで経験がありませんし、あったとしても学校で席が近くなったり、行事で仕方なくとか、そんな感じですし。
考えに考え、ようやく私は答えました。
「両方ですね」
今のところ判断がつかないので、当たり障りのない返答をしておきます。
「なんだ普通ね。つまらないわ」
リーアさんが退屈そうに肩を竦めます。両方好みで普通ってどんな世界なんですか。私の世界では割とマイノリティなんですけど。
「そっか。そうなんだ……ふふ」
「……大変だな、ルーフル」
にやにやと笑うミュラーさんをちらりと見やり、イルさんは同情するような目を向けてきます。この世界でも姉妹で恋愛とかは少数派みたいです。
「――リーアさんはどうなんですか? 好きな人とか」
ガールズトークなどといったものには縁のなかった私。しかしなんとなくこのまま同情されるのは気まずく、積極的に話を振っていきます。ミュラーさんが私に好意をもってくれているのは分かるため、ここはリーアさんへ。自然な話題を投げかけました。
リーアさんはどうなのでしょうか。王道で記憶を失う前のルーフル。もしくはミュラーさんだったり、もしかしたらかつての勇者パーティーの中に意中の相手がいたかもしれません。または普通に誰かと付き合っていたり……。
外見子供ですが、精神は大人な彼女のことです。男性とかと付き合っていたりしても何ら不思議はありません。十歳以上年の離れた男性と隣に並んで歩く、なんだか犯罪チックな光景しか想像できないんですけど……あり得そう。
「好きな人? そうね……」
意外にもくだらないと一蹴するようなこともなく、彼女は視線を下げて真面目に考えはじめます。それからじっくり思考――と思いきや、すぐに顔を上げて一言。
「ルーフルかしら?」
何故か疑問文。されど指名。思いもよらない展開に私はびっくりします。が、適当な調子で言われた台詞に、ミュラーさんが本人よりも狼狽えました。フォークやナイフを置いて、ガタッと椅子を鳴らします。
「り、リーアさん!? なんで!?」
「いや、だって綺麗だし、スタイルいいし、いいんじゃないかしら。肩書だって立派だし」
「なななに言ってるんですか。私なんて全然」
盛大に吃る私。いつもなら威張るところだというのに、つい好きという単語に混乱して、ナルシストというお家芸を忘れてしまいました。私も純粋だということでしょうか……ふふ、好感度上がってしまいますね。
「ルーフル。あんたいつも自分で綺麗だとか可愛いだとか言ってるのになんで謙遜するのよ」
姉妹のオーバーリアクションに深く嘆息するリーアさん。
本気で呆れており、とても私のことを好きだとか言った人の態度ではありません。
「ま、見た目がよくて優しくて、頼り甲斐がある人がいいわよね。そういった点では、ミュラーでもいいわよ? どっちでも養えるからいつでも歓迎よ」
キリッとした顔でそう続けるリーアさん。プレイボーイが! 主人公格以上のプレイボーイ……プレイ幼女がおる! というかノリがいい!
「まぁ、あんたは嫌だけどね」
「我こそ勘弁だ」
この二人は相変わらずです。仲がいいんだか悪いんだか。真っ向から意見し合える時点で結構な仲良しだと思うんですけどね。
「強力なライバルが……。イルちゃんはどうなの?」
リーアさん参戦の兆しですっかり参った様子のミュラーさんが問いかけます。とりあえず敵が何人か把握しようとか、そんな意図なのでしょう。臨戦体勢のようなぴりぴりとした緊張感を漂わせています。
「我か。我は考えたこともないな」
イルさん、特に気にした様子もなく返答。鈍いのか知らんぷりなのか。真顔で首を横に振り、答えます。
「そっか。よかった……。リーアさん一人でも私に勝ち目がないし」
もう本音が駄々漏れなミュラーさんでした。風車の村の一件で雰囲気が柔らかくなったのはいいのですが、色々と変化しすぎなような……。
「ただお前は嫌だな」
「私も勘弁ね」
胸を撫で下ろすミュラーさんの横で、さっきと似たようなやりとりをするイルさんとリーアさん。やっぱり仲いいですね、この二人。
「楽しそうだな。ほれ、これ使うか?」
そこへアクンさんがやってきて、テーブルに丸い形をしたビンらしきものを置きます。スプーンが入ったそれの中身は……2つとも黄色の液体です。匂いからしてこれは――マヨネーズとマスタードですかね。なるほど。これをパンに塗ってステーキと共に食べると。
「ぜひ使わせてください」
ちょうどステーキとパンの組み合わせに飽きていたところです。私は一番に手を伸ばし、遠慮なくパンの一切れにそれらを塗りつけていきました。その上にステーキを一切れ乗せます。そして一口食べれば……文句なしの味わいです。マヨネーズの濃厚な味。その中にマスタードがぴりりと効いていて、しつこい感じが一切ありません。野菜があるともっと食感が楽しく、味が引き締まると思いますが、それでもかなり美味しい。満足感が違います。
「……やっぱり料理ができる人がいいわね」
同じようにパンとステーキを味わう私達。リーアさんがぽつりと零した言葉に全員が頷いて同意しました。……多分、このメンバーは一切料理できないんでしょうね。みんなの様子からなんとなく察しがついてしまった私です。
○
異世界でも不自由なく生活できている要因の一つ。それは間違いなくお風呂の存在だと言えました。
身体の汚れを落とし、日々の疲れを癒やす――私は入浴が大好きです。人間、一人でのんびりする時間が必要なのです。
「……ふぅ」
ランプに照らされた明るい室内。浴室は複数人で入ることを想定されて作られているのかそれなりに広く、水の音がどこか寂しく響きます。その浴槽の中で私は深く息を吐きました。水の音と混ざり、それはうっすらと小さくなり消えていきます。私しかいない空間でのんびり温まる。心地よい気分でした。食事も終えて、なんだか満たされた、といった感じ。
幸せですね……異世界に来て数日、たったそれだけでこれほどの幸福感を得られるのだから私は運がいいというか。
「……今日も色々ありましたね」
ひとりごちます。
対人戦など初めてでしたが……なんとかなって良かったです。トラウマもなんとか抑えられましたし。
「トラウマ、ですか」
私は思い返しました。元の世界のこと、そこで起こったとある物語のこと。あそこの現実にファンタジーなんてものはなく、奇跡のような不幸が降りかかるのみ。普通に生きようとしていた私は、いつの間にか誰よりも歪んでいました。
その歪みがあるからこそ、今の私がいるのですが……どうなんでしょうか。このままでは何かしら問題が起きるような気がしてなりません。
「大丈夫、ですよね」
他人の血や傷に対してだけではない、私の根本的なトラウマ。あまりに身勝手で、幼稚なそれ。自分でもよく分かっていました。でも誰にも相談はできない。だから、最後まで自分自身で戦うのです。
――不安ですが、それしかないのです。
「……ん?」
ふと私は浴室のドアがノックされていることに気づきました。こんこんと小さな音で叩かれるドア。リーアさんでしょうか。でも彼女は一回、記憶を失った私に入浴法をレッスンしに来たきりですから……ミュラーさん? でもそれにしてはノックが小さいような。叩かれている位置も心なしか低いような気がします。
「はい、誰ですか?」
「……イルだ」
返事をすると、ドアの向こうからボソッとした言い方で名乗られました。イルさんみたいです。意外ですね。彼女はこういった裸の付き合いなど避けるものと思っていたのですが。
「……入るぞ」
「ええ、いいですよ」
律儀に私の言葉を聞いてからドアが開かれます。一日言うことを聞く約束をしてるのだから、勝手に入ってくればいいのに、とは少し思います。
呆れる私の前。服を身につけず、髪をおろしたイルさんは、予想以上に子供っぽい見た目でした。太ってはいないけど、お腹とかちょっと身体に丸みがあって可愛い印象が増していました。細かい描写はエヌジーをくらいそうなので自重します。
「御用件は? やはり私のサービスシーンですか?」
入り口を閉じ、浴槽の前でもじもじする彼女へ問いかけます。
「いや」
そうきっぱり答えられると若干堪えます。
「話をしに来た」
桶にいれたお湯をかぶり、ここへ来た理由を告げるイルさん。彼女はそれから湯船に入ってきました。すすっと移動し、私の隣へ。なんだろうと思い見てみれば……なにやら真面目な顔をしています。
「話ですか。なんでしょう?」
「……約束、覚えているか?」
私をまっすぐ見てイルさんが尋ねました。
「覚えてますよ。今日一日なんでもいうことを聞く。ですよね?」
流石に今日のことは覚えています。得意気に答える私。
「覚えているのか」
が、イルさんは意表をつかれたようなご様子。私がどんな人物に見られているのか――あまり想像はしたくありません。事実かもしれませんし。
「そうか、なら……だな」
もじもじして、何かを言い淀むイルさん。台詞と擬音だけならばなんとなくロマンティックな展開にも思えなくはないですけど、彼女に照れはなく、単純に言うか言わないか葛藤しいるようです。彼女の中で天使と悪魔が戦っている様子が想像できました。
いたずらを打ち明ける子供のようにも見えて、ちょっとじれったい気分。しかし私は待ちます。勇気を出して言おうとしているのです。それが愛の告白であろうと、いたずらの自首であっても私は受け入れる所存であります。だから彼女の口から言ってくれるのを待ちましょう。
「な……なか、な……か、まに……っ」
「呪文ですか」
が、ついつっこみをしてしまいました。こればかりは仕方ありません。面白いことを言うのが悪いのです。
「違う! ル、ルーフル、何故貴様は明日も私と仕事をしようとするのだ」
当初の質問とは絶対に違う疑問文が狼狽える彼女から届きます。しかしまぁ、言いたくなかったことなのでしょう。追及はせずにおきます。
「へ? 仕事ですし……おかしいですかね?」
「おかしい。約束の期限は今日までだぞ?」
「ふむ……」
正直、そんなに深く考えてなかったんですよね。あの時、約束のことは頭になかったですし。
――あ、しまった。これでは私がイルさんの思っている通りの人物になってしまうではないですか――って、そ、それはどうでもいいでしょう。うん。忘れておきましょう。
私はあの場で私がああ言った理由を思考し、一つの疑問に至ります。
何故彼女はこんな問いをぶつけてきたのでしょうか。私が手伝えば、彼女はそれなりに得になるはずなのに。
「わかりました。私に『好きだから』とか、ロマンチックな返答を期待しているのですね。シャイなんですから」
「それはない」
「……では何故そのような疑問を私に?」
さめざめと泣きたくなる気持ちを抑え、私は至って普通に会話を続けます。最初からこうやって質問の理由を訊けばよかったです。
「気になっただけだ。あれだけ迷惑がかかって、怪我もした。なのに何故明日も係わろうとするのかが不思議なのだ」
そう言われると、自分でもおかしなことをしているように思えるから不思議です。私は再度、彼女が納得できるような答えを考えました。
あの時私がああ言ったわけ……。それは多分。
「友達だと思ってるんですかね、イルさんのこと」
簡単なことです。ただの顔見知りではなく友人だから。なので戦いに巻き込まれても、イルさんと一緒にいようと思いますし、気遣うこともできるのです。
私が自分で自分の気持ちを確かめるように口にすると、イルさんは目を大きく開きます。
「友達だと?」
「ですね。私のマイルールでは少しでも一緒に過ごして、悪い人でなければ友人に自動承認されるのです。つまりは一日言うことを聞くと言った時点で友人確定というわけです」
「なんだその迷惑なルール」
まったくもってその通りなのですけれど、実際そんな判断基準なので仕方ありません。
「そうか、ならば我と貴様は友達ということか」
呆れたような顔をしていた彼女ですが、満更でもなさそうな笑みを浮かべて一度こくりと頷きます。そして頭を下げました。
「すまなかった。我の問題に巻き込んでしまって」
まさかの謝罪。真剣に謝られ、私はあたふたとしました。
「巻き込んでませんよ。私が首を突っ込んだんです。あの時点でイルさんを見捨てることもできたでしょうし」
「しかし……」
「私がしっかり選んで、やられたんです。不意打ちでもないですし怪我は自己責任ですよ」
きっぱりと断言。私は責任が嫌いですが、自己責任は当然のことと思っております。反面、連帯責任は滅びろと思っていますけど。
「……そういうものか?」
「あなたがこういう立場になったら分かりますよ」
おずおずとした態度で問いかける彼女に、私は笑いかけます。
「その時は多分、私みたいなことを言いたくなるはずです」
友達の問題は、自分の問題。それに自分から係わりにいったのですから、私は謝られたくはないのです。なんだか面倒な心境ですが、そうなのです。
「……ありがとう。優しいのだな、ルーフルは」
イルさんは安堵したように微笑み、言います。
「ええ、優しいですよ。謝罪はいいですから、感謝してください。それはもう崇めるくらいの勢いで」
「それがなければ普通に感謝できるのだがな……」
肩を竦めて彼女は苦笑しました。
「ま、嫌ではない。……不思議なやつだな、お前は」
息を吐いて、お湯に肩まで浸かるイルさん。彼女は身体の向きを変えて、湯船に背中を預けました。
「失敬な。可愛いやつですよ、私は」
「言ってろ。……今日一日ルーフルと共にいたが、どんな人間かはなんとなく分かった」
「どんな人間? あ、そんなことも言ってましたね」
確か草原で、思いっきり上から目線な感じで言ってきたんですよね。覚えています。勇者とはどんな人間か見せてもらおう、みたいな。
「どんな人間でしたか? 私」
「思ったよりも馬鹿だった」
「本人を前によく言えますね」
間違ってはないんですけど。
「いや、記憶喪失になっていることを知らなかったからな。前の勇者像と比べるとどうにもな……」
「あぁ、そういうことですか」
話に聞く限りルーフルは生真面目で寡黙な人間。明るくナルシストな私とはタイプが違います。確かにそれと比べられたら馬鹿と言われるのも道理です。
「しかし、いいのではないか? 堅苦しいより、今の感じの方が好きだ。勇者らしいといえばらしい。皆を導く力がある――と思う」
「ですかね。やっぱり」
「貴様の自信がどこからくるか知りたいところだがな」
根拠のないところから自然と湧きでるんですよね。不思議なことに。
「ともかく、我は満足だ。勇者のことを知れた。加えて、勇者を打ち負かしたという自慢もできるしな」
お湯の中で腕を組み、イルさんがかっこよく笑います。私は首を横に振りました。
「弱いものいじめは自慢になりませんよ」
「自信があるのかないのか分からん……」
拍子抜けしたようにため息を吐いてしまうイルさん。それから彼女は私を見て、スッと目を細めました。
「我の友達なのだから、少しは強くなってもらわないとな。これから頑張るように」
「勿論です。あなたこそ頑張ってくださいね、色々と」
優しげな表情をする彼女。私はそんなイルさんに微笑みを返しました。
「私も協力しますから。友達ですからね」
もう彼女は他人ではありません。事情も分かりましたし、協力したいという気持ちがあるのは間違いありません。私は躊躇することなく協力を申し出ます。戦闘までしたのだから最後まで付き合いたいと思います。
「勝手に友達にされたのだがな」
イルさんはクスッと笑い、からかうような口調で言いました。そして微妙に顔を赤らめて続けます。
「だが、ありがとう。……友達とはいいものだな」
可愛らしい彼女の言葉と表情に、私も何故かお礼を言いたい気持ちに駆られました。
なんだか……無性に彼女を抱きしめたい気分。この気持ちが――ロリコンの方々の抱くものなのですね。分からないと思っていたものを理解してしまいました。
○
「ルーフル、性格のわりに寂しい部屋に住んでいるのだな……」
お風呂から上がって、自室。私より先を歩いて、部屋に入ったイルさんは意外そうな声で言います。ベッド以外には家具のない部屋を見たからでしょう。確かに普段の私からでは考えられない質素さです。
体格的にぴったりなリーアさんの服、シャツとショートパンツを身に付けた彼女は部屋の中心に進みきょろきょろと辺りを見回します。よほど私の部屋が興味深いようでした。
「前のルーフルに言ってくださいな。では、皆さんおやすみなさいです」
ドアノブに手をかけ、私は後方、廊下の方を見ます。そして寝間着姿のミュラーさん、リーアさんの二人へ挨拶をしました。
「ええ。おやすみ」
イルさんと同じような格好をしたリーアさんは、至って普通に挨拶を返してくれるのですけど……。
「お姉さま。イルちゃんに何かしたり、されたりしないようにね」
ミュラーさんはなんだか嫉妬心の塊みたいになっていました。
一見すると心配そうな表情をしており可愛らしいのですが、隣にいるリーアさんの腕をギュッと強く握っていて、その部分が赤くなっています。ミュラーさんの手はプルプルと震えていて、見るからに力が込められていることが分かりました。なのにミュラーさんはその怒りを表情に出すことはありません。自分ではそんなことをしているつもりはないのかもしれません。
……正直、表に出されるよりすごく怖いです。
我らがパーティーでは絶対的な権力を持つリーアさんも文句を言わず、ただ汗を流すのみ。おそらく痛みもあるのでしょうが、恐怖の面が強いのでしょう。背中にナイフや銃を突きつけられ脅されながらも、何事もないように話す被害者――みたいな感じになってました。
「多分なにもないと思いますよ」
あまりにリーアさんが不憫なため、私は努めて紳士的に対応します。笑顔を浮かべ、彼女の怒りを少しでも和らげようと試みました。
「なにかあれば声が聞こえるからね……お姉さま」
満面の笑みを浮かべ、最初は低い声で、最後はハートが付きそうな甘い声で私を呼ぶミュラーさん。最後だけならラブコメのワンシーンにでも見えそうですけど、前半部分のせいでホラーにしか思えませんでした。
すごく怖い! ヤンデレ気味ですよ我が妹!
「と、隣ですからね……あはは」
苦笑を浮かべつつドアをゆっくり閉じる私。リーアさんの死を覚悟したような遠い目と、ミュラーさんの笑顔――サスペンス染みた光景が見えなくなると、私はホッと息を吐きました。
「気をつけなくては」
何か間違ったら死に直結しそうです。
「どうしたのだ?」
「なんでもないですよ。ささ、寝ましょうか」
あのことを言っても悪いことにしかならなそうなので黙っておきます。私はそそくさと事前にリーアさんに借りておいた布団と毛布のセットを部屋の隅から運ぼうとするのですが、イルさんがそれを止めました。
「同じベッドで寝るのではないのか?」
「寝るのではないのです」
間違いなく死んでしまう。そう思う前から本能的に返答する私。するとイルさんが俯いてしまいました。
「そうか……友達はそうすると聞いたのだがな」
「そう、なんですか?」
私はこの世界の理に疎い身。もし彼女の言うことが正しいのならば、イルさんを友人と思っていないと言ったようなもの。不安になり確認します。彼女は俯いたまま答えました。
「そうなのだ。代々友人は同じベッドで眠ると……キースが」
あ、これ嘘です。
「無論嫌だから潰したが……ルーフルはそれほど嫌ではない」
「少しは嫌なんですね……」
私より付き合いが長いキースさんが、私より好感度が低いってのはどうなんですかね。
まぁ、あの人はやたらとイルさんを気に入っている節がありますし……何かしたんでしょう、彼女に。撫でたり服を着せ替えたり、それはもう羨ましいくらい可愛がったり――嗚呼、なんか私そんな想像しかできない! そして潰したって何ですか!?
「まぁいいですよ……。私もむしろ嬉しいくらいですし、一緒に寝ましょう……」
「なんでそんな小声なのだ?」
隣の人が怖いからです。
「では私から」
声を潜めたままベッドの中へ。ふわふわで寝心地のいいそれに癒されつつ、私はイルさんへ手招きしました。
「失礼する」
するりと中に入り、私の隣へ来るイルさん。彼女は緊張した様子で私と頭の高さを合わせ、寝転がります。今日はこれよりもっと近いこともあったとはいえ、ここはベッドの中。こんな経験したことがない私も微妙に緊張してしまいます。
「緊張するな……妙にあったかい気がする」
私とちらちら目を合わせ、彼女は落ち着かなそうに身体を動かします。服装か、それともおろした髪のおかげか、お風呂の時同様、彼女のことがとても愛らしく見えました。なんだかからかいたくなり、私は顔を近づけて、ミュラーさんへ聞こえないよう囁きます。
「もっとくっつきます? きっと落ち着きますよ」
「ば、バカ言うな」
顔を赤くさせ、イルさんが狼狽えました。私につられたのか、内緒話をするくらいの声で言います。彼女は身体を丸るようにして、上目遣いに私を見ました。
「早く寝るぞ。明日も仕事なのだからな」
なんですかこの可愛い生物。赤面して上目遣い……軽い感動すら覚えそうです。
「そうですね。おやすみなさい」
これ以上からかうと声が大きくなりそうですし、これくらいにしておきましょう。良いものが見られましたしね。眼福です。
私は挨拶をすると目を閉じます。それまで感じていた緊張は、イルさんをからかったことにより解消。リラックスした気持ちで眠りにつくことができました。
○
コン、と小さな音が聞こえるような気がしました。最初は夢の中の出来事かとも思いました。けれどその音はしつこく、私の覚醒を促すように何度も続ます。徐々に眠りから覚めていく私。意識がはっきりしてくると、音は窓ガラスが叩かれて立っているものなのだと分かりました。
「……はい?」
誰かがガラスに何かを投げている。わけが分かりませんが、私のことを誰かが呼んでいるのかもしれません。まだ眠たく、なんとか目をこすりながら私は身体を起こします。隣ではイルさんがぐっすりと熟睡しておりました。音はおろか、私が起きたことにすら気づいていなそうです。
欠伸をもらしつつ、ベッドから降りて窓へ近づく。そして外を見ました。
「あの人達は……」
呼んでいたのは幽霊や変質者――などではなく、キースさんとグラットさん。怪我は私と同じく魔法で治したのか、至って健康そうな様子で彼らは小石を投げていた手を止めます。それから私へ手招きをしました。
夜中に男性二人から呼び出し。不健全なかおりしかしないシチュエーションですけど、何の用でしょうか。正攻法では無理そうだから、私を籠絡しにかかろうとか? ……なさそうですね。あの二人割といい人ですし。もしそんな悪人だったら、イルさんと二年いたときに何か起こっていた筈です。
まぁ、一応警戒して剣とマントは身につけておきますか。寝巻き姿はちょっとあれですし。
物音を立てぬよう静かに準備。マントの前を閉じて、私は部屋を忍び足で出ます。
「何の用なんですかね」
廊下を歩き、階段を下りながら小さく呟きます。
二人がここに来る用件。それが分かりませんでした。私を始末したかったり、イルさんを連れ出したいのなら侵入してこっそりやればいい話。密会する恋人が如く、石を窓に投げるなんて回りくどい行動は必要ないのです。そもそも何故こんな真夜中なのか。
やはり頭が自然といかがわしい方向に考えてしまうのですが、これが普通ですよね?
また人を切らないといけないのですか……。重くなる気分。ため息を吐きつつ外へ。ギルドの前に行きます。灯りで照らされた街の中。二人は横に並んで私を待っていました。
私は彼らの姿を見、少々意表をつかれます。
服装は同じ。しかし武器を身につけていないのです。戦う気はないようです。
ならばやはり――私に乱暴を!?
「何故身構える?」
「いや、なんか不健全な雰囲気なので……」
二人が揃って呆れ顔をなさりました。
「あんたの発想が不健全だ」
ごもっともな指摘です、キースさん。
「ごほん。冗談は置いといて、用件はなんです?」
「実はイル様のことで話が」
なにもなかったかのように本題を切り出すグラットさん。大袈裟に咳払いなどして話を無理矢理変えた私に合わせてくれるとは、やはり優しいお方です。その隣で『ごまかしたなこいつ』みたいな目で私を見てくる男に見習わせたいものです。
「イルさんのことですか」
私は頷きます。二人がここで、私に話をするなんてそのことについてしかないですし、納得です。ここでそれ以外の話題が出てきても困りますしね。
「で、なんですか? 協力なら歓迎ですよ」
キースさんの目が鋭くなりました。
「……何故そんなことを言う?」
「だってあなた達、イルさんの味方でしょう?」
私が言うと、二人は不思議そうな顔をしました。
戦いすらした相手を仲間に歓迎する。その理由が分からないのでしょう。説明することにします。
「悪いのはどちらか。そう尋ねたとき、あなた方はイルさんが悪い、こちらが悪くないと言う前に、自分達が来た理由を話したじゃないですか。あんなの、自分が悪いと思っていると言っているようなものですよ」
「そういうことか……」
「間違っていなかったみたいで安心しました」
否定しない二人を見て、私は微笑みます。キースさんはため息を吐いて、首を横に振ました。
「間違ってはいない。だが協力ではない。報告だ」
「報告?」
「ああ。イル様の旅を許す条件だ。――蒼き山のドラゴンを討伐。それを勇者と果たせば、ご主人は旅を許可するとのことだ」
蒼き山のドラゴン。蒼き山は場所の名前と断定できます。けどドラゴンですか……それを二人で討伐。ドラゴンといえば結構強いと相場が決まっております。それをたった二人で倒せなど、ふざけた条件に思えます。その無茶さも気にかかりますが、なにより気になるのは。
「何故私が指名されているんです?」
本来他人である私も何故か巻き込まれていることです。
「お前の名を利用させてもらった。勇者の肩書は説得に便利だからな」
「ごめんね、ルーフルさん」
あっけらかんと言うキースさん。彼の隣でグラットさんが対照的な態度で頭を下げます。
つまり、あれですか。お父様を納得させるために私の名前を利用したと。で、私と二人でドラゴンを倒してこいと。なんですかそれ。
「まるでイルさんが私のパーティーに入るような展開ですね」
「そうなるな」
「なるな、ってあなた……」
「そう話したのだ。嫌だったか?」
嫌ではないんですけど、勝手に決められると困るといいますか。
まぁいいです。彼女のことをなんとか助けたいとは思ってましたし、利用されるくらいどうってこともないです。私は肩を竦ませ、キースさんへ尋ねます。
「それで、蒼き山のドラゴンというのはどれほど強いんですか?」
ドラゴン。それはファンタジーでもかなり上位の存在。爪だったり牙だったり、ブレスだったり……様々な武器を持つ、人間がとても勝てるとは思えない偉大ともいえる存在です。
「……正直、勇者とイル様でも相手になるかは分からない」
二人の表情が暗くなります。嘘でもないようで、しっかりとした口調でした。楽勝だと言われた方が戸惑いますし、ここは彼の言葉を受け入れておきます。
「聞いたよりも弱かったからな。本気を出せばもっと強いならば、まだ安心できるのだが」
「実はあれが全力でして。私記憶喪失なんですよね」
「なら不安だ」
キースさんにきっぱり言われました。
「とりあえず、様子見でもしてきます」
「そうだね。これを成功させないとイルさんは連れ戻されるんだし」
頷くグラットさん。勝てるか否か。その見極めをして、もしできなそうならば何か手段を考えるといたしましょう。
「ちなみに内緒で仲間を連れて行くのは?」
「できないだろうな。勇者の仲間を見張るよう言われた」
……となると、やはり二人でなんとかして討伐するしかないのですね。リーアさんがいれば回復、ミュラーさんがいると攻撃が楽になるんですけど、仕方ありません。
「すまないな。二人でドラゴンを討伐なんて無茶な条件しか……」
「その条件出したの、本当にイルさんのお父様なんですか?」
条件を聞いたときの疑問を私は口にします。
娘を連れ戻そうとしている父親。もし彼が本気で娘を心配しているのならば、そのような死にに行けと言わんばかりの難題を出すとは思えません。
もしイルさんの言う通りならば――大体予想はつくのですが。
「ああ。間違いない」
キースさんは苦々しい表情で頷きました。
「あの人は……イル様が死ぬことを望んでいるみたいだ」
グラットさんが彼の言葉に続きます。
……冷静に考えれば、そうですよね。こんなの、実の娘に出す条件ではありません。死んでほしい人に提示するようなものです。
「なんでイルさんはそこまで嫌われているんです?」
「才能がなく失敗を重ねる一家の恥だって、言ってたね」
「……そうですか」
イルさんの言っていた通りです。
私は思い出します。父親のことをけなし、容赦ない言葉を口にするイルさん。彼女は淡々と、しかし自分に言い聞かせるように私へ説明をしてくれました。
私はそれを決めつけと思っていたのですが、間違いだったみたいです。
むしろ彼女はこのことを認めたくなかったのかもしれません。
父親のことを信じたい。しかし、長年の付き合いが確証を持たせる。そして同時に、期待を抱かせる。
親しければ親しいほど、色んなところが見えてきます。それは悪いところだったり、良いところだったり……。
だから、どんなにひどいことをされても悪人だと断定することができない。もしかしたら、と思ってしまう。
優しい彼女だから――父親を悪者と言い切ることに迷いが生じるのでしょう。
だから、淡々と語ることによって自分に言い聞かせている。
……これらは私の想像にしか過ぎませんが。しかしそれでも、父親のしていることは私には信じられないことでした。恥だからといってこんなことをするなんて。
「……そういえば、お二人はイルさんとどんな関係なんですか?」
「我々はあの家の使用人だ。今はほぼただの冒険者になっているがな」
使用人であれほど強いってどうなんですかね……ちょっとショック。ま、二年間と数日ですから、差があっても仕方ないんですけど。
しかし使用人が主人に交渉したんですか。わざわざイルさんのために、私の名まで利用して。この方々、本当にいい人ですね。
「話は分かりました。任せてください。なんとかしてみせますから」
私も仕事を果たさなくては。意気込んで、宣言します。
ドラゴンに勝てるかは分かりません。しかし、彼らのためにもやらなければならないと思いました。大丈夫。勝てないと思っていた魔の使いにも勝つことができたのです。ドラゴンくらいなんてことないです。
「すまないな。他人であるあんたを巻き込むことになって」
二人揃って私に頭を下げます。いくらイルさんを連れ戻さないためとはいえ、これでは状況を悪化させたとしか思えません。謝るのも当然のこと。しかしそれは、勝てなかったときの話。
簡単な話、勝てばいいのです。それで終わり。不幸になる人間はいません。
「気にしないでください。友人ですから」
「……友人?」
顔を上げたグラットさんが首を傾げます。私は笑顔を浮かべて頷きました。
「イルさんもあなた方、キースさんとグラットさんも全員友達です。だから迷惑だなんて思ってません」
なんとかしようと漠然と考えていたところに、明確な目的を運んできてくれた。それがどんなに困難なものであっても、形がないものよりかは確実です。
「むしろ嬉しいです。友達が私を頼ってくれるんですから」
「物好きだな、あんたも」
「流石勇者……僕、感動したよ!」
フッと笑うキースさん。大袈裟に涙を流し感動するグラットさん。私は二人へ微笑みかけ、力強く言い放ちます。
「友達のためにも、絶対にドラゴンを倒してみせます!」
必ず倒せる。何故だか心の底からそう思えました。