少女は異世界で勇者となる   作:珊瑚

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一章:姉妹の話
(1)


 

 

 

 あの人はいつも私の上にいた。

 誰よりも強く、正しく、そして優しい人。両親が幼い頃に亡くなりずっと二人で暮らしてきたけど、私は幸せだった。あの人がいるなら……私はなにも要らない。そうも思えた。

 しかし、いつだって世界は変化する。

 ある日彼女は勇者となり、生まれ故郷である村を出て行くことになった。私もそれについていくことを決め、無理矢理同行した。私はあの人と離れたくなかったのだ。

 けれど勇者の旅は想像以上に過酷なものだった。なんの取り柄もない私は、ただの足手まといだった。

 勇者と、ただの人間。その差は明確過ぎた。

 だから……あの人は私を捨てたのだ。妹である私を、たった一人の家族である私を。

 あの人は誰にも頼らない。だからこそ、私はなにか力になろうと努力したのだけど――それは間違いだったのだろうか。

 力のない者はなにもできないのだろうか。

 私は未だにそれが分からなかった。

 

 

 

 ○

 

 

 

「ルーフル! 起きなさい! ルーフル!」

 

 異世界に来て二日目の朝。私は喧しい少女の声と、肩が揺さぶられる感覚に目を覚ましました。

 目を開くとそこには、白衣を脱ぎ、ポーチも身に付けていない少し身軽な格好のリーアさんがいました。彼女はツンデレな幼馴染よろしくつり目を鋭くさせ、不機嫌そうに声をかけてきます。

 薄目でそれを確認。もうしばらく眺めたくなる衝動に駆られますが、彼女の片手が挙がったのを見て慌てて目を開きます。

 

「おはようございます」

 

「あ、起きてるじゃない。叩こうとしちゃったわ」

 

 笑顔で恐ろしいことを言いつつ、握り拳を下げるリーアさん。叩く、じゃなくて殴る、ですよねそれ。

 

「今日は風車の村に行くから、早めに起きときなさいって言ったじゃない。なのによくもぐーすか眠れたものね」

 

「あはは……寝心地がよかったせいですかね」

 

 苦笑しながら身体を起こし、ベッドを軽く叩きます。地球のものと比べると見た目は悪いのですが、柔らかさはとても良い感じでした。ふんわりと包みこむような包容力のある心地よさです。

 ギルドの二階。オーナーから無料で貸してもらっている部屋は剣を振り回せるくらい広いのですが、家具の類いは一切なく、あるのはこのベッドのみ。あとは隅に携帯食料の入ったリュックが置いてあるのみで……予算を全てベッドに使ったのではと思えるレベルでありました。ルーフルはここでどんな生活をしていたのやら。

 

「しっかりしてよ? あんたは剣の借金があるんだから」

 

 暢気な調子の私を射抜くような、ジトッとした視線が私に突き刺さります。

 

「朝からやめてください……」

 

 借金。重い響きの言葉に私の気分が沈みます。

 昨夜のことです。ギルドに現れたレイさんは剣のことについて話をしてくれました。

 基本的には持ちだして、それがあの剣だと分かっていて使った私が悪い話です。しかし店の主人である師匠さんが呼び止めもせずに見送ったレイさんをこっぴどく叱り、私は半額を払えばよいことになりました。レイさんは5000ゴールド相等減給になったそうです。何年も給料が減るのだとか。

 利益がほぼ出ないという商品だというのに、それは破格過ぎる対応だとは思うのですが……日本円にして50万円の借金は憂鬱になります。いつでも、何ゴールドずつでもいいと言われてもそれは変わりません。

 

「何言ってんのよ。そんなに気に入ってるんだから、返すしかないでしょ」

 

 リーアさんの目が私の抱いている剣に向きます。

 いやぁ、実はこの剣、一目見たときから割と気に入ってるんですよね私。綺麗だし頑丈だし、魔法も強化されるみたいですし。でもだからこそ確実に払わなければならないというわけで……。

 

「コツコツ仕事、しかないんですね……」

 

 勇者としての仕事にお金稼ぎという目標も追加されたわけです。物凄く気落ちします。勇者となります、とか心の中でかっこよく思っていただけに。

 

「さ、分かったなら早く起きなさい。アクンさんがご飯の用意始めたから」

 

「起きます」

 

 ご飯と聞き私は素早く起き上がりました。寝間着を脱ぎ捨て素早く冒険者風衣装を身に付けます。

 

「ふふ、食欲は一人前――あ、あんた恥じらいがないの!?」

 

 目の前で着替えはじめた私にリーアさんが驚いた様子で声を上げます。顔を赤くさせて顔を両手で隠してしまいました。

 

「アクンさんの料理と聞いてついはしゃいでしまいましたが、そこまで恥ずかしがるものですか?」

 

 シャツのボタンを閉めながら首を傾げる私。同性なら別に見られても減るものではないと思うのですが。あ、もしかして最近流行りの百合というやつでしょうか。美少女ならば私もやぶさかではありませんが……ふむ、ここまで過剰に反応されると少し照れくさいものがありますね。なんて下らないことを考え、手早く着替えを終わらせます。

 着替えの間ずっと顔を手で覆ったままの彼女は、私が着替え終えるとようやくその顔を出しました。

 

「あ、あんたの身体は目に毒なのよ」

 

 真っ赤な顔をしながら言い、見ていた立場なのに目を逸らしてしまうリーアさん。

 お子様には刺激が強いということでしょうか。確かにリーアさんとは正反対な私ですが。

 

「失礼なこと考えてるわね?」

 

 おっと怖い。読心術を習得しかけてますよこの人。

 

「着替えましたから、行きましょうか」

 

 髪は適当に撫でつけておき、誤魔化すべく歩き出します。後ろから溜息が聞こえましたが追及はなく、小さな足音が私の後をついてきました。

 部屋を出て一階へと降りていけば、既にそこには三人ほどの人物がいました。

 ミュラーさんとデニーさん、そして厨房に立つアクンさん。彼らは私やリーアさんと同じく、このギルドに住んでいる人達です。

 

「おう、ルーフル! ようやく起きたか」

 

 厨房に立っていた男性が私の足音に気付いて振り向きました。白い服とコック帽を身に付けた、見上げるほど大きな彼は、アクンさん。ギルドでは調理を担当しており、その全てを一人で行う、デニーさんとはスケールの違う男性です。

 白い服の下からは十分すぎるほどの筋肉の身体が見てとれ、まさに筋骨隆々といった感じ。顔も身体に負けず劣らずいかつく、どこのプロレスラーだと言いたくなりますが――話してみると、気のいいおじさんだということが分かります。むさ苦しい感じもなくむしろ爽やかなくらいで、とても話しやすい男性です。間違いなくモテます。とりあえず、私は彼に夢中だと言えるでしょう。

 

「おはようございます。今日のメニューは?」

 

 彼の料理の腕に、ですが。

 挨拶をすると私は単刀直入に献立を尋ねます。一階はいい匂いで包まれており、それでなんとなく察しはつくのですが――料理を目にするまで待ちきれません。すぐにでも明確な答えが欲しいのです。

 

「シチューとパンだ。ルーフルのシチューには昨日の残りの魚を入れようと思うが、どうだ?」

 

「いいですね……お願いします」

 

 シチューに魚。クラムチャウダーみたいな感じでしょうか。想像したらお腹が空いてきました。意識をシチューと魚へと集中させ、私は席に座ります。

 

「おはよう、勇者様」

 

「おはよう、お姉さま」

 

 私の向かい側にいるデニーさん、ミュラーさんが声をかけてきました。私はそれにおはようと返し、ミュラーさんを見ます。リーアさんと同じく、彼女は鎧を外しておりいつもより少し身軽な装いです。至って普通な白のブラウスを身に付けていて、スタイルは姉譲りなのかかなり豊かでした。顔立ちが幼いのもあって、私よりも破壊力があるかもしれません。

 

「……」

 

 ――ハッ。ついジッと一点を見てしまいました。ミュラーさんの若干冷たい視線を受けて私は我に帰ります。なにか言われる、かと思いましたが彼女は私と目が合うと逸らしてしまいました。

 ……ふむ。そりゃ身内に視姦の如くじーっと見られたら嫌ですよね。控えるようにしなくては。家族として今更なことを決意する私。そうこうしていると、厨房からアクンさんがやって来ました。

 彼は器用に四つの器を持ち、四人が座るテーブルへとやってきます。まず指で持っていた器をテーブルに降ろし、それから肘の辺りで支えていた器を私とミュラーさんの前に置きます。太い腕だからこそ成せる技でしょう。熱くないのか気になります。

 

「できたぞ。これはミュラーで、これがルーフル。で、リーアに、オーナーだ」

 

 それぞれが具が異なるようで、名前を呼びながらシチューを置いていく彼。お腹を刺激する香りを放つそれを置くと、彼はパンがいくつも入ったバスケットをテーブルの中心に置き、スプーンを配置しました。

 

「さ、食べてくれ」

 

『いただきます』

 

 アクンさんの合図が出て、私達は一斉に食べ始めます。

 私は迷わずスプーンを手に取りました。まずはメイン。器を手にし、眺めます。深みを感じさせるブイヨンの香り。それにクリーム、牛乳の濃厚な香りが違和感なく混ざった、なんとも食欲を刺激する匂いが漂ってきます。

 白いとろみのあるスープに浮かんでいるのは、芋、ニンジン、肉、玉ねぎ――私の世界でも一般的に知られる具です。作ったばかりだからか少しサラサラとしていました。私好みの煮込み具合です。

 シチューと言えば誰もが思い浮かべるであろうシンプルなそれへ、スプーンを入れ、私は目的の物を探ります。少しもせず、探していた具は見つかりました。

 昨晩は刺身として出ていた白身の魚。意外にもそれは肉団子、いや、つみれのように調理され姿を変化させていました。シチューにつみれ。珍しい組み合わせですが、果たしてその味は。

 切り身かと想像していた私は、予想外な加工状態にごくりと唾を飲み、意を決してそれを口にしました。シチューのスープと切り身を一つ。口の中に入れると思ったより熱く、私ははふはふと息をしながら具を噛みます。

 歯で簡単につみれは噛み切れました。ひと噛みすれば慣れ親しんだシチューの味の中に、魚の旨味が途端に広がります。その美味しさに私は驚き、私は顎をもう一度動かしました。すると——ひと噛み目にはなかった、シャキッとシチューには本来存在しない筈の瑞々しい、野菜のような食感があることに気づきます。おそらくつみれに混ぜてあったのでしょう。

 野菜でしょうか。白菜のような歯ごたえで、わずかな辛みがあります。全体的にまろやかなシチューの味を自然な程度にさわやかにしてくれ、次の一口への意欲を維持し高めてくれます。これは……ご飯が食べたくなる味です。

 私は迷わずパンへと手を伸ばし、それを口にしました。

 シチューとつみれ、パンを一緒に食べ、追加でスープを口へと運びます。これらのハーモニーは絶妙で、口の中に広がる美味しさ、体が芯から温まる感覚に思わず脱力してしまいます。口の中のものをすべて飲み込むと、私はふぅと息を吐きました。満たされるとはこのようなことを言うのでしょう。今ならなにをされても怒らない気すらしました。

 

「すっごいですねこれ。美味しいです、アクンさん」

 

 彼の腕には感服せざるを得ません。私が心から彼を褒め称えると、アクンさんはニカッと気持ちのいい笑顔を浮かべました。

 ただ、少し希望を言うなら白いご飯が欲しいですね、これは。あと、さらさらな状態より、具が少し溶けてドロドロになった方がいいかもしれません。どろっとしたスープが絡むつみれを口にし、白米を……などと考えると、食事しているのによだれが出てきます。

 

「ちなみにこの野菜はなんですか? 魚の団子に混ざってるやつ」

 

「ああ、それは辛白菜(からはくさい)だ。気に入ったか?」

 

「すごく。これだけでもシチューの具になりそうです」

 

 答えながら頭の中に辛白菜の名前をインプットしておきます。漬け物とか、鍋とか、炒め物とか、いろいろ美味しく食べられそうな食材です。

 私は夢中になってシチューを綺麗に完食しました。

 満足のいく朝食というものをいつぶりに食べたでしょうか。基本低血圧な私は朝食を抜いたり、少量しか食べなかったりするのですが、アクンさんの料理はするりと入るのだから不思議です。やっぱり食材の鮮度とかも関係しているのでしょうか。無論、彼の腕というのもあるのでしょうけど。

 

「……で、どうやって風車の村まで行くんですか?」

 

 完食まで言葉を交わさず朝食を終え、一息つくと私は尋ねました。

 風車の村が目的地だということは分かるのですが、それがどこなのか、距離はどのくらいなのか、どんな村なのか——私はさっぱりでした。

 

「風車の村までは馬車が普通だろう。多分それで一日くらいで到着するはずだ」

 

 デニーさんが優雅にお茶を飲みながら答えました。

 馬車なんて初めて経験しますね。楽しみです。しかし一日ですか。テレビで見た感じでは長時間乗れるようなものではなかったような。揺れを軽減する魔法的ななにかがあったり、というのを期待しておきましょう。

 

「馬車はあと一時間くらいで出るわ。だからさっさと準備しておいたほうがいいわよ」

 

 デニーさんにリーアさんが続きます。

 

「でも私、荷物ないですし。何か準備するものとかあります?」

 

「そうね……特にないかもしれないわね。あ、そうだ」

 

 ポン、とリーアさんが手を打ちました。何か思い出したようです。

 

「魔法の練習しておいたら? どうせそれも忘れてるんでしょ」

 

「魔法、ですか。私使えたんですか?」

 

「勿論よ。勇者なんだから」

 

 私の素朴な疑問に当たり前のように答えるリーアさん。ふむ。そうなると、前のルーフルは魔法を使えたことになりますね。まぁ強かったらしいですし、魔法は使えないとですよね。

 

「賢者様に言えば本でも貰えるんじゃないかしら。行ってきたら?」

 

 彼女はそう言って席を立ち、二階へ歩いていきました。それをきっかけにデニーさんも動き始めます。ミュラーさんも続いて立ち上がろうとすると、私はそれを止めました。

 

「あの、ついてきてもらえますか? 一人は寂しいですし」

 

 街を一人で歩く自信がなかっただけですが、若干の嘘を混ぜ同行を依頼します。手を合わせにっこりと微笑み、私は彼女が首を縦に振るのを待ちました。

 

「ごめん、ちょっと用意があるんだ」

 

 しかしその時は訪れませんでした。ミュラーさんはらしくもなく短く言って、そそくさと去ってしまいます。完全にふられました。彼女は断らないと思っていただけに、ショックがでかいです。私の勘違いだったみたいですが。完全に取り残され、ギルドの一階には私と、洗い物をするアクンさんのみしかいなくなりました。

 

「アクンさん? できればついてきて――」

 

「駄目だ。仕事があるからな」

 

 うぐぅ、最後の望みも絶たれました。ギルドの外には営業を待つ冒険者が集まりはじめてますし、かなり忙しいのでしょう。私に付き合えないのも当然のことです。

 

「……分かりました。では一人で行ってくると皆には伝えてください」

 

 構ってほしい面倒な人みたいなことを言って、私はのろのろと席から立ちます。ああ、寂しいです。何故勇者が一人で街を歩かにゃならんのですか。

 

「ああ。悪いな。その代わり弁当は気合い入れて用意しておくから」

 

「私についてくるなんてとんでもない! お弁当、よろしくお願いします」

 

 やっぱり時代は一人ですよね! 外食も一人でしてきた自分です。今更街を歩くくらいなんてことありません。

 あっさりとやる気を出して私はギルドを出ていきました。剣は腰に差していますし、頭には返しておもらった髪飾りをつけています。誰にもばれないでしょうし、きっと大丈夫です。私は上機嫌にスキップなどしかねない足取りで通りを進んでいきました。

 

「お弁当……なにが入っているんでしょうか」

 

 今日日お弁当を心待ちにしている人間はどれくらいいるのでしょうか。自分が安い人間になっているのでは、なんて懸念も抱かぬほどに、お弁当という単語に私の心は躍りました。

 

 

 

 ○

 

 

 

 やって来ました、お城前です。

 街の建物らとは比較にならない規模の大きさを誇るその建造物。全て石で造られており、窓などいくつあるのか数えられないほど巨大でした。昨日は意識を失ってて外観を近くで見れなかったのですが、すごい雰囲気です。お弁当でハッピーになっていた頭がすっかり落ち着きました。

 

「いざ……」

 

 真面目な顔をして止めていた足を動かします。私の正面には木で造られた大きな門がありました。門の奥は水路の上に道を作る跳ね橋があり、そこを進んだ先に入り口が見えます。まずは門を突破……するんですけど、通れるんですかね。

 怖い顔をして門の前に立つ門番さんは、街の入り口で見たような人がよさそうな方々ではなさそうでした。眉間にしわを寄せ、人生にゆとりなどないような顔をしております。とても楽には通してくれそうもありません。

 ――しかし私は花も恥じらう乙女。見た目も悪くはありません。むしろ美少女。通してくれる筈。

 

「待て」

 

 案の上止められましたよちくしょう。

 コントのような鮮やかさで、私が確信を得た瞬間に門番さんが私を止めにかかります。冷静に考えれば帯剣してる女を易々と通すわけないんですけど、私はなにを考えていたのでしょうか。

 

「お前は……地味なやつだな。何用だ?」

 

 あ、そういえば髪飾り付けているんでした。微妙に不便ですねこれ。周囲を確認。門番さん以外に誰もいないことを見てから、私は羽の形をした髪飾りを外しました。

 

「賢者さんに会いに来ました」

 

「ん? ゆ、勇者様!?」

 

 すると効果はてきめんで、門番さんが大袈裟に思えるくらい驚きます。ふふ、印籠みたいで少し気分がいいです。

 

「いつからそんな地味に!?」

 

 もう本当にね、変装のせいで風評被害がすごいことになってますよ。驚くのそこかと。

 

「地味ではありません、プリティーです。通っていいですか?」

 

「は、はい。お呼び止めして申し訳ございません」

 

 ぺこりと頭を下げて横へどく門番さん。変装をしていた前とは段違いの対応です。流石は勇者のネームバリュー。タンスを漁ってもつぼを壊しても怒られないだけはあります。

 

「いえ、ありがとうございます」

 

 通れてよかったです。髪飾りを再び装着。『地味』と小さく呟いた門番さんへ睨みをきかせ、城の中へと進んでいきます。そこからは難なく城内に入ることができました。ドアを開いて中に入れば、赤絨毯とランプ、窓らがある昨日見た光景が。

 

「……こうやって来たんですね」

 

 それほど長く気を失ってわけではないみたいです。ちょっと安心。

 さて。賢者さんの部屋は確かすぐ近くの部屋でしたね。のんびり考えて、賢者さんの部屋のドアノブに手をかけます。

 

「……ん?」

 

 すると中から誰かの話し声が聞こえてきました。声は二つ。低い声はおそらく賢者さん。そしてもう一つ、彼と話しているらしい人物の高い声がしました。リーアさんのような小さい女の子っぽい声ですけど……誰でしょうか?

 

「もういい! おじい様ったらいっつもわけわかんないこと言うんだから!」

 

 ドアに耳をつけ、聞き耳を立てようとした私は飛び跳ねました。近くで大きな声がし、ドアが急に開いたのです。それも勢いよく。身体を横にしたため、脇腹を思い切りドアノブが殴打します。続けて頭を打ちつけるという容赦のないコンボです。

 

「ごふっ!」

 

 男性の蹴りよりも効くかもしれません。私は腹を押さえてしゃがみこみ、悶絶します。

 

「あっ。すみません! だ、大丈夫?」

 

 ドアを開けたらしい人物が私のことを心配します。何が起こったのか理解しているようで、声には本気の申し訳なささが感じ取れました。

 

「だ、大丈夫です……少し痛かっただけで」

 

 大丈夫、私はあのイノシシの突進に耐えるくらい頑丈になったんですから。ええ、大丈夫。心の中で暗示をかけつつ私は立ちあがります。

 

「ふう……っ。ぼんやり立ってたのも悪いですし」

 

「本当にごめんなさいっ! ――ってルーフル!」

 

 私を殴打した犯人を見ようとする、その前にガッと思い切り両肩を掴まれます。とどめ!? とどめですか!

 

「私よ私! エイナ!」

 

「は、はいっ?」

 

 名前ですかね。急なことに戸惑いながら顔を上げれば、私の肩を掴む人物は顔をくっつけそうなほど間近に近付けていました。緑色の綺麗な瞳の中に私が映っているのが見えます。近い。そしていい匂いがします。

 

「ごめんなさい。私記憶喪失でして」

 

「……おじい様の言うことは本当だったのね」

 

 扉越しに聞こえた声とは印象の違う、大人びた声で彼女は落胆した様子で言います。小さく溜息を吐いて、肩から手を離すと緑の瞳の彼女は私から離れました。

 そうして彼女の全身が見えると、私は息を呑みました。これまで見てきた人達とは明らかにカテゴリが違う女性です。

 豪華で煌びやかなドレスを身に付け、頭の上には小さいながら品を感じさせる王冠らしき物、そして腰まで伸びた流れるような髪。ウェーブのかかったピンク色の髪は彼女が動く度にさらさらと揺れ、身に付けているものに負けない美しい顔立ちも相まって、少し薄暗い城内だというのに彼女の姿は輝いて見えました。

 体型はモデルのようにスマートで長身で――な、なんですかこの方。綺麗過ぎて恐ろしいレベルなんですけども。イケメンに声かけ難いとか言ってる女性方の気持ちが理解できました。

 

「……なったものはしょうがないわね。私はエイナ。エイナ・ゼーレモーントよ。ルーフルとは……」

 

 混乱する私の前で、エイナと名乗った女性は真面目な顔で思考します。そして私との関係を口にするところで、不自然な間を空けました。何か考えているようで、エイナさんは顎に指を当ててニヤリと、なんだか悪役チックな笑みを浮かべました。

 

「恋人の間柄なの!」

 

「え、ええー!?」

 

 絶対嘘です! 騙そうとする人の前で堂々と企み笑いして、通用すると思っているんですかこの人!

 

「本当よ。もうそれは激しくお互いを求めて毎晩いちゃこら――」

 

 すぱーん、とエイナさんの頭が何かに叩かれました。見ればいつの間にかメイドさんらしき人物が彼女の横に立っています。その手には凹んだ銀色のトレイが。

 白と黒の分かり易いエプロンドレスを身に付けた彼女は、ぐったりとして沈黙したエイナさんを脇の下に手を入れ、ひきずって運んでいきました。

 

「……」

 

 ……な、なんだったのでしょうか。見てはいけないものを見てしまったような。とりあえず、恋人はないですね。二人のことは忘れておきましょう。

 気を取り直し、私は今度こそ賢者さんの部屋に。

 中に進むと賢者さんはいつもの椅子に座っておりました。水晶を前に不思議な雰囲気を放ちつつ、入ってきた私を見るのですが……その目は昨日より活力がなく、なんだか疲れているようでした。

 

「おはようございます。ちょっとお願いがあって来ましたけど……大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だ。座るといい」

 

 見るからに疲れている賢者さんは、声にもそれを滲ませ私に座るよう促しました。先ほど聞こえてきた声で察するに、エイナさんと何かあったのでしょう。彼女すごく子供っぽく大きな声だしてましたし。

 

「エイナさんと喧嘩したんですか?」

 

 つい気になった私は思い切って尋ねてみました。私にあれだけ反応していた彼女です。喧嘩が私に関係ないとも言えないでしょうし。黙り込む賢者さんをジッと見つめます。細く開かれた目の視線が泳いでいるのを私は確認しました。賢者さんでも同様はするようで。

 

「……そう、だな。お前さんのことで少し慌てていたようだ」

 

 暫し沈黙していた賢者さんですが、やがて肯定しました。観念するように彼は口を開き、しゃがれた声を出します。

 

「慌てていた?」

 

「ああ。勇者が記憶喪失になった。そのことを王族の自分になぜ言わなかったのかとしつこくな」

 

「王族……ん?」

 

 おかしいです。話の流れ的にエイナさんが王族になるんですが、彼女思い切りメイドさんに叩かれてましたよね。王族をぶっ叩くメイドさんがいるとも思えませんし。

 

「彼女が王族ですか。なんか面白い方でしたが」

 

 記憶喪失をいいことに恋人ポジになろうとしたり。

 

「エイナ様はまだ姫の立場だ。幼い部分もある。それにルーフル。お前さんになる前の勇者を慕っておった。混乱するのも仕方ない」

 

 なるほど。それで恋人云々と……納得できませんね。

 

「あの、この世界は同性同士の結婚とかお付き合いとかは……?」

 

「そんなことを訊いてくるなんて、エイナ様がまた何か言ったな?」

 

 賢者さんが憂鬱そうにため息を吐きました。初めはもっと気難しい方かとも思いましたが、こうして見ると話し易いいいおじいちゃんです。

 また、と言うからには、エイナさん前もなにかやらかしたんですね。

 

「大方メイドに回収されただろう。すまない。彼女には先に言っておくべきだった」

 

 以前彼と話したときは、記憶喪失の件は質問されたとき以外答えないようにするよう決たんですが、それが裏目に出たようです。

 

「謝らないでください。気にしてないですから」

 

 彼の言う通りメイドにすぐ回収されてましたし。私が微笑んで言うと、彼もまた口元に笑みを浮かべました。

 

「ありがとう。……それでお願いとはなんだ?」

 

「あ、そうでした」

 

 尋ねられ思い出します。うっかりです。魔法を勉強するためにここへ来たんでした。私は椅子にしっかり座り直し、背筋を伸ばしました。

 

「実は魔法の練習をしようと思いまして。私にできそうな魔法の本とかないかなと」

 

「なるほど、それはいいことだ。少し待っておれ」

 

 賢者さんが見た目に似合わないしゃきっとした動作で立ち上がります。彼は後ろを向き、壁に並べられている本棚を順番に見ていきました。右から左。左から右。しっかりと眺め、目的の物を見つけたのかまっすぐと数ある本棚の一つへと歩いていきます。そして迷わず一冊の本を手に取りました。

 

「勇者ならば一番に適正があるのは光の魔法だろう。これで初歩から応用まで学べる」

 

 人を殴り殺せるのではと錯覚してしまうような分厚い本が、テーブルの水晶横へと置かれます。本の表紙は革でしょうか。古ぼけておりすべては読めませんが、『魔法指南書』の文字が辛うじて読めました。

 

「光……」

 

「万能な属性だ。攻撃、回復から補助までこなせる。悪く言えば特徴もないのだが」

 

 勇者らしいと言えば勇者らしいです。

 

「ありがとうございます。ではこれで練習しますね」

 

 なにはともあれ、魔法というものは私も興味があります。分厚いですが有り難く拝借することに決めます。見た目通りずっしりとした重量の本を受け取り、私は立ち上がりました。あと一時間と言っていましたし急がなくては。

 

「じゃあ、今日は急いでますので。また今度遊びに来ますね」

 

「——勇者」

 

 部屋のドアノブに手をかけるタイミングで、賢者さんが突然呟きます。

 

「はい?」

 

 私のことを呼んだのかと振り向けば、部屋の空気が大きく変わっていることに気がつきました。先ほどまで賢者さんに感じていた親しみ易さはなく、水晶をただ見つめる彼からは、人間離れした神のごとく神秘性を覚えます。私は言葉を忘れ、その場に立ち尽くしました。

 

「これから其方は様々な試練を与えられるだろう。だが恐れることはない。それを越える力が其方には備わっている」

 

 声は同じなのに、何故こうも違うように聞こえるのでしょうか。人が変わったような、とはまさにこのことです。

 

「勇者とは人々を導く者だ。そのことを忘れることなかれ」

 

 賢者さんは最後にそう言い、水晶から目を離しました。異様とも言える彼の雰囲気はそこで大人しくなり、私はホッと息を吐きます。賢者の名の意味を知った気がしました。

 

「——はい。覚えておきます」

 

 頷く私。すると賢者さんはニッとどこか可愛らしさを感じさせる笑顔で言いました。

 

「ちなみに、同性婚は割とポピュラーだ」

 

 その情報は要らなかったかなぁ、と。

 

 

 

 ○

 

 

 

 部屋のドアが叩かれ、ミュラーは顔を上げた。規則正しい二回のノック。ルーフルにも似たそれにミュラーは一瞬まさかとも思うが、すぐに期待を捨てる。自分の知る姉はいない。あのノックはおそらく、リーアのものだろうと予想がついた。

 

「いいよ、リーアさん」

 

 ドアの向こうへ声をかけると、予想通りの人物がドアを開いて部屋へと入ってきた。白衣を身に着け、普段より膨れたポーチを肩に下げた彼女は、いつも通りの真顔をミュラーに向ける。

 

「どう? ルーフルのこと、少しは踏ん切りがついた?」

 

 分かっているくせに。喉まで出かけた言葉を、ミュラーは飲み込んだ。ここでそれを口にしても彼女は肯定するだけ。無駄な労力だとよく分かっていた。だからミュラーはベッドに腰掛け、沈黙することで答えとする。

 ルーフルの部屋と違い家具も多く、生活感が窺えるミュラーの部屋。いつもは整理整頓されているのだが改めて見ると今日は乱れていることにミュラーは気付く。床に道具が散らばり、本棚には本が積まれ、お世辞にも綺麗と言える状態ではない。ペットは飼い主に似る―—とはよく言うが、小さな波が立つように微妙に散らかった部屋は、まるで今のミュラーの心情を表したかのようだった。

 

「その様子だと、さっぱりみたいね。朝もルーフルと微妙な感じだったし」

 

 長年の付き合いである友人は言わずとも察してくれた。溜息を吐き、彼女はミュラーの隣へと遠慮なく座る。 

 

「いつもはあんたがあの子起こしてるのに、今日はわざわざ頼んでくるし……そんなに今のルーフルが嫌?」

 

「リーアさんはどうなの?」

 

 質問へ問い返す。喰い気味に投げかけられた問いに、リーアは目を鋭くさせた。

 

「どうなのって、私は――悪くないと思ってるわ」

 

「悪くない……? あんなお姉さまが!?」

 

 ミュラーは自分でも知らずの内に叫んでいた。別人としか言い様のないルーフルをリーアは受け入れている。それはまだしも、悪くないと思っているなんて――ミュラーには信じ難かった。

 

「うるさい。落ち着きなさい」

 

「落ち着けない! なんで、そんなこと――」

 

「あなたも、そう思ってるでしょ?」

 

 呆れ顔で言い放たれた言葉に、ミュラーは爆発していた自分の感情が一気に冷めていくのを感じた。図星、というわけではないが自分もそう思っていることはあったのだ。

 優しくなった。自分に助けを求めてくれる。頼ってくれる。そのすべてがかつて自分の望んだことだった。だが、それが満たされるからこそ、違うとも言えた。

 

「どうして……」

 

 自分もそう思っている。言葉が詰まるのはその証拠。ミュラー自身それは理解している。しかし、認めたくなかった。

 

「どうしてリーアさんは私にお姉さまのことを諦めさせようとするの!?」

 

 頭に浮かぶ考えを、リーアの問いごと吹き飛ばすようにミュラーは大きな声で言った。

 

「諦めさせようとはしてないわ。ただ言っているだけ。記憶が戻るとか希望的な話だけじゃなく、もし駄目だったときのことを考えておきなさい、って」

 

 取り乱すミュラーに対し、リーアは冷静だった。淡々と、だが表情は悲しげにただ事実を語る。彼女の口から出てくるのはいつも正しすぎる正論だ。

 ミュラーは反論もできず口を閉じる。正論とは当然のこと。自分は当たり前のことを受け入れずに騒いでいるだけ。直球的なリーアの物言いはそれをミュラーに痛感させた。

 

「自分のことばかりじゃなくて、ルーフルのことも考えるべきなのよ」

 

「――っ! あんな人は……今のお姉さまは、お姉さまじゃない!」

 

 ミュラーは部屋から飛び出した。子供のようにわめいて、苦しい反論をしたままその場を逃げ出す。荷物を部屋に置きっぱなしなのも忘れ、ミュラーはとにかくギルドの外へと向かった。

 

 

 

 ○

 

 

 

「ルーフルのことも、ね」

 

 ミュラーのいなくなった部屋で、遠のく足音を聞きながらリーアは呟く。

 自分のことだけではなく、ルーフルのことも。つい感情的になって口にしてしまった言葉だが――それはおそらく、勇者の仲間全員にあてはまることなのだろう。

 誰かが気付けたのなら、と何度思ったことか。――否、気付いていたのかもしれない。

 リーアは思い出す。誰よりも強かった少女が、仲間と別れを告げた日。

 本当は彼女は助けを求めていたのかもしれない。わけを訊かれるのを待っていたのかもしれない。

 その可能性を彼女と別れてから考えたことはあった。しかし、何もしなかった。

 そしておそらく、手遅れになってしまった。もうあの日の彼女の気持ちを知る術はなくなり、残されたのは後悔ばかり。

 

「私が言うことじゃないわよ……」

 

 ――踏ん切りがついていないのも、自分勝手なのも自分だ。

 ――受け入れたフリをして、安心しているだけだ。

 頭の中に浮かぶ数々の言葉を否定するかのように、リーアはベッドを叩いた。その頬には涙が流れていた。

 

 

 

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