格好いい京極はいません
ご都合主義が極まりました
楽玲婚約済み時空
本当になんでも許せる人向け
私が今これを書き記しているのは決して高尚な理由──例えば他者を救うという使命感──などではなく、ただただいつしか自分の身体に纏わりついてはなれなくなってしまった恐怖を──たとえこの行為にその効果がなくとも──どうにかしてしまいたいという身勝手な願いに基づいている。
私が、魂の深いところに刻み込まれてしまった、語るにおぞましいソレを経験したのは、23年前に仕事で訪れた東洋の島国での出来事だ。
当時の私は、今となっては愚かであったとしか思えないが、いささかオカルトに傾倒していて、出張先の土地にあるそういった──曰く付きの屋敷だとか古戦場跡だとか──噂の流れる場所を巡ることを趣味としていた。あの時、あの場所を訪れたのもその趣味の一貫としてだった。
その地の名を、現地の人々はシ=イと呼んでいた。残念ながら島国の言葉に慣れ親しんでいない私にはその土地の名の意味するところが分かっていなかったのだが、今ならそれが不吉な地名であることが──そしてそれは古くからの警告であったのだろう──よく分かる。
その日の私が、シ=イを訪れたのは全くの偶然──偶然であったと信じたい、もしもこの時点からやつらの手の内であったとすればそれは──であった。
地獄──この国の物は我々のHellとは意味合いが異なるようであるが──に繋がるという井戸や、怨みを残した女の声がする屋敷といった、我々のような好事家の間で評判の地を、前日までは巡っていたのだが私を満足させるような恐怖はもたらしてくれなかった。ああ、このことのなんたる幸運か!本当の幸運とは失って初めて気づくものなのである。
その地は、特段人々の間で噂をされるような場所ではなかったと記憶している。しかし、本当に恐ろしいものは、巷間に広がるものではなく、そこで暮らす人々は秘するものなのである。
そこは、数多の寺社仏閣や住宅が立ち並んでいる中で、ぽっかりと空いた穴のようであった。その証拠に、周囲は開発が進んでいてアスファルトで舗装されているに関わらず、そこだけは剥き出しの土で、その色も不自然なほど赤っぽい色──少なくとも私にはそう見える──をしていた。私はそういった僅かな奇妙さに心ひかれてしまったということがあったのだろう。
時代の流れに取り残されてしまっているそこに、足を踏み入れると、さくりと軽いものをナニか踏み潰すような感触がした。そして、そのはずなのに、靴の裏にナニがへばりついた感覚があった。
慌てて靴底を確認しても、乾いた赤い土が付着しているだけで、とてもそのようなもの──薄気味悪いナニか粘り気のある──は無かった。
この時点で、私は昨日まで、否生涯を通して訪れたオカルト的な逸話が残る地に対して、感じたことの無い畏れを抱いた。それだけではない。粘りつくような気配に関する嫌悪もである。このようなものは、これまで訪れた地には抱いたことがない。
しかし、この後に及んでも私はまだ、ここから立ち去ろうとは思わなかった。この場所を写真に残し、故国にまつ同好の友達に自慢したいという顕示欲がそうさせてしまったのだ。
一歩踏み込む。
大地が、震えた。
それは、地震か、あるいは重量のある物が──たとえば鉄骨など──が空から降ってきたかのようだった。
そのどちらでもなかった。
波打ったのではない。地面が盛り上がったのだ!
なんと恐ろしいことか──ああ、神よ!神よ!
土のなかから現れたそれは生きていた。
生き物であった。
下から姿を表したとき、それは口にするもおぞましいものだった。神がこの生物を作り上げたのであればなんたる悪趣味か!
全長は、4~5mほどの大きさで、頭部に当たる部分が、人間に近しい動物─例えば類人猿など─ならば目や鼻がある部分が半分喪失していた。その代わりといえるのか、喪失部分を補うようにきのこの傘のような薄べったいものがついていた。
おそらく口に当たる部分は、常に気味が悪い笑みを浮かべるようにつり上がっていて、鮫を思わせる鋭い歯が並んでいる。
そして、恐るべきはその二本の腕の先についている鉤爪である。それは、口元とあわせてこの異形が、肉食であることを証明しているようだった。
私は、この時になってようやく──あまりにも遅すぎるが──そこから逃げ出した。だが、耳障りな金切り声をあげるそれの一歩は大きく、私の一歩は小さかった。
だが、神は私をお見捨てにはなられなかった。
「外人さん、どう為されたのかな?」
人がいた。
私はその人物に、老人といっても差し支えのない年齢に見えた、何かを告げることはできなかった。ただ、私の怯えようからなにかを察したようだった。
「少し手荒くなるが、許して欲しい」
老人が何をしたのかは分からない。
しかし、次に目覚めた時、私の目にはどこかの家の天井が見えて、怪物の姿はなかった。
「お目覚めか」
先ほど、私を救ってくれたご老人は、おそらくこの家のメイドに呼ばれて、私が寝かされていた部屋にやってきた。
私は、私の知る限りの感謝の言葉を、ご老人に述べた。
「気にせんでいい、あなたは運が悪かったのだ」
私は、あれが何であったかを知っているか、老人に尋ねた。
「知らん方がいい」
その言葉に私は、ひどくほっとして。
二度と、オカルトめいた曰くのある地を巡ろうとは思わないようになった。
近頃、あの恐ろしい異形を夢に見るようになった。日に日に、その姿が鮮明に、金切り声がはっきりと、見える、聞こえる。近づいてくる。これは、夢か。現実か。
神よ神よ、どうか救いを。
◆
「おい、従妹殿よ」
今の斎賀百は、端的にいえば機嫌が悪かった。
新年の、龍宮院家での親戚の集まり。
かつてはお年玉が貰えるということが楽しみのひとつだった行事も、社会人になった百には煩わしいものでしかなかった。例年は仕事ということで、逃れられていたのに、実の妹が婚約者を連れてくるということで、長姉に捕まってしまったのだ。
その集まりは百の妹の祝福と、そして姉を筆頭とした百に対するお小言の場と化してしまった。
そこまでは、まだ良い。予測できていたことだ。
しかし、まさか見合いのセッティングまでされているとは思わなかった。
持てる力を総動員して、その見合い自体は中止にできたのだが、このままではもう一回くらいなら、セッティングされる恐れがある。
このある種のピンチに襲われているときに、数少ない百よりも年下の親戚である龍宮院京極がが、
「散歩でも、どうだい?」
と誘ってくれたのは、救いのように思えた。
そう、過去形である。
「おい、京極。貴様、まさかわざとか?」
「ち、ちがう。断じて、わざとじゃない!」
意図されたものではないのなら、新年早々名状しがたき異形に襲われている今年の百の運勢はどうなっているのだろうか。
異形の移動速度はあまり早くなく、幸いにして百と京極の両者共に動きやすい服に靴だったので、異形の鉤爪による初撃を躱してなんとか今は走って逃げている最中だ。
だが、いつまでも二人が全速力で移動を続けられるかという問いには、否と答えるしかない。
「せめて、得物があればな……」
百も良家出身なので、当然異形を相手取る型は身に付けているが、百の場合は刀に類する物が必要だ。そして、京極も剣士であるので同様に得物が必要だろうと、百は考えたのだが。
「でも、大丈夫だよ。今回は、あそこまで走れば逃げ延びられるから」
「何だと?」
「説明は後で」
気障っぽく唇に指を当てる仕草を胡乱な目で睨めつつ、百は京極に従ってちょうど交通標識が立っている十字路まで全力疾走をした。
異形との距離はかなり開いているはずなのだが、その巨大さは変わらない。
京極はすっかりリラックスしてあくびなどをしているが、百は念のために武器になりそうな良い感じの枝を拾う。
「おい。そろそろ説明しろ。なぜここなら安全だと言いきれるんだ」
京極は、芝居がかった仕草で肩をすくめて、
「これはお祖父様から聞いた話だけどね」
お前が考えたんと違うんかい、と突っ込みそうになるのを百はぐっとこらえる。
「さっきまで、僕たちが散歩していた所の町名は知っているかい?」
「しい町か?」
「そうそう、なんでひらがな表記になったと思う?」
異形がこちらに気づいてその距離が確実に縮まっているのだが、京極は落ち着いたままだ。百は、すぐに動けるように両の足を肩幅くらいに広げた。
「知らん、どうせ気まぐれとかそんな理由なんじゃないか」
「死入って書いていたそうだよ」
京極が文字を空中に書く仕草をする。
「なんとまあ、縁起の悪い」
「だから、変えたらしいんだ。それも、本当は全く前の名前の所縁もないものにしようとしたらいんだよ。お祖父様はそれに猛反対していて、元の音を残したまま表記だけ平仮名にしたんだ。因みに、1ヶ月後にはこの市の行政の上層部の総入れ換えがあったらしいんだけど」
「ああ、良くあることだな」
良家周りだと日常茶飯事だ。
異形はいよいよ近づいてきて、地面の揺れが強くなってきた。
念のために、百はすぐに突きが放てるように枝を構える。
「さっさと結論を言え」
「お祖父様が元の町名を変えることを拒んだのは、あいつがいたからなんだ。ここの町はあいつの為に名付けられたと言っても良い。つまりあいつは、しい町という名前で縛っているから、ここより外には出てこられない!」
自信満々に、京極は四つ辻の向かい側を指差した。そこが町境なのだろう。
果たして、もう眼前に迫ってきた異形はその手をこちらに伸ばしてきて──
『Syaaaaaaaaaaas!』
「ふえ??????」
何事もないかのように、その腕を振り下ろす。
「疾ィ!」
百は、それを枝で突いてなんとか直撃をそらした。
「話が違うぞ!」
「そ、そんな!?」
再び二人仲良く逃げ回る羽目になった。
「他にあれの弱点とか倒し方とかそういう役立ちそうなものは!」
「…………き、聞いてなかった」
「…………はぁ」
百は言葉をこらえる代わりに、ため息を吐いた。京極は走りながら、しおしおと沈みだす。
万事休すという単語が、百の頭に浮かびあがってきた。
ぼちぼち二十代も後半に差し掛かってきた百の体は、悲鳴をあげ始めている。限界も近い。そして、異形はもう真後ろにいる。
その時である。
一陣の風が百と京極の間を吹き去った。
そして、それは異形に組み付いて、
「はぁぁぁぁぁ!」
気合いの声と共に、その巨大な物体を投げ飛ばした。
無論、風ではない。
それは、桃色の艶やかな晴れ着を纏った百の妹だった。
「玲!」
「え、え、え????」
「姉さん、京極ちゃん、あっちの路地に!」
妹の斎賀玲は、義弟予定との街散策中にこの訳の分からない事態に巻き込まれたらしい。妹の指示した路地に逃げ込むと、義弟予定の陽務楽郎が息を潜めて隠れていた。
「どうも」
「ああ、やはり君もいたのか。災難だったな」
「良くあることなんで」
中々に肝が座っているなと、百は彼の評価を上げる。もう一方の親戚は先ほどから無言であった。アスファルトに、指で何か書き出しそうな勢いでいじけている。
「それで、こいつはなんでまた萎びたほうれん草みたいになってるんですか?」
「だれがしなびているって」
「お前だよ」
「その話は、おいおいだな」
まだ、窮地を脱したわけではない。
間もなく、玲が駆け込んできた。振り袖がふわりと舞って、動きにくそうだ。
「玲、どうだ?」
「姉さん、あれは埒外の存在です。そして、この空間も同じく」
「やはり、か」
百は腕をまくる。ならば、やるべきことは一つだ。
「いけるか?」
「合わせます」
斎賀流には二人で行使する業がある。呼吸を完璧に合わせられることが最低条件の、最高の難易度を誇るそれは、しかし絶大な効果をもたらす。
「「破ァ!!!」」
京極と楽郎は完全にシンクロした姉妹の動きに、息をのんだ。そして、バリバリと空間が裂ける音を聞いた。
◆
「それで、埒外の存在って結局どういう意味なの?」
「分かりやすく言うなら、別の宇宙の理に従う存在でしょうか」
「エイリアン?」
「広義ではそうですが、もっと狭く言うなら別の神様と言いますか」
「あー、旧支配者?」
「もしくはライバルの、どちらかですね」
なるほど、と楽郎はうなずく。そして、改めて滔々と的はずれな推論をどや顔で語っていたらしい京極の新たな煽りネタが生まれたことを理解する。
「じゃあ、あの二人でやった技は?」
「あれは、そういった存在に立ち向かう、斎賀の奥義です」
「……………………」
楽郎は思う。
先ほどのあの存在は、神とまでいかずともそれに近しい力を持つ存在だったはずだ。
なんというか、良家すげえな。改めてそう思った。