刻印 作:ぺけまる
この世は脅威に晒されていた。人類を餌とする巨人。人類は築き上げた巨大な三層の壁に居を移し、脅威から目を背け続けている。壁内へ移住した人々は日に日に脅威を忘れていく。
その脅威へと立ち向かい調査のために唯一壁外へ遠征に出る調査兵団。街の治安維持や壁、壁上武装の整備をする駐屯兵団。王の近衛として壁内へ配属される憲兵団。そして、配属前に各種訓練を受ける訓練兵団。
人々、それも巨人の恐ろしさを目の当たりにした最南端の地区『シガンシナ区』の住民は家族や友、大切なものを失い、金や自由を失うこととなった。遊び盛りの子供たちをも開拓地に回され、岩だらけの荒地を耕す。
増えすぎた人口を抑えるために行われた『ウォール・マリア奪還作戦』未来ある若者、女子供を除く高齢な人々や、少しでも政府に反感のある人物らが口減らしとして散っていった。
ウォール・マリア陥落時に両親を亡くし身寄りをなくした子供、口減らしにより身寄りを亡くした子供、どちらにせよ心細いものだろう。
そのような子供たちは開拓地に送られながらも同じような境遇の者たちで集まり、飢えに耐え、寒さに震える。大人たちは当てにならない、こんな事態に襲われているのだから身内以外に気にかける暇などないのだ。
家族や友達、頼れる者が全て無事な者がいるように、当然親も、友達も、知り合いも全て亡くした男の子がいた。
名前を『ヴィルヘルム・ハーマン』という。燃え尽きた灰のような髪色をし、少し垂れた翠色の目が特徴的な少年だ。
彼の家族はもう何処にもいない。頼りにしていた父や兄、優しかった姉、厳しくも自分を愛してくれた母はどこにもいない。そんな今は亡き家族を思い浮かべながらヴィルヘルムは度々寝床を抜け出し、寒い夜の下で星を見上げることを日課にしていた。
いつもと違うのはその横にその横に金髪の男の子がいる事だろうか。その男の子は材木の上に座るヴィルヘルムの横に座り、一緒に星を眺めていた。この金髪の男の子の名を『アルミン・アルレルト』という。
「俺が言えた事じゃないかもしれないが風邪ひくぞ。お前あんまり身体丈夫じゃないだろ?」
「うん…でも今日くらいは大丈夫だよ。 今は少しだけ夜風に当たりたい気分なんだ。」
「明日に響くぞ。…待ってろ。」
そう言うとヴィルヘルムは羽織っていた上着をアルミンの肩にかける。
「いいよ。ヴィルが風邪引いちゃうよ。」
「別に…大丈夫だ。この程度じゃ風邪は引かん。」
冷たい夜風が彼らを撫でようとヴィルヘルムは寒さを感じていないようだった。アルミンがせめて一緒に羽織ろうとヴィルヘルムにさらに近づくと、彼の腕から無数の傷跡が覗いているのが目につく。
「…また増やしちゃったの?」
「別に…こうでもしないと俺は忘れてしまうから…。」
「袖まで破れてる。寒いだろ。上着一緒にかけようよ。」
「大丈夫だ。もう随分前から寒いままだから。」
アルミンは黙り込んでしまう。ヴィルヘルムもアルミンに悪いことを言ったという自覚はあった。彼もヴィルヘルムと同じで両親を『奪還作戦』で失っているからだ。アルミンは両親を、ヴィルヘルムは父親が駆り立てられたのだ。
「ごめん…どうかしてた。」
「いいよ。ヴィルも被害者なんだ。辛いのはわかってるよ。」
「…アルミンはさ、なんで俺なんかにも優しくできるの?」
「え?」
目線を星から落とし横に座るヴィルヘルムを驚いた目で見つめるアルミン。
「ほら、同年代の奴らでもあまり俺をいい目で見てるやつは少ないだろ? だから…気になったって言うか…。」
「あはは、特に理由なんかないよ。僕が君と話してみたいって思っただけ。それに、君は周りが言う噂みたいな人じゃないことはわかってたしね。」
「噂…。」
「ヴィルヘルムさ、腕に刻むのはもう止めないよ。でもあまり人に見られないようにした方がいいと思う。血だらけの腕を見た人達がどんどん噂を大きくしちゃうからさ。」
「…気をつける。ありがとうな。」
そう言うとアルミンは笑顔でまた何かを話し始める。幼なじみのエレンとミカサがどうとか、壁外に行きたいんだとか、訓練兵に行くとか。
ヴィルヘルムも訓練兵になるつもりだった。戦う力が欲しかったのだ。そうヴィルヘルムが伝えるとアルミンは嬉しそうに夢を語る。二人はこの夜が過ぎようと次の夜もまた次の夜も、夢や目標を語り合う。いつしか、その輪の中にアルミンの言う幼なじみ二人、エレンとミカサが混じるようになっていた。
初めエレンは唯一の親友が取られたかと思ったのかヴィルヘルムに喧嘩腰だった。掴みかかっても反撃しようともしないヴィルヘルムや、必死に辞めるように訴えるアルミン、無言でエレンを押さえつけるミカサにいつの間にかエレンはヴィルヘルムを受け付けるようになっていた。
「おいヴィル!」、「ねえヴィル」、「…ヴィル」、三人はあまり喋るのが得意ではないヴィルヘルムに笑顔で声をかけに来る。エレンは巨人に対する憎しみと外の世界への夢、アルミンは自分の体力の無さが兵団で足を引っ張らないかと不安を、ミカサはエレンの猪突猛進なところを心配していた。
ヴィルヘルムは困惑こそしたが、まるで順番待ちしていたかのようにかわりばんこで相談に来る三人を受け入れ、心の拠り所としていた。だが、彼が幼なじみ三人の話題に入るのは少し難しく、少々浮いてしまうこともあった。その度にアルミンが気づきヴィルヘルムが入りやすい話題へ転換する。
ヴィルヘルムに新しい日常と当たり前が生まれたのだ。
ヴィルヘルムはどんな話題でも無表情で返事を返すことが多い、あんまり、喋るのが得意じゃないのだろう。だから、色々なことを話してくれるアルミン、特に嫌な顔せず話しかけてくれるエレン、お互いにあまり口数が多くないが何故か嫌じゃないミカサ。
「ヴィルの表情やっと見分けが着くようになったぜ。お前少し分かりづらいんだよ。」
「そんなに無表情なつもりもないんだが。…気をつける。」
「大丈夫。ヴィルは充分わかりやすい。エレンが顔に出やすいだけ。」
「うーん、僕も同じ意見かな…」
耕作の休憩中にエレンがヴィルヘルムに言ったことを他の二人がフォローする。エレンはあまり濁して言わない、直球ですべてものを言う彼に、ヴィルヘルムが気を悪くすると思ったのだ。
「実際エレンの言う通りだと思う。あまりそう言うのは得意じゃない。」
「それならエレンを手本にすればいい。どんな感じかはわかると思う。」
ヴィルヘルムの言葉に対し、ミカサがエレンを指さす。それを聞き「どういうことだよ」と不満な表情を浮かべているエレンを皆軽く受け流していた。
「はぁ…。それはそうとよ、ヴィルまた夜更かししてるだろ。今日はクマが特に酷いぜ。」
「ん、気をつける。」
エレンの言葉にミカサもアルミンも同意する。エレン達との楽しい時間があればあるほど、ヴィルヘルムはそれを失うのが怖くて堪らなくなっていた。この開拓地で子供か行方不明になったり、病に倒れ亡くなった大人たちは多い。
それに、ヴィルヘルムは家族のことを忘れてしまいそうで怖いのだ。彼の家族を忘れない為にも夜外で星を眺める。今まで一緒に見てくれていた三人もヴィルヘルムがこっそり抜け出しているのを察してか来なくなった。
こっそり抜け出し、星を眺め、しばらくすると帰ってくる。そして身体に傷が増えている。
ヴィルヘルムの傷は首からした全身にあった。ただの傷跡から、何かのマーク、誰かの名前と切り傷だけではない。火傷の跡のようなものが多数。傷跡の意味についてはある程度アルミンは察していた。だが、ヴィルヘルムに聞くと少し困った表情をしてはぐらかすのだ。
だからこれ以上は聞かない。
アルミンの中では決めたヴィルヘルムに対する暗黙のルールなのだ。いつか彼が、本当の意味で僕らを信頼し、寄り添えるようになるまでは、と。
そんな日々を送る彼らはもうすぐ訓練兵へ入団する時期だ。以前より大きくなった体。エレンが一番大きくなり、ミカサ、ヴィルヘルム、アルミンと続く。当時一番大きかったヴィルヘルムは少しショックを受けていた。
そんなヴィルヘルムの心情なんて知らないかのようにエレンは訓練兵に入り、巨人への対抗手段を学ぶことを強く語る。アルミンは少し不安そうにしながらもエレンと共に夢を語る。
そんな中ヴィルヘルムは彼らから距離を置いたところでミカサと話していた。
「ヴィルならどうする?」
「どうするって…なにを?」
「エレンが…エレンとアルミン二人が入団しない為には…どうすればいいの?」
「それは…」
ミカサの顔は真剣そのものだった。目を伏せながら、エレンから貰った赤いマフラーを握りしめる彼女がヴィルヘルムには行き場を失った迷子の女の子のようにしか見えなかったのだ。
「エレンを止めることなんて…無理だ。一緒に暮らしてきたミカサが一番わかってるだろう?」
「…でも、私は二人を…」
「たった一人の家族なんだ。心配するのもわかる。でも、エレンは俺たちに何か言われて止まるような人間じゃない。こうするって決めたら折れないだろ。だから…その…。」
ヴィルヘルムはあまり言葉が上手く出てこなかった。ミカサがアルミンよりもエレンを心配していることはわかっていたのだ。それに今回のような相談を受けるのは一度ではなく、何かある度にヴィルヘルムかアルミンへミカサは自分の思いを聞いてもらっていたのだ。
「え…と、ごめん。あまり力になれそうにない。」
「そんなことは無い。ヴィルはいつも私たちを助けてくれている。」
「ははは、こっちのセリフだ。」
結局ヴィルヘルムはミカサの悩みを解決するに至らなかった。彼女の気持ちもわかる、エレンの巨人への怒りも充分に理解出来ている。それに、二人の家族の問題に自分が入り込んでもいいのかわからなかった。
その夜もヴィルヘルムは一人空を見上げている。そこで両親、兄姉の名を呟き腕をそっと撫でる。遂に自分は兵士になれるのだ、と。星々を眺めていると、家族が暖かな笑みを浮かべ自分を見守ってくれていると感じるのだ。ゆっくりと手を伸ばし、その腕は空気を掴む。
───ああ、まだ俺はそっちに行けないのか
少し落胆した表情をしながら、手に持っていた小さなナイフを腕に立てる。自傷行為にしては深すぎる傷を毎度毎度つけることで、自分が今日も生きていて、ちゃんとここに存在することを確認する。明日も生き延びて、この星を見るために。
──彼は傷だらけになっていく。
刻印、続きます。
次話:傷が増える