【完結】白嶺に染まぬ黒 ~大人のためのウマ娘 プリティーダービー~ 作:モルトキ
番長「頑張ることは誰だってできる。それで行ければ苦労はないさ。もしカフェが南極に行けたら……」
番長「頭を丸めてやるぜ」
縦走訓練を続けた結果、カフェの脚は完全に復調し、後遺症もないことが明らかになった。10月に入るとすぐに、ふたりは東京に戻った。行先が南極となれば、これまで以上に煩雑な手続きが必要となる。また、スポンサーの確保も急がなければならない。
まずは、最大手のスポンサー候補であるNUKに情報を伝える。ブランハンニバルのヴィンソンマシフ登頂宣言と、それに対するマンハッタンカフェの挑戦。世界中の、どのメディアも知り得ない特ダネだった。
カフェの報告を受けて、緑川はやて常任理事は、異例の決断を下した。
プロジェクトU第二弾。『漆黒の摩天楼・白い大陸への挑戦』と仮題された、新たなるドキュメンタリーの制作だった。同じ主人公で、連続するタイトルの撮影が行われるのは、プロジェクトU史上初めてのことだ。
緑川によれば、ヴィンソンマシフ登頂にかかる費用は、過去のデータから算出すると、エヴェレストのときより、ひとりあたり200万円ほど安い。人員も、半分の15人程度で賄えるとのことだった。しかし、南極の自然環境は、エヴェレストよりも遥かに厳しい。12月から1月末という短い夏季に、どれほどの悪天候に見舞われるか予想がつかない。チリから航空機で南極入りするのが最短ルートだが、天候次第で何週間もフライトできないこともある。
そして番組としても、二度目の収録であるため、同じ結末は許されない。勝利しなければ、全てが水泡に帰す。
それでも挑みたいと、マンハッタンカフェは制作陣に告げた。
チーム・シェアトの再戦。以前に参加した撮影スタッフは大いに奮起した。貫谷をはじめ、プロのガイド登山家も同行を快く引き受けてくれた。世界の頂点を共にしたチームの絆は、いまだ健在だった。
しかし、順調なのは、ここまでだった。
南極旅行には、特別な手続きが必要となる。南極条約の加盟国である日本は、極地の環境を守るため、南極における活動内容を『確認申請』として環境省に届け出なければならない。むろんNUKは、万全の申請書を提出し、全員の渡航が認められた。
ウマ娘である、マンハッタンカフェを除いては。
却下理由を読んだ制作陣は愕然とした。南極環境保護法に規定される渡航許可は、あくまで人間を対象としたものであり、ウマ娘は法の埒外であるという見解だった。確かに、これまでウマ娘が南極渡航を望んだ例はないし、これからも想定していない事態だ。しかし、それだけで法の適用範囲を狭めるのは、いくらなんでも恣意的解釈が過ぎる。
人間とウマ娘。レース至上主義の国で、のらりくらりと息を潜めていた両者の分断が、初めて浮彫になった。
「URAが圧力をかけたんだろう。これ以上、国民の興味がレースから逸れるのを防ぐために。そうでなければ、こんな屁理屈など持ち出さない」
緊急招集された会議にて、緑川は言った。その目は、冷たい怒りを孕んでいた。
「ハンニバルの動向から、わたしの次の一手を読んでいた者がURAにいたなんて。既得権益に溺れたバカの集団ではないってことですか……」
低い声でカフェは言った。
「法的に、我々が取り得る手段はふたつ。環境省に対し、不服申し立てをすること。あるいは、裁判所に処分取消の訴えをすること。いずれにせよ、時間がかかりすぎる。審理が終わる頃には、夏季が過ぎてしまう。URAらしい、姑息だが有効な策だ」
帽子の縁を指ではじきながら、忌々しげに緑川は呻いた。法律の改正など、それこそ何年先になるか分からない。
打つ手なしと思えた矢先、口を開いたのはカフェだった。
「ひとつだけ、方法があります」
その言葉に、制作陣全員が注目する。
「南極条約には、加盟国に対する接岸場所の割り当てや物資輸送の方法が定められています。その文言に、あるんですよ」
カフェは、条項の日本語訳を読み上げる。『加盟国民が南極大陸に立ち入る場合は、割り当ての接岸区域から行うものとする。ウマ娘においても同様である』。本来、この文言は、人権意識に乏しかった敗戦国が、南極でウマ娘に強制労働させることを防ぐためのものだった。しかし、逆に言えば、割り当ての接岸区域であれば、ウマ娘の渡航を認めるという意味になる。
「条約は、国内法よりも上位であると最高裁も判断しています。わたしは空路では南極に入れませんが、海路ならば可能です」
カフェは言った。現状、唯一の希望。しかし、会議室内は静まり返っていた。
それが荊の道であることは、全員が理解していた。
プリンスハラル海岸。敗戦から10年後のブリュッセルで開催された国際会議にて、日本に割り当てられた接岸区域だ。Inaccessible(接岸不可能)とさえ呼ばれ、欧米諸国が匙を投げた場所。分厚い氷に守られ、とても船舶が立ち入れる海域ではない。この会議で、日本は唯一の敗戦国だった。ドイツやイタリアといった白人国を差し置いて、敗戦国の黄色人種が南極探索に加わることを各国は歓迎していなかった。国際社会に日本の底力を見せてやろうと、あらゆる分野の専門家たちが総力を結集し、ついにリュツォホルム湾の海氷を切り拓いた。昭和基地の誕生である。
今なお、その海岸まで辿り着ける航海能力を持った船は、『砕氷艦しらせ』だけだ。厄介なことに、しらせは民間の船ではない。防衛省海上自衛隊の管理下にある。そして、しらせが南極に向かうのは年に一度だ。越冬交代と呼ばれる、一年間南極で過ごした観測隊員と、新たに派遣された隊員の交代や、燃料物資の補給のため、例年11月末ごろに横須賀から出向する。
海上自衛隊員のほかに、しらせに乗艦できるのは、気象庁や国土地理院といった国家機関、大学などの研究機関や民間企業から派遣される、南極地域観測隊だけだ。マンハッタンカフェが南極に行くためには、観測隊の一員として参加しなければならない。
派遣元となる組織が、URAの威光に逆らってまで、カフェを受け入れてくれるかどうか。それが問題だった。
「よし、それでいこう」
きっぱりと緑川は言った。
「他に手がないのなら、突き進むのみだ。まずは、世論を味方につかなければならない。今回の、マンハッタン嬢に対する環境省の不当処分を、公表しよう」
迷いのない声だった。メディア戦略はお手のものだ。あくまで公平なる報道者として、カフェの渡航拒否の事実を報じる。そのニュースをどう思うかは、国民の判断だ。URAを直接叩く内容でもないため、NUKの立場が悪くなることもない。そうでなくとも、莫大な放送権料を支払っているNUKに対しては、さしものURAも強気な態度には出られない。
緑川の隣に座っていた役員は、あからさまに安心した表情を浮かべていた。URAとの関係が、これ以上こじれることを嫌がる穏健派もまた、社内で一定の勢力を保っている。
「それだけでは足りません。『北壁』を使いましょう」
カフェは言った。ここにいる人間で、その言葉の意味が分かるのは、夏野と緑川だけだった。
「切り札は、使うタイミングが肝心だ。それまでに、わたしは社内各セクションに根回しをしておく。番組の最後には、きみに生出演してもらおう。全国民に直接、訴えるのだ。これを放送すれば、もう後には引けない。URA、そして日本政府との全面戦争になる」
緑川の発言に、安堵の顔から一転、役員は急激に青ざめていった。制作スタッフ一同もまた、何か途轍もなく巨大な戦いが起ころうとしていることだけは理解できた。
「結果がどうであれ、全責任はわたしが取る」
朗々たる声で緑川は言った。広がりかけていた動揺が、ぴたりと凪いだ。
「わたしは、マンハッタンカフェに夢を見ている」
カフェをまっすぐに見つめ、緑川は口を開く。
「この国の常識もルールも蹴散らして、自らの望む未来を切り拓く。そんな若いウマ娘の姿を、きみの背中に見ているのだ。どうか、わたしの夢も連れていってくれ」
緑川の願いに、カフェは真剣な目で頷いた。
10月6日、全国の報道機関が、環境省のカフェに対する処分を一面ニュースとして取り上げた。緑川は、このネタを独占せず、報道前に各社に情報共有を行っていた。ガソリンを撒いたうえで、野に火を放ったのである。先月に放送された、プロジェクトUの効果は絶大で、瞬く間に環境省に批判のメールや電話が殺到した。さらに追い風となったのは、フランスで行われたブランハンニバルの会見だった。南極最高峰ヴィンソンマシフを落とし、ウマ娘として世界初のセブンサミッターになることを宣言した。万全の体勢を整えたうえで、出発日を12月15日とした。チリ南端から空路で、ふもとのベースキャンプに入る最も合理的なルート選択だった。
会見の最後で、彼女はセンセーショナルな発言を残した。
『わたしに挑む勇気ある者は、おそらくこの地球上に誰ひとりとしていないでしょう。ターフの上でも山岳においても、フランスが世界最強を頂戴します。フランスだけが勝者です』。
プロジェクトUでカフェに印象操作された日本国民には、ハンニバルの言葉は喧嘩を売っているようにしか聞こえなかった。
緑川とカフェは、この瞬間を待っていた。
NUKだけではなく、全ての報道機関に公開された、マンハッタンカフェの記者会見が行われることになった。生放送でNUKから中継されることも決まっていた。
10月18日、午後7時。そこでカフェは、自ら撮影した映像を交えて、エヴェレスト北壁での壮絶なビバークと敗退を赤裸々に語った。救助にかけつけてくれた元トレーナーのことも。もう一度、フランスにリベンジさせてくださいと、全国民に頭を下げた。
「走れなくなったわたしでも、夢を追える国であってほしい。ターフの外側でも、ウマ娘が世界と競い合える国であってほしいんです」
マンハッタンカフェはこの言葉で会見を締めくくった。レース至上主義をもたらしてきた、URAに対する間接的な批判でもあった。
それでもなお、環境省の処分は覆らなかった。カフェたちも、元より国が判断を翻すことは期待していない。裁判などの法的措置がない限り、絶対に自らの非を認めないのが日本の国家機関だ。観測隊員の派遣元となる企業や研究機関に、カフェをねじこむ余地がないか交渉を重ねていたが、応じてくれた組織はゼロだった。水面下でURAもまた反撃に転じていた。報道機関に圧力をかけ、自らに否定的な論調の記事を差し止めたのである。結果、予想よりも多くのメディアが口を閉ざした。
ウマ娘は走る存在という固定観念が、いまだこの国には根強く残っている。とくに組織の上層部を占める高齢者集団には。
日本最大の圧力団体たるURAの影響力は、加熱する世論をもってしても揺るがなかった。その一方で、カフェの支持を表明する団体も増えてきた。地元の北海道では後援会が立ち上がり、地元企業が協賛を名乗り出てくれた。全国の山岳会も、ウマ娘に登山への道が開かれることを歓迎した。彼らは、カフェを南極に送り出すべく署名活動を始めていた。それに応え、カフェも寸暇を惜しんで全国行脚し、講演を行った。登山の魅力から始まり、日本のウマ娘を取り巻く環境が、いかに世界から遅れているかを切々と訴えた。
支持者は増えていくが、状況は好転しないまま焦燥だけが日々積もっていく。しらせの出港は、11月12日と決まった。あと一か月もない。それまでに隊員に加われなければ、カフェは南極入りする手段を失う。
そんなとき、意外な人物から夏野に連絡があった。カフェの友人、アグネスタキオンからだった。きわめて重要な話があるので、すぐトレセン学園まで来てほしいとのことだった。
久々に府中まで戻ってきたふたりが通されたのは、会議室でもトレーナー寮でもなく、生徒会室だった。
「やあやあカフェ! ずいぶんご無沙汰だったじゃないか!」
扉を開けるなり、抱きつこうとするタキオン。珍しくされるがままになったカフェ。
「生きていてくれてよかった」
「ありがとうございます。あなたのカロリースティックは効きましたよ。甘すぎますけど」
ふたりの友情を周囲で見守っているのは、タキオンのトレーナーである広田。そして意外にもシンボリルドルフが会長席に座っていた。
「さて、本題に入ろう。きみは南極に行くため身を粉にして頑張っているわけだが、思うように成果が出ない。それは、レース文化の根強いこの国が、きみを南極まで送り届けることにメリットを感じていないからだ。とくにURAにとっては、百害あって一利なし。あらゆる手段で妨害してくる」
そう言って、タキオンは応接机に、ばさりと紙を広げた。十数ページから構成された論文だった。全て英文で書かれていたが、そのタイトルを読んでカフェは珍しく驚きを露にした。
「『屈腱炎の原因究明とその治療および予防法について』……」
カフェの呟きに、夏野もまた驚愕せざるを得なかった。
幾多の競走ウマ娘の選手生命を刈り取ってきた病魔、屈腱炎。走行疲労による慢性的な炎症が原因とされ、これといった予防法や治療法も見出されていない。
少なくとも、この瞬間までは。
「腱に炎症が起きているのは事実だ。ふつうの炎症なら安静にしていれば治る。骨折と同じように。でも、屈腱炎は治ったように見えても、走行を始めたらすぐに再発し、なおかつ悪化する。それが長年の謎だった。そこでわたしは、その病を発症して引退の瀬戸際に立たされていたカフェに密着したわけさ。時速60キロを超えるターフでのトレーニングに比べたら登山の歩荷訓練の負担は軽いが、本当に炎症が治っていないなら、必ずC-リアクティブ・プロテイン(炎症に伴い発生するタンパク質の一種)の数値が上昇するはずだ。ところが、カフェの血液からは炎症物質は検出されなかった」
つまり、治っているというわけだ。カフェと夏野の困惑をよそに、タキオンは言った。
「分かるよ、きみたちの疑問は。それなら簡単に再発などしないはずだ。だからわたしは、屈腱炎は、通常の炎症とは異なるダメージを細胞に与えていると仮定した」
タキオンは、論文のなかから画像の入ったページを引っぱりだす。それはMRI画像だった。通常のMRI診断では、あまり見られることのない、深腱部の詳細な画像が二枚、並列に掲載されている。
「左側の画像が、発症前の腱細胞。鋼線の束みたいに、均質な細胞が詰まっている。対して右側は、軽度の屈腱炎を発症した細胞だ」
タキオンが、画像の比較を促す。健全な腱に比べ、発症した細胞は、繊維の束が細くなり、大きさもまばらになっていた。
「わたしの脚さ」
何の気負いもなく、彼女は言った。その一言で、カフェが目を見開く。
「アルプスに同行する以前から、左脚に不調を抱えていてね。帰国後、念のため精密検査してみたら明らかになったというわけさ。幸い、ごく軽度の症状だった。だが、もしもカフェが提供してくれたデータがなければ、過去のウマ娘同様、トレーニングと再発を繰り返して引退を余儀なくされていただろう。屈腱炎の正体は、炎症そのものじゃない。炎症を起因として、腱細胞が不可逆的損傷を受けることにより発症する。では、腱を破壊する炎症の正体は何か、わたしは考えた」
また一枚、新たな資料をテーブルに置く。そこには、腱の主成分が記載されていた。
「腱は、主にコラーゲンというタンパク質で構成されている。これは、他のタンパク質に比べて熱に弱い性質を持つ。おおむね40℃くらいから変性してしまう。よほど重篤な感染症に罹らない限り、ウマ娘の体温ではありえない。しかし、全筋力を解放するレースならばどうだろう。これは、あくまでわたしのケースだが、模擬レースで芝2000mを走破した直後、脚部の深部体温を測ったところ、40.4℃まで上昇していた。このレース一回では、そう多くの熱変性は起こらない。しかし、並走トレーニングや模擬レース、本番のレースで何度も繰り返すと、腱は少しずつ熱分解されて痩せ細り、脆くなっていく。炎症にも弱くなる。つまり炎症は二次的な症状にすぎない。究極の原因は、熱だったんだよ」
すらすらと説明していくタキオン。
夏野は、ただ驚愕のまま聞き入っていた。今この瞬間、競走ウマ娘の歴史が更新されようとしている。数多のウマ娘とトレーナーの希望を、無情にも打ち砕いてきた屈腱炎。難攻不落だった病の王が、ひとりのウマ娘の情熱の前に、とうとう膝をついた。
「ひとたび変性してしまった腱は、数年で元通りになることはない。しかし、症状の進行を止めることはできる。低負荷、低酸素トレーニングは有効だが、いずれレースには出なければならないし、本番さながらの追切も必要だ。そこで全力疾走のあと、すぐさま脚部全体をアイシングすることを思いついた。原始的だが、効果覿面さ。わたしの脚は、これ以上悪化することなく、今もレースで成果を出してくれている」
カフェ、きみのおかげだ。そうタキオンは微笑む。
「きみの破天荒のおかげで、わたしはプランAを、自分の脚で深淵を目指すことを諦めずに済んだ。走る脚を奪われてもなお、貪欲に勝利を欲し続けるきみがいたから、わたしはこうしてレースを走っていられる。そしてこれからも、わたしのモルモットとして、その脚で極地に挑んでもらいたい。これは、わたしからの感謝と餞別だ」
タキオンは、広がった論文をまとめる。その表紙にあたるページには、タイトルと執筆者の名前が入っている。
瞬間、カフェの顔つきが変わった。
「……なぜ、共同名義なんです? これは、あなたの成果だ」
その声には、微かに怒りが混じっていた。
アグネスタキオンの名の隣には、URAウマ娘研究所とクレジットされている。言うまでもなく、URA傘下の研究機関だ。タキオンは、単独名義でしか論文を発表しない。共同名義とはすなわち、研究活動という自らの魂を売り渡す行為に他ならない。
「屈腱炎の原因究明と予防法の確立は、URAにとって凱旋門賞制覇に匹敵する成果だ。その見返りに、きみを極地活動のサンプルとして観測隊員に加えるよう主張するのさ。もし断れば、わたしが元々所属していたアメリカの大学に売り渡すと申し添えてね」
「あなたは、あなたという人は……」
珍しく言葉に詰まるカフェ。その肩が、わずかに震えていた。
「世界的な研究成果をみすみす失ったあげく、それをもたらした立役者であるカフェの妨害をし続けたとあっては、URAの信頼は地の底に落ちる。屈腱炎で苦しむウマ娘を救わないと公言しているも同然だからね」
「でも、それじゃタキオンとチームの立場が」
夏野が口を挟む。こうも正面きってURAに喧嘩を売れば、学園上層部に冷遇されかねない。しかし広田は、首を横に振った。
「実力で黙らせるだけだ。タキオンの脚が健在なら、まったく問題ない」
何の迷いもない声だった。
「これは先行投資さ。わたしも、いつかは引退する。学園を去ったとき、自由に夢を追える国であってほしい。こんなところでも、一応わたしの祖国だからね」
タキオンは言った。広田のチームに加わる前は退学処分寸前であり、拠点を海外に移すことも検討していたらしい。そんな彼女が、再び日本に希望を見出していた。
「わたしたち生徒も、同じ考えだ」
シンボリフドルフが席を立つ。カフェに差し出したのは、千名を超える数の署名だった。中央トレセンに所属する現役の競走ウマ娘たちが、引退したカフェを支持していた。
「……これは、大きな政治問題になりますよ。生徒会長にして皇帝たるあなたが、ここに名を連ねることの意味はお分かりのはずです」
カフェが、じっとルドルフを見つめる。署名欄の一番上には、まごうことなきシンボリルドルフの名前が記されていた。
「わたしの夢は、全てのウマ娘が幸せに暮らせる世の中をつくることだ。しかし、狭い学園の中しか知らないわたしは、それがいかに困難であるか、まったく理解できていなかった。マンハッタンカフェ。わたしはきみを尊敬している。引退後の生き方をどうするか、現役時代は考えもしない問題にいち早く気づき、自らの背中で答えを示そうとするきみが、とても眩しく見える。きっと引退した後も、わたしは自分の夢を追い続けることができる。ターフを去るウマ娘たちも、きみの輝きを道しるべに、再び歩き出すだろう」
ルドルフの夢は、学園の垣根を飛び越えた。彼女の背中を押したのは、マンハッタンカフェの生き様だった。
「この署名は、わたしが学園を代表してURAと政府に提出するつもりだ。どうか、その脚で勝利の頂を踏んでくれ」
皇帝と摩天楼が、固い握手を交わす。
小さな一歩だが、日本のウマ娘史は、今ここから新たな門出を迎えた。
「タキオンさん、ルドルフさん、ありがとうございます。本当に、ありがとう。必ずやり遂げます」
カフェは深く頭を下げる。社交辞令ではなく、本物の感動と感謝から形作られた言葉だった。
11月4日、屈腱炎原因判明のニュースが全国を駆け巡った。タキオンの論文とルドルフを筆頭とする競走ウマ娘たちの圧力、そして若い世代のカフェを推す声に、ついにURAが屈したのである。ウマ娘研究所が派遣する同行者として、カフェと夏野の乗艦が許された。
マンハッタンカフェの観測隊加入は、11月6日の公表まで秘匿された。
全国放送での記者会見は、最後までカフェを支援し続けたNUKならびに大手新聞3社、放送関連企業6社にのみ開放された。これが緑川流の報復だった。URAに尻尾を振ったメディアは締め出され、致命的な特オチを喰らわされた。
日本のウマ娘文化が世界に比肩する瞬間を、信念なき者がフィルムに収めることを許さなかったのである。
来たる生放送での会見席で、カフェはまず、自らの支援者たちに礼を述べる。プロジェクトUの制作陣に加え、後援会の協賛企業、そして署名活動をしてくれた中央トレセンのウマ娘たち。多くの人々に背中を押してもらえたからこそ、自分は諦めず挑み続けることができると謙虚な姿勢を示す。走れなくなっても、日本のウマ娘は世界と渡り合える。そういう国に変わっていくのだと高らかに断言した。
そのうえでカフェは、先に勝利宣言を行った葦毛の怪物に返答する。
「La victoire est à nous」
調子に乗んな。この一言だけで十分だった。
かくして、登山隊『チーム・シェアト』二度目の挑戦が始まった。ベテラン山岳ガイドの貫谷でさえ、ヴィンソンマシフを登った経験はない。そこでNUKは、ヴィンソン山登頂4回を誇る登山家をチームに迎えた。さらに、アメリカのツアー会社から専門のガイド登山家を4名雇い入れる。南極は、他のいかなる山よりも物資補給が厳しい。環境に慣れた者たちが、いかに素早く荷揚げを行えるかが勝負の鍵となる。
隊は、二手に分かれることになった。まずカフェ夏野隊が、オーストラリアのフリーマントルから砕氷艦しらせに乗り込み、昭和基地まで移動。名目上、ふたりは観測隊員であるため、内陸の中継地点からは雪上車にてベースキャンプまで前進する手はずとなっていた。観測隊員の内陸旅行に便乗するわけである。ヴィンソンマシフが位置するエルスワース山脈は、南極半島の付け根にあり、昭和基地とは真逆の方向だ。南極高原のど真ん中を横切る過酷な道のりとなる。天候にもよるが、年末ぎりぎりにベースキャンプに入れる予定だ。そして、貫谷をリーダーとする番組スタッフ隊は、カフェが到着してすぐに荷揚げができるよう、一足早くチリ共和国のプンタアレナスから空路で物資とともにキャンプ入りしておく。
南極周辺の気候は、技術の進んだ現在でも予測が難しい。ふたつの隊がベストタイミングで合流できるかどうかは、運の要素もある。全てがうまくいったとして、その作戦でハンニバル隊を出し抜けるかは、神のみぞ知るといったところだ。
旅程が決まったのち、夏野とカフェは大忙しだった。しらせに乗り込むフリーマントルまでは飛行機とバスの乗り継ぎだ。個人の荷物も一緒に輸送する。厳しい重量制限があり、ひとりあたり100kg以内と決まっている。長い船上と基地生活ではゲーム機などの娯楽品も重要だが、ふたりには無縁の品だった。何が起こるか分からない極地では、最低限の登山装備は必ず身につけておかねばならない。ピッケルとバイル、カラビナ、アイススクリュー、アイゼンに、タキオン印のカロリーバーなどを詰め込んでいると、その他の嗜好品を入れる余裕はなかった。
12月3日、南極観測隊は成田空港に集結した。ここから飛行機とバスを乗り継ぎ、フリーマントルまで向かう。隊は、『隊員』と『同行者』で構成されている。さまざまな観測任務や、それに必要な機材などの設営を行うのが隊員であり、彼らに同行するジャーナリストや外国人共同研究者などが同行者と呼ばれる。カフェと夏野は、観測隊においては、URAウマ娘研究所から派遣された研究員扱いであり、同行者に含まれる。
総員98名の旅立ちを見届けようと、成田空港は隊員の家族や支援者、マスコミでごった返していた。NUKの撮影班が、カフェと夏野の出発を生中継している。カフェの両親である石黒夫妻が、『がんばれマンハッタンカフェ』の横断幕を掲げていた。別働隊の貫谷をはじめ、チーム・シェアトのメンバーも総出で見送ってくれていた。例年と違うのは、やたら制服姿のウマ娘が多いことだ。中央トレセンの生徒も大勢、カフェの応援に駆けつけていた。その中には、タキオンとルドルフもいた。マスコミ各社は、しっかり競走ウマ娘界の皇帝もカメラに収めていた。
タキオンの隣にいた広田が、夏野の前に出る。
「何度でも、言うことは変わらない。生きて帰ってこい。カフェと一緒に」
「分かってる。これ、預かってて。わたしが、あなたの傍に帰ってこられるように」
指輪を外して広田に託した。夫となる男は、夏野の掌ごと契りの輪を包み込む。彼女の手は、トレセンにいた頃よりも、ずっと逞しくなっていた。
「安心してください。夏野さんは、わたしが命に代えても守り抜きます」
マンハッタンカフェが右手を差し出す。広田は、しっかりと握手を交わした。
「俺たち、初めて目があったんじゃないか? 長い付き合いだったのにな」
「そうですね。わたしも、そんな気がします」
互いに苦笑する。それと同時に胸がすっと軽くなった。金色の瞳は、どこまでも美しく澄み切っていた。
心の整理はついている。あとは己の全てを賭して戦うのみ。
飛行機に乗り込む直前、カフェはギャラリーに向かい、一礼する。たくさんの夢を背負い、力に変えて、その瞳は遥かなる極地を見据えた。
観測隊を乗せた飛行機は、オーストラリアのパースという都市に着陸する。そこからバスに乗り換え、フリーマントルに至る。長い歴史を持つ港町で、観光名所にもなっている大きな市場や、飲食店などのレジャー施設も揃っている。12月5日、予定どおり砕氷艦しらせが入港した。隊員たちは荷揚げ作業をすませたあと、出港まで自由行動となる。ここを離れたら、しばらく文明の地とはお別れのため、できる限り羽を伸ばしておく。カフェと夏野も、瀟洒なレストランで食事を楽しんだが、それ以外はひたすらトレーニングをして過ごした。同行させてもらう以上、どんな過酷な環境だろうと内陸旅行隊の足を引っ張るわけにはいかないのだ。
12月10日、いよいよ出港のときが来た。在豪日本人会の人たちが、港から手を振ってくれている。こちらも、帽子を手に取って振り返す。みるみる遠くなっていく陸地。
「感慨深いですね……」
そうカフェは呟き、自らのジャケットの肩を指さす。そこには、『TEAM SCHEAT』の文字と、その下に日の丸マークがプリントされている。
「一年前だったら、わたしたちのチーム名が日本国旗を携えるなど考えられないことでした。レース以外の事業で、ウマ娘が国家を代表することは皆無でしたから」
「でも、時代は動いた。ターフの外にも栄光は輝いていることをカフェが証明してくれた。その輝きに。日本は夢を託したんだ。わたしも、あなたに突き動かされた一人だよ」
夏野は言った。
空に瞬く星々に例えられる、栄誉あるトゥインクルシリーズ。数多のウマ娘が遥か高みを目指すも、やがて怪我や衰えにより、翼を失ったイカロスのように堕ちていく。しかしマンハッタンカフェは、地上にも掴むべき星があることを見出した。
「どちらが欠けても、ここまで辿り着けなかったと思います。勝利は我らの手に」
「絶対やり遂げよう。そして勝とう。一緒に」
艦上デッキにて、拳を突き合わせるふたり。
まずは第一の関門、極地を取り巻く荒海を乗り越えなければならない。
南緯40°より先の海は、常に高波の状態となる。風や海流を弱める大陸がないためだ。日本初の南極観測船『宗谷』から数えて四代目となるしらせは、船体が大きくなり航海能力も飛躍的に増している。波による動揺は、他の大型船に比べると非常に少ない。床に置いていた荷物が部屋の端から端へと往復したり、ベッドが常時ブランコみたいに揺れるようなことは、ほとんどない。
そう聞いていたため、夏野は油断していた。
『吠える40°』、『狂う50°』、『絶叫する60°』と呼ばれる亜南極の海は、南緯40°の地点で、すでに絶叫していた。
海賊映画みたいな暗黒の空に、雷鳴と暴風。そして甲板を丸呑みにする大波。ひどいときは壁にもたれかからなければ、まともに通路すら歩けない。足元の不安定さは、登山家にとって無意識下のストレスになる。
「ザイルで互いの身体を確保しましょうか?」
冗談めかしてカフェが笑う。しかし、その余裕は長くは続かなかった。
出港から一週間で、ふたりは強烈な吐き気に見舞われていた。まだ船に慣れないうちに、過去に例を見ない荒波に揺さぶられた結果、船酔いしてしまった。悪意の塊に心臓付近を握り潰されているような不快感が永遠と続く。
「高山病の百倍ひどいです……」
紅茶顔を通り越して、石膏像みたいになったカフェが、ベッドに横たわっている。夏野も似たような状態だった。エチケット袋は四六時中ポケットに入れてある。船酔いした人間は、よく欄干から身を乗り出して海に吐いているイメージがあるが、この船で同じことをすれば、たちまち波に攫われるか高波の衝撃で放り出される。凍っていなくても水温は0℃に近い。海に落ちることは死を意味する。吐くとしたらトイレだが、最大20°も動揺する廊下は、走ることすら難しい。
「お腹はすいているはずなのに、気持ち悪い。なにこれ、幻覚? 脳みそくんしっかりしてちょうだいよ」
ゾンビみたいにベッドからはい出して、壁に背をつけながら夏野が呻く。
娯楽がほぼない船上生活の楽しみは、食事だ。海上自衛隊が提供してくれるごはんは美味しかった。金曜日のカレーは有名だが、月曜日の朝はシリアル、水曜日の朝はパンが出るなど、曜日感覚を失わないためのバリエーションが豊富だ。
それらを楽しめたのは、最初の5日間だけだった。あとはひたすら船酔い地獄。生ける屍のようなふたりを見かねて、海自の医官が酔い止めの点滴を打ってくれた。少し気分が楽になり、なんとか必要最低限の栄養は確保できた。
ここまで海が荒れたのは、長い観測隊の歴史でも極めて異例だと、食堂で気象学者が言っていた。地球温暖化の影響だとか、極地では逆に寒冷化の兆しもあるだとか専門的な議論をしていた。
南緯60°の壁を突破すると、ようやく波が穏やかになってきた。
小規模ながら流氷が見え始める。その上にはアデリーペンギンがいて、ちょこちょこ歩く愛くるしい姿に、カフェをはじめ南極初体験の者たちは歓声をあげていた。しかし数日経つと誰も見向きもしなくなる。氷山もペンギンも青空も、慣れたら単調な景色の一部でしかない。
海面に占める氷の面積はさらに増していき、ついに白一色に染まる。平らな雪原が広がっているように見えるが、全て海に浮かぶ氷だ。船首で雪を掻きわけるように、しらせは進んでいく。最初こそ順調に思えたが、すぐに衝撃とともに船体は停止した。海氷が分厚くなりすぎて、最新鋭の艦であっても、これ以上進めなくなったのだ。昭和基地は、まだ影すら見えない。ほぼ陸地と変わらないレベルの海氷こそ、欧米諸国に接岸不可能と言わしめた、南極の門番だった。
艦内に、ラミング開始のアナウンスが流れる。自衛官や隊員の動きが慌ただしくなった。体力維持のためデッキ周りを走っていたカフェと夏野も、艦橋まで戻った。
しらせは、300mほど後退したあと、一気に加速して氷の上に乗りあげる。艦体が後ろに傾いたかと思うと、バキバキと音を立てて分厚い氷が割れていき、艦は再び水平になる。これが、しらせ特有のラミング航法だ。艦の自重で氷を割り砕き、少しずつ前進していく。一度のラミングでドラム缶一本分の軽油が吹っ飛ぶが、進めるのはたった10mから50mにすぎない。全身全霊をかけた、ほんのわずかな前進を、ただ愚直に繰り返す。目的地に辿り着くまで、何度も何度も。傍から見れば狂気の沙汰だが、そうするしか接岸不可能のリュツォホルム湾を突破する方法がないのだ。欧米諸国の常識を覆し、日本がこれをなし得たのは、先人たちの技術と努力、そして国際社会への復帰を願う国民のひたむきな情熱だった。
ラミングの衝撃に乗員たちが慣れてきた頃、あるイベントが開催された。その名も、ラミング回数当てゲーム。目的海域まで、何度のラミングで辿り着けるかを予想する。最も僅差の者には、優勝賞品として海自謹製大盛パフェが提供される。娯楽の少ない艦内では、こういう息抜きが大切だ。カフェと夏野は、海のことは素人なので、交流ついでに研究者や自衛官たちの意見を聞いた。彼らによれば、ラミング回数は年ごとに全く異なるらしい。二千回ほどかかった年もあれば、去年などは、わずか24回で済んだという。しかし、今年はどうも定着氷にぶつかるタイミングが早いうえ、氷も割れにくい。ほとんどの乗員が、千回以上の回数を提示していた。
カフェと夏野は、相談のうえ2200回と予想する。
だが、このゲームに勝者は現れなかった。
予定した海域まで辿り着くことができなかったのだ。海氷の厚さが例年を遥かに上回り、ぶつかり合った氷同士が複雑に絡み合い、山肌のように盛り上がっている。複数回、しらせが全船重をかけても氷が割れない。ラミング回数が三千回を超えた時点で、軽油の消耗が限界ラインを超えた。帰国時にもラミングは必要となる。その結果、昭和基地から500mの位置で定着氷に接岸するはずが、遥か37kmも離れた沖合でしらせは停船を余儀なくされた。
12月24日、接岸断念が正式に通達される。それでも、引き返すという選択肢は存在しない。昭和基地には、雪と氷と暗闇に閉ざされた世界で一年間頑張ってきた32名の越冬隊員が、食料と燃料の補給を待ちわびている。
海上自衛隊主導のもと、物資の輸送計画会議が行われた。厄介なことに、またしても天気が崩れて、風が唸り声をあげ始めた。しらせには、輸送ヘリ2機が搭載されている。過去に接岸を断念した経験があり、その際はヘリでの空輸を行ったらしいが、今年は風に煽られて墜落するリスクが高い。仮に飛べたとしても、基地周辺が地吹雪で覆われたら着陸することもできない。
残された手段は、ただひとつ。雪上車による深夜輸送だった。
定着氷にも、薄く脆弱な場所があるし、クレバスもあちこちに走っている。そのため氷の状態が安定する深夜帯に、一往復ずつ物資を運ぶ。南極の玄関口を突破するには、雨垂れが石を穿つように、ひたむきな努力を続けるしかない。
まずは、先遣隊がルート工作を行う。安全な輸送ルートを確立するため、未知の氷原を手探りで突き進む。もっとも危険度の高い任務を、カフェと夏野は率先して引き受けた。ふたりともクレバスの対応はプロ級だ。なによりカフェは優れた聴覚で、氷の変化を聞き取ることができる。
さっそくふたりは準備に入る。極地用の防寒具に、ハーネスを取り付け、互いの身体をザイルで結ぶ。通常は雪上車に乗り込むが、今回はより正確なルート確保のため、カフェと夏野が徒歩で先導することになった。風は強いが、ブリザードには至らない。もし吹雪いてきたら、すぐ車中に避難できる。
「まさか、初南極上陸が、こんな形になるとはね」
互いの装備をチェックしながら、夏野は言った。感慨にふけっている暇などない、緊迫した任務。
「正確には、ただの海氷なので南極大陸ではないです。ついでに言えば、昭和基地があるのは東オングル島という名前の、島です。南極大陸とは氷で地続きになっているだけです。初上陸はまだまだ先ですよ」
カフェが軽口を返す。緊張している様子はない。むしろ登山前のように闘志がみなぎっている。久々の氷だ。夏野もまた、登山家の魂が疼いていた。
激励を背に受けながら、ふたりは海氷の上に降り立つ。
ここが南極。ヒマラヤとは異なる極地。深夜だというのに、周囲は夕暮れ時のようなオレンジに染まっている。ここはもう白夜の領域に入っている。遮るもののない、果てしなき赤黒い闇。まるで、あの世まで続いていそうな光景だった。
「行きましょう」
そう言って、カフェは南極に一歩目のアイゼンを突き刺した。
夜が明けるまでの6時間で、海氷域を踏破しなければならない。できるだけ歩速を上げつつも、足裏の感触と耳で氷の状態を確かめる。キャタピラでゆっくりと後を追う雪上車から、トランシーバーで進路の指示を受ける夏野。その内容を、前方のカフェに伝える。カフェが前進すれば、そのルートは安全だ。
カフェは全神経を研ぎ澄ませ、凍りつく海の上を渡っていく。もし自分が作ったルート上で雪上車が海に落ちたら、越冬のための物資が不足する。それを補うためには、内陸移動用の資源を削るしかない。つまりヴィンソンマシフの足元にも辿り着けない事態に陥る。
南極に来て早々、観測隊と登山隊の命運を背負った綱渡り。
だが、重圧はあれども恐れはなかった。すぐ後ろに、バディがいる。誰よりも愛する人が、命のたづなを握ってくれている。それだけでカフェの足取りは軽くなる。
小休憩を挟みながら5時間ほど歩き、ついにふたりは文明の形を視界に見出す。風に舞い上がる粉雪で霞んではいたが、間違いない。高床式倉庫のような、無骨な立方体の建物。日本の南極観測の拠点である昭和基地だった。
しかし、その全容は、事前に聞いていた姿とは様変わりしていた。南極において12月は夏季だ。昭和基地の周辺は、地面が剥き出しになり、さながら荒野のようになっているはずだった。しかし、今は建物の直下まで氷雪に覆われている。
カフェと夏野は、基地にいた越冬隊員に迎え入れられた。ふたりのルートをもとに補給線が構築され、明日の深夜から本格的な輸送作戦が始まる。管理棟の入口に、『ようこそ南極へ! チームシェアト御一行様』という垂れ幕が掲げられていた。日本のウマ娘初の南極上陸を祝って、越冬隊員はビールで乾杯する。交流もそこそこに、ふたりは気候についての情報を聞き出す。
「今年は異常だったよ。月の数回のはずのブリザードが、週に二、三回は襲ってきてたからね。そんなわけで、仕事そっちのけで雪かきばかりしてたよ」
冗談めかして笑う髭面の隊員。どうやら平均気温も、例年より低いようだ。世界全体を見れば温暖化が進んでいるが、南極大陸の内陸では、むしろ寒冷化が起きている。
接岸できないほどの海氷に阻まれ、スケジュールは大幅に遅れている。貫谷率いる撮影隊が予定通りベースキャンプ入りすると、カフェ隊が到着するまでかなり待たせるかもしれない。
夏野は越冬隊の隊長に申し出て、衛星電話を使わせてもらった。昭和基地に到着したら、プンタアレナスの貫谷に連絡する手はずになっている。そこで互いの予定を調整する。夏野は、昭和基地に対する補給が遅れることを伝えた。もしかしたらハンニバル隊に先を越されてしまうかもしれない不安も。しかし貫谷は、夏野の危惧を否定する。
『少なくとも、先にベースキャンプに入られることはないと思います。飛行機が、飛ばないんです』
その言葉に、夏野は一瞬、思考が止まった。
『南極との間の、ドレーク海峡の空が、ずっと荒模様です。観光会社は、どこも客への弁解で大混乱です。例年ならこんなことにはならないと。天候が回復しなければ、ツアー自体が中止になるかもしれません』
貫谷は現状を伝える。飛行機が飛ばないということは、貫谷隊が南極に入れないということだ。大量の物資をはじめ、プロのガイドや山岳医などの人的支援も受けられなくなる。撮影ができないどころか、まともに登山できる確率が著しく下がる。
「天候回復の見込みはないんですか?」
『予報では、これから一週間ほどは低気圧のせいで風が強まると。それより先のことは、分からないです』
つまり、打つ手なしということだ。嵐が鎮まることを祈るしかない。しかし、こちらは止まることは許されなかった。しらせ到着が遅れた分、観測隊の予定も前倒しで進んでいく。貫谷隊がベースキャンプに来られないとしても、ふたりは進むしかない。
夏野は通信を切った。会話は、カフェも聞いていた。計画が崩れることには慣れているが、今回のような地球レベルでの気候変動は想定していない。
「ひとつ幸いなのは、ハンニバルも想定外の足止めを喰らっていることです。ある意味、南極に入ることができた我々のほうが優位なのかもしれません」
そう言いつつも、表情は険しかった。貫谷隊が南極入りできなかった場合、登山の日程が根底から覆る。とくに食料の配分が厳しい。重量があり嵩張る荷物は、貫谷隊がベースキャンプまで空輸する手はずだった。
「ヴィンソンマシフは、極地のなかの極地です。ハンニバルの言う通り、万全の備えのもと、少しずつ包囲網を狭める極地法で山頂を目指すべきです。しかし、隊の九割が合流できず、物資も足りないとなると、我々は恐ろしい挑戦をしなくてはなりません」
「アルパインスタイルで、ヴィンソンマシフに登る」
夏野は答える。カフェは苦しそうに頷いた。ブリザードが吹き荒れ、人間の絶えたベースキャンプから、たったふたりで頂点を目指す。最低限の装備と日数で。それ以前に、異常気象の氷の大陸を横断できるかどうかも分からない。
「わたしは、カフェと一緒にいる。地球の裏側だろうと、ついていくだけ」
「今さら、でしたね。夏野さんの命、わたしがお預かりします。必ず、婚約者のもとに帰してあげますから安心してください」
ふたりは声をあげて笑い合う。絶望的な状況下でも、心が折れることはなかった。
しらせからの補給が一段落した12月29日。カフェと夏野を含む内陸旅行隊が編制された。旅行隊隊長であり気候班の井出隊員、エアロゾル観測班の柏原隊員、設営班の樋口隊員が加わる、合計5名の隊だ。隊員たちはみんな体格が良く、研究者というよりは山男のような外見をしていた。
任務は、長らく放置されていた内陸の最前線拠点S60の再整備と、南極高原の遠征観測である。南緯80°より内側は、『到達不能極』と呼ばれる、地球上で最も過酷な土地だ。年平均気温がマイナス50℃以下の極寒と吹雪の巣窟。南極高原はその名の通り、2000m以上の分厚い氷に覆われ、富士山頂と変わらない高度となる。
今回は、そこに初めて足を踏み入れる。
日本は昭和基地の他に、あすか基地、みずほ基地、ドームふじ基地という隊員が常駐可能な前線基地を持っている。しかし現在、それらは全て閉鎖されている。維持管理が難しすぎるため、主要な研究が終わった後は放置されていた。いちばん遠いドームふじ基地ですら南緯77°に位置するため、いかに到達不能極の環境が厳しいかが分かる。
ヴィンソンマシフが属するエルスワース山脈は、到達不能極の只中にある。
30日、昭和基地から海自の輸送ヘリに乗り込む。予定よりも大幅に遅れての出発だ。パイロットは、何度も南極観測に参加しているベテランだが、それでも緊張の色を隠せなかった。
今年の南極は異常だ。しらせ乗艦時から、全員が肝に銘じていることだった。
ヘリの窓から見えるのは、東オングル島と大陸本土を結ぶ海氷だ。辛うじて亀裂が見えるのは、大陸との繋ぎ目部分だけだった。かすかな青い線が、ところどころ真っ白な雪の上を走っている。ここから先が、南極大陸だ。
ただひたすらに白い。生命の気配が完全に絶えた、どこまでも漂白された世界。内陸に向かうにつれ、緩やかに標高があがっていく。カフェの高度計は、1700m付近を示している。大陸の基盤岩自体は、平均して、たった90mほどしかないという。残りの高さは、全て氷だ。地表の淡水の7割を保有する、最大で4000mにもなる圧縮された氷。
人類文明の進出を許さなかった唯一の大陸。別の惑星かと思うような景色のなかに、ほんの小さな変化が現れる。雪の丘陵のなかに、明らかに不自然な物影がある。アリの行列みたいな、黒い点線が6つほど。井出隊長によれば、S60地点付近にデポしておいた雪上車と橇らしい。登山界でもデポは有効な作戦だ。あらかじめ食料や装備を荷揚げしておき、身軽な状態でベースキャンプからアタックをかける。しかし、旅行隊の命綱とも言える雪上車は、デポというよりは、ただ雪原のど真ん中に放置されているようにしか見えなかった。布やガレージで覆われているわけでもない。
「枠組みを作ったところで、ブリザードで埋もれてしまうからね。大丈夫、掘り出せばちゃんと動くよ」
こともなげに井出隊長は言った。
猛烈な雪煙を巻き上げながら、ヘリが降下する。カフェと夏野は、ようやく地球のてっぺんをその足で踏んだ。南極大陸に来た、という実感を持つ暇もないまま、さっそく作業に取り掛かる。雪上車は、風向きに沿うように列を為している。そうすることで、車体への積雪を最小限に抑えることができる。しかし、今年に関しては焼石に水だった。バスほどの大きさがある箱型の車体は、履帯の上部まで埋もれている。しかも、ただの雪ではない。凄まじい風と低温により押し固められたガチガチの氷だ。シャベルの刃が、いとも簡単に弾かれる。氷というよりは岩を削っている気分だった。
さっそくカフェの膂力が大活躍した。大人四人がかりで、なんとか一両、履帯周りの氷を砕いたのに対し、その間にカフェは残り二両を掘り出していた。その活躍ぶりに、感嘆の声があがった。
「これからは、俺たち研究者よりもウマ娘の隊員を募集したほうがいいんじゃないか?」
柏原隊員が冗談めかして笑う。カフェもまんざらではなさそうだった。
日本初のウマ娘隊員のおかげで、荷物の積み込みまでスムーズだった。ヘリから大量に投下される内陸旅行用の物資は、雪上車の後部の橇に詰め込まれる。荷の大部分が食料だ。旅程は、長く見積もって40日を想定している。どれだけ遅延しても、2月1日の越冬交代までには昭和基地に帰還しなければならない。不測の事態に備え、非常食の占める割合も大きい。日々の食事のクオリティには、あまり期待できない。
エンジンをかけると、排熱により車内はかなり温かくなる。寒さに強い者は、半袖でも過ごせるほどだ。しかし、半日も経たないうちに、車両は停止した。ひとまずの拠点となる、S60に到着したからだ。
「……本当にここなんですか?」
カフェが怪訝そうに尋ねる。夏野も同意見だった。拠点らしきものが影も形も見えない。
「こりゃ、着いて早々大仕事になるぞ」
井出隊長が呻く。防寒着をまとい、車両から降りると、彼の言葉の意味が分かった。よく目を凝らしてみると、白い板のようなものが二枚、辛うじて雪面から顔を出している。
「あれが居住棟と発電棟……の屋根だよ」
早くもうんざりした様子で井出は言った。プレハブ小屋のような建物がふたつ、完全に雪に埋もれている。またしても地獄の雪かきならぬ氷砕きの始まりだった。せめて入口だけは掘り出さなければならない。もし予報にないブリザードが襲来すれば、拠点を持てないまま燃料と食料だけを消費し、そのままあえなく撤退ということもあり得る。みんな、必死だった。雪上車に泊まり込んで、一日がかりで拠点の入口を確保した。
疲労困憊しながらも、なんとか通信設備を復旧させる。井出隊長は、S60到達と隊員の無事を報告する。昭和基地からの返信はふたつ。大規模なブリザードの予兆は、今のところないこと。そして、カフェと夏野が何より恐れていた事態を知らせる。
全てのツアー会社が、今季の南極旅行を断念。
乱気流により飛行機を飛ばせないことが理由だ。つまり、貫谷隊はベースキャンプ入りできないことが確定した。
「戦力の9割を失いました」
カフェの声は冷静だった。現実を受け止めたうえで、次の行動を考えている。
「僕個人としては、登らないほうがいいと思う」
井出隊長は言った。
「ベースキャンプまで辿り着けたとしても、登山後に帰還できる保証がない。僕たちには観測任務があるし、食料のことを考えると、長期滞在は難しい。少しでも互いの行動がずれたら、きみたちは到達不能極のなかに取り残される」
しごく真っ当な意見だった。しかし、最終的に登らないという選択をするとしても、今挑戦を辞めることはできない。
「行きます。行けるところまで行かなくては。どうかわたしたちを導いてください」
カフェは言った。夏野も共に頭を下げる。
「分かった。登山隊の決定権は、きみたちにある。僕は旅行隊の長として、任務を遂行するとしよう。実は、僕も楽しみにしていたんだ。この南極で、日本のウマ娘が世界初の偉業を成し遂げることを」
井出はふたりを激励する。柏原と樋口も同じ意見だった。
「俺たち、カフェさんがヴィンソン山に行くって聞いて、内陸旅行隊に志願したんですよ」
柏原は言った。機材の設営を担当する樋口など、こっそり持ち込んだ極楽カフェキーホルダーに本人のサインを貰っている。
「みなさん、ありがとうございます。よろしくお願いします」
日本から1万5千キロ先までついてきてくれた三人のファンに、カフェは深く頭を下げた。貫谷隊を失ってもなお、チームシェアトの命運は絶たれていなかった。
極地の中の極地。南極大陸最高峰ヴィンソンマシフ登頂は、その姿すら見えない場所から始まった。支援者3名、アタック隊2名による、登山史に例のないアルパインスタイルでの挑戦だった。
次回、南極が本気出す。