【ヘスティア・ファミリア】元団長   作:釜めしの素

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第十一話 迎えの神、生還の子ども

 リング・ヴェーダ(20)

 行き倒れたところを神ヘスティアに拾われ、眷属となった青年。他人との交流に乏しく、他ファミリアとの親交はほとんどない。

 

 ダンジョン崩落事故により3年の間も行方不明となっていた。今になって生還してきたのは、彼自身の素質か。天運か。あるいは、意思の力によるものか。

 異端児(ゼノス)たちとの交流は非常に良好。忌避などの拒絶はカケラもなく接することはリドや、その場に居たという異端児たちにも聞いた話だ。

 これほど友好的にも関わらず、地上では交流が少ないことに驚くべきか。あるいは、もとより変わった人間だったのかもしれない。

 

 外面は冷たく、警戒心が非常に強い。レイとの初邂逅の時は魔法を発動しようとしたらしい。

 しかし、その一方で涙脆く、貸し借りの清算には非常に敏感とはグロスの弁だ。意識の切り替えも極端だという。

 上記から判断すると、情緒不安定のように聞こえなくもない。だが、ダンジョンの中で3年という時を過ごし、もがき苦しんだと考えれば、内面にどのような変化があってもおかしくはない。

 

 

 

 その青年の言動に、ありし日には賢者とさえ呼ばれたフェルズをもってしても、空っぽの眼孔を見開かんばかりに驚嘆を覚えた。

 

「たす、けて――」

 

 その体を乾いた血に染めた死に体の様相で、今にも消え入りそうな言葉を漏らした時には、「もう長くはない」と半ば確信めいたものを感じさせた。鼻のないフェルズにも、明確に感じ取れる「死の臭い」がこの空間に充満している。重苦しく、鉄臭く、どろりと粘り気のある不快な空気。風が嫌に高い音を奏でながら、青年の頬を撫でる。死神が骨の手で撫でつけるように、小さな火を弄ぶように。

 

 事態が動いたのは、本来顔を合わせることすら出来ないはずだったラーニェと、レイが彼の手を取ってからのことだ。

 どんな光も通さない、固まりかけのカサブタのような赤黒い瞳。そんな、死人と変わらないような彼の瞳に、明るい炎が灯った。

 

 弱々しかった表情も、口元に力強い笑みが浮かんでからは一変した。

 

「生き、る……」

 

 か細くも、喉を震わせて声を上げる。間近に迫った死を吹き飛ばすように、彼はその意思を固めると。

 

「誓うッ」

 

 と、力を振り絞るように声を上げて。

 フェルズはそれが間違いだったことに気づかされる。

 

「ぜっだいに、放ざないッ」

 

 その言葉は、まさしく炎である。

 生命の息吹を吹き返す炎。消えかけていた灯が、途端に轟々と燃え盛り、その余熱が彼の口から飛び出している。

 力を振り絞ったのではない。力が湧き上がっているのだ。

 

 ――奇跡。

 そうとしか言えない魔法を扱うフェルズを以てして、目の前の状況をその言葉で表すしかなかった。

 

 重苦しい空気は吹き飛んだ。

 代わりにこの場は、熱に浮かされている。異端児(ゼノス)たちはどこか浮足立つように、落ち着きなく身体を揺らしたり、視線を泳がせたり。中には涙を浮かべる者も居た。

 

「背中の灯に、誓うッ」

 

 フェルズはその言葉を聞いて、確信に至る。

 今まで数奇な運命というべきか、ただの一度も邂逅を果たせなかった。異端児(ゼノス)たちの評があろうと、自分の目で確かめるまでは、と最後まで気を抜かないようにしていたが。

 

「今度は、俺がッ。お前たちの手を、引く番だッ」

 

(――あぁ。君は愚かしいほどに真っ直ぐだ。君がその(かみ)に誓うと言うのであれば、もはや疑う余地もない)

 

 神ヘスティアとリングの絆は、真に深い愛情と信頼によって繋がっている。

 お互いに、3年も諦めず戦い続けてきた。お互いのために、その膝を屈することは決してなかった。リング側の事情を、話を聞かずとも。『ダイダロス通り』で見せた終戦の聖火と、今の言葉だけで十分わかる。一を聞いて十を知るフェルズに限った話、というわけでもない。そうであるに違いない、とフェルズは思っている。

 

「助けてくれて。手を取ってくれて。ありがとう」

 

 それは私のセリフだ、とフェルズは口にしたかった。彼と交流のある他の異端児(ゼノス)たちもまた、フェルズと同じ胸中にある。

 

「俺はお前たちを見放さない。地獄の底まで付き合おう。お前たちが嫌がっても、俺はお節介に手を焼こう」

 

 これまでの積み重ねがあるからこそ、その言葉には重みが伴う。

 断ち切れない絆だと、彼は声にしているのだ。明確に言葉にすることで、不透明な筈のそれが浮き彫りになる。実際に目の前にあるかのように、繋がりの糸を幻視するほどに。

 

 それがどれほど、異端児(ゼノス)たちにとって心強いことか。今までは同胞、そしてフェルズとしか交流を持たなかった彼らにとって。リング・ヴェーダ並びにベル・クラネルとの繋がりは、掛け替えのないモノだ。

 悲願の成就、人類との共存。その目的に対する足掛かりとなることにも、嬉しさを覚えているかもしれない。しかしそれ以上に、「人間」が自分たちに理解と繋がりを持ってくれることが、日陰者の彼ら彼女らにとってどれだけの勇気を与えることか。

 

「リド。お前の気さくな態度が嬉しかった。分け隔てないその手に救われた。お前が親友だから、今俺はここに居る」

 

 リドは異端児(ゼノス)の中でも、特に人間との友好に積極的だ。ダンジョンの中、ずっと孤独にさらされていた彼のことを思えば、そんなリドの態度が小さくない救いとなることは、あり得るのだろう。

 

 それはまさしく、初めて同胞に出会った異端児(ゼノス)と境遇はそっくりなのかもしれない。

 

 リドはその言葉を聞いて、ぼろぼろと涙をこぼしている。歓喜にその身を震わせながら、腕で目元を覆って声を殺している。唸るような喉の震えは、聞かなかったことにした方がいいだろう。

 

「レイ。その歌声が俺の心を繋いだ。綺麗で、温かくて、またあの日に戻りたいって強く思えた。……そのお節介、慈愛というか。気を遣ってくれたのは、くすぐったかったけど」

 

 中立を己に課すことで一歩引いた立ち位置を維持するレイ。異端児(ゼノス)の中でもリドに次ぐ実力を持ち、同じく人間との共存を願う穏健派の思想を持っている。

 立場を意図的に調整するということは、即ち周囲を慮って、状況を見据える能力に優れているということでもある。そんな彼女から、一体リング・ヴェーダはどのように映ったのか。

 

 きっと、歌ったのだろう。彼の様子を見て、隣に寄り添うように。背中を押すように。手を引くように。そんな思いを歌に乗せて、聴かせたのだろう。

 心の拠り所がずっと遠くにいる彼にとって、それがどれほど心強いことか。想像を絶する地獄から這い上がった彼にとって、どれほど心の傷口に沁み込んだことか。

 

 レイはその頬を桜色に染めながら、慈しむように彼を見ていた。彼の腕を包み込む翼は小刻みに震え、その目じりにきらりと一滴をためて。その口元は一文字に引き締められたかと思えば、仄かに緩み微笑に変わり、また一文字に、そして柔らかく緩み。感情の形が迷子になっている。

 

「グロス。憎まれ口ばっかり叩いて、損な奴だと思ってた。お前の言葉が、俺を現実に引き戻した。その憎まれ口が、妥協を吹き飛ばしてくれた。俺を、正してくれた」

 

 人間を信用できず、共存を否定し過激派に寄っていたグロス。その言葉は手厳しく、鋭利に正論を突き、甘えを切り捨てる。夢物語ではなく、誰よりも現実を見据えていた石竜(ガーゴイル)は、彼の足を地に着ける重石になっていたのだろう。

 

 優しさとは薬のようなものだ。適量をもって接すれば、その心を救う仙薬になる。しかし、それを過剰に与えてしまえば……自立できないほど腐り果て、依存させる毒ともなる。

 

 さながら、グロスはその塩梅を調整する錬金術師のような役回りに立っていた。グロス自身が意図したかは分からないことだが。

 彼にとって異端児(ゼノス)たちとの交流は、危ういバランスのもと保たれていたのかもしれない。リドとレイの優しさは、彼にとって意図せぬ形で毒となっていたのかもしれない。

 

 グロスの表情は非常に読み取りにくい。彼の言葉を聞いても、鼻を鳴らして沈黙を保っている。

 

「ラーニェ。生きててくれて、ありがとう。あの時、お前の命さえ取りこぼしていたら、俺はもう二度と立ち直れなかった。最後の希望だった。それが勘違いだったとしても、あの時俺を救ってくれたのは、間違いなくお前だった」

 

 ラーニェは生きていた。グロスたちから「殺された」と聞かされたフェルズは、異端児(ゼノス)たちと同じように彼女の生還に驚いた。そこに関与しているのが、リング・ヴェーダ。またも【ヘスティア・ファミリア】の人間であることは、もはや必然といってもいいだろう。

 

 誰もがラーニェが生きていることに驚いた。事の経緯を聞いた後、異端児(ゼノス)たちにとってリング・ヴェーダは、間違いなく「英雄」であった。救われたのはラーニェで、人間との共存に更なる可能性を見出した異端児たちだというのに。その実、救われていたのは彼であったとは。

 

 何より変化があったのは、ラーニェ自身である。

 人間嫌いで過激派筆頭の彼女が、人間であるリング・ヴェーダには笑みを浮かべている。勝ち誇るように、得意そうに。その雪のように白い肌のせいで、赤らんだ頬はより強調されていたが。その強気な笑みは、照れ隠しというものか。

 

 

 

 英雄というには、十分すぎる実績だ。小さな集団でしかない異端児(ゼノス)にとって、同胞一人の命は非常に重い。お互いの繋がりの濃度が、人間とはまるで違う。異端児という集団は、大家族のようなものである。

 その一人の命を救い、家族全員が危機に晒された時に戦いを止め、離散しかけていた異端児にまとまるだけの猶予を与え、誰一人欠けることなく、またも窮地を救った。これを英雄と言わずに、何と称する。

 

「好きだ。大好きだ。お人好し共め。だから見捨てられないんだ。だから愛しているんだ」

 

 愛している。その言葉の意味は、親愛だろう。恋愛、異性愛というものとはかけ離れている。熱さというよりも、温もりを持った言葉。

 リドがその言葉のせいで、声には出さないが、その尻尾を千切れんばかりに振って泣いている。レイはその翼を一度大きく揺らして、目を見開いていた。グロスはその仏頂面に手を当てて、何かを振り払うように首を横に振る。ラーニェは動じず、笑みを深めていた。

 

 他の異端児(ゼノス)たちもまた、声を殺し切れずすすり泣く者が現れ始める。

 

「誰が何と言おうが、俺はお前たちとの縁を守る。この絆は断ち切れない。断ち切らせない。例えお前たちにだって、断ち切らせない」

 

 その言葉からは、確固たる意思を感じた。うわべだけの絵空事ではない。本気でそうするのだと、覚悟の重みが詰まった言葉であった。聞いて、意味を理解した途端にズシリと、実感を持たせてくる。

 

「嬉しくて、泣いちまう。悲しくて泣いてるんじゃない。ただ、こんな幸せが欲しくて。ずっと、ずっと……暗くて、いつも死にそうで、腹が減って、喉が乾いて、誰もいない。そんな場所から、這い上がってきて。……それがさ、やっと、手が届いて。嬉しくて、嬉しくて……!」

 

 絞りだされる感情が、痛々しくも美しかった。

 心を開き、本音をそのまま紡ぎ出す彼に、口を挟める者は居ない。挟んではいけない。全てを聞いてからだと、この場に居る誰もが感じ取っていた。

 

 感情は、今にも爆発しそうだった。

 耐えているのは、まだ続きがあると察することが出来るから。理性が吹き飛びそうなほど、正の感情がうねり、唸り、音を上げて胸を打つ。

 

「何があっても、手を取るさ。守るためなら、誰かの為なら、俺は何度だって立ち上がれる。そんな理由に、なってくれた。だから……ありがとう。繋ぎとめてくれて、ありがとう」

 

 その言葉の後に、彼はラーニェの手とレイの翼に引っ張られるように起き上がる。

 顔を濡らしながら、彼は照れたように歯を見せながら笑顔を向けた。嬉し涙を流しながら、微笑みが光る。

 

 向けられた笑顔は、気を許せるという信頼の証。

 取り繕わないその姿は、親しい関係だけの特権であり。

 そんな全幅の思いが、この場で誰よりも眩しくそこにある。

 

 傷だらけでも、血にまみれていようと、その思いだけは色褪せない。

 

「リグっち! お前、お前ってやつは!」

 

 いの一番に反応を示したのはリドだった。彼と同じように涙でぐちゃぐちゃになった顔で笑いながら、彼の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 そんなリドの反応に、彼は喉を鳴らして、口元を得意そうに歪める。

 

 そんな彼を輪の中心に、異端児(ゼノス)たちは集まり声を上げる。ここが敵地、地上のどこかであるにも関わらず、彼ら彼女らは感情のままに喜びを分かち合う。

 リドが泣きながら笑ってリングを撫で回し、レイはその翼でそっと体の血を拭いていき、グロスは外側からその様子を見守り、ラーニェが彼を支えるように手を繋ぐ。赤い帽子を被ったゴブリンのレットが瞳を揺らしながら感激に声を上げ、半人半蛇(ラミア)のラウラがレイの隣に陣取り笑いかけ、一角兎(アルミラージ)のアルルが彼の腰元で跳ねまわり、彼の背後に半人半鳥(ハーピィ)のフィアが腰を下ろして声を掛ける。

 

 

 

「ベル。みんな、うれしくて泣いているんだよね?」

 

 その様子を、輪の外、その更に外側から見守っていた少年と女の子。深紅の瞳から一筋、頬から顎に伝う濡れた跡をもつ少年は、しっかりと少女の問いに頷いた。

 

「うん。みんな、嬉しくて仕方がないんだ。ウィーネが生き返ってくれた時みたいに。みんな、あの人が生きててくれて、嬉しいんだよ」

「そっか。すごく、いい人なんだね」

「きっと、そうだよ。だって、あんなに嬉しそうなんだから」

 

 大団円は、あまりにも眩しかった。その輪の中だけ、絢爛なパーティー会場のように、輝いて見える。

 それがどこか、少年にはくすぐったかった。嬉しいと思う。心にすっと一陣の風が通り抜けるような、清々しさがある。しかし、どうにも実感が持てないまま、その心を持て余してしまう。

 

「……あの人が、僕たちの団長――」

「その通りだぜ、ベル君」

「わっ、え、神様!?」

「やあやあ! 遠路はるばるやってきちゃったよ」

 

 神ヘスティアは、少年ベル・クラネルに笑いかけると、「ウィーネ君も、息災で何よりだ」と竜女(ヴィーヴル)異端児(ゼノス)ウィーネを見て安堵したように息を吐く。

 

 そして、二人の無事を確認したところでヘスティアは、輪の中心に視線を向けた。

 

「――うん。リング君は、凄いだろう?」

「うん! でも、ベルだってすごかったんだよ?」

「ふふ、知ってるさ。ベル君の活躍は、しっかりと聞かせてもらったから。ベル君も、今日はおつかれさま」

「はい。ウィーネも、ありがとう」

 

 ベルは小さく頷いて微笑むと、しばらく沈黙を置いた後、「何だか、不思議な気分です」とその胸中を口からこぼした。

 

「ずっと、こんなにすごい人が居たのに、今まで全然会えなくて。知らなくて」

「無理もないさ。ボクだって、3年ぶりにリング君を見たんだから。3年ぶりに会ったら、こんなに立派になっちゃって……」

「ずっと、あえなかったの?」

「うん。リング君は、3年前にダンジョンの崩落事故に巻き込まれて、行方不明になっちゃってね……」

 

 そうして三人が話し合っているところで、ふと輪の中心から声がプツリと途切れる。その様子に、反射的に三人がそちらを見てみると――

 

「……ヘスティア、様」

 

 ヘスティアとリングの目が合った。

 リングはすぐに立ち上がる。示し合わせたようにその輪が割れて、彼を繋いでいた手ははなれ、自由となった彼は一歩、女神に向けて踏み出した。

 

「リング君」

 

 二歩目。それを踏み出す前に、リングをヘスティアが抱きしめた。ヘスティアがリングの胸に顔を埋めるような形。しばらく、放心したように動けなくなったリングは、出来の悪い人形の駆動部のようにぎこちなく動き、女神を抱き返した。

 

「ただいま、ヘスティア様」

「おかえり、リング君」

 

 泣き止んで、ゆりかごに揺られる赤子のように、穏やかな顔でリングは微笑んだ。ヘスティアからは見えないが、彼が今どんな表情をしているのか、その雰囲気からだけでもわかる。3年のブランクとはいえども、大切な眷属との交流の経験は、今も尚、きらめいている。

 

 3年の時を経て、今度は神ヘスティアが迎えに来ることで。

 ようやく眷属リングと、神ヘスティアはお互いに触れ合うことが許された。

 

 とん、とん、とヘスティアは赤子をあやすようにその背中をさすり。

 リングはただ、その全てを女神にゆだねて。

 

 誰も侵すことのできない神と眷属の時間。

 それはしばらく、彼が再び眠りにつくまで続くのであった。

 

 

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