【ヘスティア・ファミリア】元団長   作:釜めしの素

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第十二話 悲嘆と苦難と絶望の物語 またの名をステイタス

 

 リングが眠りから目を覚ましたのはすぐの事だった。

 異端児(ゼノス)たちと【ヘスティア・ファミリア】が打ち合わせをしている内に、彼は微睡んだ意識を覚醒させる。

 

 身をよじると、後頭部に枕でもあるかのように柔らかい感触。目を開けば雲のように白い何かが広がっている。

 

「起きたのかい? リング君」

 

 聞き間違える筈のない神ヘスティアの声が、すぐ近くから聞こえてくる。しかし、仰向けになっている筈の視界が映すのは白一色。首を横に向ければ、異端児(ゼノス)たちが彼の方に注目しているのがわかる。

 

「はい。……えっと、今の、状況は?」

「君が寝ている間に、ちょっとあの子たちと話をしてたんだ。そしてそして! 久しぶりのボクの膝枕だ。落ち着いたかい?」

 

 上から聞こえてくる神ヘスティアの声。そして後頭部の感触。その言葉。そこまでの状況を理解してようやく、自分が膝枕をされているのだと気づいた。

 下手に動くことも難しく、顔を隠したい手は宙を握る。異端児(ゼノス)たちに注目されている、ということも相まって、顔がみるみるうちに染まっていく。

 

「あの、恥ずかしいです。……見られているんですけど」

「いいじゃないかいいじゃないか! 久しぶりの君との触れ合いなんだから。いくらやったって罰は当たらないよ! 当てようとする神がいるならボクは激怒する自信があるね!」

「いや、だから恥ずかしいですって」

「まぁまぁ、いいじゃないか。ちょっと前までよくやっていたじゃないか」

「――っ」

 

 とうとう我慢出来なくなり、彼は両手で顔を覆って数多の視線から自分を守る。騒がれた方がまだ良かった場の空気は、シンと静まり返っている。それが余計に、彼の羞恥心を煽る。

 

「神ヘスティア。気持ちはわかるが、猶予も少ない」

「……そうだね。うん、じゃあリング君との再会の喜び――もとい、愛を育むのもここまでにして」

「どうして言い直したんですか」

「ボクの母性を煽る君のせいだね」

 

 蚊の鳴くようなリングの声に、ヘスティアには眩しい笑顔を浮かべてそう答えた。女神の顔まで見えない彼ではあるが、その声音だけで状況を察したリングの全身が脱力する。

 

 そして、そんなリングの隙を的確に突くように。

 

「リング君。ステイタスの更新をしよう」

 

 神ヘスティアは宣言するのであった。

 

 

 

 ヘスティアは持参していた針でその指を刺すと、ぷくりと血の泡が浮き上がる。

 その神血(イコル)を一滴落とせば、彼の背中は波紋を立てるように揺れる。漆黒の文字群が水を得た魚のように踊り、その形がみるみるうちに変わっていく。

 

 神の指が一画、その漆黒を撫でる度に物語を繋ぐ文字が生まれる。どういう冒険をしたのか、何が起こっていたのか。この三年間の集大成が、少ない文字を以て訴えかけてくる。

 

 涙のように、ボロボロと漆黒の文字が彼の体の中に埋まっていく。再び浮上したときには、全く別の滲んだ文字が浮かび上がる。涙の跡のように、彼の背中にかすかなシミを残して、また文字は沈んでいく。

 何度も、浮かんでは消えていく。時に、文字がのたうち回る。彼の背中のそれが顔だとするならば、その表情が形を為さないほど崩れて、ぐちゃぐちゃになっていく。もはやそれが文字なのかさえ認識出来ないほど、黒い海が荒れ狂う。

 

「――ッ」

 

 ヘスティアは、子どもたちの成長が大好きだ。

 その物語を綴っていく、編纂していく、自分だけの特権。この時間が、たまらなく好きだった。

 

 そんな女神が、唇を噛みしめて、彼の背中に珠の雫を溢す。

 

 指で黒い海を拭い、また一頁を捲る。彼の物語を、これまでの頑張りを。その絶望から、女神は決して目を逸らさない。その意味を理解して、次の文字に手をかける。

 その指が、大きく震える。腕が震える。体が震えて、それでも女神は屈しない。彼がそうであったように、ここで主神たる彼女が折れるわけにはいかなかった。

 

 その【経験値(エクセリア)】をインクの代わりに、『神の恩恵(ファルナ)』を新たな形にしていくたびに、物語が生まれる。進んでいく。悲嘆と、苦難と、絶望に塗れた物語が進んでいく。

 

 それが、終わらない。

 何度も、何度も『神の恩恵(ファルナ)』を彼の形に沿って描いているのに、「そんなものではない」と【経験値(エクセリア)】が溢れて語り掛けてくる。黒い海の奔流が止まらない。何度だって沈み、浮かび上がってくる。

 

 もう十分だろう、と何度思ったかわからない。

 唇を噛み切り、赤いリップに濡れた女神は、まざまざと見せつけられる。

 

 冒険というには、あまりに悍ましい絶望の水底。

 汚泥に染まり、足をつけただけでも抜け出すのが困難なその場所から、這い上がってくる姿。その雄姿が、黒い文字が何度だって浮き上がる。何度だって立ち上がる。

 

 何度倒れても、何度転んでも、彼は決して諦めない。文字が沈んでは浮かぶように、もう三桁に迫ろうという挫折が訪れようと、彼は立ち上がるのだ。

 立ち向かうばかりでもない。時には逃げる。時には避ける。ただ生き残る。生還を果たすという執念が、漆黒の文字としてにじみ出てくる。

 

 

 

 あまりにも濃密な、3年の物語。その全てを今、ようやく読み終えようとした時には、ヘスティアは目を真っ赤に腫らせて、彼の背中は神血《イコル》とは関係なしに多くを濡らしていた。

 そして最後。指を止める前に、ひとつの文字が浮かび上がり。

 

 ステイタスの更新が終わった途端、神ヘスティアは彼の背中に抱き着いた。

 

「頑張ったね。頑張ったね、リング君。ありがとう。生きて帰ってくれて、ありがとう……!」

「それは俺の方が。ヘスティア様が神様だから。俺は生還出来ましたから。ありがとうございます、ヘスティア様」

「~~っ! もう、この、この! 親泣かせめぇ!」

 

 ヘスティアが彼の頭を撫でくり回し、彼はそれを笑いながら受け入れる。そんな家族のじゃれ合いが続くのも少しばかり続いた後。

 

 ヘスティアは彼から離れて、そのステイタスを持参した紙に書き写していく。

 

「こんな数字、見たことないよ。そりゃ、ベル君だって大概だったけどさ。リング君のステイタスは、常軌を逸してる。【ランクアップ】は当然出来るんだけど、これ、もしかしたらしない方が強いんじゃないかな……?」

 

 ふと、彼女の筆が止まる。首を傾げて、何度が唸り声を上げ、そんな可愛らしい反応もすぐに鳴りを潜め、「はい」とリングに書き写した紙を渡す。

 

 

 

リング・ヴェーダ

Lv.3

力:SS 1524 耐久:S 924 器用:SSS 3982 敏捷:SSS 3220 魔力:SSS 5920

幸運:A 耐異常:A

《魔法》

竈火を囲って笑い合おう(ヘスティア・ゾーイ・ミィス)

詠唱式:【私は竈を囲む者。私は竈を灯す者。私は竈を守る者。薪を集めに野を越え山へ行こう。その火を以て食を摂ろう。食を摂るため狩りへ行こう。その火を囲んでいただこう。感謝を紡ぎ、今日のことを語って聞かせる。小さな幸せを噛みしめよう。凍える日には身を寄せよう。その火を囲って温もりを。蒸された夜は闇を照らす光として。不安も恐怖もかき消そう。扉を開ければ【ただいま】と。迎え入れるは【おかえり】と。掛け替えのない幸せに祝福を。竈に火をつけ笑い合おう。私はただ日常が欲しい】

・周囲に対する戦闘行為全ての強制停止(リストレイト)

・使用後24時間、詠唱者の戦闘行為全ての強制停止(リストレイト)

 

【ブラフマン・シャクティ】

詠唱式:【慈悲をくれてやる。ただ一撃のもとに消え去るがいい】

三位一体:【終焉を紡ぐ。破壊の時は来たれり。全知なる我が破壊の権能は貴様を打ち砕く。そして再生の時が来たれり。我ら全て破壊の後に恵みと繁栄をもたらさん。創り上げられたる我らの平穏は時を超え、その形を保ち続けるが為にこの平和の維持に尽力しよう。我らその呼称をブラフマンと称する。新たな時代来たれり。我らが権能を振るったその後を紡ぐは汝たち。我らは汝らの前から消え去ろう。三位一体とは即ち、この歌なり】(使用後、魔法のスロットと共にこの魔法は消滅する)

 

消えない聖火(ウェスタ)

詠唱式:【】

・発動後、魔法はスロットと共に消滅する。

・発動後、代償は消滅する。

 

《スキル》

【簒奪者】

・あらゆるモノから『精神力(マインド)』の肩代わりをさせる。

 

【オメガの器】

・宿命と対峙する

・「ウェポン」系との戦闘時における、全能力の超高補正

・レベルが高くなるほど効果が低下

 

宇宙の卵(ブラフマー)

・逆境に立たされるほど、このスキルに対するチャージの蓄積

・その時は遠い

 

 

 

「これが、今のリング君のステイタスだ」

 

 これを読み込んだリングは、ステイタスの高さに目を見張り、新しい魔法【消えない聖火(ウェスタ)】の効果が分からず、その異様な内容に戸惑い。

 何より、新しいスキルを見た時に、その心臓を突かれたような衝撃に襲われる。

 

「『ウェポン』系……?」

 

 ウェポン。即ち、武器という意味。武器の形をしたモンスターに対しての効果、というには、カギカッコで結ぶ意味は少ない。

 猛牛や魚類などといった種類というよりも、「固有名」で括っていると見た方がしっくり来る書き方。

 

 そして何より気になるのは「宿命と対峙する」という一文。

 思い出されるのは、死の化身。

 

 紫色の表皮を持つ下半身が獣、上半身が騎士然とした怪物。

 ふと思い出される。思い出すだけで全身に悍ましい寒気が走る、白銀の表皮を持つ、同じような常軌を逸した怪物。

 

「……」

 

 身体が震えはじめる。

 根拠も確信も薄い。だが、現実を見ろ、と彼の本能が訴えかけてくる。目を逸らすな、と頭痛を呼び起こす。

 

「あれと、戦う?」

 

 そんな馬鹿な、と唇がわななく。

 ふざけるな、と鼓動が暴れる。

 

 勝てるわけがない、と本心が断言する。ステイタスとか、レベルの問題ではないのだと、心に刻み込まれている。

 対峙した瞬間にわかるあの絶望。奈落のモンスターたちでさえ、それほどの威圧はなかったというのに。全てを超えたあれと、もう一度対峙しろと。

 残酷な宣言に、喉が痙攣する。収まったはずの涙が溢れ出てくる。いやだ、と首を横に振る。

 

 目が飛び出そうなほど見開かれ、顔を死人のように青くして、酷寒に放り出されたように震えて。

 

「リング君」

 

 ふわり、と抱え込むように。ヘスティアは彼のことを抱きしめて、よし、よし、と背中をさする。

 

「一度、忘れよう。辛いときは、逃げたっていいんだ。嫌なことに、絶対に立ち向かわなくてもいいんだ。だから、ちょっと休もう。3年も頑張り続けたんだから、それくらい、やってもいいさ」

 

 震えの止まらない子どもを、ヘスティアは抱きしめ続ける。大切に、柔らかく、受け止める。

 そして、彼女は決意する。申し訳ない、という気持ちも少なからずある。

 

 恩人たちだ。確かに、恩人たちだ。

 それでも、今こんな状態の彼にこれ以上、重荷を背負わせるわけにもいかない。

 

 だから、彼女は口にする。それで憎まれようと、恨まれようと、その責任を全て負うという覚悟を視線に乗せて、異端児(ゼノス)たちを見た。

 

 

 

「今回の作戦。ボクは主神として、リング君の参加を認めない」

 

 

 

 毅然とした態度で、言い切る。

 それに反発する者は、誰一人として居なかった。

 

 今までのこと、そして今の彼を見て、とても反論など口にできるはずがなかった。

 

「ボクたちは協力してもいい。ベル君たちが言うなら、手伝ってもいい。でも、リング君の参加だけは認めない」

 

 今回の作戦。それは、異端児(ゼノス)たちがダンジョンに帰還するための手伝いである。順路を確保し、冒険者を攪乱し、おとりを使い。そうした諸々の手伝いを、リングにだけはやらせない、と女神は断言する。

 

 見捨てはしない。手も差し出そう。だけど、子どもの命だけは守る、と。

 

 フェルズであっても、神ヘスティアの意見を否定することなど出来ない。仮に強制的に参加させたところで、今のリングが使い物になるかはわからない。何より、その意思が本気なのだ。その力強い碧眼が、決して意見を翻さないことを証明している。

 

「わかった。神ヘスティア。その上で、言わせてもらいたい」

 

 フェルズが一歩前に出て、そのフードを取り払い骨の頭を晒す。その腰を折り、頭を下げて、真摯に言葉を紡ぐ。

 

「君の勇気に感謝を。リング・ヴェーダ。君は間違いなく、異端児(ゼノス)にとっての英雄だ。ありがとう」

 

 それを皮切りに、向けられるのは感謝の言葉の雨だった。

 リングにとって、その温かい筈の言葉の雨は、石の雨と変わらない。痛みを伴って、彼を余計に苛んだ。

 口走った約束を、宣誓を、宣言を、全て台無しにしようとしている自分が許せない。何よりも、神ヘスティアを矢面に立たせてしまった自分自身が許せない。

 

 自分の弱さが許せないと思っているのに。

 もう、立ち上がる力が残っていないという、己の心が許せない。

 

(もう一度――もう、一度――ッ!)

 

 あと一度だけ、立ち上がれと。

 恐怖に打ち震え、それが相手じゃないんだ、と何とか心を奮わせ。神ヘスティアに寄りかかりながら、何とか立ち上がろうとする。

 

 それでも、足が動かない。足腰が立たない。

 せめて声だけでもと思っても、神ヘスティアに抱きしめられて声が出ない。呼吸は出来ても、その豊満な胸に口が塞がれている。

 

 どれだけ、己を叱咤しようが。空元気を引き出そうとしても。

 もう一度。その言葉の魔法が、それを扱うための精神が尽き果てた。

 

 

 

 結局、主神の決定を覆せないまま。

 彼は、ヘスティアたちに支えられて、新しい拠点に連れていかれるのであった。

 

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