【ヘスティア・ファミリア】元団長 作:釜めしの素
睨みつけられていた。
彼は同行者、猛牛に気に入らない、不服だ、と言わんばかりに睨まれていた。それは、初めて猛牛の前で魔法を使った時からの話であった。
地形を変える大魔法。魔力があるだけ威力が高くなる、破壊の閃光。それはただ一閃振るっただけで、今の階層のモンスターであれば、まさしく視線を走らせるだけで跡形も残さず殺すことが出来る。
その様は、はたから見れば悪魔である。瞳を朱く光らせ、ただ一瞥しただけで全てを消し飛ばす、化け物の所業。そこらのモンスターよりよほど、モンスターらしい彼の姿に、猛牛は荒々しく鼻を鳴らす。
「だから、いつまで拗ねてるんだよ。ガキか!」
指摘しようが、寡黙な猛牛は腕を組んで口は開かない。要求を口にせず、ただ対話を拒むような姿勢に、彼は打つ手なしと両手を上げて匙を投げた。
「殺し合いじゃないんだ。生命線の魔石を大量に使えるかっての」
話している内にひとつの区画に出た。植物が多く生えており、非常にじめじめと湿っていながら、蒸されたかのように暑い気温。まるで南国の島のような様相が、見渡す限り広がっている。
そして、ダンジョンからの洗礼とばかりに。草木に隠れていた大蛇が弾かれたゴムのように飛び出し――猛牛にその頭を掴まれ、魔石ごと片手で握り潰され灰となって消える。
黄金の瞳が、彼のことを呆れたように見て、また鼻を鳴らした。
「こんな雑魚に使うな、って言いたいんだなおい。五十超えるような
彼とて、この程度のモンスターが現れる階層において、むやみやたらに魔法を使っているわけではない。
確かに、最初……それこそ、落ちて間もなくの頃は、過剰な魔力と魔石を以て「上位者殺し」を徹底し、戦うとなれば必ず魔法の一撃で消し炭にした。それは、彼の実力ではその階層のモンスターたちに、まともな手段で勝てなかったからである。
それは怪物の宴にも同じことが言える。大群に囲まれ、人数的な不利を背負わされた状況ほど厄介なものはない。石化、麻痺、全身を蝕む毒、拘束攻撃、遠距離からの狙撃。これらがまとめて襲い掛かってきた時の脅威は、ともすれば彼にとって階層主以上の脅威になり得る。
そもそも、彼は元レベル3の冒険者だ。ダンジョンで何度も生死の境をさまよう経験を経て、身のこなしを覚え、生きる術を学んだ彼は確かに成長を果たした。成長を果たしたが、それはステイタスとしての成長ではない。知識と技術の進歩である。
ステイタスとして、彼は弱い。スキルと魔法によって騙しだましやってはいるが、その事実は覆らない。今の階層でさえ、本来は適正から大きく下回っている。
要約すると。
「あと、魔石潰すな! それ俺の生命線なんだよ!」
彼にとって魔石は、命の身代わりになる、彼の余命ともいえる大切な物であることに、今なお変わりはないということである。
猛牛は喚き散らす彼を見ると、嘆息するように鼻を鳴らして、ズンズンと前に進む。
まだ話は終わっていない、と文句をつけながらそれを追いかける彼は、まるで道化や物語に出てくる三下のように滑稽で。
その光景を神々が見たのであればきっと。
嫌らしく笑うか、笑い転げるか。あるいは、目を逸らすことだろう。
彼の中では今なお、不快感が這い回っていた。
新たに彼の腕に五本線の傷が増える。
両腕の五本傷が10セット、合わせて50階層上がった、ということを意味する。それだけ上り詰めた頃合いのことである。
猛牛は己が仕留めた獲物の魔石を食らい、彼は仕留めた獲物の魔石を貯蓄して。連携もクソもない、別々に戦いを繰り広げ、その階層の中ほどまで進んだ時に。
――歌が聞こえてきた。
綺麗なソプラノボイスだ。酒場の即興で舞台に立つ冒険者のような荒々しさは微塵もなく、それは川の清流の如く和やかで、耳あたりがよく、聞いているうちに肩の力を抜いてしまう。
ぷつり、と意識の糸が途切れる……その寸前に、自分の頭を思い切り殴りつけて、なんとか踏みとどまった。額が割れて赤い血がおどろおどろしく流れるが、その気持ち悪さと痛みが、より意識を鮮明にする。
「危ねぇ……」
額を抑え、歌の聞こえる方を悪鬼の如き形相で睨みつける。その凶悪な顔は、覚悟と執念に塗れた故のものだった。
視界が滲む。流れ出る血のせいではなかった。泡立つ水の中のように、目の前がほとんど見えなくなる。
溢れ出る感情を噛み殺し、己も詠えと口を開き――言葉が出てこなかった。喉が震え、唇がわななき、舌がうまく回らない。
崩れ落ちたくなる。眠りたくなる。そんな欲求を、拳を握ってねじ伏せる。
「――♪」
歌が聞こえる。
ゆりかごを揺らされるような、安穏とした響きが頭を震わせる。
耳を塞ごう、などとは思わなかった。無意識に、彼は「聴いていたい」という欲求に従っていた。
昔の記憶がよみがえる。
手を伸ばして、握られた時の暖かさを思い出す。
そして――おかえり、と言ってくれる。
己の主神の姿を思い出した。
「ッ! あぁぁぁああああああッッッ!」
ポーチから魔石を取り出す。それをいっぱいに握りしめて、感触を確かめる。そこに確かにある、という実感が、より魔法のイメージを強固にする。
「『慈悲をくれてや』――っ!?」
ガラガラ声で、詠うというよりも、悲鳴を上げるように魔法の言葉を口にした途端、その口元を押さえつけられる。
黒い体毛に覆われた、大樹の如き腕だった。すぐに、何のつもりだ、と殺気混じりの視線で猛牛を射抜く。
猛牛は、呆れたような瞳で応えた。金色の瞳の光は弱く、剣呑とは無縁な様子。腕の力も、口を押さえるだけに加減されていた。
その様子を見て、スッと激情が凪ぐ。
この猛牛は、味方というほど手を貸してくれるわけではないが、決して攻撃は仕掛けてこない。仮に仕掛けるとしても、構えろ、と必ず合図を寄越すのだ。
この猛牛は決して冷淡というわけではない。戦闘が終われば、拳と拳を合わせることに、付き合ってくれる程度には人間臭い。
出会ってからの期間は非常に短い。それこそ、地獄を切り抜けた時間。それの十分の一にも満たない間だろう。
だが、それだけあれば。
猛牛。怪物の見た目をした武人のことを、知るくらいは出来る。
口を押さえた意味を、理解することが出来る。
声を出せない代わりに肩をすくめて見せれば。
猛牛は鼻を鳴らして、その手を離した。
「……助かる。取り乱した」
礼を口にすれば、視線を寄越す程度のことはしてくれる。
相も変わらず寡黙な様子。しかし、猛牛の目や仕草は、口ほどにモノを言う。
それはある種、信頼関係のようなものであり。
「驚きましタ。貴方ハ同胞ト会話できるのですカ?」
滲んだ視界が晴れる。歌はいつの間にか聞こえない。
代わりに、繊細な一節のように綺麗な声が目の前から響いた。その声の質から、歌声の主であろうことは明らかだった。
だから、少しの恨み言でも吐き出そうと、意趣返しとばかりに。あるいは、子どもが失敗を上塗りするために悪さをするように。恨みがましい視線を向けて、その目はすぐに見開かれることになる。
声に似合う、美しい容姿に見惚れた――確かに、それもある。
アマゾネスのように際どい衣装……
だが、何よりも驚いたことは。
その腕には肘がない。いや、肩から先が羽毛に覆われ、大きな翼を持っていること。くすんだ金色の羽毛に覆われ、その毛先は輝く海のように綺麗な色をしていた。
腰巻のように生える羽毛。下半身には確かに足があるのだが……その大半は羽毛と同じ色の短毛に覆われて、足首から先は鳥のような足、そしてその指先からは鋭い爪が覗いている。
その姿は、
「――」
口にするべき恨み言も忘れて、まじまじと彼女を見た後に、彼は隣の猛牛に視線を移した。視線に気づいた猛牛は、彼のことをジッと見つめるに留まる。金色の瞳が、彼の反応を待っていた。
「……まぁ、こいつは悪い奴じゃない。それくらいわかる」
男と猛牛。
この二人は、お互いに視線を離すや、意図せず同時に頷いた。
その奇跡的なタイミングに見えて、示し合わせたかのような反応に、今度は彼女が目を見開く番だった。深海のように、暗くも青い瞳を丸くして、しかしその奥には光が差し込むように輝いているように見える。
沈黙がしばらく続いた。
お互いに、掛けるべき言葉に迷っていたのか。言葉を口にする機会を失ったのか。ダンジョンの中だというのに、どこか間の抜けた雰囲気。不思議と、居心地の悪くない沈黙だと感じたのは、彼だけではないのか。
そのまなじりを下げ、くすくすと鈴が転がる。沈黙を破ったのは、彼女の方からだった。
「仲ガよろしいノですね」
「戦友だからな」
こつん、とお互いを見てもいないのに、彼と猛牛は拳を軽く合わせた。
「……申し遅れましタ。レイと言います。
そんな様子を心底嬉しそうに、瞳の奥をきらめかせ、彼女……レイは自分の名前を口にする。
そして続けざまに「失礼しましタ」と頭を下げた。
「私ノ歌で、心ヲ乱してしまい」
「……あぁ、うん」
その話をされると、彼もバツが悪く視線を泳がせる。発狂寸前に陥り、魔法で殺そうとしてしまったのだ。いくら怪物の見た目を持つといえども、これほど理性的で温和な相手を、本気で殺めようとしたことが、心に小さな針を刺した。
「……感情的になったのは、俺の心に余裕がなかったからだ。俺の方こそ、悪かった。……歌は、綺麗だったよ」
また聞かせてくれ、と。
殺意を向けたことへの償いの仕方が分からず、彼は遠慮がちに口にする。
はい、と柔らかな笑みを浮かべるレイを見て、彼は途端に気恥ずかしくなる。何やら全てを見通されているような、据わりの悪さに羞恥心を逆撫でされ、「そうだそれと」と早口で別件をまくしたてる。
「俺の名前だ。まだ名乗っていなかったな。――俺はリング。リング・ヴェーダ。所属は『ヘスティア・ファミリア』で団長を……いや、ファミリアあけてどれだけ経った……? ま、まぁ所属に間違いはない。役職は……後釜が居るなら、変わってるかもしれない」
暗い話になってしまう。それでは居心地も悪くなると、慌てて彼……リングは被りを振って口にする。
「まぁそれはいい。生きているなら、どうにだってなる。それよりも……レイ、さん、はどうして俺たちの前に?」
「レイ、で構いません。……我々ハ、同胞ヲ迎えに来ましタ」
その言葉に、ハッと弾かれたように猛牛を見れば、頷いていた。ついていく気のようだった。
「……そう、か」
リングは空を……ダンジョンの天井を見上げた。『アカリゴケ』が自生しているのか、淡くも眩しい緑黄色の発光に目を細め……ついで、視線を下げて己の腕に付けた傷を見つめる。
「……達者でな」
逡巡は一瞬だ。これ以上は踏み込めない。そう判断した彼は、二人に背を向けて踏み出した。ひらひらと、軽薄そうに手を振って、別れを伝えながら――
「ぐぇっ」
ヒキガエルのような声が喉から漏れ出た。途端に後ろに引かれて、首根っこ掴まれて、糸の切れた操り人形の如く四肢がぶらん、と反動で動く。
「げほっ、けほっ……何すんだ!?」
抗議に猛牛を見れば、やれやれと呆れたような視線で応えた上に肩まですくめてみせる。お前本当は人間だろ、と心の中で呟いた彼の思いは、その中だけにとどまった。
「まさか一緒に来いってか? お前は脳みそまで筋肉で出来てるんだな? この前の脳無し突貫しようとすることといい……いくらお前と意思疎通が出来るっていってもな。レイ……が、友好的だろうとな。俺は人間だ。お前たちは限りなくモンスターだ。その溝が、一朝一夕。ましてやポッと出の、得体のしれない奴なんかと、仲良く出来るか? あぁ、出来る奴もいるだろうさ。でもな、出来ない奴の方が大半なんだよッ!」
首根っこを掴む黒い腕を握り、力を籠める。表情を歪め、瞳に怒りの大火を灯して猛牛を睨みつける。早口で、努めて論理的に、しかし最後は慟哭のように叫び散らし。彼の手に籠められる力が、ますます強くなる。
「驕るなクソ野郎。俺は、俺一人でも生きて帰れる。地獄はもう――とっくの前に、通り過ぎた。ぬるま湯だぜ、こんなところ」
果たして、常に死と隣り合わせの緊張感に包まれるこの場所を。ぬるま湯、と表現出来るのかはさておき。
彼の言葉に、嘘偽りはない。最初に出会った怪物に比べれば、この階層の敵は豆粒にさえ劣るだろう。まだ傷を刻み始めた頃の階層の敵に比べれば、死の臭いの濃さは格別だ。片やむせかえるどころか鼻が曲がる様な臭い。片や、豆粒ほどにしか見えない遠くの出店よりも薄い臭い。
それだけの格差がある。潜り抜けた死線が違う。その密度が違う。
そう。今まで味わってきた死と「比べれば」、彼にとってこの場所は、まさしく極楽のような環境であった。
彼の瞳が揺れ動いているのは、決して死の恐怖に負けたわけではない。
彼の腕が震えているのは、決して目の前に立ちはだかる壁に気圧されたわけではない。
彼が唇をかみしめるのは、決して過去の絶望を思い返したからではない。
「別れガ、悲しいですカ?」
「……は?」
すぐ近くから、歌姫の声が聞こえた。
猛牛は、示し合わせたかのように彼の首から手を放す。彼は猛牛の腕を握ったまま、どこか呆けた様子で声の方を見て、思わず息を呑む。
深い、海のように深い瞳が、彼のことをジッと覗き込んでいた。
一体どういうことか。真意を探ろうと、瞳の奥を更に覗き込み……その奥に、涙を流す自分の姿を見つけた。
「……違う」
それが本当に自分なのか、猛牛の腕を離して、自分の頬に手を当てると、指が生暖かい液体に触れた。見てみると、指は透明に濡れていた。血ではない。本当に、自分の涙なのだと、自覚する。
「どうして、貴方ハ泣いているノですカ?」
「涙脆いだけだ」
「いいえ。違います」
きっぱりと、断言される。それに、何がわかる、と睨みつけるも、彼女はジッと、彼のことを見つめている。
「……一緒ニ、来ませんカ?」
「来る? どこに。何で」
「貴方ニ必要ナことです。貴方ハ、生まれたばかりノ同胞ニ似ています。我々ノ住む場所ニ、来るべきです」
「……はっ。そんなの、必要ないに決まって――」
目元がくすぐったかった。目の前をくすんだ金色が覆い、濡れていた頬、汚れていた額から下もくすぐった。いつの間にか、不快感も消え去っていた。
それは、レイが彼の頬を、顔を、拭いたことによるものであった。壊れモノを扱うように、優しく、柔らかく、受け止めるように、寄り添うように。その涙を、その汚れを、拭きとった。
「――」
その優しさに気づいた途端に、彼は、限界を迎えた。
不快感も消えて、緊張の糸も切れて。彼の意識は、容易く闇の中に沈み込んだ。保っていた要素すべてが拭い取られて、彼はレイの翼に倒れ込み、支えられた。
その寝顔は、穏やかであった。
安心した赤子のように。泣き疲れた子どものように。その頬には涙の跡を残しながら、目元を腫らしながら。しかし、整った寝息を、すう、すう、と立てる。
「……」
レイはその寝顔を見て、微笑んだ。続けて、自分の腕……翼を見て、小さく息を吐いた。
「リングさんヲ、運んでもらえますカ?」
「……」
猛牛は頷いて、彼のことを肩に担いだ。
「ご案内いたします。我々ノ家ニ」
レイが先導し、猛牛が堂々と歩き、リングは運ばれる。
ダンジョンの更に先に。彼は知らない内に、足を踏み入れるのであった。
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本当に、ありがとうございます!