【ヘスティア・ファミリア】元団長   作:釜めしの素

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第三話 必然の邂逅

 睨みつけられていた。

 彼は同行者、猛牛に気に入らない、不服だ、と言わんばかりに睨まれていた。それは、初めて猛牛の前で魔法を使った時からの話であった。

 

 地形を変える大魔法。魔力があるだけ威力が高くなる、破壊の閃光。それはただ一閃振るっただけで、今の階層のモンスターであれば、まさしく視線を走らせるだけで跡形も残さず殺すことが出来る。

 その様は、はたから見れば悪魔である。瞳を朱く光らせ、ただ一瞥しただけで全てを消し飛ばす、化け物の所業。そこらのモンスターよりよほど、モンスターらしい彼の姿に、猛牛は荒々しく鼻を鳴らす。

 

「だから、いつまで拗ねてるんだよ。ガキか!」

 

 指摘しようが、寡黙な猛牛は腕を組んで口は開かない。要求を口にせず、ただ対話を拒むような姿勢に、彼は打つ手なしと両手を上げて匙を投げた。

 

「殺し合いじゃないんだ。生命線の魔石を大量に使えるかっての」

 

 話している内にひとつの区画に出た。植物が多く生えており、非常にじめじめと湿っていながら、蒸されたかのように暑い気温。まるで南国の島のような様相が、見渡す限り広がっている。

 そして、ダンジョンからの洗礼とばかりに。草木に隠れていた大蛇が弾かれたゴムのように飛び出し――猛牛にその頭を掴まれ、魔石ごと片手で握り潰され灰となって消える。

 

 黄金の瞳が、彼のことを呆れたように見て、また鼻を鳴らした。

 

「こんな雑魚に使うな、って言いたいんだなおい。五十超えるような怪物の宴(モンスタ・ーパーティー)に突っ込む方が無能だよド阿呆!」

 

 彼とて、この程度のモンスターが現れる階層において、むやみやたらに魔法を使っているわけではない。

 確かに、最初……それこそ、落ちて間もなくの頃は、過剰な魔力と魔石を以て「上位者殺し」を徹底し、戦うとなれば必ず魔法の一撃で消し炭にした。それは、彼の実力ではその階層のモンスターたちに、まともな手段で勝てなかったからである。

 それは怪物の宴にも同じことが言える。大群に囲まれ、人数的な不利を背負わされた状況ほど厄介なものはない。石化、麻痺、全身を蝕む毒、拘束攻撃、遠距離からの狙撃。これらがまとめて襲い掛かってきた時の脅威は、ともすれば彼にとって階層主以上の脅威になり得る。

 

 そもそも、彼は元レベル3の冒険者だ。ダンジョンで何度も生死の境をさまよう経験を経て、身のこなしを覚え、生きる術を学んだ彼は確かに成長を果たした。成長を果たしたが、それはステイタスとしての成長ではない。知識と技術の進歩である。

 ステイタスとして、彼は弱い。スキルと魔法によって騙しだましやってはいるが、その事実は覆らない。今の階層でさえ、本来は適正から大きく下回っている。

 

 要約すると。

 

「あと、魔石潰すな! それ俺の生命線なんだよ!」

 

 彼にとって魔石は、命の身代わりになる、彼の余命ともいえる大切な物であることに、今なお変わりはないということである。

 

 猛牛は喚き散らす彼を見ると、嘆息するように鼻を鳴らして、ズンズンと前に進む。

 まだ話は終わっていない、と文句をつけながらそれを追いかける彼は、まるで道化や物語に出てくる三下のように滑稽で。

 

 その光景を神々が見たのであればきっと。

 嫌らしく笑うか、笑い転げるか。あるいは、目を逸らすことだろう。

 

 彼の中では今なお、不快感が這い回っていた。

 

 

 

 新たに彼の腕に五本線の傷が増える。

 両腕の五本傷が10セット、合わせて50階層上がった、ということを意味する。それだけ上り詰めた頃合いのことである。

 

 猛牛は己が仕留めた獲物の魔石を食らい、彼は仕留めた獲物の魔石を貯蓄して。連携もクソもない、別々に戦いを繰り広げ、その階層の中ほどまで進んだ時に。

 

 ――歌が聞こえてきた。

 綺麗なソプラノボイスだ。酒場の即興で舞台に立つ冒険者のような荒々しさは微塵もなく、それは川の清流の如く和やかで、耳あたりがよく、聞いているうちに肩の力を抜いてしまう。

 

 ぷつり、と意識の糸が途切れる……その寸前に、自分の頭を思い切り殴りつけて、なんとか踏みとどまった。額が割れて赤い血がおどろおどろしく流れるが、その気持ち悪さと痛みが、より意識を鮮明にする。

 

「危ねぇ……」

 

 額を抑え、歌の聞こえる方を悪鬼の如き形相で睨みつける。その凶悪な顔は、覚悟と執念に塗れた故のものだった。

 

 視界が滲む。流れ出る血のせいではなかった。泡立つ水の中のように、目の前がほとんど見えなくなる。

 溢れ出る感情を噛み殺し、己も詠えと口を開き――言葉が出てこなかった。喉が震え、唇がわななき、舌がうまく回らない。

 崩れ落ちたくなる。眠りたくなる。そんな欲求を、拳を握ってねじ伏せる。

 

「――♪」

 

 歌が聞こえる。

 ゆりかごを揺らされるような、安穏とした響きが頭を震わせる。

 耳を塞ごう、などとは思わなかった。無意識に、彼は「聴いていたい」という欲求に従っていた。

 

 昔の記憶がよみがえる。

 手を伸ばして、握られた時の暖かさを思い出す。

 そして――おかえり、と言ってくれる。

 

 己の主神の姿を思い出した。

 

「ッ! あぁぁぁああああああッッッ!」

 

 ポーチから魔石を取り出す。それをいっぱいに握りしめて、感触を確かめる。そこに確かにある、という実感が、より魔法のイメージを強固にする。

 

「『慈悲をくれてや』――っ!?」

 

 ガラガラ声で、詠うというよりも、悲鳴を上げるように魔法の言葉を口にした途端、その口元を押さえつけられる。

 黒い体毛に覆われた、大樹の如き腕だった。すぐに、何のつもりだ、と殺気混じりの視線で猛牛を射抜く。

 

 猛牛は、呆れたような瞳で応えた。金色の瞳の光は弱く、剣呑とは無縁な様子。腕の力も、口を押さえるだけに加減されていた。

 

 その様子を見て、スッと激情が凪ぐ。

 この猛牛は、味方というほど手を貸してくれるわけではないが、決して攻撃は仕掛けてこない。仮に仕掛けるとしても、構えろ、と必ず合図を寄越すのだ。

 この猛牛は決して冷淡というわけではない。戦闘が終われば、拳と拳を合わせることに、付き合ってくれる程度には人間臭い。

 

 出会ってからの期間は非常に短い。それこそ、地獄を切り抜けた時間。それの十分の一にも満たない間だろう。

 だが、それだけあれば。

 

 猛牛。怪物の見た目をした武人のことを、知るくらいは出来る。

 口を押さえた意味を、理解することが出来る。

 

 声を出せない代わりに肩をすくめて見せれば。

 猛牛は鼻を鳴らして、その手を離した。

 

「……助かる。取り乱した」

 

 礼を口にすれば、視線を寄越す程度のことはしてくれる。

 相も変わらず寡黙な様子。しかし、猛牛の目や仕草は、口ほどにモノを言う。

 

 それはある種、信頼関係のようなものであり。

 

「驚きましタ。貴方ハ同胞ト会話できるのですカ?」

 

 滲んだ視界が晴れる。歌はいつの間にか聞こえない。

 代わりに、繊細な一節のように綺麗な声が目の前から響いた。その声の質から、歌声の主であろうことは明らかだった。

 だから、少しの恨み言でも吐き出そうと、意趣返しとばかりに。あるいは、子どもが失敗を上塗りするために悪さをするように。恨みがましい視線を向けて、その目はすぐに見開かれることになる。

 

 声に似合う、美しい容姿に見惚れた――確かに、それもある。

 アマゾネスのように際どい衣装……戦闘衣(バトルクロス)を豊満な胸部、その正面のみを隠す、その露出度に目を引かれた。横や下や上や谷間とか、諸々見えているとか。そんな格好に度肝を抜かれたのも、ある。

 

 だが、何よりも驚いたことは。

 その腕には肘がない。いや、肩から先が羽毛に覆われ、大きな翼を持っていること。くすんだ金色の羽毛に覆われ、その毛先は輝く海のように綺麗な色をしていた。

 腰巻のように生える羽毛。下半身には確かに足があるのだが……その大半は羽毛と同じ色の短毛に覆われて、足首から先は鳥のような足、そしてその指先からは鋭い爪が覗いている。

 

 その姿は、歌人鳥(セイレーン)と呼ばれるモンスターにそっくりであった。干からびた老婆のような醜悪な見た目を持っていないという違いはあれども。少なくとも、人型でありながら、彼女を「人間」と呼ぶことはどう贔屓目に見ても出来ない。

 

「――」

 

 口にするべき恨み言も忘れて、まじまじと彼女を見た後に、彼は隣の猛牛に視線を移した。視線に気づいた猛牛は、彼のことをジッと見つめるに留まる。金色の瞳が、彼の反応を待っていた。

 

「……まぁ、こいつは悪い奴じゃない。それくらいわかる」

 

 男と猛牛。

 この二人は、お互いに視線を離すや、意図せず同時に頷いた。

 

 その奇跡的なタイミングに見えて、示し合わせたかのような反応に、今度は彼女が目を見開く番だった。深海のように、暗くも青い瞳を丸くして、しかしその奥には光が差し込むように輝いているように見える。

 

 

 

 沈黙がしばらく続いた。

 お互いに、掛けるべき言葉に迷っていたのか。言葉を口にする機会を失ったのか。ダンジョンの中だというのに、どこか間の抜けた雰囲気。不思議と、居心地の悪くない沈黙だと感じたのは、彼だけではないのか。

 

 そのまなじりを下げ、くすくすと鈴が転がる。沈黙を破ったのは、彼女の方からだった。

 

「仲ガよろしいノですね」

「戦友だからな」

 

 こつん、とお互いを見てもいないのに、彼と猛牛は拳を軽く合わせた。

 

「……申し遅れましタ。レイと言います。歌人鳥(セイレーン)です」

 

 そんな様子を心底嬉しそうに、瞳の奥をきらめかせ、彼女……レイは自分の名前を口にする。

 そして続けざまに「失礼しましタ」と頭を下げた。

 

「私ノ歌で、心ヲ乱してしまい」

「……あぁ、うん」

 

 その話をされると、彼もバツが悪く視線を泳がせる。発狂寸前に陥り、魔法で殺そうとしてしまったのだ。いくら怪物の見た目を持つといえども、これほど理性的で温和な相手を、本気で殺めようとしたことが、心に小さな針を刺した。

 

「……感情的になったのは、俺の心に余裕がなかったからだ。俺の方こそ、悪かった。……歌は、綺麗だったよ」

 

 また聞かせてくれ、と。

 殺意を向けたことへの償いの仕方が分からず、彼は遠慮がちに口にする。

 

 はい、と柔らかな笑みを浮かべるレイを見て、彼は途端に気恥ずかしくなる。何やら全てを見通されているような、据わりの悪さに羞恥心を逆撫でされ、「そうだそれと」と早口で別件をまくしたてる。

 

「俺の名前だ。まだ名乗っていなかったな。――俺はリング。リング・ヴェーダ。所属は『ヘスティア・ファミリア』で団長を……いや、ファミリアあけてどれだけ経った……? ま、まぁ所属に間違いはない。役職は……後釜が居るなら、変わってるかもしれない」

 

 暗い話になってしまう。それでは居心地も悪くなると、慌てて彼……リングは被りを振って口にする。

 

「まぁそれはいい。生きているなら、どうにだってなる。それよりも……レイ、さん、はどうして俺たちの前に?」

「レイ、で構いません。……我々ハ、同胞ヲ迎えに来ましタ」

 

 その言葉に、ハッと弾かれたように猛牛を見れば、頷いていた。ついていく気のようだった。

 

「……そう、か」

 

 リングは空を……ダンジョンの天井を見上げた。『アカリゴケ』が自生しているのか、淡くも眩しい緑黄色の発光に目を細め……ついで、視線を下げて己の腕に付けた傷を見つめる。

 

「……達者でな」

 

 逡巡は一瞬だ。これ以上は踏み込めない。そう判断した彼は、二人に背を向けて踏み出した。ひらひらと、軽薄そうに手を振って、別れを伝えながら――

 

「ぐぇっ」

 

 ヒキガエルのような声が喉から漏れ出た。途端に後ろに引かれて、首根っこ掴まれて、糸の切れた操り人形の如く四肢がぶらん、と反動で動く。

 

「げほっ、けほっ……何すんだ!?」

 

 抗議に猛牛を見れば、やれやれと呆れたような視線で応えた上に肩まですくめてみせる。お前本当は人間だろ、と心の中で呟いた彼の思いは、その中だけにとどまった。

 

「まさか一緒に来いってか? お前は脳みそまで筋肉で出来てるんだな? この前の脳無し突貫しようとすることといい……いくらお前と意思疎通が出来るっていってもな。レイ……が、友好的だろうとな。俺は人間だ。お前たちは限りなくモンスターだ。その溝が、一朝一夕。ましてやポッと出の、得体のしれない奴なんかと、仲良く出来るか? あぁ、出来る奴もいるだろうさ。でもな、出来ない奴の方が大半なんだよッ!」

 

 首根っこを掴む黒い腕を握り、力を籠める。表情を歪め、瞳に怒りの大火を灯して猛牛を睨みつける。早口で、努めて論理的に、しかし最後は慟哭のように叫び散らし。彼の手に籠められる力が、ますます強くなる。

 

「驕るなクソ野郎。俺は、俺一人でも生きて帰れる。地獄はもう――とっくの前に、通り過ぎた。ぬるま湯だぜ、こんなところ」

 

 果たして、常に死と隣り合わせの緊張感に包まれるこの場所を。ぬるま湯、と表現出来るのかはさておき。

 彼の言葉に、嘘偽りはない。最初に出会った怪物に比べれば、この階層の敵は豆粒にさえ劣るだろう。まだ傷を刻み始めた頃の階層の敵に比べれば、死の臭いの濃さは格別だ。片やむせかえるどころか鼻が曲がる様な臭い。片や、豆粒ほどにしか見えない遠くの出店よりも薄い臭い。

 

 それだけの格差がある。潜り抜けた死線が違う。その密度が違う。

 そう。今まで味わってきた死と「比べれば」、彼にとってこの場所は、まさしく極楽のような環境であった。

 

 彼の瞳が揺れ動いているのは、決して死の恐怖に負けたわけではない。

 彼の腕が震えているのは、決して目の前に立ちはだかる壁に気圧されたわけではない。

 彼が唇をかみしめるのは、決して過去の絶望を思い返したからではない。

 

「別れガ、悲しいですカ?」

「……は?」

 

 すぐ近くから、歌姫の声が聞こえた。

 猛牛は、示し合わせたかのように彼の首から手を放す。彼は猛牛の腕を握ったまま、どこか呆けた様子で声の方を見て、思わず息を呑む。

 

 深い、海のように深い瞳が、彼のことをジッと覗き込んでいた。

 一体どういうことか。真意を探ろうと、瞳の奥を更に覗き込み……その奥に、涙を流す自分の姿を見つけた。

 

「……違う」

 

 それが本当に自分なのか、猛牛の腕を離して、自分の頬に手を当てると、指が生暖かい液体に触れた。見てみると、指は透明に濡れていた。血ではない。本当に、自分の涙なのだと、自覚する。

 

「どうして、貴方ハ泣いているノですカ?」

「涙脆いだけだ」

「いいえ。違います」

 

 きっぱりと、断言される。それに、何がわかる、と睨みつけるも、彼女はジッと、彼のことを見つめている。

 

「……一緒ニ、来ませんカ?」

「来る? どこに。何で」

「貴方ニ必要ナことです。貴方ハ、生まれたばかりノ同胞ニ似ています。我々ノ住む場所ニ、来るべきです」

「……はっ。そんなの、必要ないに決まって――」

 

 目元がくすぐったかった。目の前をくすんだ金色が覆い、濡れていた頬、汚れていた額から下もくすぐった。いつの間にか、不快感も消え去っていた。

 それは、レイが彼の頬を、顔を、拭いたことによるものであった。壊れモノを扱うように、優しく、柔らかく、受け止めるように、寄り添うように。その涙を、その汚れを、拭きとった。

 

「――」

 

 その優しさに気づいた途端に、彼は、限界を迎えた。

 不快感も消えて、緊張の糸も切れて。彼の意識は、容易く闇の中に沈み込んだ。保っていた要素すべてが拭い取られて、彼はレイの翼に倒れ込み、支えられた。

 

 

 

 その寝顔は、穏やかであった。

 安心した赤子のように。泣き疲れた子どものように。その頬には涙の跡を残しながら、目元を腫らしながら。しかし、整った寝息を、すう、すう、と立てる。

 

「……」

 

 レイはその寝顔を見て、微笑んだ。続けて、自分の腕……翼を見て、小さく息を吐いた。

 

「リングさんヲ、運んでもらえますカ?」

「……」

 

 猛牛は頷いて、彼のことを肩に担いだ。

 

「ご案内いたします。我々ノ家ニ」

 

 レイが先導し、猛牛が堂々と歩き、リングは運ばれる。

 ダンジョンの更に先に。彼は知らない内に、足を踏み入れるのであった。

 

 




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