【ヘスティア・ファミリア】元団長   作:釜めしの素

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第四話 交友の歌

 

 火が灯る。

 凍えた心身を温める、竈の炎。ゆらゆらと、心地の良い色合いが。パチン、と耳あたりの良いひかえめに弾ける音が、心を癒す。見つめるだけで落ち着く、平穏を象徴する主神の焔。

 

 誰かが居るから、絶えず継がれる大切な火。あまりにも遠い、大切な場所。傷だらけの手を伸ばしても、決して届かない。

 そんな大切な火を、取り囲む誰かたちが見えた。談笑しているのだろうか。竈を囲んでいるその楽しそうな姿を見て、どこか安心したような気分になる。竈だけが残されているわけじゃないんだと、ほっとした。

 

 必死に走る必要が少しだけ、薄くなった。

 代わりに、絶対に戻るんだという意思が、より強くなる。

 いつか自分も、あの竈をもう一度、囲むんだと決意を燃やす。

 

 己が主神に、面と向かって「ただいま」と言える。

 そんな未来のために、まだ少し遠いその場所に一歩。

 

 決意と共に、踏み込んだ。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 歌が聞こえた。

 綺麗な旋律が歌声の名残をより際立たせる。それは、赤子をあやすような子守歌のように優しく。舞台に一人立ち、伴奏もなく歌う一流の歌姫(アリア)よりも洗練された音であった。

 その美しい旋律の周囲に、雑音は一切ない。清々しいくらいの……いや、どこか重苦しい無音が、歌の背景を支配していた。

 

 歌と背景は、どうしようもなく剥離していた。旋律が心を解し、背景が心を結ぶ。その違和感が頂点に達したとき、リングの意識は完全に覚醒する。自分が何をやっていたのか、意識を失う前の記憶を探りながら、五体を確かめ無事であることに安堵する。

 

 そして、目を開けた。まず視界に入ってきたのは、魔石灯の光であった。

 

「……ッ!?」

 

 弾かれるように飛び起きる。魔石灯は、間違いなく文明の利器であった。それがあるということは即ち、人間の生存領域に足を踏み入れた。その証左に外ならない。『(リヴィラ)』か、それとも地上に出たのか。

 どちらにしても、絶望を真に超えたのだと、その心地に拳を握り締める。18階層以上であれば、彼のことを妨げるのは階層主のゴライアスだけだろう。そのゴライアスさえ、魔石を持った彼ならば容易に倒すことが出来る。

 

 生き残ったんだ、とその瞳から大粒の涙をぼろぼろと溢す。あの地獄から。一体、どれだけの時間が経ったか分からないほど、冒険し続けて。死線を超えた数は数知れず。両腕につけた傷は五十。今だけは、腕につけた傷が誇らしく思えた。それは、彼が生きるために足掻いた証であり、彼自身が信念を守り抜いた、努力の証拠である。

 

 やり切ったんだ、と両腕を見つめて、拳を強く、強く握りしめる。達成感に浸って、身をゆだねて。今だけは、安心してもいいだろう、と彼は倒れ込むように座ると、目をつむって歌声に耳を傾ける。

 耳を傾けて――その旋律が、既に止まっていることに気が付いた。

 

「目覚めたノですね」

「……あぁ」

 

 万感の思いを籠めて、リングは短く答えた。そしてふと、その片言混じりの声に、眉をひそめた。何かが違う、と本能的に察した。

 

「辛い夢ヲ見ましたカ?」

「いいや。……まだ見ない仲間が、家族が。うちの主神様を、家庭を。囲んでいる夢だった」

 

 彼にとって、それはまさしく希望と勇気をもたらす夢だった。

 仮に戻ったとしても、自分は一人じゃないんだ、と知らせてくれる吉報であった。直面した最悪の後には、最高の結末が待っているんだと。それだけで、もうちょっとだけ頑張れる。思い出すだけで、また一歩を踏み込む力をくれる。

 

「それは、よかった」

「あぁ。本当に、良い夢――」

 

 眩しいくらい綺麗な泣き笑いを浮かべて、リングは声の方を見て。

 ――その瞳をドロリ、と一瞬で汚泥の如く濁らせ、表情が抜け落ちた。

 

「夢は、夢ってか」

 

 緊張の糸が固く結ばれる。常在戦場の意識が呼び起こされる。生き残る、ということに全力を注ぐ。カチリ、と彼の中で音が鳴るように、全てが切り替わる。

 涙は途切れ、視線は鋭く。重く腰を据えて、彼は目の前の――微笑んでいたレイのことを見た。その奥に控える、様々な怪物たちの姿も見た。その中には、見知った猛牛も堂々といた。

 

「ここは何処だ?」

「……ここハ、我々ノ家です」

「そうか。ダンジョンか? ダンジョンなら何階層だ?」

「ダンジョンです。二十階層ノ中ニあります」

「二十……二十!?」

 

 リングは思わず素っ頓狂な声を上げた。二十階層と言えば、あと二階層上がれば『(リヴィラ)』に到着する階層だ。リングにとって、二十階層という深さは、自身の(奈落に落ちる以前の)最深到達階層よりも前のものだ。即ち、既知の階層にたどり着いていたのである。

 

「一体、どれだけ……いや、今はいい。今も話をしているってことは、後ろの奴らも、殺し合いたいわけじゃない。そういう認識でいいんだな?」

「もちろン」

「ならいい。それで、俺に何を求める? 地獄のことなら幾らでも話してやる。魔石が欲しいなら、幾らか融通は出来る。使い走りにしたいなら、一回くらいなら請け負ってやってもいい。殺しはなしだ」

 

 さばさばと、リングは要件を聞く。早く地上に帰りたい、という欲求はある。しかし、知っている階層まで運んでくれた恩もある。そして、こんな場所に連れてきた以上、何かしらの要件があることは明白だ。まさか完全に善意、とは言わないだろう。

 一体、どんな要求をされるのか。彼は静かに、ジッとレイのことを見つめていると。

 

「まぁそんな身構えるなって! オレっち達はただ、人間と仲良くなりたいだけなんだ」

 

 お気楽で、快活な声が聞こえてくる。レイの後ろから、がはは! と大口を開けて現れたのは、ぬらりと輝く赤緋色の鱗を外皮に持つ、蜥蜴人(リザードマン)の姿。二足歩行、言葉を喋る。それ以外に人間との共通点は見当たりそうにない、怪物の姿であった。

 

「お前は?」

「オレっちはリド!見ての通り蜥蜴人(リザードマン)だ」

 

 蛇のような瞳がジッとリングのことを見つめる。疑心の瞳、ではなかった。心なしか緩められた目元は、彼のことを気遣っているようにさえ見える。

 

「お前はリング、で合ってたよな?」

「合ってる。それがどうしたんだ」

「これから『リグっち』って呼んでもいいか?」

 

 意図が読めなかった。

 親しみを込めて名前を呼ぼうとしていることはわかる。しかし、リドという蜥蜴人が何を思って、これだけ距離を縮めようとして来るのか、彼にはわからなかった。

 

「……お前たちは、そういう文化でも持っているのか?」

「ん? そういうって?」

「あだ名を付けることだ」

「それはオレっちの個性だな!」

 

 自信を持って胸……いや、胴体だろうか。それを張って上体を反らすのは、無駄に人間らしい動きだと言える。やっぱり、こいつらは元人間では、と疑念が頭の中に残る。

 

「……好きにしてくれ」

「おう! よろしくな、リグっち!」

「短いだろうけど、よろしく」

 

 リドはそう言って、リングの目の前にまで来ると手を差し出した。

 彼はその手を当たり前のようにとり、握手を交わす。

 

 リドはリングに握手された途端、肩を揺らした。瞳が驚きに細くなり、しばし茫然とした。

 

「その爪立てないでくれよ」

「……そりゃ当然! なんたって、オレっち達はもう友達だからな!」

 

 リドの宣言に、わぁぁ! と割れんばかりの、小さな地震かと勘違いするほどの歓声が上がった。直後、地を鳴らして彼を取り囲む輪が形成されて、彼はその勢いに思わず身を引いた。引いた途端に後ろにまで回り込まれて、逃げ場を失う。

 

 一歩間違えば、絶体絶命、怪物の宴(モンスターパーティー)の中心に放り込まれた人間の姿。しかし、怪物の姿をした者たちは皆一様に、友好的な空気、あるいは表情を浮かべて、彼を取り囲んでいる。見た目からは想像もつかない、非常に和やかな、異種族交流の場であった。

 

 

 

 

 ひとしきり挨拶を終えた後。

 待っていたのは、要件を伝える真面目な話し合い――

 

「それじゃあ、人間、リグっちとの交友記念! 新たな理解者の誕生に、乾杯!」

『かんぱーい!』

 

 ――などではなく、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。即ち、宴会であった。

 どうしてこうなった、という思いは多分にある。要件早く切り出せよ、と焦る気持ちも少なからずある。

 しかし、こうも嬉しそうに歓待をされては、それを遮って機械的な遣り取りだけ行うのは、野暮だと思った。言い訳のように、二十階層まで運ばれ時間短縮出来たことを考えれば、と考える。

 

 そして何より、彼が腰を落ち着けたのは――急いで帰る必要が薄くなったから。

 夢を見て、主神は一人じゃないのかもしれない。いや、一人じゃないのだ。夢を現実のものに落とし込んで、その希望に縋った彼は、あくまで息抜きとして腰を落ち着ける。

 どのみち、宴会など半日にも満たない。たったそれだけの時間に、カリカリする必要もない。焦りは隙を生み、やがて致命的な失敗に繋がる。ならばここが身体の休め時なのだと。

 

 そんなこと、何度も自身に言い聞かせた。

 

 

 

 宴に出された食べ物は、驚くほど美味かった。

 出された酒は、久々ということもあり瞬く間に顔が赤くなり、酔っぱらった。

 気が大きくなったり、小さくなったり。様々な理性的な怪物たちと話しながら。

 

 その話題に切り込んだのは、リドからであった。

 

「それにしても、リグっちはオレっち達に全然怖がらないよな。普通、ちょっと躊躇ったり、問答無用で攻撃してきたりされるんだけどな」

「そりゃあ、もっと怖いもの見てきたからだ。お前たちなんて、豆粒だ。豆粒。あと、言葉を交わして目を見ればわかる。あそこで仏頂面してる牛よりもずっと分かりやすい」

「豆粒って……オレっち、この中でも一番強い、って自負があるんだぞ」

「どうせ豆粒だ。あの化け物見たら、お前の自信だって粉々だろうよ」

「45階層くらいならオレっち一人で行けても?」

「その倍くらい潜って出直せ」

 

 かーっ、手厳しい奴だな! とリドは目の上あたりに手を当てて、おどけたように叫んだ。

 怖がらない理由だけはよくわかった。だからこそ、リドはそんな反応を返す以外に、出来ることがなかった。

 

 リドは少ない交流ながらも、リングがある種「同類」なのだと察した。詳しくは聞いていない。来歴だって、ただ下から来た、ということしか知らない。しかし、飢えているのだと、それくらいは明確にわかる。自分たちが、そうであったから。

 

 遠巻きからその様子を見る者たちも、口を挟もうとはしなかった。

 本能的に、その箱を開けてはならないのだと察して、努めて口を閉ざしていた。

 

「あぁ、そうだ。レイ、もう一度、歌を聴かせてくれないか?」

 

 酔っ払いとは無敵なのか。それとも、殺し続けた地の性格が表に出てきただけなのか。察している、遠慮している相手の意図など構わず、雰囲気に流されず、呑気にして大胆に声をかける。

 

「約束、でしたカ」

「そうだ、約束。約束。やっぱ、綺麗な歌は宴の華ってね。荒々しい野郎の喝采もいいけど、今は華の気分なんだ」

 

 レイはちらりと、周りの同胞を見ると、誰もが頷いて、あるいは「ウタッテー!」と声を上げて、彼の言葉に同意する。

 自然と、彼女はその顔を綻ばせ、頷いた。

 

「わかりましタ。約束ヲ果たすため、宴ニ彩ヲ添えられるように。……気合ヲ入れましょう」

 

 立ち上がり、歩みだしたのも三歩目にふわりと跳躍し、音もたてず宴の中心に降り立った。片翼を胸に、もう片翼を大きく広げて。

 

「歌いましょう。今宵ノ出会いニ、交友ニ、祝福ヲ込めて」

 

 

 

 そうして紡ぎだされた歌声に。

 リングはあっさりと泣き出して、おいおい、とリドに背中を軽くさすられながら、それを最後まで、しっかりと聴くことになる。

 

 それは、宴の席に似つかわしくない、子守歌のような静かな曲であった。騒ぐための歌ではなく、その雰囲気に酔いしれるための歌。

 酒が沁み入るように、歌が心に沁み込んだ。数々の地獄の様相も忘れて、今だけは、その幸せに没頭することが出来た。

 

 不快感は奔らない。

 ただ、懐かしくて、苦しくて。地上に向けた憧憬を強くして。そんな想い全てを、身勝手に委ねることが出来るような、そんな心地に浸りながら。

 

 歌をひとしきり聞き終えた彼は。

 泥のようにまた、眠りにつくのであった。

 

 

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