【ヘスティア・ファミリア】元団長   作:釜めしの素

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第五話 三眼と白兎

 両腕に五十の自傷。それは彼の日記のようなもので、地獄を駆け抜けてきたことの証明でもある。

 身体に擦り傷以上の目立った外傷無し。それが意味することは、彼が全ての危険を、その身に至る前に退けてきたということ。同時に、一度でもその身に受ければ死んでいた、という事実が隠れている。

 防具はない。紙屑同然だと、早々に捨ててきた。

 

 襤褸を身に纏い、見たこともないほど上質な魔石を入れたポーチを幾つも腰につけ、その姿は東の国の御伽噺に出てくる『桃太郎』のようにも見える。

 

 これだけを見れば、金のために自らの命さえすり減らして戦い続ける、守銭奴……いや、金狂いだと思われても仕方ない。ギルドのアドバイザーがこの姿を見れば、間違いなく怒髪天を衝く勢いで、説教を始めるだろう。

 

 

 

 『(リヴィラ)』があるといってもダンジョンの中。彼が水浴びのために訪れた道中で、彼を目にした者は時折、顔を彼の肌よりも青白くして短い悲鳴を上げ、どこかに走り去った。彼はそんなものに興味はなく、淡々と足を運んでいたが。

 

 水浴びを終えれば、後は『(リヴィラ)』の様子を視察してから、恩人たちの元に帰還するだけであった。それが今回の依頼。「冒険者の動向変化の調査」であった。

 知性を持ったモンスター。自らを『異端児(ゼノス)』と呼ぶ彼ら彼女らは、冒険者はおろかモンスターにさえ襲われる。

 加えて、数が少ない。百の半分にも満たない小集団が生き残るには、身を寄せ合う他にない。更にその確率を高めるのであれば、より正確な情報を得ることが必要だった。なまじ住処が冒険者の街に近いだけに、警戒するのは当然だった。

 

 得られた情報は、他愛のないものだ。地上の事情というだけに、特に重要度が高いわけでもない。収穫といえば、冒険者たちはいつも通り、といったところだろうか。あとは、『炎鳥(ファイアーバード)』が19階層で大量発生しているようだが……そんなことは、道中であったから分かり切ったことである。

 

 そんな情報を持って、彼は19階層に降りる。

 

「『慈悲をくれてやる。ただ一撃のもとに消え去るがいい』」

 

 ――『ブラフマン・シャクティ』、と。

 その手には朱い槍が握られる。神秘の塊のそれを一度振るえば、その穂先に触れた炎鳥の首が飛び、魔石を残して消え去った。

 

 レベル3の彼には、19階層は特に注意せずとも踏破可能な場所である。しかし、武器がなければ敵を倒すのに苦労するのも事実。故に、魔法を使うのは必要経費だった。魔石を使いたくない、という貧乏性の彼は自身の精神力(マインド)を削って、武器を手にしていた。

 

 彼の戦い方は――有体に言えば、戦士のそれである。

 使う武器が魔法の武器で、奥の手が一区画ほどの地形なら焦土となせる大魔法。しかし、それ以外は純然たる戦士のもの。間合いをはかり、敵に近づき、槍を振るって敵を屠る。それこそが、常の戦い。対等、あるいは格下殺しの方法。

 

 大魔法を以て一撃で仕留めるのを旨とするのは、あくまで「上位者殺し」の方法である。そもそも、彼は自前の魔力だけでは、地形を消し飛ばすほどの魔法は撃てないのだ。そんな気軽に撃っては、魔石がすぐに枯渇してしまう。

 だから、杖ではなく槍を振るう。悠々と大地を歩き、近づく怪物たちの首をただ一振りのもとに飛ばす作業。魔石をしっかり回収するのは、冒険者としての性というよりも、やはり貧乏性に近かった。

 

 風を切った時には、怪物の首が宙を舞う。

 朱い槍はその姿は一片たりとも曇らせず、しかし陽炎のように揺れ動く。遠目からなら、それは生ける焔を持っているようにも見えるだろう。そして振るわれる一撃は、しなる鞭のように映るだろう。

 

 舞踏を嗜むように、彼は19階層を軽々と踏破すると、20階層に降り立つ。癖で左手を見つめたところで正気に戻ると、彼はまた前を向いて歩きはじめる。

 

 そうして歩いていると、冒険者の一団が向こうからやってくる。ダンジョンの中で他の冒険者とすれ違うのは、彼らにとっては日常風景といっても過言ではない。

 しかし、彼とすれ違う人間の半分は――彼に気づくや、顔を青くして立ち止まる。怖れと驚愕に塗れた視線が、彼の背中を突き刺す。しかし、彼は気にしない。単純に、興味がなかった。

 

 

 

 そうして『異端児(ゼノス)』たちの住処に戻れば、待っていたのは「おかえり」という彼ら彼女らの声。特にリドは「おう、おかえり!」と快活に、まるで兄弟のように親しみを持って接してくる。対照的に、レイは「おかえりなさイ」と静かに声をかける。

 

 その何気ない言葉を聞くだけで。

 リングの声は震えてしまう。「ただいま」と格好のつかない声を返して、天を仰ぐ。地上に対する遥かな憧憬を、胸の内に問いかけ、自分が何をすべきかを何度も確認する。

 ここに居てはダメだ、と何度も自分に言い聞かせる。

 

「収穫は、特になかった。良くも悪くもいつも通りだ。『炎鳥(ファイアーバード)』が19階層で大量発生していることもあって、19階層は冒険者がかなり多い、くらいだろうな」

「あー、そりゃ困ったな。しばらく大人しくするしかないか」

「最悪、食料くらいなら採ってこれる。この階層の『食糧庫(パントリー)』程度なら死ぬこともない」

 

 自分から提案して、何を言っているんだ、と自分自身を殴り飛ばしたくなった。頭の中を締め付けるような強烈な自己嫌悪に襲われる。それでも、彼ら彼女らのために力を貸すことに、どこか肩の力を抜くように、呑気に納得している自分が居る。

 

「いや、リグっちにそこまで甘えるってのも……それに、地上で家族が待ってるんだろ? なら、早く帰ってやるのが親孝行ってもんだ」

 

 リドの気遣いに、もっともな言い分に、彼は頷きそうになる。浮足立つ心を上から押さえつけ、その内で叱咤する。もしもそんな甘えに縋って、同じ卓で飯を囲んだ友が殺されたとなれば、本当に納得出来るのか、と。

 それが甚だしい妄想だと分かっていても、考えずにはいられなかった。もしもそんなことになれば、自分はもう二度と主神に顔向け出来ない。例えそれが過ぎたお節介だとしても。最善を尽くさなければ、嘘だと思った。

 

「……いや、『食糧庫(パントリー)』に行ってくる。一週間分くらいは採って、終わったら、今度こそ地上に戻る。これが最後だ」

「リグっち……」

 

 後ろ髪を引かれる思いで、戻ったばかりの住処から背を向ける。そして歩き出したところで、声がかかる。

 

「内通デモシテイルノカ?」

 

 全身灰色の石で出来た石竜(ガーゴイル)の疑り深い声が響く。踏み出した彼の足はピタリと止まった。

 

「グロス! いくら何でも、そんな言い方……」

「居座ル理由ガ有ルカ? 私達ノ動向ヲ探ル以外ニ」

「あるさ」

 

 きっぱりと、意地の悪いその声に答えた。

 彼は振り向く。

 

「リド、そいつ……グロスの言っていることは正しい。お前たちは本来、俺のような危険を背負いこむ必要なんてなかった。見捨てりゃよかった。野垂れ死なせるべきだった。何なら、ここで袋にして殺すのも、当然だろ」

「お、おいリグっち。そんな物騒な――」

 

 リングはリドの言葉を遮るように首を横に振った。

 悲しそうな微笑みを携えて、彼は静かな声音で言う。

 

「助けて、って。そう、ずっと思ってた。奈落に落ちた時から、ずっと、ずっと。自分が、自分じゃなくなっていく不快感が、身体の中で這い回って。正気を保つために、狂って。擦り切れて。限界だって、執念でねじ伏せ続けて……いつ壊れても、おかしくなかった」

 

 何もかも分からない場所に、放り込まれた恐怖。

 時間がわからない。何処かわからない。敵がわからない。道がわからない。いつ死ぬかわからない。一寸先の未来さえ見えない、わからないだらけの暗闇の中を。ずっと、独りで歩き続けた。

 

 人間は、暗闇の中にずっと独りで居られるほど強くない。

 暗闇の中にずっと居ると、狂ってしまう。どれだけ強靭な精神を持っていようと、人間は闇には耐えられない。

 それを、いつ訪れるかわからない。もしかしたら、いつの間にか首が宙に舞っているかもしれない。死ぬまでずっと囚われているかもしれない。そんな、どうしようもない恐れに晒され続けながらも歩き続けた彼は、まともで居られるはずがなかった。

 

 そんな彼を寸前で繋ぎとめていたのは、主神の存在があったからこそだ。

 絶対に裏切りたくない。再会して、「ただいま」と言いたい。「おかえり」と言われたい。そう思わせる主神だったから、彼はどんな絶望を目の前にしても、立ち上がれた。

 

 しかし、そんな主神だって。彼の精神を繋ぎとめることが出来ても、癒すことは出来なかった。擦り切れれば、擦り切れたまま。心が血を流せば、流血したまま。彼の心は、蜘蛛の糸のように細いもので、剥き出しに傷だらけのまま繋がっていて。

 いつ切れるかもわからないそれに掴まりながら、それでも真っ直ぐ前を向き続けて。気づかぬ間に手も伸ばして。

 

「お前たちが……初めて、俺の手を取ってくれた。嫌々だってやつも、俺を殺そうなんて思ってるやつは、居なかった。……感謝しているんだ」

 

 彼は柔らかく笑った。

 気負うことなく、打ちひしがれることなく、穏やかに。心から、笑っている。

 

「……行ってくる。これ以上居たら、本当に戻れなくなる」

 

 最後、振り返るまでのわずかな間。

 彼の顔に悲哀が浮かんだことに、果たして気づいた者は居たのか。

 

 リングは静かに、住処から出ていった。

 

「……フン」

 

 グロスは鼻を鳴らすように息を吐くと、不貞腐れるようにしてその場で横になった。

 穏やかで、不思議な沈黙が流れる。人間にこれほど友好的に接されたことに、困惑していたのかもしれない。抱えていたモノが大きかったことに。あるいは、彼の中で自分たちが、それほど大きな存在になっていたことに。驚いたからかもしれない。

 

 そうして続く沈黙。

 それが破られるのは、もう少し後の話。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 まことしやかに、『(リヴィラ)』で囁かれる噂話があった。

 

 曰く、幽霊が出たと顔を青ざめさせて。

 曰く、幻術を使うモンスターに化かされたんだ、と騒ぎ立てて。

 曰く、あれは奴の未練が怨霊になったんだ、と新種のモンスター説を立てて。

 

「……【リトルルーキー】、確かお前さんは【ヘスティア・ファミリア】で間違いなかったよな?」

「え、はい。そうですけど……」

 

 『炎鳥(ファイアーバード)』の大量発生を機に、『(リヴィラ)』で冒険者依頼(クエスト)を受けた時の事だった。

 その男は、何かを言い淀むように口をもごもごと動かして、考え込み……彼、【リトルルーキー】ことベル・クラネルにだけ聞こえる声で囁いた。

 

「お前んところの団長、【三眼(トリローチャナ)】を見たって報告が相次いでいる」

「――えっ」

 

 ベルはそれを聞いた途端、頭が真っ白になり……次いで、神様から聞いた話を思い出す。

 

 ――リング君はね、絶対に生きてる。今も懸命に生きてる。ボクたちにはわかるんだ。

 ――だから、ベル君。もしリング君を見つけたら、連れて帰ってきてほしいんだ。

 ――もちろん、すぐにじゃないよ。ベル君たちのペースでダンジョンに潜って、その過程で見つけてくれれば、万々歳さ。

 ――君の、この【ファミリア】の団長は生きている。それだけは、覚えていてほしい。

 ――あの子の名前は、リング・ヴェーダ。二つ名を【三眼(トリローチャナ)】。レベル3の冒険者。特徴は――

 

 次々と思い出す、まだ見ぬ団長の情報。

 行方不明になってもう3年も経っていると聞く。でも、生きている、と。

 ベルは団長との邂逅は、もっと後になると思っていた。少なくとも、深層域に行かなければ会えないのでは、という予感めいたものがあった。

 

 だから、その情報はまさしく寝耳に水。瞠目して、思わず相手のことを見つめた。

 

「もう、3年も行方不明になってた奴だ。普通なら、死んでる。……気をつけろ。裏に何があっても、おかしくねぇ。奴の様子が少しでもおかしけりゃ――躊躇うな。もしくは逃げろ。わかったな?」

「え、えっと……」

 

 頭が追い付かない。どうするのがいいのか、どうすればいいのか。

 そもそも、一度も会ったことのない相手だ。まだ見ぬ仲間、その上【ファミリア】の団長だ。情報が多すぎる。不明瞭なところが多すぎる。

 

 まず、見ただけでわかるのだろうか、というのがひとつ。何せ、ベルはおろか、【ファミリア】の人間は誰も、リングのことを見たことがないのだから。

 続けて、仮に見つけたとして、会ったばかりの人間の「様子がおかしい」ことに、気づけるのだろうか。

 

 そんな器用なことが自分にできるのか。

 

「まぁ、そう気張るな。会えたら運が良かった、くらいに思っとけ。……ダンジョンじゃ、何が起こるかわからん。俺の言葉も、お節介くらいに思っとけ」

「……はい。ありがとうございます」

「いいってことよ!」

 

 重苦しい空気から一変。快活な様子で、男は彼らのことを見送った。

 

 

 

 【リトルルーキー】ベル・クラネル。

 【三眼(トリローチャナ)】リング・ヴェーダ。

 

 二人の運命に接点が生まれた瞬間。

 

 

 

 ――物語は、加速する。

 




まず、評価をくださった方々、並びにお気に入り登録などしていただいた方々、まことにありがとうございます。
どうやら日間ランキングに載っていたようでして、非常に嬉しく思います。心が飛び跳ねています。

また、評価バーもいつの間にか赤く染まっており、まことに、ありがとうございます。
この評価に恥じることがないように、今後も精進していきたいと思います。

モチベーション、上げていきます。

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