【ヘスティア・ファミリア】元団長 作:釜めしの素
両腕に五十の自傷。それは彼の日記のようなもので、地獄を駆け抜けてきたことの証明でもある。
身体に擦り傷以上の目立った外傷無し。それが意味することは、彼が全ての危険を、その身に至る前に退けてきたということ。同時に、一度でもその身に受ければ死んでいた、という事実が隠れている。
防具はない。紙屑同然だと、早々に捨ててきた。
襤褸を身に纏い、見たこともないほど上質な魔石を入れたポーチを幾つも腰につけ、その姿は東の国の御伽噺に出てくる『桃太郎』のようにも見える。
これだけを見れば、金のために自らの命さえすり減らして戦い続ける、守銭奴……いや、金狂いだと思われても仕方ない。ギルドのアドバイザーがこの姿を見れば、間違いなく怒髪天を衝く勢いで、説教を始めるだろう。
『
水浴びを終えれば、後は『
知性を持ったモンスター。自らを『
加えて、数が少ない。百の半分にも満たない小集団が生き残るには、身を寄せ合う他にない。更にその確率を高めるのであれば、より正確な情報を得ることが必要だった。なまじ住処が冒険者の街に近いだけに、警戒するのは当然だった。
得られた情報は、他愛のないものだ。地上の事情というだけに、特に重要度が高いわけでもない。収穫といえば、冒険者たちはいつも通り、といったところだろうか。あとは、『
そんな情報を持って、彼は19階層に降りる。
「『慈悲をくれてやる。ただ一撃のもとに消え去るがいい』」
――『ブラフマン・シャクティ』、と。
その手には朱い槍が握られる。神秘の塊のそれを一度振るえば、その穂先に触れた炎鳥の首が飛び、魔石を残して消え去った。
レベル3の彼には、19階層は特に注意せずとも踏破可能な場所である。しかし、武器がなければ敵を倒すのに苦労するのも事実。故に、魔法を使うのは必要経費だった。魔石を使いたくない、という貧乏性の彼は自身の
彼の戦い方は――有体に言えば、戦士のそれである。
使う武器が魔法の武器で、奥の手が一区画ほどの地形なら焦土となせる大魔法。しかし、それ以外は純然たる戦士のもの。間合いをはかり、敵に近づき、槍を振るって敵を屠る。それこそが、常の戦い。対等、あるいは格下殺しの方法。
大魔法を以て一撃で仕留めるのを旨とするのは、あくまで「上位者殺し」の方法である。そもそも、彼は自前の魔力だけでは、地形を消し飛ばすほどの魔法は撃てないのだ。そんな気軽に撃っては、魔石がすぐに枯渇してしまう。
だから、杖ではなく槍を振るう。悠々と大地を歩き、近づく怪物たちの首をただ一振りのもとに飛ばす作業。魔石をしっかり回収するのは、冒険者としての性というよりも、やはり貧乏性に近かった。
風を切った時には、怪物の首が宙を舞う。
朱い槍はその姿は一片たりとも曇らせず、しかし陽炎のように揺れ動く。遠目からなら、それは生ける焔を持っているようにも見えるだろう。そして振るわれる一撃は、しなる鞭のように映るだろう。
舞踏を嗜むように、彼は19階層を軽々と踏破すると、20階層に降り立つ。癖で左手を見つめたところで正気に戻ると、彼はまた前を向いて歩きはじめる。
そうして歩いていると、冒険者の一団が向こうからやってくる。ダンジョンの中で他の冒険者とすれ違うのは、彼らにとっては日常風景といっても過言ではない。
しかし、彼とすれ違う人間の半分は――彼に気づくや、顔を青くして立ち止まる。怖れと驚愕に塗れた視線が、彼の背中を突き刺す。しかし、彼は気にしない。単純に、興味がなかった。
そうして『
その何気ない言葉を聞くだけで。
リングの声は震えてしまう。「ただいま」と格好のつかない声を返して、天を仰ぐ。地上に対する遥かな憧憬を、胸の内に問いかけ、自分が何をすべきかを何度も確認する。
ここに居てはダメだ、と何度も自分に言い聞かせる。
「収穫は、特になかった。良くも悪くもいつも通りだ。『
「あー、そりゃ困ったな。しばらく大人しくするしかないか」
「最悪、食料くらいなら採ってこれる。この階層の『
自分から提案して、何を言っているんだ、と自分自身を殴り飛ばしたくなった。頭の中を締め付けるような強烈な自己嫌悪に襲われる。それでも、彼ら彼女らのために力を貸すことに、どこか肩の力を抜くように、呑気に納得している自分が居る。
「いや、リグっちにそこまで甘えるってのも……それに、地上で家族が待ってるんだろ? なら、早く帰ってやるのが親孝行ってもんだ」
リドの気遣いに、もっともな言い分に、彼は頷きそうになる。浮足立つ心を上から押さえつけ、その内で叱咤する。もしもそんな甘えに縋って、同じ卓で飯を囲んだ友が殺されたとなれば、本当に納得出来るのか、と。
それが甚だしい妄想だと分かっていても、考えずにはいられなかった。もしもそんなことになれば、自分はもう二度と主神に顔向け出来ない。例えそれが過ぎたお節介だとしても。最善を尽くさなければ、嘘だと思った。
「……いや、『
「リグっち……」
後ろ髪を引かれる思いで、戻ったばかりの住処から背を向ける。そして歩き出したところで、声がかかる。
「内通デモシテイルノカ?」
全身灰色の石で出来た
「グロス! いくら何でも、そんな言い方……」
「居座ル理由ガ有ルカ? 私達ノ動向ヲ探ル以外ニ」
「あるさ」
きっぱりと、意地の悪いその声に答えた。
彼は振り向く。
「リド、そいつ……グロスの言っていることは正しい。お前たちは本来、俺のような危険を背負いこむ必要なんてなかった。見捨てりゃよかった。野垂れ死なせるべきだった。何なら、ここで袋にして殺すのも、当然だろ」
「お、おいリグっち。そんな物騒な――」
リングはリドの言葉を遮るように首を横に振った。
悲しそうな微笑みを携えて、彼は静かな声音で言う。
「助けて、って。そう、ずっと思ってた。奈落に落ちた時から、ずっと、ずっと。自分が、自分じゃなくなっていく不快感が、身体の中で這い回って。正気を保つために、狂って。擦り切れて。限界だって、執念でねじ伏せ続けて……いつ壊れても、おかしくなかった」
何もかも分からない場所に、放り込まれた恐怖。
時間がわからない。何処かわからない。敵がわからない。道がわからない。いつ死ぬかわからない。一寸先の未来さえ見えない、わからないだらけの暗闇の中を。ずっと、独りで歩き続けた。
人間は、暗闇の中にずっと独りで居られるほど強くない。
暗闇の中にずっと居ると、狂ってしまう。どれだけ強靭な精神を持っていようと、人間は闇には耐えられない。
それを、いつ訪れるかわからない。もしかしたら、いつの間にか首が宙に舞っているかもしれない。死ぬまでずっと囚われているかもしれない。そんな、どうしようもない恐れに晒され続けながらも歩き続けた彼は、まともで居られるはずがなかった。
そんな彼を寸前で繋ぎとめていたのは、主神の存在があったからこそだ。
絶対に裏切りたくない。再会して、「ただいま」と言いたい。「おかえり」と言われたい。そう思わせる主神だったから、彼はどんな絶望を目の前にしても、立ち上がれた。
しかし、そんな主神だって。彼の精神を繋ぎとめることが出来ても、癒すことは出来なかった。擦り切れれば、擦り切れたまま。心が血を流せば、流血したまま。彼の心は、蜘蛛の糸のように細いもので、剥き出しに傷だらけのまま繋がっていて。
いつ切れるかもわからないそれに掴まりながら、それでも真っ直ぐ前を向き続けて。気づかぬ間に手も伸ばして。
「お前たちが……初めて、俺の手を取ってくれた。嫌々だってやつも、俺を殺そうなんて思ってるやつは、居なかった。……感謝しているんだ」
彼は柔らかく笑った。
気負うことなく、打ちひしがれることなく、穏やかに。心から、笑っている。
「……行ってくる。これ以上居たら、本当に戻れなくなる」
最後、振り返るまでのわずかな間。
彼の顔に悲哀が浮かんだことに、果たして気づいた者は居たのか。
リングは静かに、住処から出ていった。
「……フン」
グロスは鼻を鳴らすように息を吐くと、不貞腐れるようにしてその場で横になった。
穏やかで、不思議な沈黙が流れる。人間にこれほど友好的に接されたことに、困惑していたのかもしれない。抱えていたモノが大きかったことに。あるいは、彼の中で自分たちが、それほど大きな存在になっていたことに。驚いたからかもしれない。
そうして続く沈黙。
それが破られるのは、もう少し後の話。
◆◆◆
まことしやかに、『
曰く、幽霊が出たと顔を青ざめさせて。
曰く、幻術を使うモンスターに化かされたんだ、と騒ぎ立てて。
曰く、あれは奴の未練が怨霊になったんだ、と新種のモンスター説を立てて。
「……【リトルルーキー】、確かお前さんは【ヘスティア・ファミリア】で間違いなかったよな?」
「え、はい。そうですけど……」
『
その男は、何かを言い淀むように口をもごもごと動かして、考え込み……彼、【リトルルーキー】ことベル・クラネルにだけ聞こえる声で囁いた。
「お前んところの団長、【
「――えっ」
ベルはそれを聞いた途端、頭が真っ白になり……次いで、神様から聞いた話を思い出す。
――リング君はね、絶対に生きてる。今も懸命に生きてる。ボクたちにはわかるんだ。
――だから、ベル君。もしリング君を見つけたら、連れて帰ってきてほしいんだ。
――もちろん、すぐにじゃないよ。ベル君たちのペースでダンジョンに潜って、その過程で見つけてくれれば、万々歳さ。
――君の、この【ファミリア】の団長は生きている。それだけは、覚えていてほしい。
――あの子の名前は、リング・ヴェーダ。二つ名を【
次々と思い出す、まだ見ぬ団長の情報。
行方不明になってもう3年も経っていると聞く。でも、生きている、と。
ベルは団長との邂逅は、もっと後になると思っていた。少なくとも、深層域に行かなければ会えないのでは、という予感めいたものがあった。
だから、その情報はまさしく寝耳に水。瞠目して、思わず相手のことを見つめた。
「もう、3年も行方不明になってた奴だ。普通なら、死んでる。……気をつけろ。裏に何があっても、おかしくねぇ。奴の様子が少しでもおかしけりゃ――躊躇うな。もしくは逃げろ。わかったな?」
「え、えっと……」
頭が追い付かない。どうするのがいいのか、どうすればいいのか。
そもそも、一度も会ったことのない相手だ。まだ見ぬ仲間、その上【ファミリア】の団長だ。情報が多すぎる。不明瞭なところが多すぎる。
まず、見ただけでわかるのだろうか、というのがひとつ。何せ、ベルはおろか、【ファミリア】の人間は誰も、リングのことを見たことがないのだから。
続けて、仮に見つけたとして、会ったばかりの人間の「様子がおかしい」ことに、気づけるのだろうか。
そんな器用なことが自分にできるのか。
「まぁ、そう気張るな。会えたら運が良かった、くらいに思っとけ。……ダンジョンじゃ、何が起こるかわからん。俺の言葉も、お節介くらいに思っとけ」
「……はい。ありがとうございます」
「いいってことよ!」
重苦しい空気から一変。快活な様子で、男は彼らのことを見送った。
【リトルルーキー】ベル・クラネル。
【
二人の運命に接点が生まれた瞬間。
――物語は、加速する。
まず、評価をくださった方々、並びにお気に入り登録などしていただいた方々、まことにありがとうございます。
どうやら日間ランキングに載っていたようでして、非常に嬉しく思います。心が飛び跳ねています。
また、評価バーもいつの間にか赤く染まっており、まことに、ありがとうございます。
この評価に恥じることがないように、今後も精進していきたいと思います。
モチベーション、上げていきます。