【ヘスティア・ファミリア】元団長   作:釜めしの素

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第七話 小さな火、灯る

 奈落が、口を開けて彼を地の底に誘う。

 奇跡的に、あるいは作為的に。彼はダンジョンの中でモンスターと出会うことがなかった。まるで誘いこんでいるかのように、あらゆる障害が取り払われている。

 

 獣に、見られている気さえした。

 

「――ッ!」

 

 『死の臭い』が、階を降りるごとに強くなっていく。18階層を超えれば、もはやその臭いはむせ返るほど濃いものとなった。目に染みるほど強く、枯れた筈の涙が、とめどなく溢れてくる。

 

「『慈悲をくれてやる。ただ一撃のもとに消え去るがいい』――『ブラフマン・シャクティ』!」

 

 一度目の歌を以て、その手に槍を持つ。19階層に降り立ち、頭が締め付けられるような苦しさに肩で息をしながら、それでも彼は全力で駆ける。

 

「『慈悲をくれてやる。ただ一撃のもとに消え去るがいい』――『ブラフマン・シャクティ』!」

 

 再度の詠唱。

 しかし、彼は破壊の大魔法を繰り出したわけでも、もう一本、槍を生み出したわけでもない。

 代わりに――彼の額に虚空が裂けるようにして現れ、そこにギョロリ、と第三の目が生まれる。

 

 それこそが、彼が【三眼(トリローチャナ)】の二つ名を受け取ることになった、最もたる理由。

 第三の目は、当然ながら装飾やただのファッションではない。

 それは、彼の身体能力を。感知能力を。あらゆる『ステイタス』を昇華させる。ともすれば『階位昇華(レベルブースト)』の力を持つ、超越魔法。

 

 【三眼(トリローチャナ)】の意味は、何も彼が第三の目を生み出すから、という理由だけではない。

 彼の魔法。『ブラフマン・シャクティ』が持つ三つの力によるところもある。

 

 一つ目は単純明快。地形を変える、消し炭にするほどの大魔法の行使。あるいは、威力を絞った攻撃魔法として応用することもできる。

 二つ目は、魔法の武器を生み出す神秘の力。

 そして三つ目、『階位昇華(レベルブースト)』にして、あらゆる能力を底上げする力。

 

 三位一体の力こそが、彼の魔法『ブラフマン・シャクティ』の正体である。

 十全に使う代償は、彼には到底支払うことのできない多大な『精神力(マインド)』の消費。特に、三つ目の力において、彼はとても現実的とは思えない『精神力』の消費を余儀なくされる。その消費量は、レベル1上げるだけの力を付与するのであれば――10秒で精神疲弊(マインドダウン)を引き起こすだろう。純魔法使いの者よりもよほど、『魔力』のステイタスに秀でているにも関わらず、である。

 

 その内二つ……常時発動するのであれば、一番消費の重たい『階位昇華(レベルブースト)』の力を使い始めたこと。魔石の消費を顧みない力の行使は、彼にそれほど余裕がなくなっていたから。その証左。

 

 第三の目が、ギョロリと周囲を見回す。駆けながら、「ここじゃない」という結論に至るのは、20階層へ通じる道に到着するのと同時であった。

 そうして20階層に降りれば、また同じように、次の階層に向けて全力で走る。

 

 『異端児(ゼノス)』たちの住処に近づいた時、その気配が全くないことを、第三の目が感知する。その住処を確認するべきかどうか。刹那の逡巡の後、彼は自分の感覚に全てを委ねることにした。

 奈落を生き抜いた力に、彼は全幅の信頼を置いていた。

 

 感知範囲は、階層を補えるほど広くはない。しかし、階層を駆け抜ければそのほぼ全域を把握出来るほどには、優れている。

 彼の進んだ後には、多くの灰が舞う。魔石が、その力を失い減っていた。

 

 

 

 24階層に降りた時、その死臭は彼の鼻を容赦なく突き抜け、頭を大きく揺らすような衝撃をもたらした。

 それを例えるなら、屍の山の上に立たされているような。あるいは、火葬場に赴いた時のような。重たく、沈み込んだ空気が漂っている。嫌に乾いたダンジョンの香りは、骨粉を想起させるほど不吉なものであった。

 

「『慈悲をくれてやる。ただ一撃のもとに消え去るがいい』――『ブラフマン・シャクティ』――ッ!」

 

 三度の行使。さらなる『ステイタス』の昇華を以て、第三の目を使い、類を見ない高速探索が行われる。

 

 彼の視界は今、二つに割れている。

 彼が生来より持つ瞳は、高速移動下においてもダンジョンの様子をつぶさに観察し、わずかな変化さえ逃そうとしない。色の具合、部屋の損傷具合、足跡から、情報を吸収し、次に辿るべき順路を割り出していく。

 彼が生み出した第三の目は、階層の壁さえ突き抜けて、色を映し出す。冷たく無機質な水底のような色が大半だが、時折冒険者らしき橙色が人型を象り、モンスターらしき魔石は紫色に淡く輝く。モンスターは決まって、ほとんど水色か真っ赤かといった、極端な色合いをしていた。

 

 ――そして、程なくして彼は見る。

 冒険者たちらしき、人型の橙色を見る。次々と消えていく、紫色の光を見る。紫色を内に、外側を象っている色は青白く、蜘蛛の身体から人の上半身を生やす人蜘蛛(アラクネ)の形。倒れ伏しているのか、魔石の光はあるものの、形の分からぬ二名。

 

 人蜘蛛(アラクネ)は、この24階層には生息していない。何より、彼はその姿を見たことがある。言葉こそほとんど交わさなかったが、非友好的な集まりの中、様になっている鎧姿を思い出す。

 

(数が少なすぎる――不味いッ!)

 

 彼は更に加速する。その身に刻まれた恩恵を、残り火と思い込んでいるそれを遺憾なく発揮し、風さえ置き去りに、時にダンジョンの壁さえ走破する。

 大魔法を以てダンジョンの壁を諸共破壊すれば、目標の居る広間が崩落する恐れがあった。そうなれば、よくて生き埋め。悪ければ即死。最悪――また、あの奈落が大口を開ける。

 

「『慈悲をくれてやる。ただ一撃のもとに消え去るがいい』」

 

 歌を口の中で転がした。魔力を第三の目に押しとどめ、その魔法を発動する寸前に維持し続ける。

 

 広間への道の直線に到達した。

 その瞳が捉える。嬲られる人蜘蛛(アラクネ)の姿を。不気味なほど白い肌を持ちながら、神々さえ霞むような美貌を持っていたであろう顔が、血糊化粧に歪んでいる。

 

 口から溶解液を吐き出し、その腕を振るって冒険者を払いのけ。

 冒険者の白刃が迫る中、それでも気丈に抵抗をし続ける彼女は。

 

「――貴様等にッ、この身を辱めることなど許さない!」

 

 続く言葉は、どこまでも気高く、己を貫こうとする。意志を貫き、やり遂げようとする、最後の輝きを放っているようにさえ見えて。それが、彼にはどうしようもなく恐ろしくて。

 

 あと、数歩。

 冒険者たちは、彼に気づいていない。彼女の影になっていることもあって、気づかれていない。

 

 ――間に合えぇぇぇッ!

 

 心が叫ぶ。魔法の戒めを解き放つ。

 第三の目に、閃光が集まる。破壊をもたらす光が溜まり――

 

「『ブラフマン・シャクティ』ッ――」

 

 リングが広間に飛び出した。

 第三の目から閃光が飛び、その天井を、冒険者と彼女を分断するように正確に崩落させた。

 

 ……同時に。

 彼女は自らの腕で、己の血肉を貫き破った。

 

「グロ、ス――あとは」

 

 空になった魔石の入ったポーチを投げ捨てると、その中に残った灰だけが宙を舞う。

 瓦礫が降り注ぎ、冒険者たちの視界はより一層悪くなる。

 

 そんな中でも、止まらない彼女の腕を、その身体を。

 

「死ぬなッ!」

 

 彼は掴み取り、昇華された『ステイタス』の暴力に身を任せ、彼女を抱きかかえて。その耳元で、力強く、血反吐を吐くように。懇願するように。彼女にだけ聞こえる声を上げ。

 

 リングは、人蜘蛛(アラクネ)異端児(ゼノス)を連れて、広間から脱出することに成功する。

 

「生きろ、諦めるな。あと少しだけ、耐えろッ! 生きてりゃどうにだってなる。どうにだって出来る。だから、生きろ。仲間が、待ってるんだろ!? 帰る場所があるんだろ!?」

 

 強く、強く。

 彼女の手を握り締め、その身体を決して離さず。彼は一息つける区画。背負うもののない袋小路に出たところで、彼女をそっと降ろし、槍も手放し、その目を見た。

 

「――お前、は」

 

 白かった目は、化け物を表す黒色に染まり、瞳の中央は血のように真っ赤に染まっている。まだ、その瞳は光を失っていない。生きている。

 

 彼は慌ててポーチのひとつを手に取り、その中から――魔石をありったけ取り出した。

 奈落より持って帰った、怪しき光を持ち、その奥に焔のような黒い魔力を内包させる魔石を。

 

 彼はそれを、彼女の空いている手に握らせる。

 

「食え。魔石だ。奈落から持って帰った、魔石だ。食わなきゃ、その傷じゃ、死んじまう。頼む、食ってくれ……!」

 

 引き留めるように、リングは彼女の肉体に埋もれる腕を引き、その目を見つめて、懇願する。今にも額を地面に叩きつけそうなほど、鬼気迫った様相。

 

 その姿は、あまりにも格好悪かった。弱者の命乞いのように無様で、死の恐怖に怯えて泣き叫ぶ人間と同じように顔を歪めて。とても、敵だとも、味方だとも。脅威だとも、思えない。全てを奪われた敗者の姿。

 少なくとも、人蜘蛛(アラクネ)の目からは、そんな風に映った。

 

 見覚えのある顔だ、とも思った。

 手に握らされた魔石に視線を落とすと、その力の奔流に気圧された。今まで見たこともないような、恐ろしい魔力が籠っている。見ているだけでわかる。自分では、どうやっても勝てないような化け物の魔石なのだと。小さくとも、その質に間違いはないと。

 

 これを食べれば、また戦うことが出来る。

 もっと強くなれる。

 あの人間たちから――同胞を、取り戻せる。

 

 その確信に至ると、彼女は自分の肉から手を引き抜き――そこから血が溢れるが、構わなかった。

 リング……人間が慌てて止血を試みようとしているようだが、彼女はそれを一瞥するだけで気にも留めない。

 

 ――三粒。

 血に濡れたその手で摘まむと、彼女は迷うことなくそれを口に含み……飲み下した。

 

 変化は、一瞬で訪れる。

 腹の中に魔石が落ちた瞬間、下半身の節足から蜘蛛の胴体にかけて、奔るように禍々しい紫色の文様を浮かび上がらせる。

 胃の中が沸騰するように熱くなるが、不思議と不快なものではなかった。腹部の自傷は瞬く間に塞がり、彼女を濡らす赤い血は止まっていた。

 

 折れた腕と節足は、すぐに完治することはなかった。

 しかし、その内側から蠢くような感覚があることを、彼女だけが知覚していた。より強く、今まさに強化されようとしているのだと、理解する。モンスター特有、階位昇華の変調が、煩わしいくらい伝わってくる。

 

「生きてるよな? 間に合ったんだな!?」

「……うるさい。静かにしろ」

「――よかった」

 

 頬にくすぐったさが走る。不意打ちのような行動に、彼女は目を見開き、ついで視線を彼に落とした。

 

「ほんどうに、よがっだ……」

 

 その人間は、泣きじゃくっていた。

 彼女にはばかることなく。安心したように目じりを緩めながら、その顔を老人のようにしわくちゃにして、不細工な顔で、泣きぐずるのだ。

 

 その姿に、彼女はどうしていいのか分からなくなった。

 敵や色目を使ってくる輩であれば、この場であっても殴り飛ばしていただろう。

 偽善のように、上から「よかった」などと言われて抱きしめられたのであれば、その顔面に容赦ない拳を飛ばしただろう。

 

 だが、違うのだ。

 目の前の人間は、どうしようもなく弱々しく。彼女を救った張本人であるのに……まるで、自分が救われたかのように。安心したように泣き出して、我がことのように喜んで、心の底から延々と感情を垂れ流している。

 

 彼女を抱きしめている手というのも。どちらかといえば、縋りつくに近い。壊れモノを扱うような力ではない。絶対に手放さない、という。宝物を手放そうとしない幼子のように、しがみついてくるのだ。

 

 

 

「――生ぎででぐれで、ありがどう――ッ!」

 

 

 

 この人間は、どうしようもない奴なのだと、彼女は結論付けた。

 どうしようもなく、かわいそうな奴なのだと思った。情けのない奴だと思った。あまりにも小さい子どもなのだと思った。

 

 レイの言っていたことに、彼女は共感を覚えた。

 生まれたばかりの同胞――なるほど、確かにその通りだと。

 

 その通りではあるが。

 違うところも、またあるのだと、そう思う。

 

 

 

 高揚する気分。熱くなる胸の内。温かく緩む感情。

 それらは全て、魔石を食べたことによる影響なのか。

 

 それは誰にもわからないが。

 

「いつまで、泣きじゃくってる。いい加減離れろ……ええい、鬱陶しい! さっさと離れろ!」

 

 どうしようもない奴に助けられた事実を彼女は受け止めて。

 怒りの炎の指向性が揺らぎ――カチリ、と何かが変わる。

 

 

 

 

 

 

 分水嶺に立っていた彼は。

 その手を寸前のところで届かせた。

 

 みっともない姿をさらして、とても英雄とは思えない格好の悪い姿ばかりを見せつけて。

 それでも、彼の信念に。その想いに揺らぎは――ただの一度もない。

 

 火を継ぐのだ。

 その灯を、彼は確かに引き継いでいる。

 

 奈落に落ちてからこの方。

 ようやく成功した彼の火種は。

 

 今、確かに煙を上げて。

 弱々しくも、ゆらゆらと、小さな火を灯すのであった。

 

 




評価をくださった皆々様、お読みくださっている方々、お気に入り登録で応援してくださる方々。
まことに、ありがとうございます。

モチベーション、非常に高いです。
すぐに筆が進み、今日中にまた投稿することが出来ました。

応援してくださる皆様に感謝を。
このご期待、応えるために、出来る限りの更新をさせていただきます。


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